nichiさんのクチコミ(3ページ)全2,102件
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1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で極楽寺の建物が半壊したことで豊臣秀吉が築造した「湯山御殿」の遺構の一部が発見されました!
投稿日 2023年07月06日
総合評価:4.5
1997年(平成9年)に神戸市史跡の指定を受け、遺構を保存するために「神戸市立太閤の湯殿館」が建設され、1999年(平成11年)より一般公開されています。
入場料は一人200円。
有馬温泉には太閤さんの湯殿があったと言われていましたが、ずっとどこだったのかわからなかったのですね。
それが阪神淡路大震災で明らかになったわけです。
中では有馬温泉の歴史や特徴についてく詳しく知ることができました。
そもそも有馬温泉は、日本書紀に「有間の湯」として記されているんだって。。。
で、有馬温泉には、金の湯と銀の湯の2種の温泉があるんですよね~
有馬温泉を語るのに絶対登場する太閤こと豊臣秀吉。
北政所(ねね)や千利休と共にたびたび湯治に訪れていた秀吉。
ココで茶会も開催していたようです。
床がガラス張りになっていて、床下に遺構がよく見えました。
昔は蒸し風呂だったのですね。
湯船に浸かるようになったのは、江戸時代から。。。。
当時の蒸し風呂は、治療や療養のためのもの。
それも着物を着ての入浴。
それが今の浴衣につながっているのですね。
知らなかった~
多くの食器類も出土していました。
唐津焼や備前焼、中国の景徳鎮まで。。。
秀吉やねね様も使っていた食器もあるかも????
共に信長の家来だった豊臣秀吉と柴田勝家が戦った賤ケ岳の戦い。
この戦いに勝利した後、秀吉は有馬温泉を訪れています。
あとは大阪城築城の前とか・・・
多くの武将に湯治を勧めており、もてなしの場所としてココ有馬を利用していたのですね。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2023年07月05日
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創建は天分7年(1539年)で秀吉の正室のねね様の別邸跡に建つお寺です。
投稿日 2023年07月04日
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海沿いの細長い公園で、ロープウェイで鉢伏山の展望台まで上がることができます。
投稿日 2023年07月04日
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投稿日 2023年07月04日
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投稿日 2023年07月01日
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投稿日 2023年07月01日
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投稿日 2023年07月01日
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投稿日 2023年07月01日
総合評価:5.0
この人、実はすごい人!
私も全く知らない方でした。
この兵庫県への旅行を計画し、どこに行こうかネットで調べている時、高砂の工楽松右衛門に出会いました。
播州木綿を使った厚地の帆布を織り上げることに成功。
それまで脆弱だった帆布に代わり、全国の帆船で使われるようになりました。
松右衛門帆布と呼ばれたようです。
千石船の弱点だった帆の改良に自ら取り組み、江戸の海運に革命をもたらせました。
そして、自ら様々な港湾整備技術を生み出し、幕府の命令で千島列島の択捉島に埠頭を築き、函館にはドッグを造っています。
で、このような功績が認められて、「工夫を楽しむ」という意味で、工楽と言う姓を与えられています。
松右衛門が発明したもの
松右衛門帆布
荒巻鮭
石船
砂船
ろくろ船
石釣船
すんげぇ~~
玉岡かおるさんが
帆神―北前船を馳せた男・工楽松右衛門―
と言う本を書いていらして、高砂市長との対談の映像も流されていました。
この本、ココで買っちゃいました。
偉大で凄くてビックリなんです。
もっと世の中で知名度が広がってくれることを願います。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2023年07月01日
総合評価:4.0
この高砂神社、「神功皇后の命により大己貴命が当地に祀られた」
と説明がありますが、さっぱりわかりません。
大己貴命ってググってみたら、大国主のことなんですね。
つまり、出雲大社の祭神です。
神話の世界ですね。
この神社に相生松と言う松があるのですが、同じ根で雄と雌に分かれており、ある日、尉姥二神が現われ「我は今より神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げたとのこと。
この二神を「尉と姥」つまり、おじいさんとおばあさんとして今日めでたい結婚式になくてはならないいわれになったとのことです。
立派な能舞台がありました。
6月には私の敬愛する野村萬斎さんがご子息と共にここで能「高砂」を披露するらしい。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2023年07月01日
総合評価:4.0
宝殿の駅から徒歩20分でした。
この辺りは採石場としても有名な場所で、神社の山も大きな大きな岩ですね。
竜山石と言って、全国で様々な用途に使われた石なんですね。
鳥居をくぐって長~い階段を上ります。
この神社の御神体は巨大な石造物で、石の宝殿と呼ばれています。
拝観量は00円。
水の上に巨大な石が浮いてるように見えます。
横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物。
重量は465トン
なんか不思議です。
自然にこうなったわけではなく、人工的なものらしいのですが、だれがいつ頃何のために造ったものなのかはわからないそうです。
8世紀より前にはすでにこの巨石はあったようです。
神社の上の方にも上がれるようになっていて、巨石を上から見たり、高砂の街と瀬戸内海を一望にすることができました。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2023年06月28日
