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jijidarumaさんのクチコミ(25ページ)全659件

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  • トリアー:この町の殆どの見所は、旧市街の中心にあり、中世風の中央広場一帯がそれにあたる。

    投稿日 2018年08月14日

    中央広場 トリアー

    総合評価:4.0

    <ドイツワイン街道とRheinland-Pfalz ラインラント・プファルツ・Saarlandザールラント地方を巡る旅>
    2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間

    10月28日(木)71km 、曇り、時に小雨、8.5℃

    世界遺産トリアーはかつてローマ軍団の根拠地であった。
    ラインと水運でつながるモーゼル川と当時のガリア主要都市との幹線道路が交差したトリアーは軍団を統括する重要な拠点となり、アルプス以北最大の、“第二のローマ”として、西方世界の首都と称された。

    この町の殆どの見所は、旧市街の中心にあり、中世風の中央広場一帯がそれにあたる。

    ドイツ最も美しい広場と称される中央広場には中央に石の十字架(958年)や、ペトロの噴水Petrusbrunnen(町の守護聖人ペトロの像が上に立つ・1595年)が立っている。十字架はオットー大帝から町が市場の開設を認められた記念だそうだ。
    広場を囲んで、Rote Haus 赤い家(1684年)、ネオゴシック様式のSteipeシュタイペ 
    (1430年、シュタイペには柱とか杖の意味がある。かつては市裁判官の家であり、中世の頃は市参事会の催し場になっていたらしい。現在は5,000もの玩具の博物館、カフェ。) 、
    15世紀のゴシック建築様式のSt.Gangolf聖ガンゴルフ教会など、カラフルで、見栄えの良いルネサンス・バロック・古典様式の市民の建物が多くみられる。
    但し、大部分の建物は第二次大戦で罹災し、戦後に再建されていて、きれいなものだ。

    ・・・・・

    旅行時期
    2010年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • セピア色の思い出:ベルゲン・フロイエン山上にケーブルカーで登り、町や湾の景観を満喫した。

    投稿日 2018年04月20日

    フロイエン山とケーブルカー ベルゲン

    総合評価:4.0

    30代の半ば、まだ行ってなかった北欧2ヶ国に4泊5日の旅をした。

    1979年6月1日(金)~5日(火)のフィングステンのお休みに駐在中の
    デュッセルドルフから飛行機でデンマークのCopenhagenコペンハーゲン、
    ノルウェーのBergenベルゲン、Osloオスロを訪れた。

    既に8月には日本へ帰国することになっていたから、夏の最後の休暇は懐かしい
    南ドイツ巡りを企画していた。フィングステンのお休みは短い休みなので、
    まだ行ってなかった北欧2ヶ国の3都市を巡ることにしたのだ。
    残念ながら、フィンランドまでは行くには日数が足らなかったが。

    子供たちが興味あるコペンハーゲンの人魚姫の像、Amalienborgアマリエンボー
    宮殿と衛兵交代式、市庁舎、チボリ公園、郊外のゾルゲンフリ野外公園を訪れた。
    更にベルゲンに飛び、4時間コースのフィヨルド観光船に乗った。
    子供たちはフィヨルドも見慣れて来ると飽きてしまったが、その後にベルゲン
    の町を望むフロイエン山上にケーブルカーで登った。
    ケーブルカーは短い時間で頂上に至るが、子供たちは大いに楽しんでいた。
    私共は頂上からの美しい町並みや湾の景観の素晴らしさを満喫できた。
    3都市目のオスロでは美しいオスロ峡湾や王宮公園、旧市街、そして
    ヴァイキング博物館(9世紀のヴァイキングの舟が目玉)を見学した。

    天気は快晴が続く毎日で、真夏の様な陽光に子供たちはアイスやジュース
    ばかりに目がいっていました。

    ・・・・・

    旅行時期
    1979年06月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.5

  • リューベック:クラシック旧市街ホテルは名前通りのプチホテル 

    投稿日 2018年04月10日

    TOP CityLine Klassik Altstadt Hotel Lubeck リューベック

    総合評価:3.5

    <北ドイツ周遊の旅>
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
    <使用レンタカー:Hertz>
    Renaut Espace R157-ディーゼル2200cc Automatic 全行程は2,087km
    希望車が無く、出てきたのは7人乗りのバンで、長さ4.86m、高さ1.74m、
    幅1.89mと、今までルノー車にも、こんな大きい車にも乗ったことが無く、
    不安のまま出発した。

    4/23 (土) 快晴 183km

    (2泊)Luebeck:Klassik Altstadt Hotelクラシック旧市街ホテル  
    D-23552 Luebeck、Fischergrube 52、 
    3星(Garni)・全28室  Euro120 (16,700円)

    17:50ホテルにチェクインする。
    3階の部屋・No.56はFranziska zu Reventlowフランチスカ・ツー・レーヴェントロー*という女性作家の名が冠した部屋で、こぎれいなしゃれたものでした。このホテルはリューベックに関わりのある文化人達の名を各部屋に付けており、勿論トーマス・マンの部屋もあり、一番高い部屋だそうです。プチホテルだけに、食事は朝だけです。

    *Franziska zu Reventlow;フランチスカ・ツー・レーヴェントロー
    1871-1918 ドイツ生まれ(女)晩年に作家稼業を生業とし、いくつも短篇小説を残している。彼女の場合、ドイツ本国では小説よりも実人生のほうが本や映画となって紹介されてきた。「ボヘミアンの女王」と呼ばれ、人生にたいする美意識とプライドをもち、じつに旺盛な反骨精神を抱いていた。  
    代表作「金銭コンプレックス」(原題Der Goldkomplex)1916。

    Bremen->Luebeckに至り、ここで2泊したので、Luebeck市内観光をやり、翌日はHansestadt Wismarハンザ都市ヴィスマール、Hansestadt Rostockハンザ都市ロストック、Schwerinシュヴェリーンを回遊した。

    ・・・・・

    夕食は、最初の日にHistorischer Weinkeller・Kartoffelkellerヒストリッシャーヴァインケラー・カルトッフェルケラー、二日目はHaus der Schiffergesellschaft船員組合の家に行って地元の料理を楽しんだ。(口コミ参照)

    旅行時期
    2005年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    5,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    3.5
    バスルーム:
    3.5
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    3.5

  • ハンザ都市ゾーストは中世の城砦都市の面影を良く残している。

    投稿日 2018年03月31日

    観光案内所(ゾースト) ゾースト

    総合評価:4.0

    2014年ドイツ:北方二州を巡る
    (北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
    メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅)
    (2014年05月09日~23日  15日間)

