tadさんのクチコミ(42ページ)全1,058件
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投稿日 2016年07月05日
総合評価:4.5
15年前くらいに、ここに来たことがある。出張だったし、そちらに集中していたので、建物がすごいとは思ったが、風呂には入らなかった。で、今回は遊びに徹しているので、宿でいただいたチケットを握りしめて夕食後、9時前にここにやってきた。長い列があるものと構えていたが、なんのことはない。すぐに入れた。一階の風呂だ。この秋に修理のために閉館されると聞いているので、その前に入れたのはよかった。いい風呂だとは思う。
翌日、宿をチェックアウトして、外に出ると、道の反対側にこの本館が見えるので、あらためてこの建物の凝り方が見えてきた。見栄えは確かにいい温泉だ。風呂の効果に差はないと思うが。。。私は温泉については、建物や外観に凝る気はまったくないので、ただ、ご苦労さん!と思うだけだが。。。建物や食器の豪華なディナーやワイン・ボトルのラベルのデザインに興味がないのと同様だ。こういうゴテゴテの趣味は幕府直轄等の場所にはいつも見られるスタイルだ。長州人なので、これは自動的な反応だと思う。悪気はない。正直に書いているだけだ。
そういえば、伊藤博文以来の総理、安倍晋三もそうだが、故郷に錦を飾る風習(地元利益誘導型)は長州人には基本的にはない。(金稼ぎがうまい人物や芸能人は尊敬されない県だ。タレントが当選することはない県だといえる。)それがいいところだと思っている。そのせいともいえるが、山口県は繁栄から取り残されているのだが。。。松陰先生も高杉晋作も木戸孝允も長州はつぶれてもいいといい放っている。国のためだという意識が優先するからだ。- 旅行時期
- 2016年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年07月05日
総合評価:4.0
道後温泉本館の近所にあり場所が気に入ったし、直前の予約もできた。宿の温泉もちゃんとしていた。なお、サーヴィスで隣の姉妹館(?)の屋上露店風呂も使用できたし、道後温泉本館のチケット(一階の風呂用)も貰えた。
この日、7月1日は朝、松山観光港にフェリーで到着した後、宇和島と大洲を観光した後で、宿にチェックインした。6時過ぎだった。まずは宿の風呂にはいり、それから夕食。超辛口の愛媛の日本酒(冷酒で日本酒度12と14度)2種類と一緒にいただく。一番ベーシックなコースにしたのだが、十分だ。鯛の扱いに慣れていることは、ここでもわかる。
食後は、頂いたチケットを持って道後温泉本館に行ってみる。列が長いと脅されていたが、なんだ、すぐ入れた。金曜の夜9時前のこと。海外からの観光客がおおい!今、海外の観光客が多いところは景気の良さが伝わってくる。英国EU離脱のせいで、もし円高が定着すれば、もちろん、また海外客はすぐに減るだろう。毎年私も退職後もヨーロッパに3,4回は行っていたのに、今年はまだ一度も行っていない。テロのこともあるし、円安が酷いこともあるし、高齢の義母のこともあるし。。で、国内に集中することとなった。
昼間、日照りのなかを今日はかなり歩いたので、早めにぐっすりと寝込む。翌朝、館内の風呂が男女入れ替えで、別の風呂を楽しむ。いい。で、朝食後、一休みして、隣のホテルにある屋上露店風呂に行く。なかなかいい。温泉といえば、つい、地元の長門湯本温泉か、別府の杉乃井ホテルに繰り返し通う習慣になっていたが、これは方針を見直さないといけないようだ。コストパフォーマンスのいい宿だった。風呂環境は最高だった。wifiはロビーでしか使用できないとのこと。- 旅行時期
- 2016年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年07月04日
総合評価:3.5
豪商が資金を費やして京都から匠を呼び、つくらせた山荘と庭園。よくある話だ。。。金持ちの道楽。。。でもたいていは京都のものには敵わないが。。。
