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Tagucyanさんのトラベラーページ

Tagucyanさんへのコメント一覧(96ページ)全1,518件

Tagucyanさんの掲示板にコメントを書く

  • 線路上で停車して見学時間とは・・・

    Tagucyanさま

    おはようございます。Akrでございます。

    どんどんサハリンの奥地へ入って行ってますね。こうしてみると「たかが島」ですがめちゃくちゃ広いんですね。ここがいま日本領だったら「最北端」まで行ったりJR完乗するのも大変そうです(笑)そして日本ならばJR北海道管轄でしょうか。路線維持が大変そうだ(笑)

    それにしてもお国柄といえばいいのか、駅もなんもない原野の真ん中で停車して、下車見学とか、凄いですね。運転手も停まる場所とか把握してるのかなあ。列車本数も少ないから出来る技なのでしょうが・・・このあとで参加者の個人的な理由で列車を遅らせるとか、おおらかですなあ。

    「日ソ」という響きを久しぶりに聞いた気がします。ソ連すらいまや使わないワードですね。でも、ソ連というとどうしても、先の大戦や北方領土(これは現在進行形ですが)、大韓航空機撃墜事件などなにかと日本にとってマイナスなイメージを抱いてしまいます。

    食堂車でカニは衝撃的(笑)
    そしてまさかの運転停車で寝ろって・・・寝台車は車両の揺れも含めてナンボですよね。

    次回も楽しみです。

    -Akr-
    2020年06月01日06時32分返信する 関連旅行記

    本数の少なさ&お国柄ですよね


    Akrさま
    こんばんは

    サハリンの鉄道は、私が乗った島のメイン路線だけで約650kmもあって、けっこう規模が大きいです。
    でも本数が少ないんです。その路線も、現在のダイヤですと、途中町の中を歩いたポロナイスクまでが3往復、そこから先が2往復、あとは近郊列車が数本だけ。当時も同じような感じでした。
    これがJR線だったら、乗りつぶしが大変そうな一方で楽しそうでもありますね。
    やっぱり運営はJR北海道ですかね。いや、JR樺太?(笑) これだけ長大な路線ばかりだと維持運営も大変そうですが。

    駅でないところで列車を降りたり、参加者の理由で列車を遅らせたり、これだけ列車が少ないから実現可能なんですね。そもそも、営業中の線路を歩くなんて日本なら大騒ぎです。駅の構内の立ち入りなんかもユルユルでしたねえ。今はどうなんでしょうか。

    その、見学のための停車は、多分キロポストを目標にしているんだと思います。それ以外何の目標物もないですからね。それとも運転士さんは普段そこを通っているので「あの木のあたり」とかで分かってしまうんでしょうか。

    「ソ連」10年ぶりぐらいに接した単語ですね。ロシアというと特に何とも思わないですが、ソ連というとたしかにあまりいいイメージはないですね。その時はまだ時々その頃の雰囲気が感じられましたけどね。

    ブズモーリエ(白浦)はカニが特産とかネットで出てきて、そこにカニと格闘している写真が出てきたので(笑)、載せてみました。
    止まっている寝台車・・・ やっぱり揺れがあってこそですよね。
    あの晩の寝付きの悪さは、体感的に覚えています。

    ---
    Tagucyan
    2020年06月01日23時08分 返信する
  • すばらしい

    樺太の鉄道に乗られた しかも 廃線になっているところも
    それだけでも 素晴らしいのに
    ニブヒの踊りなど見られたというのは
    大変に貴重な体験だと思います

    Taguchanさん こんばんは

    第二次世界大戦で引き揚げてきた樺太の人たちのなかに
    ウィルタ ニブヒ 樺太アイヌ などの民族の方が複数いたんですが
    今はもうその二世三世しかいないのではないかと思いますが
    なかなか言わないので公的にはわからないようですね

    そういう日本ではもう見ることのできない少数民族の踊りを
    見られて 大変に羨ましく思われます
    aterui 
    2020年05月30日00時05分返信する 関連旅行記

    いい経験でした


    ateruiさま
    こんばんは

    このサハリン行きはもう24年前の話でしたが、おかげで今は廃止になってしまった貨物鉄道に乗ることもできましたし、ツアーということで現地の民族舞踊も見ることができました。

