三江線のトンネルが通っていた山である。
- 5.0
- 旅行時期:2022/12(約1年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
三次 クチコミ:8件
三次市の都市公園である尾関山公園は、公園自体が山となっており桜やモミジの名所として花の時期には多くの花見客で賑わう場所である。安土桃山時代に当地の国人であった三吉氏の出城が築かれた後、広島藩主となった福島正則の重臣であった尾関正勝が尾関山城を築き当地を治めるようになる。その後福島正則が改易されると、正勝は城を去り配乗となるが、代わって広島藩主となった浅野長晟の子長治が支藩である三好範初代藩主として入場、五代藩主長寔が夭折後廃藩となり広島藩に還付される迄三次浅野家が領主を勤めた。
尾関山公園入口には阿久里姫の像が建立されている。初代三次藩主浅野長治の三女として生を受けた阿久里姫は、赤穂事件で知られる第三代赤穂藩主浅野長矩に嫁いでいる。生まれてすぐの縁談は政略結婚以外なにものでもなかったが、9歳で正妻として輿入れした後の夫婦仲は良かったという。江戸城に於ける長矩の吉良上野介殿中抜刀の罪により即日切腹・改易が申し渡された折は江戸にいたことが記録に残っており、長矩切腹後は実家の三次浅野家下屋敷に引き取られている。夫長矩の葬儀には参列していないとされてはいるが、その後落飾して瑤泉院と称したようだ。
一説には〝赤穂浪士の討ち入り〟時に瑤泉院から〝軍資金〟を与えられたとの記載もあるが定かではない。しかし切腹した赤穂浪士の遺児達が遠島を申し付けられた際赦免運動に尽力し、数年を経て江戸三次藩下屋敷で逝去、享年41歳。そして夫と同じ泉岳寺に葬られた。その〝遺髪〟がこの三次の鳳源寺に供養塔として残っている。今回は時間の都合で行くことが出来ないが、中世に於ける一大事件の〝名残り〟がここ三次にあることにはびっくりした。
またこの尾関山には旧三江線のトンネルが通っていたことでも知られている。廃止度5年が経とうとする三江線のことや赤穂事件との縁が歴史に繋がっている尾関山公園は花見だけが名所の場所ではないことを改めて感じたのであった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 三次駅から車で10分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期を外せば空いている。
- バリアフリー:
- 3.0
- 公園を上って行くのは難しいだろう。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 花見もそうだが歴史的にも興味深い場所である。
クチコミ投稿日:2023/01/17
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