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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのトラベラーページ

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(4ページ)全1,843件

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  • 観光スポット
  • 基本情報
  • 斎場御嶽入口の郵便局である。

    投稿日 2024年03月23日

    知念郵便局 知念・玉城・八重瀬

    総合評価:5.0

    国道331号線斎場御嶽入口に位置する知念郵便局。以前は集配を担当していた郵便局であるが、郵政民営化後は南風原中郵便局にその業務を移している。

    ゆうちょ銀行TMはホリデーサービス実施店であるために、休日でも懐がさみしくなった時にお金を下ろすことができる。また風景印もあり、絵葉書を書いて〝知念郵便局〟と銘を打った消印をついて送ることができるので、何かと利用価値は高い場所である。

    今回は旅行貯金をするために訪れたが、何かで見たことがあるような気がして記録を辿ると、斎場御嶽を訪れた際も訪れていたようだ。二度あることは三度ある…そのうちにまた訪れることがあるだろうと不思議な縁を感じた郵便局であった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    がんじゅう駅・南城駐車場から徒歩すぐ。
    人混みの少なさ:
    5.0
    時期と時間によりけりだが、訪れた際は空いていた。
    バリアフリー:
    5.0
    スロープと自動ドアが完備されている。
    見ごたえ:
    5.0
    旧集配局の面影を残した郵便局であった。

  • 南城の情報発信地であり駐車場でもある。

    投稿日 2024年03月23日

    体験滞在交流センターがんじゅう駅 南城 知念・玉城・八重瀬

    総合評価:5.0

    国道331号線知念岬近くにあるがんじゅう駅・南城。今回は近くの郵便局に行くために立ち寄った。斎場御嶽の駐車場兼チケットブースが設けられており、こちらに車を停めてチケットを購入し、斎場御嶽まで歩いて行く。道の駅としての役割もあり、沖縄土産や地元産物を購入できる場所でもあった。

    最近のコスプレブームからか〝琉装〟体験が低価格で体験でき、敷地内での写真撮影等ができるようだ。がんじゅう駅より海側にある知念岬に行くには、そちらの駐車場を利用した方が便利ではあるが、情報発信拠点としての〝使い勝手〟のことを考えると、こちらの駐車場を利用して、施設を楽しむ方が良いように思える場所であった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    南風原南ICより車で30分程度。
    人混みの少なさ:
    3.0
    時期や時間に大きく左右される、
    バリアフリー:
    5.0
    自動ドア完備で専用駐車スペースが設けられていた。
    見ごたえ:
    5.0
    品物や施設など立ち寄って損はない場所である。

  • 展望台って…どうよ。

    投稿日 2024年03月23日

    ニライカナイ橋展望台 知念・玉城・八重瀬

    総合評価:5.0

    沖縄県道86号南風原知念線を南風原側より走り、航空自衛隊知念分屯基地を越えたところに位置するニライカナイ橋。海側に向かって大きくカーブを描く橋は全長660m、高さ80mの大きな橋は、沖縄島南部の観光地のひとつとして有名なものである。

    設計上の意味合いも勿論あるものの“見どころ”としての位置付けが強い場所でもある。数年前にも一度訪れてはいるが“ニライカナイ橋展望台”という表記が地図上でなされており、なにか変わりがあったのかと再訪することにした。

    結果としては何も変わらず、県道を跨ぐトンネルの上の場所を“展望台”と呼んでいるに過ぎず、相変わらず“路駐”をしなければ行くことができない場所であった。

    変わったことがなければ長時間滞在する場所ではないため、即座に撤収する。また橋自体は駐停車禁止区間であるにも拘らず、観光客が車を停めたり、タクシーが急にスピードを落として客に眺望を見せるために走ることなどがあることも事実である。

    見せるために作られた橋は、全体の“景色”を最大限に引き出すために、カーブの先の様子が分かり辛い等走行するには決して走り易い道ではない。

    有名な観光地のひとつとして駐車場を作ることを含めて、事故対策を考えて貰いたい場所のひとつだと思ったことには変わりない観光地であったと思う。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    南風原南IC
    景観:
    5.0
    那覇空港道南風原南ICより車で30分。
    人混みの少なさ:
    3.0
    人がいない時は無いに等しい。
    バリアフリー:
    5.0
    舗装はされている。

  • 間違いないニライカナイにつながる橋です♪~ニライ橋カナイ橋~

    投稿日 2016年03月04日

    ニライ橋 カナイ橋 知念・玉城・八重瀬

    総合評価:5.0

    沖縄県南城市の県道86号線にある全長1,200mのニライカナイは、山側のニライ橋と海側のカナイ橋からなる大きく曲がりくねった橋脚の総称です。

    ニライカナイとは沖縄で海の向こうにある理想卿という意味ですが、トンネル上の展望台からはその窓口となる琉球開闢の祖アマミキヨが降り立ったとされる聖地久高島を望むことができることなど文字通りニライカナイに通ずる場所としての景色を楽しむことができる場所になります。

