Tagucyanさんへのコメント一覧(95ページ)全1,518件
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国境というよりは県境
Tagucyanさま
おはようございます。Akrでございます。
連日、いろいろとお手を煩わせて申し訳ありません(汗)
のっけからなんですが、「ルツェルン駅」イイ感じの頭端式ホームですね~(笑)
途中で寄られた交通博物館ですが、行ってみたい場所です(いまもあるのかな)
ねじ式連結器の機関車とか骨董品じゃないですか。そしてスイス航空の飛行機、これはまさしく「コンベア990!!」これはレアもの。これのひとつ前のコンベア880は日本航空で導入した機材です。あまり馴染みはないですが個体数が少ないので貴重です。
(スミマセン、相変わらずマニアックで 笑)
そして今度はホームステイですか??
いきなりの外国でホームステイは厳しいなあ。私ならば、強いメンタルがないと無理かな。
簡単に国境を越えちゃうあたりはさすがヨーロッパですね。
それにしても橋の上に国境とか、まるで県境のノリですな(笑)
島国育ちの人間には信じがたい光景ですね。
-Akr-日本にはない感覚ですよね
Akrさま
こんばんは
ルツェルン駅、よく見ると頭端式の駅でしたね・・・ ヨーロッパのターミナル駅は、このような頭端式の駅が多いように思います。しかも歴史を感じますよねえ。
まあ、後年私も経験しますが、このような駅が列車の中間駅だったりすると、スイッチバックが必要になってしまうんですけどね。
この日は朝から雨だったので、そんな中町歩きをするか、屋根がついてる交通博物館を見学するか、との提案があり、満場一致で交通博物館になりました。
と、そこまでは記憶にも残っているんですけど、写真を見ると途中で雨がやんでますね(笑)
ここにあった骨董品ものの機関車や車両の数々、当時は今以上に乗りに徹していてあまり車両に興味がなく、こんな程度しか写真を撮ってないんですよねえ。
さりげなく撮ったスイス航空の飛行機・・・ ウィキペディアで調べたら、あれは今や世界でただ1つ、完全な形で残っているコンベア990だそうです。ルツェルンのスイス交通博物館に展示、と思いっきり書いてありました。そんな貴重な飛行機だったとは知らずに^^;
ホームステイ。この青少年派遣はどのコースでも必ずホームステイがあったので、私が行くことになって最初に思ったのも「ゲゲッ ホームステイ・・・」ということでした(笑)
でも何とかなっちゃうんですねえこれが。ここのホストファミリーとは、いまだに手紙のやりとりがあります。
川が国境だったり道路が国境だったり。日本の感覚からすると、ホントに県境みたいな感じなんですよ。となりの家がとなりの国だったり。
もしこのあたりの国にフォートラがあったら、海外旅行記と国内旅行記の区別がないかも知れないですね。島国日本では絶対に経験できないことでした。
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Tagucyan2020年06月18日19時47分 返信する -
良いね。
Tagucyanさん、今晩は。
鉄道でドタバタする分には、良いのよ・・・。(笑)
方向と時間が読めるから。(笑)
ローカルな所には、研修ではなかなか行かないからね~ッ。(爆)
欧州には、動力分散の発想がないので、真ん中に機関車が存在する。
馬車の発想で、馬(機関車)と客車の関係ですね。
日本の動力分散方式も、苦肉の策の発展系だしね~~っ。(笑)
因みに、私は機関車が好き。(笑)
墨水。こういうところも勉強になります
墨水さま
こんばんは
電車を乗り間違えたところでも、みんな笑ってすませていたのは、あの区間は30分間隔で電車が走っているのが分かっていたこともあったんですよね。ボタンを押さないと電車が停まらない仕組みだったのは想定外でしたが(笑) それでもみんな笑ってすませてましたけどね(笑)
ヨーロッパに限らず、私が行った多くの国では、近郊電車や登山電車を除けば、基本的に動力集中型でした。動力分散型が主体の日本の鉄道は、世界の中ではむしろ珍しい。
だから、両端の車両が展望車の観光列車などは、機関車が編成の真ん中にくることになるんですね。
あとは、一見普通の電車に見えて、先頭車だけ機関車兼客車という編成もよく見ました。日本風に言えば、先頭車だけ強力なクモハであとはサハ。終着駅では、ご丁寧にその機関車兼客車を先頭に付け替える作業をしてました。
なんでも効率化が求められる過密ダイヤの日本では、そんな悠長なことは言ってられないんでしょうけど、私もこっちのほうが好きですね(笑)
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Tagucyan2020年06月14日23時04分 返信する -
山岳鉄道
Tagucyanさま
こんにちは。Akrでございます。
スイスらしい風景が続きますね。
こうしてみるとスイスは山岳鉄道のパイオニアじゃないでしょうか。
ラック式の鉄道、旧碓氷峠の横軽越えを思い出しますね(生まれてませんが)
そして、アイガーをブチぶく鉄道ですと?ヨーロッパ最高地点の鉄道駅ですと?
