徳川幕府の最初と最後。
- 5.0
- 旅行時期:2023/11(約2年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:17件
それまでの二条城とは異なり、関ケ原の戦役後徳川家康の上洛時の宿所として建設が始まった。慶長8(1603)年3月に落成し、家康が伏見城にて征夷大将軍補任の宣旨を受けて二条城に入城。そして室町幕府以来の慣例に基づき〝拝賀の礼〟を行うために御所への行列を発している。3代将軍家光の頃までは将軍就任の〝祝賀の儀〟が行われたが、4代将軍家綱以降は行われなくなっている。
上洛時の宿所・天皇の行幸時に利用され、15代将軍徳川慶喜の大政奉還が行われる場所ともなり、江戸時代の始まりと終わりを告げた場所でもある。
明治維新の折徳川家から接取され、皇室の離宮へ変遷する。離宮時代には大正天皇の行啓や饗宴の儀などが行われる場所となり、その後昭和14(1939)年には条離宮は京都市に恩賜され、元離宮二条城と改称された後、平成6(1994)年にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に〝古都京都の文化財〟として登録され現在に至っている。
歴史的建造物としての価値も勿論、近年では〝光アート〟の会場として利用されることも多くなり、入りいろなジャンルの興味のある観光客は住民達が訪れる〝観光地〟であり〝憩いの場〟として多くの人々を魅了している。
イベント会場としては良い場所ではあるのだが、年々増える入城客に対応しきれていないと思えることも話題に上っている。以前は写真撮影はほぼすべてのエリアに於いて可能であったのだが、〝光もののイベント時〟にはかなり制約を受けることも多くなり、人も多いことからイベントの魅力は薄れて行っているように思えてならない。
コロナ禍の終焉宣言のもと、訪れる人が増えるのは致し方ないとは思うのだが、もう少し主催者サイドが寛容に捉えて来場者を楽しませるような配慮が必要になっているのではと思えた今回の二条城訪問であった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2023/12/07
いいね!:8票
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