nichiさんのクチコミ(67ページ)全2,189件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2018年11月23日
-
小山城からの景色は素晴らしく、牧之原台地を一望に売ることができます。
投稿日 2018年11月22日
-
投稿日 2018年11月22日
-
投稿日 2018年11月22日
-
ちょうど、チューリップまつりを開催中でしたが、すでにほとんど散っていました。
投稿日 2018年11月22日
-
投稿日 2018年11月22日
-
投稿日 2018年11月22日
-
投稿日 2018年11月22日
-
投稿日 2018年11月22日
総合評価:3.0
この時期は閑散としていますが、夏はかなりに賑わうんだろうなー
4月22日には、草競馬が開催されるようです。
松林の防砂林があり、雰囲気があります。
ググってみると、ここは静かな波で、かなり遠浅のの海のようです。- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
小堤山公園は、6~7世紀の横穴墓古墳で、公園の上からの景色もいいです。
投稿日 2018年11月22日
-
投稿日 2018年11月22日
-
投稿日 2018年11月22日
総合評価:5.0
舐めてました!
この資料館、凄い!
20分から30分だけ見学するつもりでしたが、結局1時間以上ゆっくり拝見しました。
中は撮影禁止。
入場料は210円×2名
牧之原市資料館のスタッフの方が色々説明してくださいました。
地元のヒーローである田沼意次について。。
正直最初は、「ヒーロー??」と言う感じでした。
だって田沼意次と言えば贈収賄の老中と言うイメージが強くて。。
しかし、スタッフのお話を伺って史実を知ると、ここ牧之原では偉人であることが判ります。
そもそも老中としての田沼意次は、殖産興業などきわめて正統的な政治を行ってきた老中で、平賀源内や杉田玄白とも親交のあった蘭学を大事にした老中でもあった訳でして。。。。
スタッフの手作りと思われる「相良の城」というブロッシャーを頂きました。
この内容の詳しさと濃さにビックリ。
4Pの中身を夫婦で熟読してしまいました。
これ、キチンと印刷すればいいのに。。。
承久元年(1,113年)に藤原為憲が、遠江の国相良荘に移って居を構えました。
そこで「相良」を名乗ったのが最初です。
相良氏はここで5代82年間平田城を居城とします。
場所は、相良駅の北側で少し高くなった辺りでは?と言われているとのこと。
その後、1,193年に相良氏は九州球磨郡多良木に移ります。
理由はいくつか書かれていますが、私たち夫婦にとって興味深かったのは、曽我五郎・十郎兄弟の工藤祐経への仇討ちが(有名な曽我兄弟の仇討ち)絡んでいることでした。
地元では「ジョウの原」と呼ばれている標高70mに300平米の大地が相良町の北西にあります。滝堺古城と言われています。山谷の絶壁を利用した屈強な要塞であったようで、勝間田氏領の最西端にありました。勝間田義清と言う武将の城であったようですが、伝承の域は出ていないようです。
でも、ロマンがあります。
相良町北東に堺新城と言われる城がありました。牧之原台地の東南端に位置します。武田信玄が、大井川を越えて遠江に侵攻し築城しました。長篠の合戦で武田が敗れた後は廃城となっていたようです。
そして相良城!!
