たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(15ページ)全1,843件
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- 観光スポット
- 基本情報
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投稿日 2020年11月28日
総合評価:5.0
小豆島からの帰りに次の目的地を目指し、大部港から乗船した。所要時間1時間10分の船旅だが利用時の乗客は僅かで、車に至っては私達を含め5台であった。
運航されているフェリーひなせの船内には〝一等〟〝二等〟と言った座席の区分がなされていたが、料金区分にはなってはいなかった。
日没時の乗船だったため、デッキから眺める夕陽は本当に綺麗なものであり、また日没時 後の日生港入港時には港の灯りが幻想的に光っており、それもまた趣があった。
瀬戸内海の景色の堪能するには明るい時間が良いと思われるが、海に沈む夕陽を楽しむのもまた良いものである。そういう点では日帰り利用が良いのかも知れないとふと感じた私であった。- 旅行時期
- 2020年10月
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- GoToキャンペーンのある神戸から坂手港航路と比較すれば割高である。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- ガラガラと言っても過言ではない。
- バリアフリー:
- 5.0
- 最低限のものはあった。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 大部港では出港9分前の到着で乗船できた。
- 車窓:
- 5.0
- 瀬戸内海に沈む夕陽は素晴らしいの一言であった。
-
投稿日 2020年11月09日
総合評価:5.0
いつもと同じく宿泊代金で選んだが、眺望だけオーシャンビューを選択した。203号室10畳禁煙和室は洗面台が窓側に設けられている旧式の配列になったお部屋。標高があるため昼間だとエンジェルロードや海も窓から見える。
食事は別室のレストランで部屋別のテーブルで頂くことになる。プランによる食事の違いはすぐに分かるため、見栄を張るには不適かもしれない。
大浴場は内湯と露天風呂がある正真正銘の温泉。コロナの影響で朝風呂は味わえなかったが、夜の眺望が利かなくても十分楽しめるものとなっている。
客室は草臥れた感はあれど清掃は行き届いており不快感はない。
トイレは昔ながらのタンクに水を上げて水圧で落とすタイプ。この当時のもの故配管が剥き出しではあるが、知っている者からすれば〝懐かしさ〟を感じるもののように思えた。また後付けではあるがウォシュレットは完備している。部屋に風呂はないと記載されていたが、実際にはお湯の出るユニットバスが付いていた。
喫煙は外に灰皿が置いてあり、館内は禁煙となっていた。
今回利用したプランの場合2名2食付きだと一人1万円を超えるようだが、それでも悪くはないレベルではあったと思う。それがGoToの割引と地域振興クーポンを加味すると半額以下で泊まることが出来る。通常時はその時次第だが、宿泊した時期だとコスパが高過ぎると言っても過言ではない。照明など要所要所に手が加えられているなかなか味のある旅館チックなホテルだと感じた。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 土庄港から車で5分程。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- GoTo適用だとかなり高いものがある。
- 客室:
- 5.0
- 古さは否めないが気にしなければ十分広くて快適だった。
- 接客対応:
- 5.0
- 悪くはない。
- 風呂:
- 5.0
- 内風呂・露天ともなかなか味のあるものであった。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 量が少ないと思ったが十分であった。また質は良い。
- バリアフリー:
- 5.0
- 後付けではあるがスロープも完備していた。
-
投稿日 2020年11月09日
総合評価:5.0
恒例の〝郵便局巡りの旅〟で小豆島や豊島・犬島・直島を巡るために利用した。神戸三宮FT発1:00の深夜便高松経由小豆島坂手港までは6時間30分、しっかりと睡眠が取れるように配分された所要時間と言われている。
フェリー慣れしてなければエンジンの鈍い響きが睡眠の妨げになることは承知していたが、個室だったこともありそれなりに寝られたように感じた。また複雑な等級がないこともこの区間就航している船舶の特徴でもあり、今回乗船した〝こんぴら2〟の場合3階の和室、2階の洋室は女性専用ルームがある以外追加料金内で乗船することができる。唯一特別料金がかかるものは夜行便の個室だけであり、それも昼行便では利用そのものが出来なくなっている。
売店は神戸を出港した後4:00迄の営業となっており、小腹が空いたときには名物の〝うどん〟も食すことが出来る。
また一昔前の〝公衆電話〟が備え付けられているが、NTTのものではなくNTTdocomoの〝ワイドスターⅡ〟という衛星電話である。陸上から離れたところを航行する船舶ならではの装備であった。
敢えてこのご時世だから〝個室〟を利用すると言われることが多いのであるが、実は深夜便の航路を利用する際、GoToの適用が受けられることがある。小豆島航路の場合〝個室利用〟だけがその恩恵を被れる料金となっている。軽自動車+同乗大人の深夜便利用だと10,290円に対し、個室利用の場合は9,290円となる。おまけに2,000円分の地域利用振興券が手に入る。実質7,290円ならば利用する価値は言うまでもないことである。
この時期だから選んだ〝特別室〟は、結果として交通費を安くあげることに繋がった。久しぶりの船旅は、思いのほか安く上がる上に早朝から行動ができる〝強味〟も兼ね備えた移動手段になっていた。- 旅行時期
- 2020年10月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 明細必読!
