たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(14ページ)全1,843件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2020年12月16日
総合評価:4.0
新しくなった平和堂。その1階フードコートに出店した。以前〝カルカリ博士〟という粉もんやがあったが、たこ焼きにもかかわらず〝タコ〟が入っていると〝当たり〟と揶揄される店であった。
確かに比較するには値しない店ではあれど、利用者の意見にはかなりバラつきがある。出汁の聞き具合はしっかりしており、味は確かだと思う。しかしたこ焼きの宿命である焼き上がりからの時間の関係で、最後の出来上がりを食べた者からはあまり良い異見を聞いていない。
猫舌の私からすれば〝生暖かい〟のが一番なのであるが、食べ始めるまで10分程かかるとやはりそのように感じてしまう。コロナ禍のご時世故人の集まるフードコートでは食べたくはないが、それ位の時間しか猶予がないのも事実である。
こちらの店だけでなく平和堂石山の全ての店に対して思うことだが、要領が悪くせっかくの物が台無しになっているように思えてならない。
開店のお祭り期間を過ぎ、店舗の底力がお客を引き込む時期に突入している。しばらく間を空けて利用した時に〝変わった〟という印象をぜひ与えて貰いたいと感じた。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- 平和堂石山1階フードコート内。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- それなりの値段であろう。
- サービス:
- 5.0
- 接客態度は良い。
- 雰囲気:
- 4.0
- どうしても不慣れから来る慌ただしさは見受けられる。
- 料理・味:
- 4.0
- 悪くはないが今後に期待したい。
- バリアフリー:
- 5.0
- バリアフリー新法の適用を受けている。
- 観光客向け度:
- 4.0
- 手軽さはあるので一度は食べてみるのも良いだろう。
-
投稿日 2017年11月25日
総合評価:4.0
瀬田川流域西側に広く路線網を持っている京阪バス。JR石山駅から石山寺に向かう際に乗ることも多いかと思います。
毎月17日の縁日には岩間寺への直行バスが運行するなど元気があるようにも思うのですが、意外にもいくつかの路線は利用率が下がりっぱなしで、曜日と時間帯によっては減便や中小型バスへの置き換えがなされています。
仕事柄曜日問わず21:00台のバスを利用する私にとって、休日の中型バスでの運行に加えて一便減便されたことによって、座れないこともしくは帰宅時間が大幅に遅れることなどが生じています。
生活路線としては勿論、観光路線でもある路線に於いてはやはり〝利便性〟を欠くようなものではますます利用客が減るようにも思えて仕方ありません。- 旅行時期
- 2017年11月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 普通だと思います。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 曜日や時間帯に左右されます。
- バリアフリー:
- 5.0
- ノンステップ車両がほとんどです。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 駅前とバス停は徒歩数分圏内です。
- 車窓:
- 5.0
- 瀬田川の流れを見ながら走ります。
-
投稿日 2021年02月23日
総合評価:5.0
ピエリ守山を北西に進んですぐのところにある都市公園。第1なぎさ公園は園内にある畑を利用して、冬は菜の花、夏はひまわりが咲き誇る場所として知られている。4,000平方メートルの広大な敷地内に菜の花・ヒマワリが12,000本も咲く景色は圧巻で、時期になると多くの観光客で賑わっている。
菜の花の時期には琵琶湖対岸の比良山系が冠雪を抱く様を背景にした写真を撮ろうとする老若男女の姿が目立つ場所でもある。
特に写真技術はいらないものの、隣にあるマンションが写りこむためカメラアングルを考えなければいけない。今年はコロナ禍の影響もあったのか平日夕方の来場者は多くはなく、撮影には事欠かなかったが、日暮れの弱くなった太陽光の影響を受け〝色バランス〟が良くなかったのが残念であった。
また琵琶湖岸の一角には〝ハマヒルガオ〟を咲かせようとするプロジェクトがあるようで、夏の時期に咲く黄色とピンクの花々の姿に思いを馳せることができる場所であった。- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 守山駅からバス30分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日の夕方だったので多くはなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 畑を利用しているため。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 比良山系の冠雪と菜の花のコラボは圧巻だった。
-
投稿日 2021年02月10日
総合評価:5.0
