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jijidarumaさんのクチコミ(31ページ)全662件

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  • イスタンブ−ル:「ローマの城」という意味のルメリ・ヒサル要塞

    投稿日 2016年02月03日

    ルメリ ヒサル イスタンブール

    総合評価:3.5

    1974年12月28日〜1975年1月6日 
    ≪年末年始:ギリシャ(アテネとその近郊)・トルコ(イスタンブ−ル)の旅≫

    1975年1月2日:

    新年を迎え欧亜の境にあるBosphorusボスポラス海峡を船で巡った。
    ヨーロッパ側の旧市街のMarmara Seaマルマラ海に近い船着場から船に乗り、Black Sea黒海の入口近辺まで航海した。
    ボスポラス海峡に面したオルタキョイ桟橋広場にある“ボスフォラスの真珠”と称されるOrtakoey Mosqueオルタキョイ・モスク(1853年)やDolmabahce Palaceドルマバフチェ宮殿(1856年)・・・ドルマバフチェとは「埋め立てられた庭」と言う意味で、ヨーロッパから取り入れたバロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿である。・・・、豪華な建物が続く街並みを見ながら船は進んだ。

    船を下りたのはRumel Hisarルメリ・ヒサル要塞でした。要塞見学後、ここからバスでホテルに戻った。

    ルメリ・ヒサル要塞(1452年)はオスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープル(現在のイスタンブ−ル)郊外に造営したもので、「ローマの城」という意味である。
    東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープル攻略の拠点とする為、4ヶ月の短期間に完成させたと云う。ボスフォラス海峡の最狭部(幅660mほど)のヨーロッパ・サイドに位置する場所に城塞を建てたものだ。
    当時のコンスタンティノープルはマルマラ海と金角湾にはさまれた半島の一帯に中心部(現在の旧市街)があり、海と古代ローマ帝国以来の堅固な城壁に守られた難攻不落の城塞都市となっていたそうだ。良港であった金角湾の入り口には東ローマ帝国によって鉄製の太い鎖が張られ、オスマン艦隊の進入を阻止していたが、メフメト2世は艦隊を陸上から丘越えで金角湾に移動させるという奇策に出てコンスタンティノープルを陥落させた。

    31千?の広大なルメリ・ヒサル要塞には3つの大きな塔が立ち、13の小さな見張り塔がある。それらは城壁で連結され、最も大きな北の塔は高さ28m、直径23m、幅7mの厚い壁を持つという。ボスフォラス海峡に面した要塞は高々とした塔、長々とした城壁が今も残り、海峡を睥睨している。

    旅行時期
    1975年01月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.5

  • シドニー;ブルー・マウンテンズ:三人姉妹の伝説が残る奇岩を中心に見事な景観が望める。

    投稿日 2016年01月17日

    スリーシスターズ&エコーポイント ブルーマウンテンズ周辺

    総合評価:4.0

    2004年6月7日―6月13日 :シドニーの旅

    6月12日(土)快晴  
          
    一昨日とは様変わりで、朝から快晴の気持ちよい天気だ。
    昨日は疲れがたまったせいか、歯肉が腫れて、
    痛くなっていたので、すこしゆっくりした起床となった。
    10時に大学運動部の後輩M君の迎えがくるまで、朝食をロビー横
    のレストランで頂く。
    豪州流の朝食は始めてで、まごつく。やはり、朝食にしては多い。

    時間通りの迎えで、本日も車で恐縮だが、フルアテンドとなる。
    今日はブルー・マウンテンズへ案内してもらう。
    ブルー・マウンテンズ国立公園はリトル・グランドキャニオン
    とも称されて、シドニーの西約100kmの所----車で約一時間半
    ---にある。
    かつては海底で、地殻変動や火山活動で現在のような山脈が
    形成されたそうだ。
    海抜1000m前後で、見た感じは丘陵だ。
    ユーカリの木が一帯に繁茂し、木から発散するオイル分に
    よって、山全体が青く霞んで見えることから、
    ブルー・マウンテンズと呼ばれている。

    リリアンフェルズ・ブルーマウンテンズ (Lilianfels,Blue Mountains)
    ホテルから歩いて数分の所に、エコー・ポイントがある。
    ここから、魔王の手から逃れる為、岩になった、三人姉妹の伝説が残る、
    スリー・シスターズの奇岩が一望のもとだ。色々な場所から眺望を
    楽しむ為、移動する。何処から見ても、見事な景観である。


    XXX

    旅行時期
    2004年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • シドニー;ブルー・マウンテンズ:ヨーロッパ風のカントリー・ハウスのホテル

    投稿日 2016年01月17日

    リリアンフェルズ ブルー マウンテン リゾート アンド スパ ブルーマウンテンズ周辺

    総合評価:4.0

    2004年6月7日―6月13日 :シドニーの旅

    6月12日(土)快晴  
          
    一昨日とは様変わりで、朝から快晴の気持ちよい天気だ。
    昨日は疲れがたまったせいか、歯肉が腫れて、
    痛くなっていたので、すこしゆっくりした起床となった。
    10時に大学運動部の後輩M君の迎えがくるまで、朝食をロビー横
    のレストランで頂く。
    豪州流の朝食は始めてで、まごつく。やはり、朝食にしては多い。

    時間通りの迎えで、本日も車で恐縮だが、フルアテンドとなる。
    今日はブルー・マウンテンズへ案内してもらう。
    ブルー・マウンテンズ国立公園はリトル・グランドキャニオン
    とも称されて、シドニーの西約100kmの所----車で約一時間半
    ---にある。
    かつては海底で、地殻変動や火山活動で現在のような山脈が
    形成されたそうだ。
    海抜1000m前後で、見た感じは丘陵だ。
    ユーカリの木が一帯に繁茂し、木から発散するオイル分に
    よって、山全体が青く霞んで見えることから、
    ブルー・マウンテンズと呼ばれている。

