たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(5ページ)全1,843件
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- 基本情報
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投稿日 2024年02月17日
総合評価:5.0
イルミネーションイベント巡りのため、場所とレイトチェックインが出来る宿として選んだアンサ沖縄リゾート。1:00過ぎのチェックインであったがスムーズにはチェックインできたことは幸いだった。夜の常勤スタッフは外国籍の方だったが、日本語が少し不自由なようで、宿帳の記載に少し問題があったがまあ許容範囲であった。
部屋は5階の505号室、禁煙のスーペリアツインの部屋だったが、少し部屋は狭い気がした。バス・トイレ・客室とともに清掃は行き届いており、快適に利用することができた。ただ寝るだけにしては少しもったいないような感じを受けた。
阪神タイガースの沖縄キャンプ時の宿泊先のひとつとなっており、エントランス付近にはあの〝虎の旗〟がかけられていた。部屋からの眺望は海や山も見えるのではあるが、基本はゴルフ場眼下に広がっている〝ガーデンビュー〟である。立地の標高から〝景色が素晴らしい〟旨の記載があっただけに少し残念であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- アメリカンビレッジから車で30分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 規模的に考えれば穴場的なものだろう。
- 客室:
- 5.0
- 清掃は行き届いており、快適に利用できた。
- 接客対応:
- 5.0
- 良い感じだった。
- 風呂:
- 5.0
- 清掃は行き届いており、快適に利用できた。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーター・スロープは切ってあった。
-
投稿日 2024年02月15日
総合評価:5.0
1ヶ月半程前に料金チェックした結果、最も安い料金だったために手配した。当日は機材の到着遅れと向かい風の影響があり、遅れが生じる旨早いうちにアナウンスがあったが、それでも15分ほどであった。
一時はLCCのバーゲン狙いで航空券を選んでいたが、シートアサイン・機内預け荷物・手数料を合せて考えた結果、我が街滋賀より遠い関西空港を目指すよりもは、神戸空港の方が何かと便利であり、チケット購入が必要な旅に於いては、神戸空港を利用する航空会社を選ぶことが増えている。
ソラシド便は確かに〝九州〟の宣伝が多いように感じるところはあるものの、それに徹しており逆に交換が持てる。機内Wi-Fiサービスを利用した〝場所〟の表示も、スマホを持っていれば見られるようになっているのは考えたなと思える。
トータルで考えるとレガシーキャリアと変わらないサービスを提供しながらあの価格というのは、貧乏旅行者には有難い限りである。今後もフライト地域に行く際には〝候補〟として挙げていきたいと思えた航空会社であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 搭乗クラス
- エコノミー
- 航空券の価格
- 20,000円未満
- 直行便
- 直行便
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 1万円未満は大きなアドバンテージである。
- 接客対応:
- 5.0
- 良い感じであった。
- 機内食・ドリンク:
- 5.0
- 毎回スープが楽しみである。
- エンタメ(映画・音楽など)設備:
- 5.0
- 現在地表示にはまってしまった(笑)。
- 座席・機内設備:
- 5.0
- 快適なフライトを楽しめた。
- 日本語対応:
- 5.0
- 勿論問題はない。
-
投稿日 2024年02月15日
総合評価:5.0
レンタカーは〝保険フルオプション〟と決めている私が値段で選んだアップルレンタカー那覇空港店。プランによっては送迎のないものがあるので注意が必要。
NOC補償まで込みとなっている〝訳あり軽自動車〟を選択。型落ちのWAGON Rクンだったが、イグニッションとロックが鍵使用という程度で走りはバッチリだった。
鍵を落とすハプニングがあったために〝面倒〟だったと思う節はあれど、フェリーも安かったし燃費も良いことを考えれば文句を言うことは何もない。
基本ナビも型落ちなのでオーディオも含めてスマホで対応した方が無難である。
昨今のレンタカー代金が高止まりしている沖縄で、空車が有ればまた利用したいと思えるレンタカー会社であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 訳ありプランだが補償は充実。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 借り受けの際は私一人であった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 通常のマイクロバス送迎と建物の段差はあった。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 那覇空港14番と一番端になることだけ注意が必要。
