たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(3ページ)全1,843件
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- ホテル
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- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
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投稿日 2024年10月22日
総合評価:5.0
翌日桐生へ向かうために宿泊した。少し目的地からは離れてはいるものの、関越自動車道から移動するにはルート上にあるためにこちらに決めた。天然温泉の大浴場は魅力ではあったが、チェックインが遅くなり利用することはできなかった。
値段のこともあり、観光・ビジネス客共々利用するため満室になることも多いが、駐車場は敷地内以外にも歩いて数分のところに第二駐車場があるため、コインパーキングに案内されることもなく安心だった。
喫煙シングルのお部屋は広くはないが狭くもない丁度良いサイズで、ベット・客室。ユニットバス共々清掃が行き届いており、快適に利用できた。
ハナホテルを褒める際に〝食事〟のことを上げられている方が多い様だがそれには間違いはない。和洋のバイキングは品数も多く、混雑はしていても品切れ状態になることなく、補充がこまめになされていた。
場所柄頻繁に利用するホテルではないが、界隈に行くことがあれば是非また宿泊したいホテルであった。- 旅行時期
- 2024年09月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 5,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- 本庄児玉ICより車で20分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 質の高いバイキングを加味すると結構高い。
- 客室:
- 5.0
- 清掃等行き届いており快適に利用できた。
- 接客対応:
- 5.0
- マニュアルに沿っていて良い感じであった。
- 風呂:
- 5.0
- 広くはないが清掃等行き届いており快適に利用できた。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 種類が豊富でボリュームもある。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープ・エレベーター完備であった。
-
投稿日 2024年08月27日
総合評価:5.0
確か9年前の3月に初めて泊まったゲストハウスりゅうかく。前年にオープンしたばかりだがまだ思ったように予約が入らず閑古鳥が鳴いています~っていう話を聞いていた。それが今や界隈で最も予約が取れない宿になっていた。勿論オジィとオバァのお人柄が宿泊客を集めているのだが、加えてご自慢の朝食もSNS映えするものとしてたまに目にすることがある。人気宿になる要素を持っているから今に至ることはわかっているのだが、予約が取り辛くなることを少し悲しくも思える自分がいるのもまた確かである。
今回は201号室シングルルームを利用した。すべてに於いて快適に利用できる小宿は、次も私を受けてくれるのであろうかとふと心配に思える宿になりつつある。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 西原から30分程。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 値段に見合った内容である。
- 客室:
- 5.0
- 清潔で快適に利用できる。
- 接客対応:
- 5.0
- オjィとオバァの人柄に触れるのも宿の醍醐味である。
- 風呂:
- 5.0
- 清潔で快適に利用できる。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 食自慢の宿だけある。
- バリアフリー:
- 3.0
- 客室へは階段のみである。
-
投稿日 2024年08月03日
総合評価:5.0
沖縄旅の糸満に於ける常宿となっているみん宿ヤポネシア。今回の宿泊で九回目となった。途中コロナ禍で3年間のブランクはあるものの、オーナーファミリーとは足掛け9年に渡っての付き合いとなる。
9年も経つと取り巻く環境も変わっている。小学生が大学生となって本土へ行った話等長い付き合いだから話せる内容も年々増えてきた。その反面〝互い年を取りましたね~〟なんていう話も普通に出てくる。泊まることを話すことも楽しみとして利用していることを自分でも感じる場所である。部屋もほぼ固定となった〝二段ベッド〟のお部屋。あと何回沖縄に足を運べるかはわからないが、南部に行くならば泊まらないことはないと思える宿である。- 旅行時期
- 2024年06月
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投稿日 2024年03月31日
