ウェンディさんのクチコミ(83ページ)全2,269件
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- 基本情報
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投稿日 2015年10月04日
総合評価:4.0
白川郷の風景を高台から見下ろせる展望台として有名な荻町城跡展望台。
ここは、ガイドブック等には、村の中からの徒歩の案内しか書かれていないが、実は車でのアクセスが可能な場所だ。
ただ、車の場合は村の中からのアクセスは不可で、車の登り口は村の外の国道156号線の萩町の信号機手前20m程にある上り坂のところ。
この道は360号線で、車で行くならこの道を登ればOKだ。
展望台の駐車場はそれほど広くはないが、訪れる人が長居をする場所ではないので(写真を撮る方が多い時は別)、待って居れば、駐車場はすぐに空くと思う。
ガイドブックによっては、360号沿いにはポスター級の景色が・・・と書いてあるが、歩いて登るにはかなり遠回りをする展望台への道なので、歩く場合には和田家の後ろから伸びる展望台への道(和田家から徒歩15分~20分)か、天狗堂への急登の道(萩町の信号から徒歩10分)だが、天狗堂への急登の道はかなりの急坂で道も山道級に悪いのでローファーやパンプス系の靴ではお勧めしない道だ。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.5
- 小さい子供や年配の方が一緒の場合は車がお勧め
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 人気の場所なので混んではいる
- 見ごたえ:
- 4.0
- コレぞ白川郷…の景色
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投稿日 2015年10月04日
総合評価:3.0
高山の中心を流れる川である宮川に架かる橋、中橋。
中橋は清流に掛かる朱色の橋で、その景観は、まあまあ綺麗…と日本人ならば感じる場所だろう。
ところが、この橋の風景は、海外からのゲストには非常に日本的なモノとして見えるようで、朱色の欄干の中橋の上は、自撮棒を持つ海外からの旅人で一杯だった。(高山のさん町の町並みよりも人気度は高いように見えた)
和の色である朱色、海外の方から見る日本の色…なのかもしれない。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 町屋エリアの東橋で陣屋のすぐ傍
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 海外からのゲストに大人気
- 見ごたえ:
- 3.0
- 景観はいいが、まあ普通の観光地の橋
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投稿日 2015年10月04日
総合評価:4.0
高山の古い町並みは、その町屋が並ぶ町並みを歩くだけでも楽しいが、せっかく訪れたのだから、町屋の構造を見ることが出きる住宅の内部見学もお勧めの場所だ。
しかし、家屋の見学は有料のことが多く、入場料として500円程度の費用が発生してきて、公開しているお宅を全て見て廻ったら、あっという間に財布は軽くなってしまうだろう。
そこで、お勧めなのが無料で公開している町屋である宮地家住宅だ(公開日は土日・祝日のみ)。
宮地家は庶民派の町屋の代表的な存在で、江戸時代後期頃からの一般家庭の家の中の様子を見ることができる。(松本家住宅も無料で公開しているらしいが、こちらには行っていないので詳細不明だ)
宮地家の玄関を開けると、2階までの吹き抜けスペースがあり、その奥には広い畳の間と坪庭。そして、一番突き当りには土蔵があるいわゆる≪ウナギの寝床≫形の奥に細長い造りをしている。
二階へと上がると、当時の子供部屋があり、高山では庶民と云われる人達でも、かなりゆとりある生活をしていた様子が偲ばれる。
一方、裕福な豪商である高山町人のお屋敷も何軒か公開されているが、こちらはそのほとんどが、入館料を必要とする有料エリアだ。
限られた観光時間の中で全ての公開住宅を見学するは時間的にもお財布的にも難しいので、庶民派の宮地家住宅、そして、豪商派の公開住宅(日下部民藝館、吉島家住宅等)を1つずつ眺めるくらいがちょうどいい見学内容だと思う。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 町屋エリアの西の端
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 空いていました
- 見ごたえ:
- 4.0
- 庶民の家ということでしたが、広い!