- 車窓:
- 5.0
- 大人しい運転の送迎なので車窓は楽しめた。
-
投稿日 2024年02月14日
総合評価:5.0
三山時代のグスク跡である八重瀬城址、沖縄戦時の白梅学徒看護隊の壕といった歴史がある八重瀬公園だが、日本で最も早いとされる“桜まつり”が行われる場所でもある。
普段は中腹の駐車場迄しか車の乗り入れはできないが、桜まつりの期間はその奥にあるグラウンドが臨時駐車場となり、そこまで労無くして行くことができる。
グラウンド半分を利用したイルミネーションの他、中腹の駐車場に繋がる階段両脇にある“カンヒザクラ”がライトアップされ、花見とイルミネーションを体験できるイベントとなっている。
グラウンドは城跡と言われており、標高もそれなりにあるために、八重瀬や那覇の夜景も同時に楽しむことができる。
今年は1月17日に開花宣言自体は出されていたが、その後気温が低い日が続いたために“満開”と言うには程遠い開花状態であった。しかしソメイヨシノとは違い“濃いピンク色”の花は、ちらほら咲きでも十分見応えを感じるものである。
今回の“冬旅沖縄”はこの“花見”が目的のひとつであり十分堪能できた。可能であればまたの機会に“満開”も楽しめればと欲を持ってしまった私であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から車で30分。
- 景観:
- 5.0
- 標高があるので景色も楽しめる。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 地元の方々が子連れで来られているようだった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は基本砂地で階段がある。
-
投稿日 2023年12月16日
総合評価:5.0
瓦屋禅寺への道程の途中にある太郎坊宮。正式には阿賀神社というが、駅名にもなっている太郎坊宮の通称名で知られている。聖徳太子が四天王寺建立の際に木や瓦に用いる土を得るために創建した瓦屋寺、それとほぼ同時期に箕作山の一峯である赤神山に正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る社を建立、赤神山の名前から阿賀神社と称したという伝承が創建の由来と阿なっている。
平安時代に天台宗の祖である最澄が、阿賀神社の神徳に感じ入って薬師如来を本尊とする成願寺を阿賀神社の神宮寺として麓に建立した。その際に修験道の大成者である役行者の兄弟子であり、ここ赤神山に住んでいた天狗の太郎坊が山上に現れて、この地に一宇を建立するように最澄に告げ、山の守護神としてその建立を手助けしたというのが太郎坊宮と呼ばれるきっかけとなっている。阿賀神社と天台宗の成願寺はやがて神仏習合し、多くの社殿・僧坊が建立されると、薬師如来の縁日であった8日に市を開いていた八日市の町も発展していき、隆盛を極めるようになる。成願寺は阿賀神社境内の最高所に奥之院を作り、そこに太郎坊大権現像を祀るようになると、阿賀神社は成願寺の管理下に置かれることとなり、名称も両者を合わせて太郎坊宮と呼ばれ修験道の霊場になっていった。
戦国時代には瓦屋寺同様織田・六角の戦いに巻き込まれて炎上。阿賀神社は程なくして再建されたが、成願寺は遅れて江戸時代の寛永17(1640)年に宝寿院行承と弟子の祐盛が本堂と鐘楼を建立してようやく復興した。しかし以前程の繁栄は戻らなかった上に赤神山一帯の入会地を巡って村民と対立し、幕府が介入する事態となる。その結果阿賀神社の神主は村人・氏子が一年ごとに新しく任命し派遣する当番神主制が採用されることとなり、阿賀神社は成願寺の管理下から離れることとなった。その後江戸時代中期には成願寺が奥之院にあった太郎坊大権現像の他にいくつかの仏教関係の宝物を麓の成願寺本堂に移して太郎坊大権現と称することにした。対して阿賀神社は成願寺の元奥之院を新たに阿賀神社の本殿に改め〝太郎坊宮〟と称するようになった。ここに、いまだ神仏習合の形態ではあるが阿賀神社と成願寺は分かれる事となる。
明治維新の神仏分離によって阿賀神社と成願寺は完全に分離する。明治5(1872)年には修験道が廃止され、明治9(1876)年になって太郎坊宮という名称は規制を受けることとなり、正式名称を阿賀神社とする。しかし使い慣れた名称が使われるまでさほど時間はかからず、数年後には通称としての〝太郎坊宮〟が使われるようになり現在に至っている。
場所が場所だけに聖徳太子所縁の場所ということは理解できるが、いくら神仏習合の下とは言え最澄の名前が出てくることはびっくりした。太郎坊宮の参道は山の麓から石段で上って来るしかなかったのだが、昭和32(1962)年に〝太郎坊産業道路〟なる車で走れる道路が陸上自衛隊によって作られ、手軽に参拝できるようになっている。なおこの道路は、後に瓦屋禅寺まで延長され、聖徳太子所縁のふたつの神社仏閣が繋がることとなった。