天正10(1582)年6月14日、前日山崎の合戦で敗れた後に小栗栖で落ち武者狩りにあった明智光秀の死を知り、安土城から坂本城へと撤退する光秀の娘婿である明智左馬之助秀満であったが、現在の打出浜付近で秀吉側の猛将堀秀政の大軍と相対し、進路を遮られてしまう。そこで左馬之介は何と琵琶湖に馬に跨ったまま乗り入れ一路湖西へと向かう。
血迷って「自ら飛び込んだ」と笑っていた秀政であったが、目の前を沈みそうになりながら進んで行く左馬之助に対し、弓を射た兵を手打ちにしたと言われている。
何とか琵琶湖を渡り切った場所である柳ヶ崎で、馬を松の木に繋いで一息ついたのち坂本城へと向かうが、既に秀政の従兄弟である堀直政の軍勢が坂本城を取り囲んでおり、城内には何とか入れたものの既に大勢は決していた。光秀の所蔵した名品がなくなることを恐れ、直政に目録を添えて送った後、天守に籠り防戦した後秀満は、光秀の妻子・自らの妻も刺殺した後十字に腹を切り、煙硝に火を放って自害したと言われている。湖城であった坂本城は、火薬庫の爆発とともに木っ端微塵に吹き飛びその姿を消すこととなった。
現在の滋賀文化館脇にある〝明智左馬之助秀満湖水渡之碑〟からびわ湖大津館駐車場のある柳ヶ崎までは確かに目でも確認できるほどの距離なれど、湖を馬で渡れたかどうかは疑問に思えるところではある。ただ〝乗り入れた場所〟と〝湖水から上がった場所〟に碑が残されていることから、史実にあったことかも知れないと思える不思議さがある。
柳ヶ崎の駐車場は有料ではあるが、光秀の足跡を辿るならば是非とも訪れて頂きたい史跡のひとつである。- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 柳ヶ崎駐車場内にある。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れている者はいなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 足元は舗装されている。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 小さな松の木であるが故に史実を感じるものであった。
-
投稿日 2021年02月16日
総合評価:5.0
柳が崎にあるびわこ大津館。昭和9(1934)年に旧琵琶湖ホテルとして竣工した近代的な建物は〝湖国の迎賓館〟として利用され、昭和天皇やヘレン・ケラー等署名人も宿泊したことで知られている。
平成10(1998)年に琵琶湖ホテルは浜大津へ移転した後、大津市が敷地と建物を買い取って修復し、平成14(2002)年にびわこ大津館として開園。琵琶湖を望むレストランやカフェ、多目的に使えるホールを兼ね備えた文化施設としてオープンし現在に至っている。
ホテルでなくなった後平成12(2000)年には大津市の有形文化財、平成19(2007)年には近代化産業遺産に認定されている。
施設入館は無料となっている。柳が崎という岬に建てられている立地条件から2・3階フロアからは琵琶湖が一望できるようになっており、日本一大きな湖〝琵琶湖〟と湖都大津の様子が良くわかる。また柳が崎湖畔公園も眼下に見ることができ、特に冬のイルミネーションの時期には唯一の〝イルミネーション全景の見える場所〟として観光客も多く訪れる場所となっている。
歴史を感じさせる建物は一見するとイングリッシュガーデンとは相反するようにも思えるが、館から見下ろすガーデンとガーデンから見上げる館共々全く違和感を与えないものとなっている。そのことからも近代洋風建築が如何に優れたものであるかを思い知らされる建物であった。- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 柳が崎湖畔公園内に位置している。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夕方以降は多くはない。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーターとスロープは完備している。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 歴史ある近代洋風建築だとわかる。
-
投稿日 2021年02月16日
総合評価:5.0
大津市柳が崎。湖国の迎賓館と称された旧琵琶湖ホテルを改築したびわこ大津館を中核として平成14(2002)年に開園した都市公園である。施設を担うひとつとして5,900平方メートルの英国式回遊庭園があり、20,000株の花と草木が植栽されたグラベルガーデン・ボーダーガーデン・ランドスケープガーデン・ノットガーデンの4エリアで構成されている。それぞれ土地の形状を上手く利用して作られており、睡蓮池と太鼓橋、琵琶湖を望む公園先端の高台にはガゼボ(西洋式東屋)が配置されている。
その他ガーデンウェディングもできるようになっており、睡蓮池の前にはチャペルも設けられている。毎年冬にイルミネーションイベントが開かれており、近年では県内の成安造形大学の学生による〝テーマ〟によるサブタイトルがつけられたものが開催されている。
都市公園ではあるがイルミネーションイベントを行うには全体を照らす照明は少なく、それ故にイルミネーションが際立って見えるように感じるが、その反面着色LEDの発色のためにイベント開催時にはイングリッシュガーデンの特徴がわかり辛くなる感もあった。