    北方民族というとアイヌばかりが有名ですが、その北にはウィルタ、そのさらに北にはニブヒと、いくつか民族がいたのもこの時に知りました。
    アイヌの子孫だけでなく、ウィルタの子孫も日本にいるようですね。
    ただ人数が少なく、サハリンでもロシア人との間で混血が進んでいるようですが。

    初めての海外で、いい経験することができました。

    ---
    Tagucyan
    2020年05月30日21時21分 返信する
  • あの時代・・・。

    Tagucyanさん、今晩は。
    平成8年、あの時代、バブルが崩壊し、日本が奈落に落ちていく時代に、行ったのか・・・。(笑)
    バブル期だったら行ったかも、いや、もっと贅沢できないとムリだな。(笑)
    募集のチラシを見た記憶がある。
    あと2年、早かったら・・・・、の想いが・・・。(汗)
    でもさ、もーーっ、顔出ししても良いでしょ、時効だよね。(笑)
    墨水。
    2020年05月28日22時25分返信する 関連旅行記

    こんなにかかってたんですよね


    墨水さま
    こんばんは。

    バブルがはじけて5年ぐらい経ってましたかねえ。
    旅行記を作成する際に改めてパンフレットを見て、178,000円もかかっていたことを見て、自分でもビックリしてました。
    趣味に対しては特に金に糸目をつけてなかった時代でしたねえ。というか、サハリンに目がくらんで肝心な旅行代金が見えてなかったというか(笑)

    顔・・・ 目ぐらいにしときますか。余計ガラが悪い?(笑)
    というか、もう続編の写真だけはできちゃってましてね(^^ゞ

    ---
    Tagucyan
    2020年05月28日23時21分 返信する
  • 満を持しての懐古旅行記ですね!

    Tagucyanさま

    こんばんは。満を持してのサハリン、さすがです。やっぱり懐古旅行記はこのくらいの質・量でないとダメですね。私のようにありあわせの写真でお茶を濁すような感じではなく、ガチガチの未知の世界です。

    まず、のっけから稚内集合。そしてフェリー。あんぐり大きく口を開けたフェリーもさすがすが、大泊はすごい港ですね!あの武骨さがたまらんそして寝台列車で7月っぽくない気候の中を突っ走って北を目指す。この広告って、鉄道雑誌に載ってる行程のような感じですね~「誰が行くんだ!」と思っていたら、まさか行かれた方がいるとは…“フォートラ”でビザ規制緩和を知るまで一生行く機会がないだろうなと思っていたロシアですが、今より情報も少なく海外渡航もしにくい中によくサハリンを選ばれましたね!というか、この行程雑誌の取材班の方は同行されてませんでしたか?

    オハまでの狭軌鉄道の車両は雑誌で見たことがあるような気がします。アレにご乗車になられたのですね…キハ58や和製のステンレスのキハは当時は走っていたのでしょうか?ロシアは1度しか行ったことはありませんが、どよんとした天気に舗装されてない道の水たまりを見ると「あぁロシアだ」と思ってしまうのは偏見でしょうか。そして私の感覚は1ルーブルが1.6円なので、隣の駅までン千ルーブルなんて…と思ってしまいます。

    まだまだ知られざる世界が続きます。次も楽しみにしております。

    とのっち
    2020年05月28日19時45分返信する 関連旅行記

    前振りが長くてすみませんでした(笑)


    とのっちさま
    こんばんは。

    前振りばっかり長くて申し訳ありませんでした(笑) 前々からいつかは公開してみようと思っていたネタでした。

    宗谷岬からうっすらと見えることもあるぐらい近いサハリンですが、行ってみるとすっかり大陸的な雰囲気でしたね。当時初海外だった身としては、刺激が強かったです(笑)

    2枚目に掲載したパンフレットは、稚内駅発売の記念オレンジカードを郵送で申し込んでいたら、その返信に同封されていました。それを見た瞬間、ほとんど即決でした。それに、初海外がサハリンなんて私らしいなあ、と(笑)
    思うに、当時の鉄道雑誌にも掲載されたかも知れないですね。
    でも意外と同業者さんは5人くらいで、あとはかつて樺太に在住されていた年配の方々がほとんどでした。
    当時はまだネットがほとんど普及していませんでしたから、情報もほとんどなかったと思いますね。市内の図書館などに行って、事前に情報を調べたかも知れないですが。

