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ティリーシャンツェ Tillyschanze

建造物

ハン・ミュンデン

観光の所要時間:
1-2時間

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ティリーシャンツェ https://4travel.jp/os_shisetsu/10333774

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施設情報

施設名
ティリーシャンツェ
英名
Tillyschanze
住所
  • Tillyschanzenweg 4, 34346 Hann. Münden
営業時間
11:00~18:00
休業日
月曜日、11月~イースターの月~木曜日
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光
  2. 建造物

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(5件)

ハン・ミュンデン 観光 満足度ランキング 4位

3.28

アクセス:
2.67
コストパフォーマンス:
4.00
人混みの少なさ:
4.00
展示内容:
2.50
  • 満足度の高いクチコミ

    市街地の絶景が樹木に遮られていて、いまいちでした。

    4.5

    フルダ川沿いの山の中腹に建ち、ハンミュンデンの街を見下ろす展望塔です。8月中旬の夕方6時過ぎに登りました。携帯のMapsm...  続きを読むeにTillyschanzeと入力し、示されたルートに沿って登って行ったのですが、どういうわけか違ったところに誘導され、途中の分岐点まで引き返し、たまたま出会った人に教えられて、なんとか行きつくことが出来ました。塔のそばにはレストランがあるので、空腹のまま飲み物を持たずに登ったのですが、レストランはすでにクローズしていて、がっかりでした(飲み物は必須です)。塔の前やすぐ下の空き地からは、赤い屋根の市街地を見下ろすことが出来ましたが、途中の樹木が剪定されずに伸び放題だったため、木組みの家の壁の部分やフルダ川が隠されてしまい、景色としてはいまいちでした。7年前に同じ場所から撮影された方の写真では、家並みの壁や川も見えていたので、コロナ禍で訪れる人が少なかったために、樹木が大きくなっても手がはいらなかったかもしれません。なお、途中道幅が狭かったり、暗かったりするところがあり、女性一人で訪れるのはお勧めできません。  閉じる

1~4件(全5件中)

  • <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    ...  続きを読む
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ③Tillyschanzeティリーシャンツェ(ティリー砦):
    Tillyschanzenweg 4

    旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にティリーシャンツェ(ティリー砦)と呼ばれる展望塔がある。フルダ川と赤い屋根の旧市街の展望を楽しめそうだが、いまだかつて登った事が無い。もう70代半ばにもなると、メンドクサイのだ。
    今日も遠くの写真を撮っただけだ。

    ティリーシャンツェ(ティリー砦)は三十年戦争時(1626年)、キリスト教旧教派の皇帝軍の名だたる将軍ティリー伯によるミュンデン攻城戦を記念し、1881年から1885年に建設されたと云う。最近の研究によれば、ティリー伯は大砲をこの高地ではなく、フルダ川の川岸に配置したとの事で、あまり必然性のない展望台になってしまったようだ。
    いずれにせよ、このティリー将軍は旅先の各地に出没する歴史的有名人だ。

    さて其の攻城戦だが、世にいう「ハン・ミュンデン攻城戦」は1626年6月9日から、5日間の砲撃の末、「血の聖霊降臨祭(キリストの復活のできごとから50日目)」と呼ばれる日になった。この日、10,000人にのぼるティリー伯の軍勢にミュンデンの町は占領され、800人のデンマーク人守備隊と、ほぼ町の人口にあたる2,000人の住民が虐殺された。
    砲撃に対して脆弱だった城塞も原因だったと云う。

    Johann T’Serclaes Graf von Tillyヨハン・セルクラエス・グラーフ・フォン・ティリー伯爵(1559年~1632年)は、ブラバント公国のヴィレス・ラ・ヴィル(現在のベルギー・ブラバン・ワロン州)出身の将軍、傭兵隊長。三十年戦争ではバイエルン軍を率い、カトリック連盟と帝国軍の両方の最高司令官を務めた。
    敬虔なカトリック信徒で「甲冑をまとった修道士」と呼ばれた。

    ティリー伯は三十年戦争における1632年4月15日のドイツ・「Schlacht bei Rain am Lechレヒ川の戦い」で命を落とした。(レヒ川はオーストリアとドイツを流れる川。ドナウ川の支流で全長264km)
    この戦いはスウェーデン王グスタフ2世アドルフ(1632年11月16日のライプツィヒ南西、「Schlacht bei Luetzenリュッツェンの戦い」で戦死)率いるスウェーデン軍及びプロテスタント諸侯の連合軍と、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍が交戦し、スウェーデン軍が勝利した。
    この戦いでティリー伯は負傷、その傷は重く破傷風を併発し、バイエルンのインゴルシュタットで死去した。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      閉じる

    投稿日:2020/06/16

  • 塔に着く手前の道からの眺めが最高

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/11(約7年前)
    • 1

     旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にティリーシャンツェと呼ばれる塔がある。ここに行くには旧市街の南門から出て西に進み、...  続きを読むフルダ川にかかる大きな橋を渡ると建物の間に登り口がある。
     塔の建つ場所までは20分ほどかかるが、木々が視界を妨げるので旧市街の眺望は塔に登る必要がある。それより塔の建つ場所の直下に視界が開ける場所があり、フルダ川と赤い屋根の旧市街の展望を楽しむのはこの場所からで十分である。  閉じる

    投稿日:2019/05/04

  • ハンミュンデンの街並みが望めます

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    ハンミュンデンの街並みを見たくて駐車場から頑張って登りました。秋だったので、途中で娘とどんぐりや栗を拾いながら頂上を目指し...  続きを読むました。眺めは、少々霧がかっていましたが、とてもきれいでした。私達が行った時は閉まっていましたが、近くに小さなレストランもありした。  閉じる

    投稿日:2016/10/30

  • 旧市街が一望できる絶好のポイントです。

    • 5.0
    • 旅行時期:2014/03(約12年前)
    • 1

    1626年のティリー伯によるミュンデン攻城戦を記念して1881年~1885年に建設された。
    塔に上れるそうですが塔の前か...  続きを読むらでも充分素晴らしい眺望がたのしめます。
    Unterer Tanzwerder という中州にかかる小さなつり橋を渡って行くことができます  閉じる

    投稿日:2014/11/30

1件目~4件目を表示(全5件中)

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