《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシ...
続きを読むェ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭
シュヴェツィンゲンはバーデン・ヴュルテンベルク州の北西部、ハイデルベルクの南西約13km、マンハイムの南東約15kmにある。その二つの町を結ぶ古城街道上にある。
シュヴェツィンゲンの地域は元々ヴォルムス司教領であったが、12世紀にライン宮中伯・プファルツ選帝侯の支配下となった。1439年に初めて人口が記録され、その数はなんと230人であった。今は人口22千人のそれなりの町になっている。
この町はシュパーゲルの産地である。
<Schloss Schwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿>
この旅49番目の城 入場券Euro10
“プファルツ地方の小ヴェルサイユ”と称される宮殿(かつてのWasserburg水城)である。1350年、ライン宮中伯ルドルフ2世が居城とした。
三十年戦争およびプファルツ継承戦争で、この城は破壊された(1689年)が、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムと、その後継者によって再建された。
1720年にカール3世フィリップはハイデルベルクから一時的にシュヴェツィンゲンに宮廷を移し、1742年からは夏の宮殿として、増築がなされた。
1750年にプファルツ選帝侯Kurfuersten Karl Theodorカール・テオドールにより、城の広大な庭園72 haを含む“新しい都市”の設計がなされ、建設が行われた。
1752年には城内劇場(500席のRokokotheaterロココ劇場)がオープンした。
1777年にプファルツ選帝侯からバイエルン選帝侯になると、カール・テオドールは1778年に宮廷をミュンヘンに移し、シュヴェツィンゲン宮殿は長く捨て置かれた。
手前の宮殿からずっと先に広大なフランス風・イギリス風庭園が広がって、それはなかなかのものだ。園内にはムーア様式のモスク、人工廃墟、大理石の浴場、壮麗なアポロ神殿など、ヴェルサイユやシェーンブルク宮殿に見たようなものが造られている。
【シュパーゲルはシュヴェツィンゲン宮殿とも縁が深い】
ドイツでは"Volksgemueseフォルクスゲミューゼ(ドイツ人に最も好まれる野菜)" と呼ばれているほど、季節になると好んで食べる。
春の旬、シュパーゲル(白アスパラ)はこの欧州ではローマ時代から栽培された記録があるそうだ。ドイツのシュパーゲルの季節は4~6月下旬が食べ頃です。
(例年4月の上旬頃に始まり、6月の洗礼者ヨハネの祝日に終ります)
18世紀のドイツでは白いSpargelシュパーゲル(白アスパラガス)を“白い金”と呼び、王侯貴族の食べ物であったそうだ。その歴史は古く紀元前2000年に遡ると云う。
因みにアスパラガスはラテン語から来ているそうで、エジプト、ギリシャ、ローマといった時代からの野菜である。
中世には薬用効果の高い、特に足の“痛風”には良い野菜として尊重され、痛風持ちの仏・太陽王ルイ14世も好んで食した事から、“王の野菜”とも称された。
(尚、現代では、アスパラギン酸は栄養ドリンクにも含まれ。疲労回復、滋養強壮に効果があるとされる。また、穂先に含まれるルチンは血行を良くし、高血圧、動脈硬化予防にも良いと言われている)
1700年代になって、ハイデルベルグとマンハイムを本拠としたプファルツ選帝候の夏の離宮シュヴェツィンゲン宮殿に於いて、シュパーゲルを栽培し、王侯貴族に提供したとされている。
一般市民の間で食されるようになるのは19世紀も中頃になってからだと云う。
(2009.06.07.完)
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投稿日:2021/12/07