たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(8ページ)全1,854件
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- 基本情報
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投稿日 2023年07月18日
総合評価:5.0
愛媛県松山市にある松山空港。歴史は古く第二次世界大戦中に海軍航空隊が使用するために開設された松山飛行場に端を発し、あの紫電改を揃えた源田実司令の海軍第三四三航空隊(剣部隊)が拠点としたことでも知られている知る人ぞ知る有名な空港だ。
軍用飛行場としての遺構も残ってはいるようだが、旅客機を利用するだけではわからないようだ。昭和41(1966)年の全日空YS-11の墜落事故を受け、ジェット旅客機の利用ができるように滑走路を延長し、2000mの滑走路を完成させたのは昭和47(1972)年のことであり、日本国内の空港では6番目、中国四国地方でははじめてのジェット化空港となった。
平成3(1991)年には滑走路は2,500mに拡張され、ジャンボ機の離着陸が可能になるなど国際線を含めた長距離路線の運航もされるようになった。しかし利用客の伸び悩みもあり、路線の休廃止が続いたが、平成25(2013)年には初のLCCとしてジェットスター・ジャパンの成田線が就航し現在に至っている。
今回沖縄に向かうのに伊丹空港から松山空港を経由して那覇へと向かう全日空便を利用した。トランジットだけであったが、今年がちょうどジェットスター・ジャパン就航10周年ということで愛媛のゆるキャラみきゃんも参加してのほのぼのとしたイベントが行われていた。
規模は小さくはないが、やはり地方空港であり路線の就航状況は決して良くはない。そんな中で10年間運航を続けたジェットスター・ジャパンに対する感謝の思いはあって当然かも知れない。しかし空港の施設規模としては公式発表されている程の余裕は感じられず、ちょうどジェットスター・ジャパンの搭乗口が保安検査場の真ん前という場所だったために、イベント参加の人だかりが保安検査場の通過者に対して邪魔になっていることが目についた。ボーディングブリッジは他にもあるので敢えてこの場所にする必要性は感じられないが、そこまでは主催者側も考えてはいなかったとしか思えない光景であった。
空港や地元関係者がジェットスター・ジャパンに対する思いはわからなくもない。しかし空港利用者は他にも居る訳であり、その者達に不快感を覚えさせる必要は全くない。浮かれる気持ちはわかるのだが、その辺りは考えられるだろうとちょっと残念に思えた松山での40分であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- アクセス:
- 5.0
- 松山駅からリムジンバスで20分。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 少なくはないが多くもない。
- 施設の充実度:
- 5.0
- トランジットの時間だけならば利用できるところは多い。
-
投稿日 2023年07月16日
総合評価:5.0
県内で開催されている〝風鈴まつり〟という検索ワードで知った建部大社は9年ぶりの参拝だった。到着した折大雨で身動きが取れなくなり祈願風鈴が吊るされた神門下で雨宿りをした。そのため時間を十分に取ることができ、あらゆる角度で撮影した写真を得ることが出来たのは怪我の功名と言ったところだろうか。
開催すら知らなかったのだが、規模もそれ程大きくはない。風鈴まつりとしては…となるが、祈願の短冊も数が少ないということは、丁寧に祈願をして貰えると思えるのでそういった観点では訪れる価値があるイベントであると感じられた。
祈願風鈴の奉納は令和5(2023)年7月7日から8月6日で、8月7日に挙行される納涼祭で祈願して貰えるとのこと。また風鈴は8月17日の船幸祭の日まで神門に吊り下げられている。- 旅行時期
- 2023年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 京阪電鉄石坂線唐橋前駅から徒歩15分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 雨の中訪れている参拝客はいないようであった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 境内は砂利敷きである。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 境内はいつもながら近江國一之宮の風格が漂っている。
-
投稿日 2023年07月15日
総合評価:5.0
那覇市崇元寺町(現泊町)に山梨県出身の八巻太一によって設立された私立沖縄昭和高等女学校は、女子の実業教育を目的として昭和5(1930)年に開学した。英文・和文のタイプライターや簿記、珠算の能力を手にした卒業生の評価は高く、ソテツ地獄と呼ばれた大恐慌の時代に於いても満鉄や後の実業家を輩出し、当時5割に満たなかった沖縄の中等学校進学率を憂い、とりわけ女子の進学や卒業後の社会に融通の効く教育の場を設けることを念頭に掲げて開学に至ったことは碑文にも書かれていることだ。
そんな学び舎にも戦争の波が押し寄せて来ることとなる。太平洋戦争が泥沼化する中で、沖縄戦が避けられないものとなる中で校舎は弾薬庫として接収され、隣接する崇元寺境内に仮校舎を構えるものの、学生は陣地構築等に動員され勉強どころではなくなってしまう。加えて十・十空襲後は軍医による看護教育を受けることとなり、沖縄戦開戦直前の昭和20(1945)年3月には4年生17名が第62師団野戦病院壕(ナゲーラ壕)に配属されることとなる。他の学徒隊同様前線から運ばれてくる多くの重傷を負った兵士達の世話を休む間もなく続けて行くが、負傷兵の数が増え過ぎて病院壕のキャパを超える。壕の外にまで並べられた兵士達に罵声を浴びたりすることにも耐えながら仕事をこなしていった。
