たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(6ページ)全1,843件
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- 基本情報
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投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
第二尚氏王朝の時代に〝火消し〟の役目を受け、この地に建てられた富盛の石獅子は、記録に残っているものの中では最も古いものとして知られている。沖縄戦時には熾烈な戦いが行われた当地に於いて、その模様を今日に伝えるものとして、石獅子を盾にして弾丸を避けている米兵の姿を収めた写真でも有名だ。
建立時にはそのような場所になるとも思ってはいなかったであろう沖縄最古のシーサー、今後は平和な世の中が続く沖縄の守り神として後世にその存在感を伝えて貰いたいと思う史跡であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 南の駅やえせより車で5分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には誰とも会わなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段がある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 銃撃で傷ついた跡が痛々しい。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
八重瀬町富盛にある勢理城(じりぐすく)。この城の詳細は不明ではあるが、三山時代の南山王の居城だという説が強い。城跡としては何も残ってはいないが、沖縄戦に於いて銃弾を受けた〝富盛の石獅子〟がある場所として知られている。鉄の暴風として語られる沖縄戦に於いて、米兵が銃弾を避けるために石獅子を利用している写真は有名で、この地でも激しい戦闘が行われていたことを示す戦跡でもある。
沖縄で最も古い石獅子として知られているこの石獅子は第二尚氏王朝の時代である尚貞21(1689)年に作られたとされている。作者は不明ではあるが、その当時この辺りの富盛地区に火災が多かったことから風水で八重瀬岳に向けてシーサーを作れば良いと助言され、火除けの目的で作られたとされている。以降火事は減り、富盛の街を守るように眺めつつ現在に至っている。古の火消し、そして戦跡として350年もの間子機の変遷を経験してきた。今後良い方向に舵を取る様子を今までと変わらず見守ってほしいと思えた私であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 南の駅やえせから車で5分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた時は誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 普通に階段がある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 歴史は感じられる場所であった。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
国道331号線沿いにある南の駅やえせは平成29(2017)年にオープンした観光拠点施設である。観光拠点として飲食施設の他、地元産の農作物や海産物を中心とした販売店や、八重瀬町の観光情報が仕入れ得られる〝情報センター〟も併設している。
敷地内には具志頭郵便局もあり、観光客だけではなく地元の方々の利便性を考えて作られている施設でもある。この駅の名物として〝勝利のV字ガジュマル〟という根元でふたつに別れたガジュマルの木が生えている。以前この場所には具志頭中学校があり、卒業記念樹として生徒が探してきたこのガジュマルの木を植えたことが始まりとなっている。昭和39(1964)年植樹とあるので60年前のもの。時代の変遷とともに中学校は役場を経て南の駅やえせに変わって現在に至っている。存在感はすごいのだが、ちょっと通行の邪魔をしているようで笑えてしまうところが何とも言えない良い味を出していた。
道の駅と違い夜間はトイレも使用できなくなるので、利用の際には注意が必要である。- 旅行時期
- 2023年06月
- バリアフリー:
- 5.0
- 考えられて設計されている。
- トイレの快適度:
- 5.0
- 利用できるときは清掃も行き届いており快適に利用できる。
- お土産の品数:
- 5.0