    ニライカナイ橋は駐停車禁止となっており、橋脚上に車を止めることは出来ません。頂上付近にあるトンネル上にある展望台から眺めるのが一番良いのですが現在車止めがつけられており、展望台に車を乗り入れることは出来ません。車止めの前に路駐して歩くことになりますが、スペースが広いわけではなく2台が限界でした。

    ドライバーが2人いて交代で見に行くことができるならともかく、1人であれば夕方や早朝など人が集まらない時間を選んだ方がいいように思えます。日暮れ30分前でも写真のようにバッチリ見ることができました!

    旅行時期
    2016年03月

  • 長年の夢であった伊江島タッチュー登山。

    投稿日 2024年03月18日

    伊江城山 伊江島

    総合評価:5.0

    本部から船で30分の距離にある伊江島、そのシンボルとも言える城山(タッチュー)は、近くて遠い場所として対岸の本部から何度その姿を拝んだかわからない。今回その念願が叶い〝4回目の正直〟で伊江島渡航が叶った。中でも最も手強い場所である〝城山〟。標高172mとは言え侮ると失敗する。一月に行く理由はここにもあった。6月の暑い時期だとヘタレでは登り切れないかも…という心配もあった。

    1月29日は晴れてはいたが気温は20℃程度、登山にはうってつけである。最初は平べったい道が続くがすぐに石段に変わる。そして上へと登るに従い勾配も急になって来る。でも山頂から降りてきた湧出で出会った奥さんに〝もう少しですよ~〟と声をかけられて頑張った。結果10分で城山頂上に到着。ヘタレは山歩きをして死ぬ思いを何度もしているが、山頂がそれほど広くない城山では、360°広がる景色から流れてくる風が本当に気持ち良く、登って正解だったと改めて思った。景色は勿論だが普段から鈍っている体を動かすには、以外にも丁度良い刺激になったように思えた。

    美ら海水族館迄来たら絶対に来るべき場所だと再認識した城山タッチューであった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊江港から車で10分程度。
    景観:
    5.0
    山頂からの景色はやはり素晴らしい。
    人混みの少なさ:
    5.0
    訪れた時間では一組と登山道ですれ違った。
    バリアフリー:
    3.0
    標高が急になれば石段は急になって行く。

  • 米軍の従軍記者であったアーニー・パイルの戦死場所である。

    投稿日 2024年03月17日

    アーニーパイル記念碑 伊江島

    総合評価:5.0

    米国インディアナ州の出身であるアーニー・パイルは、第二次世界大戦に従軍記者として同行した新聞記者である。彼の入隊は〝通信兵〟であったが、戦場となった各地を転戦し、戦場から無名兵士たちの模様を報道して全米を感動させた〝戦場カメラマン〟でもある。その〝写真〟を介した情報発信は欧米の多くの民衆の関心や感動を呼び、1944年にはジャーナリストとして最高の名誉であるピューリッツアー賞を受賞している。その際一時的に米国に帰国しているが、すぐに第77歩兵師団に入隊し、再び戦線へと赴いた。

    沖縄戦に於いては第77歩兵師団零下の米軍第305連隊と行動を共にしていた。伊江島での戦いのさなか昭和20(1945)年4月18日に他の将校たちとジープに乗って移動していたところ、伊江島守備隊の機関銃小隊からの銃撃を受ける。一旦は降車して身を隠したところに続けて撃たれた銃弾が命中し戦死した。享年44歳。

    彼の亡骸は粗末な木の十字架の下にヘルメットを装着したまま埋葬された。その後米軍基地内に移された後、1949年にハワイ・ホノルルの国立太平洋記念墓地に埋葬された。そして毎年4月18日に最期の地となったここ伊江島にて慰霊祭が行われている。

    彼自身のジャーナリストとしての活動の中に〝兵士〟という概念はなかったようだ。そのことは彼の〝戦争道具〟一覧に記されているノート・ペンそしてタイプライターであったということからもわかることではある。しかし戦時下であり、かつ〝負け戦〟の様相を呈している日本軍兵士に、相手を選ぶ余裕はない。むしろ少しでも多くの〝米兵〟を殺すという〝義務感〟に苛まれていたであろう。そんな中に現れた米軍将校が乗るジープと遭遇すれば、手あたり次第に銃撃したであろう。殺さなければ殺される…それが戦争であり、人間の心を蝕む要因となることは、今も昔も変わってはいない。