    05月21日(水) 271km、晴れ、朝方23.5℃と高い、この日の最高は26.5℃、

    <Soestゾースト見学>: 12:45~14:40
    http://www.soest.de/


    1180年、ゾーストの町は良き時代を迎え、102haの市域に拡大し、3.8kmの市城壁を張り巡らし、10の塔を備える程となった。
    1253年にハンザ同盟の一員になった事で、塩の取引による多くの利益を生み、町は繁栄し、中世にはウェストファリア地方では最大の都市であったと云う。
    第二次大戦では30を数える爆撃で、町の3分の2を消失した。現在、当時の教会のいくつかは旧市街に残っていて、町を取り巻く城壁も7割近くが残り、中世の城砦都市の面影を良く残している。旧市街には美しい木組みの家並みも見られる。人口は5万人を数える。

    城砦都市の周辺は緑の庭園の環状線となり、その中心に紅白の色合いが目立つバロック様式の市庁舎が置かれ、左右にSt. Petri聖ペトリ教会とSt.Patrokli-Dom聖パトロクリ大聖堂が立つ。教会傍に嬉しいことに無料駐車場があり、ここからまず二つの教会見物をした。

    その他の見所はマルクト広場にあるHotel Im wilden Mannホテル・イム ビルデンマンは当地一番の木組みの家で、17世紀の二重の切妻屋根が一段と美しい、
    後期ゴシックの大きなSt.Maria zur Wieseザンクト・マリア・ツア・ヴィーゼ =Wiesenkircheヴィーゼン教会、
    1220年頃の天井や壁に描かれたフレスコ画は評判通りのSt.Maria zur Hoeheザンクト・マリア・ツア・ヘーヘ=Hohnekircheホーネ教会がある。

    マルクト広場の周辺は木組みのホテルやレストランがぐるりとある。この日は水曜日にも拘らず多数の観衆がいて、子供たちのサッカー試合で盛り上がっていた。
    小さな町だが中々好ましい町だ。

    ・・・・・

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • アンスバッハ:かつてのブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯の居城がある。

    投稿日 2018年03月19日

    マルクグラーフェン城 アンスバッハ

    総合評価:3.5

    “北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅
    (フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
    古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る)
    期間 : 2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅
    目的地: 今春の旅はドイツ・バイエルン州北部のFrankenフランケン地方とOstbayern東バイエルン地方の北部Oberpfalzオーバープファルツを巡る旅である。

    2009年4月27日(月) 11日目の今日も晴。 19℃。 84km
    Ansbachアンスバッハ観光:      
    “バロック都市の宝石”と謳われる町は初めての訪問である。
    人口4万人の小都市はバッハ音楽祭りとロココ演劇の町としても、知られている。
    プロイセンの皇帝を出したホーエンツォレルン家の城下町で、かつてのブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯の居城がある。

    <アンスバッハの歴史>
    アンスバッハは1221年に初めて文献で言及されるが、それ以前の748年に、ベネディクト会の修道院が創設されて、次第に町を形作った。780年から数百年間はWuerzburgヴュルツブルクの領主司教に支配され、1331年にホーエンツォレルン家の統治下に入り、1791年、最後のブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯が統治権をプロイセンに譲渡するまで、その支配が続いた。その後、1806年バイエルン王国領となる。

    月曜日なので博物館見学は諦めていたが、Markgraefliche Residenz宮殿(舞踊室、鏡の部屋のマイセン、タイルの部屋、27の豪華なロココ様式の部屋、陶磁器博物館)はお休みでした。ここの陶磁器博物館・ファエンツァ焼きは興味があったのだが・・・。

    少し離れたOrangerie im Hofgarten宮廷庭園は広大な面積を持つ、フランス様式の公園である。緑あふれる庭園にはチューリップなどの春の花が植えられて、花壇が実に美しい。

    また、この町は謎のみなし児・Kaspar Hauserカスパー・ハウザーの事でも知られている。

    ・・・・・

    2018年の5月20日(日)に再訪する予定を組んである。
    その時にまた更新したい。

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    3.5

  • ケルン:チョコレート博物館のチョコレートの噴水(3mの高さがある)”はたいへん楽しい

    投稿日 2018年03月07日

    チョコレート博物館 ケルン

    総合評価:3.5

    2006年春:“ドイツ ライン・モーゼル周遊
    2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    05.09(火) 本日も快晴です。 26℃ 、 168km
    <Schokoladen Museumチョコレート博物館>

    Koelnケルン市内観光は以前には無かったと思うSchokoladen Museumチョコレート博物館(ケルンのメーカーImhoff-Stollwerkの工場兼博物館)に第一番に行く事にする。
    旧市街の南Neumarktノイマルクトの駐車場からは徒歩で10分ぐらいの距離にある。
    ライン川に沿った岸に船形の建物(1993年11月完成Hans Imhoffが自らの構想を具体化した)が見える。
    その横にはオリンピック、スポーツ関連の博物館もあって、結構見物客が来ている。

    集まるお客目当てに、焼きソーセージの屋台があり、ビール、ジュースを飲ませるHafen-Terrasseハーヘン・テラス と言う名の場所もあって、遅い昼食をここで食べる事にする。焼きソーセージを屋台から買ってきて(Euro4)、テラスでレモンジュース(Euro5計Euro9の安い昼食)を頼んで、そこのテント下の席に座って頂く。
    川岸の席は涼しい風に恵まれて、ありがたい。5日目の今日も快晴で、暑いくらいだ。
    もう日に焼けて、露出した腕は赤くなってしまった。

    4千㎡という広いチョコレート博物館(入館料Euro7)にはカカオ・チョコレート3000年の歴史を通して知る、あれこれが展示されている。いろんな形をした販売促進用の大きなオルガン?やホットなチョコレートをその場で食べさせてくれた“Schokoladenbrunnenチョコレートの噴水(3mの高さがある)”はたいへん楽しいものでした。
    チョコレート博物館は2006 年 3 月以来、スイスのチョコレート メーカーLindt & Spruengli リンツ&シュプルングリーが企業パートナーとなり、リンツのチョコレート製品を展示・販売するようになった。
    そうしたチョコレートの販売店もあって、やはりお土産を買う。

    ・・・・・

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    4.0

  • パッサウの市庁舎の壁にHochwasser洪水の標が表示されていた

    投稿日 2018年02月24日

    市庁舎 (パッサウ) パッサウ

    総合評価:4.0

    ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊                   
    :アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
    2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅

    4.28(月) 1日中快晴 夜半大雨 21℃、

    Passauパッサウ・国境の町である。ドイツの南東に位置し、オーストリア、チェコの国境にも近い。三つの川(ドナウ、イン、イルツ川)の合流点に発展したこの町はその美しさで世界に名高い町である。この美しさを俯瞰する写真で見ることは容易いが、やはり自分の目で見たいものです。その為には高い所・Veste Oberhausオーバーハウス要塞に登ることだ。
    ・・・

    14時きっかりに、ドナウ川沿いに立つ市庁舎の鐘楼の鐘が鳴った。特別な仕掛けでもあるのかと時計台を見ていたが、何の変化もなく鐘の音を聞いただけでした。(5分間)

