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蒲生君平先生仮寓御趾

名所・史跡

蒲生君平先生仮寓御趾 施設情報・クチコミに戻る

寛政の三奇人のひとりである。

  • 5.0
  • 旅行時期:2023/10(約2年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

下鴨・宝ヶ池・平安神宮 クチコミ:5件

蒲生氏郷を祖とする家に産まれた蒲生君平は、江戸時代後期の儒学者である。その他御陵を踏査して“山陵志”を著した尊王論者、ロシア軍艦の出現から北辺警備の必要性を説いた海防論者でもある。しかし生前は海防論が幕府に危険人物と見做される等日の目を見なかったとされている。

御陵研究も同様に生前は然程の評価はされてはいない。しかし訪ねた国学者の本居宣長等からは、その論述は絶賛されていた。

その“山陵志”研究の中で君平は2回の状況をしている。その2回目に滞在した場所がここ歌人の“小沢蘆庵邸”だったとされている。

死後“山陵志”は評価されることとなり、明治天皇の勅命の下故郷の宇都宮に“勅旌碑”の建立、正四位の贈位がなされ、その後君平を祀る“蒲生神社”も建立されている。

生前の低い評価からだろうか、丸太町通りに沿った住居前にひっそりと“蒲生君平先生仮寓御趾”と“小沢蘆庵宅跡”という2つの石碑が立つのみで往時の面影は残ってはいない。しかし彼が記した書物は後世になって評価されていることは間違いない。市内の隠れた“史跡”として、今後取り上げてもらいたいと思える場所であった。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
平安神宮から徒歩7分程度。
人混みの少なさ:
5.0
ここを訪れている方とは出会わなかった。
バリアフリー:
5.0
歩道は舗装されている。
見ごたえ:
3.0
石碑が残るのみである。

クチコミ投稿日:2023/10/16

いいね!:5

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