ドイツ抵抗運動記念館 German Resistance Memorial Center
博物館・美術館・ギャラリー
3.23
施設情報
クチコミ(3件)
1~3件(全3件中)
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ナチスに抵抗した人々を記録する
- 4.5
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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第三帝国(The Third Reich)に抵抗した人々を忘れない
- 4.0
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
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ティアガルテン南側はベンドラー(Johann Christoph Bendoler, 都市計画家)ブロックと言われていた... 続きを読む地区で, 戦前ドイツ陸軍最高司令部が置かれていた(現ドイツ連邦軍敷地)。
中庭に1944年7月20日東プロイセンのヴオルスシャンツ*注における会議で暗殺計画(オペレーション・ワルキューレ)を実行し,失敗したクラウス・フォン・シュタウフェンベルグ大佐をはじめ, 計画にかかわった約200人が逮捕され, 幾人か(オルブリヒト中将,へフテン中尉,ボック大将自決)は中庭(壁に銅板記念碑と花輪)で順番に銃殺され,埋められた。 反ナチスの聖地となることを恐れたゲシュタポは遺体を焼却・粉砕し,下水処理場に流した。中庭にリヒャルト・シャイべによる犠牲者の追悼碑(銅像),その前に献花台が有る
ヒトラー暗殺計画は,1933年3月3日(ケーニヒスベルグ), 1936年12月21日(ニュルンベルグ), 1938年10月(ミュンヘン),1939年11月8日(ミュンヘン), 1943年3月(スモレンスク), 1944年3月11日(オーバーザルツベルグ)等 42あったと言われている。、
建物内にワイマール共和国,共和国崩壊, National Socialismの台頭, 1939年までの労働者・プロテスタント・カトリック・芸術家や科学者・移民・保守系やリベラル派の抵抗,軍人の不服従・暗殺試み1939年11月ゲオルグ・エルサー・トレスコーによるクーデター計画,白バラ運動, Red Orchestra, 外国人レジスタンス(ユダヤ・クエーカー,捕虜,ロマ,社会主義者)が順番に展示。
推薦書:ペータ・ホフマン「ヒトラーとシュタウフェンベルク家」クリス・マグナム 「図表と地図で知るヒトラー政権下のドイツ」
アレクサンダー・シュタールベルグ「回想の第三帝国・下」
*注 :東部戦線司令部跡(1945年1月爆破)を訪れるツアー;ユーラシア社のツアー有。 閉じる投稿日:2013/07/23
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ベルリンのドイツ抵抗運動記念館は反ヒトラーの英雄たちを顕彰している。
- 5.0
- 旅行時期:2011/05(約15年前)
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「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
期間:2011年05月13日(金)~05月... 続きを読む27日(金)15日間
5月16日(月);1日中小雨、午後には晴間もあった。15℃、107km
Berlinベルリン観光①:10:45~17:00
Potsdamerplatzポツダム広場 15:20~16:10(ベルフィルの本拠地・レゴ・Sonyセンター)->Gedenkstaette Deutscher Widerstand Berlinベルリン・ドイツ抵抗運動記念館 16:10~16:40。
ポツダム広場から近くのベルフィルの本拠地前の駐車場に歩いた。
遅くなってきたので今日の最後の場所として、ベルリン・ドイツ抵抗運動記念館を選んだ。ベルフィルの駐車場を出て、ちょっと道に迷った。ぐるりと回った感じで、元に戻り、上手く道を見つけた。絵画館の裏手にあたる通りだった。
ドイツ第四帝国のような云われ方を避けるためには、ベルリンが東西ドイツという悪しき体制があった事実を残さざるを得ないだろうし、その象徴的なものを今後も表現していくべきなのでしょう。
その意味で、このベルリン・ポツダムの訪問は短いながらも、この日の最後に「Gedenkstaette Deutscher Widerstand Berlinベルリン・ドイツ抵抗運動記念館」だけでも見る事が出来たのは幸いでした。
【Gedenkstaette Deutscher Widerstand Berlinベルリン・ドイツ抵抗運動記念館】
Der Bendlerblock 、Stauffenbergerstrasse 13 - 14
16:10~16:40
ここはヒトラーに抗した人々を記念した博物館である。
ベルリンのドイツ抵抗運動記念館はかつて軍の旧最高司令部でした。
1944年7月20日にヒトラー暗殺・クーデターの試みがあった歴史的場所にある。
1953年、この栄誉の館はナチス抵抗運動追悼所となり、2階の常設展示では、5,000枚以上の写真と、26のテーマに分かれた記録を展示している。
残念ながら、夕暮れ近くになり、近くのパークした場所は最大15分しか駐車ができない。この為、係員も驚いていたほどの速さで、展示を見て歩いた。
ドイツの人々がどのようにナチス政権に抵抗したのか、どんな動機と目的を持っていたか、そしてナチス打破後をどうしようとしていたのか、多くの資料でそれを示している。
www.gdw-berlin.de
30分弱程度で切り上げてしまったが、それでも、1944年7月20日・ワルキューレ作戦の実行者シュタウフェンベルク大佐などの掲示や、中庭の銃殺された場所の銅像・記念碑はしっかり見てきました。
後代からみると、早い時期にナチス党の台頭を抑えるべきだったのでしょう。
ドイツ人はこのナチス政権の誕生を、諸手を挙げて歓迎したのですから、今から思うと不思議です。
第一次大戦で負けたドイツが巨額の戦時賠償義務を負った事、超インフレに経済の壊滅、左翼陣営の活発化、社会不安増大といった諸々に、どん底感があったドイツ国民が反動化したのも分かる気がする。
抵抗運動をした人たちは比較的恵まれた環境に居た人(貴族階層、弁護士、経済・産業人、そして外交官、政治家)であったようで、ヒトラー暗殺に失敗すると簡単につぶされてしまった。
それでもこの言葉にうたれます。
実行者シュタウフェンベルク伯爵・陸軍大佐の言葉が残っている;
「今こそ、何かがなされなければならない。その何かを敢えて行う者は自分が裏切り者としてドイツの歴史に残るであろうことを認識せねばならぬ。しかし、それを為さなかったら、自分自身の良心に対する裏切りとなるだろう」
20世紀はドイツのみならず、世界中がたいへんな時代でした。
良心、正義心だけで生きていけなかったようにも見えます。
駐車時間をオーバーしていたが、夕立の所為か、巡回は無かったようで、セーフでした。
(注)
Lutherstadt Eislebenルターの町アイスレーベンから南22km(30分)。Naumburgナウムブルクから北西36km、Leipzigの西90km、1時間、Magdeburgから100km南、1時間半の距離にある小さな町の一地区に高の旅6泊目の宿・古城ホテルがある。
Schloss Lodersleben 古城ホテル シュロス ロダースレーベンの事だが、この古城で次の事を知った。
私がシュタウフェンベルク伯爵・陸軍大佐や一族の事を知り、ヒトラー暗殺未遂事件に関与した人たちの11編を書いたのはこの古城ホテルが最初になる。
<1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与した人たち:
ロダースレーベン城主シュレンブルク伯の逃亡>
https://4travel.jp/travelogue/10871148
・・・・・ 閉じる投稿日:2021/09/14
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