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  • ヴォルフガングゼー・白馬亭での思い入れの夕食は空振りに!

    投稿日 2015年08月16日

    Romantik Hotel Im Weissen Rossl ザンクト・ヴォルフガング

    総合評価:4.0

    ≪南ドイツとオーストリア周遊の旅≫
    2004年4月21日−5月4日 :2週間
    ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィッヒ2世と オーストリア皇妃 エリザベートを 巡る旅

    4月23日(金)
    Salzkammergutザルツカンマーグート周遊・ヴォルフガングゼー:
    夕食の為にベナツキーのオペレッタで---もっとも、私にはどんなオペレッタかは知らないのですが---有名な“Im Weissen Roessl am Wolfgangsee白馬亭”のレストランを予約する。 

    <夕食>
    イム ヴァイセン レッスル白馬亭(18:15−21:00) 

    Im Weissen Roessl イム ヴァイセン レッスル白馬亭は15世紀には記録に出てくるという。教会と船着き場という村の中心地にあり、湖に突き出た形で建っている。
    1971年に発行された高名な日本画家である東山魁夷・・・画家には珍しく、フランスではなく、ドイツに留学した“ドイツ学派”・・・のドイツ・オーストリア紀行文、“馬車よ、ゆっくり走れ”にも、このホテルに宿泊したことが出てきます。レストランの事は何も書かれておりませんので、何を食べられたかは分かりませんが・・・。 

    私にとって今夕は、ともかく、20年ぶりに、このレストラン白馬亭の“ペッパーステーキ“を食べる事が目的です。20年前の休暇で、この近くのペンジョンに泊り、ザルツカンマーグート地域を巡りましたが、その時、白馬亭で夕食を頂いたのですが、ペッパーステーキの美味しさに、家族全員が翌日も同じメニューを注文したことを思い出します。
    其の事もあって、今回の旅はチャンス到来だと、宿泊ホテルとはちょっと離れた所ですが、やってきた次第です。   

    ところが18時15分頃、予約席に座って、いざ、メニューを見ると肝心のペッパーステーキが載っていません!!!給仕人に聞いてみると、メニューには無いが、ご注文にはそえるとのこと。それではお願いすると、大いに期待していたのですが、残念!!!20年はやはり長かったようです。舌に覚えていたもの、目に残っていたものとは全然、違っていました。思い入れはしない方が良かったのでしょうか?!それにしても、20年ですよ!!!
    Schlumbergerシュルムベルガーというシャンパンを皆で頂き、スタートする。スープも前菜も取らずにメインに期待する。“Romantik Menu 1”という名前は素晴らしかったのですが、ソースは牛肉を焼いた汁に赤ワインを煮立てたいわゆる普通のソースでした。胡椒あじも感じて、料理としても、悪くは無いのですが、ちょっと、違うな・・・。
    20年前は肉汁に生クリームを入れ、煮立てたものに粒胡椒を入れた、たいへんまろやかなソースでしたが!!!
    ワインは赤。これは ニーダーエーストライヒ州の Goettlesbrunnゲットレスブルン産の、Cabernet Sauvignonカベルネ・ソーヴィニヨン 2000、Netzlネッツルというもので、レストランのお奨めです。ウイーンとアイゼンシュタッドの中間で、ブルゲンランド州に近い所のもの。40EUROと値段も良かったですが、味も大変気に入りました。 

    酔い覚ましの時間をとっての出発でしたが、段々と暗くなり、雷雨が襲ってくると、前が見えないような土砂降りです。そんな中でもどんどん走る車もあり、対向車のヘッドライトも眩しく、いやはや、ホテルがいやに遠くに思われました。ゆっくり、冷や冷やで、運転し、幸い迷うことも無く、無事ホテルにご帰還です。もう22時でしたが、古城ホテルの女主人のエリカさんがお出迎えしてくれました。  

    XXX

    旅行時期
    2004年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    4.0

  • ヴァルプルギスの祭りに訪れたいゴスラー

    投稿日 2015年08月13日

    Hotel Kaiserworth Goslar ゴスラー

    総合評価:4.5

    “北ドイツ周遊の旅”      
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間

    5/01 (日) Goslar 
    Hotel Kaiserworth  (4星)全61室     129 Euro 駐車代6Euro。

    ホテル カイザーヴォールトの部屋は202号室。予約段階では裏側と言われていたが、幸い、マルクト広場を見渡せる側になっていた。昼食を食べたアーケードの席のちょうど真上にあたる右奥の部屋は、予想以上にモダンな部屋です。窓の外の壁にはホテルのシンボルである、王冠をかぶり、鎧姿をした皇帝の像が見える。
    築511年。昔はギルド会館であったという。

    この町はハルツ山地の西端にあり、4万6千人の世界遺産の町です。
    私はこの町の中世の雰囲気が好きで、何度も訪れています。

    今日のMarktplatzマルクト広場では魔女の仮装をした女性達が中世風の屋台をやっていて、大勢の観光客や市民がビールを飲みながら、テューリンガー風ソーセージを美味そうに食べ、市庁舎前に作られたステージを見ている。パン屋、肉屋、矢場もあり、人物像を描く絵描さんが子供の顔を上手に画いている。金銀細工品、皮細工や手芸品も魔女が売っている。日本の縁日のように、いろいろと見て廻るのは楽しい。
    町のポスターには28日から5月1日の4日間“Walpurgisヴァルプルギスの祭り”をやっているようだ。

    ステージでは、3人の男性が上半身半裸の格好に皮ズボン、長靴で、バックパイプを奏でている。後の男が大太鼓を叩き、女性は魔女のメークをして、スティールギターを大音量で奏で、歌い踊っている。リズムがあって、腹に響く音量がすごい。背後の垂れ幕に、“Kradem Aventure“とあるがグループ名なのか?!最近、ヒットしている曲のようで観客も調子をとっている。---耳についたリズムが日本に帰っても、鳴っている。---

    ステージでは、子供達のHexentanzヘクセンタンツ(魔女の踊り)が始まっている。

    そのHotel-Kaiserworthで昼食です。嬉しい事にホテルのアーケード下の席が取れた。
    “シュパーゲル・スープ、シュパーゲル料理、オランダ風ソースを頼む。デザートは、甘さたっぷりのバニラ・チョコ・苺のミックスアイスを半分こです。目の前を歩く人々の凝った扮装や売れそうもない屋台で、暇そうにしている魔女を眺めながら、ビール0.3Lx1で乾杯です。”
    (35Euro、13~14:15:喧騒の広場とゆっくりとした昼食。)

    真っ青の空のもと、町の名前の基になったGoseゴーセ川の流れで水車が廻り、川沿いの石畳の道や木組みの家々の家並み、それらが木々の緑と一体となって、1000年の古都ゴスラーの魅力となっている。
    ハルツにも、ようやく春が到来です。

    旅行時期
    2005年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    4.5

  • 眼下にブドウ畑を見下ろす古城ホテル ヴィンデック城

    投稿日 2015年07月11日

    シュヴァルツヴァルト

    総合評価:4.0

    Burg Windeck古城ホテル ヴィンデック城:
    D-77815 Buehl/Baden 、Kappelwindeckstrasse 104
    http://www.burg-windeck.de/

    3星、全21室。バーデンの南20kmにAlt Windeck(=Burg Windeck)の古城がある。
    5kmほど急坂の山道を登ると、海抜1064mの山上に古城ホテルBurg Windeck(風の曲がり角?)ヴィンデック城の姿が見えた。