説明しましょうかと邸内の案内人に言われたが、お断りする。そしたら、そこにラジカセがおいてあって、それを聞くように言われた。予習はしていますからとお断りした。。
私はこういう時は自分で必要な予習はしてくるし、自分で考えたり感じたりしながら鑑賞しているので、その鑑賞を妨げる説明は邪魔にしかならない。。。どこに行ってもそうしている。
ところで、この山荘がミシェランのグリーンブック(観光ガイド)で一つ星とのことだが、観光ガイドのミシェランの一つ星は普通はヨーロッパでは、必ず見るべきところではない。三ツ星は絶対に行く。二つ星はできたら行く。その他は必要に応じてくらいの意識だから、ここが一つ星だというのは、ま、納得できる。それほど、観光地としては自慢話ではないのだ。
普通のツアーで行くのはほとんどは3つ星レベルだけだ。まれに2つ星が選ばれるくらいだろう。例えばロンドンのミシェランのリストを見ても、10数回滞在しても行かないようなレベルのところが一つ星だ。これを知らないと、すごいことだと勘違いするだろう。ただし、レストラン・ガイドの一つ星は十分に権威がある。滞在者がゆっくり繰り返しいくところだから、観光地の星とは基準が違う。
実際、残念ながら、せっかくの肱川の美しい背景がよく見えない!木の葉が茂りすぎだ。不老庵にあがると肱川や背景が見えるが、新しい建築物が見えて、日本庭園の背景としては冴えない。先月行った兼六園は三ツ星だから、そういうところには外国人もみんな行くだろうが、一つ星表示だと観光パンフレットでも触れたほういいのかどうか微妙だ。今回は共通券を購入したので行ってはみたのだが。。。- 旅行時期
- 2016年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年07月04日
総合評価:5.0
名古屋城の本丸や佐賀城の本丸など、さらには金沢城の河北門など、近年は、やっと鉄筋コンクリートのイミテーションではない城の本格的復元建築が見られるようになった。で、この大洲城が素晴らしいのは、天守の本格的復元を実現してしまったところだ!今回、愛媛県まで来る気になったのは、道後温泉だけが理由ではない。現存天守の宇和島城と松山城に加え、この大洲城の本格的復元天守までもまとめて見ることができるからだ。
で、この大洲城は大きな町には見えないが、住民の方の寄付などにより建設されたとのこと。ヨーロッパを繰り返し見てきた経験で言えば、”貴重な文化財”は元のように修理復元するのが原則だ。完全破壊された場合もできるだけ本来の姿を守るのが基本となっている。ドイツなどほとんどオリジナルは破壊されている町でも、昔の様式に復元しているものが多い。名古屋城、大阪城、熊本城などは、もし、鉄筋コンクリートの外見だけの復元でなくて、本格的復元をしていたら、周囲の石垣、堀、櫓などの全体を加えると、世界文化遺産になれるものがあるのではないかといつも残念に思う。ただし、本格的復元には大変な資金と熱意と文化力を必要とするので、容易な話ではない。- 旅行時期
- 2016年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年07月03日
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投稿日 2016年07月03日
総合評価:5.0
今回の愛媛県への旅は3,4日前に好天の予想を確認して、計画実行した。特に宇和島城、大洲城、松山城の3か所の城巡りが中心のテーマだ。
松山観光港に小倉からのフェリーで到着後、松山市駅まで伊予鉄道高浜線で移動。それから宇和島自動車の高速バスに乗り、宇和島バスターミナルで下車。すぐ近くが、宇和島城登山口となっている。
登山口から竹の杖をもって、石段の坂道を300m歩くと80mほどの山上にある天守に行ける。7月1日は好天で暑かったが、それでも、来た甲斐はあるところだ。天守内は200円で入れる。下りる時は緩やかな舗装道路を歩くと、倍以上の距離はあるが、途中の景色が異なるので、それはそれでよい。
