ヌヌマチガマ
名所・史跡
3.31
ヌヌマチガマ クチコミ・アクセス・周辺情報
知念・玉城・八重瀬 観光 満足度ランキング 36位
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
命の大切さを伝えています
4.0
- 旅行時期 2024/07
- by たびたびさん
ヌヌマチガマは、第24師団第一野戦病院新城分院として使用され、負傷兵1,000名が収容されたガマ。白梅学徒5名が派遣され、... 続きを読む傷病兵の排泄物の始末、切断された手足の処置など、過酷な任務に当たっていたとか。閉鎖命令により約500名の重症兵は自決を命ぜられますが、白梅学徒隊も戦場を逃げまどい、46名のうち22名が命を落とすということに。 ガマは柵に囲まれていて中には入れませんが、周囲はきれいに整備されていて、命の大切さを伝えています。 閉じる
クチコミ・評判
3.31
(5件のクチコミ)- アクセス:
- 4.00
- 南の駅やえせより車で5分。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
- 人混みの少なさ:
- 4.75
- 訪れた際には誰にも会わなかった。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
- バリアフリー:
- 3.00
- 階段が設けられたが急であり、足元も良くはない。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
- 見ごたえ:
- 4.00
- ガマの特徴が強烈で、往時の苦労が偲ばれる場所であった。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
1~4件(全5件中)
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白梅学徒看護隊が入っていた野戦病院壕である。
- 5.0
- 旅行時期:2023/06(約3年前)
- 7
八重瀬公園から3km弱程離れたところに急遽広がる駐車場がある。ヌヌマチガマ、沖縄戦に於いて第24師団第1野戦病院新城分院と... 続きを読むなっていた場所である。以前はこのような立派な入口周辺施設はなかったのだが、八重瀬町が〝平和学習〟向けに壕内に下りる階段や、トイレや駐車場を整備した。施設は整ったがその後〝施設管理者〟を委託したNPO団体が、入壕の管理を一手に引き受け、入壕に同伴する他団体のガイドを締め出したということから揉め事に発展し、実際個人では入壕できないという状況が続いていた。
そのような経緯があったが、コロナ禍に於ける体験希望者の減少から状況が変わったようで、八重瀬町が認可しているガイド団体の引率化で個人での入壕も可能となったようであった。偶々見つけた八重瀬自然遊学センターの入壕体験の情報で今回の入壕が可能となった。
入口に立派な階段が設けられていることは、他のガマや壕と大きく違うが、中に入ってしまえば同じである。自然壕であるが、大きな穴が開いており、そこから光が入ってくるが、これだけ大きいものであれば砲弾なども着弾したのではと思える節があった。このヌヌマチガマは水には困らなかったようだが、逆に4~6月という梅雨の時期、壕内の水量の増加から野戦病院壕の中では早めに撤退したという記録が残っている。
壕を出た学徒他病院職員は八重瀬公園の第24師団第一野戦病院を経て、白梅の塔付近の壕に移るもそこで米軍の猛攻に逢い、46名の学徒のうち22名が戦死している。
ヌヌマチガマだけのことではないが、白梅学徒隊の足跡を辿るにあたり〝欠かせない〟戦跡のひとつであることには変わりはない。費用の点ではちょっとお高い気もするので、募集団体を募り、一人頭のコストと手軽さを記せば、もっと大勢の〝関心のある人々〟が訪れてくれるのではと思えた私であった。 閉じる投稿日:2023/10/07
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戦争跡地。奥には新しめの写真スポットあります。
- 4.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 5
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戦跡のありかたを考えさせられる
- 5.0
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
- 3
