聖徳太子の創建と伝わる古寺である。
- 5.0
- 旅行時期:2023/11(約2年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
近江八幡・安土 クチコミ:10件
東近江市(旧八日市市)建部瓦屋寺町にある臨済宗の寺院である瓦屋禅寺。寺の住所である瓦屋寺町はその名から付けられたものである。飛鳥時代に聖徳太子の創建した寺院として寺伝には記録されており、四天王寺建立の際に協力した渡来人がこの界隈で木材を、瓦106,000枚を作るための粘土に用いる山中の〝土〟を調達するなどして、山上に於いて瓦を焼成するなどした。聖徳太子がその折にこの地に一寺を建立し、自らが斧で一刀した先手観音像を奉納したことに歴史が始まるとされている。しかし聖徳太子の死後歴史上から消えたようで、次に残っている記録では奈良時代に東大寺の源仁僧都によって中興され華厳宗となり、東大寺の末寺として大いに賑わった。しかし戦国時代には当地近くにあった〝箕作城〟が織田信長と六角義賢の戦いである〝観音寺城の戦い〟の舞台となり、寺は焼き討ちされ堂宇は荒廃、衰退の一途を辿った。正保2(1645)年、八日市に奥州伊達家の飛び地がある関係で松島瑞巌寺中興開山雲居希膺禅師の高弟である香山祖桂禅師が荒廃した瓦屋寺の姿を嘆き再興を誓い、師である雲居禅師の篤志者であった福原茂右衛門を願主に彦根藩井伊家次席家老庵原朝真公より内陣法器等を備え釣鐘堂を建立し臨済宗妙心寺派の一寺として〝瓦屋禅寺〟として中興された。
香山禅師は亡くなるまでの半世紀をここ瓦屋禅寺で過ごされ、四方より訪れる修行僧が訪れてその教えは日本全国に広まった。また聖徳太子作の先手観音像は〝流行り病〟に大変霊験あらたかになり全国津々浦々より参詣者が溢れたと言われており、その中の一人に越後十日町酒屋〝水野五右衛門〟がおり、自身の娘が天然痘に患い、瓦屋寺で祈祷を受けたところ回復したことから、水野家の篤志により現在の本堂が江戸中期に再建されたと伝わっている。その後平成6(1994)年には金色大慈母観音像を再建し現在に至っている。
そんな時代に近江西国第18番霊場に指定され、その後も聖徳太子霊跡第30番、近江聖徳太子霊跡の札所に指定、多くの参詣者が訪れ賑わっている。今は臨済宗妙心寺派の寺院となってはいるが、この界隈東近江市には〝聖徳太子ゆかりの寺院〟が沢山あることが知られており、現在聖徳太子人気で〝巡り旅〟が流行っていることは有名である。
聖徳太子所縁の寺院のひとつである瓦屋禅寺でライトアップイベントが開始されたのは意外にも昨年令和4(2022)年に〝聖徳太子薨去1400年〟を記念して行われたものが最初となる〝新しいイベント〟のひとつであった。付近にはやはり太子所縁の百済寺・観音正寺・長命寺といった西国三十三ケ所霊場もあり、こちらでもイベントが行われていたようだが、それに負けじ劣らじと瓦屋禅寺でも行われていた。短時間でサッと見ただけでも、紅葉のライトアップとプロジェクションマッピングは非常に完成度の高いものだと感じられるものであった。
記念の年をきっかけに行われたイベントであるため、来年行われるかどうかはわからないが、もし開催されるならば〝欲張らずに楽しみたい〟そんな気持ちにかられた瓦屋禅寺のひと時であった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 八日市インターより車で20分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時間が時間だったので少なかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は舗装されてはいない、階段がある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 上手い具合に紅葉とライトアップ・イルミネーションが噛み合わさっている。
クチコミ投稿日:2023/12/16
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