天守は現存する全国で12か所のひとつで、1666年に伊達家の建造による。因みに次に行った大洲城は2004年の忠実な復元天守だし、松山城は、ペリーが来た次ぎの年、1854年建造だから新しい。
ところで、この宇和島の伊達家の名前は私には以前から馴染みがある。シーボルトの娘いね(日本最初の女医)が、この宇和島に住むシーボルトの高弟に預けられ育てられた。で、いねはオランダ語を学習すべきだということで、当時伊達家の砲術などの指南として宇和島に招聘されていた大村益次郎(村田蔵六)に直接個人指導を受けたようだ。
司馬遼太郎の「花神」の記述では、いねが大村益次郎に惚れることになっている。いね一人が大村の三田尻の宿にやってきたことになっている。そういうことがあったかもしれないし、なかったかもしれない。文献的証拠は提示されていないようだ。ただ、大村の晩年、暴漢に襲われ、瀕死の状態の大村を大阪で、いねが数週間の間、最後まで看病し看取ったという情報がある。少なくとも師として尊敬されていたことまでは間違いないのだろう。当時の大物有名人どうしの出会いの可能性だから司馬が注目したのはわかる。
以上は、私が宇和島で見物する間に思い出した話だ。残念ながら、宇和島でいただいた観光パンフレット類にはこんな話は出てこないようだ。いねの父、シーボルトは日本の江戸時代の医者たちに大いに影響を与えたとされるが、スパイの疑いで一度は日本を追放される。だが、30年後、再度日本に来た時はなんと幕府の顧問となった!いねや妻とも再会している。当時、海外から来た知識人の中ではシーボルトは極めて優れた一人であったことは間違いない。当然、情報は持ち込んだし、持ち出した。シーボルトが書いたたくさんの日本学の公刊された書物や論文はペリーが日本に来る前に勉強したことも知られている。日本で広まるこういう人物の話はしばしば評価が一面的になりがちなのは残念だ。このところ騒いでいる英国のEU離脱も同じような話だ。大衆化すると内容や理解の程度は浅薄になる。。。- 旅行時期
- 2016年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年07月03日
総合評価:4.0
梅雨の合間に天候のいい日が2日あったので、急遽、このフェリーを利用して松山、大洲、宇和島の城巡りを楽しんだ。宿泊は道後温泉にした。下関の我が家からは愛媛県は意外と回り道になるので、交通の便はよくない。15年前は、出張で、確か昼間の高速船で移動した記憶があるが、今回、夜9時55分発のフェリーを利用した。朝5時に松山に到着するのだが、下船は6時半にした。後の移動の都合で5時に出ても行き場がないからだ。で、到着後は、高速バスで宇和島に行き、それから列車で伊予大洲に戻り、さらに夕方、高速バスで松山に戻った。宿は道後温泉にとった。翌日は松山をたっぷりと見物し、夜9時55分発のフェリーで小倉に戻った。
船のなかでは、結構眠れたし、昼間の見物時間がたくさんとれたので、フェリーの利用は、よかった。ただ、松山のフェリーの乗り場はターミナルからもっとも離れていて、かなり歩くことになる。小倉の乗り場とJRの駅も1kmくらいある。- 旅行時期
- 2016年07月
- 乗り場へのアクセス:
- 3.0
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投稿日 2016年06月23日
総合評価:5.0
今回、初めて木戸孝允旧宅に入った。2階は公開されていないが、それでも、かなり広い。岩倉使節団で欧米を見てきており、展示されている木戸の写真は洋装が似合っているが、髷をつけた時代の写真もりりしい。流石、京都の幾松を娶るだけのことはある。京都霊山護国神社の墓は参ったことがあるが、あそこでは幾松の墓も一緒だ。
吉田松陰の主な弟子たちは早死にしてしまい、残った伊藤博文が木戸の岩倉使節団に加わることになる。1864年に長州ファイブの一人としてロンドン大学で勉強したのは、松陰の弟子では伊藤博文だけだったのだ。英語ができ国際性を身につけた伊藤にはその分、重い役回りが来ることになる。薩長閥とよく言われるが、1878年(明治11年)には木戸、西郷、大久保の維新三傑はみんな死んでしまったのだ。