    市庁舎の壁にHochwasser洪水の標が表示されていた。
    ドナウ・イン川が氾濫した洪水は1501年が一番の高さで、家内の背丈の2.3倍、およそ3.4mとはすごい。直近では2002年だったが、何故か雪解け時期の春ではなく、夏から秋頃が多い。思いだしたが、エルベ川の大洪水で水に浸かったDresdenも2002年8月1日~13日の期間であった。
    ・・・・・・・

    旅行時期
    2008年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    3.5

  • 宝石関係の展示にイーダー・オーバーシュタイン博物館(現在の名前はドイツ鉱物博物館)もある

    投稿日 2018年02月16日

    ドイツ宝石博物館 イーダー・オーバーシュタイン

    総合評価:4.0

    <Idar-Obersteinイーダー・オーバーシュタイン>
    この町には過去に3度訪れた。その一つは1984年3月4日(日)~5日(月)にモーゼルからイーダー・オーバーシュタインに1泊の小旅行に出かけた。Gondorf、Alken、Cochem、Marienburg僧院跡に登り、Neumagen、Bernkastel、そしてZellに戻った。古城ホテルSchloss Zellツェル城に泊り、翌日にHunsrueckフンスリュック山地を横切り、イーダー・オーバーシュタインを訪れたのだ。
    小学生であった次女が石好きで、ナーエ地方の豊かな天然の宝を見る為に出かけた。
    まだ残雪の残った二つの城址に登り、シュタインカウレンベルク宝石鉱山(お休み中だったが)や、ドイツ宝石博物館も訪ねました。
    3月5日(月)Rosenmontagバラの月曜日は春の到来を祝うカーニバルの日で街中は仮装した人達が繰り出していました。私共が住んでいたデュッセルドルフ市内も今日は休み、赤ちゃんから老人まで思い思いに仮装して街へ出かけ、祭りを楽しんでいた頃です。

    ≪ドイツワイン街道とRheinland-Pfalz ・Saarland地方を巡る旅≫
    10月30日(土)153km 、曇り、時に晴れ間 、暖かな一日15.5℃
    かつて町の近郊から“めのう鉱山”が発見され、宝石の町として発展したもので、周辺の合併した町を含めた人口は31,000人と中規模の町です。
    旧市街は土曜日とあって、比較的人通りもあり、街中から見上げた城址と教会の姿には感嘆する美しさがあった。晴間に助けられて、きれいな写真が撮れた気がする。

    マルクト広場には少年の像が宝石を掲げていた。
    この横にMuseum Idar-Obersteinイーダー・オーバーシュタイン博物館(現在の名前はDeutsches Mineralienmuseumドイツ鉱物博物館)があった。

    さすがに宝石関係の見所が多い。
    イーダーにあるEdelsteinminen Steinkaulenbergシュタインカウレンベルク宝石鉱山、
    宝石研磨工房が置かれたWeiherschleifeヴァイアーシュライフェ(水車小屋)、
    ドイツ宝石博物館Deutsches Edelsteinmuseum、
    オーバーシュタインのマルクト広場にあるMuseum Idar-Obersteinイーダー・オーバーシュタイン博物館、
    Edelstein-Erlebniswelt宝石体験ランド、
    それにDiamant-und Edelsteinboerseダイヤモンド・宝石取引所などがある。

    イーダー・オーバーシュタイン博物館:
    研磨作業所がある博物館にはすごい展示品ばかりで、以前に来た時よりもずっと出展物が多いように思えた。メノウだけでなく、水晶やアメジスト、曇水晶、方解石など、名も分からない宝石が、原石や加工品として所狭しと並んでいた。王家の王冠、有名人を飾った見事な宝石も・・・宝石好きには確かに楽しい所だ。入館料Euro9.4。      
    トリアーの専門大学の宝石・宝飾専科にはイーダー・オーバーシュタイン校がある。

    ・・・・・・・

    旅行時期
    2010年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • “第二のローマ”として、西方世界の首都と称されたトリアーのシンボルPorta Nigraポルタ・ニグラ(黒い門)

    投稿日 2018年02月10日

    ポルタ ニグラ(黒い門) トリアー

    総合評価:4.0

    ドイツワイン街道とラインラント・プファルツ ・ザールラント地方を巡る
    2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅
    10月28日(木)71km 、曇り、時に小雨、8.5℃

    この朝の最初の決断は予定に入れていたLuxemburgルクセンブルクに行くのを諦めた事だ。ここからルクセンブルクの町は20kmと近いのだが、むしろTrierトリアーの町を久しぶりに見てみたい。
    シュロスベルクを10:30に出発。モーゼル川に平行したB419国道沿いを走る。あたりは美しいブドウ畑の景観が続く。ザール川がモーゼル川に合流している地点の町Konzコンツを経由し、B51でTrierトリアーの市内に入った。11:20、距離は44km程度だ。

    <Trier トリアー>
    ラインと水運でつながるモーゼル川と当時のガリア主要都市との幹線道路が交差したトリアーはローマ軍団を統括する重要な拠点となり、アルプス以北最大の、“第二のローマ”として、西方世界の首都と称された。
    その当時、8万人の人口を誇った都市に発展したと云う。
    トリアーが再びその人口数を回復したのはつい最近のことで、現在の人口は10万人である。

    この日はフランクの塔近くのCityパークハウスに車を入れ、Porta Nigraポルタ・ニグラに向かう。
    ローマが造ったドイツ最古の都市にはドイツ最古を謳うものが多い。
    意外に買い物客などで、メインの歩行者天国Fleischstrasse肉通りは人通りも多い。Kornmarktコルンマルクト(穀物広場)を過ぎて、更にHauptmarktハウプトマルクト(中央広場)からSimeonstrasseジーメオン通りに入ると、ポルタ・ニグラに一直線だ。

    2世紀後半の城門であるPorta Nigraポルタ・ニグラ(黒い門)は要塞のような、巨大な砂岩の建物で、黒く煤けた様子は以前と変わらない。高さ30m、幅36m、144の丸窓が見られる。砂岩は鉄のカスガイで繋ぎとめている。トリアーの象徴であり、目印でもある。

    ここから南にローマ時代の遺跡が点在している。Dom大聖堂、バジリカ、Barbarathermenバルバラテルメン、円形劇場、ローマ帝国時代の最も大きな浴場施設であるカイザーテルメン(皇帝浴場)などがそうである。
    中央広場を挟んで、Fleischstrasseと、St.Simeon聖人ジーメオンの名前をとったジーメオン通りを歩けば、この町の中心街を歩いたことになる。

    ・・・・・

    旅行時期
    2010年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    3.0

  • プファルツのバルコニーと称される高台に立つハンバッハー城はドイツ民主主義の記念碑

    投稿日 2018年02月08日

    ハンバッハ城 マンハイム

    総合評価:3.5

    ドイツワイン街道とラインラント・プファルツ ・ザールラント地方を巡る
    2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅
    10月20日(水)52km、朝曇り、のち快晴・今日も終日寒く7℃