    ただ相手は伊江島を占領した米兵である。そういった立場で言うならば〝勝てば官軍〟そのものであろう。彼の戦死場所はその後綺麗に整備され、現在でも〝アーニーパイル記念碑〟の場所として伊江島観光の場所として多くのガイドブックに取り上げられている。

    戦死した兵士に敵味方は関係ないが、村民を含めた多くの日本人が亡くなっている場所でのこの違いは正直違和感を感じずにはいられない。伊江村長が述べた〝私達村民は誓う 二度とあの忌わしい戦争を繰り返さない、平和な世界を築くことを〟という言葉にも、反論を持つ者は絶対にいると不思議にも感じたアーニーパイル記念碑訪問を終えた私の気持ちであった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊江港から車で5分程度で到着できる。
    人混みの少なさ:
    5.0
    訪れた折には誰にも出会わなかった。
    バリアフリー:
    5.0
    入口の階段以外はしっかり整備されていた。
    見ごたえ:
    5.0
    明らかに周りの風景とは異なっている。

  • 戦火を潜り抜けた築95年のコンクリートの建物である。

    投稿日 2024年03月17日

    公益質屋跡 伊江島

    総合評価:5.0

    伊江村中央公民館の敷地内にある公益質屋跡は、昭和4(1929)年12月に政府の融資を受けて設立されたものである。設立当時は世界大恐慌のため村の財政や村民の生活が苦しい時期であり、高利貸しの暴利に泣く村民に低利の融資を行うことで生活の安定を図ることを目的とした。公益質屋は大正元(1912)年に社会福祉事業の一環として設置された非営利的な金融機関であり、大正13(1924)年頃に全国に広がったとされている。

    昭和20(1945)年4月16日からの六日戦争に於いて、学校陣地が置かれたこの界隈は米兵から〝血ぬられた丘〟と称される程の激戦が繰り広げられ、米軍上陸準備のために艦砲射撃を開始した3月28日以降2週間に渡り空と海から昼夜問わず爆撃が加えられ、村の建物は悉く焼き払われた。

    その中で公益質屋は〝質物の管理・保存〟のために頑丈に作られており、砲撃を受けながらも辛うじて原型を留めることができた。しかし現在でも見られるように建物の内外には無数の弾痕や砲撃の痕が残されており、戦争の恐ろしさを後世に伝える存在として村の史跡に指定されるにあたり、建物内部の補強や壁面の保護などが外観を損なわないように施され、現在にその姿を伝えている。

    伊江島戦跡の代表と言われるこの〝公益質屋跡〟は、伊江島を訪れたく思う理由のふたつ〝伊江島タッチュウ〟と共に私の中でずっとその〝価値〟を呈し続けていた。実際に見て、歩いてみてその存在感は期待通りの素晴らしい建造物だったと改めて思った。

    ここは文章で書かれたからその価値がわかるレベルのものではない。見るだけで何かを感じられる場所である。戦跡に〝良い場所〟も〝悪い場所〟もないのだが、沖縄戦の生き字引を目の当たりにして心を動かされないものはいないだろうと確信した場所でもあった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊江港より車で10分程度。
    人混みの少なさ:
    5.0
    訪れた際には誰にも出会わなかった。
    バリアフリー:
    3.0
    足場はあまり良くはない。
    見ごたえ:
    5.0
    砲爆撃の凄さが伺える。

  • 伊江島の戦いでの戦没者を祀っている。

    投稿日 2024年03月17日

    芳魂之塔 伊江島

    総合評価:5.0

    ニーバナ児童公園内に建立されている〝芳魂之塔〟。伊江島での戦闘に於ける伊江島守備隊と、その戦いに於ける住民の戦没者を祀る為に1951年4月20日に建立された。当時の沖縄群島知事平良辰雄氏の書による碑銘と、伊江島の三大歌人の一人である名嘉元浪村の〝ひねもすを とヾろ とヾろと 潮騒の 声をまくらに ここだくも 眠れる霊の 夢まどかならむ〟という歌が刻まれている。

    長年に渡る風雨に晒され劣化したものを平成13(2001)年3月に境内の拡張並びに塔の建替えが行われ、また同時に塔に向かって右側には礎が併設された。この礎には村外での戦没者も刻銘されており、伊江島の〝戦没者慰霊碑〟として現在に至っている。

    伊江島に於ける終戦とは昭和20(1945)年4月21日の米軍に於ける〝伊江島占領〟が宣言された日となっており、毎年4月21日に慰霊祭が行われていたが、昭和52(1977)年の33回忌を以って慰霊祭は終了し、翌年からは〝平和祈願祭〟と称し、遺族は勿論、県内を始めとする子供達も参列し、平和を考える式典として現在に至っている。