しかし戦況は悪くなる一方で、第32軍司令部の南下と伴に移動し、識名壕や武富壕を経て米須の第62師団野戦病院本部壕へと転戦する。一人では歩けない兵士に肩を貸したり担架で担ぎながらの移動であった。しかし既に野戦病院としての機能を果たせなくなっていた6月8日に解散命令が学徒隊にも出されたが、米軍の接近を知り南下を止めて本部壕に戻ったようだ。米須・武富・伊原の壕を行ったり来たりしていたが、二度目の解散命令が6月19日に出されることとなる。この際の学徒隊生存者10名のうちグループからはぐれた2名が戦死したが、残り8名は米須一帯を彷徨っているうちに米軍に収容され、九死に一生を得ることとなる。動員された17名のうち9名が戦死するものの8名が生き永らえたことはまさに奇跡とも言えよう。
手に職をつけようと入学した学校は戦火により焼失し、戦後復興することなく廃校となった。沖縄戦を生き抜いた生存者達によって学徒隊の中でいち早く慰霊祭が行われたのが私立沖縄昭和高等女学校慰霊祭、つまり梯梧学徒隊である。また慰霊祭を挙行するにあたり校舎跡地に梯梧之塔が建立されたが、後に犠牲者を出した伊原近くの現在地に移設され現在に至っている。この移設前の慰霊塔に関する記述がないので予想ではあるが、現在の梯梧之塔が学校跡地に建立されたものだと思われる。
現在安里川沿いの学校跡地には私立沖縄昭和高等女学校跡地と刻まれた碑が建てられている。マンションが立ち並ぶ場所の一角に建立された碑は、ただ通るだけではなかなか見つけることができないのではと思われる小さなものである。犠牲者を祀る米須の梯梧之塔、そして学校跡地の碑。どちらも花が開くことなく蕾で散った少女達が生きていた証であると私には思えてならない。地図に載っているものも少ないために周知されていない感はあるものの、学徒の足跡を辿るに是非訪れて頂きたいと強く感じた私立沖縄昭和高等女学校跡地であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- ゆいレール牧志駅より徒歩10分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には誰とも会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 碑の周りは舗装されている。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 通っていた少女達の声が聞こえてくるような気がした。
-
投稿日 2023年07月14日
総合評価:5.0
那覇市立大道小学校グランドの角に2体のブロンズ像がある。沖縄戦に於いて組織された学徒隊のひとつひめゆり学徒隊。学徒隊を構成した沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校がこの地に存在した。
ふたつの学校は教師の兼務等繋がりが深く、学徒隊を組織する際は両校の校友会誌名である沖縄師範学校女子部の白百合、沖縄県立第一高女のおとひめから大正5(1916)年に校舎を共有する併設校となった折に校友会誌名を統合しひめゆりとなったと言われている。
沖縄県に於ける優秀な女子が集まる両校ではひめゆりの響きが在校生・卒業生共に誇り高きものだったに違いない。
しかし女子の高等教育の場であった両校も沖縄戦によって本来の目的から外れることとなり、学徒看護隊として戦場に駆り出されることとなる。生徒222名は教師18名に引率され、南風原の陸軍病院に看護補助要員として派遣される。病院とはいえ野戦病院、丘に掘られた洞窟に二段ベッドが並ぶだけの粗末な場所が彼女達の職場であった。
日本軍が劣勢となり前線から多くの重傷を負った兵士が休みなしに送られてくる。中には病院に連れて来られて安心したのかこと切れる兵士達も少なくなかった。寝る間どころか一休みをする時間もなく彼女達は働き続けた。病院壕近くに着弾した砲撃により亡くなる学徒もいる中で、米軍が首里の司令部壕に近付いてきたことから野戦病院も南部に撤退命令が出され、糸満の伊原の複数の壕に分かれて看護補助業務に携わることとなる。しかしその場所も安住の場所とはならず、米軍が近づいて来ると学徒隊に解散命令が出される。今までは迷うこともある中で仲間同士で助け合いながら何とかやって来たことを一人ひとりで行うようにとの命令だ。鬼畜米英と教えられ、岩陰に隠れながらも進んで行くが戻ることはできない。どんどん海岸に押し込まれ、ある者は砲弾によって、またある者は手榴弾を使って自決する等ひめゆり学徒隊の犠牲者の9割近い少女達は解散命令後に出ていることからもその悲惨な状況は想像できるであろう。
昭和20(1945)年6月23日第32軍司令官・参謀長の自決によって日本軍の組織的抵抗は終わりを告げる。しかし引率教員を含む240名のうち学徒隊の犠牲者は136名(諸説あり)で実に半数以上の学徒隊が戦死している。また沖縄戦によって沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校共に校舎は消失したことは勿論校名までもが廃校となり無くなってしまった。
ひめゆり学徒隊で最も犠牲者を出した伊原第三外科壕前には終戦の翌年学徒犠牲者を慰めるひめゆりの塔が建立された。その後ひめゆり学徒隊を忘れないようにとひめゆり平和祈念資料館が建てられることとなった。しかし肝心の学校跡地が脚光を浴びるようになったのは21世紀に入った平成14(2002)年に附属校であった大道小学校グランドの片隅にひめゆり同窓会によってひめゆり学園跡のモニュメントが建てられる迄更に時間がかかっている。