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鷲とジャガーが食べている三角形のものは…オニギリではありません
投稿日 2015年10月03日
総合評価:4.0
チチェン・イツァー遺跡にある【鷲とジャガーの神殿】と呼ばれる建造物(新チチェン文明時代のモノ)は四角いステージの様な構造物で、その周囲に鷲とジャガー、そして戦士の姿がレリーフとして彫り込まれている。
【鷲とジャガーの神殿】は、何のために使われたのかは未だ明らかにはなっていないが、ジャガーも鷲も、その手に切り取った敵方の兵士の首を持つ兵士の姿も全てが強さを表すシンボルなので、この構造物の上では、戦いの士気を鼓舞する様な儀式が行われたと考えられる。
そして、その神殿に彫り込まれている鷲とジャガーが口にしている物。
その形は三角形で描かれ、まるでオニギリの様だが、それが表すのは神に捧げられた生贄の心臓。
新チチェン文明の遺跡は旧チチェン文明遺跡で見られた優雅さが少しも感じられず、ひたすら強さ・凶暴さのみを表現するためだけに作られている。
旧文明から新文明へと移行する時、人々の中にどんな心の葛藤があり、この様な強さや凶暴さを強調する様なマヤ文明へと発達していったのか。
そのカギは遺跡の中のこれらのレリーフに隠されているのかもしれない。- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- 遺跡の中
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 入場料に込
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 開園間際が空いているのでお勧め
- 展示内容:
- 4.0
- 旧チチェンに比べて好戦的な図柄が多い
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投稿日 2015年10月03日
総合評価:4.0
チチェン・イツァー遺跡にある【金星の基壇】と呼ばれる建造物(新チチェン文明時代のモノ)は、小さなピラミッド型の神殿で、その上部にはククルカンの姿がある。
此処のククルカン(ヘビ)はよく見るとその口の中に歯があり、その歯はどう見ても臼歯の形をしている。
臼歯を持つヘビというのも滅多にお目に掛かれないと思うのだが、マヤ時代、この辺りのヘビには臼歯があったのだろうか。
金星の基壇で私の興味を引いたものは、臼歯を持つククルカンだけではない。
基壇の周りには男の姿が彫られていて、その姿は一般的に【羽毛の生えたヘビの中から顔を出す男】のレリーフとして知られている。
私も実物を自分の目で見るまでは、そんなものがあるんだ…位にしか考えていなかったが、本物のレリーフを目にし、もしかしてこれはシャーマン(呪術師)の姿を現しているのではないかと考えた。
当時のメキシコ地域、特にメキシコ北部には、生贄文明がマヤ文明よりも盛んで王族の王女でさえも生贄として捧げられ、その皮を剥いだシャーマンがそれを着て神に捧げる美しい踊りを踊っていた…とされるトルテカ文明が存在していた。
もし、メキシコ北部のトルテカ文明とメキシコ南部のチチェン・イツァーを作ったマヤ文明の間で交流があったならば、マヤのシャーマンが神の化身である大蛇の皮を着て、神に祈りを捧げたとしても、何の不思議もない気がするのだが…。- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- チチェン・イツァーの遺跡の中
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 遺跡の入場料に込
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 開園直後が空いているのでお勧め。
- 展示内容:
- 4.0
- 少しだけでも知識を仕入れてから眺める方が断然面白い
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世界遺産でトレッキング♪/20周年の今年、白川郷・五箇山は、イベントが盛りだくさん
投稿日 2015年10月03日
総合評価:5.0
今年は白川郷と五箇山が世界遺産に登録されて20年目の年。
白川村では様々な行事を企画している。
9月にあったのは、【美濃和紙あかりアートin 白川郷合掌造り集落】。
そして、これから2015年10月~2016年3月にある企画は3つ。
1つ目は、茅葺屋根の葺き替え用の茅の刈り取り作業を村内外の参加者で共同で行う企画
2つ目は、合掌造りの文化のフォーラム