    2007年4月21日に1泊した。その時の旅日記には;
    2号室(2F・Uta von Windeckの名前);Euro 126
    スペシャルアレンジメントを依頼・宿泊と食事込みでEuro198。食事部分はEuro72。

    この城の歴史は凡そ1200年に遡る。城が築城され、其の12年後に歴史書に名が始めて出てくる。この城の領主(騎士階級)は長い間、Eberstein伯、仏・Strassburg大司教、Baden辺境伯らの保護下にあった。その後、Strassburgの町とヴュルテンベルグ伯の間に生じた争いの影響でしばしば、城は包囲されることとなったが、一度も城が破れた事がないと云う。14世紀末に大火で城が消失した後、一部が改修されただけで、現在に至っている。古城ホテルは城址に建てられている。

    この古城ホテルからの眺望は見事なもので、眼下にブドウ畑---この辺り一帯はバーデンワインの産地であるOrtenau地区に入り、周囲はブドウ畑である。---の連なりや、緑の平野に浮かぶ家々の屋根が見える。晴天の日には40km先にある、フランスStrassburgの大聖堂が、はるかに遠望する事が出来ると云う。
    このホテルは在独中“Gast im Schloss古城ホテルを楽しもう”のパンフレットで知っていたが、今まで訪れるチャンスが無かった。現在はこの組織の会員ホテルが減ってしまいましたが、この古いパンフレット(1982年)掲載の古城ホテルは今でも殆どが健在で、名前さえ分かっていれば、その城のHPを引き出す事ができるので、現在も活用している。来年もきっとお世話になるでしょう。

    Spezialプランで提供された部屋は2Fの奥まったUta von Windeckの名前の付いた部屋でした。Utaはドイツ女性の名前に多く、城主夫人か娘の名前なのでしょう。確かに天蓋付きのベッドでした。
    家具は古いが特に趣むきのあるものではない。椅子に座ったら、足がへしゃげたのには、吃驚した。これも歴史か!?天井も低いのも、古城ホテルらしい。
    逆にバスルームはモダンで申し分の無いものだった。

    旅行時期
    2007年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    4.0

  • メクレンブルク地方の典型的な風景の中にある古城ホテル ヴェンドルフ城

    投稿日 2015年06月24日

    Schlosshotel Wendorf シュヴェリーン

    総合評価:4.0

    2014年ドイツ:北方二州を巡る・旅行記
    (北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
    メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅)
    (2014年05月09日~23日  15日間)

    05月17日(土) 170km、晴れ、16.5℃、今日も天候に恵まれた。
    Gross Plasten9:35出発。=>77km Guestrowギュストロー観光=>64km Schwerinシュヴェリーン観光=>29km Kuhlen-Wendorf ・Schlosshotel Wendorf 古城ホテル ヴェンドルフ城(9泊目)16:54着。

    Schlosshotel Wendorf 古城ホテル ヴェンドルフ城
    D-19412 Kuhlen-Wendorf 、Hauptstrasse 9
    Tel. +49-(0)384863-3660
    http://www.schlosshotel-wendorf.de/
    http://www.youtube.com/watch?v=fiNPHeym7rw

    5星・全21室。1号室(地上階)、Junior Suite im Residenz;5星ながらスリッパなし。
    Euro135+朝食30x2=195(27,642円)。

    古城ホテル ヴェンドルフ城はロストック空港から50km、シュヴェリーンから東に30kmと近く、メクレンブルク地方の典型的な風景の中にある。

    この古城ホテルにはSchloss本館、Residenzレジデンツがあり、本館内は9スイート(バロック、ユーゲント・シュティール様式の部屋)のみで、スイートを選ばず、ジュニアスイートにしたから本館には泊れなかった。レジデンツのジュニアスイートも35?以上の広い豪華な居間と寝室、浴室・トイレがあり、モダンなユーゲント・シュティール様式が施されていた。ホテルでは“邪魔をしないでください、掃除をしてください”・・・といった紙製カードを部屋前のドアノブにかけるのが普通ですが、ここは優雅な装飾カーテンタッセル(房掛け)がその役をしていました。
    CH.CHEVAL BLANCシャトー・シュヴァル・ブラン(仏・ボルドーのサン・テミリオンの格付けの頂点にたつワイン:第1特別級A)の名前を取ったと思われるグルメ・レストラン”Cheval Blanc” シュヴァル・ブランがある。

    <グルメ・レストラン>
    シュヴァル・ブラン”はイタリア料理を基本とするという。仏・ボルドーのサン・テミリオンの格付けの頂点にたつワインの名前をレストラン名に使っているだけに少々可笑しみがある。もっとも食べた料理はフランス料理であったから、レストラン情報が違うかもしれない。レストランはレジデンツの隣の建物になる。
    “馬と騎手”のテーマで統一された絵画(例えば、キツネ狩りの場面)がレストラン内に飾られている。テラス前にも白馬の像が立っていることからすると、多分、この建物は厩舎を改築したものだろう。

    2014年ドイツランクは441位(2013年より評価開始)、Schlemmer Atlas Spoon3つ(15.5点)、ゴー・ミョ15点、ミシュラン GM 12点(まだミシュランの評価が低い)、35席。
    この夜のお客は近所の団体客数名(少々騒がしく、給仕さんが気を使った。)、私共ともう一組の中年のカップルでした。

    料理は家内が3品、私が4品を注文したが、5星ホテルがグルメ・レストランと謳うだけに料理の味には満足した。


    <城の歴史>
    1637年、ヴェンドルフ城は騎士領主の城として初めて築城された。
    その後、1895年まで、Schackシャック伯家(ニーダーザクセンの古くからの貴族)が所有していた。この一族はデンマーク、およびメクレンブルク、ポメラニアおよびブランデンブルク等に移住していた。
    その後、所有者は何度か代わり、1904年 Ivan Mackensen von Astfeldイヴァン・マッケンゼン・アストフェルトが購入し、狩猟館として1904〜1906年にかけて改築された。

    2度の大戦の後、DDR時代は孤児院に使用されていたが、ドイツの再統一後、ホテル経営者がヴェンドルフ城を購入の上、改装を進め、2009年、古城ホテルがオープンした。

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    15,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    3.0
    客室:
    4.5

  • ヴォルムス:この町で観光に一つを選ぶとすれば、聖ペーター大聖堂となろう。

    投稿日 2014年08月16日

    大聖堂(ヴォルムス) ヴォルムス

    総合評価:4.5

    <Dom St.Peter聖ペーター大聖堂>
    10月27日(日)15:30〜16:30

    この町で観光に一つを選ぶとすれば、聖ペーター大聖堂となろう。
    旧市街の大聖堂傍にパークハウスがあり、ここに駐車し、聖ペーター大聖堂のみを見学することにした。

    ドイツ・シュパイヤー大聖堂やマインツ大聖堂と共に、華麗なロマネスク建築の教会の一つに数えられ、4つの円柱塔と2つの大きなドーム部分をもった大聖堂は正面から見ると、さすがに大きく、壮麗な佇まいである。

    内部にも高名な建築家ヨハン・バルタザール・ノイマン(ヴュルツブルクのレジデンスを始め、ドイツの世界遺産になっている建築作品も多い。)作の大聖壇が中央にあり、聖母子像、バラ窓、ステンドグラスと壮麗さでは負けていない。