総合評価:5.0
伝説時代の北山世主、前北山の天孫氏の代から有力豪族として伝わる名護按司が築城し、城主を務めた名護城。伝説王朝である天孫王統の滅亡など、琉球の王統の代替わりごとに強い影響を受けてきたとされている。名護岳西麓の標高100m程の台地の上に築かれた名護グスクは、14世紀に当時の今帰仁按司丘春の弟が名護按司として赴任する際に築城したと伝えられており、後に後北山王となる怕尼芝に滅ぼされたと伝えられている。その後中山王尚巴志が後北山を攻めると名護按司は中山側につき、今帰仁城攻略等の北山攻めに加勢した。北山滅亡後に尚巴志は今帰仁城に北山監守を置き、兵乱に備えることにした。そのために名護グスクは復興されないまま廃城となり、他のグスク跡同様に〝御嶽〟的な建物として使われていたのではと言われている。
時が過ぎて第二尚氏王朝第二代国王尚真王の代に王国の按司が首里に全て集められた。首里に向かった名護按司を氏神として祀る〝拝所〟となった名護城跡には、近代になって名護神社が創建され、戦前までは大和式の鳥居が作られていたとされている。戦後になって米軍占領下の1963年に広域公園として計画決定され、平成2(1990)年に供用が開始された。
桜の名所となったのは昭和3(1928)年に地元のグスク青年団がこの地に50本の桜を植えたのが始まりであり、その後1963年から毎年1月下旬に〝名護さくら祭り〟として開催され現在に至っている。公園全体には約4,800本のカンヒザクラが植えられ、その内名護城跡に通じる階段の両脇には約200本が植樹されており〝全国で最も早い桜まつり〟のひとつの会場として、沖縄県内外からの花見客約30万人が訪れる場所となっている。
グスクとしてはそれ程重要視されてはいなかったようで、歴史書物に取り上げられていることも多くはない。ただ〝桜まつり〟の知名度は絶大なものがあり、この時期に沖縄を訪れる観光客の一番の目的と言っても過言ではなくなっている。実際にグスクの遺構を見た訳ではなく、碑文に残されていた〝文章〟で初めてその築城を知ったと言っても過言ではない。本来ならばほぼ満開のカンヒザクラが咲き誇っている筈だが、開花後急に気温が下がり開花が進まずにチラホラ咲きだったことは少し残念であった。しかし逆に言えば満開でなかったために天上広場迄車で乗り入れることができたので、そこはそこでラッキーだったのかも知れない。中々この時期に訪れることは難しいが、満開のカンヒザクラも一度は見てみたいとふと思った私であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 沖縄道許田ICから車で20分ほど。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 天気が良かったのでかなり多かった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 舗装がされているところもあるが、だいたいは地道である。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 公園も桜も素晴らしいものであった。
-
投稿日 2024年03月31日
総合評価:5.0
世界遺産今帰仁城の桜まつりは今年で17回目の開催となり、令和6(2024)年1月20日~28日の9日間行われる。私自身の目的はあくまで〝ライトアップ〟であるために、点灯時間18:00に今帰仁城入口に辿り着いたが、既に駐車場は一杯だった。係員氏の指示に従い案内されたのは今帰仁村立兼次小学校運動場、第三駐車場の場所は最も会場から遠い場所であった。そこからシャトルバスに乗って会場入りするのだが、道の広さからかマイクロバスでのピストン輸送になるために1時間ほどバス待ちをする羽目になった。
何とか会場入りするも場内はかなりの混雑。割引されたWebの電子チケットを見せ入城するが、地図を見ながら歩くというよりもは、〝人の流れ〟に流されるように順路を辿って行く。今帰仁城は2回目の訪問だが、前回も日暮れ後だったために眺望が効く様子を見たことがない。しかし城作りの名人である護佐丸が築いた城壁は、芸術的なカーブを描いているのがわかる上に、様々な色に染められて素晴らしい景観を作り出していた。
ありとあらゆる場所がエモいので、立ち止まってカメラを構えている者も多い。私もその一人ではあるが〝撮りたい場所〟はそれぞれ違うようで、ある時は追い越し、ある時は追い越されて自然な流れに乗って会場を一周し、時間内に戻ってくることができた。
主催者側も待ち時間が生じた結果滞在時間が短くなった入場者の便宜を図ってか、本来ならば21:00消灯のところ、私がバスに乗車するまでは点灯が続いていたように思う。
光もののどこが楽しいと言われることもあるが、普段見られない様子を見られるのがイルミネーション・ライトアップの〝醍醐味〟だと私は思っている。加えて内地のソメイヨシノとは異なり早咲種のリュウキュカンヒザクラ、白と赤の花の色も違うが、受ける雰囲気もおおいに違う。そこにライトアップを加えて見える城壁共々様々な色に照らされて、昼間の様子とは全く異なるため、訪れる価値は高いと改めて思った私であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から車で2時間程。