勿論花が主役になる時期を選んでイルミネーションイベントが行われており、それによりイングリッシュガーデンの特徴がわからなくとも不満はない。むしろ花の時期にはどんな印象を与えてくれるのか楽しみが増え、ぜひ再訪したい場所だと改めて思った私であった。- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 大津駅からバス15分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 少なくはなかったが密にならない程度であった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 順路は砂利敷きである。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 造りはわかったので、花が与えてくれる時期を見たいと感じた。
-
投稿日 2021年02月16日
総合評価:5.0
琵琶湖に突き出るようにある柳が崎。旧琵琶湖ホテルの建物を含めた一帯に柳ヶ崎湖畔公園が広がっている。大津の冬の風物詩となった〝びわこ大津館イルミネーション2020〟が公園内のイングリッシュガーデンを会場にして行われている。今年のサブタイトルは〝光あふれるおとぎの世界〟と名付けられたものとなっており、県下の成安造形大学の学生達が学生の目線から見た〝おとぎの国〟をイルミネーションで表現している。
敷地面積5,900平方メートルは思った以上に大きいものであるが、若者パワーで表現された〝不思議の国のアリス〟や〝人魚姫〟、〝お菓子の家〟等が密になり過ぎずかつ空きがないように敷地一面に電照が点灯するように工夫されていた。
イルミネーション全景は隣接するびわこ大津館のテラスから望むことができ、会場では個々の作品の〝凝り様〟が堪能できるものになっている。
今年はコロナ禍の影響で期間内無休を謳っていたイベントが営業日や時間の短縮を余儀なくされる中で、イルミネーションの出来もイマイチと評されるものが多い中で満足度のかなり高いものとなっているイルミネーションイベントのひとつであったように思えた。
入場料はイングリッシュガーデンのものと同じ330円であること踏まえるとコスパは非常に高いものとなっていた。
本年の年末までコロナ禍が続いて貰いたくはないが、たとえ逆境に置かれていても満足のいくものを見せてくれたこの場所には、是非とも再訪したいと思った私であった。- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 柳が崎湖畔公園内で開催されている。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 少なくはないが密にならない程度に皆楽しんでいたように思う。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 完成度・満足度ともに高いものだと感じた。
- バリアフリー:
- 4.0
- 会場は砂利敷きで一部段差がある。
-
投稿日 2021年02月18日
総合評価:5.0
守山市にある第1なぎさ公園。その初春の風物詩となっている菜の花畑がある。カンザキハナナという早咲き種が約4,000平方メートルの敷地に12,000本が植えられており、例年1月から2月上旬にかけて満開を迎える。
今年2月中旬に訪れた際は、ピークは既に終わっており一部葉が枯れていた部分もあったが、それでも春の到来を思わせる要素は十分残っていた。
また背景の比良山系の頂には冠雪があり、冬から春の季節の移り変わりを目の当たりにできる場所だと感じた。- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 琵琶湖大橋から車ですぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 少なくはなかったが密になる程でもなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 畑なので足元は土だった。
- 見ごたえ:
- 5.0
- シルバーさん達の手入れに頭が下がる。
-
投稿日 2021年01月26日
八日市商工会議所青年部 East Rainbow 湖東三山・多賀・東近江
総合評価:5.0
今年16回目となる〝East Rainbow☆〟は、東近江市が出来た際に始まったイルミネーションイベントである。
主催は八日市商工会議所青年部で、近江鉄道八日市駅から東近江市役所までの駅前グリーンロード・八日市高等学校前・八日市コミュニティセンター前・東近江市役所前が会場になっており、個々のメイン会場を繋ぐ道路の街路樹にイルミネーションチューブが巻かれていた。
企業の行う大規模なものとは違い手作り感満載の電照ではあるが、その総数20万個のLEDは街をあげてのイベントであることを物語っているように見える。
