ユージノサハリンスク旅行記(ブログ) 一覧に戻る
最近フォートラさんで流行っている昔の旅行記シリーズに私も便乗し、私もいよいよ海外シリーズを投稿しております(笑)<br /><br />1996年(平成8年)7月、生まれて初めての海外旅行の時の記録です。<br />行き先は、ロシアのサハリン州。要するに「樺太」です。<br /><br />写真の枚数が多かったので、3部作。今回はその第3話・最終回です。<br />稚内から船でサハリンに上陸、そこから列車で一気に最北端の駅・ノグリキまで一気、そこからジワジワと南下をしております。<br /><br />サハリン滞在4日目。<br />いよいよロシア・サハリン州の州都・ユジノサハリンスクまで戻ってきました。ここは日本時代は豊原という、これも樺太最大の町でした。日本時代の建物もいくつか残っています。<br /><br />自由時間の間は、市内を歩いたり、駅構内を歩き回ったりしていました。<br />今はどうなのかわかりませんが、駅構内は出入り自由でした。構内には、当時は珍しかった日本の国鉄からやってきたキハなどがとまっていて、それらを見学。<br /><br />最終日は、これも日本時代から残っていたSL列車で港のあるコルサコフまで行き、稚内に帰国。<br /><br />さすがJR北海道が企画しただけあって鉄道が中心であり、海外が初めてにしては満足できたのでした。<br />

《メモリー》1996年7月 鉄道に乗ってサハリンを行く【その3】 州都ユジノサハリンスク周辺

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1996/07/26 - 1996/07/31

11位(同エリア41件中)

Tagucyan

Tagucyanさん

最近フォートラさんで流行っている昔の旅行記シリーズに私も便乗し、私もいよいよ海外シリーズを投稿しております(笑)

1996年(平成8年)7月、生まれて初めての海外旅行の時の記録です。
行き先は、ロシアのサハリン州。要するに「樺太」です。

写真の枚数が多かったので、3部作。今回はその第3話・最終回です。
稚内から船でサハリンに上陸、そこから列車で一気に最北端の駅・ノグリキまで一気、そこからジワジワと南下をしております。

サハリン滞在4日目。
いよいよロシア・サハリン州の州都・ユジノサハリンスクまで戻ってきました。ここは日本時代は豊原という、これも樺太最大の町でした。日本時代の建物もいくつか残っています。

自由時間の間は、市内を歩いたり、駅構内を歩き回ったりしていました。
今はどうなのかわかりませんが、駅構内は出入り自由でした。構内には、当時は珍しかった日本の国鉄からやってきたキハなどがとまっていて、それらを見学。

最終日は、これも日本時代から残っていたSL列車で港のあるコルサコフまで行き、稚内に帰国。

さすがJR北海道が企画しただけあって鉄道が中心であり、海外が初めてにしては満足できたのでした。

同行者
社員・団体旅行
交通手段
鉄道 観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 【その2】からのつづき<br /><br />サハリン滞在3日目の夜。<br />州都・ユジノサハリンスクまであと120kmという、ブズモーリエ駅。<br />ここで停車したまま朝を迎えた。<br /><br />翌4日目の朝6:30、ブズモーリエを出発。

    【その2】からのつづき

    サハリン滞在3日目の夜。
    州都・ユジノサハリンスクまであと120kmという、ブズモーリエ駅。
    ここで停車したまま朝を迎えた。

    翌4日目の朝6:30、ブズモーリエを出発。

  • 8時前、ドリンスク(旧・落合)駅に停車。<br />このあと、食堂車で朝食となる。

    8時前、ドリンスク(旧・落合)駅に停車。
    このあと、食堂車で朝食となる。

  • 9時すぎ、ユジノサハリンスク駅に到着。<br />この列車での移動はここまで。<br />駅のすぐ横にある、本日のホテルに向かった。

    9時すぎ、ユジノサハリンスク駅に到着。
    この列車での移動はここまで。
    駅のすぐ横にある、本日のホテルに向かった。

  • その後、午前中は自由行動となった。<br />真ん中がユジノサハリンスク駅。<br />その右側に半分だけ写ってるのが、本日泊まるユーラシアホテル。

    その後、午前中は自由行動となった。
    真ん中がユジノサハリンスク駅。
    その右側に半分だけ写ってるのが、本日泊まるユーラシアホテル。

    ユジノサハリンスク駅

  • ユジノサハリンスク駅の駅舎内。<br />昼間は照明をつけないので、写真よりも薄暗かった印象がある。

    ユジノサハリンスク駅の駅舎内。
    昼間は照明をつけないので、写真よりも薄暗かった印象がある。

  • 駅の時刻表。こちらは出発。

    駅の時刻表。こちらは出発。

  • 一方、こちらは到着の時刻表。<br />ユジノサハリンスクから北の方、南の方、近郊のローカル列車、すべて網羅してこれだけ。<br />でも、現在よりも多少本数が多いように思う。

