“チチェン・イツァー遺跡は宇宙人により作られた !?”/トンデモ説の元になった建物
- 5.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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by ウェンディさん(女性)
チチェン・イッツァ クチコミ:11件
チチェン・イツァーの遺跡と一言でくくられることの多いチチェン・イツァーだが、実は、全ての遺跡は同じ時期に作られたわけではなく、7世紀頃に全盛期を迎えた旧チチェン遺跡と10世紀以降に栄えた新チチェン遺跡の二つのパートから成り立っている。
尼僧院と呼ばれる建物は7世紀頃の旧チチェン遺跡のもので、実際にどの様な用途で使われたか…等は想像の域を出ない建物だ。
因みに【尼僧院】という名前は、中南米のインカ・マヤ・アステカ文明を滅亡に追いやったスペイン人宣教師たちが、その建物のイメージから勝手に名づけたもので、僧のための建物であったかどうかなどは定かではない建物だ。
この尼僧院には、不思議な彫刻がたくさん残されている。
ひとつは象の鼻の様な器官を持つチャーク神と呼ばれる神の像。
7世紀の頃、中米には象はいなかった(今もいないと思うが…。もっと古い時代、地球全土が凍り付いていた頃にはマンモスがいた可能性もあるが…)。
それなのに、何故7世紀のマヤの人々は象の様な動物を知っていたのか。
また、尼僧院の建物の真ん中少し上の壁にはジャガーの様な顔をした不思議な人型のレリーフが彫刻されている。
そんなところから、チチェン・イツァー遺跡は宇宙からやって来た宇宙人が作り、マヤの人達に知識をあたえ、新チチェン文明を起こす礎となった…なんていうトンデモ説があったりもする。
色々な説があるが、マヤ文字の解読はまだ殆ど進んでおらず、彼らの文化を紐解くには更に長い年月が必要だ。(スペイン人たちにより燃やされてしまった、マヤ文字で書かれたマヤの歴史書が残っていれば、その解明も早かったのだろうが…)
マヤ文化の遺跡を訪れる時、そんなトンデモ説を1つでも知っていると、斜めに見た遺跡の楽しみ方も出来て、面白い。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- 観光の所要時間:
- 1日
- アクセス:
- 4.0
- チチェン・イツァー遺跡の中
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 遺跡入場料に込
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/09/14
いいね!:4票
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