訪れた時間が夜だったこともあり、あまり奥にも入れず足元が確認できるエリアに留まった。だが駐車場から眺めることが出来る東近江の夜景は素晴らしいの一言に尽きるものであり、それだけでも訪れる価値があると思われる。昨年は太郎坊宮でもライトアップが行われたと記載されてはいたが今年は行われなかった。もし来年開催されるならば、昼間も含め再訪したいと思った私であった。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 瓦屋禅寺から車で5分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた時には誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 足元はあまり良くはない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 昼間ならば…でも夜景は素晴らしい。
-
投稿日 2023年12月16日
総合評価:5.0
東近江市(旧八日市市)建部瓦屋寺町にある臨済宗の寺院である瓦屋禅寺。寺の住所である瓦屋寺町はその名から付けられたものである。飛鳥時代に聖徳太子の創建した寺院として寺伝には記録されており、四天王寺建立の際に協力した渡来人がこの界隈で木材を、瓦106,000枚を作るための粘土に用いる山中の〝土〟を調達するなどして、山上に於いて瓦を焼成するなどした。聖徳太子がその折にこの地に一寺を建立し、自らが斧で一刀した先手観音像を奉納したことに歴史が始まるとされている。しかし聖徳太子の死後歴史上から消えたようで、次に残っている記録では奈良時代に東大寺の源仁僧都によって中興され華厳宗となり、東大寺の末寺として大いに賑わった。しかし戦国時代には当地近くにあった〝箕作城〟が織田信長と六角義賢の戦いである〝観音寺城の戦い〟の舞台となり、寺は焼き討ちされ堂宇は荒廃、衰退の一途を辿った。正保2(1645)年、八日市に奥州伊達家の飛び地がある関係で松島瑞巌寺中興開山雲居希膺禅師の高弟である香山祖桂禅師が荒廃した瓦屋寺の姿を嘆き再興を誓い、師である雲居禅師の篤志者であった福原茂右衛門を願主に彦根藩井伊家次席家老庵原朝真公より内陣法器等を備え釣鐘堂を建立し臨済宗妙心寺派の一寺として〝瓦屋禅寺〟として中興された。
香山禅師は亡くなるまでの半世紀をここ瓦屋禅寺で過ごされ、四方より訪れる修行僧が訪れてその教えは日本全国に広まった。また聖徳太子作の先手観音像は〝流行り病〟に大変霊験あらたかになり全国津々浦々より参詣者が溢れたと言われており、その中の一人に越後十日町酒屋〝水野五右衛門〟がおり、自身の娘が天然痘に患い、瓦屋寺で祈祷を受けたところ回復したことから、水野家の篤志により現在の本堂が江戸中期に再建されたと伝わっている。その後平成6(1994)年には金色大慈母観音像を再建し現在に至っている。
そんな時代に近江西国第18番霊場に指定され、その後も聖徳太子霊跡第30番、近江聖徳太子霊跡の札所に指定、多くの参詣者が訪れ賑わっている。今は臨済宗妙心寺派の寺院となってはいるが、この界隈東近江市には〝聖徳太子ゆかりの寺院〟が沢山あることが知られており、現在聖徳太子人気で〝巡り旅〟が流行っていることは有名である。
聖徳太子所縁の寺院のひとつである瓦屋禅寺でライトアップイベントが開始されたのは意外にも昨年令和4(2022)年に〝聖徳太子薨去1400年〟を記念して行われたものが最初となる〝新しいイベント〟のひとつであった。付近にはやはり太子所縁の百済寺・観音正寺・長命寺といった西国三十三ケ所霊場もあり、こちらでもイベントが行われていたようだが、それに負けじ劣らじと瓦屋禅寺でも行われていた。短時間でサッと見ただけでも、紅葉のライトアップとプロジェクションマッピングは非常に完成度の高いものだと感じられるものであった。
記念の年をきっかけに行われたイベントであるため、来年行われるかどうかはわからないが、もし開催されるならば〝欲張らずに楽しみたい〟そんな気持ちにかられた瓦屋禅寺のひと時であった。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 八日市インターより車で20分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時間が時間だったので少なかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は舗装されてはいない、階段がある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 上手い具合に紅葉とライトアップ・イルミネーションが噛み合わさっている。
-
投稿日 2023年12月16日
総合評価:5.0
栗東湖南ICと竜王IC間に位置ずるパーキングエリア、以前から京都~名古屋間の高速バスの停留所が設けられていたために知る人ぞ知るパーキングであった。従来は駐車スペースとバス停があるだけの休憩スペースであったが、平成26(2014)年12月24日に〝モテナス〟としてリニューアルオープンし、それなりに利用価値がある休憩施設として生まれ変わっている。