    一方、こちらは到着の時刻表。
    ユジノサハリンスクから北の方、南の方、近郊のローカル列車、すべて網羅してこれだけ。
    でも、現在よりも多少本数が多いように思う。

  • チケット売り場。<br />今までは、各駅にツアーで押しかけて、駅員さんも切符を売ってくれたけど、さすがに単独行動だと難易度が高い(そもそも、当時外国人はビザで行動が縛られていたから、こういう所では普通は買えない)。<br />たまたまホテルのフロントに、ツアーに同行していた現地通訳の人がいたので、その人と一緒にここに来て、記念に切符を売ってもらった。

    チケット売り場。
    今までは、各駅にツアーで押しかけて、駅員さんも切符を売ってくれたけど、さすがに単独行動だと難易度が高い(そもそも、当時外国人はビザで行動が縛られていたから、こういう所では普通は買えない)。
    たまたまホテルのフロントに、ツアーに同行していた現地通訳の人がいたので、その人と一緒にここに来て、記念に切符を売ってもらった。

  • ということで、通訳さん(しかもサハリン鉄道局所属)がいたから買えた記念の切符。<br />左上は、サハリン島の反対側・大陸に面したホルムスク(旧・真岡)までの切符。<br />この区間、途中のトンネルが崩壊して、現在は廃線になっている。<br />右上は、稚内から最初に着いたコルサコフ(旧・大泊)までの切符。<br />下は、約50km北にあるノボアレクサンドロフスカ(旧・小沼)までの硬券切符。

    ということで、通訳さん(しかもサハリン鉄道局所属)がいたから買えた記念の切符。
    左上は、サハリン島の反対側・大陸に面したホルムスク(旧・真岡)までの切符。
    この区間、途中のトンネルが崩壊して、現在は廃線になっている。
    右上は、稚内から最初に着いたコルサコフ(旧・大泊)までの切符。
    下は、約50km北にあるノボアレクサンドロフスカ(旧・小沼)までの硬券切符。

  • 駅前のレーニン像。旧ソ連ですねえ。<br />今もあるらしい。

    駅前のレーニン像。旧ソ連ですねえ。
    今もあるらしい。

    レーニン像 モニュメント・記念碑

  • 市内の大通り。<br />この写真、誰にとってもらったんだろ。

    市内の大通り。
    この写真、誰にとってもらったんだろ。

  • しばらく、市内をあてもなくブラブラ。

    しばらく、市内をあてもなくブラブラ。

  • 広い歩道。

    広い歩道。

    ユジノサハリンスクの街路 散歩・街歩き

  • バス停。<br />今なら事前にネットでバス路線の情報とか調べて、利用しようなんて考えるけど、当時はとにかくインターネットというものがあまり普及してなくて(我が家にはまだなかった)、まったくこういう情報のない時代だった。

    バス停。
    今なら事前にネットでバス路線の情報とか調べて、利用しようなんて考えるけど、当時はとにかくインターネットというものがあまり普及してなくて(我が家にはまだなかった)、まったくこういう情報のない時代だった。

  • サハリンセンター。<br />合同庁舎みたいな建物。

    サハリンセンター。
    合同庁舎みたいな建物。

    サハリン州政府庁舎 建造物

  • チェーホフ劇場。<br />サハリンでも歴史のある劇場らしい。

    チェーホフ劇場。
    サハリンでも歴史のある劇場らしい。

  • 市内のいたるところで、主に行商のおばさんが露天を開いていた。

    市内のいたるところで、主に行商のおばさんが露天を開いていた。

  • 路線バス。<br />乗ってみたかった。

    路線バス。
    乗ってみたかった。

  • ロシアといえばこんな感じのアパート。

    ロシアといえばこんな感じのアパート。

  • 今思えば、適当に歩いているようにも見えるけど、地図とか持ってたのかなあ。

    今思えば、適当に歩いているようにも見えるけど、地図とか持ってたのかなあ。

  • メモには「東欧に行ったことないけど東欧的な街並み」とかテキトーなことが書いてあった(笑)

    メモには「東欧に行ったことないけど東欧的な街並み」とかテキトーなことが書いてあった(笑)

