旅好者さんのクチコミ(272ページ)全6,284件
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投稿日 2017年07月17日
総合評価:4.0
東武東上線とJRの川越駅の東口から北へ1kmほども伸びるショッピング街です。道路の幅が昔ながらの商店街といった感じに広くなく、また、変に飾ったところがないのが良いです。そんなところに一方通行とはいえ、車が入って来てなんとまぁ邪魔だ!と思ったら、人通りが増える夕方から?は車両進入禁止となるのだそうですね。このクレアモールはどういう意味で付けられたのか知りませんが、南200mくらいは脇田町の川越サンロード商店街と、残りは新富町の川越新富町商店街が、手を結んだ統一名称なんだそうです。俺が、俺が・・・ではないところが、このモールの売りでしょうね。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:1.0
妙善寺は、川越マインの裏側方向、東武東上線と並行する道路を少し進んだところにあります。このお寺は天台宗中院の末寺です。寛永3年(1624年)に中院の尊能法師が自身の父母の菩提寺として建立したものです。訪れると、門は閉められ、おまけに、その手前にはロープも張られています。ここは小江戸川越七福神第一番の毘沙門天が祀られていますから、檀家さん以外も多く訪れるお寺さんのはずです。こんなことで良いのですかね?右の方に住居の入口が開いていますから、入ろうと思えば入れます。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
雀の森氷川神社は、東武・JR川越駅の西口を出て、200mくらいでウェスタ川越があります。通り過ぎたところから左に曲がり、60~70mくらいを右に入るとあります。ウェスタ川越の真ん中に通路を抜けるとちょっと近道になります。正しくは新宿(あらじゅく)氷川神社というそうで、ここが新河岸川と不老川に挟まれた台地で新宿(あらじゅく)という場所だからです。そこに雀ノ森と呼ばれる森があったことから雀の森氷川神社とも呼ばれて親しまれたのだそうです。
今は森と呼ぶにはちょっと無理があるなと思われる木立の中にあります。祭神は須佐之男です。祭礼などを除けば、訪れる人も滅多にいないのではないかと思われるほど、忘れ去られた様に寂しい感じのする神社です。ここの神社の変わっているのは、本殿の後ろに、「氷河大明神」と彫られた石祠があることです。こういう形は初めて見ました。元禄5年(1693年)に氏子代表が祀ったと彫られています。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2017年07月15日
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.5
川越八幡神社は、東武・JR川越駅近くの三番町通りの、三番町交差点の1つ西寄りの路地を北に300m弱進むと左手にります。ここには縁結びの木(イチョウ)があります。根元近くで2つに分かれている?と思ったら逆で、近くに植えらえた2本が1本の様に寄り添ったのだそうです。別れたら縁結びではないですものね。境内社の1つに民部稲荷(別名:相撲稲荷)があります。八王子の方からやって来たお狐さんです。足腰健康のご利益があるそうですが、境内にある足形に足を合わせると良い様です。相当内股にしないと合いません。(1ヶ所で満足したのですが、境内には2ヶ所あるそうです)そういえば、民部稲荷は丸広百貨店の屋上にもあったのを思い出しました。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
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投稿日 2017年07月15日
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
七福神めぐりは一番から廻る方が周りやすいものかと思いますが、川越散策に何度も訪れている内に、七番だ、三番だとか言っていたら、残りが一番、二番だけになり、今回これを訪れることにしました。まずは、妙善寺の第一番毘沙門天です。着いてびっくりです。山門は閉じられ、手前にはロープまで張ってあります。何ですかね?これは来るなということですよね。何か理由があるのならば張り紙くらいしておきなさい、です。仕方なく、住居の方の入口から入りましたが、もし一番から順に廻ろうと思って、ここに来たら七福神めぐりはやらなかったでしょうね。小江戸川越七福神霊場会会長(妙昌寺住職)さん、自分で七福神めぐりをやってみてください。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 1.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.5