    カトゥーンバの町に入って、昼食ということに。携帯でシドニー
    の友人に教えていただいた5つ星リゾートホテルの
    リリアンフェルズ・ブルーマウンテンズ
    (Lilianfels,Blue Mountains)が、たまたま目に入って
    行ってみる。

    オリエント・エクスプレス・グループの大変高級な趣のホテルで、
    暖炉のある素晴らしいラウンジにて、軽く赤ワインを飲みながら、
    手応えのある美味しいサンドイッチを食べる。
    ホテルの部屋からは、ブルー・マウンテンズの一番の見所である、
    スリー・シスターズも見えるのでは?!
    次回は是非、泊まってみたいホテルである。

    ホテルは19世紀、N.S.Wの裁判長であった、Sir. Frederick Darley 
    の屋敷---2エーカーの英国風の庭園に囲まれた---を85部屋の
    ヨーロッパ風のカントリー・ハウスに変えたもの。

    XXX

    旅行時期
    2004年06月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    3.5
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    4.5

  • トスカーナ・古塔が林立するサンジミニャーノ:パノラマ自慢のホテル

    投稿日 2016年01月11日

    ホテル ラ チステルナ サンジミニャーノ

    総合評価:4.0

    ≪はじめてのイタリア旅行≫

    1977年8月6日~20日の15日の夏の休暇旅行で、6日デュッセルドルフの自宅を6時半にスタートし、途中6月に訪問し1泊したばかりのニュルンベルクのドイツ人一家を2時間ほど訪ね、613kmの距離にあるミュンヘンに宿泊(1泊)しました。

    更に翌日インスブリュック見物の後、車で怖い高さのヨーロッパ橋を渡り、ブレナー峠を越え、ヴェニスに至る400kmを走り、イタリアに旅した事があります。
    峠は長い下り坂の道で、途中土砂降りの雨にあったことを今も思い出します。

    イタリアは7日ヴェニス(1泊)、8~9日フィレンツェ(2泊)、アッシジ、10~13日ローマ(4泊)、ここをベースに市内観光、ポンペイ、ナポリを巡り、そしてドイツに向けて戻ります。
    帰途はシェナ、14日サンジミニャーノ(1泊)、ピサ、ジェノバ、15~16日ミラノ(2泊)と見物し、
    アオスタ経由280kmの山越をして、スイスの湖水地帯に入り、レマン湖畔のモントルー(17~18日・2泊)、ローザンヌ、19日ベルン(1泊)、バーゼル、フランスのアルザス、シュトラースブルクを経由して、20日にデュッセルドルフに戻りました。

    道路の先に見える丘の上に迫力ある姿をみせたアッシジのフランチェスカ教会や町、
    ヴェニスではスキアヴォーニ河岸沿いに位置するHotel Gabrielli Sandwirthホテル・ガブリエーリ・サンドワースに泊まった事が有ります。中庭で食事ができるような場になっていました。
    http://www.hotelgabrielli.it/en
    ムラノグラスのワイングラス(6客)を買ってきましたが、今も現役です。
    天気の良かったポンペイ、そして貝の形の広場を持つ美しいシェナも印象に残りました。

    トスカーナの葡萄畑に囲まれた丘の上の、たくさんの塔が立つ町San Gimignanoサンジミニャーノでは中央広場近くのHotel La Cisternaホテル・ラ・システルナに泊まりました。
    ホテルは1200年代、サルヴェスリーニ家のものであったそうだ。
    レストランから見るパノラマの素晴らしい景観は特筆もので、また夕食がたいへん美味しかった記憶があります。今も現役のホテルだという事が再確認できたのは嬉しいことです。
    http://www.hotelcisterna.it/

    総走行距離は4,400kmでした。
    (私の車はOpel Rekord L 2000CC Automatikでした。)

    XXX

    旅行時期
    1977年08月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    家族旅行
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.0

  • アルザス:標高755m山上の切り立った岩壁を掘って作った要塞 オー・クニグスブール城

    投稿日 2016年01月09日

    オー クニクスブール城 その他の都市

    総合評価:4.0

    ≪Chateau du Haut-Koenigsbourg オー・クニグスブール城≫ 
    この旅11番目の城

    F-67600 Orschwiller
    http://www.haut-koenigsbourg.fr/de/
    開館:毎日9時15分~18時、ガイドなしで自由に参観も可。
    入場料:Euro9x2=18(2,506円)、見学におよそ1時間11:00~12:00かかった。

    ヴォージュ山脈にはかつて 150 もの城塞が点在していた。中でも山上の巨大なオー・クニグスブール城はコルマールの北26kmにある。
    この城の存在目的は、北に向かってはワインと麦、西から東に向かっては銀と塩の交易ルートを見張ることにあり、南北の通商路と、東西の通商路の十字路に立つオー・クニグスブール城は戦略上、重要な地点にあったのだ。

    城の標高755m、塔の上から望むパノラマはヴォージュ山脈と平原に点在する村々の素晴らしい風景を存分に楽しむことが出来る。
    城塞の立つ平場は260mの長さ、1.5ヘクタールの広さがあると云う。特筆すべきは石材を運んで造ったのではなく、山上の切り立った岩壁を掘った要塞であるという点にある。
    また、城壁の周りは急斜面になっており、攻城側が城外に大砲を据えて攻め込むのは不可能だったと云う。

    <城内見学>
    現在、フランスで最も観光客の多い(年間50万人)名所の一つになっていると云う。
    この日も様々な国から来た観光客でチケット売り場付近も入口前も混雑している。
    城内は入口から落とし格子を見上げて入る。階段を上ると、62mの深さの井戸、貯蔵庫、内庭、台所、多角形の階段から更に主塔に登る。
    3階の北側住居、西側住居、皇帝の間には鷲の紋章、壁画の美しい祝典の間、寄贈された家具のあるロレーヌの間、南側住居、礼拝堂、大きな黄色の陶器製暖炉、螺旋階段で2階に降りる。武器の間、緑の陶器制暖炉、狩りの間を順繰りに回る。

