大聖堂(St. Paulus-Dom) St. Paul's Cathedral
寺院・教会
3.26
施設情報
クチコミ(7件)
1~7件(全7件中)
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Dom platz
- 3.5
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
- 0
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聖パウロ大聖堂
- 4.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 0
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神聖で美しいです
- 4.5
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 0
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ミュンスターの聖パウロ大聖堂には二つの目玉がある:もう一つは1540年製の天体時計である。
- 5.0
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
- 6
<三十年戦争の講和条約締結地のミュンスターの町を一日観光>
第10日:2016年10月23日(日)9km、午前は曇天、... 続きを読む午後は晴れ、寒い朝3.5~9.5℃
見るべきものとしては聖パウロ大聖堂の二つの目玉、即ち一つは宝物館・・・先に説明した、残るもう一つは1540年製の天体時計である。
<1540年製の天体時計>
12:40~12:55
見るべきとされているのは天体時計で、技術的にも美術的にも驚異の作品と云われる。
1540年製の天体時計は高さ7.8m、幅4.1mの大きなもので、上部に座した聖母子を中心に左にラッパを吹く者、鐘を鳴らす者、右に大きな鎌を持ち背に翼がある者、更に矢を持つ骸骨が鐘を鳴らしている人形がある。
窓にはその光景を見る人々の絵、10個の鐘と仕掛け、中部に天体時計、下部に暦がある三段階のもので、12:45頃になると、係のような方が来て、内部に入りスタートさせた。
時間が来ると仕掛けが動き出し、右の扉から、従者のような者が先導し、Heiligen Drei Koenige東方の三博士が順に出てくる。聖母子の前をぐるりと動き、左の扉に消えていく。それを2度繰り返した。
それは最初がMorgenstern暁の明星・Venus金星(アンティークな星形)が、時計の上部(王宮のような建物の屋根)に現れ、この星の動きに合わせて人形は動いて行くようだった。次はAbendstern宵の明星・Mars火星が出現し、これに合わせ同じ人形が同じように一周したのだった。5分もしない時間だった記憶がある。
仕掛け時計は1日に1回、正午(夏時間表示ではない)のみ、仕掛けが動き出す。
幸い、私共もその時間に時計前に居合わせた。多くの観光客、参拝者はこの日一度の見せ場を見て喜び、動き出した時はオー!と歓声が上がった。
・・・・・ 閉じる投稿日:2017/11/08
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ミュンスターの聖パウロ大聖堂には二つの目玉がある:一つは宝物館、もう一つは1540年製の天体時計である。
- 5.0
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
- 3
<三十年戦争の講和条約締結地のミュンスターの町を一日観光>
第10日:2016年10月23日(日)9km、午前は曇天、午... 続きを読む後は晴れ、寒い朝3.5~9.5℃
ここではナチス独裁に勇敢に立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれた
Clemens _Graf_von_Galenガーレン枢機卿(2005年に列福された)の事を書いている。
見るべきものとしては聖パウロ大聖堂の二つの目玉、即ち一つは宝物館、
もう一つは1540年製の天体時計を見物せねばならない。
<Domkammer聖堂宝物館>
11:40~12:35 入場券3X2=Euro6
聖堂宝物館(開館:11時~16時)は金細工、織物芸術の傑作を集めた宝物館で、
ヨーロッパでもっとも重要な博物館に数えられている。
Silbernes Kopfreliquiar des Hl. Paulus 聖パウロの銀製の頭部像・・1380年頃、
この像は宝物館のチケットに印刷されていたから、当館の目玉なのでしょう。
Propheten Philo von Alexandrienアレクサンドリアのフィロンの胸像・・
紀元1世紀頃のユダヤ人井哲学者、
Reliquienkreuz 十字架1090年頃、
Dalmatikダルマティカ・・15~6世紀のベルギー製、欧州で中世頃まで着られた
ゆったりとしたT字型の衣類。キリスト教の法服としても使用される、
Muttergottes聖母・・1230年頃、樫木に彫った像に銀、金メッキしたもの、