  • 街の中いたるところにあるキオスク。<br />ここでコーラを買って飲んだらしい。

    街の中いたるところにあるキオスク。
    ここでコーラを買って飲んだらしい。

  • これは、ガソリンスタンドらしい。

    これは、ガソリンスタンドらしい。

  • デパートがあった。

    デパートがあった。

  • 中に入ってみた。<br />日本のデパートのような売り込みがなく、非常に静かな雰囲気だった。

    中に入ってみた。
    日本のデパートのような売り込みがなく、非常に静かな雰囲気だった。

  • その近くにあった自由市場。

    その近くにあった自由市場。

    自由市場 市場

  • そこそこ賑わっていた。

    そこそこ賑わっていた。

  • 建物があったので入ってみたら食肉売り場だった。

    建物があったので入ってみたら食肉売り場だった。

  • 駅に戻ってきた。<br />駅舎を通り抜けて、駅構内に入った。<br /><br />構内は正直、出入り自由。<br />係員もいたけど、何も言われなかった。<br />それどころか「ズドラストビチェ(こんにちは)」とか挨拶されたりして(笑)

    駅に戻ってきた。
    駅舎を通り抜けて、駅構内に入った。

    構内は正直、出入り自由。
    係員もいたけど、何も言われなかった。
    それどころか「ズドラストビチェ(こんにちは)」とか挨拶されたりして(笑)

  • 駅構内にある機関区。<br />見覚えのある車両がいるぞ・・・

    駅構内にある機関区。
    見覚えのある車両がいるぞ・・・

  • これらの車両、日本のJRから譲渡されたディーゼルカー。<br />主にユジノサハリンスク近郊の路線で使われていたらしい。<br />この後、2000年まで運用されて、現在は一部の車両が市内の鉄道博物館に保存されているとか。

    これらの車両、日本のJRから譲渡されたディーゼルカー。
    主にユジノサハリンスク近郊の路線で使われていたらしい。
    この後、2000年まで運用されて、現在は一部の車両が市内の鉄道博物館に保存されているとか。

  • JR時代の車体番号がそのまま残っていた。

    JR時代の車体番号がそのまま残っていた。

  • よく見ると「JR東日本」「名古屋 日本車輌」「長ナノ」という文字が読める。<br />ホームが低いので、ステップが追加されていますね。<br /><br />で、元JR車の写真はこれだけ。<br />となりにいた富士重工製ステンレスディーゼルカーなんか、撮ってないし。<br />もっとバシバシ撮っておけばよかった...

    よく見ると「JR東日本」「名古屋 日本車輌」「長ナノ」という文字が読める。
    ホームが低いので、ステップが追加されていますね。

    で、元JR車の写真はこれだけ。
    となりにいた富士重工製ステンレスディーゼルカーなんか、撮ってないし。
    もっとバシバシ撮っておけばよかった...

  • ホテルのレストランで昼食後、観光バスに乗って市内観光に出かけた。<br /><br />市内にある「勝利の広場」。共産圏らしい名前ですね。

    ホテルのレストランで昼食後、観光バスに乗って市内観光に出かけた。

    市内にある「勝利の広場」。共産圏らしい名前ですね。

  • その後ろにある建物。陸上競技場とのこと。

    その後ろにある建物。陸上競技場とのこと。

  • そこから町の中心部方向を見る。

    そこから町の中心部方向を見る。

  • 「終戦記念碑」

    「終戦記念碑」

  • こういうモニュメントがいくつもあった。

    こういうモニュメントがいくつもあった。

  • サハリン州郷土博物館。日本時代からある建物。<br />中の展示物はなかなか興味があるものだった。だけど写真に撮ってない。

    サハリン州郷土博物館。日本時代からある建物。
    中の展示物はなかなか興味があるものだった。だけど写真に撮ってない。

    サハリン州立博物館 (旧:樺太庁立博物館) 博物館・美術館・ギャラリー

  • 日本人墓地。<br />ここもツアー参加者に樺太に住んでいた人が多いことを考えると、必須の場所ですね。

    日本人墓地。
    ここもツアー参加者に樺太に住んでいた人が多いことを考えると、必須の場所ですね。

    日本人墓地 散歩・街歩き

  • でも草ボーボーだった。

    でも草ボーボーだった。

  • ガガーリン公園。

    ガガーリン公園。

    ガガーリン記念文化公園 広場・公園

  • 公園の中に、線路が敷いてある。

    公園の中に、線路が敷いてある。

  • これ、実は子供鉄道の路線。<br />アトラクションではなく、いわば「専門学校」のような教育機関。<br />れっきとしたサハリン鉄道局の管理です。

    これ、実は子供鉄道の路線。
    アトラクションではなく、いわば「専門学校」のような教育機関。
    れっきとしたサハリン鉄道局の管理です。

  • でも、今日はお休みの日。<br />そのかわり、管理人(右側の人)から話を聞いた。<br /><br />ちなみに左のスーツの人が、ずっとツアーに同行していた通訳さん。<br />身分としては、サハリン鉄道局の方とのこと。

