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jijidarumaさんのクチコミ(29ページ)全659件

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  • 伝説となったバルト海の海賊王クラウス・シュテルテベッカーの野外劇

    投稿日 2016年08月07日

    海賊シュテルテベッカーの野外劇 リューゲン島

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    参考:
    ≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
    http://4travel.jp/travelogue/10883955

    毎年6月中頃から9月初めにかけて行われるStoertebeker Festspielシュテルテベッカー時代野外劇の舞台は古城ホテル ラルスヴィーク城のテラス下に見える。

    1993年以来、Seeraeuber Klaus Stoertebeker海賊クラウス・シュテルテベッカーを主人公とする時代野外劇を行うようになった。2014年の開催時期は6月21日から9月6日の間。

    帆船の登場、ヴァイキングたち、戦士の戦い、鷹匠によるショー、花火の打ち上げなど、中々面白そうな催し。  

    http://stoertebeker.de/

    Klaus Stoertebekerクラウス・シュテルテベッカーはハンザ都市の市民なら誰でもその名を知っていた伝説の海賊である。
    Vitalienbruederヴィタリエンブリューダーという海賊団の頭であり,14世紀末に北海・バルト海を荒らしまわってハンザの船乗りを恐怖に陥れた。
    1399 年のハンザ会議で諸都市共同による海賊掃討が決定され、メンバーのハンブルクも「Bunte Kuhまだら牛号」を主にしたハンブルク船隊を派遣し、ヘルゴラント島でシュテルテベッカーを捕縛した。

    彼は1401年にハンブルクのグラスブローク通りで斬首された。その時、彼は首なしの状態でも歩いたと云われている。

    このバルト海の海賊王は伝説となって、今日でも数多くの書物に姿をあらわしている。

    XXX

    ご参考に:
    ≪バルト海の海賊王は首なしで歩いた:クラウス・シュテルテベッカーの伝説≫

    http://4travel.jp/travelogue/10962949

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    施設の快適度:
    4.0

  • シュトラールズント:船乗りの守護神である聖ニコライ教会

    投稿日 2016年08月02日

    聖ニコライ教会 シュトラールズント

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    参考:
    ≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
    http://4travel.jp/travelogue/10883955

    05月14日(水) 227km、曇り空、時々シャワー 13℃、相変わらず寒かった。

    <St. Nikolaikirche聖ニコライ教会>
    14:35~15:00

    市庁舎の裏手にある聖ニコライ教会は改装中だが、費用の寄進として入場券Euro4を払う。
    シュトラールズントの3つの教会の中で最も古いのがアルターマルクトに立つ聖ニコライ教会です。

    船乗りの守護神である聖ニコライの教会として1276年に建設されている。
    1662年に大火災を被り、1667年には新たに堂々とした103mの南塔を作っている。

    ニコライ教会のポータル、大聖壇(1480年製)、説教壇(1611年)、船底型の天井、教会の内壁を彩る美しい線とハンザ都市の紋章や聖人画、宗教画、パイプオルガン(1841年製)など、美しい色合いだったので、こちらはもう改装が終わっているらしい。

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • シュトラールズント:アルターマルクトにかつての貴族や大商人の建物が立つ

    投稿日 2016年08月02日

    アルター マルクト (シュトラールズント) シュトラールズント

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    参考:
    ≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
    http://4travel.jp/travelogue/10883955

    05月14日(水) 227km、曇り空、時々シャワー 13℃、相変わらず寒かった。

    ≪Hasestadt Stralsundハンザ都市シュトラールズント≫
    13:47~16:12
    http://www.stralsund.de/

    世界遺産【2002年登録】の町の人口は約5万8千人。約55km南西にロストック、85km南にノイブランデンブルクがある。
    バルト海に面し、水と島に囲まれたシュトラールズントはハンザ同盟時代の繁栄を色濃く残す美しい中世の町である。
    14世紀におけるハンザ同盟の栄光と富がシュトラールズントの歴史地区ほど、はっきりと見て取れる場所はないという。
    歴史的な旧市街に大事に保存されてきたレンガゴシック様式の建築物がこの町を特徴づけている。

    ノイアーマルクトからメンヒ通り、オッセンレイヤー通りとブラブラお店を見ながら行く。その先にAlter Marktアルターマルクトがあり、ハンザ都市ヴィスマール&ロストックにあったような貴族や大商人の建物が見られた。

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • シュトラールズントの聖マリエン教会はハンザ同盟各都市の同名の教会中、最も大きなレンガ教会だ。

    投稿日 2016年08月02日

    聖マリア教会 シュトラールズント

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    参考:
    ≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
    http://4travel.jp/travelogue/10883955

    05月14日(水) 227km、曇り空、時々シャワー 13℃、相変わらず寒かった。

    Frankenteichフランケンの池沿いにFrankenwall フランケンヴァル(フランケンの城壁)通りがあり、Weingarten Bastionワインの園・稜堡の駐車場は比較的空いていた。

    ここから徒歩で旧市街に入り、Marienchorstrasse マリエンコール通りを行く。左手に104mの塔を持つ聖マリエン教会(聖マリア教会)が立っていた。

    <St. Marienkirche聖マリエン教会(聖マリア教会)>
    14:00~14:20

    聖マリエン教会はNeuer Marktノイアーマルクトにある。
    シュトラールズントの最も大きい教会で、1298年に初めてその名が記録されている。
    最初の教会は1382年に塔の崩壊で破壊されているが、今見る教会は1384~1478年の当時のものである。
    1647年まで、教会の塔は151mあったそうですが、現在のものは1708年、高さ104mのバロック様式で建てられた塔になっている。
    当地のマリエン教会はハンザ同盟各都市にあるマリエン教会の中で最も大きなレンガ教会だと言われている。

    また、シュトラールズントはEuropaeische Route der Backsteingotikヨーロッパ・レンガゴシック街道のメンバーであり、この街道は国境(デンマーク、ポーランド、ドイツ)を越えて通る全長1,500kmのルートです。