その後、明治政府は不平等条約を廃して日英同盟が可能になるまで、日本の形作りができるまでに時間が相当必要となった。海外での憲法調査などで中心的な活躍をした人たちは大変な苦労をしているのだが、そこらあたりは、ドラマでもちっともポピュラーにはならない。海外情報をきちんと勉強しないとドラマや小説は書きにくいからだろう。実際、安っぽい小説程度が氾濫してしまうのだ。幕末と維新のわずかな期間への注目度が少し過ぎるのかもしれない。官軍が勝ったからといって近代日本がすぐにできたわけではないのだが。。。(このあたりの情報は瀧井一博「文明史のなかの明治憲法」(講談社)などが参考になる。)
木戸は、吉田松陰とその弟子グループとは少し距離があり、冷静に動いていたように思う。維新後、木戸は10年間もなんとかよく頑張ったと思う。その後の苦労は伊藤等が引き継いだ。そこには一般の注目はあまり集まらないが。。。国際性がなくては、その後の政治活動は不可能だったのだ。松陰や西郷や福澤のみならず、アジア進出をすぐ考える人たちが多かったのだが、この点を警戒した木戸や大久保や伊藤たちの歯止めはだんだんと効かなくなってくる。
木戸の家を訪問し、そんなことを考えていた。彼は世界情勢がかなりわかっており、悩める男だったのだ。単純に日本だけの事情で動こうとする人たちや軍人中心になってくると、国際関係は制御できなくなる。外国語や国際交流が苦手な普通の日本人の性格は今に始まったことではない。明治初期の早く目覚めた一握りの日本人達の苦労は私にはよくわかる。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年06月22日
総合評価:5.0
ここは今までよく認識していなかったが、木戸孝允旧宅に行く前に入室してみた。100円で気楽に入れる。シーボルトのことはかなり読んでいるので、蘭学医者としての青木兄弟のことは名医としては知っていた。種痘を初めて行ったり、藩主の侍医だったりしたとのこと。
で、もっと驚いたのはあの国際派でドイツ学のシンボル的存在である青木周蔵がやはりこの青木家の人間だとは今まで意識していなかった。彼は養子となって青木家に来たが、後の外務大臣。私の理解では明治期、陸奥宗光や西園寺公望と並んで国際的に高度な活躍をした人物だ。
特に伊藤博文とともにウィーン大学のシュタイン教授やベルリン大学のグナイスト教授のもとで憲法制度の研究をし、伊藤の憲法作成準備を助けた。幕府の間抜けな交渉で不平等条約を押し付けられて長年苦しんだ日本だが、周蔵はその不平等条約改定の中心人物の一人だ。ドイツの貴族女性と結婚し、ドイツ大使などを歴任した。萩の女性と結婚していたが、エリザベートとの再婚に向けて大変な努力をした話はなかなかだ。。。萩では珍しい国際派の大物だと思う。(そうそうペルー大使館事件の青木大使も子孫だそうだ。)
幕末から維新の時代にとかく注目が集まりすぎるきらいがある日本で、世界の趨勢から260年遅れた日本を近代化するのは大変であった。特に木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通が1878年までに相次いで死んだ後にこそ、大変な仕事がすべて残されていた。憲法の作成や議会の開始、不平等条約撤廃などの仕事はまだ、手つかずだった。再就職できなかった元武士たちの反乱もやっと収束した。
そういった時代から後、伊藤博文など、国際体験のちゃんとした連中がやっと日本を動かし始めたというのは私の理解だ。その時代にあって、伊藤や陸奥や青木や西園寺などの国際派の力がなかったら当時の日本は列強から相手にされなかったであろう。そういう意味では、萩の見物を久し振りにした感想としては、依然、日本人の幕末維新の意識は明治10年くらいまでで終わっている人が多いような気がする。。。
