マクデブルク大聖堂 Magdeburg Dom
寺院・教会
3.21
施設情報
クチコミ(2件)
1~2件(全2件中)
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素晴らしい大聖堂
- 5.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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マグデブルクの大聖堂はゴシック様式のカイザー大聖堂と云われている。
- 4.5
- 旅行時期:2011/05(約15年前)
- 8
『かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅』
期間:2011年05月13日(金)~05月... 続きを読む27日(金)15日間
5月15日(日); 晴、16℃。409km
不思議なことに州都Magdeburgマグデブルクは観光本に載っていない。
州都マグデブルクに入ると、エルベ川沿いの道を行き、標識に沿って走り、まずは市庁舎前の旧マルクト広場に停めた。
①Magdeburger Reiterマグデブルクの騎手
旧マルクト広場にある市庁舎前にマグデブルクの騎手(1240年頃)が立っている。
全体が金色に輝き、王冠と思われるものをかぶった騎士の騎馬像はなかなか見事だが、像はコピー。オリジナルは文化歴史博物館にある。
この騎士像は神聖ローマ帝国初代皇帝のOttos Iオットー大帝の像と言われているそうだ。
この町の成り立ちと、オットー大帝との繋がりからすれば、尤もな説だが・・・。
市庁舎からエルベ川を経由して、カイザー大聖堂は徒歩でそこそこある。
観光の目玉はこの大聖堂。さすがに観光バスも多く停まり、聖堂内も観光客が多かった。
②Kaiserdomゴシック様式カイザー大聖堂
撮影料Euro1
ベルリンから西130kmに位置し、エルベ川沿いに立つ最古のゴシック様式の大聖堂はマクデブルク大司教区の教会である。
オットー1世・大帝によって建てられたマグデブルクの大聖堂は“St. Mauritius & St.Katharina聖マウリチウス・カタリーナ”大聖堂とも云う。
オットー大帝は973年に没し、その妻エドギタと共に、ここへ葬られた。
質素な聖堂内は聖壇前の床に大帝の柩が置かれ、聖壇裏手に妻エドギタの柩がある。その白い柩の蓋には彼女の寝姿の像があった。
回廊を出て、中庭から高々とした二つの塔を見上げた。
“ロマネスク街道の真珠”と讃えられるマグデブルクはかつて東方のマジャール人やスラブ人に対する要衝であった。968年にOttos Iオットー大帝によって司教座が置かれたことにより、大司教の保護の下でこの町は大いに栄え、後にはハンザ同盟の一員となっている。
1524年、宗教改革でルター派に転じ、ルター派の大学として、マクデブルク大学が初めて創設された。
*三十年戦争(マクデブルクの戦い)で新教派であったマクデブルクは旧教派の攻撃・虐殺で壊滅的な打撃を受けた。
当時の3万人の市民が戦争終結時(ヴェストファーレン条約締結の時)、人口が450人しかいなかったと云う。2005年に町の1200年祭が行われた。
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閉じる投稿日:2021/08/22
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