    それはハンザ同盟都市の影響が大きかったバルト海沿岸の地域で、レンガゴシック様式の中世からの建築遺産を結んでいます。

    かつての旅で、今回の旅で訪れたドイツのレンガゴシック街道の町々は以下の通りになります。
    Flensburg、Schleswig 、Luebeck、Lueneburg、Wismar 、Stralsund 、Insel Ruegen、Neubrandenburg、Guestrow、Schwerin 。

    http://www.eurob.org/

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ハンザ都市シュトラールズントのシンボル

    投稿日 2016年08月02日

    市庁舎 (シュトラールズント) シュトラールズント

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)
    05月14日(水) 227km、曇り空、時々シャワー 13℃、相変わらず寒かった。

    <Rathaus市庁舎>
    14:30~14:35

    ノイアーマルクトからメンヒ通り、オッセンレイヤー通りとブラブラお店を見ながら行く。
    その先にAlter Marktアルターマルクトがあり、ハンザ都市ヴィスマール&ロストックにあったような貴族や大商人の建物が見られた。

    広場の中心に北ドイツ一と称される、美しいファザードを持つ現役の市庁舎が立っている。外観のファザードも私の好みでいえば、リューベックの市庁舎の方が好ましい感じだ。

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ローレライセンター:ライン川を見下ろす展望台から蛇行する流れや船の行き来を眺める。

    投稿日 2016年07月22日

    ローレライセンター ドイツ

    総合評価:4.0

    “ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    05.15(月)  ほぼ晴れ 午後になっても、20℃前後。
    今日はライン川の右岸城巡りを予定している。B9の対岸である、B42に沿ったコブレンツまでの“ライン川下り”です。このルートも名前が付いており、ドイツ最強の白ワインとして名高い、ワインの産地である、“Rheingauer-Riesling-Route”ラインガウ・リースリング・ルート“と称されている。

    St.Goarhausenザンクト・ゴアーハウゼンの町の上にはライン谷で最も美しく、バランスの取れた猫城(1370年カッツェンエルンボーゲン---“ネコの肘”伯が築城)があり、ラインの難所として知られた、Loreleyfelsenローレライ“妖精の岩”と132mのその山頂にはローレライセンターがある。

    St.Goarhausenの街中から坂道をぐるっと上がり、“LoreleyBurgenstrasse”山道を、凡そL338・K89->13km登る。
    丘の上は平らで、Berghotel Auf der Loreleyの大きな駐車場もあり、観光バスも来ている。ちょうど、ここで、1500kmを走ったとメーターが表示している。行程の4分の3を走ったわけだ。

    11:12、ホテルにレストラン・カフェもあり、遠足の子供達がアイスを食べて、歓声を上げている。 私共もテラスのパラソルの下で、軽い昼食にする。
    “アスパラのスープ、グラッシュに其々パン。リンゴジュース”と簡単だが、お腹には充分。(9Euro)

    ホテルの庭から、ラインを見下ろす展望台に行き、鉄柵から、身をのり出して、ライン川の蛇行する流れや船の行き来を眺める。

    いつもは下からばかり見上げていたので、上から見るのは妙なものである。日差しも明るくなって、ライン川とブドウ畑の眺望が素晴らしい。対岸のラインフェルスやシェーンブルグの城、下流方向にネコ城が良く見える。

    ローレライの岩:
    水面から高さ132mという巨岩が川に突き出している。ここでラインは川幅113mと、最も狭まる。深さは25mとなり、渦を巻いた流れの川床には岩礁が横たわる。行き交う舟人達にとって最大の難所となり、そのために伝説が生まれた。

    XXX

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.0

  • 変哲もないローレライの岩山

    投稿日 2016年07月22日

    ローレライの岩 ライン川流域周辺

    総合評価:4.0

    40年以上前の夏の休暇旅行(ロマンチック街道:南独、オーストリア、スイス巡り)

    1975年8月9日~8月19日 10泊11日 夏の休暇に

    赴任して、家族を連れて最初に行きたかったのはロマンチック街道であり、更に東に走りバイエルンの州都ミュンヘン、私が学んだゲーテ・ドイツ語学校のあったキムゼー湖畔のプリーンでした。
    その後、オーストリアに入りザルツブルク、チロルのインスブルックを訪ね、いったんドイツの新白鳥城を見て、リヒテンシュタイン公国、スイスのチューリッヒ、ルツェルン、人気の高い山ユングフラウヨッホに登山列車で登り、氷河を見て、首都ベルン等の地を巡った盛りだくさんの旅でした。

    ロマンチック街道は、その後も何度か訪れ、昔を思い出しながら、各町を訪れたのです。

    8月19日(火)
    =>B42・9 Der Rheinライン川の古城巡り:
    Auf Schoenburgシェーンブルク城に登る。ライン川畔に建つ古城ホテルの中でも最も人気の高いホテルと言われ、何時か泊ってみたいものだ。
    この城はロマンティッシャーライン(世界遺産)の中ほどにあたり、Oberweselオーバーヴェーゼルの町の上にある美しい中世の城である。

    対岸にLoreleyローレライの岩山を見る。

    Burg Katzネコ城、Burg Mausネズミ城、Schloss Rheinfelsラインフェルズ城(こちらも古城ホテル)、Marksburgマルクスブルグ城は現存する中世の城の中で、最も完全な姿を残している。
    独特の形状をしたマルクスブルグ城は現在、ドイツ古城教会の本部がある。・・・などなど名前が一致しないままの古城群を遠望しながら、時に停まり、また走った。

    XXX

    旅行時期
    1975年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ネルトリンゲン・聖ゲオルク教会に残る隕石と塔守と豚の伝説

    投稿日 2016年07月20日

    聖ゲオルク教会の塔 (ネルトリンゲン) ネルトリンゲン

    総合評価:4.0

    ≪Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅≫

    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅

    “生きている完全な中世都市”と称されるNoerdlingenネルトリンゲンはローテンブルクの町から南に80kmの距離にある。
    この町も1500万年前に直径1000mの隕石が落下・衝突によって形成されたと云われる25kmのリース盆地にあって、かつての新教派の帝国都市である。
    中世城塞都市の環状の城壁が14世紀に建てられ、5つの門、11の塔と共に、今もほぼ完全に保存され、この町をぐるりと囲んでいる。