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明石公園は明石城の城跡をそのまま公園化した城址公園です。 25haという甲子園球場約13個分と言う広大な敷地です。
投稿日 2023年06月28日
総合評価:3.5
南側に大きな広場がありますが、ココは大曲輪だった所。
藩主の別邸である御下屋敷と13軒の重臣屋敷がありました。
大曲輪の広さは4.2haと言うからかなり広いですね。
この日はこの広場でイベント開催中でした。
北側は高台になっており、東の丸、二の丸、本丸、天守台があります。
本丸には巽櫓と坤櫓が残っており、伺った日は、巽櫓の中を拝見することができました。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2023年06月28日
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投稿日 2023年06月26日
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投稿日 2023年06月26日
総合評価:4.0
明石駅から商店街を抜けるとすぐに明石の港に着きました。
淡路ジェノバラインで淡路島の岩屋港に向かいました。
乗船料は600円。
自転車だとかバイクも載せられるようです。
地元の生活の足ですね。
明石と淡路島の間では、他にもフェリー含めていくつか船の行き来があったようですが、 明石海峡大橋の開通に伴い、廃止され、今ではこの淡路ジェノバラインしか残っていないようです。
船内は満席でした。
本州と淡路島の間の明石海峡は一番狭い所で3.6㎞
その辺りに明石海峡大橋が架けられています。
その橋を海から見上げました。
明石港から淡路島の岩屋港まで10分強の船旅でした。- 旅行時期
- 2023年05月
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チェックインもチェックアウトもセルフ。ロビーのレコードが面白い。
投稿日 2023年06月26日
総合評価:4.0
洗練された新しいホテルです。
ロビーに多くのレコードが並んでます。
それも70年代から80年代が中心なんですね。
ピーター・フランプトンやクイーン、スティーリィ・ダン他のレコード。
レコードプレーヤーがあって自由に聞くことができます。
部屋は普通のビジネスホテルですが、機能的です。
部屋の窓から南京町の賑わいが見えました。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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正式名称は、姫路城西御屋敷跡庭園。 姫路城の南西に広がる、1万坪もある大きな池泉回遊式庭園群です。
投稿日 2023年06月24日
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江戸時代初期に建てられた天守や櫓等のお城のほとんどの部分が残っている珍しいお城で、国宝や重要文化財に指定されています。
投稿日 2023年06月24日
総合評価:5.0
7年にも及んだ平成の大修理も終え、じっくり拝見することができました。
多くの城主がいた姫路城ですが、歴史上で表舞台に最初に出てきた有名な話は秀吉の毛利攻めですね。
主だった城主は、池田輝政や今のNHK大河で山田裕貴くんが扮する本多忠勝の息子である本多忠政ですね。
江戸時代、藩主として100年以上この地を治めた城主は酒井氏です。
発掘調査で出土した遺構を活かしながら、平成19年(2007年)に復元された桜門橋で大手門の前の内堀を渡りました。
この大手門、高麗門で、なんと昭和13(1938)年に完成したもので、位置や大きさは江戸時代のものとは全く異なっています。
元々姫路城の大手門は、三重の城門だったそうです。
三の丸広場では、平成中村座の公園が初日を迎えていました。
江戸時代の芝居小屋を模しているのが平成中村座の特徴の一つです。
人が多くて撮影できませんでしたが、小屋の入り口に向かって左右に江戸時代の商店街ができていました。
菱の門、三国堀を天守はかなり近づきます。
時代劇の「暴れん坊将軍」でココから天守を仰ぐアングルはよく使われるそうです。
天守の中は見どころ満載で面白かったです。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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NIPPONIA 播磨福崎蔵書の館に泊まったのですが、この宿は三木家住宅の敷地内でした。
投稿日 2023年06月24日
総合評価:4.0
そもそも三木家は、姫路で酒屋を営んでいましたが、姫路藩主の新田開発の呼びかけに応じ、1655年にココに移り住みました。
江戸時代は3代目から8代目まで、姫路藩の大庄屋を務め、地域の発展に大きく貢献した三木家でした。
土日祝だけ開いてます。
無料です。
三木家住宅は、563坪と広く、主屋、副屋、離れ、内蔵、米蔵、酒蔵、角蔵。厩、表門からなっていますが、表門から主屋が三木家住宅として一般に公開されていて、それ以外はNIPPONIA 播磨福崎蔵書の館の施設になっています。
お邪魔すると、初老の笑顔のおじさまがお二人。
無料でガイドをしてくださるそうで、お願いしました。
和室が並んでいますが、の真ん中にある中の間。
ココは、お客様の控えの間だったようですが、ココで面白いのは、武者隠し。
この違い棚の下の部分に壁が外れ、有事の際に奥からココを通って応戦します。
大庄屋と言ってももう武家屋敷ですね。
和室の一番奥の上の間。
姫路藩から大庄屋に任命されたときに増築された部屋です。
明治4年の播但一揆の際、この三木家で蜂起が始まっています。
その時の刀傷も残ってます。
三木家と柳田国男の関係もココで伺いました。
書物など約15,000点を所蔵していた三木家。
柳田国男はここで多くの本と出合ったのですね。
後に柳田国男は、「三木家の四千冊余の蔵書を乱読したことが民俗学の基礎となった」といっているのだとか。。。
10歳から12歳の柳田国男はここで貴重な体験をしていますね。
でも、子供が読むような本ではなかったと思うのですが。。。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)