せっかく建立されたモニュメントではあるが、知名度は高くなく、この場所に両校があったことすら知らないで帰る者も多いと聞いた。実は私もその一人であり、今回訪れるまで学園跡のモニュメントがあることすら知らなかったのが事実である。ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館の知名度が高過ぎることも理由ではあるが、折角学徒の足跡に興味を持つ若者が増えている中ではなにか物悲しさを感じてしまう。
夢の途中で斃れた少女達が尊いのは勿論だが、その少女達が夢を持って学んでいた場所を知る・知らないではその思いを感じるレベルが異なるように思えてならない。街中の一角にある狭い場所故に見つけるのも一苦労かも知れないが、ひめゆりの足跡を辿るためには決してスルー出来る場所ではないという思いを感じた私であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から車で15分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- モニュメントのまわりは舗装されている。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 蕾のまま咲くことのなかった少女の姿が目に浮かぶようだった。
-
投稿日 2023年07月07日
総合評価:5.0
嘉数高台公園から車で数分走ったところにある特養施設ぎのわんおもと園。その隣の場所に捧英魂碑と下田部隊慰霊碑が建立されている。
沖縄戦に於ける激戦地のひとつとされる嘉数の戦い。それに参戦した部隊が第62師団第64歩兵旅団独立歩兵第23大隊(大隊長山本重一少佐)と、予定では石垣島の独立混成第45旅団隷下の部隊となるはずが、沖縄本島の駐屯部隊数の絡みで急遽第23大隊を補完するための増援部隊となった独立歩兵第272大隊(大隊長下田直美少佐)の戦没者を祀るために捧英魂碑が昭和41(1966)年3月に、下田部隊慰霊碑は平成2(1990)年7月にそれぞれ部隊の生存者の手によって建立された。
捧英魂碑に祀られる第23大隊は、嘉数の戦いで多くの戦死者を出し、第22大隊に再編され後浦添の沢岻に転戦し、そこで山本大隊長以下将兵は玉砕する。また増補された下田部隊に至ってはどのように戦うかすら知らされないまま嘉数の戦いに挑んだ結果大隊長以下600余名の将兵は玉砕することとなる。両部隊とも多数の戦死者を出した場所としてこの地に慰霊碑を建立したとされている。
ぎのわんおもと園の隣とは言うがまさかこの場所がそうだとわかるには、知識がなければわからない場所である。事実前回のはじめて訪れた際は付近をグルグルと一時間程費やしてやっと見つけた次第である。そのため再訪となる今回は難なく来ることができたが、分かり辛い場所であることに変わりはない。また碑の建立時には部隊の生存者も存命だったが、数十年経った今日では流石に建立に携わった方も見つからず、沖縄県が発表している慰霊碑の中で管理者不明と記されていた。
ご近所の方々の好意で慰霊碑が確認できるレベルには手入れがされていることは、私のような者にとってはありがたい限りではある。慰霊碑の数の多さを踏まえると地方公共団体の手によって手入れをすべきだとも言えないのも事実である。今尚軍に対し嫌悪感を持つ者が多い沖縄県民だとは思うが、沖縄の歴史を残すという意味合いで、建立の由来が明確なものに対しては、保存対策をして貰いたいと改めて感じた私であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 嘉数高台公園から車で数分。歩いても5分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れる者も少ないようだった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段があり、足元は良くない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 史実を忘れるなかれと感じさせるものである。
-
投稿日 2023年07月03日
総合評価:5.0
4年ぶりとなった沖縄、そして奥武島の我が家ゲストハウスりゅうかく。訪れる度に何かひとつ変わったものを与えてくれる。今回は〝灰皿〟がなくなっていた。聴くとオタマジャクシのおうちに変わったそうだ。思わず苦笑いしたが、携帯用灰皿が用意されていた。
珍しく他にお客さんがいたため、202号室ツインルームの宿泊となった。一度泊まったことがあるので戸惑うことはないが、一人で使うにはやっぱり広過ぎる。一時期2連泊での宿泊に限定されていたことがあり、1泊で泊まらせて貰えるか心配であったが、それは自分達がコロナに罹患しないようにする〝防御策〟であることを知り、納得した。
部屋も綺麗で快適に過ごせ、朝食も美味しいことは今更言うまでもないことだ。沖縄に行き続ける限りこちらにお世話になり続けるだろう。6回目の宿泊となった今回も含め、次回に〝なに〟が変わっているか見つけることが今から楽しみであるお宿である。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から車で40分程度。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 消費税の絡みで少し上がったが、6,500円ならばお得感はあります。
- 客室:
- 5.0
- 海も見えます。
- 接客対応:
- 5.0
- オジイとオバァの人柄が私をここに引き寄せます(笑)。
- 風呂:
- 5.0
- シャワーだけですが快適です。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- こちらの名物のひとつです。
- バリアフリー:
- 4.0
- 2階の客室へは階段があります。
-