    また、洗礼堂には15世紀後期に製作された石のレリーフ像が5体あって、目を引く存在だった。
    ?Wurzel Jesseエッサイの樹・・・イエズス・キリストは「エッサイの樹」に連なる。)
    ?キリストの復活
    ?キリスト降架
    ?キリスト生誕
    ?受胎告知の5体である。(イエスの生涯からすると順序は逆ですけど・・・)

    http://www.wormser-dom.de/cms/website.php

    XXX

    ≪Wormsヴォルムス≫
    この町はラインラント・プファルツ州(Land Rheinland-Pfalz)の人口82千人の中核都市である。  

    ニーベルンゲン伝説の町としても知られ、見どころはDom St.Peter大聖堂、聖母教会、ルター記念像などがある。

    ヴォルムスはRheinhessenラインヘッセンワインの産地であり、ワインのリープフラウミルヒLiebfraumilchが知られている。
    大量に世界に輸出されている「リープフラウミルヒLiebfraumilch」を最初に造った聖母教会(Liebfrauenkirche リープフラウエンキルヒェ)の地であるだけでなく、数多い醸造所を擁するラインヘッセン最大のワインの町である。

    と同時に、歴史の町でもある。ローマ帝国の駐屯地が置かれたことに始まり、ラインの中流域にあることから、早くから交易の町として栄え、中世初期に司教座も置かれた。
    神聖ローマ帝国の重要な政治・宗教の会議である「帝国会議」が数多くこの地で開かれているが、ヴォルムスが交通の要所にあったからであろう。
    「ヴォルムスの協約」と呼ばれる、皇帝とローマ教皇が激しく争った「叙任権闘争」の解決を定めた会議(1122年)や、宗教改革のマルティン・ルターの追放決定会議(1521年)は、ヴォルムスで開かれた有名な会議である。
    http://www.worms.de/

    旅行時期
    2013年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    5.0

  • マチルダの丘:ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)建築群はなかなか見応えがあった。

    投稿日 2015年06月16日

    マチルダの丘 ダルムシュタット

    総合評価:4.5

    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”
    :黒い森・バーデンワイン街道・高−上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:

    期間 : 2007年4月19日(木)〜5月3日(木)15日間の旅
    2007.05.02(水) 快晴 23℃  、  57km 最終日の走り

    かつてのヘッセン大公国の首都であったDarmstadtダルムシュタットはダルムシュタット工科大学や欧州宇宙運用センター(人工衛星の管制)のある学術都市である。(人口14万人)

    町外れの高台にあるMathildenhoeheマチルダの丘に車を走らせる。
    ここのJugendstilユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)建築群はなかなか見応えがあった。
    19世紀末、ヘッセン・ダルムシュタット大公国の最後の大公エルンスト・ルートヴィッヒが芸術家を擁護、招致し、その為の芸術家村をこの丘に建設した名残のものである。

    ルートヴィッヒ大公とマチルダ王妃の結婚を記念したHochzeitsturm結婚記念塔に登る。屋上からは町が一望にでき、眼下にロシア教会の葱坊主屋根がキラキラ光っているのが見えた。
    この塔を正面から見ると、5つの丸屋根は5本の指を表現したのが分かる。大公が結婚式に5本の指を立てて宣誓した事をモチーフにしたと云う。(3Euro)
    丘の上はその他にもロシア教会、庭の随所に見られる彫刻、芸術家コロニー美術館、周辺に建てられた芸術家の家々(Peter-Behrensなど)の家も、独特のデザイン・色合いのJugendstil建築群である。
    ただ、財政難もあって、このコロニーは数年で終わったと云う。   
    (12:35〜13:30)


    旅行時期
    2007年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.5

  • ブルッフザールのバロック宮殿とドイツ自動演奏器博物館

    投稿日 2015年06月15日

    ブルッフザール楽器博物館 カールスルーエ

    総合評価:4.5

    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”           
    :黒い森・バーデンワイン街道・高−上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:

    2007年4月20日(金) 快晴 15〜20℃、午前中は涼しい風 207km

    この日はBergstrasseベルクシュトラーセ・山岳街道から世界遺産の2つの町に向かい、LorschロルシュKloster–Alten Muenster帝国僧院跡とDom Speyerシュパイヤー大聖堂を訪問した。

    その後、更にE61/E5を54km南下すると、Bruchsalブルッフザールに至る。
    この城はたまたま、他の城の事でHPを開いていたら、280年の歴史のあるこの城にあたり、興味を覚えたので行程に加えた。

    <Schloss Bruchsalブルッフザール・バロック宮殿>
    この宮殿は第一にノイマンの階段の間が有名である。
    昨年行ったBruehlブリュールの世界遺産:Schloss Augustusburgアウグストゥスブルグ宮殿---1984年登録---にもノイマンの階段があり、その素晴らしさに驚いた記憶がある。

    ブルッフザール宮殿はSchoebornのHugo侯爵・司教によって1722年に建設された。
    1731年ノイマンを招聘し、大理石風であるが、実際は木製の階段の間を作らせた。
    天井のフレスコ画など見るものも多かったが、ブリュールのノイマン作には及ばないと思えた。残念ながらデジカメ撮影は不可であった。
    何故か、グラビア用に撮影しているモデルさんがいたっけ?!
    1時間の女性ガイドの説明は丁寧であったが、この旅も耳がドイツ語に慣れるまでしんどい。最近は保安上・雇用創出の面からか、ガイド付きのみの博物館が多く、自由に入館出来ない。
    入館料も5Euro/一名とひと頃から比べて高くなった。

    宮殿のガイドが終了して、宮殿内の他の場所を覗いていると、“ドイツ自動演奏器博物館”に気がつく。
    中に入ってみると大型の仕掛時計や、音楽隊の演奏器が何十と並んでいる。黒い森のTribergにある黒い森博物館の規模を上回るようだ。
    博物館の館員の方が近づいてきたので、聞いてみるとガイド付きの案内にはここも入っていたらしい。切符を買った際に売り場の小母さんが“急いで、宮殿前に行けば、ガイドさんがいる。”と言われたので---既に自動演奏器博物館を見終わったグループに入ったようだ。

    ともあれ、自動演奏器博物館は自由に見させてもらえた。館員の方は親切にも、私共が興味を示した演奏器を動かしてくれて、音楽と人形が動く様を見る事が出来た。
    感謝!!! (13:00〜14:30)

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    5.0

  • ネッカー川を見下ろす、緑濃い山上に立つ古城ホテル・ヴァイテンブルグ城

    投稿日 2015年06月13日

    シュロス ヴァイテンブルク その他の都市

    総合評価:4.5

    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”           
    :黒い森・バーデンワイン街道・高−上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-・アルプ地方・オーデンの森:
    期間 : 2007年4月19日(木)〜5月3日(木)15日間の旅

    <シュヴァーベン地方の城巡り>

    4.28(土) 快晴  27℃  、 182km
    朝食後、9:00 Salem ―>L? 11km;城巡り;(Heiligenberg・ハイリゲンベルグ城)―>L? (Pfullendorf、Messkirch) B313 42km 
    Schloss Sigmaringen・ジクマリンゲン城(10:30〜11:30 ガイド1時間) 10:00〜11:50 ―>B313/312(Trochtelfingen) 50km 
    Schloss Lichtenstein・リヒテンシュタイン城(ガイド30分13:10〜13:40)12:45〜14:15 昼食:Schloßschenke Lichtenstein 13:50〜14:10―>L?(Moessingen)/B27(Hechingen)―>L?/B27 40km Burg Hohenzollern・ホーエンツォレルン城(プロイセン王家):(ガイド1時間15:20〜16:20)14:55〜16:40 ―>B27/L? (Rangendingen)―>L? 39km Starzach・Schloss Weitenburg古城ホテル・ヴァイテンブルグ17:30着