3つ目は、世界遺産を歩くトレッキング・ツアー
茅葺の刈り取り作業は10/30と11/9
フォーラムは、11/27
そして、トレッキングツアーは秋と冬の季節ごとにコースが違い、
10月~11月は萩町里山~大白川
2016年2月~3月は萩町~馬狩のスノーシュートレックで、何れも各月毎週金曜日の実施だ。
私的には、スノーシュートレックに興味大。
今年、白川郷や五箇山地区を訪れるならば、上記イベントとのコラボも面白いかもしれない。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 公共交通機関では少し行きにくい
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 日中は観光客で大混雑、お薦めは朝と夕方
- バリアフリー:
- 4.0
- 村内は舗装されているので、散策するぶんには車椅子でも楽しめる。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 日本の原風景
-
投稿日 2015年09月30日
総合評価:5.0
2015年秋、白川郷の民宿【源作】の情報です。
【立地】
・白川郷の村の中心部にある。
・展望台までは徒歩20分程度。
・民家園までは徒歩5分程度。
【宿】
・合掌造りの家を改装し、民宿としている。
・各部屋の仕切りは木の襖のみ。隙間から隣の部屋が見え、話し声も基本は筒抜けだが、それが合掌造りの宿だ。
・昔ながらの田舎の家、そのものの造り。
・部屋にTVはなく、落ち着いた滞在を望む方にお勧め。
・宿泊可能人数は1部屋3名までくらいで4組程度。
・入浴は原則9時頃まで。
・各部屋にポットは置かれている。
・食事は、地元の食材を多く使った郷土料理。飛騨牛の陶板焼きもある。
・宿泊料金は1万円前後。
・浴衣あり
【所感】
・落ち着いた宿泊が出来る宿だった。
・囲炉裏端で戴く食事も美味しく、おもてなしの心が感じられた。
・朝、夕の静寂の白川郷の散歩が出来たのも宿泊したお蔭だ。宿泊せずに日中の観光客で込み合う村の風景しか見ていなかったら、白川郷に対するイメージはまた違っていただろう。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 1人1泊予算
- 10,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- 白川郷の村の中心部分
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 1泊2食で1万円前後。世界遺産の中の合掌造りに宿泊できて、この値段ならば嬉しい♪
- 客室:
- 4.0
- 合掌造りの家の1階部分を改装し、客室使用にしてあるが、基本は田舎の家のつくりということを頭に入れて置いて。
- 接客対応:
- 5.0
- 家族経営だが、おもてなしの心が感じられる接客
- 風呂:
- 4.0
- 家庭風呂サイズだが、ヒノキのお風呂。部屋ごとの時間制。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 土地のものを多く使ったお料理はおいしく、和食党の方にお勧め。
-
とっておき情報♪~晩秋のお楽しみは、紅葉のライトアップ~2015年は10/31~11/3に開催
投稿日 2015年09月30日
総合評価:4.0
白川郷…と云えば雪降る景色のライトアップで有名だが、紅葉の時期にもライトアップをしているのはあまり知られていない。
紅葉の時期、白川郷にある民家園の野外博物館では、合掌造りの家と紅葉した木々のライトアップを行う。
2015年のライトアップは10/31~11/3の期間限定の4日間の開催だ。
(ライトアップ時間帯の入場料:大人300円、子供200円)
私は9月に開催された【美濃和紙あかりアートin 白川郷合掌造り集落】のライトアップを見てきたが、夜に眺める合掌造りの家々は昼間とは異なる陰影が付き、雰囲気がとてもよかった。
通常、民家園ではライトアップは行っていないので、見ることの出来る時期は限られた時だけ。
見ることが出来たら、ラッキーだろう。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 白川郷の村から、徒歩5分
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 夜のライトアップは大人300円、子供(高校生まで)200円
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 空いていました
- 展示内容:
- 4.0