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 最終日の日曜だったので無茶苦茶多かった。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 美しい建物故何をやっても素晴らしく思えるのだろうと感じた。
- 雰囲気:
- 5.0
- 規模や背景が違うとこれ程変わるのかと改めて思った。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場は決して良くはない。
-
歴史は比較的新しい〝日本で最も早いさくら祭り〟のひとつである。
投稿日 2024年03月31日
総合評価:5.0
日本で最も早いさくら祭りのひとつである〝名護さくら祭り〟。歴史は比較的新しく1963年に最初に行われたものである。元々は昭和3(1928)年に地元のグスク青年団がこの地に50本の桜を植えたのが始まりで、間に凄惨な沖縄戦を挟むものの名護城跡公園が広域公園化計画が決定されたことをきっかけに植えられ続けた多くのカンヒザクラも、現在では約4,800本を数えるまでになり、その桜を見るために沖縄県内外から毎年約30万人もの観光客が訪れる一大観光スポットと呼ばれるまでになった。
今年は開花後寒い日が続いたために開花が進まず、チラホラ咲きの桜を楽しむ程度の花見となった。しかし本来ならば別の場所に車を停めてシャトルバスで来場しなければならない位の混雑をすることを踏まえれば、タイミングとしては良かったと思ったりしたりもする。勿論機会があれば満開のカンヒザクラも見てみたい。そんな気持ちが残った今回の来沖であった。
ちなみに桜の花が咲いている場所とさくら祭りの〝イベント〟が行われている場所は違い、そこそこの距離を車で移動する必要がある。ただお祭り会場の駐車場は混雑しているレベルではなく、隙間があれば必ず駐車がされていると言っても過言ではない。とてもではないが駐車場探しだけで疲れると思い会場を後にした私であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 沖縄道許田ICから車で20分程度。
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 多過ぎる…。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 街挙げてのイベントはデカ過ぎる…。
- 雰囲気:
- 5.0
- 桜に纏わる気持ちは伝わってきた。
- バリアフリー:
- 3.0
- 場所によりけりだが、足元は良くはないと考えた方が良いであろう。
-
投稿日 2024年03月31日
総合評価:5.0
国道58号線を北上し、ベストウェスタン沖縄幸喜ビーチの手前にあるビーチである。駐車場やトイレ、シャワーも完備しているが、あくまで利用は無料のビーチである。さすがに1月には泳いでいるもの好きはいなかったが、シーズンを迎えると子連れが多く楽しんでいる姿を見かける場所である。
沖縄のリゾートホテルというと根拠のない〝プライベートビーチ〟を語るホテルも多いがベストウェスタン沖縄幸喜ビーチはそんなことを言わないので安心だ。駐車場は30台程度を停められるキャパがある。食事等はまた移動して食べるのもありかとは思うが、ファミリーマートを併設しているベストウェスタン沖縄幸喜ビーチを利用するのもひとつの手段として考えられる長閑なビーチであった。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から車で1時間ほど。
- アクティビティ:
- 5.0
- ホテルの主催のものも利用できると聞いた。
- 景観:
- 5.0
- ザ・ビーチらしからぬところが良い。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- さすがに1月では…。
- 水の透明度:
- 5.0
- 波が立っていなかったので澄んでいた。
-
投稿日 2024年03月31日
総合評価:3.0
美浜アメリカンビレッジにあるベッセルホテルカンパーナ沖縄。値段も手頃で利用しやすいホテルではあるのだが、取り敢えず週末には必ずと言って良い程改造車が集まり、騒音を巻き散らかすためにうるさくて仕方がない。ホテルが悪い訳ではないが、ゆっくりしたいと思うのであれば避けた方が良いホテルだと思えた。
- 旅行時期
- 2024年03月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 15,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 客室:
- 5.0
- 接客対応:
- 5.0
- 風呂:
- 5.0
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2024年03月31日
総合評価:3.0