    ダイデスハイムを12:15にスタートし、Neustadtノイシュタットの町中を抜けて、丘陵地帯に向かう。山間に入り、SchlossstrasseK9である一方通行の道を登って行くと、片側に駐車スペースがあった。22kmの距離である。
    車を停めて、ハンバッハー城に徒歩で登った。

    この高さから見る眺望はすこぶる良く、晴天に感謝である。城内見学はガイドなしで、大勢のドイツ人たちと城内に入った。
    博物館料金はEuro9で、館内はドイツの民主主義の歴史的な経緯を展示したもので、一巡するとその歴史が分かるように説明されている。参観者は熱心に説明を読んでいたが、取り立てて、貴重なものは無い。

    唯一、1832年当時に掲げられた三色旗のオリジナルが、端が切れた古びた格好で、ガラスの仕切り内に展示されていた。色を傷めると言うことで、写真は不可でした。ドイツの三色旗の翻るハンバッハー城は博物館、レストラン、コンサート、会議、結婚式なども手掛ける会社組織のものになっているようだ。(13:00~14:15) 

    ノイシュタットの南5kmにある、この城はドイツ民主主義のシンボルとして世界的に知られている。
    1832年5月27日に34人のノイシュタット市民の呼び掛けに応じて、ドイツ各地から、約2万5千人の市民たちがドイツの統一と自由のために集結した。
    その時、ドイツ国旗の黒・赤・金の三色旗が、初めて使われたと云う。
    因みに、現在のドイツの国旗は上から順に黒・赤・金の三色で構成されている。
    この色は1813年のナポレオン戦争時、ルートヴィヒ・アドルフ・ヴィルヘルム・リュッツオウ(Ludwig Adolf Wilhelm von Luetzow)が率いた義勇軍の軍服・・・(黒地に赤の襟、金のボタンをシンボルカラーにしていた。)が由来と云われている。
    また、神聖ローマ帝国の紋章(即ち、金地に赤の嘴と爪をもった黒い鷲)に由来するとも云われている。
    黒は勤勉、赤は情熱、金は名誉を表す。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2010年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    3.5

  • ザールブリュッケン:二度の大戦で負けたが、仏よりドイツを選んだザール地方(現在のザールラント州)

    投稿日 2018年02月06日

    市庁舎 (ザールブリュッケン) ザールブリュッケン

    総合評価:3.5

    <Saarbrueckenザールブリュッケン>

    ラートハウス傍のパークハウスに車を停めて、市内観光に出た。
    地図で見るようにフランスに隣接しているだけに、絶対王政のルイ時代、フランス革命からナポレオン時代と、時代を彩る英雄の軍隊に侵攻され、しばしばこの地方はその治世下に置かれています。
    歴史的には、アルザス・ロレーヌのように地勢的な事から、最近200年間は独仏の争いの間に翻弄されたと云う感じがする。独仏の間で取りあいした地方はいずれも歴史的なものと、資源・経済的な事由が背景にありました。

    中世の時代から、ライン地方とフランドル地域の中継地点として、交易路の要所であった。神聖ローマ皇帝OttoⅢオットー3世が999年、フランスのメッツ大司教に、この地を献呈している。近世では1815年より台頭してきたプロイセンの支配下に置かれ、北ドイツ連邦、ドイツ帝国(第二帝国)の一部となった。第一次大戦(1914~19年)ではドイツが負けた事で、15年の間を国際連盟の管理下(ヴェルサイユ条約*)に置かれた。1935年の住民投票の結果(95%がドイツを希望。)を踏まえ、ドイツ領に復帰している。

    第二次世界大戦(1939~45年)でも、この町は英米軍の激しい空爆を受け、特に末期の1944年10月5日には325の爆弾と35万を超える焼夷弾が町を襲い、旧ザールブリュッケンの町は崩壊した。

    大戦後はフランスの管理下に置かれ、1957年の住民投票にて、ドイツに復帰している。
    戦後復興を果たしたものの、古い町並みは殆んど残っていないと云う。
    第二次大戦後もかつてのヴェルサイユ条約が伏線になったように思えます。
    フランスの影響も強く、又、それを是とした町では“ザール川のルイ(ルイ14世)”の意味であるSaarlouisザールルイの名を冠したままです。
    それでもザールランドはドイツを選択しています。それは自治行政システムに優れた・・・、ドイツ語を使用していた・・・といった事でドイツを選んだのでしょう。

    Ratshaus市庁舎のGlockenspiel鐘は毎日15:15と19:19に鳴ると、パンフレットに書かれていたので、15時に庁舎前で見守った。この市庁舎は1900年に完成したネオゴシック建物で、威風堂々としたものだ。54mの高い塔にある鐘が定時になると、鳴り出した。
    市電や車の走る周辺の喧騒にも負けずに、鳴っていた。市民にとってはもう生活に溶け込んでしまったのか?上を見上げるのは私共だけだ。

    ≪お茶;市役所地下のレストランRatskellerラーツケラーにて≫
    15:20~15:50  Euro10(1,277円)
    D-66111 Saarbruecken 、Rathausplatz 1

    昼食をここでと考えていたが、時間が遅れた。
    もうお茶の時間なので、リンゴのケーキ、
    チョコレートケーキ、紅茶とコーヒーを頼んだ。  

    ・・・・・

    旅行時期
    2010年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.0

  • ザールルイ:古城ホテル“ボーマレの神父様の古い家”

    投稿日 2018年02月05日

    Altes Pfarrhaus Beaumarais ザールブリュッケン

    総合評価:4.0

    ドイツワイン街道と・ラインラント・プファルツ& ザールラント地方を巡る
    2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅
    秋の旅はドイツの南西部を巡る旅である。
    10月25日(月)121km 、朝は霜が降りた寒い、快晴 、9℃

    よる歳なみ?!で、歩けば足腰に疲れが残り、飲めば酔いも早くなり、その結果、爆睡してしまう。昨日もそんな感じでした。
    私共も昔はレストランでワイン赤白2本を開けていましたが、今は1本だけになりました。それでもドイツのビールもワインも美味しいので、嬉しい旅が続きます。

    (1泊)⑧ Altes Pfarrhaus Beaumarais:古城ホテル“ボーマレの神父様の古い家”
    ホテル アルテス・プファーハウス・ボーマレ
    3星、35室、205号室(2階) Euro95(10,933円) 、  
    D- 66740 Saarlouis (ザールルイ)/ Beaumarais 、Hauptstrasse 2 bis 4  

    ザールルイの町はフランスに国境を接する地域で、ザールラント州の州都ザールブリュッケンから、北西20kmの距離にある。
    この町は17世紀の半ばに、当時の支配者であった仏王ルイ14世が、ザール川沿いに要塞を築いたことから、この名前がある。即ち、“ザール川のルイ”ということである。
    この町の近郊・高台にこの古城ホテル・ホテル アルテス・プファーハウス・ボーマレが立っている。(尚、道路に面したホテル、村落の一角に建った印象は、ホテルの説明にある“高台”・・・この言葉から想像したようなものではなかった)

