たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(16ページ)全1,854件
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- 基本情報
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投稿日 2020年11月20日
総合評価:5.0
第二神明道路明石サービスエリア内のスナックコーナーである明石食堂。24時間開いており、小腹が空いたときには軽食を頂くことが出来るようになっている。
なにか飲み物をと探していた際にドリンクバーを見つけ、単品購入ができることを確認して利用した。飲み物の種類も多く、休憩がてら利用するにはもってこいの場所のように感じた。
値段はそれなりではあるが、利用価値は高くお勧めの場所である。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 第二神明道路明石サービスエリア内。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 高いという感じは受けなかった。
- サービス:
- 5.0
- 付かず離れず良い感じだった。
- 雰囲気:
- 5.0
- 空いていたのでリラックスできた。
- 料理・味:
- 5.0
- 美味しく頂ける飲み物だった。
- バリアフリー:
- 5.0
- リニューアル後は段差がなくなっていた。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 観光客向けだが普通に利用してもOKだろう。
-
投稿日 2020年11月19日
総合評価:5.0
赤穂線伊部駅前にある都市公園である。備前伊部郵便局隣の真新しい公園は、観光客・地元住民の立ち寄り地となるべくバリアフリー化されたトイレが設けられており、快適に利用できるようになっていた。
備前焼のことを伊部焼とも言うくらい焼物の街の中心となっており、窯元を見て歩くにはうってつけの休憩場所となっている。
令和元(2019)年に公開された映画〝ハルカの陶〟はこの界隈にてロケを行っており、小山はるか役の奈緒と榊陶人役の笹野高史が初めて出会ったばしょとなっている。
市をあげてバックアップをした映画〝ハルカの陶〟。その背景がわかるQRコードも置かれている場所は、訪れて損はない場所だと感じた。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 赤穂線伊部駅前、備前伊部郵便局隣。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には利用者には会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- バリアフリートイレ完備。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 伊部観光の拠点となる要素は随所に見られる。
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投稿日 2020年11月19日
総合評価:5.0
山陽本線熊山駅。赤磐市唯一の駅ではあるが令和元(2019)年5月31日を以ってみどりの窓口が閉鎖され無人駅となった。
単式2面2線のホームは跨線橋で結ばれており階段を歩く必要がある。この跨線橋は明治45(1912)に瀬戸駅に作られたものを昭和35(1960)年に熊山駅に移築したものであり、〝全国に遍く人と物を運び産業近代化に貢献した鉄道施設の歩みを物語る近代産業遺産群〟としてJR山陽本線では金光駅の跨線橋と共に平成21(2009)年に近代化産業遺産として認定されている。
跨線橋に残る〝鉄道院〟の文字がその歴史を物語ってはいるが、電車の本数を含め昼間は長閑な田舎の駅である。利用客の少ない駅近にとの理由で開学した岡山白陵中学・高等学校の生徒の利用が乗降客をほぼ占めていることから、通学の思い出として熊山駅を利用したことも覚えていて貰いたいと私は感じた。- 旅行時期
- 2020年10月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 無人駅だがトイレをはじめ施設は清掃が行き届いていた。
- バリアフリー:
- 3.0
- 跨線橋のみとなっている。
-
投稿日 2020年11月01日
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投稿日 2020年10月16日
総合評価:5.0
関西でもローカル線を走る姿しか見なくなった113系。青虫カラーとなりローカル色が一層強くなった車両に突如黒っぽいラッピングが施された4両編成が昨今界隈で見られるようになった。〝SHINOBI-TRAIN〟は草津線利用促進プロジェクトチームの発案で忍者ゆかりの地をPRするために企画された。