滋賀県内でも雪の降るエリアである東近江市八日市なので、雪が積もっている景色がパンフレットに記載されてはいるものの、他のエリアから移動するにはやはり障害になるのは少し残念である。数日前に降った雪が残っており、その際にはどんな景色だったのが見てみたい気持ちに駆られたが、個々の会場で自分達のテーマを決めて作られているイルミネーションは、歩いているだけでも面白く思うものになっていると私には感じられた。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 近江鉄道八日市駅下車すぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- イルミネーション散策の目的は少ないようだった。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 市街地中心部を網羅している。
- バリアフリー:
- 5.0
- 通路は舗装された歩道を利用していた。
-
投稿日 2021年01月25日
SHOPPING PLAZA apia 湖東三山・多賀・東近江
総合評価:5.0
八日市駅から歩いて数分のところにあるショッピングモールapia。滋賀と言えば平和堂の通り中核店はアルプラザとなっている都市型のショッピングモールである。
都市型店舗のため駐車場は平面ではなく、4~6階と屋上に約850台のスペースがある。付近には競合店舗らしいものがなく、商圏を握っているようには思えるが、アルプラザがあるものの営業時間は9:30~20:00までとなっている。テナントを含めた店舗数は多く、飲食店を含め、天候に左右されず家族連れで楽しめるものとなっていることはありがたいと思う。
やはり営業時間が短いことは気にはなるが、公共交通機関が近江鉄道だけなので車を利用する方が多いらしく、夜遅くまでオープンしている意味がないらしい。その点は少し寂しい気もするが、働き過ぎの日本人を敢えて短くしている人にやさしいお店のように思えた私であった。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 近江鉄道八日市駅から歩いてすぐ。
- お買い得度:
- 5.0
- スーパーマーケットなので。
- サービス:
- 5.0
- 悪くはない。
- 品揃え:
- 5.0
- スーパーマーケットなので。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープやエレベーターは完備している。
-
気持ちが落ち着く味は変わっていなかった。
投稿日 2021年02月07日
総合評価:5.0
職場の応援で守山に行った。外食は控えていたが人が少なかったこともあり、スガキヤに立ち寄ることにした。
メニューは少し変わっていたが〝ラーメン+デザートセット〟610円を注文する。デザートのトッピングが選べるようになっており、なんとなくベリーをチョイスした。デザートは変わったが定番のラーメンと五目ご飯は昔と変わらない懐かしい味であった。
我が街石山にはスガキヤはない。かと言って車で食べに行くところでもない。久しぶりに守山まで往復したのは確かに疲れたが、懐かしい味が少し元気をくれたように感じた私であった。- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- モリーブの1階にある。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- まぁそれなりの値段であろう。
- サービス:
- 5.0
- 悪くはない。
- 雰囲気:
- 5.0
- 空いていればゆっくりできる。
- 料理・味:
- 5.0
- なんとなく懐かしい味がする。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーター・自動ドア・スロープ完備である。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 出店エリア外の方には良いかもしれない。
-
投稿日 2021年02月03日
総合評価:5.0
地下鉄二条城前駅から東大手門へと歩いて行く際に白くライトアップされているものになる。元離宮二条城の歴史に於いて家康・秀忠・家光の三代に渡り〝拝賀の礼〟が執り行われた後は利用されることも減り、二条城は荒廃したと言われている。
寛永3(1750)年の落雷、天明8(1788)年大火、万延元(1860)年の京都地震によりほとんどの建物が倒壊し、修理できるものはそれなりに直したようだが多くの建物はそのまま放置されていた。
2世紀の時が過ぎ幕末を迎え、旧幕府軍・新政府軍の拠点として使われるようになり、再び歴史の表舞台へと出てくることとなる。現在残る多くの建物はその時代以降の再建であるが、東南・西南隅櫓は、慶長期の徳川家康の手によって建立されたものが残っており、重要文化財指定を受け、平成6(1994)年にはユネスコ世界遺産に登録された二条城の構成要素として重要な役割を担っている。
