「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
期間 : 2011年05月13日(金)~0...
続きを読む5月27日(金)15日間
5月17日(火);午前中小雨、のち曇り、夕方に晴間、18℃、104km
Berlinベルリン観光②
10:30~15:30
今日の市内観光の目玉は博物館島である。Neues Museum新博物館、Bode Museumボーデ博物館、Pergamon Museumペルガモン博物館を見たが、結局、以下の2博物館は省略した。
Altes Museum旧博物館(フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の蒐集したギリシャ・ローマの芸術品)、Alte National Gallerie旧国立美術館 (旧ナショナルギャラリー;19世紀の彫刻から絵画)
時間がもう一日あれば、ラファエロ、ボッティチェッリ、ブリューゲル、フェルメール、レンブラントの絵画の展示されたGemaeldegalerie絵画館(ポツダム広場)や、ホーエンツォレルン王家の城の中で最も大きく最も豪華なものと云われるSchloss Charlottenburgシャルロッテンブルグ宮殿(Luisenplatz)に行っても良かったが、以前行っているので、今回は割愛した。
15時半、パークハウスを出て、ポツダム広場からポツダム通りB1を走って帰ることになった。時間も早かったので、車の流れはまずまず。
<Glienicker Brueckeグリーニッカー橋>
ベルリンとポツダムの境にあるハーフェル川にかかる橋、Glienicker Brueckeグリーニッカー橋を通過し、ポツダムに戻った。ドイツの東西分断によりグリーニッカー橋は封鎖されて、一般人の通行は固く禁じられていたが、ベルリンの壁崩壊と同時期に自由な行き来が再開された。現在は冷戦時代を象徴する観光名所となっている。
(歴史)
17世紀。ポツダム宮殿と狩猟場とを繋ぐために木製の橋がかけられた。
1834年。レンガ造りの橋に架け替えられる。
1947年11月、現在の鉄製の橋が第二次世界大戦中に破壊された後に再建された。
かつて、ドイツの東西分断により米英仏3国が支配する西ベルリンとソ連(現ロシア)が支配する東ドイツ・東ベルリンとを繋ぐ立地から、グリーニッカー橋の真中で*東西冷戦中に捕虜となった米ソ間のスパイたちの交換の場として使われたことで知られる。
*これをテーマにした映画がある。
その映画の題名『Bridge of Spiesブリッジ・オブ・スパイ』とはスパイ交換が行われたグリーニッケ橋を指す。映画のロケ地にもなった。
『ブリッジ・オブ・スパイ』は2015年のアメリカ映画で、スティーヴン・スピルバーグ監督、出演はトム・ハンクス、マーク・ライランス、エイミー・ライアン、アラン・アルダら。
「U-2撃墜事件」でソ連の捕虜となったフランシス・ゲーリー・パワーズの解放のために動く弁護士のジェームズ・ドノヴァン(ハンクス)を中心に描かれる。
本作は1960年メーデーの日(5月1日)にソ連を偵察飛行していたアメリカの偵察機、ロッキードU-2が撃墜され、偵察の事実が発覚した事件である。
ソ連スヴェルドロフスク州の町の上空を飛行中、ソ連軍に撃墜されたアメリカのスパイパイロット、フランシス・ゲーリー・パワーズの逮捕から裁判が行われるまでの実話を基にしている
予定されていたパリでの米ソ首脳会談が中止されるなど大きな影響があった(Wiki)。
今回のベルリン往復は2度したが、一度も同じ道を行き、帰る事がなかった。
17:20にHotel Bayrisches Haus到着。
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投稿日:2021/10/21