    1762年、スイス系の貴族Salisザリス男爵夫人の夏の別荘として建てられた。
    1857年、別棟が増築されたものの、夫人がボーマレ地区の他の城館に移り、この館はカトリックの教団に譲渡した。この事で館は“ボーマレの神父様の古い家”と呼ばれるようになった。
    1984年、改装により、モダンなインテリアのホテル・レストランになった。

    <夕食;古城ホテル“ボーマレの神父様の古い家”で>
    19:00~22:00  Euro141(16,227円)
    アールデコ調のResutaurant Trampertレストラン・トラムペルトはフランスの影響の強い料理を提供するという。70席。
    そのアールデコ調のレストランも良いが、今夜はガラス張りの明るいWintergartenヴィンターガルテン(温室のようなレストラン)にした。

    今日のメニューはベジタリアン用もある。今夜はこれをベースに選んだが、私の方だけ前菜とメインを変えた(Euro53)ので、家内の分(Euro43)とは異なっている。

    ワインは白2009年Grauer Burgunder Spaetlese ・Mosel-Nennig 
    Weingut Karl Petgen Euro25.5。
    (27日に宿泊予定のNennig PerlのSchlossberg北8kmにあるワイン村に1720年以来、家業としてきたのワイン醸造家)

    サービスも良く、料理も思っていた以上の味でした。
    一度困ったのは柔らかいサーモンを食べていた時、仮歯(インプラントの治療中)が抜けてしまい、お隣のご夫人方を気にしながら、口中にハメ直したことでした。

    ・・・・・

    旅行時期
    2010年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    4.0

  • ドイツワイン街道:念願のダイデスハイマーホフに泊まり、“黒い雄鶏”で11品の夕食を食べた。

    投稿日 2018年02月04日

    ダイデシャイマー ホフ その他の都市

    総合評価:5.0

    2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅
    2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間の旅
    10月26日(土);200km 、18℃、朝は小雨模様、後晴れ。

    マルクト広場に面した5つ星ホテルの入口は右にあり、そこから中庭に入った。
    15:20に到着です。直ぐに、従業員が飛んできて、駐車位置を示し、トランクを持ちあげ、レセプションに案内した。さすがに5星ホテルは従業員のサービスがしっかり行き届いて、気分が良いものだ。
    ホテルの中は結構入り組んでいて、上がり下がりを繰り返して、3階の27号室(ホテル正面の左手に見えるDachgeschloss屋根裏部屋)に入った。
    角部屋で隣を気にせず、中央に噴水のあるマルクト広場を真下に見る部屋で、Business-Zimmerビジネス室と称した部屋を予約したのだが、予想以上に良い部屋だった。
    浴室は機能的で、明るく、浴用ガウンとスリッパもあり、5星であることを納得した。

    <(1泊)⑬Hotel Deidesheimer Hof ダイデスハイマーホフ>
    27号室(3階)。
    Euro155+朝食21x2=197(26,940円)

    全28室。町の中心にある5星ホテル・ダイデスハイマーホフはこの地域きってのホテルである。このルネッサンス風の館(14世紀)・ホテルはマルクト広場に面していて、5星ホテルとしては中規模だ。
    HPの予約システムから、Business-Zimmerビジネス室(Landhausstil別荘風あるいは地方の家風の部屋・広さ25㎡)を1泊Euro155+朝食で予約した。
    グルメレストランのRestaurant Schwarzer Hahn“黒い雄鶏”も同様に予約システムを利用して、26日(土)夕食・19時からと予約した。

    ホテル内にある民族色の豊かなレストラン“SANKT URBAN聖ウルバン”があり、3年前にここでお茶を飲んだ事がある。レストランの雰囲気は全く変わっていない。

    ≪夕食:ダイデスハイマーホフRestaurant Schwarzer Hahn“黒い雄鶏”で≫
    18:30~23:30   Euro319.7(43,719円)

    黒い雄鶏は2013年もミシュラン1星、Gault Millau17点、全独ランク30位を獲得した。
    (2010年は40位だったから、上昇中と言う事になる。)
    300年もの歴史ある砂岩で造られた地下の丸天井レストランは席数48席、ワインは600種が用意されている。開店期間は火~土の18:30~22:00で、クリエイテイブで美食家の為の料理を提供するのだと云う。
    黒い雄鶏と言う珍しい名前は経営者のHahnハーン氏の名と、かつてのシェフSchwarzシュバルツ氏の名前を採ったもので、1989年以来のレストランである。
    現在の1星付きシェフはStefan Neugebauerシュテファン・ノイゲバウアー、38歳と若いが、ここでは2003年3月以来、メインシェフを務めている。

    近年勢いのあるレストランの料理は繊細で美しく、美味しいものだった。ノイゲバウアー・メニュー5品料理(メインシェフの名を付けた料理)はそれなりの値段だが、満席となった店内の殆どの人が23時過ぎまで料理を楽しんでいたのには驚いた。
    その料理も“Ueberraschungイーバーラッシュング驚き”というメニューを選んだが、5品料理と言いながら、出てきた料理の内容は+@があり、大ぶりではないが、5品+@(最終11品を数えた)を食べる頃はお腹もいっぱいで、後半は“もったいないが、もうういいな!”と思っていた。
    デザートが終わると、女性スタッフがワゴンで運んできた多種多様の美味しそうなチョコレート、プラリネをにこやかに勧めたが、二人とも見送り、普段はコーヒーで締めくくるが、もうその気も起きなかった。
    体調(ベルギーで風邪をひいた)を考えて、早めの18時半にレストランへ行ったものの、早めに行った甲斐も無く、5時間という長い、長いお楽しみ時間となった。
    ・・・・・

    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    15,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    4.5
    客室:
    4.5

  • エッセン:ケットヴィック・アン・デア・ルールの丘の上の景観

    投稿日 2018年01月16日

    観光案内所(エッセン) エッセン

    総合評価:4.0

    Essenエッセン近郊にはなかなか良い所があります。

    かつてHotel Schloss Hugenpoet 古城ホテル フーゲンポエト城を訪れると、帰りは必ず1kmほどと近いKettwig an der Ruhrルール川のケットヴィック・アン・デア・ルールの丘の上に立つHaus Seeblickハウス・ゼーブリックに行った。眼下にルール川を望む絶好の高台にあるカフェ・レストランだったからだ。

    2014年にドイツの北方二州を巡った最終日、5月22日(木)に覚えのある場所に行ってみたが、残念なことにレストランはなくなってしまい、現在は一帯が病院や居住棟になっていた。もう3年半前のことだが、いくつか一帯を写したyoutubeを見つけた。

    一つは秋の景観であり、もう一つは歴史を語る旧市街の、
    Schoene Fernsicht von Haus Seeblick ueber Kettwig
    http://www.youtube.com/watch?v=ZtUoYWMPDpc