維新三傑がいなくなった後、近代日本をつくる作業がやっと本格的に開始したのだ。例えば、伊藤之雄著「伊藤博文 近代日本を創った男」(講談社)や瀧井一博「伊藤博文」(中公新書)などの本格的な第一級の学者による著作を読んでいただくと、明治政府の本格的活動への道のりが理解できると思う。小説家やジャーナリストやテレビドラマなどの適当な情報の受け売りが日本では多すぎることを痛感している。萩で欠けているものは明治10年以降の活躍の姿だ。青木周蔵と萩駅の井上勝くらいしか名前が出てこない。伊藤博文の旧宅展示も物足りない.- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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萩博物館より高い入場料!4年前は100円だったそうだが。。。
投稿日 2016年06月20日
総合評価:1.0
豪商の菊屋は本陣ともなっていた屋敷。今回初めて入った。ただ、この4トラベルの4年前の旅行記には入場料が100円とあったのに、昨年まで500円で今回600円もとられた!!!
豪商になれる商売はこうやるから金が溜まるのだろうか。買い集めた贅沢品が陳列してあるが、品位のある称賛したくなるようなものはあまりない。写真はあちこち禁止だ。伊藤博文がアメリカから買ってきてプレゼントした時計が目立ったくらいか。。私の趣味ではここは5つ星中、星ひとつ!今回の萩の旅の中で最悪。
ここと比較したいのは、下関の豪商白石正一郎だろう。高杉晋作の奇兵隊の一員として、ともに墓に眠っているが、かれは蓄えた財産を維新の活動などに投げ出し破産したそうだ。白石正一郎の跡地は碑があるのみだ。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年06月21日
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投稿日 2016年06月21日
総合評価:5.0
この日は100円バスを活用しているが、東光寺から次のこの松陰の墓地までは、歩いて5分とのことで、バスを待たずに歩いた。もっとも坂ではあるし、暑いので、バスの時間に合わせるのもいいだろう。
ところで、ここは9年前に来ているが、説明版などもきちんとしており、それぞれの墓も見つけやすい。松陰先生のファンなら絶対に来るべき場所だ。東京都世田谷区の松陰神社と墓地は昨年訪問した;
http://4travel.jp/travelogue/10989710
ここは他の親族や弟子たちの墓地が並んでいて、やはり幕末維新の歴史ファンには必見の場所であろう。松陰と金子重之助の立派な像も近くに立っているし、さらに松陰誕生の地の場所もすぐ近くだ。
9年前は、これらの場所をすべて歩いて移動した記憶が残っており、それが原因で、しばらく足が遠のいていたが、この100円バスの便利さを知るにつけ、これならまた気軽に来たいと思った。この場所から萩市役所前までバスに乗りっぱなしで移動した。さらにそこから萩駅まで同じ東回りのバスで萩駅に到着した。便利になったものだ。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年06月21日
総合評価:5.0
ここは学生時代に来て以来だ。灯篭の並ぶ景色が記憶のなかにしっかり残っていた。で、今回の萩の旅2日目は東回りのバスで、松下村塾の次のスポットとして訪問した。この日の観光は松陰先生が意識の中心にあったのだが、東光寺を割り込ませた。100円バスの使い方は、30分毎にやってくるので、それにうまくテンポを合わせると、楽な移動ができる。
幕末維新の歴史関係はかなり読書してきたが、毛利家自体にはそれほど入れ込んでいるわけではない。それでも、久しぶりに訪問した毛利家の菩提寺のひとつである東光寺は、流石だった。江戸時代の建築である総門、鐘楼、大雄宝殿、三門は重要文化財の建物だ。一番奥に進むと、あの記憶がよみがえる場所だ!家臣が寄贈した500基の灯篭が、圧倒的な雰囲気を生み出している!恐らく、今の萩に残る観光地のなかでは、城跡、城下町、松下村塾と並ぶ見どころといえるように思う。フォトジェニックな場所が多く、カメラ好きにはたまらない景色満載の場所だと思う。
