バイロイト:当時、祝祭劇場前も殆ど人の姿を見なかった。
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- 旅行時期:2001/05(約25年前)
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by jijidarumaさん(男性)
バイロイト クチコミ:1件
【ドイツの団子(だんご)、”クネーデル”料理を食べましたか?】
1977.06.18.~19.ニュルンベルク近郊の町Schwabachシュヴァーバッハの一地区、Schwanstetten‐Mittelhembaシュヴァンシュテッテン・ミッテルヘムバッハという小さな田舎を訪れたのだった。
この時は前半の16日から17日フランケン地方のバンベルクや、バイロイトを巡り、18日ニュルンベルクなどを巡った。
写真はフランケンの旅:左上から時計回りで、バイロイトの歌劇場前(祝祭劇場前も殆ど人の姿を見なかった)で、バイロイトの新宮殿前で、バンベルクの旧市庁舎をバックに、バイロイトのHofgarten、バイロイトの新宮殿の噴水。
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【ドイツ16年ぶりの旅】
2001年5月9日(水) 快晴 264km
午後1時マイセンを出発。次の目的地は古城街道の町々だ。B101・A4来た道を戻る感じで、Nossen・Cheminitzと走る。ここで給油(90DM)。更にA72に入り、Hofを目指して南下する。ホフ近郊でPotsdamポツダムから南下してくるA9に合流し、一気にBayreuthバイロイトの町に入った。16:30着。マイセンから264kmの行程である。
<Bayreuthバイロイト>
(16:30~17:10)
市庁舎近くに駐車して、足早に城、新宮殿を見て回った。
Bayreuthは人口7万人の小都市だが、ドイツ南東部・フランケン地方北部の中心都市になる。18世紀にいたるまでは地方の城下町でしかなかったが、ここの領主Brandenburg- Bayreuthブランデンブルグ・バイロイト辺境伯にプロイセン王フリードリヒ大王の姉・ヴィルヘルミーネが嫁いでくると、この宮廷はヨーロッパの文人・芸術家の集まるサロンとなり、ヨーロッパ文化の中心に変わったと云う。
1876年にワーグナーが設計したRichard-Wagner-Festspielhaus祝典歌劇場は世界でも最高の劇場と言われ、夏の音楽シーズンにここでバイロイト祝祭音楽祭が開かれる。
ワーグナー博物館もあり、ワーグナーファンの聖地と称される町である。
近郊にあるホテルへの道を心配していたが、意外に分かり易く、草原の先にホテルの姿を見出した。
古城ホテルHotel Jagtschloss Thiergartenには17:40に到着した。
<(1泊)Hotel Jagtschloss Thiergarten古城ホテル(狩猟の館) ティーアガルテン>
D-95448 Bayreuth 、Oberthiergartenstr. 36
11号室・皇帝の間 、 325DM 全8室・4星 、
バイロイトの近郊・南5kmの狩猟の森に、18世紀初頭、ブランデンブルグ・バイロイト辺境伯ゲオルグ・ヴィルヘルムにより築城された。彼の死後は様々な変遷をたどり、最後には農家の納屋や倉庫に落ちぶれたそうだ。
大改装の後、1922年からホテル・レストランとして創業される。第二次大戦後は米軍により接収されたりしたが、1982年にはホテルが再開された。ワーグナーファンの聖地と称される、バイロイト祝祭音楽祭が開かれる夏の音楽シーズンには世界からこれを目当てに町を訪れるため、この時期のホテルは世界の名士の迎賓館となるのだという。
私共の部屋・恐れ多くも“Kaiserzimmer皇帝の間”と称する11号室は二階の中ほどにありました。中央にベッドが置かれ、上には真っ白な天蓋があり、寝る時には天蓋のカーテンを下ろし、カーテンに囲まれて就寝することになりました。
初めての体験です。窓辺からはホテルのテラスレストランが見下ろすことができ、前に広がる庭園や大きな菩提樹などの木々を見ることができました。多分、ホテル1番の部屋でしょう。この小さな古城ホテルはレストラン”Petit Chateau小さな城” を含め、価値のあるホテルでした。
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- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
クチコミ投稿日:2025/02/20
いいね!:7票
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