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ヨハン ヴィルヘルム2世(通称ヤン ヴェレム)の騎馬像 施設情報・クチコミに戻る

デュッセルドルフ:プファルツ選帝候ヨハン・ヴィルヘルム2世の治世と騎馬像

  • 4.0
  • 旅行時期:2016/10(約9年前)
jijidarumaさん

by jijidarumaさん(男性)

デュッセルドルフ クチコミ:20件

<デュッセルドルフ:プファルツ選帝候ヨハン・ヴィルヘルム2世の治世と騎馬像>

2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
デュッセルドルフの旧市街を訪れると、飲み屋街近くにマルクト広場があり、ルネサンス様式のRathaus市庁舎(1570年)、7選帝侯の一人であったKurfuerst von der Pfalzプファルツ選帝候Johann WilhelmIIヨハン・ヴィルヘルム2世 (通称JanWellemヤン・ヴェレム)の騎馬像が絵になる形で立っている。

デュッセルドルフ市民に大変人気のあるプファルツ選帝候Johann WilhelmIIヨハン・ヴィルヘルム2世(1658年~1716年)だが、彼の治世(1690年~1716年)のもと、デュッセルドルフの発展は目覚ましいものでした。
とりわけ北イタリア・トスカーナ大公メディチ家・コジモ3世の娘Anna Maria Luisa de'Mediciアンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチと結婚した影響で、個人的に集めた絵画や彫刻などのコレクションを始め、その美術品を収めるための巨大な美術館をデュッセルドルフ城内に建てた。
(尚、今はMuseum Kunstpalastクンストパラスト美術館(D-40479 Duesseldorf 、Ehrenhof 4-5)に、このコレクションがあると云う)
またオペラハウスの設立や街灯の設置、新聞の定期発行など、様々な発展に貢献し、その功績を称えてヨハン・ヴィルヘルム2世の騎馬像が建てられたと云う。

デュッセルドルフとプファルツ選帝候の関係は、
1609年にVereinigte Herzogtuemer Juelich-Kleve-Berg ユーリヒ・クレーフェ・ベルク公国(神聖ローマ帝国の北西部の諸邦・公爵領、伯爵領の連合体として成立した)の最後の公爵ヨハン・ヴィルヘルム(1562~1609年)が死去した事に始まる。
この死去後にプファルツ継承戦争が続き、ユーリヒとベルクはヴィッテルスバッハ家のHerzog von Pfalz-Neuburg プファルツ・ノイブルク公に渡った。
デュッセルドルフ城はその居城となり、1685年にはプファルツ・ノイブルク公Philipp Wilhelm フィリップ・ヴィルヘルムがプファルツ選帝侯位も獲得している。
1690年、フィリップ・ヴィルヘルムがプファルツ選帝侯位継承戦争(1688~1697年)のさなかに死去した為、その長子ヨハン・ヴィルヘルム2世がプファルツ選帝侯となる。

さらに、1716年、子供がないままヨハン・ヴィルヘルム2世が死去すると、弟のKarl III. Philippカール3世フィリップが選帝侯位を継承した。
カール3世はプファルツ選帝侯の宮廷を、13世紀から500年プファルツ選帝侯領の首都にしていたにHeidelbergハイデルベルクに戻したので、デュッセルドルフの繁栄は徐々にかげりを見せ始めることになった。
カール3世フィリップの居城、ハイデルベルク城がフランス軍の攻撃で廃城となり、1720年、ハイデルベルクからMannheimマンハイムにその宮廷を移している。

・・・・・

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
観光の所要時間:
1-2時間

クチコミ投稿日:2019/06/23

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