忍者のように運行ダイヤが決まっていないとも言われるが定かではない。しかし編成運用の関係で草津線のみならず湖西線を走ることもあるのはちょっとびっくりした。
同じラッピングで信楽高原鉄道を走っていると言うのはSKR300型のことを言うのだろうが、一両編成と四両編成ではインパクトも違う。
たまたま草津から乗車した際に乗る機会があった。つり革を始め随所に〝忍者〟らしさを醸し出しているデザインには苦笑したが、その意気込みは伝わって来た。本来ならば間もなく運行終了の予定だったが、好評なのか2年間の運行延長が決定した。
バカバカしいと思われる方もいるだろうが、騙されたと思って乗って貰いたい。なんだか気持ちがホッとすること間違いないはずだ。- 旅行時期
- 2020年10月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 特別料金はかからない。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 特に変わりはないであろう。
- バリアフリー:
- 5.0
- 対策済みである。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 出発が草津線ホームになることがある。
- 車窓:
- 5.0
- 見慣れた景色もまた違うように見える。
-
投稿日 2017年12月10日
総合評価:5.0
紅葉のライトアップがコンセプトのようですが、大沢池のイルミネーションとの絶妙なバランスが幻想的な景色を創り出しており、綺麗であることは勿論のこと、現実を忘れさせてくれました。嵯峨野という場所がら宿泊するにも移動のことを考えなければなりませんが、訪れる価値は間違いなくあるところでした。
- 旅行時期
- 2017年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 嵯峨嵐山駅から徒歩15分。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 平日は比較的少ないようです。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 大がかりなものです。
- 雰囲気:
- 5.0
- 幻想的でした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 舗装はされていませんでした。
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投稿日 2017年11月08日
総合評価:5.0
那覇から宮古へと向かう際に利用しました。以前はスカイマークが飛んでいましたが撤退した後初めての利用は、その日最終便の日本トランスオーシャン航空の便になりました。
機内預けの荷物なしで関西から那覇まではジェットスターを利用しましたが、27番ゲートに到着し、28番ゲートからの出発だったので大変便利でした。小一時間のフライトこんな時でもなければ使えないClassJを利用し、快適な空の旅でした。
LCC利用が続いていたので、飲み物サービスが目新しかったです♪- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 搭乗クラス
- エコノミー
- 航空券の価格
- 20,000円未満
- 直行便
- 直行便
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 5,400円でしたがこれ位が普通なのでしょう。
- 接客対応:
- 5.0
- 良い感じです。
- 機内食・ドリンク:
- 5.0
- コーヒーがこんなにおいしいものだと初めて知りました(笑)。
- 座席・機内設備:
- 5.0
- 久しぶりのClassJはなかなかでした♪
- 日本語対応:
- 5.0
- 問題ありません。
-
投稿日 2017年10月14日
総合評価:3.0
大浦天主堂の隣にあるグラバー園。江戸末期から明治・大正・昭和にかけて建立された建物が集まっている〝野外博物館〟です。元々敷地内にあったものは世界遺産の構成資産である旧グラバー住宅と旧リンガー住宅、そして旧オルト住宅の3つで、他のものはすべて移築されたものになります。
幕末にイギリスから来日したトーマス・ブレーク・グラバー。彼が長崎開港直後に建立した旧グラバー住宅とウィリアム・ジョン・オルトが幕末に建立した旧オルト住宅に始まり、その後グラバー商会に招かれたフレデリック・リンガーがグラバーより借地権を譲渡されて建立された旧リンガー住宅が続きました。第二次世界大戦が始まると、眼下に軍艦を建造していたドックを望むことができるという理由によって、造船業者により買収されることになりました。そして戦後を迎え幾多の変遷の後昭和30~40年代に長崎市の所有となり、数回の修復を経て現在に至っています。