    オハまでの狭軌鉄道は、将来的に広軌に変更したうえで大陸の路線とつなげる、なんていう壮大な計画があったと記憶していますが、廃止になってしまいました。今思うと、ちょっとではありますが乗っていたのは貴重でしたね。

    このあとも出てきますが、舗装されてない国道や、水たまりだらけの市内の道などが出てきます。今は改善されてるのかなあ・・・ 中央のモスクワからは果てしなく離れていますから、どうなんでしょうね。

    ロシアのルーブルは私が行った数年後にデノミしました。現地で最初に買ったのが缶コーラでしたが、4000ルーブルもしましたからね^^;
    でも、またそのあとまたインフレが進んでるみたいですね。

    国鉄型キハやステンレスキハ、あとで出てきます。
    引き続き、よろしくお願いします。

    ---
    Tagucyan
    2020年05月28日23時10分 返信する
  • 初の出国が稚内とはレアすぎ(笑)

    Tagucyanさま

    こんにちは。Akrでございます。

    ついに懐古旅行記に踏み切りましたか。それもいきなりの海外!サハリン!でも、ネタが豊富ですねえ。私も今週末に1本公開しますがネタがもう枯渇していますので長くは続けられません。

    1996年ですか・・・写真から時代背景がわかりますね。いろいろ思い出して来ました。
    当時はオレンジカード流行りましたね。何かイベントあるごとに発売されてましたっけ。あと、ANAの搭乗券も懐かし過ぎる。機械に突っ込んで半券出て来るヤツですよね。あと、発車標のパタパタ、YS11。そうそうまさにこの時代です。90年代。

    そして人生初の海外がサハリン。それも初の出国が稚内とかってかなりレアですよ。
    私の父親が樺太出身なんですよ。終戦後、引き揚げました。よくロシア語をおしえてもらいました。
    私だってこんな魅力的なツアーあったら参加したいです。稚内~樺太ですと、稚泊連絡船を思い出します(古っ)。もちろん生まれる前ですが。でも航路で海外なんてロマンあるじゃないですか。

    食堂車もコンパートメントもいい感じですね。いかにも大陸の客車列車って感じがします(サハリンは島ですが 笑) 機関車も、まんま共産国の車両(笑)この武骨さ、無機質さがイイのです。確か日本国鉄のディーゼルカーも譲渡されたことがありましたね。
    次回も楽しみです。

    私の次の旅行記の公開が恥ずかしくなってきました(汗)

    -Akr-

    2020年05月28日16時39分返信する 関連旅行記

    私らしいかなと思ったのも事実です(笑)


    Akrさま
    こんばんは

    4月の初めに、常磐線の復旧区間に乗って仙台まで行って以来、通勤以外ほとんど外出しておりませんで、その旅行記が終わってしまったので、私もとうとう回顧旅行記に突入です。

    とにかく、当時の乗りつぶし旅行にはカメラを持って行ってませんで、その頃の国内鉄道線の写真がほとんどありません。ということで、独身時代年に1〜2回は出かけていた海外シリーズに逃亡です(笑)

    これだけは結構膨大に写真が残っていまして、今までのペースでやってると結構持ちそうなのですが、フイルムをスキャンする作業が大変・・・^^;

    オレンジカード、飛行機の半券(形は違えど、JALもJASも同じタイプでした)、YS-11、90年代の話です。ネットも普及してませんでした。つい少し前のような気がしてましたが。

    初めて日本から出たのが稚内というのは、自分らしくていいかなあと思ってました。しかもこれ、往年の稚泊航路なんですよね。今なら、出航の儀や船内探訪などで忙しいのでしょうが、何にもやってませんでした(笑)
    ちなみにこの後も、成田じゃないところからいろいろと出国しております。
    お父さんが樺太の出身なんですね。このツアーも、樺太出身の年配の方が多数を占めていました。今ならまだしも、当時はロシアに行くこと自体が大変でしたからね。