ヌヌマチガマは、第24師団山部隊の第1野戦病院として使われていた壕で、小高い丘を貫通するような造りで反対側の壕口はガラビ壕... 続きを読むと呼ばれています。
白梅学徒隊が勤務していたことでも知られ、入口には「白梅学徒看護隊之壕」という石碑が残っています。
この戦跡が象徴的なのは、戦跡のあり方、戦跡の「今」を図らずも体現してしまった形になっていることでしょう。
従来、地元団体が平和学習のガイドを務めつつ、維持管理をしてきたのですが、自治体(八重瀬町)が整備に乗り出したタイミングで、指定管理者を決めたことに端を発します。
現在の管理者は北海道の業者で、ここの許可を得ないと入壕できません。無論有料で、かつ個人では申込みできません。
これまで活動してきた地元団体が反発したのは当然、それ以降、町と地元団体が対立しています。
せっかく貴重な戦跡が、このような形でいわくつきになってしまうことは非常に残念です。 閉じる投稿日:2016/10/06
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沖縄戦末期第24師団第一野戦病院新城分院が置かれていました。
- 4.0
- 旅行時期:2016/07(約9年前)
- 7
沖縄での地上戦が始まる寸前の昭和20(1945)年3月、看護補助要員として学徒看護隊として従軍した沖縄県立第二高等女学校の... 続きを読む白梅学徒看護隊は、現八重瀬公園に構築された陸軍第24師団野戦病院へと配属されました。4月となり沖縄島中部にて戦闘が始まる、前線から多くの負傷兵が送られてくることとなり、手狭になった第一病院壕の分院としてこのヌヌマチガマが新城(あらぐすく)分院として利用されることとなり、白梅学徒数名が移動してきました。その後戦況の悪化とともに首里城に置かれていた第32軍司令部が南部に撤退する際に、第24師団野戦病院も同行することになり、新城分院も閉鎖され身動きの取れない重症患者は処置されたとの記録が残されています。
南部への撤退時に一度八重瀬にて学徒隊に解散命令が出されたもののすぐに撤回され、負傷兵に肩を貸すなどして国吉の現在の白梅之塔付近の壕に集まりました。しかし絶対的な火力兵力を持つ米軍は、学徒隊が潜んでいる壕に馬乗り攻撃を仕掛け、それによって多くの犠牲者を出しました。また相前後して出された解散命令によって砲弾の飛び交う戦場を彷徨うことにより犠牲者を増やす結果となっています。
犠牲者も多いものの生存者も多かったひめゆり学徒に関しては、足跡等明確なものとなっていましたが、その他全部で21あった学徒隊に関してはほとんど知られないままになっていました。白梅学徒隊もそのうちのひとつではあったものの、八重瀬町等の働きかけもあり、足跡が看板表記されるようになり、つい最近ではあるものの一般的にも認知されるようになりました。しかしその反面?戦時中の追体験?と称した入壕体験のマナーの悪さからトラブルが絶えなかったこともあり、新城分院壕の東側のガラピ壕は埋土をされて利用できなくなり、西側のヌヌマチガマは指定管理者を定められ、個人での入壕ができなくなりました。
勿論管理という面では必要なことではあるものの、壕内からの出土品を勝手に展示をしていたことや、扉を設けて勝手に入壕できなくしていたなど、?私物化?と取られても仕方がないことが露見し、問題になっていました。昨年夏まで独占的にヌヌマチガマの入壕ガイドを取り扱っていた団体が、抗議の意味を込めてか今なお入壕についてうたっている看板を撤去していないことは、何も知らずに訪れた方々の?関心?すら奪いかねないもののように思えます。しかし団体の受付しかしないというのも?手っ取り早い儲け方?と取られても仕方がないところもあり、何らかの個人での見学を受け入れる手段は講じるべきではないか?そう思います。
ヌヌマチガマは白梅学徒看護隊がこの場所で70余年前に間違いなく従軍し、看護業務を行っていたかけがえのない戦跡のひとつである史実を、個人の考えて?追体験?を願う人々に伝えるべきではないか・・・そう思えてなりません。 閉じる投稿日:2016/07/08
1件目~4件目を表示(全5件中)
投稿写真
基本情報(地図・住所)
- 施設名
- ヌヌマチガマ
- 住所
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- 沖縄県島尻郡八重瀬町新城2151
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- 公式ページ
- 詳細情報
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