その他旧ウォーカー住宅・旧三菱第2ドックハウス・旧長崎高商表門衛所・旧長崎地方裁判所長官舎・旧スチイル記念学校・旧自由亭等敷地外にあった明治期の洋館を長崎市が取得し、修復の後一般公開しています。移設物の中のひとつであるフリーメイソン・ロッジの門は、戦後長崎市が観光目的で移設したものであり、旧グラバー住宅とは全く関係のないものだそうです。
長崎市の観光名所の中での群を抜いて有名処であるグラバー園は、元々建物があった場所に同時期の洋館を集めて観光の目玉とした『テーマパーク』でもあります。事実坂の多い長崎の街に於いて、訪れる者に少しでも楽に散策できるように設置された『動く歩道』が2基設置されています。また旧住宅の買収の理由ともなった『景観』だけあって、特に長崎港見下ろすような風景は素晴らしいものでした。しかしテーマパーク化されている感はかなり強いものがあり、違和感すら覚えるところもありました。
610円という入場料を高いと取るか安いと取るかは人それぞれかも知れません。たまたま雨が降っている日に訪れたという理由もありますが、まあ1回行けばそれで良いかなと思える場所でした。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 大浦天主堂から歩いて5分程です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 有名処であり観光客は多いです。
- バリアフリー:
- 5.0
- 動く歩道が2基あります。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 一回行けばいいかなと思います。
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投稿日 2017年10月07日
総合評価:5.0
永井隆博士、島根県に生まれ長崎医大(現長崎大医学部)を卒業した医師であり随筆家でもあります。大学時代に浦上にあるカトリックの森山家に下宿したことでカトリックの教えに帰依を深めるようになります。医大卒業時に早大として当時を読む予定が、急性中耳炎になったことで聴力が低下してしまい、当初希望していた内科医を諦めて、聴診器を使わないという理由で放射線科医になりました。
その後短期軍医として満州事変に従事し、除隊後に医大研究室助手に復帰し、まもなく洗礼を受けることになりました。同年8月には森山緑と結婚し、洗礼後まもなく妻の仲介によりカトリックの信徒組織である聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会に入会し、無料診断・無料奉仕活動などを行いました。この頃に培った奉仕の精神が晩年の行動へと結びついて行ったとされています。その後再び日中戦争に軍医中尉として従軍し、日本軍のみならず中国人への医療も行っておられたそうです。
除隊して帰国した後の第二次世界大戦中は結核のX線検診に従事していましたが、フィルム不足により透視による診断を行っていたため、被曝による白血病と診断され余命3年と宣告されることになります。そして昭和20(1945)年8月9日午前11時2分、勤務先の長崎医大で被爆し、右側頭動脈切断という重傷を負うも、布を頭に巻き付けて救護活動に当たられました。しかし白血病は博士の体を蝕んでおり、悪化しつつも奇跡的に復活したりという状態を繰り返していたそうです。しかし翌年1月には長崎駅前で倒れ、その後は病床に伏すことになります。
昭和23(1948)年3月に博士が療養を行うための庵として『如己堂(にょこどう)』が浦上の住民やカトリック関係者の手によって完成します。同年10月には来日中のヘレン・ケラーのアポなしでの見舞いを受けています。その後長崎大教授を辞した永井博士は長崎市名誉市民の称号を与えられています。
昭和26(1951)年4月には右肩内出血により執筆が不可能になります。そして5月1日、医学生に白血病の最後を見せるために長崎大病院に入院し、一旦は症状が安定したため自宅に戻るも、夜に再び意識不明となり病院へと運ばれます。そして一度意識を取り戻した際に十字架を受け取り、『祈って下さい』と叫んで亡くなられたそうです。享年43歳でした。
『己の如く人を愛せよ』と永井博士自らが名付けた『如己堂』、今なお内部が見学できるものではありますが、お世辞にも奇麗だとは言えません。粗末で本当に小さなスペースしか持たない建物ですが、それを愛した永井博士の『想い』は、到底私たち凡人が想像すらできないレベルのことだと思います。