    このいかにも大陸的な機関車に牽かれた大陸的な列車(おっしゃるとおりサハリンは大陸じゃなくて島ですけど)、よかったです。表紙の写真はザ・共産圏的なデザインの機関車で即決でした。
    続きを作成中ですが、結構当時を思い出しながら楽しく作業させていただいております。

    ---
    Tagucyan
    2020年05月28日22時46分 返信する
  • みっけ!。

    Tagucyanさん、今晩は。
    「富岡駅」に居るのに、「今ここにいます」の矢印表記が夜の森駅を指してます。(笑)
    墨水。
    2020年05月24日23時56分返信する 関連旅行記

    あららら


    墨水さま
    こんばんは

    あらら〜 本当ですね。
    ここは、ノーマークでしたねえ(笑)
    他のところは誤字とか見つけて、投稿する前に直したんですけど。

    しれーっと、直しておきました(^^ゞ

    ---
    Tagucyan
    2020年05月25日21時29分 返信する
  • そういうオチでしたか!

    Tagucyanさま

    こんにちは。Akrでございます。

    てっきり常磐線で東京へ帰るものだと思っていましたが、まさか、ひたちで仙台へ行かれるとは。でも、せっかくの全線開通で9年ぶりの特急復活なので、乗りたくなりますよね。私はコロナのタイミングが絶妙になり、地元なのにひたちを乗るどころか見てもいません(笑)

    震災前に常磐特急がいわきで分断されて、いわき~仙台に新しい特急が走ることになり、水戸支社で愛称を募集していました。私は「はまどおり」という名前で応募したのですが、震災でおじゃんに。その後の不通区間の代行バスが「浜通り交通」で、何かの縁を感じました。そしたらまさかの、ひたちが東京から仙台直通運転で復活とは予想外でした。E657は付属編成がない10連固定なので効率を考えるとどうなのかと思いますが、仙台直通車のために基本+付属とか作るほうが手間ですもんね。

    最後は仙台で牛たん食べて、いつものE6系で帰られたのですね。
    仰る通り、牛たん定食のとろろは昔はサービスでした。いまは人気が出て儲けが強くなったのか定食自体の値段が上がり、とろろはオプションに。1200円で定食食べれてた頃が懐かしい。

    充実した常磐線各駅めぐりでしたね。精力的に復旧区間を歩かれて、いろいろ参考になりました。私もコロナが落ち着いたら巡ってみようと思いました。

    それでは。

    -Akr-
    2020年05月24日12時30分返信する 関連旅行記

    最後はこれにしようと思ってました


    Akrさま
    こんばんは

    私が投稿する前日に、Akrさんが仙台市内のお散歩の様子を投稿されて、仙台駅も出てきたので、かぶったらどうしようかと思って見てました(笑)

    常磐線の復旧区間、部分復旧するたびに出かけて今回でラストの4回目。ひたち号の仙台行きが復活するのが明らかになってから、最後はこれで締めようと思っていました。旅行記のその1〜5まで、簡易ダイヤを掲載していましたが、16時台まで入れていたのはこれだったんです(←そんな意図が伝わるわけないですね 笑)

    震災がなければ、いわき駅を境に特急の運転区間が分断される予定だったんですよね。ひたちの車両が現在の10両編成固定に置き換わって、ホントに復活するんかいと思っていたら、10両のままで仙台まで来ましたね。あの地域の復興をより推し進めるために、分断しないで東京から直通させたんでしょうけど、正直、持て余し気味といいましょうか。

    本文でも出てきますが、本当ならこの前日、宮城球場に野球の試合を見に行く予定だったんです。帰りにあの店で牛タン食って、いつもの列車で帰ろうとしていたのですがボツ。
    ですが、結果的にはその翌日に同じ行動して帰りました(笑)
    いつだったかAkrさんに「麦飯にはとろろ」と言われて、以来忘れないで注文するようにしています。この組み合わせは鉄板ですね。牛タン食べる前に、とろろと、付け合わせの辛い漬物だけでご飯がなくなりそうです^^;