    慰霊碑についてはいつも思うところがある。終戦後の混乱期に材料も乏しい中で作り上げられた〝粗末な慰霊碑〟、それが劣化を理由に建て替えられて立派な物が建立されることは良いのだが、観光名所として取り上げられるがために〝初代の碑〟の存在が蔑ろにされている残念な現実だ。〝芳魂之塔〟も例に漏れずwebで検索した限りでは〝初代の碑〟の映像が見つけられなかった。

    沖縄平和記念公園の〝平和の礎〟を彷彿させるような立派な物が目の前に広がっている。それはそれで慰霊の気持ちには変わりはないのだが、70余年前に建立された初代の碑がどのような状況下で作られたものなのかを知らなければ、ただの慰霊碑としか見えなくなってしまうことに対する危惧は否めない。古き物にはそれなりの背景がある。それを残して欲しかった…と少し残念にも思った私であった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊江港から車で10分程度で到着できる。
    人混みの少なさ:
    5.0
    訪れた際には誰とも出会わなかった。
    バリアフリー:
    4.0
    塔の周りは石が貼られているが段差はある。
    見ごたえ:
    5.0
    慰霊碑としてはかなり大規模な物のように見受けられた。

  • 湧出を眺める展望台。

    投稿日 2024年03月16日

    湧出展望台 伊江島

    総合評価:5.0

    伊江島の古の水源である湧出、そこに新たに建てられた展望台である。高さはそれ程高くはないが、伊江島自体が標高が低いために360°の展望が楽しめる場所となっている。ただ海側にせり出ているわけではないので、湧出の〝水の湧き出し口〟までは見えないのが残念である。それでも大海原が眺める場所であることは間違いないので、話のネタには訪れて損はない場所だと思う。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊江港から車で10分程度。
    景観:
    5.0
    海岸沿いで大海原が望める場所である。
    人混みの少なさ:
    4.0
    少なくはなかった。
    バリアフリー:
    5.0
    スロープは切ってあった。

  • 島の貴重な水源であった場所である。

    投稿日 2024年03月16日

    湧出 伊江島

    総合評価:5.0

    海岸沿いにある湧出は、離島の悩みである生活用水を得る貴重な場所として古来より利用されていた。海に向けて湧水が湧いていたが、この崖の下まで60mもの高さを水を汲みに行くことは容易なことではなかったという。戦時中も昼間は艦砲射撃の標的になるからと、夜を待って崖を下りて行ったりしていたが、足元は急峻な崖であり、足を滑らせて怪我をしたり亡くなったりした者もいたといわれている。

    戦後になって米軍らの手によって輸送管路が設置され便利になり、水不足に悩んだ島もたちまち水のあふれる島になったことは皮肉なものである。現在では島の水源地を本部半島からの海底送水によって生活をしているが、湧出の湧水を利用したサイダーなどが地場産業として土産物用等に作られている。

    誰が見ても水汲みが生易しいものでないことがわかる急峻な崖を見て、古の苦労を観光客が知るのにはうってつけの場所だと思う。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊江港から車で10分程度で到着する。
    景観:
    5.0
    崖の高さに先ず驚く。
    人混みの少なさ:
    4.0
    少なくはなかった。
    バリアフリー:
    3.0
    足場は良くはない。

  • 伊江島の色々が集まる場所であった。

    投稿日 2024年03月16日

    伊江島はにくすに 伊江島

    総合評価:5.0

    伊江島はにくすには伊江港にある複合施設が入っている建物である。場所や形を見る限りでは、伊江島航路のチケット発券とお土産物屋というイメージを受けるが、館内にはホールやセミナールームも兼ね備えた文字通り〝伊江島の物流・文化の中心〟施設である。

    地元の方々向けの施設はともかく、施設内にある〝郷土資料館〟と〝平和資料館〟は、伊江島を知る上で訪れて損はない施設となっている。

    ただ洒落た建物ではあるが、建物が2階でホール棟とターミナル棟が繋がっており、観光客が利用しない2階のホール棟からのアクセスは凄くわかり辛く、別棟のような印象を受ける。むしろ観光客が利用するような施設を同一棟に集め、別棟に地元用の施設を集める方が、導線が出来て購買や観覧に繋がるのではないだろうか?そんな風に思えたことが一つ残念な場所であった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊江港からすぐ。
    お買い得度:
    5.0
    地場産の物がお安く購入できる。
    サービス:
    5.0
    地元の方との暖かい触れ合いがある。
    品揃え:
    5.0
    地場産の物の種類が豊富。
    バリアフリー:
    4.0
    エレベーターは完備しているが、階段や手動ドアの部分もある。