投稿日 2023年05月22日
総合評価:5.0
三良坂コミュニティセンターの設立が元となり、公園化と平和美術館の建設が行われ、平成初期に三良坂平和公園という名称が付けられた場所である。しかしナビ設定をするにあたり〝平和公園〟では検索できず〝平和美術館〟で検索しないと向かえない厄介な場所である。双三郡三良坂町から三次市に合併し、三次市平和非核都市宣言碑が建立され現在に至っている。
広島ローカルのニュースで紹介されていたことを受け、冬季に行われているイルミネーションイベントを見に行った。公園の規模としては広くはなく、SLの動輪と思われる物や平和を願う記念碑等が並ぶ場所に2本の樹木を中心として飾られた〝手作り感〟溢れるイルミネーションが飾られていた。
規模としては地域の町興し的なニュアンスで作られていると思われるが、その類のものは基本〝静〟的な物が多い中照明が動くことにより〝動〟を交えたものとなっており、規模の割には手が込んだ物のように感じられた。
然程離れてはいない場所に国営備北丘陵公園があるため、そちらのイルミネーションを見た後でも体験出来るような時間取りになっているため、せっかくならばまた違う意図で作られたイルミネーションという思いで訪れる価値がある場所だと思われた。- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 中国自動車道三次ICから国道184号線経由車で20分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- イルミネーションは無料である。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れtた際には誰もいなかった。
- 展示内容:
- 5.0
- 常設の記念物と上手い具合にコラボしていた。
- バリアフリー:
- 4.0
- 芝生敷きではあるが歩きやすかった。
-
投稿日 2023年04月28日
総合評価:5.0
三原市芸術文化センターポポロで行われている三原の冬の風物詩〝POPOLO PRESENTS 冬の祭りWinter Illumination 2022〟。令和4(2022)年も11/5~翌年1/9迄行われていた。例年〝瀬戸内海の青色〟というイベントテーマがあるようで、それに年によるアクセントが加えられるように作られている。
敷地隣には新幹線の高架があり、良くこのような場所でそこそこ大きいイルミネーションイベントが開けるものだとまずは感心した。しかし平日にも関わらず地元の方々が来訪が多く、観光客向けというよりは〝地元密着型〟の要素が強いと思えるイベントであった。
中庭がメイン会場となっているが、建物内にある〝楽器〟にもライティングやイルミネーションが施されており、青一色だと単純な印象を受けやすいイルミネーションにアクセントを加えていた。
駐車場は有料ではあるが、夜は1時間無料で停められるため車で訪れた方もゆっくり見学することが出来る。ただイルミネーション期間中に施設休館日があるため、その日はイベントが行われていないので注意が必要である。街中のイルミネーションは久しぶりだったので、斬新な印象を受けたイベントであった。- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 三原駅から車で5分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 地元の方が少し来ておられらた。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 中庭一杯に広がるイルミネーションは街中では珍しい。
- バリアフリー:
- 4.0
- イルミネーションエリアは芝生敷きであった。
-
投稿日 2023年03月18日
総合評価:5.0
三原市の北部山あいで旧御調郡久井町に位置する吉田スポーツ広場。そこをメイン会場としたイルミネーションイベントが毎冬行われている。始まりは22年前に遡り、回収した綺麗なペットボトルの使い道を考えた結果〝街興し〟を兼ねて近隣の住民グループがペットボトルとLED照明を用いてイルミネーション飾りを作ったことに端を発する。
最初は広場の一部を使った小さなものであったらしいが、年を追うごとにその規模は拡大し、現在では広場全体を使ったイルミネーションイベントとなっている。ペットボトル35,000本と40,000個のLEDを使用し、毎年〝テーマ〟を決めて作ることが恒例となっている。
作成の中心となっているのは〝吉田冬ホタルの会〟で、今年は高さ8mの塔や地元に生息するホタルなどを12のモニュメントとして1ヶ月を費やして仕上げ、塔のモニュメントの背景にはコロナ禍を乗り越えて明るい未来を願う〝あらたなスタート〟という電照メッセージが添えられており、来年こそは明るい一年になるようにとの願いが込められている。地元では〝冬の風物詩〟として知られていることもあり、オープニング時には地元の方々がイルミネーションに見入っている姿が新聞記事に掲載される位のものという認識がされているようだ。
イルミネーションの期間は例年12月1日から1月2日の17:30~22:00迄となっており、年末年始で帰省する方々がイルミネーションを見ることによって〝帰ってきて良かった〟と思ってもらえるように、12月31日から1月2日迄は夜通し点灯を行っている。
地域で行われている〝小さなイベント〟と捉えられる部分はあるかも知れないが、このイルミネーションイベントは個々の家庭にも普及しており、近隣住宅の家屋や壁にもイルミネーション飾りを点けてイベントを盛り上げている。