- 地の物を中心に品数は豊富である。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
令和5(2023)年6月23日の臨時駐車場と沖縄県営平和祈念公園間シャトルバスで乗車。沖縄の路線バスというと〝飛ばす〟というイメージがあるようだが、そんなことはなかった。ちょっと年期の入ったバスではバスではあったが、乗り心地は悪くはなかった。
レンタカー利用が主となる沖縄で路線バスを利用することは稀ではあるが、住民の足として残ってもらいたいバス会社である。- 旅行時期
- 2023年06月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- シャトルバスは無料だが、路線料金も安い。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 慰霊の日のシャトルバスは仕方がない。
- バリアフリー:
- 4.0
- 低床車は対応している。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 拠点駅や施設に近い場所にある。
- 車窓:
- 5.0
- 沖縄の風景をのんびりと楽しむことが出来る。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
沖縄平和祈念公園の東側にある平和祈念堂は、昭和53(1978)年10月に開堂した高さ45mの七角形をした建物である。メインとして高さ12m、幅約8mの平和記念像がある。この像は沖縄が生んだ芸術家山田真山氏が18年余の歳月をかけて製作したもので、山田氏は像の完成を見届けるようにして亡くなった。その他堂内の壁面には西村計雄画伯が平和への思いを込めて創作された20点連作、各300号の絵画〝戦争と平和〟、敷地内には彫刻家佐藤忠良氏制作による〝少年〟のブロンズ像と祈念堂の理念に賛同された日本画壇の第一線で活躍する画家から贈られた大作を展示する美術館となっている。
よく〝平和祈念資料館〟〝平和祈念堂〟そして〝平和の礎〟が三位一体と例えられるように、それぞれが平和祈念公園のアクセントとして、20余万と言われる沖縄戦に於ける犠牲者の御霊をやさしく見守っている。
異例の日に行われる追悼式では、平和の丘と祭壇を、後方から見守るようにその存在感を呈していることがよく分かり、式典前日と当日夜に行われる〝光の祭典〟では、通年でライトアップされている姿が一体化し、一日間の〝霊域〟となる平和祈念公園の一角を成しているように思える建物であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 沖縄県営平和祈念公園内。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 慰霊の日は多い。
- バリアフリー:
- 5.0
- 考慮されて作られている。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 製作者の想いが伝わってくる。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
昭和20(1945)年6月23日黎明の刻、糸満市摩文仁の第32軍司令部壕内で牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、沖縄に於ける日本軍の組織的抵抗が終わったとされる。戦没者追悼式は沖縄慰霊の日制定後の1962年以降米軍政統治下の琉球政府が主催して行われてきた。その後昭和47(1972)年の日本国返還を経て、現在は平和祈念公園にて執り行われている。
現在の場所で執り行われるようになるまでは、最後の戦闘地となった摩文仁の丘界隈で行われてきた。この数年のコロナ禍に於ける規模縮小しての開催等、一部平和祈念堂内で執り行うようなこともあったようだ。
数年前までは講演中の首相や知事に対するヤジが、〝不快なもの〟として悪い意味で取り上げられることがあり、追悼の気持ちがない参列者がいることが日本全国に知れ渡ることとなった。規模縮小のこともあり暫く落ち着いていたようだが、元・現首相が暗殺や未遂となる事件が起こったことにより、通常開催となった本年に於いては〝来賓の身体警護〟が当たり前のように厳しくなっていた。
事件の影響はわからなくはないが、あくまで本追悼式の主賓は〝戦没者〟である〝来賓〟ではない。戦没者慰霊のために訪れた参列者に対し、〝警備上の理由〟から式典祭壇が外から見えなくなるまでの距離を空けることは、いったい〝誰のため〟の式典なのかわからなくなる。祭壇前テント下に入らず、外野から式の進行を眺めている多くの地元の方や戦没者遺族を含む観光客を蔑ろにすることは、追悼式の意味を成してはいないとしか思えなかったのが私の本音だ。
