かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る
期間 : 2011年05月13日(金)~05月2...
続きを読む7日(金)15日間
<Potsdamポツダム観光>
16:00~18:00
今夜の宿Relais und Chateaux Hotel Bayrisches Hausルレ・シャトーホテル バイエルンハウスにチェックインを済ませて、ポツダム見物に出た。
1660年、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの狩猟館の地にポツダムが選ばれたのをきっかけにして、ホーエンツォレルン家の宮殿が置かれ、プロイセン公国の拠点の一つとして、その後、ポツダムは大きく発展した。
エルベ川の支流Havelハーフェル川の川中島に出来た町ポツダムは過去300年間で軍隊の町から、ヨーロッパ屈指の華麗な宮廷都市となった。人口15万人。
まず、以前の旅で行かなかったNeues Palais新宮殿見物に出た。
ホテルから凡そ6kmと、新宮殿は近かった。
新宮殿に向き合ったポツダム大学の建物の近くに駐車。
【Neues Palaisノイエスパレス新宮殿】
入場料Euro12、 16:00~17:00
1763~69年、フリードリヒ大王が七年戦争後にプロイセンの国威発揚のために、サンスーシ宮殿の近くにヴェルサイユ宮殿を模した、プロイセンの最後のバロック様式の巨大な3翼の宮殿を建てた。これを新宮殿と呼ぶ。
フリードリヒ大王が7年戦争で戦ったフランスの宮殿を模した新宮殿を作ったのも妙な気もしますが、当時はフランス文化にドイツの王侯貴族もあこがれたからでしょう。
中央に緑色のドーム、左右220mの翼が伸びている。王室のゲスト用に200室、4つの催し用の大広間、 ロココ様式の劇場が設けられている。フリードリヒ大王自身はサンスーシ宮殿を好み、新宮殿に滞在することは殆んどなく、専らゲスト用に供されて、広間も催しなどに使用された。
唯、最後のドイツ皇帝ヴィルヘルムⅡ世はこの宮殿に滞在する事を好んだそうです。
かつての建物の一部(反対側)は現在、ポツダム大学が使用している。
宮殿内は参観が自由だったが、写真撮影料金は別に支払う必要があった。
入館してから、係員に言われたので、写真は撮らなかった。
帰国してみると、情けない事に殆んど覚えていない。唯一、貝殻細工の装飾だけが、不思議な感じで覚えている。
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投稿日:2021/09/30