    Historische Altstadt Kettwig 27.8.2014!
    https://www.youtube.com/watch?v=dHCeQN_cVJg

    ルール川はドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州ルール地方を流れるライン川右岸の支流で、全長217km、流域面積は4,485km²。
    ヨーロッパ最大の工業地域であるルール地方の名前の由来ともなった。
    ルール川は159の橋をくぐり、標高17mのDuisburgデュイスブルク・Ruhrortルールオルトでライン川と合流する。
    日本から出張などでやってきた高校野球部仲間のI君や大学での少林寺の後輩のM君などと古城ホテル フーゲンポエト城や眼下にルール川を望む絶好の高台にあるHaus Seeblickハウス・ゼーブリックを訪れたものだ。

    ・・・・・・・・・・・

    1983年3月10日~12日M君来独:雪のKettwigのレストラン、ライン川畔、
    1983年4月16日~17日I君:春のケットヴィック、増水したライン川畔、

    旅行時期
    1983年03月
    利用した際の同行者
    友人
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ローテンブルク:リーメンシュナイダー作品の“Heilige Blut Altar聖血の祭壇”は必見です。

    投稿日 2017年12月23日

    聖ヤコブ教会 ローテンブルク

    総合評価:4.5

    <Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅>
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅

    5月18日(金);朝方小雨、その後、晴、20℃、101km

    St.Jakobs-Kirche聖ヤコブ教会(1311~1485年);14:00~14:20 入場料Euro4
    Klingengasseクリンゲン横町を真直ぐ行くと、リーメンシュナイダー作品がある聖ヤコブ教会である。
    2009年のクリスマス時期に訪れたが、又見る事にした。

    今日はリーメンシュナイダー作品を続けて見る。
    Creglingenクレクリンゲンの近郊にあるHerrgottskircheヘルゴット教会のリーメンシュナイダー作品の最高傑作と云われるMarienaltar聖母マリア昇天の祭壇、17km先のDetwangデトヴァンクにある“St. Peter und Paul聖ペテロと聖パウロ”と云うロマネスク様式の教会内にリーメンシュナイダー(工房)作の聖壇がある。“Kreuzigungs-Retabel聖十字架祭壇“と呼ばれる。

    そして坂道を2km走って、丘に登ると、Rothenburg ob der Tauberローテンブルク・オプ・デア・タウバーに到る。
    この町にもリーメンシュナイダー作品がSt.Jakobs-Kirche聖ヤコブ教会(1311~1485年)に残っている。
    イエスの血=聖遺物が十字軍によりローテンブルクにもたらされて、この聖遺物を飾る祭壇をリーメンシュナイダーが依頼された。
    教会の2階に“Heilige Blut Altar聖血の祭壇”(1500年頃)がある。
    祭壇中央に“最後の晩餐”の図、左に“イエスのエルサレム入城”、右に“オリーブ山の場面”が彫られている。
    テーマがテーマだけに、ヘルゴット教会の作品とは違い、華麗さはない。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    5.0

  • ブラウンシュヴァイク:ライオンがシンボルの王の都にある城

    投稿日 2017年12月18日

    ダンクヴァルデローデ城 ブラウンシュヴァイク

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間
    4/26 (火)  174km、曇り時々小雨

    Cellツェレの町から走り出す。今日は初めて訪れる町は50km先、少し観光ルートから外れ
    たBraunschweigブラウンシュヴァイクに9:30到着。

    この町は人口26万人。ライオンがシンボルの王の都だ。12世紀の頃から、北ドイツ地帯を支配したハインリヒ獅子公の拠点として、大いに栄え、歴史的な見所も多い。
    現在はニーダーザクセン州の南部最大の都市として、VWやSiemensの大工場をもち、発展している。旧市街を巡る環状線に沿って走り、J.F.Kennedy米大統領を記念して名付けた交差点を右に入り、Bruchtorwall通り際の駐車場に停める。
    ブルグ広場を目指して、人通りも多い街中を歩く。15分位で、大聖堂DomやBurg Dankwarderodeブルグ・ダンクヴァルデローデ城が見えてくる。

    Burgplatzブルグ広場にはこの町のシンボル、---ハインリヒ獅子公が建てた---ブロンズのライオンの像(本物は州立博物館に)が城に向かって守護神の如く、立っている。
    像の台座に登って、写真を撮ろうとしていると、ダンクヴァルデローデ城の見学にきた子供達がこちらを見て笑っている。

    城内の一階展示室は10:30オープンとの事で、それまで、2階のRittersaal騎士の大広間を覗く。先程の20名ぐらいの小学生達が、先生と父兄に引率されて、案内の方の説明を聞いている。案内の方が、『日本の方ですか?良かったら、ドイツ語の説明ですが、子供達と一緒にどうですか?!』と言ってくれて、ご好意に甘える事にした。早速、子供達にも日本からのお客さんだよと紹介してくれて、皆さんと挨拶を交わす。10歳から12歳の子供達は神妙な顔をして、遠来の客を迎えてくれた。50代男性と思われる案内人は、大広間の描かれた歴史的人物や業績など、時々子供達に問いかけながら、説明していく。
    神妙に聞いている子供の中にも、時にふざけてしまう子がいて、案内人にピシッと注意される。親切な女の子は私達が見やすいように、他の子供を制して、私達に前に出るように勧めてくれた。

    城をいったん出て、子供達と更に、ロマネスク様式のDom大聖堂に行く。大聖堂もハインリヒ獅子公が建てたもので、高い八角形の2本の塔が目立っている。内陣には、ハインリヒ獅子公とその妻で英国人マティルダの比翼の柩が並んでいる。珍しく3本だけの杭が打たれたキリストの十字架像、女帝マリア・テレジア(オーストリア・ハンガリー帝国)の娘の柩はウイーンで見た柩を同じように立派なものだ。
    州立博物館に行くという子供達と親切な案内人に別れて、10:30城の1階にあるMittelaltersammlung中世の収集品の展示室へ。展示規模も小さく、ウイーンやミュンヘンの宝物館とは比較にならないが、城の成り立ちの模型、神聖ローマ皇帝オットー4世の緋のマント、銀器等を見る事が出来た。

    この町に来たのも、実はHerzog Anton Ulrich-Museumアントン・ウルリヒ公博物館(6Euro)を訪れる為です。Burgからは思っていた以上に距離があり、小雨も降ってきて、少々寒さも感じる。大きく道を迂回して、州立劇場や博物館が並ぶ地域に至る。
    ウルリヒ公の収集したレンブランド等の名品が展示されていて、特にフェルメールの“ワイングラスを持つ娘”が有名である。また、クラナハ、ホルバインなどのドイツ・ルネッサンス絵画部門、江戸の蒔絵小箱、陶器などの工芸部門も充実して、大変印象深い。
    お昼も抜きで見て周り、さすがに疲れたので、博物館内のカフェでコーヒータイムとした。