    堀を渡って、庭に行き、大砲からの攻撃を補強した分厚い壁を持つ大城砦、アルザスの平原を見下ろすパノラマの景観、どっしりと大きな砲座を見る。
    さらに下がって、北側の広場に至る。バラ色の砂岩の岩壁と云うべきか、城壁が切り立っている。壁面にトイレか台所の排水路が見える。ごつごつした岩壁上に立つ主塔を見上げて、出口に向かって見学は終わりとなる。
    中身の展示はそれほどのものではないが、やはりどっしりした古城らしさが良い。

    <オー・クニグスブール城の歴史>
    アルザスはフランク王国、その流れの神聖ローマ帝国の時代と長くゲルマン・ドイツ系により支配された地域である。
    この城が最初に文献に登場するのは 1147 年の事で、神聖ローマ帝国のHohenstaufenホーエンシュタウフェン家の居城となったのである。その後、城は荒廃と再改修を経て、Kaiser Friedrich III.皇帝フリードリヒ3世によって、1479年、Grafen Oswald von Thierstein オズバルト・ティエルシュタイン伯に領地として与えられた。1517年にティエルシュタイン伯が死去すると、再び、この城はハプスブルグ家のKaiser Maximilian I.皇帝マクシミリアン1世の手に戻った。

    三十年戦争の最中の1633 年、オー・クニグスブール城に籠城した旧教派は新教派のスウェーデン軍に52日間攻められたうえ、火を放たれ、敗退した。そして城は廃墟となった。

    それから2 世紀半が経ち、普仏戦争の結果、アルザス地方は1871年からドイツ領に編入され、ドイツ皇帝ヴィルヘルム 2 世の命で1900~1908 年にかけてオー・クニグスブール城の大がかりな修復工事が行われた。
    それはまた、ドイツ帝国にとって、アルザス地方がドイツ領土に回復した象徴でもあった。
    修復にあたり、可能なかぎり資料を参考にして、15~16 世紀の城塞を忠実に再現されたと云う。城内に配された調度品や武器は中世から三十年戦争当時のもので、タイル造りの暖房器具には、修復前の調査で発掘されたタイルの複製が使われている。

    1919年、第一次大戦によるドイツの敗退と共に、アルザスはフランスのものになり、同時にオー・クニグスブール城もフランスの支配下に置かれた。

    XXX

    旅行時期
    2015年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    3.5

  • 12ヶ所もあるヴォーバンの防衛施設群に含まれる独仏の双子都市

    投稿日 2015年12月17日

    ヴォーバンの要塞群 アラス

    総合評価:4.0

    <双子のような二つの町:ドイツ・ブライザッハとフランス新ブライザッハについて>

    この独仏にある双子のような二つの町は17世紀の中頃まで、共有の歴史を見ることができる。2000年の昔、上ライン川の両岸はケルト人一族の植民地として、支配されていた。
    紀元1世紀、ローマ軍がこの地を侵略し、ゲルマンに備えて、ローマ軍の砦がライン川に沿って作られる。4世紀にはブライザッハの丘(現在の大聖堂の建つ場所)の重要性を知ったローマ軍により、砦が建設される。
    その後、この地域一帯ははゲルマン人が支配し、中世になると、神聖ローマ帝国(ヒットラーのドイツ第三帝国にたいし、第一帝国とも云われる。)の領地になる。
    そしてElsassアルザス・Breisgauブライスガウ(カイザーシュトゥール地方から、ラインに沿った南部の地方の総称で、中心はBreisachブライザッハやFreiburgフライブルク)はオーストリア帝国・ハプスブルグ家の支配下となる。
    1618〜48年の30年戦争後はアルザス・ブライザッハがフランス・ブルボン王家に支配が移る。
    1697年ブライザッハはオーストリアに譲渡され、このとき初めて、ライン川がフランス王国とオーストリア帝国との国境線になる。この為、仏・太陽王ルイ14世はブライザッハに代わる新ブライザッハ(ノイ・ブライザッハ)要塞をライン川の反対側に建設する事とした。
    その後も1870〜1年の普仏戦争、第一次、二次大戦と歴史はめまぐるしく、この地域の支配を変遷させた。
    現在、二つの町はラインの両側の町として、国境を越えた友好都市となっている。観光案内所で頂いたパンフレットの両面を読んでみると、歴史・文化などこの両都市を等しく説明している。この事でも、その友好度が理解できる。

    (古い記憶によれば、2007年4月当時のブライザッハの観光局のパンフレットは次の“Fortifications de Vaubanヴォーバンの防衛施設群”については、書かれていない。
    2008年に新ブライザッハ(ヌフ・ブリザック)要塞は“ヴォーバンの防衛施設群”の一つとして、世界遺産に登録されたのが背景にある。フランスのBesanconブザンソン市が主導権を握り、世界遺産を検討した事もあってか、パンフレットにその記載が無かったのだろう。

    <星形要塞(伊fortezza、 仏Fort、Citadelle、独 Festung 、Zitadelle)>は火砲に対応するため15世紀半ば以降のイタリアで発生した築城方式。あるいはイタリア式築城術、稜堡式城郭、ヴォーバン様式という名で分類される。最終的に考案したヴォーバン式星型要塞は死角が無い星型で、攻め寄せる敵に十字砲火を浴びせ、防御力を高めた。
    ・・・私の中では日本の函館・五稜郭のイメージが強く、それもオランダがこの様式を作り、オランダから日本はその知識を得たと思っていたのだが・・・

    ルイ14世に仕えた軍人で築城の名手と云われたSebastien Le Prestre, Seigneur de Vaubanセバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633〜1707年)が築いた稜堡式要塞など、要塞や都市の城壁を対象とするものであり、ブザンソンをはじめとするフランスの12ヶ箇所(以下参照)に残るものがまとめて登録された。それらは防衛上の必要性から、いずれもフランスの国境に沿って、円を描くように存在する。

