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ティリーシャンツェ 施設情報・クチコミに戻る

「ハン・ミュンデン攻城戦」を記念したティリー砦と呼ばれる展望塔が、旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にある。

  • 4.0
  • 旅行時期:2019/09(約12ヶ月前)
jijidarumaさん

by jijidarumaさん(男性)

ハン・ミュンデン クチコミ:11件

<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

③Tillyschanzeティリーシャンツェ(ティリー砦):
Tillyschanzenweg 4

旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にティリーシャンツェ(ティリー砦)と呼ばれる展望塔がある。フルダ川と赤い屋根の旧市街の展望を楽しめそうだが、いまだかつて登った事が無い。もう70代半ばにもなると、メンドクサイのだ。
今日も遠くの写真を撮っただけだ。

ティリーシャンツェ(ティリー砦)は三十年戦争時(1626年)、キリスト教旧教派の皇帝軍の名だたる将軍ティリー伯によるミュンデン攻城戦を記念し、1881年から1885年に建設されたと云う。最近の研究によれば、ティリー伯は大砲をこの高地ではなく、フルダ川の川岸に配置したとの事で、あまり必然性のない展望台になってしまったようだ。
いずれにせよ、このティリー将軍は旅先の各地に出没する歴史的有名人だ。

さて其の攻城戦だが、世にいう「ハン・ミュンデン攻城戦」は1626年6月9日から、5日間の砲撃の末、「血の聖霊降臨祭(キリストの復活のできごとから50日目)」と呼ばれる日になった。この日、10,000人にのぼるティリー伯の軍勢にミュンデンの町は占領され、800人のデンマーク人守備隊と、ほぼ町の人口にあたる2,000人の住民が虐殺された。
砲撃に対して脆弱だった城塞も原因だったと云う。

Johann T’Serclaes Graf von Tillyヨハン・セルクラエス・グラーフ・フォン・ティリー伯爵(1559年~1632年)は、ブラバント公国のヴィレス・ラ・ヴィル(現在のベルギー・ブラバン・ワロン州)出身の将軍、傭兵隊長。三十年戦争ではバイエルン軍を率い、カトリック連盟と帝国軍の両方の最高司令官を務めた。
敬虔なカトリック信徒で「甲冑をまとった修道士」と呼ばれた。

ティリー伯は三十年戦争における1632年4月15日のドイツ・「Schlacht bei Rain am Lechレヒ川の戦い」で命を落とした。(レヒ川はオーストリアとドイツを流れる川。ドナウ川の支流で全長264km)
この戦いはスウェーデン王グスタフ2世アドルフ(1632年11月16日のライプツィヒ南西、「Schlacht bei Luetzenリュッツェンの戦い」で戦死)率いるスウェーデン軍及びプロテスタント諸侯の連合軍と、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍が交戦し、スウェーデン軍が勝利した。
この戦いでティリー伯は負傷、その傷は重く破傷風を併発し、バイエルンのインゴルシュタットで死去した。

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施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
観光の所要時間:
1-2時間
アクセス:
2.5

クチコミ投稿日:2020/06/16

いいね!:5

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