ユングフラウヨッホ駅は、もう富士山8合目あたりに駅があるってことでいいですか?
素晴らしい眺めが楽しめるんでしょうね。
ところで、こんなに高い場所まで上がって、高山病とかは大丈夫なのでしょうか。
若干、酸素が薄い程度なのですか?
最後の怪しげなバス(そう見えます 笑)が次回のなにかの伏線でしょうか?
いつもの謎解きのようなTagucyanさま流旅行記のように見てしまいます(笑)
-Akr-これらに乗りに行くだけの目的で、もう一度行きたいです
Akrさま
こんにちは
スイスには私が乗った以外にも氷河急行とかベルニナ急行とか、それ自体が観光資源となっている鉄道がいくつもあります。それ目的のツアーがいくつも組まれているぐらいです。
また、ラック方式やスイッチバックなどを繰り返して山を登っていく鉄道が多数あったりして、興味が尽きないところです。
で、それらの鉄道がすごいところは、大概20世紀初めぐらいにできた路線が大半というところ。日本だと明治時代ですよ。その頃の日本には乗客を楽しませるのが目的の鉄道なんていう発想がなかったと思います。そのあたりは、あちらの鉄道はかなり進んでいますね。
研修旅行でそういう点も学びました(そこかい 笑)
そんな中でも、私が乗ったユングフラウに向かう鉄道も、世界的に人気な鉄道です。午後がまるまる自由時間となるあの日を狙っておりました(笑)
ラック式にもいろいろあって、この鉄道はハシゴみたいな形をしていました。それで最大250パーミルの急坂を登っていきます。アイガーとかメンヒとか、有名な岩山の下を鉄道がぶち抜いているんですよね、しかも120年も前ぐらいに。
標高3,500mぐらいのユングフラウヨッホは、さすがに空気の薄さを感じました。ただ、1時間ぐらいしか滞在しませんでしたからね。そこにはスキー場がありましたが、さすがにスキーする気にはなりませんでしたけど^^;
さて翌日からですけど・・・ 海外青少年派遣のスイス以外の各コースでも必ずあった、メインとも言えるミッションが待っています。
怪しげなバス。配車の関係で、その日だけ古いバスだっただけみたいです(笑) その後は普通のバスに戻りました。
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Tagucyan2020年06月14日17時04分 返信する -
絶景ですね
Tagucyanさま
こんばんは。Akrでございます。
MOB鉄道って言うんですか、車窓が素晴らしい。絶景です。いかにもスイスって感じの景色ですね(行った事はない 笑)そして、展望車からの眺め。表紙写真はまるで絵かと思いました。カメラの画素数と相まってなかなか良い感じが出てますね。
そして後半のドタバタ。ガイドさんにしてみれば、めちゃくちゃ落ち込む所ですが皆さんの温かさで救われましたね。なんか良いエピソードです。それにしても「列車停止ボタン」押さないと列車が停まらないとか日本じゃあり得ませんね。列車停止ボタンと聞くと緊急用で押しちゃダメが日本では常識ですし。
ユースホステルに5泊もするんですか!凄いですね。あ、研修だからか。
「アイガー」ってあの「アイガー北壁」のアイガーですよね?