確かに死の直接な原因が原爆による被爆とするには無理があるようにも考えらえます。しかし自らの危険を顧みずに医師として治療行為を行い、同時に核兵器の廃絶を『子供』に掛けて論じ、加えてカトリックの奉仕精神を説いた永井博士の偉業を一言で言おうとしても言葉が見つかりません。永井博士の大切なものとして説いた『子供』に纏わるものとして、永井隆記念館内の子供図書館、そして山里小学校構内にある『あの子らの碑』等があります。博士のことを少しでもよく知りたいのであれば、やはりこれらガイドブックに載らない場所も訪れる必要を感じました。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 大橋電停より徒歩5分位。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 永井隆記念館は入館料100円です。
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 修学旅行とかち合いました。
- 展示内容:
- 5.0
- 永井博士の心に触れられた気がします。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープが切ってあります。
-
投稿日 2016年04月25日
総合評価:5.0
糸満市北東部の宇江城集落に位置しており、1日に数便しかないバスを利用し、最寄りの宇江城バス停から歩いてすぐの場所でもあります。
第32軍司令官の自決により、沖縄戦に於ける日本軍組織的抵抗が終了した昭和20(1945)6月23日(22日説あり)以降も付近の真栄平や宇江城の壕に籠りながらゲリラ戦を戦っていた隷下の部隊が駐屯していました。
そしてこの〝暗い井戸〟の意味であるクラガーには雨宮巽中将以下師団の幕僚たちがいたそうですが、6月30日には本部壕が米軍の馬乗り攻撃の対象となったことにより退路を断たれた師団長をはじめとした幕僚が青酸カリや手榴弾で自決をして亡くなられました。またこちらでは玉砕したとされる歩兵第89連隊や22連隊の〝連隊旗〟が奉焼された場所だという記録も残っています。
慰霊塔下部にあるクラガーでは戦後統治していた米軍兵士によって、雨宮師団長並びに配下の幕僚の戦死を確認するために入壕した後、しばらくの間放置されていました。昭和27(1952)年にやっと配下の元兵士の方々の手によって発掘され、やっと遺骨が遺族の元へと帰って行ったそうです。
黎明之塔と同じく元軍人の方々によって建立されたものゆえ、由来文にも重なる要素を多々見つけることができますが、やはり軍隊慰霊碑の特徴として戦争への功績を讃える文面が特徴になっています。
『大東亜戦争の局運急を告ぐるや昭和19年 8月、遙か北満より雨宮巽中将の統ぶる山兵団長駆沖縄の布陣に参加す。翌20年 4月 1日上陸せる米軍を迎撃、血戦 3か月に及んで刀折れ弾尽き 6月30日兵団長以下幕僚等此の地宇江城跡に於て自刃悠久の大儀に生く。茲に南方同胞援護会の助成を得て碑を建て永くその偉烈を伝う。 昭和37年10月沖縄県遺族連合会』
なぜこの碑が〝山雨の塔〟と呼ばれることになったのか?これは私もあまり気にはしていませんでした。しかしこの塔の名称には確固たる由来が存在しています。実はこの現〝山雨の塔〟の前に師団兵士の生き残りの方々の手によって建立された〝雨宮中将戦没の跡〟の木柱がかつて存在しました。その後昭和37(1962)年10月に沖縄遺族連合会沖縄協会の委託を受けて現在の塔に改修されたものが今に至っている訳ですが、山雨の塔(やまあめのとう)とはふたつの言葉から成り立っているものであり、まず第24師団は通称〝山部隊〟、そして師団長は〝雨〟宮巽司令官。その頭文字を取って命名されたものが〝山雨の塔〟となります。
山雨の塔の真下にはクラガーが現存し、鉄扉があるものの鍵はかかっておらず自己責任の元で見学できるようになっています。ただ周辺の壕やガマと比較して天候の影響を受けやすいため、雨が上がった後などは足元が大変滑りやすくなっているため、細心の注意が必要です。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 宇江城バス停から徒歩すぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 誰にも会うことはありませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 山雨の塔・クラガーとも段差があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 70年前にここで何があったのか考えさせられます。
-
毎年6月23日の慰霊の碑には独自の追悼式典が行われます~沖縄師範健児之塔~
投稿日 2016年01月03日
総合評価:5.0
沖縄戦の始まりとともに沖縄師範学校男子部の生徒たちは〝鉄血勤皇隊〟を組織し、沖縄守備第三十二軍司令部配下の各部隊に配属され、〝郷里の人間〟という立場で住民に勝利を信じさせるべく〝情報工作〟や通信等の〝後方任務〟についていました。その後戦局の悪化に伴い第三十二軍司令部と行動をともにして南部糸満の地に撤退。その後司令部の崩壊と前後して解散命令が出されるものの、執拗な米軍の攻撃包囲網を突破できずに多くの犠牲者を出しました。動員された生徒451名のうち290名が犠牲となったとされています(諸説あり)。