  • 最近になって再び利用するようになった。

    投稿日 2024年03月16日

    スカイマーク アジア

    総合評価:5.0

    LCCがなかった頃はよく利用していたが、その後ご無沙汰だった時期もあるスカイマーク。最近になって間際手配の料金と時間の観点から再び利用するようになった。昔プライオリティシートはなかったが、現在は最前列6席を〝フォワードシート〟として〝当日販売〟のみで提供されている。1,000円という料金はJALのClassJの当日アップグレードと同じだが、まぁ価値的なものから言えば劣るかも知れない。しかしLCC利用で追加される金額を思えば安い上、僅かではあるが〝追加サービス〟もあれば利用価値はあると思う。シートピッチが広いこともあり、長距離搭乗するならば価値は上がるのだが、私の最長利用区間は多分神戸~那覇間位であろう。

    今回〝運賃〟を気にし過ぎてフライト時間を間違えたためにバタバタしたところはあったが、いつも以上に疲れた帰路を休ませてくれた感は強い。

    沖縄に行く場合は帰りの利用価値は、フライト時間という点では最も利用価値が高い航空会社だと思っている。今後とも利用し続けたい航空会社のひとつであった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    搭乗クラス
    エコノミー
    航空券の価格
    20,000円未満
    直行便
    直行便
    コストパフォーマンス:
    5.0
    値段に飛びついて手配したことからもわかるであろう。
    接客対応:
    5.0
    いつもながら良い感じである。
    機内食・ドリンク:
    5.0
    フォワードシートで差をつけているのは大きい。
    座席・機内設備:
    5.0
    シートピッチの広さがありがたい。
    日本語対応:
    5.0
    勿論問題ない。

  • 伊江島の戦中戦後が〝見せつけ〟られている資料館である。

    投稿日 2024年03月15日

    反戦平和資料館 伊江島

    総合評価:5.0

    ヌチドゥタカラの家は沖縄の平和運動家である阿波根昌鴻が自宅の敷地内に開設した私設の資料館である。沖縄県国頭郡伊江村東江前に位置し、現在は一般財団法人であるわびあいの里が〝やすらぎの家〟と共に経営を引き継いでいる。

    展示品は故阿波根昌鴻が収集した沖縄戦やその後の米軍による土地の強制収用・基地問題などに関する資料であり、個人の収集という側面からか〝綺麗に〟見せるという作りではなく、その品々が〝そのまま〟置かれているために、訪れる者の心を直球で打ってくるようなインパクトを与える資料館であった。

    計画を立てた際に参考にしたデータが古いものなのか間違っていたのかは知らないが、入場料が必要であることを知らずにそのまま出て来てしまった。

    戦争資料館というと〝悲惨〟というイメージがついて回るような気がするのだが、こちらの展示物はまた違い〝ひとつひとつ〟の資料が疑問提起を観覧者に訴えかけ、自らが〝どう思うか?〟という答えを導き出させるように思えるインパクトの強さが印象に残った資料館であった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊江港から車で5分程度で到着する。
    コストパフォーマンス:
    5.0
    300円は高くはないであろう。
    人混みの少なさ:
    5.0
    訪れた時間帯は誰にも会わなかった。
    展示内容:
    5.0
    訪れる者が答えを出すようにと訴えかけているように思えた。
    バリアフリー:
    4.0
    入口に小さな段差はあった。

  • 伊江島と本部港を結んでいるフェリー。

    投稿日 2024年03月15日

    伊江島フェリー 美ら海・本部・今帰仁

    総合評価:5.0

    沖縄本島の本部港と伊江島の伊江港を25分で結んでいる伊江島フェリー。伊江村営というだけあり始発は伊江港発で、最終便は伊江港行きとなっている。600~700人定員のフェリー〝いえしま〟と〝ぐすく〟の二船が就航しており、通常は4往復であるが繁忙期対応では8往復迄対応できるようだ。

    今回の主目的のひとつである〝伊江島散策〟になくてはならない航路ではあったが、出発1週間前に〝ぐすく〟が伊江港手前でエンジントラブルを起こし、運航から外れるというニュースが入ってきた。乗船予約は入れており、なんら不都合があるならば連絡が来るところが何もなかったことで、予定通りの出発をした。結果としては〝いえしま〟1隻が往復するということで問題はなく、本部から伊江島の往復をすることができた。

    乗船時間が25分と短いために、車内に滞在することも可能である。また乗船時は車の〝サイズ別〟に乗船順位が決まっており、軽自動車は一番後の乗船で、下船は一番先となっていた。今まで利用してきたフェリーは前進乗下船であったが、伊江島フェリーは後退乗船・前進下船でちょっとびっくりする。