    ≪Schloss Hotel Weitenburg古城ホテル・ヴァイテンブルグ≫      
    D-72181 Starzach / Weitenburg、
    Euro158 ;3星、全33室、203号室(3F)
    TEL:49(0)7457-9330  http://www.schloss-weitenburg.de

    黒い森とシュヴェービッシュ-・アルプ地方の間に流れる、今だ若々しい(源泉から流れ出て、まだまだ本流には程遠い!)ネッカー川を見下ろす、緑濃い山上に城は1062年に建てられた。闘争的で、強欲な騎士達やヴュルテンベルグ公爵など、領主の代わる毎に城はルネッサンス・バロック・ネオゴッシクの建築様式で改築された。
    1681年にRasslerラスラー家は男爵位を授かり、時の皇帝Leopold?世によって、男爵家の紋章には“L”を付ける事を許される。
    この城は1720年から現在までRasslerラスラー男爵家の持物である。大変男性的な古城で、ラスラー家の代々の肖像画や狩りの獲物の剥製が所狭しと飾られたホテル(1954年開業)である 。ふんだんに木を使った内装や彫刻をほどこした見事な家具類はこの古城ならではのもの。
    併設するGolfclubゴルフクラブ Schloss Weitenburg はネッカー沿いに18ホールのチャンピオンコースと9ホールのパブリックコースをもつ。

    30年前に一度家族で泊まった経験があり、今回の旅では道順としてはわざわざ横にそれ、遠回りをして、懐かしい古城に泊まる事にした。
    ネッカー川の見える部屋を予約したので、寝室の203号室(3F)はちょっとお値段もよい。天蓋つきの寝台はがっしりとした立派なもので、天井、壁、カーテン、クッションは赤と黄の格子模様で統一されている。まだ強い日差しが室内に差込み、部屋全体が燃えるような印象である。
    窓の外はネッカー川を挟んで、緑のゴルフ場、農地、森林である。右の方には村落も。
    窓の真下に青いパラソルがテラスレストランを隠すように、並んでいるのが見えた。
     

    旅行時期
    2007年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    12,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    3.0
    客室:
    5.0

  • ハノーファー:バロック様式の美しい王宮庭園

    投稿日 2015年01月24日

    ヘレンンハウゼン王宮庭園 ハノーバー

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月20日(火) 202km、晴れ、朝方20℃と早くも高い、この日の最高は28.5℃、

    <Hannoverハノーファー>
    14:55~16:20

    ハノーファーはLeineライネ川(全長281km、ヴェーザー川の支流)沿いに発展した町、14世紀にはハンザ同盟に入って繁栄した。18世紀にイギリス国王を兼ねたハノーファー王家ゆかりの町であり、今はニーダーザクセン州の州都(人口51万人)でもある。
    この町は特に優美なバロック様式のヘレンハウゼン王宮庭園と見本市がよく知られている。
    Grosser Garten Herrenhausenヘレンハウゼン王宮庭園:
    14:55~16:20 入場料Euro16

    1696年から1714年にかけて、郊外にあった夏の離宮ヘレンハウゼンをハノーファー選帝侯妃ゾフィー・ハノーファーがバロック様式の美しい王宮庭園に造形したものである。

    ヘレンハウゼン王宮庭園は「グローサー・ガルテン」、「ゲオルゲン・ガルテン」、「ヴェルフェン・ガルテン」、「ベルク・ガルテン」の4つ庭園からできていて、ヨーロッパで最も美しい庭園のひとつに数えられている。

    庭園の中心となるのは、巨大な野外宴会場「グローサー・ガルテン」で、1666年に建設が始まり、1696年から1714年にかけて今日の姿に形づくられた。 文字が描かれた大花壇や夏の花3万本の庭、真っ白な砂岩によるヘラクレス、ビーナス、天使たちの彫像が多数飾られている。

    82mの大噴水はヨーロッパ一高い噴水であり、多段式の滝(1670年頃) は現存する最古のものに数えられている。

    金色の彫像が立ち並ぶ、ドイツ初の庭園劇場は今日なお選帝侯妃の時代と同様の、華々しい雰囲気を醸している。

    「ベルク・ガルテン」では草原や湿原の他に、蘭や熱帯雨林、サボテン用の温室、熱帯気候のサンルーム、1794年のキュウリモクレンのような希少な古樹が見られる。又、ここには王家の霊廟もある。
    園内北西部に1676年に造られた洞窟があり、世界博覧会エキスポ2000年にあわせて修復された。1720年建設のオランジェリーもまた一見の価値があります。

    見学時間:05/01~08/31=09:00~20:00

    ・・・グローサー・ガルテンだけでも、少なからぬ時間が必要である。入場券を買って庭園に入り、入って直ぐにKaskadeカスカーデ(人工の滝)の展望台から庭園を眺め、それだけでもう十分の気分になった。それほど庭園は広い。幾何学模様の美しい庭園は上から見るのが一番だと展望台に上ったが、ともあれ高く吹きあげている噴水まで行こうと歩き出す。28℃を越えた気温、噴水の場所は涼しい。

    金色の女神などの彫像が立ち並ぶ、ドイツ初の庭園劇場(62m x 58m、観客席1000)にも行ってみた。8月の1ヶ月間、シェークスピアの“Sommernachtstraum真夏の夜の夢”がここで上演されらしい。

    最後にGoldenes-Tor金色の門から会議や博物館用の大きな建物に向かう。そこの噴水もみて、博物館へ。夜に庭園内のイルミネーションが輝き、5月から9月の土曜の夜には国際花火大会(チェコ、イギリス、スイス、ギリシャそして日本の5ヶ国の参加)の日もあるというから、それはまた壮麗なことだろう。野外劇場としての庭園は思っている以上にいろいろ使い勝手があるようだ。

    Museum Schloss Herrenhausen離宮ヘレンハウゼン博物館は入場券売り場の奥にある。
    ハノーファー王家の人物画、絵画、橇など。マリエンブルグ城でも特別展があったが、1714年に始まるHanoverian Dynastyハノーファー王朝、その時から数えて今年で300年、記念の年を迎えて、英国王室とハノーファー王家の親密な関係をハノーファーの特別展でも力を入れて展示していました。

    帰国してパンフレットを見てみると、Als die Royals aus Hannover kamen(ハノーファー王朝の登場)=同君連合の300年を祝うニーダーザクセン州展覧会と称したものが、Residenzmuseum im Schloss Celleツェレ城博物館、ハノーファーでは離宮ヘレンハウゼン博物館、州立博物館、歴史博物館、Wilhelm Busch Museumヴィルヘルム・ブッシュ博物館(独特の風刺画)と5ヶ所で開催されていました。