    この町でもいまだに城壁を夜警が見回るのだと云う。しかも城壁の回廊を歩いて一周できる町は広いドイツでもネルトリンゲンだけなのだ。人口は21千人。

    ディンケルスビュールの教会と同じ名前の聖ゲオルク教会内部には隕石の衝突跡の岩石があると、観光本に書いてあった。

    ・・・が、良く分からないので、74歳の老女に聞いてみると、
    “こっちだ!”と、説教壇の柱傍の、見た目は普通の石段を指して、
    “これが隕石から作った石段だよ。”と教えてくれた。

    ≪Die Sage・Turmwaechter:トゥルムヴェヒター(塔守)と豚の伝説≫

    聖ゲオルク教会の塔には塔守が住んでいる。塔の上から火事や敵の襲来を見張ってきた者で1490年に塔が建って以来の歴史的存在でもある。
    現在はロマンチック街道上の町々では観光化して、夜警の夜の観光ガイドとして、知られている。

    さて、聖ゲオルク教会の塔守は塔の上から、一晩中、1時間毎に“So G’sell so!ゾー、ゲゼール、ゾー”と叫ぶ。“オーイ、仲間たちよ!”といった感じで叫ぶらしい。

    だが、これには古い話が言い伝えられているそうだ。
    話は1440年の頃に遡る。
    近郊の領主がネルトリンゲンの町を手に入れようと、この町に夜襲をかけてきた。領主の兵たちは町の城壁の周囲に密やかに集まり、夜襲の機会をうかがっていたそうだ。
    所が、町の東にあるLoepsinger Torレプジンガー門の脇で遅くまで働いていた織物工の女房が、豚が一匹、門から逃げ出して行くのを見つけ、とっさに“So, G’sell so!ゾー、ゲゼール、ゾー”と大声で叫んだ。

    この地方の方言で豚の事をSauザウと言っていたそうで、詳しくは“So, geht Sau Soゾー、ゲー、ザウ、ゾー!・・・ほら!豚が行く!ほら!”というわけだ。
    織物工もそいつを聞いて、慌てて同じように大声で騒いだ。それで町中が大騒ぎとなったと・・・。
    吃驚したのは城壁を囲んで、イザ攻撃と思っていた敵兵たちでした。町の人に気付かれたと、これも慌てて逃げて行ってしまった。

    Turmwaechterruf "So, G`sell, so!" 塔守の叫び声(合図)“ゾー、ゲゼール、ゾー”:
    この事から、以後“So, G’sell so!ゾー、ゲゼール、ゾー”が塔守の合言葉になり、今も塔の上から叫んでいるのだと云う。】

    (2012年8月27日;訳・編集)

    以前は見ることが無かった„豚”が町の観光名物として、街中に見られる。

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.0

  • ラボー:ドイツの誇り・Uボート(潜水艦)博物館、傍にドイツ海軍記念館と海軍記念塔

    投稿日 2016年07月06日

    ドイツ海軍記念館 キール

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月13日(火) 205km、晴れ時々曇り 13℃、相変わらず寒かった。
    キール14:15出発 =>L?・B502・L? 20km Laboeラボー 14:50〜16:00 


    キール湾も深く切り込んだ湾で、ここに海軍基地があったのも肯けるが、湾の先っぽにLaboeラボーの町がある。

    ≪Laboeラボー≫
    14:50〜16:00
    人口5000人、今はキール湾・バルト海に面した洒落た保養地になっている。
    ドイツ第一のキール軍港には潜水艦基地がおかれ、湾の岬の先端にLaboeラボーにその名残がある。

    第二次大戦で活躍したUボート(潜水艦)博物館、ドイツ海軍記念館、高さ85mの海軍記念塔がある。

    ≪Uボート博物館≫ 15:10〜15:30 入場券Euro8

    Deutscher Marinebund e.V.
    D-24235 Laboe 、Strandstrasse 92
    http://www.deutscher-marinebund.de/u995_geschichte.htm

    ドイツ海軍記念館の傍の海岸にあるUボート博物館にお目当てのドイツ潜水艦U995(1070t)が展示されている。
    潜水艦U995は第二次大戦後期の1943年7月にハンブルグで建造・進水となった。
    長さ67.2 m、幅6.2 m、喫水4.8 m、高さ9.6 mと、近くに寄ってみると、やはり大きいなという実感がある。1400馬力6気筒ディーゼル機関2基。
    甲板砲37mm 1門(砲弾220発)、対航空機対策として20mm双連機関砲2基を備え、魚雷発射管5門(艦首4門、艦尾1門)を常備していた。

    戦歴:
    1944年6月〜作戦に従事(哨戒9回)、
    1944年5月21日 シェトランド諸島北東沖にて英飛行艇の攻撃を受け損傷、
    1944年12月29日 北極海にてソ連掃海艇「T-883」を撃沈、
    1945年3月2日 北極海にてソ連駆潜艇「BO-224」を撃沈。
    戦争末期の1945年5月8日にU-995はノルウェーのトロンハイムで被弾し、英軍に降伏し、その後1948年10月にノルウェーの船主に引き渡された。
    1952年12月にU995はノルウェー海軍の潜水艦「Kauraカウラ」として現役を継続、1965年に退役した。
    その後、1ドイツマルクという象徴的な価格で西ドイツへ売却され、
    1971年10月にラボー海軍記念館(Laboe Naval Memorial)で博物館船となった

    艦橋、中央指令室、士官室、下士官室、乗員寝室兼休憩室、通信・レーダー室、機関室、トイレ、厨房などがあるのだろう。

    居住スペースよりも長い魚雷が艦内では目立ち、ともかく艦内は狭い、息苦しい、乗員約50人がいたとすれば、大変なことだったと想像する。
    後ろから入り、艦内を前に進み、前方の出口から降りる。外の空気が新鮮に感じた。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