    (Arrasアラス、Besanconブザンソン、Blaye/Cussac-Fort-Medocブライとキュサック・フォール・メドック、Brianconブリアンソン、Camaret-sur-Merカマレ・シュル・メール、Longwyロンウィ、Mont-Dauphinモン・ドーファン、Mont-Louisモン・ルイ、 Neuf-Brisachヌフ・ブリザック(ドイツのBreisachブライザッハも含む)、 Saint-Martin-de-Reサン・マルタン・ド・レ、 Saint-Vaast-la-Hougueサン・ヴァースト・ラ・ウーグ、 Villefranche-de-Conflentヴィルフランシュ・ド・コンフラン)

    ヴォーバンは生涯で、新たに基礎から築いた要塞が37ヶ所、改修に携わった要塞が300ヶ所、攻略した要塞が53ヶ所とされている。
    手がけた要塞のうちでもっとも有名なのは、ベルギー国境にある二つの要塞La Citadelle de Lilleリール要塞(1668〜1674年、「城塞の女王」という別名もある)、La Citadelle de Maubeugeモブージュ要塞(1683〜1905年)であり、そしてドイツのライン川沿いにあるヌフ・ブリサック要塞(1697〜1708年)である。
    とりわけベルギー・ルクセンブルクの国境にあるロンウィ要塞(1678年建造)は1914〜1918年の第一次大戦に至るまで軍事的な要塞機能を十分に発揮した。:Wikiを参考に編集した。)

    そういえば、“ヴォーバンの防衛施設群”の名前でザールルイという、ドイツの町を思い出した。2010年10月26日に訪れた町だが、1679年にロレーヌ地方がフランスに帰属し、ルイ14世はザール川右岸の防御を固めるためにこの町に要塞を設けることを命じた。
    1680〜86年にかけて、当時の著名な要塞建築家ヴォーバンに造らせた星型(1866年の函館の五稜郭も似た星型)にかたどった要塞は有名で、ヴォーバン島と称する場所もある。
    ドイツの町でありながら”ルイ14世の町”を称するのが面白い。

    XXX
    黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅?紀元前2000年の頃に既に城塞があったと云う小さな村ブルクハイムを再訪した。
    http://4travel.jp/travelogue/11084088

    旅行時期
    2015年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    3.0

  • マイエンフェルト・『アルプスの少女ハイジ』は子供たちのお気に入り。

    投稿日 2015年12月15日

    ハイジの泉 マイエンフェルト

    総合評価:4.0

    ≪39年前に走ったロマンチック街道から南独、
    オーストリア、スイス巡り(その2)≫

    (1975年8月9日〜8月19日 10泊11日 夏の休暇Urlaub旅行)

    =>A13 スイス領となるハイジの村Maienfeldマイエンフェルトへ。
    一泊した村の小さなホテルで、夕食中に『アルプスの少女ハイジ』に惹かれてやって来たという、日本の若い女性が一人、レストランに入ってきました。このような場所で日本人とばったり会うなどとは思いもよらず、驚きました。
    一緒に食事をしましたが、彼女、今はどうしているでしょう。

    ?8月15日(金) 晴れ ;130km

    マイエンフェルトのハイジ:
    小さな素朴な村(人口は2500人)だが、この村はアニメ『アルプスの少女ハイジ』でよく知られている。

    9:15ホテルから、小道を1kmほど行くと、牧場傍に“Heidi Brunnenハイジの泉”を見つけた。(10:30)
    1953年に建てられたヨハンナ・シュピリの記念碑は 「ハイジの泉」と名付けられた。
    娘たちは大喜びで、水飲み場となっている泉で、花々の咲き乱れる野原で遊びました。
    当時の子供たちはハイジに夢中でしたね。ドイツ語版のYOUTUBEを見つけ
    て、参考に入れましたが、懐かしいものでした。
    参考;
    HEIDI ・Folge:Das Geissleinシリーズ・子山羊
    http://www.youtube.com/watch?v=2KiitWIhtd0&feature=related

    女流作家Johanna Spyriヨハンナ・シュピリ(1827年〜1901スイスの作家)は、この地を舞台に書き上げた児童文学の名作『Heidiハイジ』(1880年)で世界的に知られている。マイエンフェルト一帯に見るSchloss Brandisブランディス城や村役場、山へと続く小道、水飲み場などの風景は原作そのものです。
    夏を過ごした山(アルム)のモデルとなったオクセンベルク(Heidialpハイジアルプ)は往復6時間という距離ですが、冬を過ごした村として描かれたロッフェルス(Heididorfハイジドルフ)までハイキングしながら記念館「ハイジハウス」を訪ねるのが観光の定番コースになっているとか。
    Heidi Dorf bei Maienfeld ;Heidihausハイジハウス(ハイジ博物館)

    XXX

    旅行時期
    1975年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.0

  • ソウルの観光は宗廟から始める

    投稿日 2015年12月09日

    宗廟 ソウル

    総合評価:3.5

    <ソウル> 2005.6.16〜18. 二泊三日 :   
     Lotte Hotel、

    今回の韓国・ソウルの旅は大学時代の運動部の6期後輩で、かつての勤務先の現ソウル支店長(56歳)の御家族に、久し振りにお会いする旅になった。韓国は初めてである。

    6/17(金)快晴 第二日
    <行程>
    10:00 支店長夫妻に会い、ロッテホテル 出発→(Taxi)→?宗廟→(徒歩)→?昌慶宮→(Taxi)→ 12:30 ?昌徳宮(秘苑)→(徒歩:日本文化院前)→?夫人と共に仁寺洞ギル(シルクの袋、ストラップ)、?耕仁美術館内伝統茶屋(お餅とお茶)→(Taxi)→?明洞地区:明洞聖堂前→明洞ミリオレ→全州中央会館前(ビビンパの店)→(地下道)→?ロッテ百貨店(海苔と柚子茶購入)→ロッテホテル18:00、    