    奇妙なことに、マリエンブルグ城でも、ハノーファーでもお互いの展覧会の事には言及していません。
    マリエンブルグ城を建設した最後のハノーファー王ゲオルク5世は1866年に起こった普墺戦争で、ハノーファー王国はオーストリア側に就き、ハノーファーはプロイセン軍に占領され、同年6月29日にハノーファー軍は降伏した。王と家族はオーストリアへ亡命し、ゲオルク5世は1878年に死去すると、英国ウィンザー城の礼拝堂に埋葬された。・・・ひょっとすると、こうした歴史がいまだに尾を引ているのかもしれない。

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5

  • クリスマス時期に泊まった古城ホテル ラインフェルス城を再訪する

    投稿日 2015年05月01日

    Hotel Schloss Rheinfels その他の都市

    総合評価:4.0

    Schloss Rheinfels古城ホテル ラインフェルス城
    D-56329 St. Goar am Rhein 、Schlossberg 47
    http://www.schloss-rheinfels.de/

    1977年12月23日~26日、クリスマス時期に古城ホテル ラインフェルス城に3泊した。
    殆ど滞在客がいないという状況で、ホテルのプールも我が物顔に利用した覚えがある。
    ザンクト・ゴアーの町とライン川を見下ろす、小さな個室で夕食を取ったが、今も残っているのだろうか。
    (234号室、当時、1泊朝食・子供用ベット込みでDM135でした。)

    2006年5月14日の旅行で;

    4S星・全64室。ユネスコ世界遺産の中部ライン渓谷のローレライの向かいに立つ。

    Rheinfelsラインフェルス城はSt.Goarザンクト・ゴアーの町とライン川を見下ろす、川面から115mの山上にある古城ホテルで、正式にはRomantik Hotel Schloss Rheinfelsロマンチックホテル加盟の古城ホテル ラインフェルス城と呼ばれる。(かつてはSchlosshotel “Auf Burg Rheinfels”と言っていた。)

    この城はGraf Diether V. von Katzenelnbogenディーター・カッツェンエルンボーゲン5世伯により1245年、ライン川のZollburg通行税徴収の目的で築城された。
    ライン川地方でも強固な城塞の一つで、1688年からのプファルツ継承戦争でも仏軍の攻撃を撃退する。フランス軍28千人に対し、守る城兵は3千人で大激戦になった。この時の戦いで仏軍は4千人の戦死、傷ついた者6.5千人。これに対して城兵の死者564名、傷ついた者885名であったと伝えられている。
    しかし1792年、フランス革命後のフランスの侵入、ナポレオンの侵攻時には、既に近代的な砲撃に対抗できずに1794年、城は陥落する。
    現在も大部分が当時のままの廃墟だが、ドイツ最大の廃城、大要塞として観光客を迎えている。対岸にはBurg Katzブルグカッツ=猫城(1370年カッツェンエルンボーゲン家が築城)が見える。

    1973年以来、古城ホテルとなったラインフェルス城には家族で宿泊もし、また日本からのお客さんの観光に、何度もお連れした場所である。
    その当時に比べると、今は観光客の人気も高く、この日も予約が無いと昼食もできないような混雑ぶりで、驚くほど様変わりしていた。
    現在、ホテル・レストランの本館(かつては本館の36室のみ)に加え、新館のヴィラが橋を渡った裏手にある。今は全64室と規模も大きいが宿泊するならば、本館に限る。
    レストランはアラルで13点。

    XXX

    旅行時期
    2006年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.0

  • パッサウを訪れたら、是非このガラス博物館に!

    投稿日 2015年04月28日

    ガラス博物館 パッサウ

    総合評価:5.0

    2008.04.28.Passau:Hotel WilderMannのガラス博物館

    ≪ガラス博物館≫
    旧市街の市庁舎横にあるHotel Wilder Mannホテル ヴィルダーマンは1844年、貴族の館を改築し、ホテルにしたものだ。1862年オーストリア皇妃エリザベート(ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇妃のウイーンでの婚儀は1854年4月24日)がこのホテルで8日を過ごしたと云う。

    エリザベートの両親・Max公とLudowika公妃、姉のMarie王女とお会いになったそうです。1878年にも宿泊され、皇妃の部屋がSissi- Saalシシーの間と称して、今も博物館内に残され、ガラスコレクションともども公開されていた。
    ホテル ヴィルダーマンはホテルが建物の三分の一、博物館が三分の二を使用している。

    この博物館はガラス街道の基点となっていて、収集作品は3万点にものぼる。ボヘミアングラスの世界的コレクション・1700年から1950年までの様々な時代、Barock・Rokoko・Empire・Biedermeier・Historismus・Jugendstilユーゲントシュティール・Art Deco・現代の作品などが見られる。その数と質に圧倒された。

    (開館1時~5時 ;14:25~15:25 Euro 10)
    http://www.glasmuseum.de

    ご参考に: Die Glasstrasseガラス街道

    17世紀の頃より、Ostbayern東バイエルン地方は陶磁器と共にガラス工芸品の生産地として著名で、600年以上の歴史がある。鏡、杯、板ガラス、ガラス玉などから、現在は眼鏡、顕微鏡など世界中への輸出品も生産している。

    Passauからドナウ川の北に各生産都市を結んだ観光街道・ガラス街道が設けられている。特にチェコのボヘミアングラスの影響を受けたと思われる、チェコ国境沿いのバイエルン及びオーバーファルツの森一帯は北部Ostbayern地方に属し、Zwiesel、Weiden、Regen等の町がある。また、クリスタルグラスではヨーロッパの中心になるNeustadt a.d.Waldnaabの町がある。

    ドイツの陶磁器の生産の80%がこの地域から生産され、1996年以来、観光街道の“ Porzellanstrasse陶磁器街道”が設けられて、ガラス街道(80社を数えるメーカーが生産している。)・250kmはこの陶磁器街道と70%が重なっている。
    http://www.dieglasstrasse.de
    http://www.porzellanstrasse.de

    旅行時期
    2008年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    5.0

  • 哲学者の道は素晴らしい景色だけでなく、記念碑が歴史を語っている。

    投稿日 2015年04月06日

    哲学者の道 ハイデルベルク

    総合評価:4.5

    Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅

    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭

    ハイデルベルクでは最初に“哲学者の道”に行ってみた。実はここは初めてなのだ。

    ハイデルベルク城の対岸側の道を走り、ハイデルベルク入りしたので、下流のテオドール・ボイス橋近くの裏道に車を停め、まず、哲学者の道を登った。
    初めは急坂が続き、立派なお屋敷やハイデルベルク大学の理論物理学研究所の施設(番地12)、1963年にノーベル物理学賞を得たHans Jensenハンス・イェンゼンの家(番地21)もある。ジョギングしている若い人もいたが、私共は息も切れ、結構きついものだった。

    登り切ると、比較的平坦な散策路が続く。小さな庭園を過ぎると、視界が一段と開ける。

    対岸のハイデルベルク城、旧市街、アルテ橋とカールの門などが一体となった景観を欲しい侭にできる。

    ≪ネッカーの古城街道;ハイデルベルクの哲学者の道・王女リーゼロッテの記念碑≫
    http://4travel.jp/travelogue/10990445

    ≪哲学者の道にある小庭園に立つアイヒェンドルフ男爵の記念碑≫
    http://4travel.jp/travelogue/10994403

    ≪ハイデルベルク:哲学者の道の小公園に日本人の名が残っている≫
    http://4travel.jp/travelogue/10997198

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ハイデルベルク名物チョコレート・“学生の口づけ”の由来

    投稿日 2015年03月27日

    クネーゼル ハイデルベルク

    総合評価:4.5

    ハイデルベルクの旧市街の中心に、町で最も古いカフェがある。

    Cafe Knoeselカフェ・クネーゼルは1863年に設立されましたが、町の主だった市民たちや、ハイデルベルク大学の教授、あるいは学生たちにすぐ支持され、カフェは人気の待ち合わせ場所となりました。