    天気も良く風もなかったので、乗船時間を快適に過ごすことができたのだが、欲を言えばもう少し海の旅をしても良かったかな…と思えた伊江島航路のフェリー旅であった。

    旅行時期
    2024年01月
    コストパフォーマンス:
    5.0
    離島間フェリーでは安いように思える料金であった。
    人混みの少なさ:
    4.0
    月曜日の朝は少し混雑していたようだった。
    バリアフリー:
    5.0
    客室へのエレベーターは完備していた。
    乗り場へのアクセス:
    5.0
    本部港からすぐの場所から乗船する。
    車窓:
    5.0
    利器と変わらぬ景色が流れることがまた新鮮であった。

  • 伊江島への玄関口である。

    投稿日 2024年03月15日

    本部港フェリーターミナル 美ら海・本部・今帰仁

    総合評価:5.0

    本部フェリーターミナルは伊江島へと渡るフェリーの上下船場である。今回はレンタカーを航送して伊江島を車で巡る為に訪れた。車の航送には原則予約が必要であるが、空いていれば乗船可能である。車検証を持って窓口に出向き、乗船手続きを行う。代金の支払いにはクレジットカードの利用は可能だが、QR決済は最近使えなくなったらしい。手続き終了後乗船券を受け取り、乗船待合に並ぶこととなる。チケットの版権を渡し、バックで乗船する形式でフェリーを利用するのは、初めてである。

    車を利用すると行きに窓口に行くだけではあるが、徒歩での乗船の場合往復で利用することになるが、数は少ないもののおみやげ物も売られており、乗船前と乗船後のひと時をゆったり過ごせる場所であった。

    旅行時期
    2024年01月
    コストパフォーマンス:
    5.0
    離島フェリーでは良心的な料金だと思える。
    人混みの少なさ:
    4.0
    月曜日の朝一便は〝業務〟での乗船が多い様だった。
    バリアフリー:
    5.0
    スロープと自動ドアは完備していた。
    乗り場へのアクセス:
    5.0
    ターミナルからの乗船はすぐである。
    車窓:
    5.0
    これから向かう伊江島に心が弾む。

  • 14~17歳の少年が従軍した部隊である。

    投稿日 2024年03月15日

    第二護郷隊之碑 恩納・読谷

    総合評価:5.0

    恩納村の国道58号線から山手に入ったところに建立されている第二護郷隊之碑。第二護郷隊というものは通称で、正式には第四遊撃隊である。大本営直轄部隊として陸軍中野学校卒の士官が隊長となり、隊本部の副官クラスや小隊長分隊長などは在郷軍人が当てられた。388名の少年は国頭・大宜味・東村を中心に中頭郡から集められ、3個中隊からなる部隊であった。

    米軍の沖縄上陸後は、正規の部隊は戦闘の最前線に移動しており、その後方を〝攪乱〟する〝ゲリラ部隊〟としての役割を担うために恩納岳を中心として戦いに参加していた。途中戦線を脱した特設第一連帯零下の飛行場大隊等の兵も加わり、一時は1,000人を超える規模になっていたとされている。同じ敷地内にある〝第四十四飛行場大隊之碑〟に祀られている第四十四飛行場大隊もその加わった部隊のひとつである。

    少年達で結成された護郷隊は、他の地元徴収の部隊と同じく武器らしい武器も持たず、情報戦と機雷を抱えた自爆攻撃が主であった。そんな中でやはり同じく少年を集めた〝第三遊撃隊〟の村上隊長と連絡がつき、第32軍司令部の玉砕を知ることとなる。第四遊撃隊の岩波隊長は、各隊員は出身部落の家族の下に帰還し、家業を行いつつ情報を収集する命令を発し解散命令を出す。各隊員の少年達は帰村して家業に就くとともに、中隊長・隊本部に情報と食糧を適宜提供したが、その後隊が再結集する命令が出ることはなかった。

    その後第四遊撃隊の岩波隊長は8月15日の〝終戦の報〟を聴取し、暫くはゲリラ戦を継続させていたが、9月に入ると越来で終戦協定が結ばれたことを知り、住民を通じて米軍からの下山勧告もあったことから遂に10月2日に各中隊長とともに降伏し米軍収容所に入った。一部例外はあるものの沖縄本島に於ける戦いを最後まで続けていた第三・第四遊撃隊が降伏したことで、日本軍の組織的抵抗が終わってからも続いた戦闘はこれで終わることとなる。この第四遊撃隊(第二護郷隊)に動員された少年達400名のうち69名が犠牲となった。そして昭和31(1956)年9月、生存した第二護郷隊の元隊員達〝護郷の会(第二護郷隊の戦友会)〟の手によってこの場所に〝第二護郷隊之碑〟が建立された。