現役の首相に来て貰うことは今日この日に〝慰霊〟の気持ちを持って平和祈念公園を訪れた多くの方々が満足できないものにしてまで催行することに意味があるのかと玉城知事に聞いてみたいと思った私であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 臨時駐車場からのシャトルバス有り。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 人は多い。
- 催し物の規模:
- 4.0
- 数万の人が集まる大きなものである。
- 雰囲気:
- 3.0
- 今年は…。
- バリアフリー:
- 3.0
- 逆に考えて会場は作られてはいないと思われる。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
以前はワイナリー等で売っていた糸満市観光農園うちなーファームは、現在国内産コーヒー栽培を行っている株式会社アギリジャパンが経営を引き継ぎ、コーヒー栽培・冬のイルミネーションイベント・バギー体験、そしてキャンプ場の4つが楽しめる総合娯楽施設となって現在に至っている。中でも冬の時期に行われる〝冬のイルミネーション〟は、経営が変わっても催し続けられている沖縄の冬の風物詩として、クリスマスイルミネーションと言えばここというレベルまで知名度が高いものとなっている。
夏場はキャンプの他慰霊の日には〝臨時駐車場〟として駐車場が解放され、パークアンドライドで車をここに於いてバスで沖縄県営平和祈念公園迄向かうという重要な場所を担っている。広大な敷地は28ha、東京ドーム6個分あり多種多様なイベントでも使われる多目的広場である。
私が例年沖縄を訪れるのは6月の恒例行事となっているためにイルミネーションは来たことがないが、イルミネーションという沖縄〝らしくない〟イベントには大変興味を持っている。
今年も後僅かになってきた。もし時間が許すようなことであれば、是非ともらしからぬイルミネーションも見てみたいと思った私であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 沖縄県営平和祈念公園より車で5分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 費用のかからないものもある。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 慰霊の日は仕方がないだろう。
- 施設の快適度:
- 5.0
- バリアフリー対応となっている。
- バリアフリー:
- 5.0
- バリアフリー対応となっている。
- アトラクションの充実度:
- 5.0
- 少なくはないと思う。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
令和5(2023)年6月の沖縄旅最終泊に選んだみん宿ヤポネシア。この時期には珍しく家族連れとの相宿だった。
旅行形態が違うことでいつも気にされることが多いのだが、別に一人旅とはいえ“静寂”を期待している訳ではないので気にはならない。だいたいほぼほぼ毎年顔を合しているオーナーご夫妻が、私とは相性の悪そうな宿泊客を泊めることもない。子供は元気が一番ですよ~と年下の子連れ父に伝える。
部屋はいつもと同じ二段ベッドのある部屋で、エアコンの効かせ具合まで知っているから気楽である。
翌朝オーナー奥さんから8回目の宿泊だと言うことを告げられた。修学旅行の民泊が入っているのに同宿するなどほぼほぼ〝俄か宿スタッフ〟となっている。泊まった側は気楽に話せるが、受入先としては揉め事が起こると全て受入側の責任となることも知っている。
慰霊の日が6回で後はイレギュラーに春に訪れた2回ということだが、自分自身も何か特別なことを考えて宿泊しているわけではない。
来年はオーナー長女が大学受験だということを知った。というか初めて宿泊した際には小学生だった。時の流れは本当に早いと思いながら帰って来たが、来年大学生になった娘に会えるとマジで信じている私自身に笑えてくる、そんな宿であることには変わりはなかった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 2食付きで6,600円はお手泥価格。
- 客室:
- 5.0
- 2段ベットの洋室は慣れていることもあり使い易い。
- 接客対応:
- 5.0
- ホストファミリーの温かいおもてなし。
- 風呂:
- 5.0
- バリアフリーで気持ち良く利用できる。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 自然食品に拘っているナイスティスト。
- バリアフリー:
- 5.0