鉄血勤皇隊とは沖縄戦に於いて動員された日本軍史上初の学徒隊であり、徴兵年齢に達していない少年を対象としたため、法的な根拠はなく形式上は親権者同意を伴う〝志願兵〟の扱いであったとはされているものの、学校が意図的に書類を作成するといった事実上強制的な例もあったとされています。
最初は〝情報工作〟的な内容であったものの、戦況の悪化に伴って〝斬り込み〟や火薬を詰めた箱を携えての〝人間地雷〟の役割を担うことになり、伝令も3人に同じ伝文を持たせ、その内一人が辿り着けば良いという過酷なものになって行ったことは言うまでもありません。
平和の像の裏側に残る〝ガマ〟には、鉄血勤皇隊が追い詰められ、加えて軍からの解散命令を受けたことによって、それぞれの若者が考えた〝自分自身〟の身の振り方、即ちあるものは〝斬込隊〟として出撃、あるものは〝手榴弾で自決〟、あるものは米軍の火炎放射を浴びて〝焼死〟という〝追い込まれた状況下での判断〟のもと、多くの犠牲者を出す結果に至りました。
その終焉の地一帯に残る数々の慰霊の碑、正面左に建つ〝沖縄師範健児之塔〟は昭和25(1950)年に建立されたものです。そしてその右隣りには〝平和の像〟。向かって右側の少年が〝友情〟、中央が〝師弟愛〟、そして左隣が〝永遠の平和〟を象徴していることは有名な話なのかも知れません。しかしもうひとつの〝健児之塔〟があることはご存知でしょうか?〝平和の像〟の右手前にあるただの〝石〟のようにも見えるもの、それが他ならぬ初代〝健児之塔〟です。正式には〝健兒之塔〟と書きますが、魂魄之塔を建立された金城和信先生がほぼ同時期に建てられたものになります。しかしこの話に触れられている方が大変少ない現実は、やはり〝史実〟が伝わっていないのではないかと危惧する次第です。
《追記》この沖縄師健児之塔に祀られている沖縄師範学校男子部生徒によって構成された〝鉄血勤王隊〟。その数少ない〝生き残り〟の一人であった元沖縄県知事の大田昌秀氏が、本日平成29(2017)年6月12日に亡くなられました。昭和元(1925)年6月12日生まれの92歳、本日が誕生日だったそうです。ご冥福をお祈り申し上げます。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-513319.html- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園から車で5分位で着きます。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 慰霊の日はかなり混雑します。
- バリアフリー:
- 4.0
- 石畳が敷かれている場所もありますが、砂地です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 何度来ても心が痛みます。
-
投稿日 2015年11月14日
総合評価:5.0
八重山諸島の離島の秘境〝西表島〟、一応西表島にあるものの陸路で行くことができない船浮の集落は、文字通り離島の秘境、そのまた秘境の地になります。ツアー手配を除くと北浜港より夏期5便・冬季4便の船浮海運の高速艇が唯一の交通機関になります。この交通機関がネックになり北浜港で涙をのんだ方も多いのではないでしょうか?私自身も昨年4月に経験しており、行けなかった理由〝少しの寝坊〟・・・。北浜集落に宿泊したにもかかわらず〝まさか?〟の展開は、石垣へと戻る予定から逆算すると〝どうしようもなかった〟という〝現実論〟がありました。その後縁あって八重山諸島全島で〝定期航路〟がある全ての島々に宿泊しましたが、そこで心残りは行けなかった〝船浮〟でした。その理由もあり今回は〝船浮宿泊〟を軸に行程を組み、準備万端で臨みました。
町おこしは盛んに行われているものの、数十人の人口しかいない船浮の集落。至ってコンパクトな街並みでした。しかし知る人ぞ知る船浮は、旧日本軍の船浮要塞の遺構や、見る人すべてが言葉を失う〝イダの浜〟があります。近くて遠い船浮集落ではありますが、行って絶対に後悔のしない場所だと思えるのもあまりないかと思います。ただ集落を少し離れると地道になるため、足腰に自信がない方は足もとにお気をつけ下さい。足を滑らせて膝を負傷し、まだ治らないおバカ1名の実体験です(泣)。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 1日4~5便の高速艇が就航しています。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 行ったときは空いていましたが、混むときは混みます。
- バリアフリー:
- 3.0
- 整備されていないと思って間違いありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- ホント言葉を失います。
-
投稿日 2015年11月11日