名前の由来は施設の住所である湖南市菩提寺から名付けられた。元々この界隈には〝少菩提寺〟という良弁上人開基の寺院があったが、戦国時代に織田信長と戦って敗れた六角義賢・義治の軍勢が火を放ち焼失させ、そのまま廃寺となってしまう。現在の呼称である〝廃少菩提寺〟はその歴史的背景によるものである。その廃少菩提寺に行くには、車をこちらに停めて、バス利用か徒歩で向かうことが出来るようになっている。
高速道路の休憩施設であると同時に近隣の観光に利用する拠点としての役割を持っている利用価値の高いパーキングエリアであった。- 旅行時期
- 2023年11月
- バリアフリー:
- 5.0
- 自動ドア・スロープ完備。
- トイレの快適度:
- 5.0
- 夜間でも清掃は行き届いており快適に利用できた。
- お土産の品数:
- 5.0
- 程ほどの品数が揃っている。
-
投稿日 2023年12月16日
総合評価:5.0
滋賀県道12号栗東信楽線沿いにある道の駅こんぜの里りっとうは、昭和50(1975)年に第26回全国植樹祭及び平成7(1995)年に開催された第19回全国育樹祭の会場となった県民の森に隣接している。また県民の森は日産自動車がネーミングライツを取得し〝滋賀日産リーフの森〟の名称がつけられていることでも知られている。
金勝寺への拠点としても利用されており、大畑バスが通行できない林道を小型バスに乗り換えて向かうことや金勝山登山等の界隈の観光になくてはならない施設となっている。
道の駅ではあるが結構休日が多く、毎週水曜日、年末年始、お盆期間等数日に渡って休業することがあるので、施設利用時には注意が必要である。
基本近隣に飲食施設や土産物を扱う店が少ないためにそういった利用価値は高いが、大人数で訪れた際に対応できる程大きくはない。
駐車場やトイレは24時間利用できるので利用価値はあるが、なんせ夜には駅内の照明が大変暗いので利用時に少し気が引けてしまうところがあるのは残念だ。
営業時間はともかく〝照明〟の問題だけは解決して貰いたいと思える少し残念な道の駅であった。- 旅行時期
- 2023年11月
- バリアフリー:
- 5.0
- 拘留されている。
- トイレの快適度:
- 5.0
- 閉駅後だが清掃は行き届いており快適に利用できた。
- お土産の品数:
- 5.0
- 地元産、特に農作物が豊富に揃えてあった。
-
投稿日 2023年12月16日
総合評価:5.0
滋賀県栗東市の南方にある金勝山。その山中にある天台宗の寺院である。奈良時代に良弁上人によって開基されたと言われており、聖武天皇が紫香楽宮の鬼門鎮護のために勅命を出したことにより建立されたと伝わっている。当初は法相宗の寺院であったが、比叡山延暦寺の影響を受けて、その後天台宗の寺院として改宗している。
その後天皇の庇護を受けるなどして隆盛を誇っていたが、戦国時代の天文18(1549)年の火災によって多くの堂宇を焼失。その半世紀の後、慶長年間になって住職清賢法印が徳川家康に再建を請願したことで、保護されることとなり寺領30石を与えたとされているが、一部仮堂をとして建立されるも、往時の隆盛を取り戻すには至らなかった。
本堂・二月堂はその際〝仮堂〟として作られたものが、また元禄年間には排水等を考えた山型配石の参道や石垣が修復されて現在に至っている。隆盛を極めていた時代の金勝寺の姿を見ることはできないが、時代の流れの中で衰退してきた様は、知名度を考えると致し方ないと思えるところが残念である。
近年観光協会の手によって〝紅葉ライトアップ〟が年に数回行われ、栗東の新たな〝名所〟化する動きが出てきている。最も今回訪れた折には祝日にも拘らず数える程の参拝客が居たに過ぎなかった。ただ知名度だけでは長きに渡り〝名所化〟するのは難しいかとは思える。都会の研鑽を離れた〝静かなる趣のある寺院〟として、隠れた名所になって貰いたいと展開を見た私には思えた場所であった。- 旅行時期
- 2023年11月
- アクセス:
- 5.0
- 栗東ICから車で30分程。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 多くはない。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は舗装されてはいない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 小規模だが手がこんでいる。
-
投稿日 2023年12月07日
総合評価:5.0
それまでの二条城とは異なり、関ケ原の戦役後徳川家康の上洛時の宿所として建設が始まった。慶長8(1603)年3月に落成し、家康が伏見城にて征夷大将軍補任の宣旨を受けて二条城に入城。そして室町幕府以来の慣例に基づき〝拝賀の礼〟を行うために御所への行列を発している。3代将軍家光の頃までは将軍就任の〝祝賀の儀〟が行われたが、4代将軍家綱以降は行われなくなっている。
上洛時の宿所・天皇の行幸時に利用され、15代将軍徳川慶喜の大政奉還が行われる場所ともなり、江戸時代の始まりと終わりを告げた場所でもある。