    彼らはカフェ創立者・経営者のFridolin Knoeselフリドリン・クネーゼルのユーモアあふれる、暖かな人柄に魅了されて、そこで気持ちの良い時間を過ごす事を楽しみにしたそうです。

    とりわけ、勉学の合間にここを訪れる多くの学生達の憩いの場でもありました。

    そして、男子学生たちに気になる存在がありました。カフェの常連になっていた名門ハイデルベルク女子寄宿舎学校の生徒達です。
    若き彼女たちにはいつも、寄宿舎の監督官である先生たちが同伴し、その厳しい監視のもとにいたのですが、その周りには陽気な男子学生たちが集まってきました。
    魅力的な彼女たちにも男子学生が同様に気になる存在でした。

    しかし、このカフェに通う男子学生と交際する機会も無く、お互いに密かな眼差しを投げかけるだけでした。 

    この事を見知っていたカフェ店主、フリドリン・クネーゼルはとても不憫に思っていました。
    そしてある日、アイデアが湧いたクネーゼルは彼女たちの願いがいつか叶いますように!との願いをこめて、一日かけて上品なチョコレート菓子を作ったのです。

    クネーゼルはそれに「Der Heidelberger Studentenkussデアー・ハイデルベルガー・シュトゥデンテンクス(ハイデルベルク学生の口づけ)」と洒落た名前を付けました。

    XXX

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    5.0
    お買い得度:
    4.0
    サービス:
    5.0
    品揃え:
    4.0

  • 「一人は皆の為に、皆は一人の為に!」の落書きが気になった学生牢

    投稿日 2015年03月24日

    学生牢 ハイデルベルク

    総合評価:4.0

    ≪Karzer学生牢≫開館;10~16時。

    13:45~14:05  入場料Euro6
    1712~1914年の間、使用された。見るべきは天井や壁の落書きである。

    当時の大学内は警察の介入を許さない大学自治が当たり前であったから、学生たちが街で騒ぎや犯罪を起こした場合、自分たちで処分をした。
    その為の施設として学内に牢をもうけたのである。

    悪さをした学生を数日間入牢させ、食事は塩とパン、水のみを支給した。
    入牢中に学生たちは牢の壁や天井などに隙間なく落書きをしたと云う。

    それら200年間の積み重なった落書きは確かに見る者を驚かせる。
    落書きは似顔絵・入牢理由・自分の所属する学生団の理想や旗、ユーモア・ウィットにとんだ言葉などだと云う。

    とりわけ1901年7月2日から7日まで投獄されていた学生5人が描いた図が目を引いた。

    図の上部にはEiner fuer Alle, Alle fuer Einen!「一人は皆の為に、皆は一人の為に!」(三銃士の言葉)とあり、下部に名前らしきものと、“勿論、無罪だ(Natuerlich unschuldig)!!!!!(!)”とありましたが・・・。


    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ハイデルベルク城址はどこから見ても絵になる

    投稿日 2015年03月21日

    ハイデルベルク城 ハイデルベルク

    総合評価:4.5

    Heidelbergハイデルベルクの町はネッカー川と共にある。

    かのゲーテは“ここから(ネッカー川にかかるカール・テオドール橋=アルテ・ブリュッケ古橋)望む眺めには世界のいずれの橋も及ぶまい。”と、
    ネッカー川に架かる橋、古城、背景の緑の丘、赤レンガ色の屋根が連なる町並み、この一体化した景観を褒め称えたと云う。

    城址のテラスからの眺めも好ましく、ネッカー川畔から城址を見上げるのも、哲学者の道から見る城址・旧市街・古橋など一帯の景観も実に素晴らしい。
    城址にはワインの大樽、城門塔、アルタン(テラス)の“騎士の足跡”の伝説もあって、その話と共に見て回るのは楽しい。

    ハイデルベルク城址に残る2つの伝説・悪魔の一噛みと騎士の跳躍
    http://4travel.jp/travelogue/10992145

    伝説・ハイデルベルクの大樽から聞こえる幽霊音楽と小人ペルケオ
    http://4travel.jp/travelogue/10990445

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    3.0

  • ハーメルンの近郊10kmに『ほら吹き男爵の冒険』で有名なミュンヒハウゼン男爵家の居城がある。

    投稿日 2015年02月01日

    ハーメルン

    総合評価:5.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月19日(月) 212km、朝方は曇り空、ヒルデスハイムからは晴れ、13.5〜22℃

    今日から2泊するAerzenアエルツェン ・Schlosshotel Muenchhausen古城ホテル ミュンヒハウゼンに向かいます。

    05月19日(月)、05月20日(火)(2泊)
    Schlosshotel Muenchhausen古城ホテル ミュンヒハウゼン
    D-31855 Aerzen bei Hameln 、Schwoebber 9
    Tel:+49(0)4351-6666−475 、Fax:‐470
    http://www.schlosshotel-muenchhausen.com/

    2004年にオープンした古城ホテルは5星・全68室。 Comfort DZ im Schloss :ゴルフ場・庭園側ビューの201号室(3階)。Euro198X2=396(55,999円)。
    浴用ガウン・スリッパ有、広く、素晴らしい部屋に納得。
    但し、チェックアウトの際にガレージ代2日分Euro20が請求されていたのには吃驚して訂正してもらった。請求書は5星でもしっかりチェックが必要だ。

    <Schloss-Arrangement古城ホテル提供のアレンジメント>

    2 Uebernachtungen in einem Schlosszimmer Comfort本城内のコンフォート部屋に2泊
    2 x Gourmetfruehstueck 2回の朝食込み
    3-Gang Menue im Schlosskellerrestaurant 、am ersten Abend
    第一日の夕食はシュロスケラーにて3品料理
    Aperitif und 5-Gang -Menue im Gourmetrestaurant 、am zweiten Abend
    第二日の夕食はグルメ・レストランにてアペリティーフ付の5品料理
    zum Preis von 351,00 Euro pro PersonX2=Euro702 総額Euro702

    レストランRenaissance-Raeumenルネサンス・ロイメンはフランス料理を提供する(営業日は火~土)。また、ドイツ料理のSchlosskellerシュロスケラーもある。
    ルネサンス・ロイメンはミシュラン1星、ゴー・ミョ17点、Schlemmer Atlas “Spoon“4本・17.5点、ドイツランク76位。ルネサンス・ロイメンは1576年の創業だが、ミシュランの星は2004年のグルメ・レストラン開設以来10年間、1星を維持している。
    シュロスケラーはミシュランGM・12点、(ゴー・ミョの2014年は査定なし。かつては14点)、Schlemmer Atlas “Spoon“2本・13.5点、ドイツランク1453位。

    元々、Schloss Schwoebber シュヴェプバー城と称しており、ヴェーザー・ルネサンス様式の建築で、三翼をもつ、水城である。
    シュヴェプバー城はWeserberglandヴェーザーベルクラント(ヴェーザー山地自然公園)のアエルツェン村にある。
    笛吹き男の話で有名なハーメルンの近郊10kmにあって、8haの起伏に富んで小川が流れる公園とバロック庭園を持った城は世に良く知られていた。
    21世紀になり、16世紀の宮殿を改装し、シュヴェプバー城のかつての城主ミュンヒハウゼン男爵の名前を取って、今は古城ホテル ミュンヒハウゼンとなっている。