総合評価:5.0
西表上原港から車で5分程のところにある星砂の浜は、初西表で最初に訪れる場所と言っても過言ではありません。10月半ばの夕方でも結構な観光客が訪れており、中にはシュノーケルを楽しむ方もおられました。駐車場からビーチに下りる通路は、西表にしては珍しく舗装されたものになっています。内海なので海流の影響を受けないこともあり、一年中海に浸かることができるようです。
ネーミングの通り〝星砂〟を見つけることができ、家族連れやカップルが掌を砂浜に押し付け、有孔虫の骨格が砂浜に打ち上げられた結果の〝星砂探し〟を楽しんでいます。浜からはすぐ近くに鳩間島を見ることができ、1年半前に行ったっきり訪れる機会のない〝鳩間灯台〟の記憶を思い出させます。最近星砂も取れないと言われることが多いようですが、現実的なことを抜きにして、大地の恵み探しに楽しいヒトトキを過ごすものいいかと思います。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 上原港から車で5分程度。
- アクティビティ:
- 5.0
- 海水浴やシュノーケリングも楽しめます。
- 景観:
- 5.0
- 浜から見る鳩間灯台はいつみてもいい!
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 時期や時間に左右されます。
- 水の透明度:
- 5.0
- 波が高くなければ澄んでいます。
-
投稿日 2015年11月11日
総合評価:3.0
全国展開されているレンタカー会社として使われることも多いJネットレンタカー新石垣空港店ではないかと思いますが、今回は空車がたまたま見つかったということで利用しました。5ヶ月前に喜界島で利用しており、新車を利用することができたため今回も淡い期待を持っていたのも確かでした。値段的なものもあるのと、大凡フランチャイズでの営業もあるのでしょうか、お借りしたNISSAN NOTEはひとつ前の形のものでした。古い車は特に気にならないものの、走行に差支えのない〝ハンドルの遊び〟が少し…引っ掛かりました。多分旅行中1回のレンタカー利用であれば、比較するものがなく〝こんなものか…〟で終わったようにも思うものの、今回は数時間前まで乗っていたオリックスレンタカーの軽自動車との比較になってしまったことがそう思えてしまったのかも知れません。ただワイド補償を付加すると、余程のことがない限り〝車体の傷〟に関しては気にしなくてもいいとのことなので、気楽と言えば気楽なところはあります。
空港から5分程南下する場所にあるため北部から行くと、一旦空港入口とレンタカー営業所を通り過ぎて給油し返車する必要があります。格安レンタカーのように送迎時間が決まっている訳ではないので、シーズン以外はそれ程気にする必要はないかと思うものの、送迎車で5分程は空港までかかります。車の当たり外れはどんな会社でもあるので、まあ仕方がないところもあったようにも思います。- 旅行時期
- 2015年10月
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- それなりの値段です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 時期と時間によります。
- バリアフリー:
- 5.0
- 営業所は問題なかったと思います。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 空港送迎のみ、所要5分程。
- 車窓:
- 5.0
- 送迎車内の景色が一番きれいかも。
-
投稿日 2017年11月23日
総合評価:5.0
紅葉の時期に行われる石山寺のライトアップ、本年平成29(2017)年は11月18~12月3日となっています。『あたら夜もみじ』のサブタイトルがついており、17:30~21:00までとなっています。昼との通しでいることはできず、夜間拝観料として大人600円別途かかります。
昼間の景色は数えきれないほど見ていますが、意外にライトアップは初めてです。ライトアップされた東大門の阿吽像に始まり、参道両脇に浮かび出ている紅葉や銀杏は確かに幻想的に見えました。そして『プロのカメラマン』でも撮れないとガイドが豪語する池に浮かぶ『逆さもみじ』の撮影にチャレンジしますが普通にiPhoneのカメラでも撮れてしまったことにはちょっとがっかりします。
石山寺の命名の由来にもなっている『硅灰石』と国宝の多宝塔、それに赤や黄色と緑の葉っぱの色が織り成す景色はこの時期ならではのものでしょう。そして蓮如堂では『石山寺縁起絵巻』が映し出され、本堂は変わらないものの光と紅葉、そして歴史ある建造物が一帯となって訪れる観光客を迎えてくれました。
