神宮寺浦公園
公園・植物園
3.30
神宮寺浦公園 クチコミ・アクセス・周辺情報
大分市 観光 満足度ランキング 40位
公園の付近一帯は埋め立てられていますが、かつては浅瀬の波に洗われる美しい海浜でした。 平安時代、近くに春日神社の神宮寺という寺が建立されたところから、この名がついたといわれています。 天文年間(1532?1555)、ポルトガルや明との貿易を行った大友宗麟は、この浜辺を交易場として利用していたといわれています。 それにちなんだ「南蛮貿易場址」の碑があり、その側に太刀を杖にした大友宗麟像が建てられています。 ポルトガル人の来府は天文14年(1545)、中国のジャンク船に乗船して沖ノ浜に入港したのを皮切りに、天文20年(1551)の7月にポルトガル船が日出沖(神宮寺浦の対岸)に来泊しました。 同年9月にはフランシスコ=ザビエルが宗麟の招きで府内を訪れています。 その後、相次いでポルトガル船が来航し、神宮寺浦を含む別府湾は文字どおり南蛮貿易の表玄関でした。
クチコミ・評判
1~9件(全9件中)
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宗麟さん、南蛮船は見えますか?
- 3.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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南蛮船がやって来たところです。
- 3.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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春日神宮の社殿の後ろに拡がる森を抜け、100m弱北に進むと県道22号線に出ました。その角のところに小振りな公園がありました... 続きを読む。神宮寺浦公園です。太刀を杖代わり?にした大友宗麟像があり、その右方に「南蛮貿易場址」の石碑がありました。県道22号線はその昔の海岸線で、神宮寺浦と呼ばれた浜辺だったそうです。大友宗麟は、そこに南蛮貿易の交易所を設けたのだそうです。神宮寺浦の名はここに春日神社の神宮寺があったからとのことです。ところで、この銅像は1937年(昭和12年)に日名子実三さんによって制作されたのですが、戦時中の金属供出で一旦はなくなってしまったそうですね。日名子さんの遺族の家に残っていた原型を元に、長谷秀雄さんが1958年(昭和33年)に制作し直したとのことです。 閉じる
投稿日:2022/07/14
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ここにも大友宗麟の像
- 4.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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神宮寺浦公園でございます
- 3.0
- 旅行時期:2015/07(約10年前)
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産業道路沿いのポケットパーク
- 2.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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16世紀の貿易港
- 2.0
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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宗麟公の南蛮貿易場の址
- 3.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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大友宗麟の像
- 4.0
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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大友宗麟は、宗教的な意味だけではなく、西洋の技術でしっかり富国強兵を目指しています
- 4.5
- 旅行時期:2009/01(約17年前)
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南蛮貿易場址は、大分駅からタクシーで5分と紹介されていましたが、私は歩いていきました。国道の横に、ちょっとした公園、神宮寺... 続きを読む浦公園がありまして、そこがこの南蛮貿易場址。大友宗麟の像が目印です。ただ、この大友宗麟の像は非常に高いので近くで見ると下からはるかに見上げる感じ。何で、狭い場所なのにこんなに高くしたのでしょうか。ちょっと、バランスが悪いかも。さて、大友宗麟は、キリシタン大名。フランシスコ・ザビエルを招いてキリスト教に帰依し、少年使節団をローマ教皇にも派遣しました。このブンゴという地名は、西欧にも伝わっています。しかし、大友宗麟は、宗教的な意味だけではなく、西洋の技術でしっかり富国強兵を目指しています。大筒の鉄砲は島津との戦いでも威力を発揮しています。そんな思いもはせられる場所です。
閉じる投稿日:2012/10/17
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