    支店長ご家族と共にロッテホテル出発→(徒歩)→?五六島(焼肉)→(Jambo Taxi)→ 支店長宅訪問→ロッテホテル。

    ?宗廟(世界遺産)---儒学を統治思想とした朝鮮王朝の歴代の王・王妃の位牌を祀り、祭祀を執り行った場である。1395年の完成。
    正殿に太祖等位牌49位を、別廟の永寧廟(1421年竣工)にも34位を祀っている。
    1592年の仁辰倭乱で焼失するが、1608年に再建される。

    廟という事からか?!訪れる人も少なく、静寂な緑の森の中に、石畳を敷き占め、横長の廟が建てられている。

    XXX

    旅行時期
    2005年06月
    利用した際の同行者
    友人
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    3.5

  • 台北に行ったら、必ず訪れる新純香

    投稿日 2015年12月07日

    新純香 台北

    総合評価:4.5

    かつて2004年〜7年に、二人の孫娘の誕生時とお食い初めに台北を4度訪れたが、今回は私ども夫婦で台中・台南・高雄・台北を巡った。
    5日間(2011.03.11−03.15.)の旅は天候にも恵まれ、2人しかいなかったお客に車と日本語の達者な現地添乗員が随行した、少々贅沢な旅をした。
    (丁度、東日本大震災が起こった時に台北入りしたのだが)

    台湾の最終日にいつものように新純香茶店を訪れ、お土産にお茶、お菓子、茶碗などを購入した。
    久しぶりの店内は日本人の観光客で、いっぱいであった。場所的にはわかりにくい所だが、現地駐在員にも評判が高く、日本からのお客さんを案内してきたことや、お店の親切な対応が知られてきた所為か、口コミで増えたのだろう。

    かつて台北に駐在していた長女一家とも顔見知りのおばちゃんが日本語で説明を加えながら、各種のお茶をいちいち試飲させてくれる。
    おばちゃんの説明の如く、“烏龍茶”にはミルク臭があり、まろやかで、さっぱりしていて、“金萱“や”四季春“はたいへん美味しい、良いお茶であるのが、理解できた。
    紅茶に近い”東方美人“も柔らかい感じで好ましい味だ。
    ”香片=ジャスミン茶“や烏龍茶などを15袋1540gほど購入する。
    また、孫娘が気に入っているお菓子(パインケーキ)も60個も買ってしまった。。

    旅行時期
    2011年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    お買い得度:
    4.5
    サービス:
    5.0
    品揃え:
    4.5

  • ドイツ三大クリスマスマーケット・ニュルンベルクは“世界一有名なクリスマス“

    投稿日 2015年12月01日

    クリスマスマーケット (ニュルンベルク) ニュルンベルク

    総合評価:4.5

    2009年12月11日(金);小雨模様の寒い一日、2.5~4.5℃、173km

    ≪Nuernbergのクリスマス市≫ 
    http://www.nuernberg.de/ 14:15~15:15

    ニュルンベルクは“世界一有名なクリスマス“と言われる。Stuttgart(世界最大)とDresden(1434年・世界最古)、Nuernbergの三つをドイツ三大クリスマスマーケットと呼んでいる。旧市街のHauptmarktハウプトマルクト中央広場で催されるクリスマスマーケットは正式にはChristkindlesmarktクリストキンドレスマルクトと言われる。

    その主役は”Christkindle幼児天使クリストキンドル“と称し、子供たちにプレゼントを持ってくる天使として、クリスマスマーケットのシンボルになっている。
    クリストキントは1933年から1968年までは、女優さんが役を務めていたが、1969年以降は2年に一度、16~19歳のニュルンベルク生まれ若しくは育ちの女の子から選ばれる。クリストキントは金髪の髪を縮らせ、金色の王冠をかぶり、白と金色の天使の衣装を着て、クリスマスマーケットの開幕宣言(11月27日17時30分)を行う。

    しかもSchwaebisch Hallなどフランケンの諸都市を訪ね、クリスマスマーケットを祝う。
    中央広場は凡そ180の屋台でうまり、聖母教会前にはコーラスや演奏用に舞台が設営されている。その屋台で、グリューワイン、伝統の味・レープクーヘンやニュルンベルク・ソーセージを味わう楽しみがある。     www.christkindlesmarkt.de 

    営業時間 : 2009年11月27日 - 2009年12月24日
    月 - 木 09:30 - 20:00   金 - 土 09:30 - 22:00  日 10:30 - 20:00

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    催し物の規模:
    4.0
    雰囲気:
    4.5

  • ニュルンベルク・クリスマスに訪れた聖ローレンツ教会

    投稿日 2015年12月01日

    聖ローレンツ教会 ニュルンベルク

    総合評価:4.0

    2009年12月11日(金);小雨模様の寒い一日、2.5~4.5℃、173km

    Nuernberg(クリスマス市・観光;13:45~15:15)

    ≪St. Lorenz‐Kirche聖ローレンツ教会≫
    13:45~14:00
    春の旅では訪れた時はもう閉まっていたので、ここも見逃した場所だ。教会裏手のパークハウスKatharinenhof(駐車料金Euro3.2)から数分の教会は開いていて、参拝客も多い。

    1270年から1477年にかけて建てられた教会はゴシック式の立派な教会である。
    教会内は今夜のコンサートの準備、リハーサルで前に進めなかったが、幸い天蓋から吊り下げられた“受胎告知のレリーフ”を見る事が出来た。

    彫刻家ファイト・シュトースの最高傑作と言われる作品で、別称は“天使の挨拶”という。マリアと大天使ガブリエルの優美さは特筆もの。
    デューラーの師や弟子などが手掛けたカタリーナ祭壇も見事に彩色されたものだが、同時代のリーメンシュナイダー作品とは大きな違いがある。
    好みとすると、後者が良いのだが・・・。
    教会内の一角にクリッペがあった。キリスト教徒ではないが、献灯をした。

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • 青色の丸屋根を中心に4本の尖塔が囲んだ形のシュパイヤー大聖堂