    でも、今日はお休みの日。
    そのかわり、管理人(右側の人)から話を聞いた。

    ちなみに左のスーツの人が、ずっとツアーに同行していた通訳さん。
    身分としては、サハリン鉄道局の方とのこと。

  • 設備なども本格的。<br />そもそも、本物の鉄道と同じ設備が使われているとのこと。

    設備なども本格的。
    そもそも、本物の鉄道と同じ設備が使われているとのこと。

  • 市内観光はこれで終わり、ホテルに戻った。<br /><br />夕食後、また駅に行った。しばらくすると、ノグリキ行きの夜行列車が入線してきた。<br />長距離列車の出発前の様子。良かったですねえ。<br />でも非常に暗くて、当時のフィルムカメラで写すのはムリでした。<br />写真が残ってません。<br /><br />この写真は、翌日ホテルの部屋の窓から撮った写真です。

    市内観光はこれで終わり、ホテルに戻った。

    夕食後、また駅に行った。しばらくすると、ノグリキ行きの夜行列車が入線してきた。
    長距離列車の出発前の様子。良かったですねえ。
    でも非常に暗くて、当時のフィルムカメラで写すのはムリでした。
    写真が残ってません。

    この写真は、翌日ホテルの部屋の窓から撮った写真です。

    ユーラシア ホテル ホテル

  • サハリン5日目の朝。これもホテルの部屋の窓から撮った写真。<br />駅と駅構内が一望できる、すばらしいロケーションでしたねえ。

    サハリン5日目の朝。これもホテルの部屋の窓から撮った写真。
    駅と駅構内が一望できる、すばらしいロケーションでしたねえ。

    ユジノサハリンスク駅

  • 朝食のあと、駅前にて。

    朝食のあと、駅前にて。

  • ここからSL列車「レトロ号」に乗って、サハリン南部の町・コルサコフ(旧・大泊)に向かう。<br />この列車を牽引するのは日本製のD51-4号機。<br />昭和24年に日本から当時のソ連に輸出されたSLとのこと。<br />現在も、駅構内で静態保存されているらしい。

    ここからSL列車「レトロ号」に乗って、サハリン南部の町・コルサコフ(旧・大泊)に向かう。
    この列車を牽引するのは日本製のD51-4号機。
    昭和24年に日本から当時のソ連に輸出されたSLとのこと。
    現在も、駅構内で静態保存されているらしい。

  • レトロ号の車内。<br />なんというか、中華風というか、妙な内装だった。

    レトロ号の車内。
    なんというか、中華風というか、妙な内装だった。

  • 大きな荷物はホテルから直接、バスに乗ってコルサコフの港に向かったので、身軽な格好で列車内でくつろぐ。

    大きな荷物はホテルから直接、バスに乗ってコルサコフの港に向かったので、身軽な格好で列車内でくつろぐ。

  • ユジノサハリンスクから約20分、フリストフォロスカ(旧・豊南)という駅に停車。<br />列車の待ち合わせらしく、やってきたのはJRのお古ディーゼルカーだった。

    ユジノサハリンスクから約20分、フリストフォロスカ(旧・豊南)という駅に停車。
    列車の待ち合わせらしく、やってきたのはJRのお古ディーゼルカーだった。

  • 列車の後ろから。<br />SLが吐く煙が後方になびいている。

    列車の後ろから。
    SLが吐く煙が後方になびいている。

  • コルサコフの手前まで来ると、海沿いを走る。<br />このあたりは亜庭(アニワ)湾という大きな湾になっている。<br />コルサコフもこの湾に面した町。

    コルサコフの手前まで来ると、海沿いを走る。
    このあたりは亜庭(アニワ)湾という大きな湾になっている。
    コルサコフもこの湾に面した町。

  • コルサコフ駅に到着。<br />3日前、ここから列車に乗り込んだのだが、その時は夜だったのでどんな駅かはわからなかった。

    コルサコフ駅に到着。
    3日前、ここから列車に乗り込んだのだが、その時は夜だったのでどんな駅かはわからなかった。

  • ここでもしっかり記念に切符買いました。<br /><br />左が、コルサコフ近郊にあるピエールバヤパチ(旧・一ノ沢)までの切符(子供用)。<br />右が、朝出発したユジノサハリンスクまでの切符。

    ここでもしっかり記念に切符買いました。

    左が、コルサコフ近郊にあるピエールバヤパチ(旧・一ノ沢)までの切符(子供用)。
    右が、朝出発したユジノサハリンスクまでの切符。

  • 駅前。すごい水たまりですねえ・・・<br />ここから、バスに乗って税関に向かう。<br />ツアー参加者にもこのあたりに住んでいた人が何人もいて、途中の町並みというのが日本時代のほぼそのまんまだったらしく、みんな食い入るように景色を見ていた。