手作り感が溢れ出ているイルミネーションは、ただ飾り付けるだけでなく皆の〝願い〟が込められたものとなっている。よそ者が訪れてもその〝願い〟は伝わって来ることがほっこりと伝わって来ることに好感を覚えたイベントであった。- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 三次から車で約1時間。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- ひとり来場者がいた。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 公演一面が会場だった。
- バリアフリー:
- 5.0
- グランドなので足元は地面である。
-
投稿日 2023年03月18日
総合評価:5.0
三原市の北部山あいで旧御調郡久井町に位置する吉田スポーツ広場。そこをメイン会場としたイルミネーションイベントが毎冬行われている。始まりは22年前に遡り、回収した綺麗なペットボトルの使い道を考えた結果〝街興し〟を兼ねて近隣の住民グループがペットボトルとLED照明を用いてイルミネーション飾りを作ったことに端を発する。
最初は広場の一部を使った小さなものであったらしいが、年を追うごとにその規模は拡大し、現在では広場全体を使ったイルミネーションイベントとなっている。ペットボトル35,000本と40,000個のLEDを使用し、毎年〝テーマ〟を決めて作ることが恒例となっている。
作成の中心となっているのは〝吉田冬ホタルの会〟で、今年は高さ8mの塔や地元に生息するホタルなどを12のモニュメントとして1ヶ月を費やして仕上げ、塔のモニュメントの背景にはコロナ禍を乗り越えて明るい未来を願う〝あらたなスタート〟という電照メッセージが添えられており、来年こそは明るい一年になるようにとの願いが込められている。地元では〝冬の風物詩〟として知られていることもあり、オープニング時には地元の方々がイルミネーションに見入っている姿が新聞記事に掲載される位のものという認識がされているようだ。
イルミネーションの期間は例年12月1日から1月2日の17:30~22:00迄となっており、年末年始で帰省する方々がイルミネーションを見ることによって〝帰ってきて良かった〟と思ってもらえるように、12月31日から1月2日迄は夜通し点灯を行っている。
地域で行われている〝小さなイベント〟と捉えられる部分はあるかも知れないが、このイルミネーションイベントは個々の家庭にも普及しており、近隣住宅の家屋や壁にもイルミネーション飾りを点けてイベントを盛り上げている。
手作り感が溢れ出ているイルミネーションは、ただ飾り付けるだけでなく皆の〝願い〟が込められたものとなっている。よそ者が訪れてもその〝願い〟は伝わって来ることがほっこりと伝わって来ることに好感を覚えたイベントであった。- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 三原駅から車で30分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れたときは一人来訪者がいた。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 公園中が飾られている。
- バリアフリー:
- 5.0
- 足元は舗装はされてはいない。
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:5.0
徹旅の〝不泊日〟の宿泊として手配した。やはり決め手となったのはロケーションと食事付きの値段である。実はこちらには一度宿泊予約を入れたことがあった。三江線廃止前の〝乗り鉄旅〟の折、三次発の始発列車に乗るための〝前泊〟の予定であったが、明るい時間に完乗するには都合が悪い場所だったこともありキャンセルをしている。そのような経緯からエリア的にも再訪することもないと思っていたのだが、今回の備北エリアの車旅には打って付けの宿だということもあり改めて予約した。
9階901号室は喫煙シングルのお部屋。食事は夜は部屋での弁当で、朝は1階レストランでのバイキング。コロナ対策もされており、仕事絡みで宿泊している方が多いこともあるのか、比較的〝黙食〟が守られていたように感じた。
駐車場は広く満杯になることはないように思われるが、空いているところに駐車するような感じもあり、停め辛いと感じた場合はフロントに声を掛ければ対処してくれる。
旅行支援の対応もスムーズであり、チェックイン時に必要な書類の提示や起債など滞りなく済ませて貰え、気持ち良くチェックインできた。特に滞在中にイレギュラーな対応を受けることもなかったが、チェックアウト迄の時間を室内で快適に過ごせたと思う。
来ることはないだろうと思ってから約5年…ひょんなきっかけからお世話になることとなった。不思議な縁を感じたホテルにまた時期を変えてお世話になりたいと思いつつ出発した私であった。- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- JR三次駅から徒歩10分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 旅行支援を適用すると格安。
- 客室:
- 5.0
- 広くはないが清掃は行き届いており快適に利用できた。
- 接客対応:
- 5.0
- 良いと思う。
- 風呂:
- 5.0
- 広くはないが清掃は行き届いており快適に利用できた。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 種類も豊富で量も多い。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーター完備でスロープも切ってある。
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:5.0