    <ラボーにある海軍記念館と58m高さの展望塔>
    第一次大戦後、海軍の戦没者を祀る記念館として、1927年に着工された。地下には記念ホールがあり、戦没者の霊を祀ってある。
    当初は海軍のみであったが、1954年に一般の海事関係者の霊も祀られるようになった。戦争で失われた船舶名、歴代のドイツ海軍旗、海軍の全船籍のプロフィール、代表的な舟の模型などが展示されている。 

    展望塔は85mの階段を上り、高所恐怖症にはとても怖い(実際はエレベーターもある)と聞いて、外観のみを見て帰った。

    XXXXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.5

  • キールの聖ニコライ教会を訪ねた目的はバルラハの「闘う天使」(1928年作品)を見ることだ

    投稿日 2016年07月06日

    聖ニコライ教会 (キール) キール

    総合評価:4.5

    北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
    メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る
    (2014年05月09日~23日  15日間)

    05月13日(火) 205km、晴れ時々曇り 13℃、相変わらず寒かった。

    St.Nikolai-Kirche聖ニコライ教会: 12:45~13:20
    船乗りや商人の守護神である聖ニコライの教会として1242年に建設されている。
    19世紀後半、ネオ・ゴシック様式で建て替えられた聖ニコライ教会は第二次大戦で大きく損傷し、1950年に再建されている。

    教会を入ると右手にライオンの像が支えている青銅の洗礼台がある。1344年と古いもので、青銅の周囲の面には青銅鋳造者であるヨハン・アペンゲターにより描かれたキリストの一代記などが見て取れる。
    1460年の大聖壇、小さなキリスト洗礼の聖壇(1490年)もあり、ここには内側の扉4面に福音書著者であるマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの聖人4人が描かれ、裏側の4面には4人の天使の姿が描かれている。
    1705年に作られた説教壇を支える聖人クリストファー、パイプオルガンは1965年製と新しい。

    今回キールの町を訪れた理由の一つが、聖ニコライ教会前にある、バルラハの「Der Geistkaempfer闘う天使」(1928年作品)を見ることだ。
    人口28千人の町GuestrowギュストローはBarlachstadt Guestrowバルラハの町ギュストローと称しているが、個人名を町の名前に冠しているのも珍しい。このギュストローにはバルラハ博物館があり、見事な作品が展示されている。
    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.5

  • ラインガウ:“ワインの使者”の騎馬像が立つヨハネスベルグ城にはブドウ畑とライン川を見下ろすテラスレストランがある

    投稿日 2016年06月26日

    Schloss Johannisberg リューデスハイム

    総合評価:4.5

    2006.5.“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間
    <使用レンタカー>
    メルセデス・ベンツ C-220-D 2200CC ディーゼル オートマチック

    05.16(火)  曇り後徐々に快晴 18~28℃ 、 100km (ここまで、1711km)

    Burghotel Auf Schoenburgシェーンブルグ城に2泊して、ライン川の両岸とラインガウ地域を回った。11:40、L?->5km 、Eltvilleエルトヴィレ・マインツ選帝候の城(Turm)があるが、そのまま通過し、->9km、懐かしい眺めが目に入る。
    なだらかなブドウ畑が丘の上まで続き、一帯はまだ柔らかい葡萄の葉が風にそよいでいる。Geisenheim-Johannisberg 12時着。

    ≪Schloss Johannisbergヨハネスベルグ城≫
    817年、カール大帝がこの地に葡萄の植付け令を発して以来、ブドウ畑のこの山にベネディクト派によって、Sankt Johannザンクト・ヨハン礼拝堂が建ち、やがて修道院となった。その後、この丘の建物を“ヨハンの城”つまり、ヨハネスベルグと呼ぶようになったと云う。
    ラインガウのリースリング・白ワインの中でも最優良ワインを産出する事で有名で、内庭にはフルダへの“ワインの使者”の騎馬像があり、ワインの製法にまつわる、謂れを今に伝えている。
    館のクリーム色の壁に見事なフジの蔓が延び、薄紫の花をつけ、石楠花の白い花が満開になっていて、美しい。ブドウ畑には太陽の光りの下、小さな葡萄が元気良く育っている。

    <昼食:Johannisberg城のテラスレストランで>

    ブドウ畑とライン川を見下ろすテラスレストランは最高の場所で、素晴らしいものだ。
    20年以上前に、此処で食べた“血のソーセージ”の味が忘れられない。レストランはきれいになり、大きな窓ガラスに四方を囲まれ、日差しも充分に取り入れた明るい、上品なレストランになっていた。
    メニューも大きく変っていて、ソーセージのような軽い料理は無く、通常のレストランメニューになっていたのは残念!でした。
    テラス左手の端に席があり、開かれた窓から入ってくる5月の風がとても心地良い。

    さて、定番ながら、“アスパラ料理、オランダ風ソース、ジャガイモ添え“を頼み。飲み物は家内がオレンジ・ジュース。私はSekt・シャンパン入りオレンジ・ジュース、ヨハネスべルグの辛口・白を0.2Lのグラスワイン“にする。
    最後に私はコーヒーで、頭をシャキットしたつもりでしたが?!!      
    (12:00~13:30、51Euro)

    xxx

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.0

  • “シュペッサートの森の真珠”と謳われるメスペルブルン城(水城)

    投稿日 2016年06月24日

    メスペルブルン城 その他の都市

    総合評価:4.5

    “ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”           
    期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅

    第一日:7月14日(火) フランクフルトは 薄曇り 24.0~27.5℃ 76km 

    Frankfurtフランクフルト空港A3・46km=>(Aschaffenburg)A3・16km=>Weibersbrunnヴァイバースブルン(女の泉)L?6km=>HessenthalヘッセンタールL?8km=>Mespelbrunn ・Schlosshotel Mespelbrunn 古城ホテル メスペルブルン城