明治維新の折徳川家から接取され、皇室の離宮へ変遷する。離宮時代には大正天皇の行啓や饗宴の儀などが行われる場所となり、その後昭和14(1939)年には条離宮は京都市に恩賜され、元離宮二条城と改称された後、平成6(1994)年にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に〝古都京都の文化財〟として登録され現在に至っている。
歴史的建造物としての価値も勿論、近年では〝光アート〟の会場として利用されることも多くなり、入りいろなジャンルの興味のある観光客は住民達が訪れる〝観光地〟であり〝憩いの場〟として多くの人々を魅了している。
イベント会場としては良い場所ではあるのだが、年々増える入城客に対応しきれていないと思えることも話題に上っている。以前は写真撮影はほぼすべてのエリアに於いて可能であったのだが、〝光もののイベント時〟にはかなり制約を受けることも多くなり、人も多いことからイベントの魅力は薄れて行っているように思えてならない。
コロナ禍の終焉宣言のもと、訪れる人が増えるのは致し方ないとは思うのだが、もう少し主催者サイドが寛容に捉えて来場者を楽しませるような配慮が必要になっているのではと思えた今回の二条城訪問であった。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2023年11月26日
総合評価:5.0
能登旅のツアー組込の宿として手配した。金沢駅西口にあるため、辺りが都会という印象は受けなかった。
部屋はベッドを横にした幅のものであるため奥行きがなく、少し狭い印象を受けた。室内は清掃が行き届いており、バス・トイレを含め快適に利用できた。
朝食はR&B系列同様の自家製のパンを中心としたパンとソフトドリンク、サラダとデザートであった。質は十分だが量はイマイチという印象を受ける。
駐車場はコインパーキングで一晩700円。なぜだかわからないが領収書に宿泊代金として5,800円が計上され、売掛金として同額がマイナスされていた。本来ツアー代金の一部として宿泊代金単独の金額は丸秘扱いの筈だがそんな記載がされていた。金沢宿泊税は現地で200円徴収される。
決してコスパが悪い訳ではないが、際立って良い点も見つからない普通のビジネスホテルであった。- 旅行時期
- 2023年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 金沢駅から徒歩5分程度。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- エリア的には高いと思われる。
- 客室:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適に利用できた。
- 接客対応:
- 5.0
- チェーン店の悪くない対応であった。
- 風呂:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適に利用できた。
- 食事・ドリンク:
- 4.0
- 量的には少し少ないかも。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーターは完備。
-
投稿日 2023年11月20日
総合評価:5.0
能登の旅路に於いて行程上の時間と値段を考慮して宿泊を決めた。温泉地にあるビジネスホテルといえば中途半端な大浴場があり、しっかりと入湯税を徴収されるが、こちらは温泉を引いておらず入湯税もがかからなかった。
喫煙シングルの部屋は広いとは言えないものの寝るには十分なものであった。客室・バスルームとも清掃は行き届いており快適に利用できた。
朝食は一階レストランにて食券制のバイキングであった。アルファワンの系列ならではの豊富な種類と量は他と変わらず、満足できるものであった。
時期的なものかも知れないが、チェックアウト時に抽選ができる。勿論当たりはそれなりのものが貰えるのかも知れないが、まあ期待をするものでもなかった。
宿泊代金とロケーションを考えると十分過ぎるホテルである。次に和倉に格安旅で訪れることがあるならば是非とも利用したいと思うホテルであった。- 旅行時期
- 2023年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 和倉温泉駅から車で3分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- シングル朝食付きならばコスパは良い。
- 客室:
- 5.0
- 広くはないが清掃は行き届いており、快適に利用できた。
- 接客対応:
- 5.0
- チェーン店ならではの良い感じであった。
- 風呂:
- 5.0
- 広くはないが清掃も行き届いており、快適に利用できた。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 種類・量とも豊富で十分満足できるものであった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 入口に段差はなくエレベーター完備であった。
-