ただ興醒めすることもいくつかあります。閉門時間厳守を図るために、硅灰石付近で15分前に閉門のアナウンスが流れます。またにわかカメラマンのマナーは最悪…。人通りのない参道を撮りたいのはわかりますが、どれだけその『ワンショット』を撮るために待っているのか位は気付かないのでしょうか?そんな自己満足の写真を撮って誰かに自慢したいのかも知れませんが、人の前に平気で割り込んだり、参道の真ん中に陣取り何枚も撮影しているバカ共を見ていると本当に情けなく思います。写真は後からいくらでも補正できるので、わざと不要なストロボをフル発光して露出を狂わせてやったのは言うまでもなく私でした(笑)。
ちなみに石山寺全体が会場となっている訳ではなく、月見亭など昼間ならば景色を楽しめる場所は立ち入り禁止となっています。- 旅行時期
- 2017年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 京阪バス石山寺山門前バス停下車すぐ。
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 人は多いです…。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 石山寺全部という訳ではありません。
- 雰囲気:
- 3.0
- マナーの悪い奴も多くいます。
- バリアフリー:
- 2.0
- 足が悪いと厳しいです。
-
投稿日 2015年10月23日
総合評価:5.0
大原の集落内にあり、港からも徒歩5分程度で到着できる場所に立地しています。オーナーさんは忘勿石之碑保存会会長をしておられ、奥さんはその波照間島から強制疎開を余儀なくされ、戦争マラリアを体験されたご存命の数少ない〝生き証人〟のおひとりです。アウトバス・トイレのお部屋は古さは感じられるものの至って清潔に保たれており、快適なひとときを過ごせました。
食事提供はされておられないと書かれているものもあるようですが、日によっては可能な日もあり電話でお問い合わせ下さいとのことです。
かなり数は減らされたとのことでしたが、ご主人のコレクションには素人目に見ても感心するものもあり、一見の価値は十分にあるように思います。
島宿のオーナー独特の気難しさもないとは言い切れませんが、私にとってはある意味いい塩梅の刺激だったと思えました。
奥さんは話に絡まれることは少ないようです。しかしご主人は本当に話し好き、ネタは切れないのですが、22時をもって終了とされておられます。宿泊客の期待に答えようとされている姿は本当にありがたいのですが、お2人とも80を超えられておられ、結構病気もされておられるようなので程々にして切り上げるよう配慮をしましょう。
ちなみに予約や問い合わせをする際は、17:00をまたがないようにして下さい。このエリアでは17:00に時報のサイレンが鳴るため、電話の会話が全く聞き取れないと仰っていました(笑)。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 仲間港から徒歩5分くらい。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 安いと思います。
- 客室:
- 5.0
- ベットのお部屋でしたが綺麗にされておりエアコン無料もありがたい。
- 接客対応:
- 5.0
- 気難しいところもありますが、ホッとするところもあります。
- 風呂:
- 4.0
- シャワーだけですが水圧が少し弱いようです。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- ボリューム満点です♪
- バリアフリー:
- 3.0
- 部屋が2階になっており階段しかありません。
-
投稿日 2017年10月12日
総合評価:5.0
グラバー園の最も高い場所に位置する旧三菱第二ドックハウスは、船舶が修理のためドックに入っている間、乗員たちが宿泊する施設です。明治29(1896)年に三菱重工長崎造船第2ドックの建造に伴って建築されたこの洋館は、明治初期建築の典型的な様式をもっています。
船員の休憩や宿泊施設として利用されていたのものを昭和47(1972)年に同造船所より保存のため長崎市が寄贈を受け、現在地に移築し復元したものです。
明治29(1896)年に竣工し、昭和47(1972)年にその幕を下ろした第二船渠。その歴史の中であの旧海軍の大和型戦艦の2番艦武蔵が建造されています。国家の最高機密とされた武蔵の建造に船渠を見下ろすように建立されていたグラバー住宅は、三菱重工業長崎造船所に買収されました。
その歴史を目の当たりにしていた旧三菱第2ドックハウスは移築されて元々あった場所を静かに見下ろしています。言葉を発する訳もありませんが、きっと軍艦を作り続けていた70余年前に逆戻りしないように願っているのではないでしょうか。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- グラバー園内にあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 数多くの観光客が訪れていました。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 明治期の洋風建築を今に伝えています。