    駅前。すごい水たまりですねえ・・・
    ここから、バスに乗って税関に向かう。
    ツアー参加者にもこのあたりに住んでいた人が何人もいて、途中の町並みというのが日本時代のほぼそのまんまだったらしく、みんな食い入るように景色を見ていた。

  • 税関の建物に到着。<br />あとは出国審査をして、船に乗り込む、はずなのだが・・・

    税関の建物に到着。
    あとは出国審査をして、船に乗り込む、はずなのだが・・・

  • 全然出国審査が始まらない。<br />最初は黙って待合室にいたが、そのうちみんな外に出てきた。

    全然出国審査が始まらない。
    最初は黙って待合室にいたが、そのうちみんな外に出てきた。

  • 時間がもったいないので、周辺を散歩。

    時間がもったいないので、周辺を散歩。

  • サハリン滞在中は、ずっと天気が今イチだったのだが、ここにきて晴れてきた。

    サハリン滞在中は、ずっと天気が今イチだったのだが、ここにきて晴れてきた。

  • 市内の大通りかな。

    市内の大通りかな。

  • たぶん路線バス。

    たぶん路線バス。

  • どこかで、ピロシキらしきものを買ったらしい。

    どこかで、ピロシキらしきものを買ったらしい。

  • 3時間近くたって、ようやく出国審査が始まった。

    3時間近くたって、ようやく出国審査が始まった。

  • その1時間後、ようやく船に乗り込む。

    その1時間後、ようやく船に乗り込む。

  • でも、出航しない。<br />というのも、往路もそうだったが、真ん中に写ってる小さいマイクロバス1台で税関と船の間をピストン輸送しているので、なかなか船への乗り込みが進まない。

    でも、出航しない。
    というのも、往路もそうだったが、真ん中に写ってる小さいマイクロバス1台で税関と船の間をピストン輸送しているので、なかなか船への乗り込みが進まない。

    コルサコフ港 船系

  • この港、資材置き場と一緒になっていて、目の前は貯木場。

    この港、資材置き場と一緒になっていて、目の前は貯木場。

  • 現地時間14時すぎ、定刻より約2時間遅れでようやく出航した。

    現地時間14時すぎ、定刻より約2時間遅れでようやく出航した。

  • コルサコフの港を離れていく。

    コルサコフの港を離れていく。

  • 船の上にて。

    船の上にて。

  • サハリンには、実質4日半ぐらいの滞在。<br />なんだかあっという間でしたね。

    サハリンには、実質4日半ぐらいの滞在。
    なんだかあっという間でしたね。

  • このあと、ようやく昼食。現地時間でなんと16時。<br />日本時間だと13時だけど。

    このあと、ようやく昼食。現地時間でなんと16時。
    日本時間だと13時だけど。

  • 航行中、操縦室の見学をさせてくれたらしい。

    航行中、操縦室の見学をさせてくれたらしい。

  • 北海道の陸地が見えてきた。<br />携帯電話(当時は今ほど普及してなかった)を持ってたツアー参加者のお爺さんが、「お、電波がつながった」とか言って自宅に電話してた。

    北海道の陸地が見えてきた。
    携帯電話(当時は今ほど普及してなかった)を持ってたツアー参加者のお爺さんが、「お、電波がつながった」とか言って自宅に電話してた。

  • 稚内港に入港してきた。<br />港の入口で一旦停止し、バックして入港。<br />これが、非常にまどろっこしかった。

    稚内港に入港してきた。
    港の入口で一旦停止し、バックして入港。
    これが、非常にまどろっこしかった。

  • 日本時間18:10、2時間40分の遅れで稚内港到着。無事帰国となった。<br />ツアーはこれにて解散。<br />ホテルに直行して、市内で夕食をとったようです。<br /><br />写真はここで終わっています。<br /><br />翌日札幌まで行って、当時まだ乗ってなかった市営地下鉄東豊線の延伸区間を乗りつぶしたり、すすきののあたりで札幌ラーメンを食べたりしたあと、千歳空港から飛行機に乗って帰宅したのですが、その部分の写真はありません。当時は乗りつぶしにはカメラを持ち歩かなかったんですよね。<br /><br />この頃はまだ日本の鉄道路線を制覇する前でしたが、その目的達成に向け邁進しつつ、年に1~2回は海外に出るようになる、きっかけになった旅行なのでした。<br /><br />-おわり-