    Altstadtmarkt旧市街マルクト広場は博物館から真西に15分ほど歩いた所にある。
    この地域も中世のままの建物が並び、見応えのある地域だ。13世紀のAltstadtrathaus旧市街市庁舎、1408年作のMarienbrunnenマリア様の泉、そして、この町のルネッサンス風建物を代表する、Gewandhausゲバンドハウス毛織物販売・手工業者の建物(現代の商工会議所ビル)など、まさに中世の風情である。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • デュッセルドルフ旧市街観光で最後に訪れたヘッチェンス(陶磁器)博物館。

    投稿日 2017年12月02日

    ドイツ陶器博物館 デュッセルドルフ

    総合評価:4.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    <デュッセルドルフ旧市街観光をもう一度>

    <Hetjens-Museumヘッチェンス博物館>
    (Deutsches Keramikmuseumドイツ陶磁器博物館)
    D-40213 Duesseldorf 、Schulstrasse 4
    13:15~14:30、   Euro4X2=8(1,031円)

    長く住み、その後も何度か訪れたこの町でも行っていない場所はある。
    その一つがヘッチェンス(陶磁器)博物館だ。

    Laurenz Heinrich Hetjensローレンツ・ハインリヒ・ヘッチェンス(1830 ~1906 年)はドイツ芸術の蒐集家でした。彼個人のコレクションは『Rheinische Keramikライン地方の陶磁器』をベースにしたものです。
    古くはRheinisches Steinzeugライン地方の石器や、広くはアジアの磁器も含めた世界中の陶磁器が蒐集されており、彼の名を冠したドイツ陶磁器博物館の基礎となったと云う。
    ヘッチェンス博物館は1909年に開設された。

    陶磁器の8000年に及ぶ歴史や世界のすべての陶磁器を蒐集したもので、定期的に内外の博物館で公開されている。
    地階、地下1階、2階、3階とあるが、写真撮影が禁止なので、どうしても作品が一過性になって、記憶もまだら模様だ。

    地階からスタートする、8000年に遡る陶器、イスラムの陶器、20世紀の磁器、ユーゲントシュティール様式の磁器、作陶所。
    地下1階には初期の文化時代、石器、アフリカから出土した陶器、中米出土の陶器、

    2階Fayenceファヤンス焼き(中国や日本からヨーロッパに輸入されていた磁器は非常に高価で、それを真似るものとしてヨーロッパでは錫釉を施した陶器の上に彩色したマジョリカ焼き、ファヤンス焼きといったものが18世紀末ころまでに制作されました。
    独・仏・蘭・伊のヨーロッパ各国のもの)、
    3階では現代に繋がる18世紀のマイセンを初めとするヨーロッパの磁器となっていました。

    ・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • デュッセルドルフ・カフェ ハイネマン:2階のレストランで久しぶりに昼食を食べた。

    投稿日 2017年11月24日

    カフェ ハイネマン (フェラインスバンク パッサージュ店) デュッセルドルフ

    総合評価:4.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    10月26日(水) 102km、朝曇り、徐々に晴れて暖かい日。12.0~16.0℃

    2013年10月以来4年連続で今年もデュッセルドルフを訪問し、“カフェ・ハイネマン”のチョコレートを買いに寄る事に決めていた。
    お気に入りのハイネマンはケー・センターの店で、いつも買う事にしている。
    しかも久しぶりにここの2階で昼食を食べる予定にした。

    ≪昼食:Cafe Heinemannカフェ・ハイネマン(Koeセンター内)≫
    D-40212 Duesseldorf 、Martin-Luther-Platz32
    https://www.konditorei-heinemann.de/
    営業時間;月~金:9~19時、土:9~18時半 、日曜日:10~18時。
    12:25~13:40 Euro37(4,769円)

    飲み物はアルトビール0.33L 2.9X2=Euro5.8、
    食事はスープとメインの2品にして、家内はビーフコンソメEuro4.6、私がグーラッシュスープEuro5.5、
    メインは家内がカレーソーセージEuro8.5、私がウィンナーシュニッツェルEuro11.5を注文しました。
    朝食が少なかったとはいえ、私はグーラッシュスープを頂き、さらにシュニッツェルの量は多く、半分を残してしまった。量的にはメインだけで良かったかもしれない。

    当地一番の定評あるチョコレートのお店で、1階がチョコレートの販売、2階がレストラン・カフェなっている。
    店内2階の席は年配のお洒落をしたドイツ人達で占められ、殆どは小母さまたちのグループやスノビッシュなおばあさま族の個人客だ。日本人もアジア人もいません。
    私共のように旅行者然とした格好の人は誰もいませんし、彼らの目が気になり、私共は少々落ち着かない空間に座っていた思いでした。

    食後は4年続けてハイネマンのお目当て・シャンパントリュフなどを購入した。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    3,000円未満 
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    3.5
    サービス:
    3.5
    雰囲気:
    3.5
    料理・味:
    4.0

  • デュッセルドルフ:旧市街(500m四方の狭い町)には何でもある。

    投稿日 2017年11月19日

    旧市街アルトシュタット デュッセルドルフ

    総合評価:4.5

    Duesseldorfデュッセルドルフ観光:  
    http://www.duesseldorf.de/

    <Altstadt旧市街(500m四方の狭い町)散策>

    デュッセルドルフの有名人の中でも詩人ハインリッヒ・ハイネは“アルトシュタッドの息子”と呼ばれ、親しまれている。ハイネの生家はこの旧市街の真ん中にあり、今はビアーレストランになっていて、家の壁に記念の石版が張られてあるだけだ。
    もう一人Schumanロベルト・シューマン(1854年精神を病んで、ライン川に身を投じるという事件を起こした2年後にボンで死去。没後162年になる。親友ブラームス、メンデルスゾーンも旧市内に住んでいた由)も住んでいて、妻のクララと2年間(1852~54年)住んだ住居があり、ここにも生誕175年記念の石版とクララのレリーフが埋め込まれている。こちらは少し離れていたので、見るのを省略した。

    旧市街はともかく歩くことだ、狭いだけに間違っても困る事は無く、ケーの方向か、ライン川の方向に行くかを決めればよい。見たい、食べて飲んでみたい所はいずれにしても狭い中なのだ。
    きれいに改装された家並みが続き、二人の労働者風の大きな銅像が道路でにらみ合う銅像にびっくり。以前は無かった像、二人の間に立って押しとどめたが・・・。

    角を曲ると、地ビール・アルトビールのレストランUerigeウエリゲ(ビール醸造所:シュレッサーアルト、シューマッハアルト、ウエリゲアルト、フランケンハイムアルトの一つ)、魚料理のレストラン(Fischhausフィッシュハウス)などが続く。まだまだ閑散としているが、それでも店前に設けられた席で一杯やっている人もいる。このあたりは居酒屋やレストランが軒を連ねていて、「世界一長いカウンター」と称されているとか。