- トイレ・バス・客室ともバリアフリー対応。
-
投稿日 2023年09月02日
総合評価:5.0
オキナワハナサキマルシェ内にある海風(ウミカジ)マーケット。ブティックのようなこじゃれた外観を持つお店は間違いなくコンビニエンスストアである。多種多様なお土産物のほかに飲み物やちょっとつまめるお菓子などが置いてあり、様々な目的での利用が可能である。私の場合は地域振興券の利用のために立ち寄ったが、もちろん利用は可能であった。
豊富な商品数から色々な種類のお土産を探すことがワンストップショッピングで済ませられることは便利である。北部地域では数少ない〝買いたいものを探すことができるお店〟であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 4,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 美ら海水族館から車ですぐ。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- それなりの値段はする。
- サービス:
- 5.0
- マニュアル通りの良い感じ。
- 雰囲気:
- 5.0
- ゆっくり買い物ができる雰囲気だった。
- 料理・味:
- 5.0
- 悪くはない。
- バリアフリー:
- 5.0
- 自動ドア完備。
- 観光客向け度:
- 5.0
- そのものである。
-
投稿日 2023年09月02日
総合評価:5.0
第二尚氏の始祖である尚円王が、第一尚氏・第6代国王尚泰久に見出され最初に領地とした場所の邸宅跡と伝えられ、尚円王の没後190年に当たる1666年頃に王府の聖地〝東江御殿〟として整備されたことに歴史を発するという。御神体の宝枕は2回盗難にあっており、一度は見つかったものの二度目は見つからず、西江御殿に安置されていた青磁の小皿を集めてご神体とした経緯がある。
幾度か改修は行われてはいるが、先の沖縄戦で焼失し、戦後になって一族や一門の寄付によって再現され現在に至っている。
近年サガリバナの名所として有名となり、花が咲く時期には地元民をはじめ観光客が訪れるもののそのほかの時期には閑散としている。サガリバナは内間御殿内だけではなく、入口付近の広場にも咲いており、真っ暗な御殿内よりもは撮影がし易いようだ。
歴史よりもSNS受けする〝サガリバナ〟が人を集めているように思えるが、昼間に訪れて尚氏王朝の〝入れ替わり〟を考えながら歩くのも良いのではと思える静かな場所であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から車で30分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた時には誰もいなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 園内は未舗装だが、外は舗装されている。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 立派である。
-
投稿日 2023年09月02日
総合評価:5.0
二本のフクギがくっついて寄り添っていることから名付けられた夫婦フクギ。元来〝福をもたらす樹〟とされているフクギ(福木)の中でもその形状から別途取り上げられることも多い。
界隈のフクギ並木が抜群の存在感があるために気付かないこともあるかと思いきや〝夫婦福木〟と看板が立てられていることから通り過ごすこともないようだ。しかし晴れてればいいのだが、一度雨が降ってしまうとフクギの並木道は川や池と化してしまい、外らに気を取られてしまい気付かないこともあるように思う。
当の私も看板には気が付いたが、カメラに収めようとすると大きな水たまりに足を踏み入れなければならないため、前後の木を含めた写真しか撮れなかった。
天気を関係なしに楽しめるようにするならば舗装をすればいいことだが、それでと今以上に風情がなくなってしまうであろう。結論として〝良い天気〟に恵まれることを願わずには行くことができない場所のように感じた私であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 備瀬のフクギ並木入口から徒歩5分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- この雨の中歩いている観光客はいなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は地道である。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 幹の太さを漢字つものであった。
-
投稿日 2023年09月02日