- 夜にライトアップされた合掌造りの建物は陰影が付き、昼間とは異なる魅力がたくさん
-
投稿日 2015年09月30日
総合評価:4.0
高山は徳川幕府の直轄地であり、小京都とも呼ばれた古い街並みが有名なところだ。
漆黒に塗られた木材が作る整然とした町並みの様子は、他の小京都、小江戸と呼ばれる都市とは異なる美しさだ。
この高山の町並みの美しさ。
この美しさは、何の理由もなく生まれたわけではない。
この町の誕生には、飛騨木材を扱う商人たちの知恵が詰まっている。
例えば、高山の木造建築物の軒先の高さと建物の面位置。
高山の町並みでは、何処の路地へ入ってもほぼ一直線に建物の面が揃い、その軒の1階部分の高さも同じ位に揃えられてある。
それ故に、高山の町並みは非常に整然とした町並みに見えるのだが、実はこの揃えられた軒の高さや立面には理由があるそうだ。
その理由とは、この高山を支配していたお代官様に対する対策。
江戸時代の飛騨高山は幕府の直轄地で、陣屋と呼ばれる代官所が建てられていた。
高山の町人たちは、飛騨木材で財を成したどちらかと言えば富豪に入る方々が多く、大きな建物、豪華な建物を建てようと思えば建てられるだけの財力はあった。
でも、小さな村の中で大きな建物を建てたりして不用意に目立ちすぎるとお代官様の目についてしまい、不利益を被ることも予想された。
だから、商人たちは相談して、みんなで軒の高さや建物の面位置を揃えて、誰か一人が目立つようなことの無いようにしましょう~と話し合ったのが、この町並みが出来た始まりだと云う。
また、黒褐色に塗られた高山の町の色や町屋の屋根の角度にも、町人たちの知恵や心意気が隠されている。
高山の町を散歩する時、少しでもそんな知識を持って歩くと、今まで見えていなかった新たな発見があり、町歩きを更に楽しめるかもしれない。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 古い町並みがあるさん町地区へは、駅から徒歩10〜15分
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 混んでいました。朝市も、10時半ごろには商品がなく・・・
- 見ごたえ:
- 4.0
- 町歩きだけでも楽しいですが、町屋の内部見学もお勧め
-
【珍・鍾乳洞】のあだ名も納得いってしまう光景/昭和の薫りが、プンプン~
投稿日 2015年09月26日
総合評価:4.0
飛騨大鍾乳洞は、日本で一番高い標高にある鍾乳洞で、発見されたのは昭和40年(1965年)とまだ発見からの日も浅い鍾乳洞だ。全長800mとそれほど大きくはないのだが、鍾乳石が頭上にせまり、通路わきの壁にあいた細い横穴の中には、ライトが設置され、コロボックルが暮らしているような鍾乳石が作るミニチュア宮殿を見ることができる。
ダイナミックな鍾乳洞さという点では☆数は少ないが、目の前で様々な鍾乳石を観察できる(かつ空いていて、好きなだけ見ていられる)という点では☆☆☆☆☆の鍾乳洞だ。
頭がぶつかりそうな手が届きそうな位置に鍾乳石がその石柱を作っていて、じっくりとその生成過程を眺めるには最適の鍾乳洞かもしれない。
鍾乳洞内の照明は赤・青・緑・黄色とカラフルで、ライトアップされた洞内はキレイと云えばキレイなのだが、若干照明色が鬱陶しく感じられることもあるのだが、実はこの照明の色合いにも意味がある。
洞窟内に白色照明ではなく、カラフルな照明を使う理由……。
……それは、藻類や菌類の繁殖を抑制するため。
もし、カラー・ライトではなく白熱灯や蛍光灯を証明として使用した場合、鍾乳洞内は光源の熱、地下水脈による水分、そして観光客が持ち込む植物の種や様々な菌糸の温床となり、あっという間にカビや苔だらけの世界になってしまうとのことだ。
実際、洞窟の後半部分(第3洞部分)には【月の世界 】という鍾乳洞を月面に見立てた場所があり、そこでは白色照明を使っているのだが、その鍾乳石の壁には緑色の藻(黴かも)や藻類の姿が見られた。
そんな洞内の違いも興味深いところだ。
入場料は大人1100円と少し高いが、じっくりと鍾乳石を観察しながら歩くならば、その金額の価値はある処だろう。
ただ、この鍾乳洞が全ての点でお勧めかと聞かれたら、そんなことは無い。
がっかりさせられた点もあった。
がっかりした点…それは、鍾乳洞の出口付近にあるモニュメントの像。
どう見てもあの像は鍾乳洞にはそぐわないものなので、本当にあそこに必要なモノなのか、経営陣に再考してほしいと思う。
アレがある限りは、珍(ちん)・鍾乳洞という別称も避けては通れないだろう。(旅の前にネットでこの単語を見かけた時には、その云わんとすることがわからなかったが、鍾乳洞を見終わった今は、何のことか納得!)