    その近くはマルクト広場で、ルネッサンス様式のRathaus市庁舎、選帝候JanWellenヤン・ヴェレン騎馬像(1570年)が絵になる形で立っている。
    その先のBurgplatzブルグ広場にまたやって来た。来る度にRadschlagerbrunnenラートシュレーガーブルネン側転の泉を撮る。1288年、ケルン大司教の軍に対し、ベルグのアドルフ伯に従う市民達の軍がWorringenヴォリンゲンの戦いに勝利し、市民は都市の自治権を獲得する。この勝利を祝って、凱旋する兵を子供たちが“側転”をして出迎えたと言う故事に因んだもので、黄色くなったプラタナスの樹の下に“側転”像と噴水がある。
    しかも、”Worringenヴォリンゲンの戦いに勝利した像”も近年になって、直ぐ近くに作られた、
    Schlossturmシュロスの塔(現在は船舶博物館)もあり、大きな観覧車だけが場違いの如く立っている。それさえ無ければ、このあたりは昔と変わらぬ様子なのだが。

    Rheinuferpromenadeライン川畔プロムナードもいつも必ず見に来る。
    ラインには左からRheinkniebrueckeラインクニー橋、Oberkasseler Brueckeオーバーカッセラー橋、TH-Heuss Brueckeテオドーア・ホイス(初代西ドイツ大統領の名)橋と、三つの大きな橋が掛かる。その橋の下を相変わらず遊覧船や大きな、長い輸送船が河口に向けて、或いは上流に向けて、航行している。
    この辺りのライン川の川幅200~300Mで大きく蛇行している。この川岸から見る景色は変らず、遠くに172mのラインタワーが見え、かつて住んだOberkasselオーバーカッセルのKaiser-Friedrich-Ringカイザー・フリードリヒ・リングは遠くて見えない。

    (注)第二次大戦におけるDie Bruecke von Remagenレマーゲン鉄橋の攻防について先に述べたが、デュッセルドルフでも1945 年 3 月 3 日にドイツ国防軍は連合軍(英米)のライン川渡河を阻止するため、オーバーカッセラー橋を爆破した事を知った。

    旧市街名物の“金貨をひり出す男”の像が銀行の店の壁に彫られています。縁起物ということで、しっかり金貨?!を手で触って、運が付くように祈り、写真を撮った。

    Schneider-Wibbel-Gasse仕立屋横丁というメルヘンチックな小道に行く。
    時計のある建物に仕立屋シュナイダーさんの銅像が鎮座し、通り過ぎる人たちは皆、体の各所を触っていく。髪の毛、眉、鼻、手や腕、膝の箇所が地の銅色に変わっている。
    丁度、小学生たちがいて、彼らはワイワイ言いながら、触っている。私共が立っているのに気づいた男の子が、仲間に「ホラ観光客が見たがっているから、場所を開けなよ!」と言ってくれた。嬉しいね!ついでに「ここに小さなネズミが隠れているよ!」と教えてくれた。見ると、像の前掛けの襞にネズミが一匹いた。

    仕掛時計は11、13、15、18、21と一日5回も時計の下の扉が開き、針と糸を持ったシュナイダーさんの人形が出てくる。
    ハイネの作詞の誰も知っている“ローレライの曲”が流れる。
    このような仕掛時計もあって楽しい横丁だが、何故かスペイン横丁と呼んでも可笑しくないほど、スペイン料理屋が並び、駐在時ひいきにしていた“El Amigoエル・アミーゴ”の店も健在だった。

    これを落としては叱られる。
    ナポレオン皇帝陛下の席で、名物のライン風ムッシェルン料理を食べたレストラン“ツム・シッフェン”、近くにHeimatbrunnen郷土の泉(1982年)、Hetjens-Museumヘッチェンス博物館(Deutsches Keramikmuseumドイツ陶磁器博物館)もある。
    そしてアンドレアス教会傍の「アンナ小母さんのレストランWeinhaus Tante Annaワインハウス・タンテ・アンナ」の店も。

    この旧市街には何でもあって楽しいのだ。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • デュッセルドルフ・カイザースヴェルト地区ホテル ムッターハウスは意外に利用者が多かった

    投稿日 2017年11月17日

    Hotel Mutterhaus Düsseldorf デュッセルドルフ

    総合評価:4.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    10月26日(水)、デュッセルドルフの駐車場を出る。カイザースヴェルト地区ホテル ムッターハウスにはカイザースヴェルト通りを走り、市電の停留所近くで、勘が働きうまくホテルが見つかった。ホテルのチェックインを済ませ、天井の高い、かつて僧院だったという雰囲気が残るホテルの部屋に入った。

    ⑬10月26日(水)~10月27日(木):1泊
    Hotel MutterHaus Duesseldorf旧僧院ホテル ムッターハウス デュッセルドルフ
    D-40489 Duesseldorf 、Geschwister-Aufricht-Strasse 1
    (Kaiserswerth ; ehem. Alte Landstrasse 179)
    Tel:+49(0)211-61727-0  https://www.hotel-mutterhaus.de/

    4星・全55室。3階DZ・No.218(クラシックとうたっていたがシンプルで機能的な部屋:予約に書かれていた27㎡よりもずっと広いと思った)・Euro144(朝食込み=16,811円)。

    ホテル ムッターハウス<*母の家>は1903年開業のHotel Garni(朝食のみのホテル)でデュッセルドルフのカイザースヴェルト地区、デュッセルドルフ空港からわずか5km(車で10分)に位置する。ムッターハウスの300m先にある市電Klemensplatzクレメンス広場駅から、メッセ・デュッセルドルフ会場まで10分以内でアクセスできる。

    水(ガス入り)0.375L 2本、コーヒー、ココア、紅茶のサービスはあったが、浴用ガウン、スリッパは無い。古めかしい外観とは異なり、たいへんモダンなホテルである。
    また、思っていた以上に部屋は明るく、広い。浴室の機能も十分なもので、宿泊客も多いようだった。空港が近いという利点から、機会あれば利用しても良いと思えた。

    「Duesseldorfの町・空港にも近い、静かな環境ホテル」
     ベッドが沈まないものも良かった。
     朝食の場所は1階左手にあり、意外に泊り客が多く、ホテルを見直した。

    ・・・・・・・・・

    *<母の家>は教会組織の一部と言える。未婚で生涯独身のキリスト者
    女性が各種施設や教会で社会的奉仕に献身する。
    奉仕女(=独語はDiakonissen、救恤看護婦きゅうじゅつかんごふ
    ・・・困っている人々を救い、見舞いの金品など与えた活動をなした)
    はそれぞれ〈母の家(ムッターハウス)〉に属し、そこで訓練を受け、
    国内外に派遣され、各地に施設を置き、奉仕活動をした。
    奉仕活動後、再び〈母の家〉に戻った。衣食住は保証されていた。

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    3.5
    バスルーム:
    3.5
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.0

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

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