    他の現地徴兵した部隊の慰霊碑同様、同窓会や戦友会の構成員の高齢化により護郷の会も既に解散している。しかしその後を日が建立されているエリアの〝安富祖子ども会〟の手によって第二護郷隊之碑・第四十四飛行場大隊之碑がある敷地を慰霊の日に清掃し、その場で体験者の話を聞くなど独自の取り組みを行いつつ現在に至っている。また遺族の参拝は引き続き行われており、うるま市の地蔵院に祭壇が設けられている。

    年端もいかない少年を集めた部隊といえば、本来保護されるべき年齢の少年達が〝大人の事情〟によって駆り出された〝悲劇〟ということを形容するような言い方をする者もいるが、そんな簡単なものではないであろう。学校が提出した〝生徒名簿〟を教師の側が拒否したということも語られていない史実のひとつである。戦争の是非論を今更言うまでもないが、ひとつの理由の〝たられば〟では絶対に解決策が出てこないこともまた事実である。

    私の場合偶々の理由で碑の存在を知り立ち寄ったに過ぎない。固定資産税が受け取れないから、建立者や世話人不明の慰霊碑を沖縄県は定期的に公開しているようだが、そういったものをデータ化するのであれば、こういう慰霊碑が〇〇にあるといった情報を集めて資料にすることもできるであろう。私自身この碑の入口前の道路を知らないで通過していたことは数え切れない位の回数がある。知らないから行かないではあまりにも悲し過ぎる。今後の行政側の対応を期待したいと思った私であった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    国道58号線の入口から車で5分程度。
    人混みの少なさ:
    5.0
    私以外に訪れている者はいなかった。
    バリアフリー:
    3.0
    入口の坂は舗装はしてあるがかなりきつい勾配だ。
    見ごたえ:
    5.0
    偶然が会わせてくれたという想いになった。

  • やはり落ち着く奥武島の我が家。

    投稿日 2024年03月12日

    ゲストハウスりゅうかく 知念・玉城・八重瀬

    総合評価:5.0

    初めて1月に行った沖縄。北部メインの行動ではあったが、最終泊はやはり〝行き慣れた宿〟ということでこちらに決めた。移動の関係で23:30の到着となったが、いつも通りの暖かいお出迎えをして頂いた。

    今回は201号室シングルルームを利用した。もう何回泊まったかもわからないが、勝手がわかるだけに落ち着くのも事実である。

    翌朝も自慢の朝食を頂き、旅のラストを締めることが出来た。

    今回は到着が遅くなったために滞在時間が短くなったのは残念だが仕方がない。次回6月に訪れられることが楽しみなお宿に変わりはなかったことが嬉しく思えた。

    旅行時期
    2024年01月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    一人旅
    1人1泊予算
    7,500円未満
    アクセス:
    5.0
    那覇空港から40分程度。
    コストパフォーマンス:
    5.0
    朝食を付けてこの値段は安いと思う。
    客室:
    5.0
    シンプルだが落ち着く感じはいつも通り。
    接客対応:
    5.0
    いつもながらに良い感じ。
    風呂:
    5.0
    いつもキレイで快適に利用できます。
    食事・ドリンク:
    5.0
    ご自慢だけある朝食です。
    バリアフリー:
    3.0
    客室は2階で階段がある。

  • 冬でもハイビスカスが満開!

    投稿日 2024年03月08日

    伊江島ハイビスカス園 伊江島

    総合評価:5.0

    ヌチドゥタカラの家から車で数分のところにあるハイビスカス園。伊江村営の施設は年中無休の営業である。パターゴルフ場もありそれなりの複合施設かと思いきや、有料施設自体がハイビスカスの〝温室エリア〟だけであることを知る。
    沖縄に通い始めた頃に〝沖縄〟といえば〝ハイビスカス〟と勝手に決め込んでから、いつも気になる花であり、伊江島に来たら必ず訪れようと決めていた。入場料は300円で先述のように温室部分の見学料となっている。珍しい種類の花々が並ぶ姿は、入園料を払ってでも見る価値は大いにあった。また無料のエリアでもハイビスカスを中心とした〝庭〟が設けられており、後方に見えるタッチューとともに咲き誇るハイビスカスの花々の姿はまさに〝伊江島〟という風に私には思えた。
    冬の時期であっても見ることができるハイビスカス園、次回は暖かいときに訪れようとふと思った私であった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊江港から車で5分程度。
    人混みの少なさ:
    5.0
    ハイビスカス園を訪れていたのは私だけであった。
    バリアフリー:
    5.0
    温室入り口に少し段差があった。
    見ごたえ:
    5.0
    ザ・オキナワの花を満喫できること間違いなし!

  • オーシャンビューが考えもの?