昭和56(1981)年に返還された在日米軍施設キャンプ・フォスターのうち海岸沿いにあったハンビー飛行場跡地に加え、昭和63(1986)年に飛行場跡地北側に隣接する海岸で新たに埋め立て地が造成された場所を一体化して開発されることとなり、埋立地の部分に建設されたものが〝北谷町運動公園〟と〝アメリカンビレッジ〟である。
在日米軍施設が集中しているこのエリアの特徴を生かせ、アメリカンチックな雰囲気を前面に押し出して作られている。アメリカンビレッジの本格的な工事は平成9(1997)年に本格的な工事が始まった後、翌年から各施設がオープンし、平成16(2004)年にはほぼ完成している。完成前後の年間来客数は830万人といわれており、沖縄に於ける〝新たな観光地〟としてその名を轟かせることとなった。
ショッピング施設は勿論のこと、飲食店やカフェ、映画館、ボウリング場やライブハウス・ホテルなどが立ち並び、夜には時期的に開催されるイルミネーションやライトアップなど、構成する建物すべてからなる大規模な〝娯楽施設〟を形成していることは一目見ればわかることであろう。
訪れたのは土曜日の23:00過ぎという遅い時間であるにも拘らず、不夜城の如く照明が光っており、加えて大勢の若者が集まっていることは、今までに訪れた沖縄各地では感じなかった印象である。
深夜まで開いている店舗も多く、人が集まることはわかるのであるが、改造車が爆音を響かせて観衆の前を走っている様子等は、今の世代を理解できない者達からはあまり良い雰囲気の場所とは思えない。
家が安住の場所とはならない若者達が、〝群れる〟ためにこのような場所に集まることは都市部でも問題視されている事実ではある。北谷という街がそのような場所なのかは知らないが、〝群れを嫌う〟私にとっては長居は決してしたくはない場所でもある。最近SNSでも取り上げられることが多くなり、そういった目的を持った若者が集まってはいるのだろうが、正直二度と行きたくない場所にしか私には思えなかった場所である。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から車で30分強。
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 土曜日の夜ではあったが…。
- 見ごたえ:
- 5.0
- ビジュアル的には素晴らしいとは思う。
-
投稿日 2016年06月06日
総合評価:5.0
八重瀬町富盛、八重瀬公園に残る八重瀬城跡は第一尚王朝が沖縄島を統一する前の三山時代に建てられたものではないかと言われています。当時の八重瀬按司の居城であったとされているものの、沖縄戦に於いて付近に置かれていた日本軍が潜んでいた壕が狙われた際に攻撃を受け、現在では一部石垣が残る程度の寂しいものとなっています。
しかしながらグスク内には〝城火の神〟〝ナカジク火の神〟〝グスク井泉〟と呼ばれる三ヶ所の拝所・井泉があり、現在でも住民の信仰の対象となっているそうです。そして琉球の豪傑伝説のひとつである〝カニカマルー伝説〟の伝承地として知る人ぞ知る場所となっています。身分の違いによって産むことができなくなった子供でしたが、生まれると〝鉄より硬い人間〟として豪傑さを発揮し、向かうところ敵なしの戦いぶりを続けます。しかしどんなものにも欠点はあり〝頸部〟だけが弱点だったカニカマルーのことを知っていた使用人を買収して豪傑を亡き者にしようと敵国の按司が利用し、カニカマルーは亡くなってしまいます。それを理由に敵国按司が攻め込むものの、味方の按司はその遺体に弓矢を持たせ、気に括りつけました。その姿を見た敵国按司は?〝カニカマルーは生きている〟と誤解し、我先にと自国領に帰って行ったというものです。
〝生きて千人、死んでも千人撃退した男〟として、琉球の豪傑伝説に浸りながら、八重瀬公園を散策するものまた面白いようにも思えました。- 旅行時期
- 2016年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 八重瀬公園内。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夕方はジョギングをされている方位でした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 考えてありません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- なんとなくグスク跡とはわかります。
-
投稿日 2024年03月31日
総合評価:5.0
古琉球の南山王国二代国王汪英紫氏(おうえいじし)によって14世紀に建立されたと伝わる八重瀬グスク。以降三代国王汪応祖(おうおうそ)と出城として利用されたが、汪応祖の出世を妬んだ兄達勃期(たふち)によって殺害され、達勃期が四代国王となり八重瀬グスクを居城とするが、程なくして汪応祖の長子である他魯毎(たるみい)らの軍勢によって彼もまた殺害される。五代国王となった他魯毎ではあったが、政治手腕は乏しく民衆の怒りをかっていたところ、中山王尚巴志によって滅ぼされ、南山王国は滅亡する。
その後尚巴志の四男が八重瀬按司となり、八重瀬グスクを拠点とするも、クーデターで王位に就いた第二尚氏王朝初代国王尚円王の長男で第三代国王尚真王の時代に中央集権体制を確立するため、按司を首都の首里に集居させたことにより廃城となったようである。
