旅好者さんのクチコミ(51ページ)全6,284件
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投稿日 2022年07月14日
総合評価:3.5
春日神宮の社殿の後ろに拡がる森を抜け、100m弱北に進むと県道22号線に出ました。その角のところに小振りな公園がありました。神宮寺浦公園です。太刀を杖代わり?にした大友宗麟像があり、その右方に「南蛮貿易場址」の石碑がありました。県道22号線はその昔の海岸線で、神宮寺浦と呼ばれた浜辺だったそうです。大友宗麟は、そこに南蛮貿易の交易所を設けたのだそうです。神宮寺浦の名はここに春日神社の神宮寺があったからとのことです。ところで、この銅像は1937年(昭和12年)に日名子実三さんによって制作されたのですが、戦時中の金属供出で一旦はなくなってしまったそうですね。日名子さんの遺族の家に残っていた原型を元に、長谷秀雄さんが1958年(昭和33年)に制作し直したとのことです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年07月14日
総合評価:4.0
春日神社は大分市街の北部にありました。一ノ鳥居から二ノ鳥居を通って神門までの参道左(西側)には樹木がありますが、右(東側)は住宅街となってしまっているのが、神社の参道としては寂しい感じがしました。創建は古く、平安時代の860年(貞観2年)に国司だった藤原世数(よかず)が、氏神である奈良の春日大社の四所大神(春日神)をお迎えしたとのことです。歴史上2回の社殿焼失に遭っていて、1回目は1584年(天正12年)で薩摩・島津軍の侵攻によるものです。そして、2回目は1945年(昭和20年)で、アメリカ軍の空襲だったとのことです。(別府には空襲はなかったそうですが、大分は軍需施設があったのですね)戦後は仮殿の期間が長く、現在の社殿は1967年(昭和42年)に再建されたとのことです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年07月14日
総合評価:3.0
今、住んでいるところには先哲史料館、あるいは、それに類する様なところはありませんし、近隣都市でも聞いたことがありません。どんなところなのかと興味を覚えたので、大分県立先哲史料館を訪れてみました。地道な企画展などの活動を継続して実施している様ですが、それらの集大成とした出版物として大分県先哲叢書(おおいたけんせんてつそうしょ)を発行しているのですね。先哲たちの業績及び人間像やそれを育んだ風土といったものを、後世にしっかりと伝えていけるでしょう。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年07月14日
総合評価:3.0
西大分港フェリーターミナルは、かんたん港園の東側にありました。そのかんたん港園からも見えましたが、フェリーさんふらわあの船が停泊していました。神戸-大分航路のターミナル港ですが、運航は夜行便なので昼間に訪れると閑散としていました。「さんふらわあ ごーるど」と「さんふらわあ ぱーる」が就航しているそうですが、停泊していたのは「ごーるど」でした。総トン数が11、177トンの大型船ですが、車両乗船口が真正面から見えました。中型フェリーや小型フェリーと違って、さすがに迫力がありました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 乗り場へのアクセス:
- 3.0
- 車窓:
- 3.0
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投稿日 2022年07月14日
総合評価:4.0
かんたん港園を訪れて、駐車場に戻ってくると、道路の反対側に新湊温泉の看板が目に入りました。予定にはなかったのですが、雨にも濡れたので寄ることにしました。新湊温泉ビルの通り抜けになっているところに入口がありました。(そのまま通り抜けると、国道10号線です)町中の小さな銭湯といった感じです。大浴場のほか家族湯もあったので、コロナの時節柄利用しました。湯船は狭かった(脱衣所はもっと狭かった)けれど、町中ですから我慢の範疇です。お湯は褐色でしたが、良く温まりました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 泉質:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
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投稿日 2022年07月14日
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投稿日 2022年07月14日
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投稿日 2022年07月14日
総合評価:4.0
大分市街の北西端辺りにある結婚式場ブエナスタの駐車場の横に小さい公園がありました。萬葉歌碑がたくさんの鉢植えの花で飾られていました。刻まれているのは、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が旅先で詠んだ「四極(しはつ)山 打ち越え見れば 笠縫(かさぬひ)の 島こぎかくる 棚無(たななし)小舟」とのことです。この歌碑の後ろは小さな小山になっていますが、埋め立て前の笠縫島の名残りであり、高崎山は昔、四極山と呼ばれていたので、この辺りの様子を詠んだ歌なのだとしたそうです。高市連黒人は文武天皇時代(700年前後)の宮廷歌人だそうですね。天皇が豊後を訪れたことはないと思いますので、黒人自身がここを訪れているかどうかだと思います。旅した記録でも見つかると良いのですが・・・。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年07月14日
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投稿日 2022年07月14日
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投稿日 2022年07月14日
総合評価:4.0
コロナウィルスは一時の新規感染者数ほどではありませんが、なかなか流行は収りません。そんな状況の中ですが、高崎山自然動物園を平日の朝1番に訪れました。人気の観光地ですが、観光客は少ないだろうとは思っていました。やがて、最初のえさやり時間の9時30分になりましたが、誰もやって来ませんでした。こんなこともあるのですね。猿の方から見られている気分がしました。ところで、訪れた時は雨が降っていましたが、さるっこレールは歩かなくてすむので、なかなか良かったです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 施設の快適度:
- 4.0
- 動物・展示物の充実度:
- 4.0
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投稿日 2022年07月14日
総合評価:3.5
国道213号線に内田海岸の大きな案内板があり、曲がって300mくらいで海岸線に出ました。この海岸線に出る直前の、小川を挟んだ右手の松林の中に900年の歴史のある龍神さん(白石神社:八代龍王の化身である白石がご神体)がありました。龍神海水浴場とか龍神キャンプ場とか呼ばれる元?ですね。(なお、小川には橋が架かっています)砂浜は比較的白いと思いました。展望台があり、お天気が良ければ、四国の佐多岬が見えるそうです。ちょっとお天気には恵まれませんでしたが・・・。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.5
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投稿日 2022年07月07日
総合評価:4.0
神宮寺は、県道29号線の横手という集落から、細い山道を進んだ大嶽山の中腹にありました。717年(養老元年)に、仁聞菩薩により開基されたと伝わる、六郷満山の布教を担う末山本寺の1つです。1558年(弘治2年)には、豪謙(ごうけん)が中興したとも伝わっています。このお寺は寺号の通り、宇佐神宮と深い関係を持つお寺さんですから、神仏習合そのものといったところだと思います。このお寺さんには神宮のご加護があるということなのか、仁王像が見当たりませんでした。奥の院への150mの道は、苔はきれいですが、足下はかなり悪いです。なお、山号は大嶽(おおだけ)山で、もちろん天台宗のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年07月07日
総合評価:5.0
長慶寺は来浦川が流れる狭い谷間の南側の山の中程にありました。山門左手に百周年と刻まれた石碑がありました。六郷満山のお寺さんですから、それなりに歴史があると思っていたので、意味が分らず何だろうと思いました。このお寺さんは、幕末のころ、猪俣源三郎則政という人物が六郷満山の寺で修行をしていた時に、「近くに荒れ寺あり再興せよ」という霊夢を見たのだそうです。修行を終えると、その荒れ寺と思われる養覚院があったので、私財を投じてこの地に移し、長慶寺と改称して住職となったとのことです。この時が1886年(明治19年)で、それから100年が経ったということだったのです。養覚院の創建からでは八百数十年が経つのだそうです。なお、山号は久保山で、もちろん天台宗のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年07月07日
総合評価:5.0
大聖寺は、県道544号線から北に少し入ったところにありましたが、大聖寺と刻まれた大きな石塔があるので、見落とすことはないと思います。そこからは農道を進んだ先に駐車エリヤがありました。1358年(延文3年)に宗慧上人によって建立されたと伝わる六郷満山のお寺さんです。718年(養老2年)に仁聞菩薩によって開山したと伝わる六郷満山のお寺さんが多い中、例外的に遅い開山だと思います。ちょっと高さのある参道の石段は一部崩れているところもあり、無理してお参りするのは遠慮しました。なお、山号は治地山で、もちろん天台宗のお寺さんです。
その代わりに、県道544号線の反対側の以前の大聖寺はここにあったという場所に「旧大聖寺跡五輪塔群」と呼ばれるところを訪れました。大きな2本の木の下で守られている感じに見えます。南北朝から室町時代にかけて造立されたとされる宝塔、宝篋印塔、五輪塔が200基以上(300基ともいわれている)も集められたところです。この数は想像を絶します。ここはもっと脚光を浴びて良いところだと思います。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年07月07日
総合評価:4.0
岐部にある胎蔵寺は、岐部神社の一ノ鳥居の前を東に進んだところにありました。横に長い丘の中腹にあり、階段の上で境内の銀杏の木が大きく茂っていました。開基は仁聞菩薩で、720年(養老4年)に創建されたと伝わっているとのことです。仁聞菩薩といえば、多くの六郷満山のお寺を開いたとされていますから、天台宗として開かれたと思いますが、現在は西山浄土宗のお寺さんです。なお、山号は天地山です。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年07月07日
総合評価:4.0
櫛来社(岩倉社)は国道213号線の横、櫛来海岸のすぐ近くにありました。櫛来社は889年(寛平元年)に、宇佐神宮の分霊を勧請したと伝わっているとのことです。こちらでは、秋の大祭として10月14日に行なわれる火祭り「ケベス祭」が有名です。そもそもこの祭の起源や由来が分らないのだそうで、もちろん、主役であるケベス様とは何者だか分からないそうです。それでも古来から無病息災、五穀豊穣を祈願する祭として伝承されてきたとのことです。国の選択無形民俗文化財に登録されています。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年07月07日
総合評価:4.5
くにみ海浜公園は、国道213号線沿いで、道の駅 くにみのすぐ横にありました。ここの砂浜は人工ビーチとのことですが、長さが300mはある大きなものでした。ビーチの奥は広々とした多目的広場が拡がっていて、ずいぶんと土地が余っていたというのか、国東市が住民のために力を入れて開発したのだなぁと思いました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年07月07日
総合評価:3.0
妙光寺は、国見町櫛海(くしのみ)の小さな集落の一画にありました。山門は門柱だけが建っていましたが、左には山号・寺号の「公慎(こうしん)山妙光寺」と大きく刻まれていて、右には宗派の「浄土真宗本願寺派」とこれも大きく刻まれていました。これだけ大きく書かれていると間違えたくても、間違うことはないでしょう。小振りな本堂ですが、前には蘇鉄の木が左右にありました。そのちょっと前には本堂を圧する様な大きなイチョウの木がありました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年06月24日
総合評価:4.0
志高湖キャンプ場は、高度は上がりますが別府の町からは距離的に近いので多くのキャンパーがやってきていました。キャンプはブームが来ているのですね。ここは標高があり、明かりがなく、また、上空を邪魔するものがないので、綺麗な星空観察が出来るのではないかと思います。
- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 施設の快適度:
- 3.0












