総合評価:5.0
沖縄島本部半島の先端付近にある備瀬のフクギ並木。沖縄の観光マップには必ず載っていると言っても過言ではない観光スポットである。フクギの木が並木道の両側に聳え、風が心地よく流れる様は正にパワースポットの名に恥じぬ代物だと誰もが思うであろう。
このフクギ並木、元々は防風林として植えられたものであるが備瀬区の住民の方々が歴史ある建物を残し、古き良き時代の沖縄を感じることができる場所として整備されたものが現在の備瀬のフクギ並木となって今日に至っている。
距離が1km程あるために、すべての並木道を楽しむのでああればレンタサイクルや水牛者を利用数することをお勧めすると書かれているものが多いようだが、それはあくまで天気が良いことが前提となっている。観光客の利便性を図るため、道路は整備され以前のような趣はなくなったとされているがそれでも砂地の道であるがため、雨が降ると水たまりや川のごとく水が流れ、歩くことも不自由する状況になってしまう。そうなってしまうと風景より足元が気になってしまうために、並木道を歩いている感動が半減してしまう。
かと言って足元を舗装すれば今以上に雰囲気は薄れるであろう。神頼みではないが天気が崩れないことを願いながら向かわねばならない場所だったことを痛感した私であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 美ら海水族館から車で15分程度。
- 景観:
- 5.0
- 鬱蒼とした様子が良い。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 天気が悪くともそれなりに人はいる。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は地道が多い。
-
投稿日 2023年09月02日
総合評価:5.0
伊江島の中心に聳える標高172.2mの山である城山。タッチューと呼ばれるがそれは伊江島の〝外〟の呼称であり、島内ではグスクと呼ばれている。その昔〝城〟が構えられた遺構が残ってはいるが、按司の住居や領地であったという記録がなく、一般的なグスクではなく信仰の対象として〝拝所〟としての役割を担っていたのではないかと想像されている。
先の大戦時に米軍が最初に上陸した場所であり、伊江島を守備していた独立混成第44旅団第一大隊が米軍を迎え撃って玉砕した戦績でもあり、島内にある遺構を眺めることができる場所でもある。
伊江島にある一つの山ではあるが、本土側から眺められる場所も多く、城山の姿を眺めると、不思議と伊江島に行ったような錯覚を起こす不思議な魅力を持っている〝聖なる山〟には違いない。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
投稿日 2023年09月02日
総合評価:5.0
本部町のハナサキマルシェに内にあるスターバックス沖縄本部町店。2階建て打ちっぱなしの外壁を持つ建物は周辺の建物とともにお洒落な景観を作り出している。スターバックスといえば、他店と大きく変わる部分は少ないにしろ、2階窓から眺める海と伊江島の眺望は沖縄県内の店舗の中でも随一である。
決して安い訳ではないが、お茶をしながら景色を堪能できるといった〝プライオリティ〟のある店であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 美ら海水族館から車ですぐ。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- それなりの値段はする。
- サービス:
- 5.0
- まにゅあ通りで良い感じ。
- 雰囲気:
- 5.0
- 悪くはない。
- 料理・味:
- 5.0
- いつもと同じ味。
- バリアフリー:
- 5.0
- 自動ドア完備同ドア完備。
- 観光客向け度:
- 5.0
- オーシャンビューはまさしくそうであろう。
-
投稿日 2023年09月02日
総合評価:5.0
平成15(2003)年にやんばる海の駅として開駅。その後沖縄島北部のお洒落な立ち寄りスポットとして、スターバックス等をはじめ、北部に初出店となる店々を集めたオキナワハナサキマルシェとして令和元(2019)年3月にオープンした。キャッチフレーズは〝グルメ・ショッピング・アクティビティが咲き誇るモトブのリゾート市場という言葉には嘘はなく、新たな観光の拠点として、色々なお店やホテルが立ち並んでいる。
この場所の最も魅力的なものはアクセスの良さ。以前は車がないとかなり不便だった場所に〝バス停〟を併設することにより、空港まで乗り換えなしに行き帰りすることができるようになっており、敷地内のマハイナウェルネスリゾートは、那覇市のホテル同様の利便性がある〝やんばるのホテル〟として宿泊客を集めているようだ。