沖縄島南部の標高が低い山が連なる中で、標高163mの八重瀬岳の中腹の標高110m付近にに築城された八重瀬グスクは、その場所からの〝眺望〟を重視したとされている。一説には近くの勢理グスクより強固なものを必要としたことが築城の意図だったとも言われている。
そのような場所柄沖縄戦に於いては日米軍の熾烈な戦いの最前線となり、グスク跡を含んで整備された八重瀬公園内には、白梅学徒隊が看護補助要員として勤務していた病院壕も残っている。
グスク跡には拝所が残り、この場所が神聖な場所であったということがわかる史跡も残っている。1月に行われるさくら祭りを含め、それぞれの〝場所〟が持つ歴史を感じることができる素晴らしい場所であったと私には思えたのであった。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から車で30分程度。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 時期と時間に大いに左右される。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は決して良くはない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 残存する石垣から往時の様子を窺い知れる。
-
八重瀬グスク跡に作られた公園は、日本一早いさくら祭りの会場だった。
投稿日 2024年03月27日
総合評価:5.0
古琉球に於ける南山王国の第2代国王汪英紫(おうえいじ)が築城し、その後汪英紫の長男達勃期(たぶち)が城主となったと伝わっている。3代国王となった弟の汪応祖(おうおうそ)の出世を妬んだ達勃期は汪応祖を殺害、自身が4代国王となる。だが汪応祖の長男である他魯毎(たるみい)他反達勃期の按司達に攻められて達勃期は殺害され、5代国王に担ぎ上げられた他魯毎ではあったが、横暴な性格の上に毎日政治を省みず酒色に耽り、民衆や按司たちに対し酷薄な王として次第に人から疎まれる存在となる。その後中山王となった尚巴志(しょう はし)に攻められて殺害され、南山王国は滅亡する。この際に出城のひとつであった八重瀬グスクも落城したとされている。
その後第一尚氏王朝時代に尚巴志の四男が八重瀬グスクを再興し、八重瀬按司として入城したがその後のグスクの動向は不明である。南部にあり標高がある程度ある場所として、沖縄戦に於いて野戦病院がこの場所に設けられ、白梅学徒隊が従軍看護師として勤めていた病院壕が残っている。
そんな暗い歴史の多い八重瀬グスク跡に憩いの場として公園が作られたことが八重瀬公園の始まりである。現在では〝日本一早いさくら祭り〟が行われる場所として、沖縄県民は勿論国内外を問わず多くの観光客が訪れる場所となっている。またそのさくら祭りの時期に合わせて〝イルミネーション〟や〝ライトアップ〟が行われており、晴れた日には満天の星空と共に訪れる者の目を楽しませている。
残念ながら天候不良の影響を受け満開の桜には巡り会えなかったが、それでの内地ではこの時期に絶対見ることができない景色を堪能でき、満開の桜も見てみたいという思いに駆られた私であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 空港から車で30分程度。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 少ないという訳ではなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は砂地であった。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 満開ではなかったが、見られただけでも十分であった。
-
投稿日 2024年03月27日
総合評価:5.0
神戸空港を利用する際には必ず利用しているポートライナー。記憶にないがポートピア81に合わせて開業したらしい。その語神戸空港の開港に合わせて〝空港線〟が作られ、神戸空港を利用する際は三宮駅でJRに乗り換えだけで済みために毎回利用した。
以前は混雑しているという印象はなかったが、ポートアイランド内に学校が移ってきたことから朝夕の混雑は酷くなったといわれている。ただ私自身利用時間がラッシュ時ではない時間帯が多いことから、あまりそういった印象はなく、静かに走ってくれる〝乗物〟として安心できるために利用している。
ポートアイランド内を走るために空港手前以外は殺風景な車窓が広がってはいるが、それゆえに空港手前で一挙に景色が変わることが、出かけるという気持ちにあり、それだけでも乗る価値があると常々思っていた。混雑の解消に向けてバス利用などの代替ルートが書かれてはいたが、乗り換えの利便性を考えれば私の場合神戸空港利用時には使い続けるであろうと思う。- 旅行時期
- 2024年01月
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 安くはないが仕方がないのであろう。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 決して少なくはない。