    日本時間18:10、2時間40分の遅れで稚内港到着。無事帰国となった。
    ツアーはこれにて解散。
    ホテルに直行して、市内で夕食をとったようです。

    写真はここで終わっています。

    翌日札幌まで行って、当時まだ乗ってなかった市営地下鉄東豊線の延伸区間を乗りつぶしたり、すすきののあたりで札幌ラーメンを食べたりしたあと、千歳空港から飛行機に乗って帰宅したのですが、その部分の写真はありません。当時は乗りつぶしにはカメラを持ち歩かなかったんですよね。

    この頃はまだ日本の鉄道路線を制覇する前でしたが、その目的達成に向け邁進しつつ、年に1~2回は海外に出るようになる、きっかけになった旅行なのでした。

    -おわり-

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この旅行記へのコメント (8)

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  • まるきゅーさん 2021/12/20 18:07:36
    う、生まれていない頃ほど興味深い
    Tagucyan様。こんにちは。まるきゅーです。
    自分が生まれていない頃の旅行記結構興味深いです。
    20世紀って知れば知るほど面白い気がします。
    ロシアに元国鉄の車両走っていたのですか! タイの客車やインドネシアの通勤電車とかは有名ですが。ってD51今も現役ですし(笑)。
    もしフィジーで鉄道を走らせるとキハ40かキハ54四国Verですね。(人口比に会いません)
    当時はフェリーでの国境越えって結構出来たのですね。僕はする気が起きません...
    あと、サハリン=樺太ということで良いなら南樺太は日本領でしたね。
    でも前の旅行記で撮ってた月形の写真、戦勝国みたいな感じと思いました。
    しかしロシア(当時ソ連)は1週間しか戦争に加わっていないはずですが...
    あと、全体的に雰囲気が暗いですね。
    これも共産圏独特の感じですかね。中国に行ったこと無いのでよくわかりませんが。
    この旅行記を見たら歴史の名残も学べて結構勉強になった気がします。 まるきゅー

    Tagucyan

    Tagucyanさん からの返信 2021/12/21 22:32:33
    まるきゅーさんにとってはそうでしょうね

    まるきゅーさま
    何度もありがとうございます。

    「20世紀のお話」というと、すっごい昔のように聞こえますよね。あの当時はその1世紀前の「19世紀」が実際に100年ぐらい前でホントにすごい昔だったので、個人的にはそれを引きずっていると思われます(笑)

    タイやインドネシアなどに日本の中古車両が走り始めたのは、それこそ今世紀に入ったぐらいからではないでしょうか。あの当時はホントに珍しかったです。でも「メンテナンスしてんのか?」という感じで、あまり長くは走っていなかったような。そういう点では戦後すぐに樺太に渡ったD51がまだ現役だったのはすごい話ですね。

    コロナ禍の現在はともかく、それまでは中国、韓国やロシアなどに行く国際航路はいくつもありますよ。国際フェリーでウラジオストクに渡って、シベリア鉄道でモスクワに行って・・・というのは、「時間はあるけど金はない」ヨーロッパ旅行の、今でも定番だと思います。
    個人的には、生まれて初めて日本から出国した場所が稚内港だったことを、結構自慢してましたから(笑)

    南樺太に関しては、日露戦争でロシアが負けて日本に利権が移って、太平洋戦争のあと40年ぶりに戻った経緯がありますので、勝戦国というより、そういう意図の碑でしょう。
    でも仮に今でも日本だとしたら、樺太の鉄道も乗りつぶしの対象になって、楽しいことになっていたなあと妄想したりしています(笑) 結果的に、その主な部分は乗りつぶしたことになりますが(^^)/

    共産圏の国は、やっぱりちょっと垢抜けない雰囲気がありますよね。あの当時はソ連がなくなってまだ10年も経っていませんでしたので、今よりも余計そうだったと思います。

    ---
    Tagucyan
  • ケロケロマニアさん 2021/05/06 12:09:24
    今更ながらお邪魔させて頂きます!
    どうもこんにちは。
    サハリン鉄道旅の旅行記、楽しませて頂きました。
    まずご旅行された旅の日付を見てビックリ、1996年7月なんですね。実は私も、初ロシアが1996年7~8月の頃でしたので、場所は違いますが、まだソ連臭の残る雰囲気など、お写真の随所で感じられて、とても良かったです。

    あの頃は新生ロシアの経済もどん底の時期で、私はハバロフスクとカムチャッカの訪問でしたが、行く前から、周囲からは危険な話ばかり吹聴されて、ドキドキの日々でした。実際色々なことがありましたが、私も人生二回目の海外旅行がロシアでしたので、気持ち的にはTagucyanさんと近い部分があったと思います。あれっ、意外と現地って危険じゃないなって…。