川越キリスト教会は、蔵造りの街並み一番街の仲町交差点を、東へ進むと突き当りに見えてきます。
川越キリスト教会はプロテスタントの教会で、明治11年(1878年)に最初の教会が出来ましたが、明治の大火で焼失してしまいました。場所を移した現在の建物は大正10年(1921)に再建されたもので、レンガ建築では川越で一番古いものです。国指定の有形文化財です。見学自由と言われても、信者でもないので教会は気が引けるものです。礼拝堂に見学者は誰も居ません。パイプオルガンの音だけが響いています。天井はノアの方舟をイメージしたデザインでした。この方舟をイメージしたというものはよく見掛けます。教会の定番デザインの1つなのですね。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:2.0
永島家住宅は、中央通りの連雀町交差点を東へ200m強で松江町交差点となります。そこで左折して200m弱、最初の路地を右に入ります、さらに200mで到着です。この場所は川越城の南大手門前で、武家屋敷が集まっていたところです。永島家住宅もその中の1つで、中級の武士やご典医の住まいだったものです。但し、明治に入ってからは一般の住居(永島さんの持ち家)として使われてきたので、かなり増築されています。庭は見るべきものはまったくありません。今のところ、土曜日だけの公開となっていますが、それに合わせてわざわざ見に行くほどではないと思います。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2017年07月15日
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:4.0
舟運亭むかし館は、中央通りの連雀町交差点を東へ200m強で松江町交差点となります。そこを通り越し100mくらいの信号機のある交差点を右折して、200m強で舟運亭むかし館があります。舟運亭は3代続く老舗の製麺店です。伝統の麺造りに新しい技術を加えた「芋うどん」の元祖で、夏には「芋そうめん」も販売しています。川越のうどん乾麺は江戸時代から有名で、将軍にも献上され、新河岸川を舟で運んだことから店名「舟運亭」としたそうです。店の奥まったところに包装されたうどん(乾麺)が少しだけ陳列されて売られていて、おかみさん?が店番をされていますが、お店のほとんどは民俗資料館「むかし館」となっていて、川越ゆかりの民具、武具、絵画などが多数展示されています
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:4.0
喜多院は、蔵造りの街並み一番街の観光の続きだとすると、中央通りの連雀町交差点を右(東)へ、600m強の喜多院入口交差点を右折、約200mで喜多院正門に出ます。(1つ手前の信号を右折すると喜多院北口となります)もちろん、循環バスなどを利用することも良いと思います。
山門は、喜多院では寛永15年(1638年)の川越大火での焼失を免れた唯一の建造物で、最古のものです。境内に入り、正面にある大堂は慈恵堂(じえどう)で喜多院の本堂であり、慈恵大師と慈眼大師が祀られています。寛永16年(1639年)の建築です。建物の大きさ、手前の石段とも川越のほかのお寺さんとはスケールが一段と違います。境内左には「苦ぬき地蔵尊」があります。のぼり旗は彩り豊かです。刺抜きではなく、苦ぬきですから、いろいろな場所、いろいろな場面などご利益の範囲が広そうです。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:4.0
五百羅漢は、喜多院の山門をくぐった右手にあります。現在の川越市北田島に生まれた内田善右ヱ門さん、後に出家をして志誠(しじょう)が、父母の冥福の為に天明2年(1782年)から五百羅漢造りに着手しました。しかし、40体まで作ったところで他界。その後、喜多院の3学僧さんが継ぎ、文政8年(1825年)までの約40年間を掛けて、全535体が完成されたとのことです。いろいろな顔、姿、1つとして同じものはないそうで、その執念に恐れ入ります。自分に似たものや、親に似たものがあると言われていますが、そう簡単には見つかりませんでした。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
天海像は、喜多院の山門手前右側にあります。天海僧正は、徳川家康の信任厚く、家康の死去に際しては葬儀の導師を務めたことでも知られています。慶長17年(1612年)に、家康に進言して、荒れていた無量寿寺再興を認めてもらいます。具体的には北院を喜多院として復興させ、関東天台宗の本山と定めます。これ以後、関東の天台宗寺院はすべて喜多院のもとに属したのです。正に喜多院そのものの様な天海僧正ですから、ここに像が建てられたのでしょう。全体にふっくらしたお姿をしています。怪僧ともいわれていますが、この像からはその片鱗も見えません。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