飛騨大鍾乳洞と大橋コレクションを見学できる入場券は大人1100円、小中学生550円でホームページに割引券があり、携帯やスマホの画面表示でも割引料金が適用してもらえる。
割引券のホームページ:http://www.syonyudo.com/guide.html- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 高山から車で30分
- 景観:
- 4.0
- 大橋コレクションは別として鍾乳洞はお勧め
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 朝8時の開館直後は休日でも貸し切り状態 ゆっくり見学できます
-
投稿日 2015年09月26日
総合評価:4.0
諏訪湖SAは日中は諏訪湖の見える展望台として賑わっているが、夜、特に深夜となるとその姿は一変する。
深夜の時間帯、草木が眠る丑三つ時になっても諏訪湖SAは眠らない場所。
特に土日や休みの前日の夜には広い一般車用の駐車場が満車になる程の車で賑わっている。
真夜中に一般車用の駐車場がいっぱいになる理由。
それは、休日の朝から始まる渋滞を避けるために、深夜に家を出発し、諏訪湖SAで仮眠をとる人達が大勢いるため。
駐車している車の中は空ではなく、多くの旅人が静かに眠りを甘受していた。
そして、賑わっているのは駐車場だけではない。
SA自体の食堂、お土産屋さん等も深夜営業にいそしんでいた。
ひっきりなしに出入りする利用者たちで賑わう諏訪湖SAは、眠らない不夜城だった。
旅行記:月面の世界&昭和レトロ空間へタイム・トラベル☆神秘の鍾乳洞を探検♪
http://4travel.jp/travelogue/11056976- 旅行時期
- 2015年09月
- トイレの快適度:
- 5.0
- 設備も新しく、メンテナンスも行き届いている
-
投稿日 2015年09月24日
総合評価:2.5
飛騨大鍾乳洞付属の大橋コレクションの展示室は、飛騨大鍾乳洞の入場券にもれなくその閲覧権(券)がついてくる場所だ。
飛騨大鍾乳洞を発見した大橋外吉さんが国内外で収拾した骨董品や現在であったらワシントン条約に引っかかりとても輸入できないであろう珍しい動物の標本骨格などが展示されている。
古今東西和洋問わず、大橋翁が趣味で集めた数々の骨董品はどれも高価そうなのだが、展示室としてのコンセプトがないせいか中途半端感が否めない部分がある。
歴史別や地域別に更に細かな解説でもあれば良いのだろうが、素人にはそれらの骨董品のどこら辺が凄いのか、貴重なのか…が分かりにくい…と思う。
また、以前に盗難に遭い無事に戻っては来たものの、溶かされてしまったためにその重量が減ってしまった時価2億円の金塊も展示してある。
話のネタとしては面白いとは思うが、骨董品と金塊を同列に並べて展示するのは、お互いの良さを相殺している気もするのだが…。
ということで、現在の展示方法のままだったら、鍾乳洞見学のオマケに…程度に考えておいた方が良いコレクション展示室だ。
飛騨大鍾乳洞と大橋コレクションを見学できる入場券は大人1100円、小中学生550円でホームページに割引券があり、携帯やスマホの画面表示でも割引料金が適用してもらえる。
割引券のホームページ:http://www.syonyudo.com/guide.html- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 自家用車がないと行きにくい
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 大人1100円(ホームページに割引券あり)
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 連休期間でも、朝イチの時間帯は空いていました。
- 展示内容:
- 3.0
- 骨董品の価値感は人それぞれ
-
投稿日 2015年09月25日
総合評価:5.0
ADOバスの予約システムのダウンのお知らせです。
2015年9月24日時点で、メキシコのバス会社であるADOバスのネット決済のシステムが機能せず、Ticktbus.com等で予約しようとしても決済が出来なくなっています。(この状態はしばらく続いています)
本数の少ない路線(1本/1日の長距離路線)では、年末年始の残り座席数があと僅かのバス路線も出てきているので、利用路線によっては、システムの復旧を待っている内に座席が売り切れとなってしまう可能性も捨てきれません。
メキシコの長距離バスは、座席の予約が埋まってしまったら売り切れとなり、日本の様にお客が多いので増便…などの措置は取られることはありません。
ADOバスの予約システムのダウンしている今年、年末年始に長距離バス利用でのメキシコ旅を計画されている場合は、路線の予約状況によっては、“現地代理店に手数料を支払ってでも座席確保をする”…そんなやり方も視野に入れる必要がありそうです。