ただ、手入れが今一つだったのは残念だ。ちょうど手入れ前だったのかもしれないが、草がはえすぎたり、整美が今一つであった。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年06月21日
総合評価:5.0
8年前にこういう100円バスがあったかどうか知らないが、昨日の萩城下町周辺と萩博物館の見学の後、100円バスの活用が始まった。で、今日は、野山獄跡から次の松下村塾まで100円バスを利用した。これは便利だ!車や自転車でなく、主な観光スポットが東回りと西回りのバスでスムーズに回れる。過去、萩は5回くらいは来ているが、いつも移動には悩まされた記憶があるから、つい、足が遠のいていたところがある。
で、松下村塾は当然、毎回来るところであるが、今回は宝物殿「至誠館」は入らなかった。前回の訪問で強烈な印象が残り、実際、あの後で、吉田松陰関連本を新たに何冊も読んだ。代わりにというか、よくネットも調べずに歴史館なるものに今回入ってみたが、これは。。。どういう対象向けなのであろうか?さっさと通過して出た。吉田松陰幽囚の旧宅と松陰神社等観光客は多い。この地域全体は、やはり萩の中心地ともいうべきところだろう。さらに拡張工事が進行中で、展示物などが増えるのであろうか?- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年06月21日
総合評価:5.0
前日に続いて萩見物を、ここからスタートした。小学生のころ、一度来た記憶があるが、それ以来だ。獄舎が残っているわけではなく、存在を示す碑が残るのみ。ただ、松陰先生や晋作に深い関心をもつ人なら、ここは特別な場所だ。その意味でのみ、訪問の価値あり。
松陰先生の獄中での活動や影響力は、松下村塾とは別の意味で、すごいと思う。藩主毛利敬親の前で11歳の時、13歳の時に、講義をした。藩校明倫館の教授も務めた。佐久間象山の教えを受け、共鳴した。松下村塾では1年少しの間に90名ほどの身分を問わない若者が集まって共に勉学をした。(松陰先生は「教えた」とは言いたがらない。。実際、授業料は取っていない!)そのうち、士族はその半分ほどだった。一緒にペリーの船に乗り込もうとした金子重之輔は商人の子供だ。ここ岩倉獄で病死した。松陰先生は士族用の野山獄に入っていた。そこには12名が収監されていたが、勉強会が発足した。ここでも興味深い逸話が残る。江戸伝馬町の獄で書かれた松陰先生の遺著ともいうべき「留魂録」は2部作製されたが、獄舎内で影響を受けた罪人に預けた一部が持ち出されて、松陰神社宝物殿に現存しているのみである。もう一部は遺体を密かに引き受けた桂小五郎や伊藤博文らの手に渡ったはずのものだが、弟子が回し読みしているうちに紛失した。影響を受けた弟子たちが書き写したものは残っている。この「留魂録」は松陰先生の影響を改めて拡散するもとになったと言える。
2日目の萩はここからスタートして、次に松陰神社に100円バスで向かった。東まわりのバスは「松陰先生」という名前だ。
前日は萩を観光した後、長門湯本温泉に宿泊した。8年ぶりの萩観光が大変充実していた。城下町周辺、萩博物館、萩城址を西回りの100円バス「晋作くん」という名前のバスで見てまわったのだが、楽に移動できた。そこで、最初はプランしていなかった萩に舞い戻り、2日目は野山獄からスタートして、松下村塾、東光寺、松陰墓地、松陰誕生地をまわることにしたのだ。何度も来ているつもりの場所だったが、今回、またエネルギーをもらった。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年06月21日
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投稿日 2016年06月20日
総合評価:5.0
この博物館は高杉晋作の特別室と、吉田松陰、久坂玄瑞関係などの特別展示の部屋が圧巻だ!本物史料がどかっと鎮座している!どれも幕末維新のディープな歴史ファンなら興奮の連続だろう。