3年ぶりに京都競馬場で行われる“秋華賞”と“菊花賞”を記念して奉納されたイベントである。
投稿日 2023年10月18日
平安神宮奉納ライトアップBlooming 下鴨・宝ヶ池・平安神宮
総合評価:5.0
一年の間に色々とイベントにまつわるライトアップが行われる平安神宮。本年の秋のライトアップ第一弾は京都競馬場で行われるG1レース“秋華賞”と“菊花賞”を記念して開催されたBloomingであった。入口の應天門から大極殿に至る85mのエリアを3つに分け、ライトアップとプロジェクションマッピングが行われた。
應天門エリアの馬像に触れると大極殿に映るプロジェクションマッピングが始まるといる凝ったもの。私自身もその仕様を理解しておらず、係員氏が時折馬像を触っていたのが“なんだろう”と思う始末。後で詳細をパンフで確認して納得した。
お馬さんには興味はないのだが、久しぶりに行われるG1レースと共に京都競馬場だけではなく京都全体を盛り上げようという意図には共感を持てた。
主催者側の意図が今後行うかどうかが記載されてはいないのでなんとも言えないが、人気を回復しつつある京都の街を後押し出来るのであれば、今後も続けて頂きたいと思うイベントであった。- 旅行時期
- 2023年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 市バス“岡崎公園 美術館・平安神宮前”バス停徒歩5分。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 少なくはなかった。
- 催し物の規模:
- 5.0
- それ程大きくはないものの利用出来るスペースはフルに活用されていた。
- 雰囲気:
- 5.0
- 無料だとは思えないものであった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 会場の殆どは砂利敷であった。
-
投稿日 2023年10月16日
総合評価:5.0
明治28(1895)年に当時閑散としていた岡崎エリアに於いて〝平安遷都千百年紀念祭〟と〝第四回内国勧業博覧会〟が実施された。その会場跡地に明治36(1903)年に東宮御慶事記念動物園が開園する。その後京都市市有地となっていた博覧会跡地部分が〝岡崎公園〟と称されることが決定し、翌年に開設されることとなった。その後明治42(1909)年には京都府立図書館が開設され、昭和3(1928)年の大礼記念京都大博覧会翌年には岡崎公園応天門通りに鉄筋コンクリート造の大鳥居が完成し、昭和8(1933)年には京都市美術館(現:京都市京セラ美術館)が開館した。
現在では京都市美術館・京都国立近代美術館・ロームシアター京都・京都市勧業館(みやこめっせ)・岡崎グラウンド・京都府立図書館・京都市動物園・平安神宮等京都の文化・観光・産業施設が集まっている一帯に加え、公園の南縁と西縁には、琵琶湖から引かれた琵琶湖疏水の水路とインクラインがある広範囲を広義の〝岡崎公園〟と呼んでいる。
ややこしいのだが平安神宮南側に広場が隣接する同名の〝岡崎公園〟が存在する。ここにはテニスコートの他トイレや喫煙所が設けられている都市公園となっている。どちらのことを指しているのかは不明ではあるが、都市公園はテニスを楽しむ市民やドライバーのトイレや喫煙所として屡々車が駐車している姿を見ることが出来る。いずれにせよどちらもが市民や観光客になくてはならない施設となっていることがわかる場所である。- 旅行時期
- 2023年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平安神宮前。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夜にはほとんど人影はなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 基本舗装はされてはいない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- ただの都市公園にも、広大な景観エリアにも見える不思議な場所であった。
-
投稿日 2023年10月16日
総合評価:5.0
京都御所を模して作られた平安神宮。創祀時は平安京遷都を行った第50代桓武天皇をご祭神としていた。その後昭和15(1940)年の皇紀1600年には、平安京で一生を過ごした第121代孝明天皇が合祀された。
昭和年間に放火で大部分を焼失するも全国から集った募金等で再建され今日に至っている。
京都三大祭のひとつ“時代祭”の出発点と知られている他に、近年はプロジェクションマッピングを含むライトアップの会場として利用されることも多くなっている。
確かに歴史がある訳では無いが、平安京を模した建物に映るライトアップは、それなりに荘厳さを感じられるものとなっている。
夜のイベントの場合駐車場を探すのが一苦労なので公共交通機関の利用をお勧めしたい場所であった。- 旅行時期
- 2023年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 市バス岡崎公園 美術館・平安神宮前バス停から徒歩5分。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- イベント目的の方がそれなりに居たようだ。