(参考までに…パレンケ線は残席数が残り10席程度のバスも出てきています)- 旅行時期
- 2015年09月
-
投稿日 2015年09月24日
総合評価:4.0
日本でも、いずれトルコのカッパドキアの様なキノコ岩が立ち並ぶ風景が見られるようになる…としたら、多くのヒトが驚くに違いない。
まぁ、普通に考えたら日本にあんな不思議な光景が出没するとは考えにくいが、何万年後、何億年後にまだ地球という星が存在しているならば、そんな風景が日本に出没している可能性も捨てきれないのだ。
日本のカッパドキアとなりうる候補地である場所の一つが、ここ、平湯温泉にある平湯大滝だ。
平湯大滝は日本の名瀑100選にも挙げられる勇壮な姿の滝だが、この滝の周りの地形はカッパドキア候補地としての素質を多いに持ち合わせている。
平湯大滝の滝下の地層を形成しているのは数億年前の古生代の海底層部分で、滝上の地層は2万年前に噴出した溶岩層だ。
数億年という長い年月の間に、滝下に当たる地盤の柔らかい海底層部分は雨水等により削られ64mの高さの崖となり、滝上の硬い溶岩層はそのまま残り、溶岩層部分が少し張り出した平湯大滝の独特の形を作り出している。
今は滝の形をしているこの地形だが、これから数万年~数億年の時を経て、柔らかい海底層部分の侵食が更に進み、山沿いに沿って縦の溝が生まれ、その溝も徐々に深くなり、やがてキノコ岩の様な形の風景が林立する不思議な光景が生まれ出てくるかもしれない。
もっとも、その頃まで人類という種族が続くのか、地球が存続しているのか…なんてことは誰にも分からないが…。
ともかく、そんな可能性を秘めた地層が平湯大滝を取り囲んでいるのだ。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.5
- 平湯温泉からは徒歩圏内
- 景観:
- 4.0
- グリーンシーズンもよかったが、雪の時期の氷瀑もすごい!
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 空いている
-
投稿日 2015年09月17日
総合評価:4.0
聖なる蛇ククルカンが降臨するピラミッドで有名なチチェン・イツァー遺跡は、広大な広場の中に祭事用の神殿が点在するスタイルが基本形なのだが、この高僧の墳墓だけは鬱蒼とした森の中にあり、密林遺跡の気分が味わえるところだ。
蛇の頭部が付いたピラミッドはミニ・ククルカン神殿の様だが、この【高僧の墳墓】と呼ばれるピラミッドが作られたのは、旧チチェン文明時代で、有名なククルカン神殿よりも500年ほど昔のピラミッドだ。
【高僧の墳墓】に関しては、修復の手は最低限のみしか入れられておらず、古代遺跡感が満載の遺跡でもある。
この高僧の墳墓(文字通りに高い位の僧侶の墳墓であったかどうかは定かではないが)からは翡翠等の玉石などが副葬品として出土している。
もしかして、周りを掘れば新たなる副葬品が見つかるかも…(遺跡の勝手な発掘は禁じられておりますので、決してそんなことはなさらぬよう…)しれない。
遺跡の周りの密林の中には、朽ちて台座から転げ落ちたククルカンの頭部も無造作に転がっていて、ジャングル探検の気分もさらに盛り上がる。- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 1日
- アクセス:
- 4.0
- チチェン・イツァー遺跡の中
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 遺跡入場料に込
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 団体ツアーではカットされるかも
- 展示内容:
- 4.0
- 遺跡の周りには金銀財宝が埋まっているかも
-
投稿日 2015年09月17日
総合評価:4.0
通常、メキシコのセノーテというと多くの旅人がイメージするのは、地下水脈でつながった青い水をたたえる大地の水たまり。
セノーテの水は澄み、岩の穴から差し込む太陽の光が水底まで届き、キラキラと水の中を反射する光景…がそのイメージだろう。
でも、チチェン・イツァー遺跡にある聖なる泉のセノーテは、そんなイメージとは正反対の場所だ。
聖なる泉があるのは、遺跡の端。
ククルカン神殿があるメイン広場からは歩いて10分位の距離だ。
セノーテへの道の突き当りはストンと垂直に落ちる崖になっていて、その崖下に聖なる泉であるセノーテがある。
聖なる泉の水の色は褐色がかった緑色で、水の底を見通すなどできないような感じだ。
その昔、アメリカの探検家エドワード・トンプソンはマヤの末裔から聖なる泉の話を聞き、此処には神に捧げるための金銀財宝が眠っていると考えた。
そこでトンプソンは、セノーテの崖を下り、太陽の光も射しこまないセノーテの水の中を探検することにした。
