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伊達家の宇和島に住んだ人ーいねと大村益次郎ー

  • 5.0
  • 旅行時期:2016/07(約8年前)
tadさん

by tadさん(男性)

宇和島 クチコミ:2件

今回の愛媛県への旅は3,4日前に好天の予想を確認して、計画実行した。特に宇和島城、大洲城、松山城の3か所の城巡りが中心のテーマだ。

松山観光港に小倉からのフェリーで到着後、松山市駅まで伊予鉄道高浜線で移動。それから宇和島自動車の高速バスに乗り、宇和島バスターミナルで下車。すぐ近くが、宇和島城登山口となっている。

登山口から竹の杖をもって、石段の坂道を300m歩くと80mほどの山上にある天守に行ける。7月1日は好天で暑かったが、それでも、来た甲斐はあるところだ。天守内は200円で入れる。下りる時は緩やかな舗装道路を歩くと、倍以上の距離はあるが、途中の景色が異なるので、それはそれでよい。

天守は現存する全国で12か所のひとつで、1666年に伊達家の建造による。因みに次に行った大洲城は2004年の忠実な復元天守だし、松山城は、ペリーが来た次ぎの年、1854年建造だから新しい。

ところで、この宇和島の伊達家の名前は私には以前から馴染みがある。シーボルトの娘いね(日本最初の女医)が、この宇和島に住むシーボルトの高弟に預けられ育てられた。で、いねはオランダ語を学習すべきだということで、当時伊達家の砲術などの指南として宇和島に招聘されていた大村益次郎(村田蔵六)に直接個人指導を受けたようだ。

司馬遼太郎の「花神」の記述では、いねが大村益次郎に惚れることになっている。いね一人が大村の三田尻の宿にやってきたことになっている。そういうことがあったかもしれないし、なかったかもしれない。文献的証拠は提示されていないようだ。ただ、大村の晩年、暴漢に襲われ、瀕死の状態の大村を大阪で、いねが数週間の間、最後まで看病し看取ったという情報がある。少なくとも師として尊敬されていたことまでは間違いないのだろう。当時の大物有名人どうしの出会いの可能性だから司馬が注目したのはわかる。

以上は、私が宇和島で見物する間に思い出した話だ。残念ながら、宇和島でいただいた観光パンフレット類にはこんな話は出てこないようだ。いねの父、シーボルトは日本の江戸時代の医者たちに大いに影響を与えたとされるが、スパイの疑いで一度は日本を追放される。だが、30年後、再度日本に来た時はなんと幕府の顧問となった!いねや妻とも再会している。当時、海外から来た知識人の中ではシーボルトは極めて優れた一人であったことは間違いない。当然、情報は持ち込んだし、持ち出した。シーボルトが書いたたくさんの日本学の公刊された書物や論文はペリーが日本に来る前に勉強したことも知られている。日本で広まるこういう人物の話はしばしば評価が一面的になりがちなのは残念だ。このところ騒いでいる英国のEU離脱も同じような話だ。大衆化すると内容や理解の程度は浅薄になる。。。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
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宇和島初訪問

クチコミ投稿日:2016/07/03

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