Hl. Agnes聖アグネス・・1536年頃、銀製の作品。聖アグネスは13歳で殉教した。
尚、ホセ・デ・リベーラ筆「聖女アグネス」の絵が残る。この絵はローマ長官の
横暴に屈しず、見せしめとして全裸にされた時、彼女の髪の毛が伸びて全身を
覆ったという伝説を描いたものである。左上から天使が彼女の裸体に布を
巻いている。 ・・・・・などなど。
・・・・・ 閉じる投稿日:2017/10/09
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ナチスに立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれたガーレン枢機卿の像が立つ
- 4.5
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
- 5
2016年ドイツの秋にライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅に出かけた。
2016年10月14日(金)~10月... 続きを読む28日(金)15日間
第10日目の10月23日(日)に新旧キリスト教徒の宗教戦争であった”三十年戦争”の講和条約締結地のMuensterミュンスターの町を一日観光した。
Kiepenkerl Denkmalキーペンケアル(行商人)の銅像の方から横丁を通って、St. Paulus-Dom聖パウロ大聖堂に向かった。
大聖堂はほぼ13世紀当時のままの姿で旧市街の中心に立ち、西に面して二つの尖塔(北が57.7m、南が55.5mと異なるのが不思議だが)が並び立ち、ファザードにステンドグラスの輪が見え、中にはバロック様式の大聖壇、聖歌隊席、Fuerstbischofs von Plettenbergプレッテンベルク侯爵司教の墓碑がある。
聖堂の長さは109m、幅は53mと大きなものだ。
聖パウロ大聖堂までやってくると、右手を挙げた、大きな僧の像が立っているのが目に付いた。昔々、この地を訪れた時は無かった像である。
ナチス独裁に勇敢に立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれたClemens _Graf_von_Galenガーレン枢機卿(2005年に列福(聖人の次の位)された)の記念像・碑だそうだ。
かつてヒトラー暗殺未遂事件に関与して刑死した「シュタウフェンベルク大佐」などについて書いてきたが、ナチスに立ち向かった宗教家については全く知ることも無く、この旅で初めて知った人物である。
≪Clemens August Kardinal Graf von Galen
(16. Maerz 1878 in Dinklage,Oldenburger Muensterland; † 22. Maerz 1946 in Muenster, Westfalen)
)クレメンス・フォン・ガーレン枢機卿の列福≫
2005年10月9日ローマにおいて、ドイツ人クレメンス・アウグスト・フォン・ガーレン枢機卿が列福される。
卿について教皇ヨハネ・パウロ2世は1987年5月6日に「神と人間の権利の擁護者として忘れることのできない人物」と評した。
枢機卿はなかでも国家社会主主義(ナチス)のイデオロギーと体制に対する不屈の戦いで知られている。
また死の文明が命の文明にとって変わろうとするこの現代においても持別の意味をもつ。
と言うのは、枢機卿はあらゆる命が生きるに値するものだと深く確信していたからである。
* * * * *
閉じる投稿日:2017/01/17
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ミュンスターでは市庁舎と並ぶ観光の要。天文時計と宝物室はお見逃しなく。
- 4.5
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
- 2
ミュンスターの大聖堂(聖パウロ大聖堂)は、旧市街地のど真ん中にあって、≪平和の間≫がある市庁舎とともに観光の要。
両者の... 続きを読む間の距離は徒歩3分ほどなので、ぜひ二つとも見て行きましょう。
1225年に礎石が置かれて建設が始まったという大聖堂の姿は、今でもほぼ当時のままだそうです。
その外観も見事ですが、内部では天文時計と宝物室をお見逃しなく。
大聖堂内部の見学は無料。
プラハの天文時計を思い起こさせる大聖堂の天文時計。
その上部にはからくり人形も付いていて、時報とともに動くようになっています。
その様子も見て行くといいですよ。
モダンな博物館風に整備された宝物室は有料。
3ユーロですが、内部の撮影不可。
その見事な品々は、下記の大聖堂宝物室のサイトでどうぞ。
http://www.domkammer-muenster.de/
気を付けなくてはいけないのはオープン時間。
大聖堂本体は毎日朝6:30から夜は19:00(平日)、または19:30(日・祝祭日)まで。
宝物室は11:00~16:00で、月曜日はお休みです。
閉じる投稿日:2016/11/15
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