    ところで、古城ホテル ミュンヒハウゼンの“ロゴマーク”はAnanasアナナス(=パイナップル)です。古城ホテルのレストランのメニュー、請求書などにパイナップルがデザインされていますが、こうした古城ホテルには大変珍しいもので、かつての城主であるミュンヒハウゼン男爵の紋章とはもちろん違っていました。不思議でしたので調べてみると、Ananas-Denkmalアナナス(=パイナップル)記念碑が庭園前に立つ写真を見つけました。
    写真の碑文を読むと、“Zar Peter der Grosse von Russlandロシアのピョートル大帝Peter I(1672〜1725年)が1716年の夏に Schloss Schwoebber シュヴェプバー城を訪問した。城内庭園でアナナス(=パイナップル)の栽培がおこなわれていた。”とありました。
    この事を記念した碑から思うと、新しく出発を迎えた古城ホテル ミュンヒハウゼンが、“ロゴマーク”にアナナス(=パイナップル)を使用したのも分かる気がします。

    アナナス(=パイナップル)は18世紀の初めにヨーロッパ中央部に伝わったというもので、ロシアのピョートル大帝が当時、ヨーロッパの大きな植物の蒐集者であったことは1715年の頃には世上良く知られていたから、ピョートル大帝がシュヴェプバー城の客になった際、シュヴェプバー城のOrangerieオランジェリー(温室植物園)で栽培されていたアナナス(=パイナップル)に興味を持ったのも当然でしょう。 
    シュヴェプバー城の庭園は当時でも有名であったから、ピョートル大帝が訪れたのか、はたまたアナナス(=パイナップル)の栽培に興味があって来たのか?よく分かりません。
    もう一つの可能性を付け加えると、『ほら吹き男爵の冒険』で有名な、18世紀のカール・フリードリヒ・ヒエロニュムス・ミュンヒハウゼン男爵はロシア軍騎兵少尉となり、およそ15年を過ごしたという経歴から、大帝のシュヴェプバー城訪問の背景にある。さて・・・。
    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    30,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    5.0
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    5.0

  • バルラハの町ギュストローは魅力的な町(Barlachstadt Guestrow)

    投稿日 2015年01月17日

    その他の観光地

    総合評価:4.5

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月17日(土) 170km、晴れ、16.5℃、今日も天候に恵まれた。

    参考:
    ≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
    http://4travel.jp/travelogue/10883955

    Guestrowギュストロー: 10:43〜14:00
    http://www.guestrow.de/

    メクレンブルク・フォアポンメルン州の第二の都市。州都シュヴェリーンから北東に64kmの距離にある。
    人口28千人の町の創設者はメクレンブルク侯爵(治世1219~26年)Fuerst. Heinrich Borwin IIハインリヒ・ボルヴィン二世(ロストック侯爵・領主)である。
    現在、ギュストローはBarlachstadt Guestrowバルラハの町ギュストローと称しているが、個人名を町の名前に冠しているのも珍しい。

    (尚、Lutherstadtルーターの町と称する3つの町があるのも良く知られている。Wittenberg、Eisleben、Mansfeldである。)

    ?Guestrower Domギュストロー大聖堂:  
    12:30〜12:55  入場券・カメラEuro3
    http://www.dom-guestrow.de/index.php/de/

    聖マリア、聖ヨハネ、聖セシリアの大聖堂は1226年6月3日、メクレンブルク公Fuerst. Heinrich Borwin IIハインリヒ・ボルヴィン2世侯爵が建てたもので、北ドイツ独特の煉瓦造りゴシック様式の建物である。西塔は44mの高さである。
    歴史を感じさせる内部には15、6世紀のClaus Bergクラウス・ベルクのイエスの像、及びHinrik Bornemann(1495年)ヒンリック・ボルネマンのBornemann Altar祭壇がある。オランダの建築家Philipp Brandinフィリップ・ブランディンが作成したメクレンブルク家のStammbaum家系図も一見の価値がある。
    また、大聖堂の背面の壁にHerzog Ulrich von Mecklenburg-Monument&Epitaphメクレンブルク公爵ウルリッヒ(右)の記念碑および墓碑銘が見事な形で作られている。そこには最初の公妃Elisabeth von Daenemarkデンマークのエリザベート(中央)と2番目の公妃Anna von Pommernポメラニアのアンナ(左;バルト海南岸のポメラニアにあった西スラヴ系の公国、現ポーランドのStettinシュテティーンに首都があった。)の墓がある。
    更に1927年、エルンスト・バルラハは第一次大戦の犠牲者を悼んだ漂う天使(ドーム天使)を創った。教会内の内陣にこの天使は漂っていた。
    開館時間:月〜土 10:00~17:00

    ?Schloss Guestrowギュストロー城: 
    13:00〜13:50  入場料Euro10
    D-18273 Guestrow 、Franz-Parr-Platz 1
    http://www.museum-schwerin.de/orte/schloss-gustrow/

    ギュストロー城もシュヴェリーン城もそうだが、当時、力のあったスラヴ人がそれぞれの地にスラヴ風の砦を築いていた。ギュストローには1219年、西スラヴ人の砦が最初に築城された。その後、1229年から1436年までFurrsten von Werleヴェルレ侯爵(西スラヴ系)の代々の居城となっていた。
    ヴェルレ侯の死後、1436年、Herzogtum Mecklenburg Schwerinメクレンブルク・シュヴェリーン公爵(元々に遡るとスラヴ系の出身)がギュストロー城を第二の居城とした。
    ギュストロー城は1972年以来、中世、狩猟と武器や現代美術の北ドイツ芸術のための博物館として使用されている。庭園は珍しい事にルネサンス風だと云う。
    *1986年以来、シュヴェリーン州立博物館及びルートヴィヒルスト城博物館、ギュストロー城博物館の三州立博物館は一体の組織になっている。
    開館:火〜日、10:00〜17:00

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.5

  • ミルテンベルグの旧マルクト広場はドイツで最も美しいマルクト広場と謂われている

    投稿日 2014年12月11日

    マルクト広場(ミルテンベルク) ミルテンベルク

    総合評価:5.0

    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”
    (黒い森・バーデンワイン街道・高−上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森)
    2007年4月19日(木)〜5月3日(木)15日間の旅

    2007.05.01(火) 快晴 22℃涼しい  、 182km  :メーデー休日:

    真っ青の空、上天気が今日も続き、小オーデンヴァルトを今日はネッカー川から、北のマイン川に向かう。昨日、遠望したBurg Hornberg 、Burg Guttenburgを過ぎ、木組み建築の家並みで有名なMosbachの町を横目にみて、―>B27 38km Wallduern ―>B47 16km Amorbach ―>B469/L? 24kmとどんどん走り抜けて、メーデー休日で賑わうMiltenberg am Mainミルテンベルク・アム・マインの町(人口1万人)に着く。
    マイン川畔に設けられた駐車場はもう、結構な数の車で埋まっていた。