-
投稿日 2015年02月10日
総合評価:5.0
法事の後のお食事に利用しました。ディナーだとさすがに値段は張りますが、ランチだとお手軽感はあります。今回は〝焼肉膳〟(税別3,000円)を食しましたが、予算は2,000円から楽しめます。石山に来られた時は、バス代を浮かせて行かれてもいいかもしれません♪
- 旅行時期
- 2015年02月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 4,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- 京阪電鉄石山坂本線唐橋前降りてすぐです。
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- ランチだとお手軽です。
- サービス:
- 5.0
- さすがに行き届いています。
- 雰囲気:
- 4.0
- 広間でも空いていれば良いですが、食事代金の10%追加で個室も選べます。
- 料理・味:
- 5.0
- 看板に偽りなしです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段はありますが、サポートが必要な方はスタッフが手伝ってくれるようです。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 団体でも来られるところです。
-
「護る(まもる)」「祈る」「記す・伝える」で戦争を伝えます。
投稿日 2015年01月28日
総合評価:5.0
戦争を伝える場所を巡り始めて、我が県にも平和祈念館があることを知り訪ねました。2012年3月17日のオープンでまだ日が経っておらず知名度はまだ低いかとは思います。ただビジュアル的に"苦手意識"を持ってしまうような展示はなく、そういう意味では手軽に訪れてみんなで見入って、みんなで平和を考えるのにうってつけの施設のように思います。休みが多いので行かれる際は確認された方がいいと思います。
- 旅行時期
- 2015年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 車を使えば問題ないですが、交通の便はあまり良くはありません。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 空いていたのでゆっくり見学ができました。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープ・エレベーターともあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 他施設とはまた違ったコンセプトで戦争を伝えています。
-
投稿日 2015年01月14日
総合評価:5.0
今回の沖縄旅行の第一目的地として訪れました。先の大戦末期、海軍沖縄方面根拠地隊司令部が置かれていました。司令官は大田實少将、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と時の海軍次官多田武雄中将に打電した場所として有名です。戦争という破壊と憎しみしか生まないご時世に、沖縄を戦場として巻き込んでしまったことを悔い、犠牲となった県民方々や今後の沖縄への格別のご厚情を願い、6人の幕僚とともに自決されました。
幕僚室には当時の幕僚が自決に使った手榴弾の破片の痕が当時そのまま残っています。沖縄平和祈念館とはまた違った趣旨で戦争の悲惨さを後世に伝えている場所なので、南部戦跡を回られる際に、ひとつその目的地として加えて頂きたいと思います。
スマホの割引クーポンです。もしご利用になられる方がいらっしゃいましたら参照して下さい。
http://spot.rikkadokka.com/detail/coupon.jsp?id=838- 旅行時期
- 2014年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇から車ですぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期にもよるとは思いますが、訪れたときは空いていました。
- バリアフリー:
- 5.0
- 事前予約が必要ですが、バリアフリー化されており、車椅子でも見学できるようになっています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 平和のありがたみを伝えてくれる場所です。
































































