    投稿日 2015年11月30日

    シュパイヤー大聖堂 シュパイヤー

    総合評価:4.0

    2007年4.20(金) 快晴 15〜20℃、午前中は涼しい風 207km

    この日はドイツの3つの世界遺産として知られるLorschロルシュ・世界遺産Kloster–Alten Muenster帝国僧院跡、Speyerシュパイヤー・世界遺産Dom Speyer大聖堂、世界遺産Kloster Maulbronnマウルブロン僧院を訪ねた。

    Speyerシュパイヤー(人口50.5千人)はアウトバーンのE67/E61を、マンハイム・シュヴェッツジンゲンと過ぎ、ロルシュから53km走った先にある、ライン河畔の宗教都市である。ライン川を渡ると、シュパイヤー技術博物館が見えてくる。飛行機、鉄道、消防自動車などの実物が展示されている。ちょっと寄ってみたい気持ちもあったが、先に進む。

    2つ目の世界遺産Dom Speyer大聖堂(1981年登録)の裏手の駐車場はがら空きで助かった。それでもしっかりと自動の駐車券発行機が備えてあるので、1Euro・1時間を選択する。

    大聖堂は1030年コンラッド?世の創建。青色の丸屋根を中心に4本の尖塔が囲んだ形のロマネスク様式初期のバジリカ式聖堂である。
    1689年ファルツ継承戦争、1794年フランス革命軍による損傷が生じたが、その後再建されている。
    1996年から大聖堂の基礎部分などの大改装などが行われて、改装は現在も続けられている。

    青色の屋根、薄茶色の外壁の色合いはたいへん美しく、マキシミリアン通りから見る正面の姿は特に素晴らしい。ここにも4人の皇帝と4人のドイツ王が眠っている由。

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • エジンバラ城のMilitary Tattooを見に行った。

    投稿日 2015年11月21日

    エディンバラ城 エジンバラ

    総合評価:4.5

    1978年8月の休暇で初めて、ドーバー海峡を車で越えました。

    この時はEdinburghの祭り・Military Tattooを見るのが目的でしたが、Londonの大英博物館など、Oxford、湖水地方、ネス湖、ハドリアヌスの防御線なども見て、Kingston on Hullの港から、Rotterdamに抜けて、ドイツに戻りました。

    総行程2750kmと15日間としては良く走った思いが残ります。

    ロンドン・ウィンザー・オックスフォードからStratford von Avonを巡り、そこからDroiwickにあるThe Chateau Impney Hotel(65エーカーの広大な森・庭園の中にあったフランス風のホテル。
    塩の工場で成功したオーナーがパリ旅行でフランス人を見染めて、結婚し、その夫人の為に建てたと云う。http://www.chateau-impney.com/ 夕食は素晴らしい味と雰囲気でした。今見るHPにはその雰囲気が残っていませんが・・・。 )に1泊し、さらにBirminghamから北上して、A6・A591で湖水地方の入口Kendalを経由し、Windermereを横に見ながら、Keswickに。そこの古城風(カントリーハウス)のホテルThe Keswick Hotelに1泊。
    ( http://www.thekeswickhotel.co.uk/keswick-country-house/ )

    天気に恵まれたこの旅は良く日焼けしたものでした。
    触発されて、当時の写真を見ました。写真は焼きが悪かったらしく、もう黄ばんだものになっています。ホテルは健在かと、検索してみたら上述のようにヒットしました。

    当時は、コッツウォルズ地方も知りませんで、今手元にある本(2001年ヨーロッパの田舎;新潮社)でイギリスの原風景に出会うと、この辺りも行ってみたら、良かったかな?!と思います。

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    4.0

  • “石の説教”といった別名を持つ、マカオのシンボルである。

    投稿日 2015年11月17日

    聖ポール天主堂跡 (大三巴牌坊) マカオ

    総合評価:4.0

    1999年までポルトガルの植民地であったマカオは、中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。

    このため、2005年7月15日に、マカオの8つの広場と22の歴史的建造物が『マカオ歴史地区』という名前で世界文化遺産に登録された。


    小高い丘にそびえ立つ世界遺産である聖ポール天主堂の姿はまさに荘厳で、完成当時は「ローマ以東でもっとも傑出した教会」と称されたほど・・。

    1602年から1640年にかけ、東洋進出の先兵役を務めたイエズス会修道士たちが、旧要塞のモンテの砦を築き、同時期に聖母教会(聖ポール教会)が建築され、建設には中国人、日本人キリスト教徒(長崎の日本人キリスト教徒が徳川幕府の鎖国によって日本の外に締め出された。)達が携わったと云う。

    聖ポール天主堂は1835年に火事にあって、現在の様な壁一枚の姿・・・教会の前面だけが残る石造りのファサード(正面壁)だけになったそうである。
    “石の説教”といった別名を持つ、マカオのシンボルである。

    長崎の日本人キリスト教徒を鎖国によって日本の外に締め出した家康は悪魔の化身として、その姿が壁に刻まれている。確かにその姿が見えた。

    天主堂は青い空の中に立っています。堂の周辺は観光客だらけで、落ち着いて写真も撮れません。

    XXX

    旅行時期
    2008年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    3.5

  • グラーツの町のシンボルである城山の真下に立つ、便利なホテル

    投稿日 2015年11月10日

    シュロスベルクホテル グラーツ

    総合評価:4.0

    4/24(土) Graz :Schlossberg Hotel古城ホテル・シュロスベルグ
    (4星)  Euro146 注:週末料金  
    A-8010 Graz , Kaiser Franz Josef Kai 30
    TEL:43(0)―316―8070、FAX :43(0)―316―8070―70
    http://www.schlossberg-hotel.at  