今年の京都二条城イルミナージュでは東南隅櫓はライトアップされており、普段外から見られる〝白亜の櫓〟とはまた違ったインパクトを与えてくれるものとなっていた。なかなか見ることができないカラーリングの東南隅櫓は、イベントとは別にまた興味深いものに見えた私であった。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 二条城前駅から東大手門の間にある。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 京都二条城イルミナージュでは入れなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段はある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 色がついている白亜の櫓はまた興味深く思う。
-
投稿日 2021年02月03日
総合評価:3.0
今年度初開催となった京都二条城イルミナージュ。日本の四季 Four Seasons ~春夏秋冬~というタイトルで元離宮二条城を会場として行われている。
数々の歴史の舞台となった二条城。そこへIKENOBOYSの作品や大杉信二監修の舞妓はんのイルミネーションが並び、加えて医療従事者への感謝の意を示す〝Make It Blue〟の趣旨を組み込んだものとなっている。
規模は地域で行っているものとは比較にならない大きさであり、期待をして訪れたが会場に関することをオンタイムに知らせるものがなく、行き当たりばったりの感が高い。訪れた日には2月7日までの期間は17:30~20:00迄の時短営業となっていた。またコロナ化の中イートインコーナーはクローズしており、あくまでイルミネーションの〝観覧〟のみとなっている。
肝心のイルミネーションも作りが凝ったものや、Make It Blueの趣旨に基くカラーリングなどの優秀なものも当然多いが、カラーリングがブルーに偏り過ぎてしまっており、作成意図がわからないものも数多く見受けられた。おまけに二条城の〝半分〟を会場として利用しているのであるが、出入口は一つであるため最後まで観覧後に同じ道を帰ってく仕組みとなっている。この〝最後の場所〟というのが電照がなくなることにより〝ここで終わり〟としているお粗末なものであった。
既に京都会場は開催期間中の時短が決まっている。訪れた日は雨が降っていたことも影響しているとは思うが、19:00頃の観覧者は数人しかいなかったのが事実である。ちょっと出歩きたいという方にはともかく、勢いのなさを見に行く価値は今年に至ってはないと思う。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 二条城前駅からすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 数人が訪れている様子であった。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 規模は大きいのはわかるが中途半端。
- 雰囲気:
- 3.0
- 歴史の舞台にいるという感じは受けなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 基本通路は砂利敷きである。
-
投稿日 2021年01月18日
総合評価:5.0
ねねの道と下河原通を結ぶ石塀小路。The京都という雰囲気の漂う場所の歴史は意外に新しく、明治から大正にかけて作られたものである。そこに1970年代に廃止された京都市電の敷石が敷かれ、現在の様式になったようだ。
京都で増えている撮影禁止場所。石塀小路も例に漏れず5年程前に全面禁止となっている。勿論これには理由があり、インバウンドや商業写真の撮影時に大きな撮影機材を持ち込んだ上に三脚を立てて、通行の妨げをした挙句住宅敷地内にまで当たり前のように入り込んで、大声を出すなどして住民の方々とのトラブルが絶えなかったために取られた対策である。
これらに対し法的な根拠がないとか、私有地と公道の境も不明瞭ならば意味がないと宣うものが散見するが、ことの起こりがマナーやモラルの問題から派生していることを理解しているのかと不思議に思う。然るべき理由なくして他人の家(敷地内)に入ることはでは法に触れていないのだろうか?
結局住民の方々も目に余ることに対して注意をしたまでのことであり、注意されたことに対し、他人もやっているだろうと逆ギレされたらたまったものではない。どうどう巡りのやり取りに対し、自衛策として出されたものが撮影禁止の表示である。
石塀小路の写真撮影をウリにしている業者もあるようだが、撮影許可とはどこに許可を得ているかを書いているところは皆無である。つまりそんな許可を出せる場所など存在しないのであるから。
行政や警察、観光協会の範疇か?これは全ての機関が否定している。では小路沿いの店舗の集まる石塀会か?しかしこれも違うようである。理由として撮影禁止の表示を掲げているお店が全てではないということである。つまり会に属する個々の店舗や住宅が個別に出しているのが事実である。
身近な例を挙げるならば〝立小便禁止〟と同じである。また罰金10,000円がどうのこうのということを問うてる意見もあったが、まず賠償金請求の際に金額提示が明記されていることが話を進めやすいことも理由である。裁判所の支払命令に対しては、然るべき損害を被ったとこの証明が必要な上に、訴訟をして特になる金額かと言えばそうではない。
実際地元の方に聞いたところ一人旅で何枚か写真撮りたいんですが?と聞いたところ〝ダメです〟とは言われなかった。一級の観光地に住む者として、観光客が不愉快な思いをして帰ることなど思ってもいないのが事実である。
