シーボルトにも学んだ蘭学医者の家にあの国際派青木周蔵も!
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- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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by tadさん(男性)
萩 クチコミ:23件
ここは今までよく認識していなかったが、木戸孝允旧宅に行く前に入室してみた。100円で気楽に入れる。シーボルトのことはかなり読んでいるので、蘭学医者としての青木兄弟のことは名医としては知っていた。種痘を初めて行ったり、藩主の侍医だったりしたとのこと。
で、もっと驚いたのはあの国際派でドイツ学のシンボル的存在である青木周蔵がやはりこの青木家の人間だとは今まで意識していなかった。彼は養子となって青木家に来たが、後の外務大臣。私の理解では明治期、陸奥宗光や西園寺公望と並んで国際的に高度な活躍をした人物だ。
特に伊藤博文とともにウィーン大学のシュタイン教授やベルリン大学のグナイスト教授のもとで憲法制度の研究をし、伊藤の憲法作成準備を助けた。幕府の間抜けな交渉で不平等条約を押し付けられて長年苦しんだ日本だが、周蔵はその不平等条約改定の中心人物の一人だ。ドイツの貴族女性と結婚し、ドイツ大使などを歴任した。萩の女性と結婚していたが、エリザベートとの再婚に向けて大変な努力をした話はなかなかだ。。。萩では珍しい国際派の大物だと思う。(そうそうペルー大使館事件の青木大使も子孫だそうだ。)
幕末から維新の時代にとかく注目が集まりすぎるきらいがある日本で、世界の趨勢から260年遅れた日本を近代化するのは大変であった。特に木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通が1878年までに相次いで死んだ後にこそ、大変な仕事がすべて残されていた。憲法の作成や議会の開始、不平等条約撤廃などの仕事はまだ、手つかずだった。再就職できなかった元武士たちの反乱もやっと収束した。
そういった時代から後、伊藤博文など、国際体験のちゃんとした連中がやっと日本を動かし始めたというのは私の理解だ。その時代にあって、伊藤や陸奥や青木や西園寺などの国際派の力がなかったら当時の日本は列強から相手にされなかったであろう。そういう意味では、萩の見物を久し振りにした感想としては、依然、日本人の幕末維新の意識は明治10年くらいまでで終わっている人が多いような気がする。。。
維新三傑がいなくなった後、近代日本をつくる作業がやっと本格的に開始したのだ。例えば、伊藤之雄著「伊藤博文 近代日本を創った男」(講談社)や瀧井一博「伊藤博文」(中公新書)などの本格的な第一級の学者による著作を読んでいただくと、明治政府の本格的活動への道のりが理解できると思う。小説家やジャーナリストやテレビドラマなどの適当な情報の受け売りが日本では多すぎることを痛感している。萩で欠けているものは明治10年以降の活躍の姿だ。青木周蔵と萩駅の井上勝くらいしか名前が出てこない。伊藤博文の旧宅展示も物足りない.
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2016/06/22
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