    復旧区間も復興が進めば、様子も変わるでしょうね。私も、何年かたったらまた行ってみようかななどと思っています。

    ---
    Tagucyan
    2020年05月24日21時51分 返信する
  • 重い。

    Tagucyanさん、今晩は。
    此の状況で、住めと言われても・・・・。
    厳しいナ~~ッ。
    原子力に携わった人間としては、重いわ・・・。
    安定的電力は原子力しか無い。
    水力は環境問題が付いて回るし、火力は環境問題より、国際政治力学(早い話、駆け引きの道具)影響をもろに受ける。
    資源の無い国の悲哀・・・・。
    そうすると選択肢は、おのずから原子力しか無くなる・・・。
    批判は受けるけど「原子力」なのよ。
    日本国民全員が、昭和20年代の生活が出来るなら、原子力無しでも生きていける。
    現代の生活にドップリ浸かって、(原子力)反対はねーよ。
    現状は、産油国に年間10兆円ぐらい支払ってます。
    本当は、日本国民に還元されるべきお金なんだけどね。
    10兆円払ってでも、原子力反対なの?と聞いて見たい所です。
    ん~~っ。
    今回は、重いテーマでした。(笑)
    墨水。
    2020年05月21日22時43分返信する 関連旅行記

    RE: 重い。


    墨水さま
    こんばんは

    たしかに、どこから手を付ければいいのか・・・ という感じでしたね。

    原子力・・・というと、今でも思い出すのが今の会社の入社試験の面接。
    いきなり飛んできた質問が「君は、原子力発電についてどう思うかね?」
    あの事故よりずいぶん前の話です。もう、忘れもしません(笑)
    原理的には、最も効率的な発電方式なのは間違いないのですが、産業化するには課題が多い。そして、結局政治に利用される。とか答えた記憶があります。
    まさのその通りの展開になって、結果が、これ。

    私の学校からも東電に行った人が何人もいますが、みんな成績のいい人たちでしてね。
    今思えば、頭良くなくてよかった(笑)

    いや、それにしても重い話ですね(爆)

    ---
    Tagucyan
    2020年05月21日23時42分 返信する
  • 駅前以外は、あの日のまんまですね。

    Tagucyanさま

    こんにちは。Akrでございます。

    復旧区間にある新駅はどこも同じような橋上駅ですね。最近のJR東の駅の作り方なのでしょうか。ここに限った話ではありませんが昔に比べれば駅舎の個性がなくなりました。もと複線区間を単線にして片側を道路にしたのは、線路敷以外は立入禁止だから作業車や緊急時の避難経路など苦肉の策なのでしょうね。

    駅舎と駅前広場だけ新しくて、一歩動けば、9年前のあの日ですべてが止まっていますね。あの瞬間まで普通に生活した様子が見て取れます。正直、常磐線が復旧するまでにはこういった民家や商店はある程度片づけられるかと思っていましたが、やはり主が戻らぬ建物だからでしょうか、だいたいが手つかずのようで胸が痛みます。
    「原子力・・・」のあのアーチ看板。撤去されたんですよね。
    たしかに今もあったらシャレになりませんからね。

    富岡でぶった切りましたが、意図が読めませんね。
    なにか食べに行く?路線バス? う~ん、わかりません。次回を待ちましょう。

    -Akr-
    2020年05月21日13時14分返信する 関連旅行記

    ホントにそのままでしたね


    Akrさま
    こんばんは

    今回訪れた3駅は、同時に復旧工事をやったからか、たしかに似たような造りの橋上駅になってしまいましたね。
    特に夜ノ森駅。あの旧駅舎を訪ねられるかと思って楽しみにしていたのですが、跡形もなくなってしまいました。

    大野−双葉間の複線をつぶしたのは、何か事故や故障で立ち往生したときの避難路として使うのでしょうが、将来的にそれが必要となくなた時に、逆に夜ノ森−浪江間、約15kmものすれ違い設備がない区間というのが、ダイヤ上のネックにならないかなとか思ったりします。

    他の2駅周辺はフェンスで道路ががっちりガードされていましたが、双葉駅周辺はそれがなくて町の中を自由に歩けたので、余計各家々が大急ぎで避難した状態のままというリアルな姿が見られました。あのあたり、けっこう写真を撮ったんですけど、かなり割愛したんですよね。ちょっと掲載するのはなあ、というのばかりだったので。

    あの有名な「原子力明るいエネルギー」の看板。さすがに撤去されてましたね。過去の写真、ネットで探したらいっぱい出てきたので、どの場所にあったのかがすぐに分かりました。

    さて、富岡からですが・・・ 久しぶりに駅を訪れたかったというのもあるのですが、そのあと、常磐線が全線復活したのなら是非乗っておきたかったあれで締めます。

    ---
    Tagucyan
    2020年05月21日22時02分 返信する
  • 祝!全線開通

    Tagucyan様

    こんにちは!長崎マリーンズです。
    既に【その4】まで拝見いたしました!