    古城ホテル・シュロスベルグ(城山)は旧市街にあり、4階建てのホテルは町の中心のシンボルである城山の真下に立っていて、目立つ青色の壁が特徴的です。
    殆どの観光地に歩いていけるという便利な所でした。
    部屋は2階と4階にわかれ、我々は4階の屋根裏部屋に。その割に快適で、浴室も明るく、中庭にあるレストラン---- “Wintergarten---冬の庭、若しくは温室の意味”---も見られ、窓からは町中を流れるムーア川や、その向こうの新市街地がきれいに眺望できました。
    唯、電車道に面している為に、駐車できず、パークハウスに一晩、車を入れる事になりました。
    又、ホテルには夕食用のレストランが無い。

    旅行時期
    2004年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    4.0

  • ブレーメン:念願の名物店”Katzen-Cafe 猫のカフェ”で夕食

    投稿日 2015年11月10日

    シュノーア地区 ブレーメン

    総合評価:5.0

    05月10日(土)曇り、小雨(ドイツ特有のシャワー)が度々。13〜15℃、寒い一日

    <Schnoor-viertelシュノーア地区>
    15〜6世紀に建てられた小さな間口の狭い木組みの家などが、細く、曲がりくねった石畳の路地に立ちならんでいる。家が紐に真珠のように並ぶ為、Schnurシュヌーア(紐)と云うドイツ語がなまってSchnoorシュノーアとなったそうだ。
    金銀細工、手作りの工芸品やおもちゃ、骨董品等のお店があり、しゃれたカフェ・レストランもあって、散策するには大変楽しい地域だ。
    今夜は名物店猫のカフェで食事なので、大変楽しみである。
    http://www.bremen-schnoor.de/


    ≪夕食:Katzen-Cafe 猫のカフェ≫   
    19:00〜21:40

    D-28195 Bremen 、Schnoor 38
    Tel: 0421−32 66 21
    http://www.katzen-cafe.de/

    給仕長お勧めのハウスカクテルを飲む。ワインは友人Peterさんのセレクトで2012Grauer Burgunderの辛口白Markus Pfaffmann・プファルツ 0.75Lでした。
    料理は昼の中華が多かったので、考えた末、メインとデザートだけを注文した。

    ?メイン:私が子羊の料理、インゲン・ジャガイモ添え。家内とPeterさん夫妻は舌平目料理。どちらも大きめな量でしたから、2品だけで十分でした。
    ?デザート:私がアナナスのシャーベット、家内たちはレモンのシャーベット。

    カフェと称するレストラン“Katzen-Cafe猫のカフェ”は明るい、一種独特の雰囲気のある名物店で料理もお酒も美味しく、大変満足した夕食になった。
    この夜も観光客を含め、お客で賑わっていた“猫のカフェ”は一度来てみたかったレストランであり、Peterさんが私共の意向を受けて事前に予約してくれました。
    その上、この日の夕食はご馳走になってしまった。

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ハイデルベルク:又の名をアルテ・ブリュッケ(古橋)という。

    投稿日 2015年03月23日

    カール テオドール橋 ハイデルベルク

    総合評価:4.0

    かのゲーテは“ここから(ネッカー川にかかるカール・テオドール橋=アルテ・ブリュッケ古橋)望む眺めには世界のいずれの橋も及ぶまい。”と、

    ネッカー川に架かる橋、古城、背景の緑の丘、赤レンガ色の屋根が連なる町並み、この一体化した景観を褒め称えたと云う。

    現在のものは1788年完工。
    1248 年の記録にあるアルテ・ブリュッケはハイデルベルクでももっとも古い部類に属する。全長およそ 220 m、古くは木造で屋根もあったが、その後の戦争や洪水で壊れ、18世紀後半、プファルツ選帝候Karl-Theodorカール・テオドールが石橋に建て替えた。

    従って、正式名称はカール・テオドール橋だ。第二次世界大戦でも撤退するドイツ軍自身によって破壊されたが、1947年に再建された。
    現在のものは 8番目にあたると云う。

    <カール・テオドール像>

    1788 年に建立された。石橋を作ったテオドール候を記念して建てられたが、像の台座に4つの像が囲んでいる。
    バイエルンの名家ヴィッテルスバッハ家が統治するライン川・ドナウ川・ネッカー川・モーゼル川を象徴したものだそうだ。

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    4.0

  • ブレーメンの大聖堂地下にミイラのブライケラー”(鉛の地下室)がある。

    投稿日 2015年11月10日

    聖ペトリ大聖堂 ブレーメン

    総合評価:4.5

    Bremer Ratskellerブレーマー・ラーツケラーで昼食後、友人のPeterさんが是非、お見せしたいものがあるというので、ついていく。
    途中でブレーメンの裁判官当時の同僚にばったりと会う。彼はニコニコとPeterさんに挨拶して、手を振って別れて行く。私共4人が着いた所は、St.Petri Dom。

    この聖ペトリ大聖堂は1042年に建設が始まったそうで、二つの塔が高々と青い空に向けて立っている。この塔からのブレーメンの眺望は素晴らしいとの事だが、塔には登らず、我々は横に併設されている、地下の納骨堂に降りていく。

    “Bleikellerブライケラー”(鉛の地下室)と呼ばれていて、以前に大聖堂の修復工事が行われた際、幾つものミイラが発見されたそうだ。
    これらのミイラ、すなわち、スウエーデンの市長夫妻、貴族、決闘で亡くなった学生など、8体が展示されている。

    何故ミイラ状態になったかを調査したところ、“鉛”が影響していたそうです。鉛の影響を調べる、この実験には猫やサルが使用された。その実験体である猫、サルのミイラも同様に展示されていた。なかなか、日本の観光本では目にしないもので、大変興味深いものであった。 

    ペーターさんが見せたかったのはミイラでした。(2.8Euro)

