ヴォーバンの要塞群 Fortifications of Vauban
史跡・遺跡
3.17
施設情報
クチコミ(2件)
1~2件(全2件中)
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12ヶ所もあるヴォーバンの防衛施設群に含まれる独仏の双子都市
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- 旅行時期:2015/07(約10年前)
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<双子のような二つの町:ドイツ・ブライザッハとフランス新ブライザッハについて>
この独仏にある双子のような二つの町は... 続きを読む17世紀の中頃まで、共有の歴史を見ることができる。2000年の昔、上ライン川の両岸はケルト人一族の植民地として、支配されていた。
紀元1世紀、ローマ軍がこの地を侵略し、ゲルマンに備えて、ローマ軍の砦がライン川に沿って作られる。4世紀にはブライザッハの丘(現在の大聖堂の建つ場所)の重要性を知ったローマ軍により、砦が建設される。
その後、この地域一帯ははゲルマン人が支配し、中世になると、神聖ローマ帝国(ヒットラーのドイツ第三帝国にたいし、第一帝国とも云われる。)の領地になる。
そしてElsassアルザス・Breisgauブライスガウ(カイザーシュトゥール地方から、ラインに沿った南部の地方の総称で、中心はBreisachブライザッハやFreiburgフライブルク)はオーストリア帝国・ハプスブルグ家の支配下となる。
1618〜48年の30年戦争後はアルザス・ブライザッハがフランス・ブルボン王家に支配が移る。
1697年ブライザッハはオーストリアに譲渡され、このとき初めて、ライン川がフランス王国とオーストリア帝国との国境線になる。この為、仏・太陽王ルイ14世はブライザッハに代わる新ブライザッハ(ノイ・ブライザッハ)要塞をライン川の反対側に建設する事とした。
その後も1870〜1年の普仏戦争、第一次、二次大戦と歴史はめまぐるしく、この地域の支配を変遷させた。
現在、二つの町はラインの両側の町として、国境を越えた友好都市となっている。観光案内所で頂いたパンフレットの両面を読んでみると、歴史・文化などこの両都市を等しく説明している。この事でも、その友好度が理解できる。
(古い記憶によれば、2007年4月当時のブライザッハの観光局のパンフレットは次の“Fortifications de Vaubanヴォーバンの防衛施設群”については、書かれていない。
2008年に新ブライザッハ(ヌフ・ブリザック)要塞は“ヴォーバンの防衛施設群”の一つとして、世界遺産に登録されたのが背景にある。フランスのBesanconブザンソン市が主導権を握り、世界遺産を検討した事もあってか、パンフレットにその記載が無かったのだろう。
<星形要塞(伊fortezza、 仏Fort、Citadelle、独 Festung 、Zitadelle)>は火砲に対応するため15世紀半ば以降のイタリアで発生した築城方式。あるいはイタリア式築城術、稜堡式城郭、ヴォーバン様式という名で分類される。最終的に考案したヴォーバン式星型要塞は死角が無い星型で、攻め寄せる敵に十字砲火を浴びせ、防御力を高めた。
・・・私の中では日本の函館・五稜郭のイメージが強く、それもオランダがこの様式を作り、オランダから日本はその知識を得たと思っていたのだが・・・
ルイ14世に仕えた軍人で築城の名手と云われたSebastien Le Prestre, Seigneur de Vaubanセバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633〜1707年)が築いた稜堡式要塞など、要塞や都市の城壁を対象とするものであり、ブザンソンをはじめとするフランスの12ヶ箇所(以下参照)に残るものがまとめて登録された。それらは防衛上の必要性から、いずれもフランスの国境に沿って、円を描くように存在する。
(Arrasアラス、Besanconブザンソン、Blaye/Cussac-Fort-Medocブライとキュサック・フォール・メドック、Brianconブリアンソン、Camaret-sur-Merカマレ・シュル・メール、Longwyロンウィ、Mont-Dauphinモン・ドーファン、Mont-Louisモン・ルイ、 Neuf-Brisachヌフ・ブリザック(ドイツのBreisachブライザッハも含む)、 Saint-Martin-de-Reサン・マルタン・ド・レ、 Saint-Vaast-la-Hougueサン・ヴァースト・ラ・ウーグ、 Villefranche-de-Conflentヴィルフランシュ・ド・コンフラン)
ヴォーバンは生涯で、新たに基礎から築いた要塞が37ヶ所、改修に携わった要塞が300ヶ所、攻略した要塞が53ヶ所とされている。
手がけた要塞のうちでもっとも有名なのは、ベルギー国境にある二つの要塞La Citadelle de Lilleリール要塞(1668〜1674年、「城塞の女王」という別名もある)、La Citadelle de Maubeugeモブージュ要塞(1683〜1905年)であり、そしてドイツのライン川沿いにあるヌフ・ブリサック要塞(1697〜1708年)である。
とりわけベルギー・ルクセンブルクの国境にあるロンウィ要塞(1678年建造)は1914〜1918年の第一次大戦に至るまで軍事的な要塞機能を十分に発揮した。:Wikiを参考に編集した。)
そういえば、“ヴォーバンの防衛施設群”の名前でザールルイという、ドイツの町を思い出した。2010年10月26日に訪れた町だが、1679年にロレーヌ地方がフランスに帰属し、ルイ14世はザール川右岸の防御を固めるためにこの町に要塞を設けることを命じた。
1680〜86年にかけて、当時の著名な要塞建築家ヴォーバンに造らせた星型(1866年の函館の五稜郭も似た星型)にかたどった要塞は有名で、ヴォーバン島と称する場所もある。
ドイツの町でありながら”ルイ14世の町”を称するのが面白い。
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黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅?紀元前2000年の頃に既に城塞があったと云う小さな村ブルクハイムを再訪した。
http://4travel.jp/travelogue/11084088 閉じる投稿日:2015/12/17
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アラスに2つある世界遺産の1つヴォーバンの要塞
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- 旅行時期:2012/09(約13年前)
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アラス(Arras)は、フランス北部のノール・パ・ド・カレー地域圏パ・ド・カレー県の県都で、人口約48,000人の町です。... 続きを読むパリから北へ約170Km、アミアンから北東約60Kmに位置します。2005年に、アラス(Arras)の市庁舎と鐘楼が「ベルギーとフランスの鐘楼群」の1つに、2008年には、市街地の南西にあるシタデル(要塞)が「ヴォーバンの防衛施設群」の1つとして、世界遺産に登録されました。
小さな町ですが、古代ローマ時代からアルトワ地方の歴史的中心地で、仏文化省によって「芸術・歴史都市」に指定されていること、2つの異なる世界遺産があることからも、行ってみる価値が十分ある街だと思い、クチコミしました。
「ヴォーバンの防衛施設群」は、スペイン領ネーデルラント共和国」の侵攻から守るために、国王の命を受け、ヴォーバンが1668年、アラス城塞の建築に着手しましたが、あまりにも戦略性を欠いた立地であったため、その城塞は「美しいが役に立たぬ城」とあだ名がついてしまったと言われています。確かに、シタデルは美しく、世界遺産らしい建物を多く残しています。
閉じる投稿日:2013/02/24
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