白山権現(白山神社)は、喜多院の山門手前右側にあります。この神社はたいへん小さなお社です。目の前に喜多院の山門がありますから、余程気にしていないと見落としてしまいます。小さくても、歴史は古く、喜多院と同じで、平安時代の天長7年(830年)に創健する時に、天台宗の修験道の霊場である白山の総本宮・白山比(ひめ)神社から勧進したと伝えられています。「むすび」の神として霊験あらたかで、家内安全、良縁祈願、商談成功とむすびに関することにはご利益大ですから、よくお祈りしておきましょう。ここはお参りしている人はほとんどいませんから、よく聞き届けてくれそうです。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
日枝神社は、喜多院山門前の左前方にあります。創建を示す資料がないのではっきりしていませんが、建物の一部に室町時代末期の様式が見られることから、その時代の創建と推測されるそうです。狭い境内に小さな社とあまり大事にされている感じはしませんが、この神社は日吉大社を勧進したもので、いわば本家筋です。太田道灌が室町時代の文明10年(1478年)にこの日枝神社を江戸城紅葉山へ分祀したのです。その後、現在の赤坂に移され、今日の立派な日枝神社となっているのです。現在の両社を見比べては誰も信じないでしょうが、こちらが赤坂の日枝神社の本家なのです。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
仙波仙芳塚は、喜多院と東照宮との間の路地の途中から東に入ります。この道が狭くて見落としやすいです。もう1つの行き方は、喜多院門前通りの最初の路地を右に入ると程なく右手にあります。こちらは裏側から入ることになります。この地には仙芳仙人というお坊さんが、竜神さんの力を借りて、海から土地を造りだした昔話があります。現代風に解釈すると、大昔に、仙芳仙人がこの地に庵を結んでいた時、大地震があって地殻変動が起き、海岸線がずっと沖合へとずれたのでしょう。その新しい土地に無量寿寺が建てられ、その内の北院のあった場所が現在の喜多院ということです。仙芳仙人はその後、この場所で入定したと伝えられていて、文化元年(1804年)に石塔が建立されたとのことです。意外?にも川越には貝塚がありますから、昔話がすべて作り話ということはないのですね。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
東照宮は、喜多院の山門の南50~60mくらいです。一応、三大東照宮の1つと言われていますが、入口の案内板は粗末です。寛永10年(1633年)に喜多院境内に建立されましたが、その5年後に大火で類焼してしまったため、寛永17年(1640年)に、場所を現在地に移し再建されたものです。入口から少し進むと、山門となる随身門があります。国指定重要文化財だそうです。普通は随身門には仁王像みたいなものがあるのもと思っていましたが、ここは何もありません。そこから参道が伸び、数10段の石段へと続いています。しかし、折角登っても、階段上の門は閉められていて、拝殿や本殿にお参りすることは出来ません。隙間から眺めるだけの情けない状態です。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:4.0
中院は、西武本川越駅の東方で、お寺さんの案内では徒歩12分となっています。まっすぐな道はありませんから、地図が必要です。創建は古く、天長7年(830年)で、当初は無量寿寺といったそうです。もともとは北院(仏蔵院)、中院(仏地院)、南院(多聞院)の3院があったそうですが、中院だけが残ってきたとのことです。なお、喜多院に天海僧正が来るまでは、この中院の方が勢力が強かったそうです。
このお寺さんは島崎藤村とゆかりが深かったことを始めて知りました。これは妻の出身地が川越だったからで、その義母の墓もここにあります。藤村の奥さんは誰?なんて、一般には知られてませんからね。山門を入って行くと、左手に藤村書の「不染」の碑(字がなかなか読めませんが)があり、その後方には藤村が義母に贈った茶室「不染亭」があります。(移設したものです)不染とはですが、茶道の師匠だった義母が「不染」と称したからだそうです。文学に茶道、この一画は高尚な佇まい?です。その並びには大正天皇お手植えの松もあります。参道右手には枯山水庭園があります。そして、木立に囲まれる様に本堂があります。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0















