広島から芸備線に乗車し2駅目の戸坂駅。広島市東区にあり〝広島市内発着〟の乗車券で乗降できる駅ではあるが、1面1線の無人駅である。歴史は古く芸備線の前身芸備鉄道の駅として大正5(1916)年に開業した駅である。芸備鉄道開業当初はなかった駅ではあるが、当時の戸坂村有志が芸備鉄道と掛け合い、整備費用と土地を提供することで開駅に繋がったという〝地元の駅〟でもある。芸備線という〝赤字ローカル線〟の駅というと利用客がいない〝過疎の駅〟と思われがちだが、ベットタウンとして住宅も多く、それなりの乗降客はいるようであった。
駅設備は簡易型自動改札機とIC専用簡易改札機、自動券売機が各一台設置されており、男女共用のトイレもある。駅に至る道は結構狭いが、駅横には大きな自転車置き場があり、免許を持っていない学生や若者達が、自転車を介して鉄道利用をしている様子が通勤通学時間帯には見られる駅でもある。
確かに列車の本数を考えると便利とは言えず、車の利用が増えていることは理解できるが、元学生だった私たちのように〝駅まで自転車〟が青春の1ページとして残って貰いたい雰囲気を醸し出している駅舎であった。- 旅行時期
- 2023年01月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 建物は古いが清掃は行き届いているようだった。
- バリアフリー:
- 3.0
- ホームに上がるのに階段があった。
-
投稿日 2023年01月17日
総合評価:5.0
三次市の都市公園である尾関山公園は、公園自体が山となっており桜やモミジの名所として花の時期には多くの花見客で賑わう場所である。安土桃山時代に当地の国人であった三吉氏の出城が築かれた後、広島藩主となった福島正則の重臣であった尾関正勝が尾関山城を築き当地を治めるようになる。その後福島正則が改易されると、正勝は城を去り配乗となるが、代わって広島藩主となった浅野長晟の子長治が支藩である三好範初代藩主として入場、五代藩主長寔が夭折後廃藩となり広島藩に還付される迄三次浅野家が領主を勤めた。
尾関山公園入口には阿久里姫の像が建立されている。初代三次藩主浅野長治の三女として生を受けた阿久里姫は、赤穂事件で知られる第三代赤穂藩主浅野長矩に嫁いでいる。生まれてすぐの縁談は政略結婚以外なにものでもなかったが、9歳で正妻として輿入れした後の夫婦仲は良かったという。江戸城に於ける長矩の吉良上野介殿中抜刀の罪により即日切腹・改易が申し渡された折は江戸にいたことが記録に残っており、長矩切腹後は実家の三次浅野家下屋敷に引き取られている。夫長矩の葬儀には参列していないとされてはいるが、その後落飾して瑤泉院と称したようだ。
一説には〝赤穂浪士の討ち入り〟時に瑤泉院から〝軍資金〟を与えられたとの記載もあるが定かではない。しかし切腹した赤穂浪士の遺児達が遠島を申し付けられた際赦免運動に尽力し、数年を経て江戸三次藩下屋敷で逝去、享年41歳。そして夫と同じ泉岳寺に葬られた。その〝遺髪〟がこの三次の鳳源寺に供養塔として残っている。今回は時間の都合で行くことが出来ないが、中世に於ける一大事件の〝名残り〟がここ三次にあることにはびっくりした。
またこの尾関山には旧三江線のトンネルが通っていたことでも知られている。廃止度5年が経とうとする三江線のことや赤穂事件との縁が歴史に繋がっている尾関山公園は花見だけが名所の場所ではないことを改めて感じたのであった。- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 三次駅から車で10分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期を外せば空いている。
- バリアフリー:
- 3.0
- 公園を上って行くのは難しいだろう。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 花見もそうだが歴史的にも興味深い場所である。
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:5.0
旅行支援を利用した鉄道旅の宿泊先として選んだ理由は、朝食付きで最も安かったというものであった。部屋は8階812号室のシングルルーム喫煙可のお部屋。各段広いとも言えないが格安ホテルのシングルよりもは広く、ゆったり寛げた。眺望は町の中にあるだけあってビルしか見えない。
室内の清掃は行き届いており、ユニットバスや洗面所等は気持ちよく利用できるものであった。
食事は1階レストランでの和定食。当日の宿泊者がビジネス・観光目的と分かれていたが、大人数での宿泊はなかったようで、静かにゆっくり頂くことが出来た。
駐車場は一晩500円で提供されている。ただあくまで〝コインパーキング〟形式であるためにチェックアウト時に駐車券の磁気処理をして貰った後に、出庫時に料金を支払うシステムを取っている。フロントの対応もしっかりしており、必要なことはすべて対応できているように見えた。
日が変わってからのチェックインだったが、テキパキと旅行支援を受ける手続きとクーポン配布まで滞りなく手続きをして貰ったこともあり、煩雑さから時間を要して不快になることもなくスムーズに手続きを済ませることが出来た。
滞在時間は10時間ほどと長くはなかったが、広島駅近にある割には静かであり、ゆっくりと休むことが出来た。以上のことからレンタカーを利用する・しない問わず利用する価値はあるホテルであり、コスパも高いと感じた。時期を変えてまた泊まりたいと思えるホテルであった。- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 5,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- 広島駅から徒歩5分程。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 旅行支援額を換算すれば良し。
- 客室:
- 5.0
- 綺麗で快適に利用できた。