- バリアフリー:
- 5.0
- 優先座席は完備している。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 三宮英では5分で乗り換えは可能である。
- 車窓:
- 5.0
- 神戸の色々な景色が楽しめる。
-
投稿日 2024年03月27日
総合評価:5.0
京阪神の韋駄天列車〝新快速〟。営業最高速後130km/hは在来線一般列車の中では最も早い。我が街石山は新快速の運行開始当初からの停車駅でもあり、子供の頃はそんなことを自慢していたものである。西に向かう旅路に於いて滋賀県出発の場合必ずと言って良い程JRを利用しなければならない。飛行機を利用する際には、京都・三宮駅で一回の乗り換えで向かうことができるために、空港に使いエリアよりも利便性が高くなる。その理由はやはり高速走行ができる新快速の利用によるものが大きいのは確かである。
例え先発の快速が先着することがわかってはいても、次の新快速を待ってしまうのは、どうやら滋賀県民の〝あるある〟らしい〟でも否定できないことが素晴らしい電車であることの理由だと勝手に思っている私であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 追加費用は原則掛からない。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 快速よりもは利用客は多い。
- バリアフリー:
- 5.0
- 車両両端に優先座席が設けられている。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 主要駅には停車する。
- 車窓:
- 5.0
- 山・街・海が楽しめる。
-
投稿日 2024年03月27日
総合評価:5.0
瀬田川以西の大津市内を走る京阪バス。沿線には石山寺や瀬田川クルーズ乗船場があるなど観光利用にも欠かせないバス路線である。しかし乗車率低迷やドライバーの接待数の不足は例外ではなく、令和6(2024)年4月1日のダイヤ改正に於いて、一部路線で廃止や減便が行われる。
実際に石山寺に行くだけならば影響はない。しかし唯一走っていた湖岸道路平癒のびわこ浜大津駅行きが遂に廃止されることとなる。本数は少ないながらも桜の名所のひとつである〝税所公園〟に行くには、最も便利であった公共交通機関であった。
通勤時に利用する私も、減便の煽りを食らい20分前のバスを利用せざるを得なくなった。駅から歩けるエリアは良いのだが、郊外にできた戸建て住宅は、特にバス便なくしては死活問題に繋がる可能性がある。バスがないから車にシフトすることは当たり前、結局悪循環でまた乗車率が落ちる。これ以上減便をされるようならば私自身も通勤方法や転職迄も考えなければならないことになる。営利目的の企業に赤字を抱えて迄運行を続けろとは利用者の口からは言えることではない。観光利用も含め不便にならないように行政の〝テコ入れ〟を考えて貰いたいと思いながら、バスに揺られ続ける私であった。- 旅行時期
- 2024年03月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 安くはないが仕方がない価格であろう。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 余程のことがない限り多くはない…。
- バリアフリー:
- 5.0
- ほぼノンステップ車両である。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- たいていのターミナル駅には乗場がある。
- 車窓:
- 5.0
- 車窓は楽しめる。
-
投稿日 2024年03月23日
総合評価:5.0
大阪三空港の中で最も小さな神戸空港ではあるが、わが街滋賀からだと〝乗り換え〟が少なくて済むのが良い。三宮までは新快速で、後はポートライナーだけである。意外にも沖縄に行くには〝バーゲン〟を探せば最も安くで行くことが出来たりもし、今回の往復の航空券代は、10,000円程で済ますことができた。勿論一度値上がってしまえばレガシーキャリアの値を超えることもあり、その辺りはどのタイミングで予約するかが大きなカギとなって来る。
規模が小さいだけに歩き疲れることもないのが田舎者の私には一番ありがたいことかも知れない。兎に角〝行き〟に関しては、毎回でも利用したい空港だと私には思えるのであった。- 旅行時期
- 2024年01月
- アクセス:
- 5.0
- 自宅から2時間で搭乗が可能である。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 最近団体客とバッティングすることが多い。
- 施設の充実度:
- 5.0
- まあ必要なものは揃っている。
-
投稿日 2024年03月23日
総合評価:5.0
国内外問わず最も利用回数が多い空港である。以前はピーチ航空でLCCターミナルが多かった時期もあったが、最近は使っていないために猶更利用回数は増えた。