武田勝頼が築城しました。
後に田沼意次が近代城郭として建て直しました。
明和4年(1,767年)に10代将軍徳川家治より築城の命を受け、安永9年(1,777年)に落成。この着工から完成までの10年間、いつ石垣ができていつ大手橋が完成して、いつ井戸ができてなど、事細かく記載されています。
東西500m、南北450m 約7万平米。
武田勝頼時代の御殿を本丸として、北東を流れる萩間川、そして北西を流れる天の川を外側の自然の堀としていました。
その中に二の丸、三の丸の堀を角型に巡らした平城でした。
石垣の石積みの積み方まで細かくこの資料に記されていました。
しかし、天明8年(1,788年)相良城取り壊しが決定。
江戸中期にこのような見事な城が築城されたことは他に例を見ません。
僅か8年しかなかった見事なお城でした。
「田沼意次の話」
この資料もスタッフの手作り資料。
中身が濃く、興味深く、読み応えのある資料でした。
これもきちんと印刷すればいいのに。。。
やはり、田沼意次と言えば、「賄賂老中」のイメージが強く、そんなにいい印象はありませんでした。
しかし、相良藩主の田沼意次は、進歩的で領民思い。
1.城下町の整備
2.産業の奨励(養蚕、塩づくり、瓦製造他)
3.天明の基金対策
4.田沼街道(城下町から大井川を渡って藤枝まで道路を造り、領民の便をはかった。
?相良港の整備(江戸や大阪の船が立ち寄りやすくなり、経済が発展した。)
今でも相良の人たちのヒーローのようです。
郷土の偉人として紹介されていました。
牧之原市資料館のスタッフの方にも色々お話を伺い、田沼意次に対する印象が少し変わりました。
ちなみに、相良城内にある相良中学校の校章は、田沼意次の威光にあやかり田沼家の家紋である「七曜紋」をモチーフしたものになっているそうで、同校の体育大会と文化祭を総称して「七曜祭」と言うそうです。
びっくりーーー!!- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2018年11月22日
-
投稿日 2018年11月22日
-
海沿いにある、夏のピークは予約が難しい会員制リゾートホテルです。
投稿日 2018年11月22日
総合評価:4.0
建物は少し古いけど、よく整備されており、スタッフも素敵です。
和洋室に泊まったのですが、バルコニー側に和室があるタイプでした。
室内温水プールがあり、ゆっくり楽しみました。
レストランはビュッフェではなくコース料理を戴きましたが、リーズナブルで美味しかったです。
敷地内にナイター設備があるテニスコートが6面あります。
「ゴーセンカップ・ スウィングビーチ牧之原国際レディースオープンテニストーナメント」の会場にもなっています!- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 5,000円未満
-
第2東名の新静岡インターを出て、安倍川沿いをコンヤ温泉まで北上しました。
投稿日 2018年11月21日
総合評価:3.5
大雨が降っていましたが、安倍川沿いを北上しました。
安倍川は総延長53.3 kmの一級河川です。
一級河川でありながら、ひとつもダムが無い珍しい川です。
「あべかわ餅」はそもそもこの川沿いで売られていた餅のことだそうです。- 旅行時期
- 2018年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2018年06月28日
総合評価:4.5
雪景色が残る時期の銀山川沿いの12軒の宿の週末はなかなか予約が取れません。
本当は一番人気の能登屋に泊まりたかったのだけど、人気で取れません。
で、銀山温泉の中でも能登屋の次に人気のある古勢起屋別館に泊まりましたが、満足でした。
堂々たる木造4階建ての外観です。
古勢起屋は、初代小関吉左衛門が慶長の頃、米沢より当銀山温泉に越し、両替商を営み始めました延宝の頃から造り酒屋と醤油屋を主な生業としていたとのこと。
そして天保の頃、湯治宿を開業したようで、この頃から「古勢起屋」の屋号を名乗っています。
天保と言えば、江戸時代の水野忠邦の時代ですね。
八代目古勢起屋吉左衛門は先代当主を現古勢起屋別館のある場所に分家し、名を吉次郎として湯治宿を始めました。
現在は、十四代目 小関吉左衛門が継いでいます。
3階の部屋からの景色は銀山川を挟んでの景色。
左から能登屋旅館、永澤平八と言うお宿、大滝と言う銭湯が並んでいます。
3つとも大正建築の古ーいもので絵になります。
エントランスやフロントなどノスタルジックでした。
部屋は前室もある2間続きの広い和室です。
着物姿の仲居さんが奥でお茶を入れてくださいました。
風呂は1階と地下に2種類。
時間で男湯と女湯が入れ代わります。
これがまた大正時代のもので、ノストラジックです!
夕食は2階の会場で。
旬の天ぷら、山形黒毛和牛のステーキ、鰆の西京焼き、牛しゃぶなどがメインでした。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2018年06月28日
-
投稿日 2018年06月28日
-
投稿日 2018年06月28日










































































































































