- 接客対応:
- 5.0
- 感じの良い対応を心掛けておられるようだった。
- 風呂:
- 5.0
- 綺麗で快適に利用できた。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- おかずの種類が多い上、味噌汁・ご飯はお替り自由。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーター完備でスロープも切ってある。
-
投稿日 2023年05月22日
総合評価:5.0
旅行支援を受けられる宿泊先としてダイナミックパッケージで選んだ。チェックイン時に確認したところどうやら予約が入っていない様子。喫煙リクエストできる部屋は空いていたようでツインルームを宛がわれた。
部屋は広く駐車場の込み具合からすると通常のアップグレードでは考えられないことは良くわかる。トイレバス付のツインルームはシングルユースでは広過ぎる感があるが贅沢は言えないが、ゆっくり休むには十分であった。
場所的なことと値段のこともあるのだろうが、宿泊者無料の朝食バイキングは訪ねた時間も悪かったのかかなり混雑していた。お料理の補充はこまめにされており、そのあたりは〝朝食無料〟を前面にして販売しているルートインチェーンならではと思うのだが、任意に緩和されたとは言え結構な人数が集まる場所ではやはりマスクは付けて貰いたいと思うところがあった。
対応はして貰えたもののやはり0:00頃のチェックインでオーバーブッキングというのはかなり精神的にキツいものであった。幾ら気を付けていてもなくなるものではないにしろ、それが気になる点のひとつになってしまったことは残念であった。- 旅行時期
- 2023年03月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 三島駅より車で15分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 旅行支援を適用すれば高くはない。
- 客室:
- 5.0
- 広過ぎて落ち着かないところもあった。
- 接客対応:
- 3.0
- 悪くはないがオーバーブッキングの件が…。
- 風呂:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適に利用できた。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- ガッツリとイケるバイキング。
- バリアフリー:
- 5.0
- エスカレーターとスロープ完備であった。
-
投稿日 2023年05月22日
総合評価:5.0
時間的な都合でチェックインが遅くても良い宿として選びました。夜は車の多さ以外にそれ程宿泊者数の多さは感じなかったが、朝の食事時のレストランの混雑具合で気付いた次第である。
建物は後から増築したことがよく分かる造りになっており、エレベーターを下りてから部屋までの通路の長さにちょっと閉口した。
宿泊者が多い割には温泉施設の清掃が行き届いており、快適に利用することが出来た。アウトバスの喫煙シングルの部屋はビジネスホテルよりは少し広いもので、使い易さはあるものの、何故か〝灰皿〟が置かれていなかった。
翌日館内を歩いてみたが、レストランや温泉に向かうにはとにかく階段が多い。値段のことを考えれば苦言を呈するレベルではないが、足が悪い方にはちょっとキツいもののではないかと思えるところが残念だった。- 旅行時期
- 2023年03月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 沼津ICから国道136号線経由で約1時間半。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 旅行支援を含めれば安いと思う。
- 客室:
- 5.0
- 灰皿が置かれていなかった以外は快適に利用できた。
- 接客対応:
- 5.0
- 悪くはないが…。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 食事内容は悪くはないが、時間帯の管理はすべきであろう。
-
投稿日 2023年05月22日
総合評価:5.0
佐賀鍋島藩第28代武雄領主鍋島茂義公が、三韓征伐から戻った神功皇后が御船を繋いだことに由来する〝御船山〟を借景に作った壮大な池泉回遊式庭園であり、そこを会場として本年令和4(2022)年11月6日迄行われているライトアップイベントが〝ボルボ チームラボ かみさまがすまう森〟である。
武雄市街で行われている〝武雄あかりめぐり〟の一環として紹介されており、多くの観光客が訪れてその感想を書いていることから行ってみることにした。
事前に調べたつもりではあったが、会場の広さは想像以上であり、目安とされていた時間では到底回り切れるものではなかったのが残念だ。
時間的な余裕がなかったので写真屋動画も少ないが、これはやはり〝本物〟を見ないとその〝素晴らしさ〟はわからない規模の物であった。
今後の開催状況はわからないが、9回目以降が実施されるならば是非〝かみさまのすまう森〟だけを目的にして武雄を訪れたいと思わせるものであった。- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 嬉野ICから車で15分。
- 景観:
- 5.0
- 歴史と厳か感が感じられる。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 閉園時間ギリギリに到着したので比較的空いていた。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は舗装されてはいない。
-
投稿日 2023年05月16日
総合評価:5.0
白毫寺敷地の隣にある近藤ふじ園は、白毫寺の施設と間違われがちだが、全く関係のない個人の藤園である。