住民の方々が強行策に出たくて出た訳ではない。ただ今まで通りの生活ができればそれで良いのである。その気持ちを理解し、ここに生活している方も居られるんだという気持ちを持って、古き良き京都の街並みを散策して貰いたいと改めて感じた私であった。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 圓徳院の裏。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夜だったので観光客とは会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 敷石は歩き易かった。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 歴史以上のものを感じた。
-
投稿日 2021年01月14日
総合評価:5.0
草津駅近辺の冬の風物詩となっている草津まちイルミ。7回目にして初めて訪れた。草津駅の東口・西口を中心にして、近隣の商業施設を含んだ場所に於いてイルミネーションが飾られている。
隣の守山駅前の〝冬ホタル〟が駅前だけの狭いエリアに密集していることを考えると、対象エリアが広いだけに大規模なイベントのように思える。コロナで明るいニュースがない中での盛り上げとして、西口ロータリーは規模の拡張、東口の〝光のトンネル〟はさらに長くなり、地域の子供達の手によって作られた〝ペットボトルツリー〟もか飾られてイベントを盛り上げている。
もりやま冬ホタルが企業協賛を主にして催されているのに対し、草津まちイルミは運営こそ草津まちづくり株式会社が行っているものの、市民の協力が随所に入っていることが見受けられる。比較してどちらが良いとか優れているという問題ではないが、隣接駅前で行われているイルミネーションは、遠出ができなくなっている今日に於いて駅利用者の目を楽しませていることは間違いない。
もしこの時期に界隈に来る機会があれば、守山共々見て損することはないイベントであると私は思う。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- JR草津駅前が会場である。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によりけりだが、ラッシュ時を外したので空いていた。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 駅の東西が会場なので結構広いと思われる。
- バリアフリー:
- 5.0
- 橋上駅舎の乗降にはエレベーターが完備している。
-
投稿日 2021年01月06日
総合評価:5.0
天正10(1582)年6月2日本能寺にて主君織田信長を討った明智光秀は、信長の居城安土城に入り城内の金品を奪った後に自らの居城である坂本城に入り、信長亡き後の後継者としての立場を確立しようと親族や信長の家臣達に対し、自分の配下になるように書状を認めます。しかしその一通が毛利輝元への書状であり、折しも信長の命を受けた羽柴秀吉が毛利方の備中高松城主清水宗治と戦っている最中であったが、光秀からの書状を持った使者が秀吉方に捕まってしまい、信長の死を知ることとなる。清水方は毛利の援軍も来ないこともあり士気は下がっていた。しかし水攻めをした秀吉方も勝つ〝決め手〟を欠いており、双方が膠着状態にあったとされている。そこに舞い込んだ〝信長の死〟の報を清水・毛利方に知られず講和条件を出し、2日間で講和を結びその翌日には兵を畿内へと引き返している。秀吉方の撤退を唖然と見ていた毛利方ではあったが、秀吉撤退の翌日に紀伊の雑賀衆からの情報で本能寺の変を知り地団太を踏むもすでに遅し、秀吉の叔父にあたる杉原家次が上代として残っているだけであった。
俗に言う〝中国大返し〟で機内へと向かう秀吉は、道中旧織田家臣達に対し味方に付くよう書状を出している。秀吉が帰って来ることを光秀が知ったのは、6月9日以降のことであろうとされている。光秀は天下人の如く京で善政を布くよう振舞っていたとされている。信長を倒した勢いと、畿内の武将の多くは〝日和見〟的な傍観者となっており、声を掛ければ味方になるという驕りがあったように感じる。しかし娘婿の細川忠興は、光秀の娘で制裁のガラシャを幽閉し、光秀方につかないことを表明する。それ以外にも高山右近・木村重茲・中川清秀・池田恒興、四国攻めに向かう途中だった丹羽長秀・神戸信孝が加わり総勢3~4万と言われる秀吉軍に対し、光秀軍は直属の家臣の他近江衆と丹波衆そして京都近郊を本拠地とする旧室町幕府衆の13,000の兵より構成されていた。
天正10(1582)年6月13日16:00頃に始まったとされる山崎の戦であったが、大勢はその日中に決し、光秀は勝竜寺城へと後退する。秀吉本隊が長距離移動後と言うこともあり、深追いはさせず、勝竜寺城包囲網を現地合流の武将に任せ自身は淀城に入っている。そんな中軍勢を立て直すため、勝竜寺城を出て挙上坂本を目指した光秀ではあったが、翌14日早朝山科小栗栖(おぐりす・おぐるす)の竹林内を数名の近臣と共に歩いていたところを、落ち武者狩りと言われる土民の〝錆びた槍〟によって深手を負い、最期を悟った光秀はそこで自害したとされている。現在〝明智の藪〟という名称が残る場所が自害した場所と伝わっている。