凄いなあ、生で見てみたい。そういえば三角形の山、マッターホルンもスイスでしたか。
あと20年若ければ、スイス行きたかった。
-Akr-実際にはさらに鮮やかだと思いますが
Akrさま
こんばんは
あのあたりの鉄道は、乗客に景色を楽しんでもらうように、あえて走るコースを選定しているように見えますね。日本だったら、そんなルートだとすぐに災害にあってしまうという事情もあるのでしょうが。
行ったことなくてもいかにもスイスっていう景色、よく分かります。私も現地で、根拠もなく同じことを思っていましたから(笑)
フイルムから起こした写真でスミマセン、多分実際はさらにもっと鮮やかというか清々しい景色だと思います。
後半のドタバタですが、これがプロのガイドが案内するツアーでしたらクレームものでしょうが、現地ガイド役も当時普通の高校生でしたし、みんな「ああ間違えちゃった、あっはっは」ぐらいの感じでしたね。
あの区間は30分間隔で電車が走っていて、うち2本に1本は各駅停車。あとの1本は基本は快速なんですけど、駅の停車ボタンを押すと停まってくれるというシステムでした。というのを、列車が通過してから気づくという(笑) それすらも、みんな「そんなシステムだったのかよ、あっはっは」ぐらいの感じでして。
ちなみに今、その駅をストリートビューで見ると、同じ場所に同じボタンがありました(笑)
グリンデルワルドのユースで5泊。次回は、その5日間に何をやってたかの話になります。鉄ネタもありますよ(笑)
アイガー。その響きだけで、なんだかロマンを感じてしまいます。
私がいたのは、アイガーの北側でしたので、まさに「アイガー北壁」のあたりを見ていたことになります。
すごいのは、その真下を鉄道がぶち抜いてるんですよね。あとで乗りに行きます。
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Tagucyan2020年06月11日22時17分 返信する -
このツアーに参加希望です。
Tagucyanさん、こんばんは~
サハリン旅行記、めちゃくちゃ興味深く読ませていただきました!
ずーっと行きたかった憧れのサハリンでの列車旅、まさに、こうゆうルートでこうゆう駅巡りがしたいんですー!!
しかも重要観光ポイントの見学や自由時間もそれなりに各場所であったみたいでまさに理想です。特に今はもう乗れない区間の体験乗車や難易度高い切符購入など羨ましい限りです・・・( *´艸`)
また募集してくれたらぜひとも参加したいんですが・・・
稚内集合も喜んで!!(笑)
大阪の旅行会社や東京の旅行会社で今年サハリンツアーを作成してましたがコロナで全てダメになりましたし・・・そもそもツアー内容もアクセスが飛行機で現地移動もこんなにガッツリ列車旅じゃないですしねぇ。
今はかなり現地の様子も変わってるんでしょうけど、さらに行きたくなりました!
過去旅行記ありがたや~ww
ステファニー私もまた参加してみたい
ステファニーさま
こんばんは
23年も前、前世紀の旅行記(と書くとすっごい昔みたいですけど 笑)をご覧いただきありがとうございます。
集合場所は稚内、サハリンでは列車による移動、など興味をそそる内容で、それまで国内の乗り鉄にこだわってた私が海外に目を向けるきっかけとなった旅行です。
JR北海道が主催したというところが大きいですね。現地の鉄道と手を組んで、特別列車を走らせる、駅じゃないところで停める、参加者の事情で発車を遅らせる、訪れた駅で記念に切符を買う、今思えばやりたい放題でしたね(笑)
ソ連時代外国人立入禁止だったサハリンに、冷戦が終わって行けるようになってまだ8年しか経ってない時のお話でして(まるで歴史上の出来事みたい)、船でしか行くルートがなかったと思います。この航路、かれこれ2年ぐらい運航してないみたいですね。
当時より格段にロシアに行きやすくなった今の方が、こういう鉄道にこだわったツアーとか容易に企画できると思うんですけどね。というか当時、よくあんなことが企画できたなとも思いますが。
あれから、きっとだいぶ変わっているんでしょうね。
同じような企画があったら、私もまた参加してみたいですね。
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最近のネタが切れているので、しばらく昔話でお茶を濁しているTagucyan2020年06月11日21時26分 返信する -
グローバルだったのですね
Tagucyanさま
おはようございます。Akrでございます。
研修でスイスとは!さまざまな諸事情はあるのでしょうが、端から見たらうらやましい。私も'95年に「公用」でフランスとイギリス行きました。あれ以来、欧州へは行ってません。
それにしても当時は、国際線と言えば成田が当たり前。いまや羽田が国際空港に返り咲いてしまい、すっかり成田が廃れてしまった気がします。そしてチラッと写ったJAL旧塗装も懐かしい。当時は斬新だったのに今見ると古臭い(笑)