    常磐線の全線復旧・・・本当に長かったですね
    復旧に関して否定的なことを云う著名人とかもいるようですが、何はともあれよかったとも思います。

    東日本大震災は私が大学を卒業し、就職で長崎に帰った翌年に発生しました
    (別に希望して配属されたわけではありませんが笑)
    地震発生時、事務所のテレビから流れる映像に呆気を取られました。まさか同じ日本でこんなことが起きているとは・・・
    東北を訪れたのはそれから4年後でした。宮城県の山元町にイチゴ栽培の視察と激励を兼ねて添乗員として訪問したのですが、バス車内からの景色を見てお客さんも言葉を失っていました。

    私自身の思い出としては常磐線にE531系のグリーン車がデビューし、お試しで無料乗車が出来る時期のことです。当時上野から北千住まで常磐線を利用していたのですが、乗り心地が良くて気づいたらなんと柏!
    慌てて降りて改札を通ろうとしたら勿論北千住までしか定期が使えず締め出されました笑
    ちなみに当時春日部に住んでいたので柏からは野田線で帰りました笑

    長崎マリーンズ
    2020年05月18日12時20分返信する 関連旅行記

    ついにつながりましたね


    長崎マリーンズさま
    こんばんは

    正直言って、震災だけでなくそれに伴うあの事故があって、これは復旧には相当かかるだろうと思っていましたが、とにもかくにも全部つながりましたね。
    といってもこの地域の復興はこれから。その前段として、ひとまず鉄道をつなげたという感じでした。

    この地域には鉄道が部分的に復旧するたびに訪れていて、もう4回目です。ここ数年の間にこれだけ同じ地域に出かけるのも珍しいです。

    私は震災の年の秋に、乗り鉄とは別の用事で仙台に行ったときに空いた時間で津波に遭った地域を見ました。当時はまだ全然整理されていない状態で、文字通り言葉が出ませんでしたね。

    常磐線にE531系が登場して、首都圏近郊のJR線はだいぶグリーン車が普及しましたね。
    というか、うちの地元中央線以外の幹線はだいたい走っているという・・・ 中央線にもグリーン車増結の計画がありますが、そんなことするなら普通車12両化して混雑緩和をしてほしいです(笑)
    常磐線が15両で爆走しているのを、指をくわえて見ている中央線ユーザーでした。

    ---
    Tagucyan
    2020年05月18日23時19分 返信する

Tagucyanさん

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Tagucyanさんにとって旅行とは

旅の原点は子供の頃、親父が出張のために買ってきた時刻表。
それを毎日眺めてすっかりはまってしまい、小6のときから乗り鉄を始めました。
そしてさらにそこから発展して海外個人旅行にも出かけるように。
独身時代は国内乗り鉄と年2回程度の海外1人旅を楽しんでおりました。

その結果、平成11年に国内のJR私鉄含めた全鉄道路線を制覇。現在、新路線が開通するたびに防衛戦にいそしむ日々。
一方、新婚旅行でアフリカ大陸のチュニジアに行ったことにより、5大陸制覇。

が、子供ができてから全く海外に出かけておりません(泣) 現在はもっぱら乗り鉄専門です。
そろそろどこかパスポートが必要なところに行きたいなあ…

自分を客観的にみた第一印象

他人から見ればどうでもいいことに猛烈にこだわる、典型的B型人間。

大好きな場所

具体的にここ、と言うわけではないですが、相対的に人の少ない静かなところがいいですね。

大好きな理由

人混みが苦手なくせに毎日通勤電車に揺られているから。

行ってみたい場所

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