光秀は介錯の折自身の首を知恩院に納めよと言ったとされている。介錯をした家臣溝尾茂朝は、付近の草むらに一旦首を隠し後に遺言に従おうと考えていたようだ。しかし坂本城に立て籠もった明智秀満と共に城と共に運命を共にしている。その後里人によって見つけられた布に包まれた光秀の首は、神戸信孝の下を経て三井寺滞陣中の秀吉によって首実検をされている。光秀に味方した斎藤利三・阿閉貞大は六条河原で磔に処せられ、光秀の首と共に晒された後粟田口でも見せしめにされたと言われている。その場所こそが現在の光秀の塚内の〝五輪の石塔〟の下だと伝承されている。
胴塚同様伝承地が多いのも確かではあるが、場所的なことや日数のことを考えると最もそれらしく思えるのは不思議である。逆賊だったのか否かは個人の判断に任せるが、没後440年を迎える首塚が近隣住民の方々の手入れを受けて奇麗にされていることは嬉しく思う。光秀を身近に感じる気配が漂っているように感じた光秀の塚であった。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 京都市営地下鉄東山駅から歩いて5分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 師走の日没後では誰とも会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 飛び石配置ではあるが歩きやすくなっている。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 伝承地のひとつであるが本当らしい雰囲気の漂う場所であった。
-
投稿日 2021年01月06日
総合評価:5.0
円山公園内にある中岡慎太郎と坂本龍馬の像。現在は戦後に再建された2代目が置かれている。土佐藩出身の二人は尊皇攘夷を実現するために奔走し、大政奉還後自身は近江屋事件で横死するもその後の王政復古へと近代日本の舵取りを行った人物として知られている。
有名人でもありファンも多いようだが、どうもこの二人には良い印象を持っていない。グラバーをはじめとした〝武器商人〟から大量の武器を購入しており、その資金と言えば当たり屋の如く紀州藩の明光丸にぶつけたいろは丸の根拠のない多額の賠償金であったことからも余計にそう思えてしまう。
確かに幕府は倒れ明治維新を迎えることとなった。しかし鳥羽伏見の戦いに端を発する戊辰戦争ではその武器が使われた〝内戦〟となり、多くの血が流れている。ここまでやったから武家政治が終結したと考えることもあるだろうが、結局は新政府下での各藩の利権争いに繋がっているようにしか思えない。
なにか他の手段があったかどうかはわからないが、〝錦の御旗〟で官軍・賊軍が決まれば、賊軍側の戦意喪失により〝無血勝利〟が多々あったことを踏まえると、利権のために官軍を構成した諸藩が〝弱い者いじめ〟の如く賊軍に仕立て上げられた藩兵を蹴散らしてあたかも勝利したと言っていたに過ぎないのではなかろうか。結果オーライではあるのかも知れないが、近代最大の内戦を惹き起こした中心的人物であることも忘れてはいけないと考える。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 円山公園内にある。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 師走の夜では誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は砂利敷きであった。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 巨大像にしたいのはわかる気もする。
-
投稿日 2020年12月22日
総合評価:5.0
圓徳院隣に位置する高台寺掌美術館。膨大な高台寺所蔵品の中からテーマを決め、特別展が行われている。
訪問時は〝戦国時代の女性〟がテーマとなっていた。豊臣秀吉正室ねね(高台院)の遺品の他、同時代を生きた女性達が実際に使用した品々から、戦国の世を生き抜いた女性達の〝逞しさ〟を今に伝えているものであった。
確かにねねのように多くの遺品が残ることは、同時期を生きた女性には考えられないことであることは容易に想像できる。しかし少ない往時の品々から一括りに〝戦国時代の女性〟というタイトルでは、飛躍し過ぎているように感じた。
高台院として最晩年を過ごしたと言われる圓徳院。ならばねね・北政所・高台院という三つの呼び名を持つ〝ひとりの女性〟を全面的に取り上げて解説する。その卓越したスーパーウーマンぶりを見るだけで感じ取れるようにした方が記憶に残るものとなるように思う。
インパクトの弱さを感じた施設のように私は感じた。- 旅行時期
- 2020年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 圓徳院隣にある。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 個々の捉え方であろう。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪問時は私一人であった。
- 展示内容:
- 4.0
- 内容は素晴らしいが、テーマが拡張し過ぎている。
- バリアフリー:
- 5.0