あまり余裕を持って空港入りをしてはいないので、あまりのんびりとすることもないのだが、それでも勝手知ったる空港であるために気持ち的に楽ではある。
今回は出発空港を神戸にした。しかし沖縄側は相変わらず那覇空港である。一度ゆ~っくりと空港巡りをしてみたいと思う場所であった。- 旅行時期
- 2024年01月
- アクセス:
- 5.0
- レンタカー返車後30分後には到着できる場所にある。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 時期と時間によりけりだが、空いているところを見たことがない。
- 施設の充実度:
- 5.0
- 利用頻度の高い空港では随一である。
-
投稿日 2024年03月23日
総合評価:5.0
保安検査を通過する前にちょっと何かを買いたい・見てみたいときに種類も豊富で飽きないエリアである。ばら撒き用のお菓子等は事前に購入し、機内預けにした方が良いとは思うのだが、他にちょっと何かが欲しいときには最適である。ただ混雑時には人で埋め尽くされ、レジを済ませるのも一苦労という時もある。込み具合を考えて立ち寄るのであれば、いいお店群であると思う。
- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 空港建物内にある。
- お買い得度:
- 3.0
- そういったものを期待するお店ではない。
- サービス:
- 5.0
- 悪くはない。
- 品揃え:
- 5.0
- これはかなり良い。
- バリアフリー:
- 5.0
- 部分的に狭いところもあるが凡そ考えられている。
-
送迎時間に注意をすれば、利用価値は高いレンタカー会社である。
投稿日 2024年03月23日
総合評価:5.0
旅行時期に〝NOC補償〟が付けられる最も安いレンタカー会社として選んだ。高年式ながら〝訳あり・フルコミ〟プランは格安レンタカーの中では最も充実したプランであった。
那覇空港~営業所迄の送迎は原則2便/1時間となっている。借車・返車客の集まり具合で不定期の送迎をしているレンタカー会社と比較すると、時間の目安を付けながら営業所に戻るルートで時間取りを決められるため、無駄がなく、焦りながら運転することもない。そのことを考えると逆に安心して利用することができる。勿論車の清掃や整備等は問題なく、多くの機能を求めずにただ安く借りられればといった私のよな考えの物からは正にうってつけのレンタカー会社であった。
次回も料金と空車次第という但し書きはつくものの、是非とも利用したいレンタカー会社のひとつであった。- 旅行時期
- 2024年03月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- ナビとオーディオは旧式だがスマホを使えば問題ない。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 借車の時は私ひとりであった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 入口にステップがあった。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 那覇空港から送迎バスで15分程度。
- 車窓:
- 5.0
- 悪くはない。
-
投稿日 2024年03月23日
総合評価:5.0
南城市の安座真港は神の島久高島への玄関口である。フェリーと高速艇が就航しており、それぞれ一日3便の計6便が運航されている。久高島も未訪問の島のひとつであるが、今回の旅に於いて訪れる予定はしていた。しかし帰りの飛行機の時間を勘違いしていたせいで、もし向かうならば滞在時間35分で折り返さなければならないことが前日になって判明。よって今回は泣く泣く諦めることにした。
伊江島に渡る際の本部港も、事前に港湾内の情報を調べて行かなかったがために右往左往した。そのため〝次回〟の準備としてターミナルの〝情報〟を仕入れるべく今回訪れた。ターミナルは小さく、徒歩で行こうが車で行こうか迷うことはないことを確信する。ただ航走料金の高さと、車の必要性はすぐには決めることが出来ず暫く考えることにした。
なにがある訳でもない建物であったが、多くをやる必要もないのかと思えるような必要最小限も設備を備えているターミナルであった。- 旅行時期
- 2024年01月
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 通常料金が高いのは致し方ないであろう。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 船の発着時刻以外は静かなものであった。
- バリアフリー:
- 3.0
- ターミナル建物には段差があった。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 斎場御嶽から車で5分程度。
- 車窓:
- 5.0
- 大海原が広がっている。








































































