昏く濁度のあるセノーテの底でトンプソンが見つけたモノ。
それは、おびただしい数の人の骨。
その大多数が子供だった。
そして、その骨の殆どには高い場所から落ちた時にできる重度の骨折の跡が見られたという。
金銀細工の供物もあったが、それらはほんの少しだけ。
聖なる泉、チチェン・イツァーのセノーテは聖なる場所ではあったが、そこは神々に金銀財宝を捧げる場所ではなく、生贄を捧げる場として利用されていた泉だったのだ。
現代に、観光客がセノーテを見下ろすその場所は、マヤ時代には生贄の子ども達をセノーテへと突き落す場所だった…。
セノーテの底には今でも、当時の生贄たちの骨が眠っている。
聖なる泉・セノーテの水が澄んだ水色で、水底まで見通せるような場所では無くて良かった…と多くの観光客が思っているはずだ。- 旅行時期
- 2012年08月
- 観光の所要時間
- 1日
- アクセス:
- 4.0
- チチェン・イツァー遺跡内部
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 入場料に込
- 景観:
- 4.0
- 濁った緑色のセノーテの水。神秘的なのか、不気味なのか・・・
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 遺跡のメインの場所からはすこし離れているので、ここを訪れない方もいるのかも
-
投稿日 2015年09月14日
総合評価:5.0
スルタンアフメット広場のある地区は、イスタンブールの観光の中でも要となる地区で、アヤソフィア、ブルーモスク、トプカプ宮殿と見所に溢れている。
スルタンアフメット広場内は公園のようになっていてベンチもあり、市民の憩いの場にもなっている。
広場からはブルーモスクの姿、アヤソフィアの姿が見ることができ、昼間でもこれらの建築物の姿は美しいが、お勧めは夜。
夕方、夜の帳が下りる頃、アヤソフィア、ブルーモスクのライトアップが始まり、アヤソフィアの紅い姿、黄金色に輝くブルーモスクの姿が夜の闇の中に浮かび上がる。
また、夜は広場の噴水もライトアップされるため、噴水越しのブルーモスクの姿も綺麗だ。
時間があるならば昼・夜の両方、時間がないならば、夜のライトアップの時間帯がお勧めの場所だ。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- アヤソフィアとブルーモスクの間
- 景観:
- 5.0
- 夕方から夜にかけての光景はお勧め♪
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 観光客は多いですが、広いので気になりません
-
投稿日 2015年09月14日
総合評価:4.0
チチェン・イツァ遺跡の中にあるツォンパントリと呼ばれる構造物。
この構造物は四角形の形をしていて、その側面にはひたすら髑髏が何百個と掘られている。
ツォンパントリが作られたのは新チチェン文明の時期なので11世紀から16世紀の初頭と推定され、この建築物の目的は、その骸骨が示すように心臓を取り出され神への供物となった生贄たちの頭蓋骨のお披露目台だ。
それだけではたいして面白くないのだが、実はこのチチェン・イツァー遺跡から1000km離れたところで栄えたアステカ文明の遺跡(テンプロ・マジョール;メキシコシティ中心部にある)からも同様に頭蓋骨を彫刻した大きな台座が見つかっている。
メキシコ北部のアステカ文明が栄えたのは15世紀からなので、チチェン・イツァー遺跡を作ったマヤとアステカの文明の重なりが約100年間位はあったのではないかと考えられる。
しかし、長距離移動の出来る船などを持たなかったマヤ・アステカの人々。
それぞれの文明の間には危険な動物たちが住むジャングルという壁があった。
しかし、その壁を乗り越えて、彼らはお互いの文明の交流があったのか…。
現在の考古学では、マヤ・アステカの人々の間では交流があり、マヤの生贄文明がアステカにもたらされた。もしくは10世紀頃からお互いの文化(この場合はアステカ文明の前駆体であるトルテカ文明とマヤ文明)の間には交流があり、お互いの習慣がそれぞれの文明に持ち込まれ独自の発展を遂げたのではないかと考えられている。
そして、生贄文明はアステカ文明において更に豪華な生贄体制となり、花戦争と呼ばれる生贄を生け捕るための戦争(戦争で戦い傷ついた戦士たちが流す血が地面に咲く真っ赤な花の様だ…という事でアステカ人たちは生贄ぶんどり合戦を花戦争と名づけた)を起こす…という類を見ないアステカ文明が生まれたのではないかとされている。- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 1日
- アクセス:
- 4.0
- チチェン・イツァー遺跡の中
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 入場料に込
