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仙波仙芳塚 (仙芳仙人入定塚)

名所・史跡

仙波仙芳塚 (仙芳仙人入定塚) クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~10件(全10件中)

  • 喜多院の由緒を読み解くための古跡…

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 1

    住宅街の中にぽつんと石碑が立っています。説明は読みにくくわかりにくいのですが、現在の喜多院の前身である無量寿寺を創建した仙...  続きを読む芳眞人が入定した場所、という意味合いのようです。古代には付近は海であり貝塚が発見されているとか、古墳とみなされるもののひとつであるとか、川越の地がそう呼ばれる前から重要な地点であることを裏付け、そもそも喜多院の由緒を語るための古跡ということで残されているようです。  閉じる

    投稿日:2022/06/08

  • 古墳ではないかと考えられている塚です

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/10(約4年前)
    • 1

    仙波東照宮から1分ほどの住宅地の空き地に造られています。高さ1mほどの石垣の上に1.5mほどの碑が建っています。かつて海辺...  続きを読むだった仙波を仙芳という仙人が干拓し、喜多院の前身である無量寿寺ができ、その後入定したという伝説が残る塚です。事実はわからず謎に包まれている塚ですが、喜多院とかかわりがある小さな古墳ではないかと考えられているようです。古くなった墓石のような碑には割れ目もあり、ロマンが感じられる塚です。  閉じる

    投稿日:2021/11/01

  • 写真は裏から見た姿

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/05(約5年前)
    • 0

    喜多院のすぐ近くにあります。周りは住宅街ですが、この一角は空き地のようになっており空き地の真ん中に立っているといったイメー...  続きを読むジです。なので裏側からも見ることができてそれだと何の碑かわからないこともあるので表に回り込むとよいようです。  閉じる

    投稿日:2023/02/27

  • 川越市小仙波町の喜多院の東側にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/09(約6年前)
    • 0

    川越市小仙波町の喜多院の東側に石垣に囲まれた塚が保存され、中央に文化元年(1804年)建立の石碑が立っています。碑文が彫ら...  続きを読むれていましたが意味は解りませんでした。仙芳仙人の伝説にまつわる内容の碑文の様です。   閉じる

    投稿日:2021/09/01

  • 塚碑が有りました

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    川越を訪れた際こちらの場所を訪れました。7千年前はここが海だったそうで、仙芳仙人が海を干あげてそこへ喜多院の前身である無量...  続きを読む寿寺領を造りその後入定したと説明が有りました。石碑が立てられているだけですが、興味深い言い伝えが有るのだなと感心しました。
      閉じる

    投稿日:2019/03/13

  • 仙波仙芳塚は、喜多院山門と東照宮入口の間の路地で、東側の住宅と住宅の間に50cmくらいの狭い通路があり、通り抜けた先にあり...  続きを読むます。仙波仙芳塚とは仙波にある仙芳仙人の墓のことです。普通の住宅に挟まれたところに、異空間の様に石塔が立っています。大昔、この地に住んでいた偉~いお坊さんの仙芳仙人が、海辺だったこの地を沖合まで干上がらせて土地を作り出し、それが無量寿寺領だと伝えられています。もう神話の世界ですが、喜多院に通じる無量寿寺成立には仙芳仙人というお坊さんが関係していたことは確かなのでしょう。ここはその仙芳仙人が入定した場所と伝えられ、江戸時代の終わりころにこの石塔が立てられたそうです。   閉じる

    投稿日:2017/07/19

  • 大昔に、大地震があったのです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/07(約8年前)
    • 0

    仙波仙芳塚は、喜多院と東照宮との間の路地の途中から東に入ります。この道が狭くて見落としやすいです。もう1つの行き方は、喜多...  続きを読む院門前通りの最初の路地を右に入ると程なく右手にあります。こちらは裏側から入ることになります。この地には仙芳仙人というお坊さんが、竜神さんの力を借りて、海から土地を造りだした昔話があります。現代風に解釈すると、大昔に、仙芳仙人がこの地に庵を結んでいた時、大地震があって地殻変動が起き、海岸線がずっと沖合へとずれたのでしょう。その新しい土地に無量寿寺が建てられ、その内の北院のあった場所が現在の喜多院ということです。仙芳仙人はその後、この場所で入定したと伝えられていて、文化元年(1804年)に石塔が建立されたとのことです。意外?にも川越には貝塚がありますから、昔話がすべて作り話ということはないのですね。   閉じる

    投稿日:2017/07/15

  • 柱のような碑が建つシンプルな塚

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/07(約8年前)
    • 1

    仙波仙芳塚は、喜多院から東側に細い道があって、それを抜けたところ。
    柱のような碑が建つシンプルなこの塚は、仙芳という仙人...  続きを読むが入定した地であることを示すもの。仙芳は、海を干し上げることで今の喜多院の土地を作ったという伝説の人。碑には説明が書かれているようですが、ほとんど読めない。近くに紙の説明文があります。

      閉じる

    投稿日:2017/07/11

  • 住宅街にポツンと立っています

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    小江戸観光の中心地「蔵造り商店街」を徒歩で観光したあと、レンタサイクルを利用し、喜多院、中院、日枝神社などを回っているとき...  続きを読む、住宅街に石碑らしいものを見つけたので、立ち寄ってみました。
    「仙波仙芳塚」と呼ばれるこちらの石碑、喜多院や中院にまつわる方のようです。  閉じる

    投稿日:2014/12/29

  • 住宅街の中に建つ古跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2007/12(約18年前)
    • 6

    喜多院の近くの住宅街の中にひっそりと建つ石碑で、仙芳眞人入定塚と刻まれています。
    仙芳真人(=仙芳仙人)は、仙波の地名の...  続きを読む由来になったと言われる人で、喜多院、中院の前身である無量寿寺は、彼が創り出した土地に建てられたと伝えられています。
    この塚の西側は、喜多院の本地堂瑠璃薬師殿(大堂)があったところだが、今は宅地になってしまっています。
    ちなみに、現在の上野寛永寺の根本中堂は、この本地堂瑠璃薬師殿を移築したものです。  閉じる

    投稿日:2014/11/20

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
仙波仙芳塚 (仙芳仙人入定塚)
住所
  • 埼玉県川越市小仙波町
アクセス
JR川越線、東武東上線川越駅より、小江戸巡回バス13分喜多院バス停下車2分
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
旅猫 さん

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このスポットに関するQ&A(0件)

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