確かに海の駅時代とは比較にならないほど綺麗になっており、品揃えも良い店が並んでいることを踏まえ、集客につながっていることは明確だ。しかし古いものはそれなりの〝味〟があったので、それは少し残念に思えたところでもあった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 美ら海水族館から車ですぐ。
- お買い得度:
- 4.0
- それなりの値段はする。
- サービス:
- 5.0
- 丁寧な接客。
- 品揃え:
- 5.0
- この界隈ではかなり多い方だろう。
- バリアフリー:
- 5.0
- 自動ドア完備である。
-
投稿日 2023年08月28日
総合評価:5.0
翌日の行程の絡みでこちらを選んだ。旅行支援の適用ができる〝2食付き〟プランが選べ、かつバス付の条件をすべて満たす宿であった。夕食時刻が20:00迄ということが決まっているようで、ギリギリの到着だったこともあり電話を頂いた。
バス付ルームは2階のデラックスツイン。部屋のつくりを見るとバスなしのスタンダードツインとの違いはユニットバスが組み込まれているか否かだと思われる。
食事は1階のレストランで頂くことになっている。夕食は事前チョイスで〝アグー豚〟をチョイス。洋食風なアレンジはちょっと豪華にも見え、写真に疑いなしというものであった。
朝食は和風のセットメニューで、二食付きで飽きないよう心配りがあったように思う。
朝に窓から外を見て驚いたのだが、ビーチに建物が建っていると言っても過言ではない。少し波があったので、台風の時などは本当に大丈夫かと冗談抜きで思えた私であった。以前宿泊された方が書かれている様に車で通る道は正に砂利道。日が暮れるとヘッドライト以外に照明はない。本当にこの道で合っているのか不安に思えるが、かと言ってUターンするスペースもないため先に進むしかないとい〝酷道〟であった。
多分オーナーの娘さんだと思われるが高校生くらいの女の子がお手伝いをしていた。まだ慣れてはいない様子で思わずお皿を並べようとするときに手を差し出してしまった私であった。北部で宿泊することはあまりないのが私の沖縄旅行なのだが、成長して手際良く仕事を熟すようになっている彼女を見てみたいという事も楽しみのひとつと思える…そんなアットホームのホテルであった。
因みに朝食は8:00~なので朝早くに出発する予定ならば注意が必要である。結局天候の絡みで中止したが伊江島に渡るには時間的に厳しいと思われる。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 10,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- 美ら海水族館から車で25分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 2食付きならば高くはないだろう。
- 客室:
- 5.0
- 古いのは否めないが清掃は行き届いており快適に利用できた。
- 接客対応:
- 5.0
- 時間に関しては事務的なところもあるが、アットホームで良い感じであった。
- 風呂:
- 5.0
- 水圧が少し弱い気がするが清掃は行き届いており快適に利用できた。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 中々おしゃれに頂けるお料理であった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 2階の部屋へは階段しかない。
-
投稿日 2023年08月28日
総合評価:5.0
伊豆見から40分、名護市内から20分程で到着できる道の駅おおぎみ。道の駅としての施設の他にやんばるの情報を知ることができる観光案内書兼情報発信施設が設けられている。
場所柄閉館時刻も早いため、やんばるを知るためには早めに訪れなければならないが、休憩施設としては24時間利用できる。
駐車場が広いため車内泊を考えている方の利用も多いようだが、実際〝してもいいのか〟同課の確認は取れなかった。
道の駅としては東に道の駅サンライズひがし、北に道の駅ゆいゆい国頭があるがいずれも距離がある。目の前を走る国道58号線は事故も多いので疲れを感じたら早めの休憩を取ることをお勧めする場所だった。- 旅行時期
- 2023年06月
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープ・自動ドア完備であった。
- トイレの快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適に利用できる。
- お土産の品数:
- 5.0
- 地の物が豊富に手に入る。
-
投稿日 2023年08月27日
総合評価:5.0