- バリアフリー化されていた。
-
投稿日 2020年12月16日
総合評価:5.0
学問の神様として知られる菅原道真。生誕に纏わる話は多々あり、そのひとつである父菅原是善卿が出雲国庁在任中に、菅原氏の祖先と言われる野見宿禰の墓を訪ねてこの菅原の里を訪れた。その際に案内をした女子を気に入った是善卿は、国庁に招き方向をさせることにした。
是善卿が人気を終え京に帰る際乙女は懐妊しており、その後菅原の里に戻り男子を出産している。この御子が即ち道真公であり、伝承によると。生誕は承和12(845)年6月25日とされている。
道真公6歳の頃、母はこの草深き地に置いておく者ではないと考え、京の是善卿の邸を訪ね、父子の対面をさせている。
その後宇多天皇の下で出世意を続けた道真公であったが、藤原時平の讒言により起こったとされる〝昌泰の変〟により、右大臣だった道真公は大宰員外帥と左遷される。太宰府への移動はすべて自費によって支弁させられた上に、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられた道真公は大宰府浄妙院で謹慎していたが、心労や慣れない生活から体調を崩し、左遷から2年後の延喜3(903)年2月25日に大宰府で薨去、安楽寺に葬られた。享年59とされている。
その後道真公の〝怨霊〟とされる天変地異が起こり、朝廷は道真公の復権を宣言するが、それでも〝祟り〟は収まらず清涼殿落雷事件を目にした醍醐天皇が、その後体調を崩し崩御したことを踏まえ、天暦元(947)年に北野社において神として祀られるようになる。その後一条天皇の時代には道真の神格化が更に進み、正暦4(993)年6月28日には贈正一位左大臣、同年閏10月20日には太政大臣が贈られている。
この道真公神格化の過程に於いて、天歴5(951)年4月にここ菅原の地に御宮が建立され〝菅原天満大自在天神〟と仰ぎ奉ったことがこの菅原天満宮の創建とされている。その後700余年を経て松江初代藩主となった松平直政公の深い信仰を受け、寛文3(1663)年6月23日に東北の名木〝羅漢松(くさまき)〟を用いて本殿を造り、現在に至っている。御扉には狩野永雲筆による五彩の雲に金泥の双龍が描かれているが、現在直接見ることはできない。
創建後松平家累代の藩主が御造営・御祭祀に務めていたが、明治5(1872)年頃よりこの菅原地区の氏神様としてお祀りするようになり、氏子以外にも県内外の多くの崇敬者の尊崇を得て今日に至っている。
菅原天満宮という呼称は日本全国にあり、どの場所も道真公所縁の場所として書かれている。この松江菅原天満宮もそのひとつではあるが、合格祈願の願掛けは西日本一帯から訪れていることが絵馬からも伺える。神秘的な印象の強かった菅原天満宮に、若者たちに紛れて私自身も〝試験合格〟の〝祈願絵馬〟を奉納し、気持ちを引き締めてきた場所でもあった。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 松江から車で30分程の場所
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期が時期だったので…。
- バリアフリー:
- 3.0
- 石段はある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 神話の世界と被っているように感じる。
-
投稿日 2020年11月28日
総合評価:5.0
日生湾や周辺の瀬戸内海に浮かぶ14の島々から構成されている日生諸島。そのうち4つの有人島以外は無人となっている。
以前は天然の好漁港と風待地としてして栄えていたが、最も大きな鹿久居島周辺では漁業争論も起きていた。また大多府島では海上交通の要所として岡山藩の船番所が置かれていた。
昭和30年代頃から牡蠣の養殖が盛んになり、お好み焼きに於ける肉の代わりに、牡蠣を用いた〝カキオコ〟が作られるようになり、21世紀になって〝ご当地B級グルメ〟として紹介されたことにより全国に知られるようになったと言われている。
元々日生諸島の島々は離島であり、船舶での移動が必須であったが、平成16(2004)年に頭島と鹿久居島とを結ぶ頭島大橋が、平成27(2015)年には本土と鹿久居島を結ぶ備前日生大橋が架橋された結果、観光・宿泊施設が出来ることとなり観光地化が進んでいる。
離島間架橋で便利にはなったが、その反面デメリットも出てきている。鹿久居島の鹿が頭島迄の橋を渡ってやって来て、みかん農園のみかんを食い荒らす被害が出ている。
生活の利便性を追求する反面で露見したデメリットの話を聞き、以前のままが良かったのかもとふと感じた私であった。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 日生駅からすぐ。
- 景観:
- 5.0
- なかなかの景色だった。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には誰もいなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 橋には段差はない。























































