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
- 髑髏が彫りこまれた石の台座。
-
“チチェン・イツァー遺跡は宇宙人により作られた !?”/トンデモ説の元になった建物
投稿日 2015年09月14日
総合評価:5.0
チチェン・イツァーの遺跡と一言でくくられることの多いチチェン・イツァーだが、実は、全ての遺跡は同じ時期に作られたわけではなく、7世紀頃に全盛期を迎えた旧チチェン遺跡と10世紀以降に栄えた新チチェン遺跡の二つのパートから成り立っている。
尼僧院と呼ばれる建物は7世紀頃の旧チチェン遺跡のもので、実際にどの様な用途で使われたか…等は想像の域を出ない建物だ。
因みに【尼僧院】という名前は、中南米のインカ・マヤ・アステカ文明を滅亡に追いやったスペイン人宣教師たちが、その建物のイメージから勝手に名づけたもので、僧のための建物であったかどうかなどは定かではない建物だ。
この尼僧院には、不思議な彫刻がたくさん残されている。
ひとつは象の鼻の様な器官を持つチャーク神と呼ばれる神の像。
7世紀の頃、中米には象はいなかった(今もいないと思うが…。もっと古い時代、地球全土が凍り付いていた頃にはマンモスがいた可能性もあるが…)。
それなのに、何故7世紀のマヤの人々は象の様な動物を知っていたのか。
また、尼僧院の建物の真ん中少し上の壁にはジャガーの様な顔をした不思議な人型のレリーフが彫刻されている。
そんなところから、チチェン・イツァー遺跡は宇宙からやって来た宇宙人が作り、マヤの人達に知識をあたえ、新チチェン文明を起こす礎となった…なんていうトンデモ説があったりもする。
色々な説があるが、マヤ文字の解読はまだ殆ど進んでおらず、彼らの文化を紐解くには更に長い年月が必要だ。(スペイン人たちにより燃やされてしまった、マヤ文字で書かれたマヤの歴史書が残っていれば、その解明も早かったのだろうが…)
マヤ文化の遺跡を訪れる時、そんなトンデモ説を1つでも知っていると、斜めに見た遺跡の楽しみ方も出来て、面白い。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 1日
- アクセス:
- 4.0
- チチェン・イツァー遺跡の中
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 遺跡入場料に込
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2015年09月13日
総合評価:5.0
チチェン・イツァー遺跡の中でひときわマイナスのオーラを放っている場所がある。
それは、戦士の神殿の上にポツンと一つだけ残されている石の像。
その像はお腹を上にし、手をその腹の上に乗せ、顔を横に向け、戦士の神殿の下から彼を見上げる私達をじっと見ている。
像の顔の彫刻はパッと見は幼い子供のようだが、よく見ると目は笑っていなく、子無き爺のように老成した顔をしている。
この像の名前はチャックモール。
その昔、マヤの人々がこの場所で生活をしていた頃、チャックモールは、生贄のために存在していた。
マヤの王は神のために生贄の体を引き裂き、その心臓を取り出し、チャックモールの腹の上に乗せ、神への供物とした。
生贄となるのは戦いで捕虜となった人達であることも多かったが、マヤの人達にとって生贄となって死ぬことは誉(ほまれ)とされていたため、同じ村の出身者が立候補で生贄となることもあったそうだ。
この生贄の習慣はスペインによる中米侵略後、宣教師たちの説得により中止されたそうだが、多くの宣教師たちが、説得に失敗し、このチャックモールの上で心臓をとりだされた…。
最終的にはスペインのカトリック教会から送り込まれた宣教師たちは、マヤの土着の神を信仰する人々をカトリックに改宗させ、その地を植民地化し資源と労働力の搾取には一応の成功を収めた…と云うことだ。
そんな昔話を知って、このチャックモールを見ると、なんだか像が笑っているようにも見え、その顔は、最近は生贄がとんと来ていないなぁ…と言っているようにも見える。
もしかして、チャックモールの像は、今でも昔の事を忘れられないのかもしれない。- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 1日
- アクセス:
- 5.0
- チチェン・イツァーの遺跡の中
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 遺跡入場料に含まれる
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 朝の開館と同時入場がお勧め
- 展示内容:
- 5.0
- 事前にしっかり遺跡の事を学習を…。より楽しめる





















