道の駅許田から走ること30分程で到着できる八重岳の斜面に作られた広大なあじさい園である。元々ミカンやうっちん畑だった場所をオーナーであった饒平名ウト氏が趣味でご主人の親戚から譲り受けた2株のあじさいの苗を植えたことが始まりで、その後種類を増やし、場所を広げて現在のものとなり、広さ1万平方メートルに園に1万株・30万輪余り・約30種のあじさいが咲くものとなっている。
開園は平成13(2001)年だそうだが、当時は地元で話題に上る程度のものだったそうだが、口コミやテレビ取材、SNSでの拡散によって次第に来訪者が増え、私のように他府県から訪れる者も少なくない本部の〝梅雨時期の観光名所〟として現在に至っている。
残念ながらウトおばぁは平成30(2018)年に100歳で亡くなられたが、その後定年退職された子供達やその配偶者が引き継ぐことを決め、手入れ等をされている。
元々酸性土壌であったが、場所によってアルカリ土壌に変えるなどの手入れをした結果、青やピンクのあじさいが咲くようになったようだ。通常の開園はゴールデンウィーク明けと内地に比べればかなり早い。見ごろも五月下旬ということで訪れた6月21日では見頃はとうに終わっていたのだが、たくさんのあじさいの種類の中では遅咲きのものもあり、また日陰になっている場所に咲いているあじさい等はちょうど見頃を迎えているものもあった。
多分沖縄にあじさいというアンマッチングな組み合わせが話題を呼んだと思うのだが、実際に訪れてみるとあじさいを主とした南国花園という印象を与える素晴らしいものであった。山の斜面に作られたものであるがため足元は土や石が敷かれている階段を歩く必要があり、ある程度の脚力が必要なのは致し方ない。もう少し早く知っていれば亡くなられたウトおばぁともお話ができたかもと思えたことが唯一残念であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 許田ICから車で30分程度。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 少なくはなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は舗装されておらず階段と坂が続く。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 見頃を終えたといっても圧巻の花々てあった。
-
なごらん学徒が従軍した沖縄陸軍病院八重岳分院が置かれていた場所である。
投稿日 2023年08月27日
総合評価:5.0
三中学徒之碑から少し頂上に向かった先にある八重岳野戦病院壕。ここには独立混成第44旅団第二大隊の本部壕と沖縄陸軍病院八重瀬岳分院が置かれていた場所である。独立混成第44旅団第二大隊(宇土支隊)は、沖縄島北部の守備を担う舞台として砲兵隊・遊撃隊(護郷隊)・鉄血勤皇隊・防衛隊等から成る兵員約四千人となっていた。
他に伊江島守備隊である井川正少佐率いる第一大隊があったが、現地召集の防衛隊員を含めた2,700名は、数日の戦いで甚大な被害を被り玉砕した。伊江島での戦いの最中本部地区も米軍の攻撃を受け、前線から運ばれてくる傷病兵で病院壕はいっぱいとなり、壕外の通路にまで寝かせるという様であったと言われている。そんな戦況下で大隊本部壕や八重岳野戦病院にも米軍が近付いて来たために宇土大差は、昭和20(1945)年4月16日に多野岳方面に撤退を命令するが、末端の学徒隊の少年達の耳に入ったのは、日付も変わった17日になってからだったと記されている。病院壕に収容されていた〝歩けない患者〟は手榴弾を渡され放置された。
部隊の撤退と共になごらん学徒も移動するが、敗走する宇土支隊を追って米軍の掃討作戦が始まった。第二歩兵隊に多野岳(現名護市)への撤退命令が出され、深夜になって陸軍病院も多野岳へ撤退を開始したが、その後撤退していく道中で米軍の猛攻撃巻き込まれ、みんな散り散りになってしまい、それぞれ死の彷徨を続けたところで数日後に米軍に保護された。撤退の途中に負傷した生徒、自決をあと一歩のところで思いとどまった生徒もいたが、10人の学徒隊員のうち9名が助かっていることは正に奇跡に近い。しかし残念ながらひとりの生徒が撤退時に現本部町の伊豆味にて米軍の砲弾に倒れて亡くなっている。
動員人数が少なかったから犠牲者も少ないという意見があるが、学校関係者の犠牲者まで含めるとかなりの割合に上るのが沖縄戦に於けるセオリでもある。