機内の写真が無いのはフォートラやってないからです(笑)いまなら機内だけで1話作れますね。
鉄ネタなしかと思ったら、しれっと入れて来ますね~
ベルン中央駅、気に入りました。緩やかなカーブを描くホーム。いかにもヨーロッパらしさに溢れていますね。やはり、鉄だとTGVには反応しますよね。子供の頃から本の中でしかみたことないからテンション上がります。私もパリ北駅で見た時、興奮しました。件の研修の時も、パリ→ロンドンの移動を空路か鉄路かを選べたので、迷わず、ユーロスターに乗りました。なんかヨーロッパの鉄道って憧れが強いんですよ。
次回も楽しみですね。
実は当時のガイド役のMさんが今の女房ですとかいうオチを想像してみました(笑)
-Akr-今じゃできません
Akrさま
こんばんは
あの研修、私が行った何年かあとまで続いていたと思います。
毎年、入社年度と職種でローテーションがなんとなく回っていて、たまたまその年は私がそれに当たったんですよね。
今でも海外留学の制度がありますけど、それは完全に「2年間勉強しに行く」のであって、あんな海外旅行みたいな研修ができたなんていい時代でした。
実は、この年の夏休みもアジアの某国に出かけることを考えていたんです。そこにこれが入ってきました。その国には翌年行きましたけどね。
当時は海外旅行といえば成田でしたね。でも、今まで行った海外で成田から出発したのは半分くらいかなあ・・・ まあいろいろとありまして(笑)
JALの塗装も、時代を感じますね。今だったら、機内食とか、窓の外とか、いろいろと写真を撮るのでしょうけど、当時そんな意識は全然なかったですね。
旅行記書く前に改めて写真を見ていて笑ってしまったのですが、訪れた町で自由行動になると必ず駅に行っていましたねえ。やっぱり団体行動は不自由だ、1人で行きたい、と思ったものです。会社の金だから文句も言えませんが。
そこで、本とかでしか見たことがない本物の車両が目の前にいると、興奮しますね。日本と違って駅には改札がなく構内には自由に入れるので、よく眺めていました。
現地ガイド役のMさんねえ。そんなドラマのような話は現実にはなかなかないですねえ(笑)
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Tagucyan2020年06月08日19時05分 返信する -
Mollyです。おはようございます。
Tagucyanさんへ
いやー、昔のスイスの写真が
懐かしい。タイトルのは
以下の私のベルンのと同じ位置からですね。
(上から23枚目です)
https://4travel.jp/travelogue/10824230
物価が高かったなあ。
そろそろもう一度行ってみたい。
きれいな国ですものね。
景色がいいですよね
Mollyさま
こんにちは
表紙の写真、どのあたりで撮ったか記憶が曖昧なのですが、撮影ポイントなんですね。
ネガから起こして、画質を補正する技がないのでそのままですが、もっと鮮やかな景色だったと思います。
改めてMollyさんの旅行記を拝見しましたが、このあと私たちが訪れるところに行ってますねえ。この時は研修旅行(つまり会社のお金)でしたが、自腹でももう一度行きたいですね。ホントに景色がよかったですから。
物価、たしかに高かったですね。
私が行った国で、日本より高いと感じたのは、ここだけです。
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Tagucyan2020年06月07日10時35分 返信する -
いい旅でした。
Tagucyanさま
こんにちは。Akrでございます。
ユジノサハリンスクはサハリン最大の都市ですよね。豊原という呼び名は、子供の頃、親父からよく聞かされました。今なら、北海道樺太郡豊原市でしょうか。
駅舎は、電気が付いていないのを抜いてもどことなく暗さを感じさせますね。ここらへんが「東側」の国らしさなのでしょうか。
機関区にあったキハ58は、赤帯は盛岡車、全塗装されたもう1両はたしか、飯山線用の青と赤の塗装のヤツだったような。JR東日本から譲渡される際、クレーンで船積みされる写真を見た記憶があります。
そしてD51居たんですね~。これはびっくり。でも、レトロ客車のほうの車内が、町はずれの中華屋の店内みたい(笑)
旅行記が稚内で終わっていますが、今ならフォートラ投稿前提で旅するでしょうから、ここから別モノで2~3話でシリーズ組むんでしょうね(笑)
近いようで遠い島。サハリン。行ってみたくなりました。
最後まで興味深く拝見させていただきました。
-Akr-当時はこういう形で旅行記にするとは思いませんでした
Akrさま
こんばんは
樺太時代の、豊原と大泊はよく聞く名前ですね。
もし仮に日本領のままだったとして、樺太が北海道の一部になるとすれば豊原市でしょうね。もし1つの県となれば(面積は十分なんですけど人口が・・・)、県庁所在地になるでしょう。