丹波の名木〝近藤家九尺ふじ〟として知る人ぞ知る場所であるが、兵庫県県警を定年退職をされた近藤美三夫氏が退職記念樹として昭和55(1980)年5月に初めて藤を植えられたことが始まりだと書かれていた。そし旧美和村エリアの美和の里が藤の名所となるきっかけとなって今日に至っている。
駐車場と入口は白毫寺のものを利用しているために藤園に立ち入るには白毫寺の入山料300円が必要である。そのことが白毫寺の施設と勘違いされる理由なのかも知れないが、双方に特別な関係はなくあくまで別ものである。しかし〝藤の名所〟としての位置付けは同じものであるために、それぞれの施設が相乗効果で素晴らしいものになっていると私には思えた。
白毫寺に行くならば必ず訪れるとは思うが、訪れる価値は間違いなくある場所であった。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 白毫寺の隣に位置する。
- 景観:
- 5.0
- 花穂が2m近くなる九尺藤はまさに圧巻。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 時期と時間に大きく左右される。
- バリアフリー:
- 3.0
- 舗装はされておらず段差もある。
-
投稿日 2023年05月14日
総合評価:5.0
有路集落の山間にある〝才ノ神の藤〟は、樹齢2000年と言われるヤマフジの古木を中心とした藤棚がある場所である。歴史に現れた祭ノ神の藤は、崇神天皇の治世四道将軍として丹波に派遣された丹波道主命が巡視中にアリが群がっていることから〝近くに人里がある〟と考え、その在りかを家来を供の者に探らせたところ、道端の大木の根元にある石を拝む老人を見つけ誰かと尋ねたところ〝才の神〟と名乗った。そのことを聞いた丹波道主命は〝畏れ多い〟と直に駆け付けて拝んだという。その場所ことが現在現地に残る祠の裏にある御神木のヒノキであり、それに絡まるヤマフジであるとされ、以降才の神として崇められ今日に至っているという。才の神を祀った丹波道主命は、その後丹波国主となり豪族の娘であった丹波之河上之摩須郎女を妻に娶り、その子であり第11代垂仁天皇皇后となる日葉酢媛命をもうけ、孫には第12代景行天皇や斎宮の伝説上の起源と言われる倭姫命が生まれ、その血筋は繁栄を極めたとされている。
勿論神話の時代の話なのでどこまで史実なものかは不明である。また御神木であるケヤキの木は幾度かの落雷のため、枝は折れ幹は裂け樹幹のごく一部と一本の太い下枝を残すのみとなっていたが、わずかに残っていた1本の太い下枝も平成25(2013)年の空梅雨で遂に枯死してしまい往時の面影はほとんど残ってはいない。唯一その老木の藤の根元に〝何かに絡まっていた〟痕跡が残っていることから往時を知るしかないのは残念である。しかしその老藤の根元には何か〝特別なもの〟を感じさせる何かがある。具体的に言い表せないのだが、オーラを放っているようにも見えなくはない。藤と言うと園芸種であるノダフジの〝砂ずり〟といった長い花穂のものが第一に挙げられるようだが、才の神の藤は自生するヤマフジが生育した珍しいものである。
地元の方々の尽力でここまで育った才ノ神の藤、地味ではあるが他の藤棚にはない〝神秘性〟をまた味わいたいと思う場所であると私には思えたのであった。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 舞鶴大江ICから車で15分程度。
- 景観:
- 5.0
- 見頃の時期にはまさに圧巻であった。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- それなりに観光客は訪れていた。
- バリアフリー:
- 3.0
- 芝生と土の広場なので足場は良いとは言えない。
-
投稿日 2023年05月14日
総合評価:5.0
由良川沿いに走っていた旧道は狭窄路とカーブが続く上に天候によっては通行止めになることもある交通の難所であった。それを改善すべく作られたのが平成10(1998)年4月開通の国道27号線和知バイパスで、それに合わせて道の駅和は作られた。
情報センターをはじめとしてレストランやお土産ショップなど、通常の道の駅の施設の他伝統芸能常設館や展示スペースといった住民のための〝地域スペース〟や地元発信の情報を発する〝宣伝スペース〟がバランス良く運営されており、地元と観光客の〝憩いの場〟としての役割を担っている。
シーズンを迎えると由良川で捕れた〝鮎〟等を食材としたBBQも楽しめる場所となっており、老若男女問わず憩いのひと時を過ごすことが出来る場所となっている。
国道沿いの道の駅とは言われているが、京都縦貫道和知ICからもすぐであり、訪れたGW後半初日はかなり混雑をしていた。
特に目を惹かれたのは〝産直野菜〟であり、これだけの観光客が訪れているにも拘らず品数豊富に保たれていたことは、宣伝に誇大広告はないということであろう。残念ながら時間の関係で購入はしなかったが、時間に捉われない旅路で訪れた際には、是非とも買い回りしたい場所だと思う。- 旅行時期
- 2023年05月
- バリアフリー:
- 5.0
- 足元は舗装されており、自動ドア完備である。
- トイレの快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適に利用できた。
- お土産の品数:
- 5.0
- 客数が多いにも拘らず品数は豊富にあった。






































































































































