    ミルテンベルグは”Die Perle des Mains:マイン川の真珠”と呼ばれ、ドイツでもっとも美しい町の一つに数えられる。ロマンチックな中世の街は高台にMildenburgミルデンブルク城があり、旧市街の中心のHauptメイン通りには木組みの美しい家並みが続く、そしてドイツ人に大変好まれている旧マルクト広場を見ることができる。

    駐車場から道を横切り、街中に入ると左手に、広いマルクト広場がある。高い5月柱が中心に立っていて、5月の最初の日を再認識した。広場に面して新市庁舎があり、これから行く右手の旧市街とは明らかに町作りが違っていた。

    Haupt通りには木組みの美しい様々の家があり、良く保存されている。
    通りの中程には、ドイツ最古の王侯宿泊所として知られるGasthaus zum Riesenホテル・リーゼンが“美しい色合い”を見せている。フランケン地方色あふれた、12世紀開業のホテル・レストランである。(2001年、地ビール醸造のFaust zu Miltenbergが経営を握り、建物の大改装をすると共に新たな出発をした。Tel:49(0)9371-989948 http://www.riesen-miltenberg.de )
    パンフレットなどで見るホテルの木組みの色合いは大きく変わって、白かった壁、こげ茶色であった木の部分が、灰色がかった青に塗られていたのにはちょっと驚いた。焦げ茶が主体であるHauptstr.の木組み建築の家並みから、浮いた感じにも思われたが---。

    近くに旧市庁舎もある。1379年に町の検量所として、赤い砂岩で建てられたもので荷物の交易に利用されたとある。その門前に家内の背丈以上になる、マイン川の洪水の高さを示す表示板が立っていた。最も高い線は1845年のもので、近年は洪水の被害は無いようだ。

    その先に旧マルクト広場が16世紀の正義の女神像が立つ泉を中心に、素晴らしい木組み建築の家々に囲まれている。
    ミルテンベルグの旧マルクト広場はドイツで最も美しいマルクト広場と謂われているが、小ぢんまりとした中世の趣むきいっぱいの広場である。人々は泉の水をすくったりして、その周りで憩っていた。

    城への道はシュナッターロッホ広場を上がる道とシュロスガッセを行く道とあり、眺望の良さそうな後者を登る。
    登って行くにつれて、風景が開け、マイン川両岸の素晴らしい景色を心から楽しむ事が出来た。ドイツ人の言う、“麗わしの5月”の景色は目の前にあった。

    Mildenburgミルデンブルグ城の歴史は古く、12世紀の後半、マインツ大司教が東の防御として築城したと云う。30年戦争(1618〜48)ではスウェーデン軍の占拠などで、町も城も大きな被害を受けた。その後、再建されたが、1800年代になると城は何度も売却されて、所有者が変わり、漸く1979年以降は町の所有となった。

    城からの眺望は誠に素晴らしい。マイン川とマイン橋、教会など、この旅一番とも思われる写真が撮れた。
    もっと眺望が楽しめそうな、ここのBergfried天守閣(27mの高さ、1200年代の完成)に登るには2Euroが必要とある。
    城壁を登り、天守への橋を渡り、門扉を開けようとするが、なんと閉まったままだった。切符売る場を兼ねたカフェの小母さんに苦情を申し立てると、何処かに電話した後、彼女曰く『この城は町が管理者なのよ!鍵を持った担当者が開けておくのを忘れちゃったようだわ。悪いけど今日はメーデーで連絡がつかないの。』と言う。普通ならここで『申し訳ないわ。2Euroはお返ししますから!』とくるが、“門扉は町の責任だよ。貴方も城内の庭園に入って、城壁からの眺望も楽しんだでしょうから、それで満足してよ!“といった風である。
    こちらも”仕方ないか?!“と思いつつ、ちょっぴり反撃して、有料トイレの鍵を無料で借りた。数人のドイツ人観光客も登っていたが、この事を気にもしない風情だったのはどういうことなのか?!その事が面白い。

    聖ヤコブス教会は旧マルクト広場に隣接している。1830年建設の二つの尖塔をもった教会の姿はマイン橋から見ると、山腹に見えるミルデンブルグ城をバックにして見事な絵になる。教会内部にはキリスト受難のシーンを表現した木彫りの像が掲げられ、其々の像にはスペイン・聖ヤコブスの巡礼の道、イスラエルへの巡礼などを象徴する貝などが像に添えてあった。教会前の川縁は市立公園で、マイン川観光船の船着場にもなっている。

    Mainbrueckeマイン橋(1898年完成。第二次大戦で破壊されて、1950年に再建されたと言う。)から見るマイン川は川幅も100mはあろうか、水量豊かにゆったりと流れている。両岸の赤い屋根の家々、木々の緑、川の青と、色のコントラストが美しい。
    橋の上から、中世然とした街の眺望をもう一度楽しんで、次の町Michelstadtミッヒェルシュタットに向かう。(11:05〜13:50)

    XXX

    旅行時期
    2007年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ミルテンベルクで一番のレストラン・ドイツ最古の王侯宿泊所として知られるホテル・リーゼン

    投稿日 2014年12月10日

    Gasthaus zum Riesen ミルテンベルク

    総合評価:4.5

    ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)

    12月14日(月);曇り、0.0~1.5℃、206km

    ≪昼食:Gasthaus Zum Riesenホテル・リーゼン≫
    D-63897  Miltenberg  、Hauptstr. 99
    Tel:49(0)9371-989948    
    http://www.riesen-miltenberg.de

    大皿に載って出てきたHirschgulasch鹿肉のグラッシュを久しぶりに堪能した。
    炒めたジャガイモ添えは家内、私はシュペッツレ添え。飲み物はリンゴジュース。
    1、2階で140席、夏場は外に60席。  13:00~13:50  Euro32。 

    12世紀創業。ドイツ最古の王侯宿泊所として知られるホテル・リーゼンはこの町一番のホテル・レストラン。独特の色合いをした木組み建築の家はなかなかのもので、フランケン地方色あふれた、ホテル・レストランである。
    (2001年、地ビール醸造のFaust zu Miltenbergが経営を握り、建物の大改装をすると共に新たな出発をした。)

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    5,000円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    4.5

  • 時間があったらニュルンベルクの橋巡りも楽しい:お気に入りはマックス橋

    投稿日 2014年12月07日

    マックス橋 ニュルンベルク

    総合評価:4.0

    ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)

    12月12日(土);晴時々小雪が舞う、0.5~3.0℃、87km

    <ニュルンベルクの橋巡り> ; 15:30~16:30

    Hallertorbrueckeハーラートアー橋、Maxbrueckeマックス橋、Fleischbrueckeフライシュ(肉)橋、Karlsbrueckeカール橋(上下)、Kaiserbruecke皇帝の橋、Museumbruecke博物館橋、Spitalbrueckeシュピタール橋。

    冬場の橋巡りは・・・と思いつつ、夕食までの時間つぶしもあって、ペグニッツ川の両岸を行きつ、戻りつしながら、試みて見回った。

    気にいった橋はMaxbrueckeマックス橋、大きな切り妻屋根のワインハウス、四角い塔は貯水塔、塔と中州を結んだのは白い漆喰壁の石橋、中州から向う岸を結ぶのは木橋で、景観が良い。

    ただ、中州には死刑執行人の塔があり、この石橋は“死刑執行人の橋“の異名がある。

    XXX

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.5

jijidarumaさん

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33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

現在33の国と地域に訪問しています

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現在12都道府県に訪問しています