- バリアフリー:
- 3.0
- 基本足元は砂利敷きである。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 建物に映るプロジェクションマッピングはなかなかのものだった。
-
投稿日 2023年10月16日
総合評価:5.0
蒲生氏郷を祖とする家に産まれた蒲生君平は、江戸時代後期の儒学者である。その他御陵を踏査して“山陵志”を著した尊王論者、ロシア軍艦の出現から北辺警備の必要性を説いた海防論者でもある。しかし生前は海防論が幕府に危険人物と見做される等日の目を見なかったとされている。
御陵研究も同様に生前は然程の評価はされてはいない。しかし訪ねた国学者の本居宣長等からは、その論述は絶賛されていた。
その“山陵志”研究の中で君平は2回の状況をしている。その2回目に滞在した場所がここ歌人の“小沢蘆庵邸”だったとされている。
死後“山陵志”は評価されることとなり、明治天皇の勅命の下故郷の宇都宮に“勅旌碑”の建立、正四位の贈位がなされ、その後君平を祀る“蒲生神社”も建立されている。
生前の低い評価からだろうか、丸太町通りに沿った住居前にひっそりと“蒲生君平先生仮寓御趾”と“小沢蘆庵宅跡”という2つの石碑が立つのみで往時の面影は残ってはいない。しかし彼が記した書物は後世になって評価されていることは間違いない。市内の隠れた“史跡”として、今後取り上げてもらいたいと思える場所であった。- 旅行時期
- 2023年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平安神宮から徒歩7分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- ここを訪れている方とは出会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 歩道は舗装されている。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 石碑が残るのみである。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
沖縄県営平和祈念公園の敷地内にある平和祈念資料館。平成12(2000)年3月にリニューアルオープンして現在に至っている。その前身となる沖縄県立資料館は、開館当時靖国神社奉賛会の支部であった沖縄県戦没者慰霊奉賛会(現:沖縄県平和祈念財団)が開館させたもので、靖国神社遊就館のように軍関係の資料館となっており、軍用品等遺品の宝物館であった。よって沖縄戦の伝承については基本構想や理念とも兼ね揃えてはいなかった。
しかし開館後にその展示内容に対し、沖縄戦の研究者達からの“問題”が指摘され、3年後の昭和53(1978)年に問題点を改善し、180°方向変換した資料館としてリニューアルオープンする。
そのリニューアルオープンした内容が沖縄の反戦平和運動の主張である軍による“住民虐殺”等沖縄に於ける日本軍の残虐さを“誇張”するものとなったために、その内容に対して抗議行動がなされる羽目となり、展示替えをする際にも混乱を招いている。
場所の移設と新平和祈念資料館の開館は平成12(2000)年のこと。平和の礎を含めた現在の平和祈念公園のビジュアルを成すものとしては現在地に移設開館した。最終的には草案を作った大田昌秀氏著書“鉄の暴風雨”の影響を多大に受けた展示内容となって現在に至っている。
沖縄県民の目線から見た沖縄戦というサブタイトルが付けられた平和祈念資料館。確かにリアルな展示内容から進めなくなってしまう来館者がいるように的を捉えた資料が揃っている。それはそれで素晴らしいのだが、元々熾烈な地上戦であった沖縄戦だったが故に文章の記録が残っておらず、当時の住民の体験談を多角的に集めたものが資料作成に取り入れられている。しかし“大人の事情”に左右されて完成した平和祈念資料館は、方向付けがかなり曖昧に思えて、ただ戦争に於ける“悲壮感”を醸し出しているだけのように私には思えてならない。双方に忖度した結果であるのだろうが、それならば双方の“考え”を最大限に表現する資料館として、来館者に判断を委ねるようにした方が良かったようにも感じられる。
沖縄戦の資料館としては一流だが、言いたいことが弱いように感じてしまうのが少し残念であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 沖縄県営平和祈念公園内。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 慰霊の日は無料である。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- なんとなく来ている方が多いようだった。
- 展示内容:
- 5.0
- 資料は一級品である。
- バリアフリー:
- 5.0
- 考慮されて作られている。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