    投稿日 2024年02月29日

    オン・ザ・ビーチ ルー 美ら海・本部・今帰仁

    総合評価:5.0

    翌日伊江島に渡るために本部に近く、チェックイン時間が比較的遅いという理由で選んだ“オン・ザ・ビーチ ルー”。館内廊下から普通にビーチが見えるまさに“オーシャンビュー”のお部屋である。

    今迄もオーシャンビューをうたい文句にしている宿には宿泊したことはあるが、こちらの“本物のオーシャンビュー”と評する理由には現実的な理由がある。それは昨年夏の台風の高波による客室の損壊が、修理が進んでいるとは言え目にすることができる点である。

    ホテル棟の洋室4部屋のうち3部屋と、和室2部屋のうち1部屋が、その影響で長期利用不可となっている。大規模な修復は終わっているとは言え、照明もなく内外装の細かな部分は“宿泊する場所”とは到底思えない状態であった。

    春頃には修復を終え、客室として提供を始めると聞いたが、オーナーに聞いた被害状況は“もし泊まっていたら・・・”と不安に感じるには十分なものであった。

    コスパの高さは多くの口コミに書かれていることに嘘偽りはない。シーズンになれば予約が取れないことも見ただけでわかるものであった。

    今回宿泊したのは和室で、海とは垂直の位置関係にあり被害が無い部屋であった。部屋も広く快適に過ごせ、加えてオーシャンビューとくれば、泊まらない理由は無いに等しい。

    なかなか北部エリアで宿泊する機会に恵まれない私ではあるが、もし機会に恵まれれば是非とも修復を終えた部屋に泊まりたいと思った宿であった。

    旅行時期
    2024年01月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    一人旅
    1人1泊予算
    5,000円未満
    アクセス:
    5.0
    本部港まで車で10分。
    コストパフォーマンス:
    5.0
    素泊まりでも十分安い。
    客室:
    5.0
    きれいにされており、快適に利用できた。
    接客対応:
    5.0
    悪くない。
    風呂:
    5.0
    きれいにされており、快適に利用できた。
    食事・ドリンク:
    5.0
    ちらりと覗いたがなかなかなもののようであった。
    バリアフリー:
    3.0
    段差はある。

  • 広大な敷地を持つ日本の植物園・博物館相当施設である。

    投稿日 2024年02月17日

    東南植物楽園 沖縄市・うるま市・伊計島

    総合評価:5.0

    沖縄自動車道沖縄北ICから車で5分程度のところにある東南植物楽園。年間を通して南国の景色が広がっており、その敷地内に約1,300種5万株以上の植物を有する日本最大級の屋外植物園である。その内容から昭和56(1981)年に沖縄県初となる〝沖縄県博物館相当施設〟に認定されている。また秋から翌春まで日本の三大イルミネーションに数えられる大規模なイルミネーションイベントが開催されることでも有名である。そんな東南植物楽園ではあるが、幾度となく経営危機に陥っており、平成22(2010)年末から平成25(2013)年3月まで事業譲渡交渉の行き詰まりのために閉演を余儀なくされている。経営が変わり現在に至ってはいるが、以前はバスで園内迄到達することが出来たが、赤字路線として廃止されてしまった上に定期観光バスも立ち寄らなくなっている。現在では最寄りのバス停から20分歩くかレンタカー・観光バスでの来訪以外に手段がない。

    目玉にするために始まったイルミネーションイベントではあるが、大規模なものではあれど〝代り映え〟がないという意見も多い。冬の風物詩となったイルミネーションではあれど、規模が小さくても〝手の込んだもの〟を見せている施設は、〝また来たい〟という意見が多い中で、大規模なものは〝一回来れば良いか〟という否定的な意見も多い。南国らしい作品になっていることはわかるのだが、毎年情報掲載されるものに取り上げられている写真が同じようなものなのはどうだろう。数で勝負するもの勿論ありだとは思うが、〝沖縄の冬の風物詩〟と胸を張って言えるような作品にもチャレンジして貰いたいと少し残念に思った。

    旅行時期
    2024年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    那覇空港から車で45分。
    人混みの少なさ:
    4.0
    少なくはなかった。
    バリアフリー:
    3.0
    通路は舗装はしてあるが、傾斜はそこそこある。
    見ごたえ:
    5.0
    パターン化はされているが規模はさすがにでかい。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん 写真

5国・地域渡航

41都道府県訪問

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんにとって旅行とは

非日常生活の出来事を体験できて、日頃の鬱憤を晴らせる場。

自分を客観的にみた第一印象

能ある鷹は爪を隠す♪

大好きな場所

夏は風鈴、冬はイルミネーション。そして6月は沖縄。

大好きな理由

触れ合う人々がすべて暖かく接してくれ、大自然を満喫できる場所に思えるので。

行ってみたい場所

波照間島・与那国島・竹富島・石垣島・宮古島・多良間島・大神島・池間島・来間島・伊江島・奄美大島・喜界島・冬の北海道

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