現在この野戦病院跡と本部壕も猛スピードで自然に帰ろうとしているように見える。また元々足場が良くない場所ゆえ、説明書きが建っている場所から見て右側の谷が本部壕、左側の谷が病院壕とはわかっていても中々その場所まで進めないことが現実である。説明版も劣化が進み書かれている内容がわからない。以前に記録した方の文章からその内容を読み取ることしかできないが、この辺りは県や町の力で何とかならないものかと思えてならない。戦跡を残すことに是非論があることは聞いてはいるが、訪れたにも関わらず〝なにもわからなかった〟という残念な印象を受けたくはないと思うことは如何なものであろうかとふと思った八重岳野戦病院壕再訪であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 許田IC]から25分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際は誰もいなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 湿気のある粘土質の土壌で大変滑りやすい。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 年々自然に帰っていくような感じを受ける。
-
独立混成第44旅団第2大隊に配属された学徒隊犠牲者を祀る慰霊碑である。
投稿日 2023年08月27日
総合評価:5.0
八重岳陸分病院壕から少し下ったところにポツリとある三中学徒之碑。先の沖縄戦に於いて学徒隊員として徴兵された沖縄県立第三中学校の学徒隊犠牲者80余名を祀るため、昭和52(1977)年に学徒隊生存者や遺族の手によって建立されたものである。 沖縄戦の始まる少し前の昭和19(1944)年11月頃から三中公舎を利用しての通信訓練を受け始め、本格的な戦闘が始まるのを前にして独立混成第44旅団第2大隊隷下の各部隊に配属された。通信隊要員または鉄血勤皇隊員、そしてある者は繰り上げ現役入隊の形で従軍し、郷土防衛の戦烈に馳せ参じている。 部隊の構成人員に比較して守備範囲が大変広いというアンバランスから、圧倒的多数の米軍と果敢に戦うも徐々に押され、八重岳をから羽地の多野岳に撤退せざるを得ない状況となる。そこで第一護郷隊(第三遊撃隊)に合流し、以降ゲリラ戦に従うこととなる。 戦線が南下するにつれ情報途絶下の部隊では、ゲリラ戦を続け犠牲者を出し続けていた。昭和20(1945)年6月23日未明、沖縄守備第32軍牛島満司令官と長勇参謀長の自決によって沖縄戦に於ける日本軍の組織的抵抗は終わりを告げるが、第一護郷隊の解散命令は一応7月に出されてはいるが、だから降伏できるというものではなかったようで、実際に終戦後には幾度かの下山勧告を無視して名護岳付近に潜伏し、ゲリラ戦を続けていたという。最後は第32軍高級参謀八原博通大佐の手紙を携えた旧日本軍将校の説得によりやっと下山。その日は年も明けた昭和21(1946)年1月2日だったとされている。 三中関係の犠牲者は88名とされ、その法名が三中学徒之碑に刻まれている。以前は慰霊の日にこの場所で〝慰霊祭〟を行っていたが、参列者の高齢化、それに伴う参列者数の減少のため、平成27(2015)年6月23日を以て最後となった。その後は県立名護高校敷地内にある三中と沖縄県立第三高等女学校の学徒隊犠牲者を合祀した南燈慰霊之塔で合同の慰霊祭が行われていると聞く。 高齢化社会に於いて戦争経験者が鬼籍に入り、慰霊祭が続けられないのは残念ではあるが致し方ないことでもある。そのため後身の学校が中心となって慰霊祭を続けて行くことは、部外者の言うことではないが大変ありがたいことであると私は思う。ただ慰霊祭は行われなくはなっても、三中学徒之碑の場所がわからないということはSNSでも訪れる際に苦労したとかわからなかったと語られている者も散見する。 数年前に摩文仁の平和公園内に学徒隊の碑が出来たことで〝忘れられない〟ようにといった記述が多く見られる時期があった。しかしこれはあくまで沖縄戦に従軍した〝すべての学徒隊〟についてものであり、個々の学徒隊のものではない。建立するに至った方々の思いを後世に伝えるために、情報の少ない慰霊碑をはじめとする〝所縁のもの〟の存在を取り上げる必要性を改めて感じた三中学徒之碑訪問であった。
- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 許田ICから車で20分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際は誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 碑の回りは石が敷いてあり、数段の石段がある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 手入れが行き届いており慰霊の気持ちが伝わってくるものだった。














































