沖縄県を地盤としたチェーン店のひとつであるサンエー。中でも大規模なもののひとつであるサンエー西原シティ店は、取り敢えず必要な衣食住の製品を手に入れることができる店舗である。
ニチリウグループの店舗故、地元の平和堂で見かける商品も多くあり、重宝している。お土産となる一般商品はイオン並みの品揃えがありかつ安い。
今回もお土産を購入するために立ち寄ったのだが、沖縄県で紅芋が不作ということで定番の“紅芋タルト”が手に入らなかったが、その辺りは豊富な品揃え故に代品があり、他店まで足を伸ばさずとも購入できた。
その他にも自宅用の“さんぴん茶ティーパック”等は値上がりもせずに普通に購入でき、お土産物一式は無事購入することが出来たが、ここでまさかの“エコバッグ”の持参忘れに気付き、3円程余計に支払った。
品揃えを期待して基本的なことを失念した。次回は必ずエコバッグ持参と肝に命じた私であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園から車で30分。
- お買い得度:
- 5.0
- スーパーなのでコスパは良い。
- サービス:
- 5.0
- マニュアル化された良い感じである。
- 品揃え:
- 5.0
- 大型店なので豊富である。
- バリアフリー:
- 5.0
- バリアフリー化対応済みの建物であった。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
八重瀬公園から3km弱程離れたところに急遽広がる駐車場がある。ヌヌマチガマ、沖縄戦に於いて第24師団第1野戦病院新城分院となっていた場所である。以前はこのような立派な入口周辺施設はなかったのだが、八重瀬町が〝平和学習〟向けに壕内に下りる階段や、トイレや駐車場を整備した。施設は整ったがその後〝施設管理者〟を委託したNPO団体が、入壕の管理を一手に引き受け、入壕に同伴する他団体のガイドを締め出したということから揉め事に発展し、実際個人では入壕できないという状況が続いていた。
そのような経緯があったが、コロナ禍に於ける体験希望者の減少から状況が変わったようで、八重瀬町が認可しているガイド団体の引率化で個人での入壕も可能となったようであった。偶々見つけた八重瀬自然遊学センターの入壕体験の情報で今回の入壕が可能となった。
入口に立派な階段が設けられていることは、他のガマや壕と大きく違うが、中に入ってしまえば同じである。自然壕であるが、大きな穴が開いており、そこから光が入ってくるが、これだけ大きいものであれば砲弾なども着弾したのではと思える節があった。このヌヌマチガマは水には困らなかったようだが、逆に4~6月という梅雨の時期、壕内の水量の増加から野戦病院壕の中では早めに撤退したという記録が残っている。
壕を出た学徒他病院職員は八重瀬公園の第24師団第一野戦病院を経て、白梅の塔付近の壕に移るもそこで米軍の猛攻に逢い、46名の学徒のうち22名が戦死している。
ヌヌマチガマだけのことではないが、白梅学徒隊の足跡を辿るにあたり〝欠かせない〟戦跡のひとつであることには変わりはない。費用の点ではちょっとお高い気もするので、募集団体を募り、一人頭のコストと手軽さを記せば、もっと大勢の〝関心のある人々〟が訪れてくれるのではと思えた私であった。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 南の駅やえせより車で5分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段が設けられたが急であり、足元も良くはない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- ガマの特徴が強烈で、往時の苦労が偲ばれる場所であった。
-
投稿日 2023年10月07日
総合評価:5.0
沖縄県営平和祈念公園から糸満市観光農園間のシャトルバスに乗車。車両は新しい観光バス車両であった。ひと昔のバスが多い沖縄のバスの中で現行モデルのバスにあたることは稀なようだ。どこの場所でも運転士不足の影響からか便数が年々減っているようにも思えるが、地元や観光客の足として頑張って貰いたいと思う。
- 旅行時期
- 2023年06月
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- シャトルバスは無料だが、路線も割高感はない。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 慰霊の日は仕方がない…。
- バリアフリー:
- 4.0
- 低床車は対応している。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 観光地には必ずバス停がある。
- 車窓:
- 5.0
- 沖縄ののんびりとした景色を堪能できる。






















































































