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.5

  • ブレーメン:住民の要請で実現したドイツ初の公共園庭施設

    投稿日 2015年11月10日

    ブレーマー ヴァルアンラーゲン ブレーメン

    総合評価:4.5

    昼食をCafe Konditorei Kniggeカフェ コンディトライ クニッゲで食べた後、Stadtgraben掘割から風車を眺めに歩く。

    <Bremer Wallanlagenブレーマー・ヴァルアンラーゲン>
    14:20~30

    イザーク・アルトマンの設計に基づき1805年から造営された。17世紀までここにはブレーメンの市壁や防衛施設が設けられていた。
    この公園はブレーメンで最も古いというだけでなく、住民の要請で実現したドイツ初の公共園庭施設である。ブレーメン中央駅から旧市街の途中にあるので分かりやすい。
    風車の内部ではレストランが営業している。ここでの昼食、お茶も良いかもしれない。
    小雨の後、水に濡れた、薄紫、白、黄色のお花の絨毯が美しい。

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5

  • デュッセルドルフのお気に入りのカフェ ハイネマンを今年も訪れ、お土産を買った。

    投稿日 2014年10月04日

    カフェ ハイネマン (フェラインスバンク パッサージュ店) デュッセルドルフ

    総合評価:5.0

    2015年07月27日(月) :

    Cafe Heinemannカフェ・ハイネマン(Koeセンター内)
    D-40212 Duesseldorf 、Martin-Luther-Platz32
    営業時間;月~金:9~19時、土:9~18時半 、日曜日:10~18時。
    https://www.konditorei-heinemann.de/

    今年の旅:2015.07.14.~28“黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”も終わってみればいろいろで、ドイツもアルザスも日本と変わらぬ暑い夏の日々が続き、毎日汗びっしょりの観光になり、毎日夕食を終えるとそのまま就寝してしますような旅でした。
    私共に向いた季節はやはり春が一番のようです。

    この旅の最終日はデュッセルドルフのお気に入りのハイネマンのケーキやチョコレートを土産に大量購入し、28日、暑い夏の日本に無事に戻ったしだいです。
    結局、全走行距離は2027kmとなりました。

    <Heinemannハイネマンの土産>

    シャンパントリュフのチョコレート3ケース・・・Euro49.95、
    Baumkuchenバウムクーヘン2段x3・・・Euro45.21、
    Mandeltorteアーモンドのパイケーキx2・・・Euro19.8、
    Nusstorteクルミのパイケーキ・・・Euro10.9、
    Pralinenプラリネン(チョコレート菓子)など16ケース・・・Euro126.59
    ・・・合計Euro252.45(35,177円)

    ここの2階のカフェで、お茶や軽食を楽しむのも良いのだが、今年もまた近郊の古城ホテルに宿泊し、夕食することになっているので、お土産購入のみにした。

    XXXXX

    2013年10月20日(日):

    久しぶりにデュッセルドルフを訪れ、Koenigsalleeケーニヒスアレー(“王様の小道”と称される)、通称Koeケーに行って、ハイネマンのチョコレート、パイケーキを購入した。

    “ケーニヒスアレー:Koeケー”と愛称されている世界に冠たる通りで、1801年、ミュンヘン王宮の建築家のプランを採用して、現在の1kmの並木道が完成したのです。幅82mの大通りで、真ん中のお堀を挟んで凡そ400本のカスターニアン(マロニエ)が大きく育った並木道が続く。
    ホフガルテン方向を正面にして、右側には高級ブティック、ブランド品の店、カフェ・レストランが並んでいる。左側にはドイツの銀行やオフィス、ホテル、カフェ・レストラン、ブランド品の店等がこの街の顔として並んでいる。

    ハイネマンは日曜日も10:30~18:00は開店しているのをHPで確認済みでしたが、この日お店に行くと、何やら改装中の様子で吃驚した。中に入ると改装はしているが、チョコレートショップや2階のカフェ・レストランは営業中だった。

    お目当てのシャンパントリュフなどを購入する。ここのチョコレート菓子の中でも“シャンパン・トリフ”が私共は大好物だ。食べるとシャンパンが口の中に溶け出て、その美味しい味に感心する。
    美しく整った店内の写真を撮って良いかとスタッフに聞くと、個人が写らなければOKと言ってくれた。

    シャンパントリュフのチョコレート、猫の舌といったチョコレートが合計Euro58.4、MandeltorteアーモンドのパイケーキがEuro9.5、NusstorteクルミのパイケーキはEuro10.5だった。チョコレートは当然だが、帰国して食べた二つのパイケーキが予想以上に美味く、これだったらもう少し買えば良かったと思った。 
    合計Euro78.4(8,036円)でした。

    2014年05月21日(水):

    今回は飛行機便の関係で帰国便ANAはデュッセルドルフ=>成田を選択した。
    ANAが直行便をこの春から乗り入れたのだが、嬉しい事だ。
    ハイネマンは改装なって、きれいになっていた。
    ここのカフェでお茶を飲むのも楽しいのだが、近郊の古城ホテルで
    夕食を控えているのでのやめにした。

    この日購入したのは、
    シャンパントリュフのチョコレート3ケース・・・Euro52.17、
    猫の舌チョコレート2ケース・・・Euro7.21、
    Mandeltorteアーモンドのパイケーキ・・・Euro9.5、
    Nusstorteクルミのパイケーキ・・・Euro10.5、
    Pralinenプラリネン(チョコレート菓子)5ケース・・・Euro33.75
    ・・・合計Euro113.13(15,978円)

    序に記すと、この旅では
    BremenブレーメンのCafe Konditorei Kniggeカフェ コンディトライ クニッゲ:
    レーズンがたっぷり入ったBremer Klabenscheibeブレーマー・クラーベンシャイベ・・・
    シュトレンに似ている味。3個(中央下)・Euro13.15(1,739円)

    Salzwerdelザルツヴェーデルの元祖バウムクーヘンCafe Kruseカフェ・クルーゼ:
    Baumkuchenバウムクーヘン白黒3ケース(上・右下)・・・Euro21.83(2,887円)
    と買ったので、十分すぎるものになった。

    NNN

    旅行時期
    2015年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    10,000円以上
    利用形態
    その他
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    5.0

jijidarumaさん

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎ82歳になりましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2026.02.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2026年を迎えている。

(2026.02.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

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