    *久しぶりにリーメンシュナイダー作品があるPfarrkirche Hessenthalヘッセンタール巡礼教会を訪ね、さらに数キロ走ると、Mespelbrunnメスペルブルンだ。
    ここも変哲もない、小さな山村だが、村の通りを東に入る道を行くと、“シュペッサートの森の真珠”と謳われるメスペルブルン城(水城)という、小さな、美しい古城がある。
    しかもフランクフルトから行程第一目の宿泊先が76km程度の距離にある水城そばにある古城ホテル メスペルブルン城(かつては森林監督官が建てた宿)というのもたいへん便利だ。
    ホテル到着は17時、予定通りである。メスペルブルン城(水城)に行ってみた。
    17時には閉門で、もう人の姿はない。まだ明るい周辺を散策し、鉄柵越しに写真を撮ってみたが、前回2009年のようにはいかないものの、水城の景観が撮れた。

    XXX
    (09:00~17:00、入館・ガイド料 Euro 5x2)
    “シュペッサートの森の真珠”と謳われるメスペルブルン城は周辺の緑の森に囲まれ、塔を中心に左右に城館があり、手前には城を取り巻く池がある。2羽の白鳥が池で泳ぎ、池の中にも鯉?か、鱒のような淡水魚が群れているのが水面下に見える。
    古城は曇天で、暗く、陰鬱に見えてしまい、ちょっと寂しい。ここはガイド付きのみの見学でガイドさんが若いドイツ人の女の子とオランダ人と思われる男の子のカップルと私どもを12時半から30分、城内ガイドをしてくれた。

    1階のRittersaal騎士の間は甲冑などが展示されて、狩猟の獲物も飾られている。ステンドグラスは一族の系譜を紋章で描いている。残念なことに雨漏りが見られて、大変な様子が窺がわれた。
    2階は城主一家のかつての住まいであったとか、暖炉や絵画、武具などが見られた。2階では写真が禁止だったのは残念。

    外に出ると1564年に結婚した城主・花嫁の姿が玄関の一角に彫られている。面白かったのはこの城を造った親方?の彫像が、軒下に髭をはやした裸の座像として彫られていた事だ。
    20mほどの塔には(昔の緊急時の避難塔だが)、中間の所に入口が付き、今はそこへの階段もあって、塔内に登れるようになっている。

    この城の歴史:
    1412年にマインツの大司教が騎士のHermann Echterヘルマン・エヒターに自らの所有地の山林の監督を命じたことに始まる。1427年には城壁、塔などを備えた城郭ができたが、長い間の平和の期間を経て、ルネサンス風の水城に改築された。
    現在見る城の大部分は1564年に結婚した城主・花嫁である、Peter Echter von MespelbrunnとGetraud von Adelsheimペーター・エヒター、アデルハイム家のゲトラウト夫妻に負う所が多い。1569年から18年をかけて現在の姿にしたと云う。
    この一族で最も有名なのはJulius Echter von Mespelbrunnユリウス・エヒター・メスペルブルン侯でWuerzburgヴュルツブルクの領主司教となり、ヴュルツブルク大学を創設し、マリエン大要塞を強固なものにした事で知られている。
    1576年、彼によって、Juliusspitalユリウスシュピタール施療院も設立されている。

    1648年、最後の女系であったMaria Ottiliaマリア・オッティリアはPhlipp Ludwig von Ingelheimフィリップ・ルートヴィヒ・インゲルハイム(ラインガウ)と結婚する。
    彼はその後に伯爵の位に登り、皇帝の許しを得て、両家の名前と紋章を統合した。
    現城主はGrafen von Ingelheim genannt Echter von und zu Mespelbrunn(インゲルハイム伯爵・エヒター・メスペルブルン)という長い長い名前を用い、水城の南翼の一角に住んでいると云う。 

    (以上は2009年4月に訪れた時の記録)

    旅行時期
    2015年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.0

  • フレンスブルクの水城・“幸運の城”グリュックスブルク城を訪ねて

    投稿日 2016年06月21日

    グリュックスブルク城 フレンスブルク

    総合評価:5.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月12日(月) 244km、朝から大雨(午後時々晴れ間)10~14℃

    <Flensburgフレンスブルク>
    http://www.flensburg.de/

    フレンスブルクはドイツ最北の町である。
    デンマークとの国境に10kmと近いため、随所にその影響がみられる。町並みはバルト海に通じるフレンスブルク・フィヨルドの湾の奥から西の丘に続いている。

    近郊のグリュックスブルク城は北ドイツの名城のひとつに数えられている。
    この城もその昔から、一度は訪れたいと思っていた城だが、名城という以上にその城を彩る華麗な家系に驚かされた。

    ≪Schloss Gluecksburgグリュックスブルク城≫

    10:50~14:10 入場料Euro13
    D-24960 Gluecksburg  、Am Schlosssee 1
    http://www.schloss-gluecksburg.de/
    博物館;織物、革加工品などの民俗資料のコレクション。休日なし、10~18時。
    見学10:50~13:00、日本語説明のオーディオあり。撮影不可。
    駐車料金Euro2。

    広い湖水に浮かぶような城は実に美しく、石橋を渡ると城門がある。

    この城は3つの連接した3階建ての白い本館で、4隅に塔が立っている。
    3個の6角の塔、赤い屋根が目立つ城館は“幸運の城”の名前通りに全く戦いの備えが無い。
    (もっとも近年、観光客用に備えたと思われる大砲が置いてあったが。)

    三方を水に囲まれた北欧ルネサンスの水城・グリュックスブルク城はフレンスブルクの町から18kmにあり、Herzog Johann III. von Schleswig-Holstein-Sonderburg公爵ヨハン3世シュレースヴィヒ・ホルシュタイン・ゾンダーブルク家(1545 -1622年)が1583~1587年にかけて築城したものである。

    “Gott gebe Glueck mit Frieden ・・・「 GgGmF」神は平和と共に幸運を与える。”との城の名前の所以ともなった言葉が今も入口ポータルの紋章上に見ることができる。

