≪ドイツの秋:ワイン街道とRheinland-Pfalz ・Saarland地方を巡る旅≫
Rheinland-Pfalzラインラント・プファルツ州 & Saarlandザールラント州:
ラインヘッセン・プファルツ・モ
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ーゼル・ナーエ地方のワイン産地
期間: 2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅
10月21日(木)90km 、快晴、6℃
ドイツワイン街道、人口2,300人のワイン村にある古城ホテルです。
周辺にブドウ畑が広がっている。
≪Hotel Schloss Edesheim古城ホテル シュロス エデスハイム≫
D-67483 Edesheim 、Luitpoldstrasse 9
4星、38室。305号室(Brahmsブラームスの名がついた部屋・4階)
Euro104.63 x2=209.25
*ドイツ観光局で入手したこのホテルチェーンのVIPカードで10%引き。
Landauランダウ近郊、ドイツワイン街道、Burg Trendelburgの姉妹城。
Euro188 X2=376 、Special Arrangementを利用した。
http://www.schloss-edesheim.de/
プファルツの森自然公園に沿って、5haを超える庭園・ブドウ畑とともに、このホテルはthe Palatinate神聖ローマ帝国の選帝侯領(ライン川西部のライン・プファルツ伯領)であった、ワイン生産地域の中心にあり、絵画的なエデスハイムの村中に立っている。
長い歴史に彩られた古城ホテルの部屋は19世紀のロマンティックなビーダーマイヤー様式で優雅に飾られている。大理石の浴室や、周辺の素晴らしい眺めは実に素晴しい。
メルヘン街道沿いの名高いBurghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城、ラーン川沿いの中世以来のHotel Burg Staufenberg古城ホテル シュタウフェンベルク城、ラインガウのライン川畔のドイツ最古と称されるHotel Krone Assmannshausenホテル クローネ アスマンスハウゼンなど、Hotel Schloss Edesheimと同一グループに属している。
これらを泊り歩くKoenigstour王の4日ツアー・Kaisertour皇帝の8日ツアーもホテルでアレンジしているので、一度そんな機会も得たいものである。
<エデスハイム城の歴史>
“プファルツ(神聖ローマ帝国のライン・プファルツ伯領)“は他の地域に比して、神に愛されている、全てにおいて素晴らしい土地と言える。この土地は地球上のあらゆる地域よりも豊かな、祝福された土地だ。”と、フランスのヴェルサイユ宮殿でプファルツ伯のプリンセスは愛した故郷の事を語っている。この有名なプリンセスは“ヴェルサイユの太陽王の宮廷よりも、日当たりの良いエデスハイム城で生活することの方を、千倍も好む。”とも述べている。
そしてまた、バイエルン王ルートヴィヒ1世も“私の青年時代に過ごしたプファルツ・・・私が愛したプファルツの土地、プファルツの民もこの土地を愛し、私も愛してくれた。この土地は私の家、いつの日か、私の愛する妃と共に訪ねてみたいプファルツである。”と言われたと・・・。(Edenkobenエーデンコーベンの教会前に王の立像とこの言葉がある。)
王は後に彼の夢を果たした。彼の王国の最も美しい場所に夏の離宮を建設したのである。
それはこの国で最も温暖な地域にあり、ブドウ畑や魅力的な庭園に囲まれた素晴らしい場所に立つ、ドイツで最も美しい古城ホテル・エデスハイム城である。
このエデスハイム城の事が初めて歴史書に出てくるのは、756年、仏・ヴァイセンブルクのベネディクト会修道院の記録によるものである。この時期はフランク王国(カロリング王朝)の支配下にあった。キリスト教の聖職者が城の基礎石を置き、城の繁栄、発展の場を築いていった。
1483年、エデスハイムの城と村はシュパイヤー領主・司教の支配地になり、以降16世紀に向けて繁栄は下降していき、農民戦争(1524~25年)では略奪、破壊を被った。
1594年、シュパイヤー領主・司教の役所として、城は使用される。凡そ100年の後、9年戦争(プファルツ継承戦争・1688~1697年)で城はフランス軍によって破壊される。
戦争終結後、新たに築城されたのは15世紀時代と同様の立派な水城である。12世紀同様の水の供給システムはいまだに問題はない。
城館は住居・ゲストハウスとして使用され、1748年のデザインを基に、19世紀に塔も付け加えられた。
中世以来、広い堀に囲まれた城は防御面でも優れたもので、東に向かっては二つ目の水濠が掘られていた。城は跳ね橋で外と結ばれていたが、19世紀になって初めて、現在の石橋になっている。また、ミュール川から引かれた古い運河が、城壁と並行してあるのも見てとれる。城壁は約2000mの長い、強固な防御線となっている。
その城壁からは1570年の刻印のある礎石も見つかっている。この古城を訪れる人々は、最初の築城から現在まで1250年の間に生じた、城の浮き沈みを感じることであろう。
1804年にナポレオンによる教会資産の世俗化・国有化により、エデスハイム城も国有化された。その後は私有化に戻り、様々な人が所有することになった。
2000年を迎える頃、城は全面的に改装され、4星の古城ホテルに生まれ変わった。
城の濠も改造され、500m²の広さ、2.2mの深さとなり、その濠を巡る歩道と歩道橋も作られた。小道は池の中に備えた固定ステージをもつ野外劇場に続いている。
エデスハイム城は歴史的伝統の中に育ち、その古き良さを維持しながら、新しき道・・・即ち、ドイツ(南部)ワイン街道の大いなる価値を高める目標を掲げ、同時にプファルツの境界線をはるかに超えて一層、世に知られるようにしたい。
新しい時代に入るとともに、プファルツの魅力的な、メルヘンチックな古城・エデスハイム城も新しい歩みを始めている。
2001年、エデスハイム城はDr. Lohbeckグループの経営傘下に入った。
名高い、メルヘン街道沿いのBurghotel Trendelburg古城ホテル・トレンデルブルク城や、シニア用住宅会社、新聞社を傘下に持つ企業グループである。
Dr. Rolf Lohbeckロルフ・ローベック博士のモットーは【将来、成功を収めるためには、過去を直視し、理解することだ。】という。
(2010.09.04.;翻訳・編集)
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