昼間の駅舎内は暗かったですね。できるだけエネルギーを使いたくないという旧共産圏の雰囲気でした。
機関区にあった国鉄型キハ、そういえば白地に赤帯の車両が盛岡のあたりで走ってましたね。長ナノのやつは飯山線のお古というのは聞いたことがあります。
そのとなりの、写真に撮らなかったステンレスディーゼルカー。日本で見たことない車種なのでロシア製だとばかり思っていましたが、あとで日本製だと知りました。
D51は、写真でもはっきり「D51-4」という銘板が読み取れるので、調べたらホントにD51の4号機でした。終戦直後の政治的な取引かなにかがあったんでしょうね。現在の日本だと補助のディーゼル機関車などをこっそり連結することもありますが、こちらでは堂々単独で引っ張ってましたから、当時としては保存状態は良かったんだでしょう。まあ、この区間はほとんど平坦ということもあるのでしょうが。
レトロ客車・・・ 私の当時のメモにも「中華料理屋みたい」と書かれてました(笑)
稚内に着いてから先の行動、今ならそこだけで何話かできますね。
当時は、そもそもが「ブログ」という言葉すら存在せず、二十何年も経ってこんな形で旅行記にするなんて想像もしてませんでした。
このメモリーシリーズ、まだかなりネタがあります。
年代順にアップする予定ですが、鉄ネタばかりではありませんで・・・
次回は、私らしくない内容だったします。
当時も「お前が、そこ行くの?」という周囲の反応でしたから(笑)
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Tagucyan2020年06月04日23時33分 返信する -
露西亜
今はビザも簡単みたいですが、(私がロシア行ったネット普及して無かった)当時は旅行会社に頼んだホテルの予約バウチャーがないと事前のビザ取得すら出来なかった時代なので、旅行記のツアー代金高いけど今となってはイイ経験されていますよね。
昔の旅行記を私も書いてみたいけどフィルムカメラ時代の写真は、ほぼないです。フィルム写真時代でも沢山撮られてるTagucyanさんナイスです。
まあ、私は今の旅行記でも書ききれてないのが結構あるので、先ずはそれを仕上げなければ。。。RE: 露西亜
4traさま
こんばんは
この時はツアー旅行だったのですが、この3年後、こんどは1人でロシアに行きました。
ビザを取るためには行程と泊まるホテルを決めて、バウチャーというものを用意しなければいけなかったですね。それももう20年ぐらい前の話です。
その旅行記も追い追いアップしようかと思います。
当時はそんな感じでしたから、料金だってかなりかかってしまいました。
でも、逆にあまり人が行かない時代でしたから、今思えば貴重な経験でしたね。
この旅行、36枚撮りフィルムを9本使ってます。現像代だけでも相当行ってると思います(^^ゞ
この後もフィルム時代の海外旅行記をあげていこうかと思いますが、だいたい1回の旅行で10本以上フィルム使ってますね。現像はいつも近所の個人経営の写真屋さんでしたが、すっかりお得意さまでした。
そして今、それをスキャンする作業が大変です(笑)
私の場合、この時代の国内旅行の写真がまったく残っていないんです。
なぜならカメラを持っていかなかったので。
今思うと、ずいぶんともったいないことをしたなあと思っています。
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Tagucyan2020年06月03日21時52分 返信する -
なに?。
Tagucyanさん、今晩は。
荷物切符て、なに?。
日本で言う「チッキ」の事か?。
何処の国でも国鉄は同じで「乗っけてやる。」が基本精神。
居るよね~~ッ。
いきなりカメラ渡してきて「俺を撮れ。」見たいの・・・。
最所面食らったけど、今は慣れた。(笑)
最初は、カメラ持って逃げてやろうかと思ったが、安物ばかりで・・・・。
日本人なら、またぐ様な奴、ばかり・・・・。(笑)
逃げられねーよ。(笑)
墨水。チッキというのがありましたね
墨水さま
こんばんは
荷物切符はおっしゃるとおり、いまや死語となった「チッキ」のことでしょうね。
今はどうだか分かりませんが、当時の現地はとにかく道路事情がよくなかったですから、まだまだ活躍の場があったんでしょうね。
いきなりカメラ渡してきて「俺を撮れ。」・・・ いやいや、もっと丁重でしたよ(笑)
私も、思えば国内外でいろんな人に写真撮ってもらいましたけど、逆に撮ってあげたことは少ないですね... ないわけじゃないですけど、少なくとも外国人にはない。そもそも外国人観光客が行くような所に行かないか(笑)
欧米の方、ガタイいい人多いですからねえ。
失礼なことのないよう、余計、丁重に丁重に(^^)
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Tagucyan2020年06月01日23時20分 返信する