    1階緑の玄関の間、その先奥のバロック風地下教会(1717年に改装)、30年戦争の戦死者供養の聖壇、1857年製パイプオルガン、それぞれ見事な色彩である。

    2階の赤の大広間は長方形で18世紀の壮麗なもので、天井に漆喰細工の子供たち(城のこどもは23人いたとか?)が見える。
    たいへん珍しいことに花や天使風にアレンジされて中央に様々な子供の顔があった。赤の間の左右の部屋は衣装の間、寝室、デンマーク王家の人物画、家族用の小さな食事の間などがある。

    3階には大きな白の間があり、晩餐会の為の部屋であるが、今はコンサートなどに利用されている。
    左右に王子や王女たちの部屋。壁いっぱいにかけられたゴブランの間、18~9世紀の陶磁器、銀器、
    訪れたドイツ最後の皇妃アウグステ・ヴィクトリアを囲んだ宴会の再現(皇妃や妹Caroline Mathildeカロリーネ・マチルダ公妃、一族、使用人たちの人形)、
    19世紀のシュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争(デンマークXプロイセン・オーストリア)の歴史展示、公爵家とヨーロッパ王家の家系図、人物画、武器の展示、

    あるいは屋根裏部屋では城で働く従者・召使たちの仕事の仕組みを人形で表示していた。

    ≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
    http://4travel.jp/travelogue/10883955

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.0

  • メルヘン・シュロスとして知られ、広大な緑の中に立つ古城ホテル トレムスビュッテル城に泊まった

    投稿日 2016年06月13日

    Hotel Schloß Tremsbuttel ハンブルク

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    参考:
    ≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
    http://4travel.jp/travelogue/10883955

    05月11日(日)(1泊)
    ?Ringhotel Schloss Tremsbuettel古城ホテル トレムスビュッテル城
    D-22967 Tremsbuettel 、Schlossstrasse 10
    Tel:49 (0) 4532 264-0  、Fax:49 (0)4532 264-14
    http://www.tremsbuettel.de/

    リングホテル系列・4星・全50室(但し、メインのSchloss本棟は11室。
    224号室(3階)、庭園側ビュー(本館真中)。浴用ガウン・スリッパ有。
    DZ im Schloss =Euro155+朝食17x2=189(27,016円)。

    ハンブルクの北北東40kmにある古城ホテル。キールに向かう21号アウトバーンに乗り換えてすぐに18番出口で下りると、トレムスビュッテル村である。
    人口は1968人。

    シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の南部に位置するトレムスビュッテル村の中心部にトレムスビュッテル城があり、ハンブルクとリューベックの中間にあるメルヘン・シュロスとして知られている。ホテルの庭園は82,000平方メートルもあって、城館と共に文化財保護の対象になっている。

    Schloss城館本棟のほかに、田舎風な部屋のKonsulatコンズラート(領事)、現代風の部屋があるAkademieアカデミー(学術研究)と言ったホテル棟があり、11室しかない城館本棟をカバーしている。
    夕食用のレストランには “Luiseルイーズ”*、昼食やお茶用レストランに利用した“Wiener Kaffeehausヴィナーカフェーハウス”の二つがある。

    トレムスビュッテル城の歴史・人物たち:

    13世紀の頃はWedelヴェーデル家が築城した水城であったと云う。
    16世紀にはシュレースヴィヒ・ホルシュタイン公爵家の狩猟用の宮殿として利用された。18世紀初めには無住となったが、1780年頃にクリスチャン・シュトルベルク伯爵により新古典主義様式のHerrenhaus城館が建設された。
    その後、多分この城館は破損し、新しい所有者によって、1893・4年にユーゲント・シュティール(Jugendstil)及びネオ・ルネサンス様式のHerrenhaus城館が建てられた。
    *Graefin Augusta Louise zu Stolberg-Stolberg アウグスタ・ルイーズ・シュトルベルク伯爵夫人はGraf Christian Stolbergクリスチャン・シュトルベルク伯爵の妹にあたる。
    彼女はクリスチャン・シュトルベルク伯の友人であった詩人・作家のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと活発に文通をしたことで知られている。
    彼女はゲーテの文学史上のGustchen(小さな喜び!)であったと云われている。

    尚、かの有名な“ビートルズ”が1966年6月26日、ハンブルク公演の後、この古城ホテルに滞在し、古城のバルコニーから集まったファンの歓声に応えた。


    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    15,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.5

  • ハンザ都市周遊の後はリューベック名物のレストラン”船員組合の家”で夕食

    投稿日 2016年05月29日

    シファーゲゼルシャフト リューベック

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    1989年の来日以来、16年ぶりに旧交を温めるべく、ブレーメンのS御夫妻を訪問し、ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・エリカ街道(塩の道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡る、盛りだくさんの旅。
    全行程 : 2087km 

    2005年4月21日(木)〜5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4/24 (日) 快晴 294km 

    本日は一日を利用し、リューベックと1295年にハンザ同盟を結んだWismar、Rostock、Stralsundの北方三都市のうち、ヴィスマール、ロストクを訪ね、帰途Schwerinシュヴェリーンを経由して、リューベックに戻るというコースを走った。

    <使用レンタカー>
    Renaut Espace R157−ディーゼル2200cc Automatic、7人乗りのバンは大きすぎて駐車に苦労した。

    18:00シュヴェリーンを予定より、30分遅れて、帰途に。リューベックには一時間程かけて、19:15まだ明るい内に到着する。凡そ300kmの回遊ドライブとなった。

    ≪夕食はHaus der Schiffergesellschaft船員組合の家≫

    1535年に建てられた由緒ある館。歴史を感じさせる内装。天井から船具や、いろんな船を---どっしりとした大きな模型を吊り下げている。
    美味しい北ドイツ料理が名物という。
    観光客でいつも一杯となるので、午後8時近く、予約無しで大丈夫かと心配したが、何とか壁際の席に案内される。今日も日本人はいないようだ。

    店の中の照明は少々暗いので、メニューを見るのに苦労する。魚料理が名物(後述参考)と聞いているが、あまり魚を得意としていない私は、迷ったが挙句、またまた、“シュパーゲル(白アスパラ)料理”にオランダ風ソースに、ジャガイモ、ハムとサラダ添えをメインに頼む。