今回、久坂玄瑞が書いた松陰の兄梅太郎宛ての手紙類が面白かった。原文を読んだのではなく解説を理解した範囲だが、江戸にいる間など、お金を無心する内容を何度も書いている。松陰の直筆の書などもねだっている。松陰を褒める活動をしていたのは知られているし、松陰の妹、文の兄でもある梅太郎に無心の手紙を繰り返し書く内容が面白かった。それだけ親密な関係だったと解釈すべきなのだろうが。。。
以上の部屋の写真は撮影禁止だ。で、後の部屋はパネル展示や説明版や複製が中心だ。
ただ、これだけの内容の維新関係の本物が見れるところはそう多くないだろうから、やはり時々ここ特別展示室には来る必要がある。前に2回見た時の展示とは相当異なっていた。
なお、ちらっと館員から家内が聞いた話だが、NHKのドラマ「花燃ゆ」の文の役割の実際は、もっと年上の姉である千代(児玉芳子)の役目と混同されている可能性を示すような新資料が発見されたそうだ。一坂太郎さんなどが鋭意調査中なのだろう。文の活躍には無理があると感じていた。。。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- コストパフォーマンス:
- 5.0
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投稿日 2016年06月11日
総合評価:5.0
兼六園は圧倒的に素晴らしい庭園であることを改めて認識した再訪だった。途中で時雨亭で好きな煎茶をいただいたのも、いい中休みになった。着物姿の素敵な女性が応対してくださり、客もまた女性が多かったようだ。海外からの客もいたようだ。
ゆっくり庭を眺めながら煎茶と菓子をいただいた。私は抹茶よりは煎茶派だ。普段、家で自分で煎茶を煎れる時は、菓子は食べない。ただ、茶葉をたっぷり入れて出し、何杯も飲むのが好きなのだが、ここではお代わりはできない。一杯運ばれてくるだけだ。それでも、贅沢ないい時間だった。庭もここから見ないと見えない部分があるようだ。
兼六園とこの時雨亭は、今回のフルムーングリーンパス5日間の旅のピークだった。観光客が集まるのは当然だろう。- 旅行時期
- 2016年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- その他
- 雰囲気:
- 5.0
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投稿日 2016年06月10日
総合評価:4.0
昨年もここで友人夫婦と会っているが、今回は家内に用事があり、あちらの奥様も急な決定だったので、二人だけで談笑した。ある時期、我が家でバロック・アンサンブルを楽しんだ友人の一人だ。彼はチェロで私はフルート、リコーダー、トラベルソ(バロック・フルート)担当。転勤で離れてしまったが、時々、再会する。楽器の準備ができていない時は、こういうところで音楽談義となる。キルケニーとギネスの定番を楽しむところ。最後にアイリッシュ・サイダーを飲む。午後の時間だし、もともとつまみは食べない。パブのスタイルだ。
- 旅行時期
- 2016年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 一人当たり予算
- 4,000円未満
- 利用形態
- その他
- 料理・味:
- 4.0
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焼きカレーのセットで一休み
投稿日 2016年06月10日
総合評価:3.5
馴染みの名前の店だが、「ダイニング」がついている。入り口でメニューを見ると焼きカレーとあり、それに惹かれて入店。アイス・コーヒーと合わせて注文。電気街の散策や買い物で疲れたので、一休みできた。味はまずまず。
- 旅行時期
- 2016年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 利用形態
- ランチ