    まあ、仰る通りあの頃はネットもまだ今のような普及状況ではありませんでしたし、サハリンはまだ”モスクワ臭”が強いエリアでした(恐らく、そういう”優等生”のサハリンだったからこそ、ご参加されたようなツアーが催行できたのだと思います)ので、お写真を拝見する限りでは、割とまとも(?)な印象を受けるのですが、当時のハバロフスクやペトロハブロフスク・カムチャッキーはそもそも公共交通という概念が大きく崩壊していて、白タクが横行している時代でしたので、乗り物一つ利用するのにも、色々な緊張感がありました。

    でも、今でもあの旅で出会ったロシア人との多くの交流は、今でも忘れられませんね。今と違って、情報の伝達はスムーズには行えませんでしたが、何というか、温かみが感じられる時代だった、と申しますか…。

    あの時代のルーブル札というのも懐かしいですね。これは恐らく共通のご体験かと思いますが、あの時代は、インフレが凄くて、硬貨というものが市場に全く流通していませんでしたよね。くちゃくちゃの100ルーブル札などを何度もやり取りしたことを思い出しました。

    何でも検索して調べられる便利な時代、それはそれで悪いことではないのだと思いますが、全く予備知識もなく旅できたあの時代のような、後に強烈な記憶を残すような刺激を求めることはもう無理なのかもしれませんね。

    Tagucyanさんは、その後もイルクーツクやモスクワなどにも足を運ばれていらっしゃるようなので、また一つずつ旅行記を拝見させて頂きたいと思います。当時の貴重なお写真の数々、どうも有難うございました。


    byケロケロマニア

    Tagucyan

    Tagucyanさん からの返信 2021/05/06 23:07:48
    RE: いえどういたしまして

    ケロケロマニアさま

    ケロケロマニアさまもその時期にロシアに行ったのですか!
    私の場合、初めての海外も初めての「1人海外」も両方ともロシアでした。あの頃はソ連が崩壊してまだ5年ぐらいしか経っていなかったので、今思えばまだまだソ連の雰囲気が残っていましたね。

    サハリンはツアーでしたが、途中自由行動があってポロナイスクやユジノサハリンスクを1人で歩いたり、その3年後に1人でロシアに行ったときもいきなり行ったのがイルクーツクでしたから、そういうところに慣れてしまうと、大概のところはあまり何とも思わなくなりますね(笑)

    あの頃はネットはあったのですが内容が今よりも全然充実していなくて、エレクトローチカとか乗ってみたかったんですけど情報が何にもなかったですね。それでも路面電車とかには強引に乗りましたけどね。着いた先で、地元の人に地図を見せて「ここはどこ」と聞いてみたり。なんで海外に出ると、あんなに肝が据わるんでしょうね・・・

    私は国の数だけでいうと17の国に行っていますが、そのうち英語圏はアメリカだけ。英語圏だから会話が通じるわけではないですが、そうでなくても伝えようという気持ちがあれば伝わるものだな、というのは実体験として分かりますね。

    サハリンに行ったときはまだルーブルのデノミの前で、通貨の単位がすごかったですね。缶ジュースが1本4000ルーブルとか(笑) 通貨どころの騒ぎでなく。
    その3年後に行ったときは1ルーブルが5円ぐらいでしたので、ようやくカペイカ通貨を見ました。

    おっしゃるとおり、逆に今はなんでもネットで調べられて、ストビューなどで行く前から景色が分かってしまったりしますから、そんなのがなかった時代の強烈な印象というのは残りにくいかも知れないですね。 

    ケロケロマニアさまも国内外あらゆるところに出かけているようですので、これから折を見て拝見したいと思います。

    ---
    Tagucyan
  • S...t...e...Pha...n...i...Eさん 2020/06/11 17:32:59
    このツアーに参加希望です。
    Tagucyanさん、こんばんは~

    サハリン旅行記、めちゃくちゃ興味深く読ませていただきました!
    ずーっと行きたかった憧れのサハリンでの列車旅、まさに、こうゆうルートでこうゆう駅巡りがしたいんですー!!
    しかも重要観光ポイントの見学や自由時間もそれなりに各場所であったみたいでまさに理想です。特に今はもう乗れない区間の体験乗車や難易度高い切符購入など羨ましい限りです・・・( *´艸`)
    また募集してくれたらぜひとも参加したいんですが・・・
    稚内集合も喜んで!!(笑)

    大阪の旅行会社や東京の旅行会社で今年サハリンツアーを作成してましたがコロナで全てダメになりましたし・・・そもそもツアー内容もアクセスが飛行機で現地移動もこんなにガッツリ列車旅じゃないですしねぇ。