    二人とも本日のスープを頼むと、やや硬めのアスパラと魚を小さくきざんだスープが出てきた。家内のメインは当店名物の7種類の魚をパイ皮で包んだ揚げ物2本と温かいキャベツ、コールラビ、人参等の甘酢サラダを頂く。

    Jever Pils;ピルスビール 0.3+0.4Lも美味しい。(夕食代合計はEuro48.80)

    21時、Klassik Altstadt Hotel(3星・Euro120)クラシック・アルトシュタット・ホテルに帰る。

    XXX

    参考:
    この店も北ドイツの名物であるMatjesマチェス(若ニシンの塩漬け)をて提供すると言う。残念ながら、今は旬の季節ではない。マチェスの美味しい季節は6月です。
    マチェスとは産卵前の若いニシンを塩とオイルで漬け込んだもので,旬の季節は6月〜7月なります。
    所謂、ドイツの春の名物料理“シュパーゲル(白アスパラ)料理”の旬の季節(4月から6月)に少々遅れて出現するわけです。

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    5,000円未満
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.5
    料理・味:
    4.0

  • ブレーメン:名物店“猫のカフェ”は一度来てみたかった。

    投稿日 2016年06月10日

    Katzen Cafe ブレーメン

    総合評価:4.5

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月10日(土)曇り、小雨(ドイツ特有のシャワー)が度々。13〜15℃、寒い一日

    Schnoor-viertelシュノーア地区には15〜6世紀に建てられた小さな間口の狭い木組みの家などが、細く、曲がりくねった石畳の路地に立ちならんでいる。
    金銀細工、手作りの工芸品やおもちゃ、骨董品等のお店があり、しゃれたカフェ・レストランもあって、散策するには大変楽しい地域だ。
    その中に名物店„Katzen-Cafe 猫のカフェ”がある。店の赤いテント下にもテラスレストランがあるが、私共は2階の予約席に上がった。

    ≪(夕食)Katzen-Cafe 猫のカフェ≫
    19:00〜21:40
    D-28195 Bremen 、Schnoor 38
    Tel: 0421−32 66 21
    http://www.katzen-cafe.de/

    給仕長お勧めのハウスカクテルを飲む。
    ワインはSさんのセレクトで2012Grauer Burgunderの辛口白Markus Pfaffmann・プファルツ 0.75Lでした。

    料理は昼の中華が多かったので、考えた末、メインとデザートだけを注文した。
    ? メイン:
    私が子羊の料理、インゲン・ジャガイモ添え。家内とSさん夫妻は舌平目料理。
    どちらも大きめな量でしたから、2品だけで十分でした。

    ?デザート:
    私がアナナスのシャーベット、家内はレモンのシャーベット。

    カフェと称するレストラン“Katzen-Cafe猫のカフェ”は明るい、一種独特の雰囲気のある名物店で料理もお酒も美味しく、大変満足した夕食になった。

    この夜も観光客を含め、お客で賑わっていた“猫のカフェ”は一度来てみたかったレストランであり、Sさんが私共の意向を受けて事前に予約してくれました。

    その上、この日の夕食はご馳走になってしまった。

    次回は私共がご馳走することとして、ブレーメンの再訪を約束して、お別れすることになった。

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    友人
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    5.0
    サービス:
    5.0
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    4.5

  • ブレーメン:旅でドイツ飯に飽きたら、中華が一番。

    投稿日 2016年06月10日

    ナンキング ブレーメン

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月10日(土)曇り、小雨(ドイツ特有のシャワー)が度々。13~15℃、寒い一日

    <(昼食)南京飯店>
    14:00~15:30  Euro20(2,645円)
    D-28199Bremen 、Hankenstrasse 20~22
    Tel:0421‐171825

    ベックス・ビール醸造所を見学して、シュミット市長橋を戻って、宿泊ホテルに近づいた辺りの横丁に中華店があった。
    友人のSさん夫妻は時々利用しているようである。
    安くて、美味い中華料理に、ビール工場見学でお腹が空いていたから、腹いっぱいになるまで食べてしまった。

    ジャスミン茶、北京スープ、大きな春巻
    チョプシー(牛肉とキノコ、魚のフィレなど3皿)

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    友人
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    4.0

  • ブレーメン:歴史的な旧市街の中心に歩いて10分の小さなホテル

    投稿日 2016年06月10日

    ホテル シュタット ブレーメン ブレーメン

    総合評価:4.0

    北方二州を巡る
    2014年05月09日~23日  15日間

    05月09日(金)、05月10日(土)(2泊)
    ??Hotel Stadt Bremen(Garni)ホテル シュタット ブレーメン
    D-28195 Bremen 、Heinkenstr. 3-5
    Tel:49 (0) 421 94 94 10 、Fax:49(0)421 9494110
    http://www.hotel-stadt-bremen-garni.de/

    3星(Garni朝食のみ)・全17室。Booking.Comで2泊予約した。
    2階の120室はホテル正面側の道路に面した部屋でした。
    2泊Euro178+朝食5x4=198(28,350円)。

    ブレーメンの歴史的な旧市街の中心部に徒歩10分、ヴェーザー川から徒歩わずか2分です。小さなCity-Hotelでしたが、予想したよりも部屋は広く、こぎれいなもので、スタッフも親切でした。

    尚、夕食は無いので旧市街などで食べる必要がある。
    また、ブレーメン空港からも近く、ホテルまではタクシーを頼んだ(Euro15)。
    レセプションの担当者に私の名前を言っても“予約がない”と言われて少々慌てる。
    ここのレセプションの予約台帳には私の名前が姓ではなく、名前で登録されていたため、すぐに見つからなかったようだ。

    旅行時期
    2014年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.0

  • フランス:田園の中の古城ホテル ベルティシェール城

    投稿日 2016年05月27日

    Chateau De Berticheres ピカルディ地方

    総合評価:4.0

    ≪生まれて初めてフランスの古城ホテルに泊まる≫
    旅行時期 1974/04/12 - 1974/04/15
    イースターの休みに、帰国をひかえて業務引継ぎ中であった前任者Nさんにメルセデスの3500ccスポーツタイプの最高級車に乗せてもらい、パリ、モーゼル下りに連れて行ってもらった。

    この時初めてフランス・パリの北西(車で50分)にある古城ホテル ベルティシェールChateau Hotel de Berticheres(F-60240 ‐Chaumont-En-Vexinショーモン アン ヴェキシン)に泊ったのでした。 

    ベルティシェール城は16世紀にルネサンス様式で建設された。その後度々改装を加えられたが、1999年歴史的建造物として登録されている。
    かつてブルボン家の支流・コンデ公爵(ルイ14世の兄弟)の住居であった。

    当時のパンフレットを見ると、3星の古城ホテルで、1968年にホテル開業とあるが、ゴルフ場の表記は無い。
    http://www.golf-de-chaumont.com/index.php/fr/

    現在のホテルを調べてみると、4星・全17室のこぢんまりしたホテルでした。このホテルには18ホールのゴルフ場、レストラン、および屋外プール、テニス、乗馬、ペトンクなどの施設があるようだ。

    旅行時期
    1974年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    友人
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    3.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    3.0
    客室:
    4.5

  • ハンガリー:ドナウベンドからセルビア人がつくった街センテンドレへ

    投稿日 2016年05月22日

    センテンドレ ドナウベント

    総合評価:4.0

    中欧4カ国周遊の旅 
    プラハ => ウイーン => ブラチスラヴァ => ブタペスト
      2003.11.26(水).~ 12.03(水) 8日間 

    12月01日(月):相変わらずの曇天。摂氏8度。

    *ハンガリーの首都、ブタペスト(総人口1000万人で、ブタペストは約200万人が住む。
    97%が騎馬民族の末裔と言われるマジャール人。)は大きな街だが、“ドナウの真珠”あるいは“ドナウの女王”、また、“ドナウのバラ”“中欧のバラ”とも呼ばれる美しい街である。
    この街はハンガリー盆地のほぼ中央に位置し、歴史に翻弄された街でもあり、このため、西ヨーロッパほどに近代的ではなく、チェコほど中世の街並みが残ってもいない。マジャール人の移動が9世紀頃で、1000年には、ハンガリー王国が誕生する。
    その後は蒙古、オスマントルコの襲来があり、オーストリア、そして、ソ連と支配者が入れ替わり立ち代りやってきた。黄金期はパプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー二重帝国時代の19世紀と言われている。

    1830年のプレスブルグにおける最後の戴冠式以降は、マチャーシュ教会でハンガリー王国の戴冠式が執り行われた。因みに、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝も此処で、戴冠式を挙げた。ヨーゼフ皇帝の美貌の皇妃、エリザベートは異国情緒あふれる、ハンガリーを愛して、この地にしばしば滞在した事もあって、今でもハンガリー国民の人気が高く、鎖橋の下流にかかる橋を“エリザベート橋”と名付けている。
    鎖橋は1849年にブタとペストの両岸を始めて結ぶ橋として完成し、夜にライトアップされた姿は市民や観光客の人気も高い。

    オプショナルツアーはドナウの川沿いの歴史的なリゾート地“ドナウベンド”の観光と夜の食事とその後の“ドナウ川のクルーズ”です。
    14:00に出発し、途中、ローマ時代の都市の遺跡である、アクインクム遺跡を横に見ながら、ブタペストの近郊にバスで向かう。凡そ60分の行程、ドナウ河畔の小さな、こぎれいな別荘を横に眺めながら、ヴィシェグラード(高みの要塞の意)の街に着く。
    標高377mの山頂にある要塞に登る。此処ではスロヴァキアとの国境にそって、東に流れてきたドナウ川が、いったん南に、そしてまた北にと蛇行した後、ブタペスト方面に南下していく。昔から交通の要衝であり、14、5世紀のハンガリー王国にとっても、重要な地であった。要塞からはこのドナウの曲がりくねったところが一望である。
    13世紀頃より、山麓に王宮が立ち、現在は15世紀のマチャーシュ王の建てた夏の宮殿跡が残っている。
    要塞には建国の祭りにでも使うのか、王の小屋、王座があって、王の気分?!で王座に座った写真を撮る。

    ドナウベントの南の入口にあたる、センテンドレ(15:25~16:10)に至る。
    14世紀、トルコの襲撃から逃れた、セルビア人がつくった街である。
    街の中央にギリシア正教教会、セルビアの十字架がある。もう暗くなった街には、各種の民族衣装、ハンガリー刺繍の民芸品を売る店が立ち並んで、観光客を呼び込んでいる。
    今は若い芸術家が多く住み着いた街として、知られている。もっと明るい時間であれば、30分の短いウインドウ・ショッピングでも、楽しくできたのに。
       
    夕食(18:30~20:00)は天皇陛下のハンガリーご訪問時にご利用になったと言う、ハンガリー料理のお店に。“Magnaskert Etterem”という名前でした。
    ジプシー音楽も奏でられていて、趣のあるレストランです。ハンガリー料理の代表的な料理である、“グヤーシュ・スープ”---パプリカがたっぷり入った肉と野菜のスープです、ドイツでもグラッシュ・ズッペと言って、このハンガリー流のスープを好んで食べます---を楽しみました。ハンガリーワインも飲む。

    このツアー最後の夜は、ドナウ・クルーズ(20:10~55)でしめくくります。
    ブタペストの夜景は王宮や国会議事堂、鎖橋など、歴史的な建造物にイルミネーションが飾られて、たいへん美しい。
    市街地中心部からスタートし、北はドナウの中洲である、マルギット島、南は自由橋---以前、フランツ・ヨーゼフ皇帝の名前をつけていた由---の先まで、一周する。
    観光の最盛期である夏場には食事、フロアーショー付きクルーズもあって、遅い22:00頃のスタートになるそうだ。

    XXX

    旅行時期
    2003年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

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