    今はかなり現地の様子も変わってるんでしょうけど、さらに行きたくなりました!
    過去旅行記ありがたや~ww

    ステファニー

    Tagucyan

    Tagucyanさん からの返信 2020/06/11 21:26:59
    私もまた参加してみたい

    ステファニーさま
    こんばんは

    23年も前、前世紀の旅行記(と書くとすっごい昔みたいですけど 笑)をご覧いただきありがとうございます。
    集合場所は稚内、サハリンでは列車による移動、など興味をそそる内容で、それまで国内の乗り鉄にこだわってた私が海外に目を向けるきっかけとなった旅行です。
    JR北海道が主催したというところが大きいですね。現地の鉄道と手を組んで、特別列車を走らせる、駅じゃないところで停める、参加者の事情で発車を遅らせる、訪れた駅で記念に切符を買う、今思えばやりたい放題でしたね(笑)

    ソ連時代外国人立入禁止だったサハリンに、冷戦が終わって行けるようになってまだ8年しか経ってない時のお話でして(まるで歴史上の出来事みたい)、船でしか行くルートがなかったと思います。この航路、かれこれ2年ぐらい運航してないみたいですね。

    当時より格段にロシアに行きやすくなった今の方が、こういう鉄道にこだわったツアーとか容易に企画できると思うんですけどね。というか当時、よくあんなことが企画できたなとも思いますが。

    あれから、きっとだいぶ変わっているんでしょうね。
    同じような企画があったら、私もまた参加してみたいですね。

    ---
    最近のネタが切れているので、しばらく昔話でお茶を濁しているTagucyan
  • Akrさん 2020/06/04 10:13:30
    いい旅でした。
    Tagucyanさま

    こんにちは。Akrでございます。

    ユジノサハリンスクはサハリン最大の都市ですよね。豊原という呼び名は、子供の頃、親父からよく聞かされました。今なら、北海道樺太郡豊原市でしょうか。
    駅舎は、電気が付いていないのを抜いてもどことなく暗さを感じさせますね。ここらへんが「東側」の国らしさなのでしょうか。

    機関区にあったキハ58は、赤帯は盛岡車、全塗装されたもう1両はたしか、飯山線用の青と赤の塗装のヤツだったような。JR東日本から譲渡される際、クレーンで船積みされる写真を見た記憶があります。
    そしてD51居たんですね~。これはびっくり。でも、レトロ客車のほうの車内が、町はずれの中華屋の店内みたい(笑)

    旅行記が稚内で終わっていますが、今ならフォートラ投稿前提で旅するでしょうから、ここから別モノで2~3話でシリーズ組むんでしょうね(笑)

    近いようで遠い島。サハリン。行ってみたくなりました。

    最後まで興味深く拝見させていただきました。

    -Akr-

    Tagucyan

    Tagucyanさん からの返信 2020/06/04 23:33:20
    当時はこういう形で旅行記にするとは思いませんでした

    Akrさま
    こんばんは

    樺太時代の、豊原と大泊はよく聞く名前ですね。
    もし仮に日本領のままだったとして、樺太が北海道の一部になるとすれば豊原市でしょうね。もし1つの県となれば(面積は十分なんですけど人口が・・・)、県庁所在地になるでしょう。

    昼間の駅舎内は暗かったですね。できるだけエネルギーを使いたくないという旧共産圏の雰囲気でした。

    機関区にあった国鉄型キハ、そういえば白地に赤帯の車両が盛岡のあたりで走ってましたね。長ナノのやつは飯山線のお古というのは聞いたことがあります。
    そのとなりの、写真に撮らなかったステンレスディーゼルカー。日本で見たことない車種なのでロシア製だとばかり思っていましたが、あとで日本製だと知りました。

    D51は、写真でもはっきり「D51-4」という銘板が読み取れるので、調べたらホントにD51の4号機でした。終戦直後の政治的な取引かなにかがあったんでしょうね。現在の日本だと補助のディーゼル機関車などをこっそり連結することもありますが、こちらでは堂々単独で引っ張ってましたから、当時としては保存状態は良かったんだでしょう。まあ、この区間はほとんど平坦ということもあるのでしょうが。
    レトロ客車・・・ 私の当時のメモにも「中華料理屋みたい」と書かれてました(笑)

    稚内に着いてから先の行動、今ならそこだけで何話かできますね。
    当時は、そもそもが「ブログ」という言葉すら存在せず、二十何年も経ってこんな形で旅行記にするなんて想像もしてませんでした。

    このメモリーシリーズ、まだかなりネタがあります。
    年代順にアップする予定ですが、鉄ネタばかりではありませんで・・・
    次回は、私らしくない内容だったします。
    当時も「お前が、そこ行くの?」という周囲の反応でしたから(笑)

    ---
    Tagucyan

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