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日であるのと時期的に多くはなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- りつりん2はエレベーターと多目的トイレが完備しているらしい。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 京橋ランプで下りればすぐ。
- 車窓:
- 5.0
- 夜景と日の出が素晴らしい。
-
投稿日 2020年11月05日
総合評価:5.0
連れが持って来た通販チラシの商品を買うために訪れた。カーナビの住所は本社のものであり商品の購入はできなかった。しかしスマホで探してもどこへ行けばいいのかわからない。そんな時に社屋に戻ってきたスタッフさんに教えて貰って訪れることができた。
国道436号線沿いの大きな店は行きに見た場所でもあった。駐車場からは瀬戸内の海が見え景色も良い。1階がショップである〝井上誠耕園THE STYLE SHOP mother’s〟となっており、地元で作られた食品をはじめオリーブを用いた化粧水など〝地場産業〟にかかわる品々が数多く揃っている。
GoToトラベルの地域振興券の香川県エリアのものが利用することができ、フェリーと宿泊で貰った5,000円分を無駄遣いせず、余すことなく利用できたことだけでも訪れる価値は大きい。
〝小豆島へ行って来ました〟的なお土産は道の駅の方が品揃えは多いようにも思うが、小洒落たお土産を揃えるならばこちらをお勧めする。
口コミに古い情報が多く存在しているために訪れる場所に迷うことがあるが、まずこちらを訪れてから情報を基にして向かう方が効率的であることは間違いない。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 7,500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 池田港から車で5分程。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 安くはないが手頃な値段で商品が購入できる。
- サービス:
- 5.0
- 推し過ぎない勧め方は好感が持てた。
- 雰囲気:
- 5.0
- 新しくきれいな店である。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーターとスロープが完備されている。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 100%観光客向けのショップである。
-
投稿日 2020年11月03日
総合評価:5.0
土庄郵便局の隣を流れる川、実はギネス認定の〝世界で最も狭い海峡〟である〝土渕海峡〟である。前島と小豆島本島との間を流れる海峡は目で見ただけではわからず、地図を見て初めて〝海峡〟であることがわかるレベルのものだ。
多数の島々がある瀬戸内に於いて、十把一絡げに小豆島と言っているものが実は〝海峡〟を挟む島の繋がりがあることは興味深いことだった。当たり前が当たり前でないことを知った土渕海峡訪問であった。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 土庄港から歩いて10分程。
- 景観:
- 5.0
- 海峡とは思えない景色とのギャップが興味深い。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 土淵海峡を訪れていそうな方とは会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 歩道は舗装してある。
-
投稿日 2020年11月10日
総合評価:5.0
犬島港隣にある「INUJIMA」と書かれた黒い建物。それが犬島アートプロジェクトチケットセンターカフェになる。犬島精錬所美術館をはじめとする〝犬島アート巡り〟の拠点でもあり、入館券購入の他音声ガイドをレンタルすることが出来る。
豊島・直島と犬島を結ぶ四国汽船は、往復でチケットを購入できないため、乗船時には必ずこちらでチケットを購入する必要がある。また犬島アートグッズも各種取り扱っており、犬島アートを満喫した後帰りがけに立ち寄って見るのも楽しい。
また不定休や営業状態がわかり辛い島内の数少ない飲食店の中では、オープンしている確率の高いチケットセンターカフェも併設されている。一部の口コミには月・火曜日は定休日と記されているが、どうやら犬島航路が〝止まっている〟日は休業と言うのが正しいようだ。事実私が訪れた時は月曜日であったため、行くことが出来ない…と思っていたらしっかり営業中であった。勢いで〝たこ飯〟プラス〝犬島ぜんざい(冷)〟のデザートセットを注文。連れは〝大島果実のジャムパン〟プラスアイスコーヒーをオーダー。お腹が空いていたことも勿論あるが、絶妙なバランスの料理は食が進む。二人とも程なく完食した。お昼時だったこともあるが〝たこむすび〟をテイクアウトするのが人気だったようだ。
値段は少し高いようにも思うが、アートの島で地元料理を頂くのも悪くはないと感じた。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- 犬島港から歩いてすぐ。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- まぁ観光地のお食事ですから若干は仕方がないだろう。
- サービス:
- 5.0
- 観光地らしい〝雑さ〟はない。
- 雰囲気:
- 5.0
- 落ち着いた感じで空いていれば落ち着いて食事ができる場所である。
- 料理・味:
- 5.0
- 地の物を美味しく頂いた。
- バリアフリー:
- 5.0
- 段差はなかった。
- 観光客向け度:
- 5.0
- ネタ作りにはうってつけ。
-
投稿日 2020年11月13日
総合評価:5.0
海の駅なおしまから道路を挟んで向かいに鎮座する住吉神社。海の守り神として住吉三神を祀っている。
また日本書紀によると第15代応神天皇が、故郷や家族を思い里帰りした妃の〝兄媛(えひめ)〟を想い、難波の津から船出して瀬戸内を巡幸し故郷とされる〝吉備国〟へ行幸した。
道中淡路島・小豆島を経由し、船の〝風待ち〟のために直島の宮浦に上陸し滞在したとされている。この際に天皇が船から岸に上がり浜辺の岩上に鎮座した。それが住吉神社内に残る〝応神天皇腰掛岩〟と言われるものとして現在に至っている。
応神天皇はその後目的地である〝吉備葦守宮〟に無事到着しているが、そこで兄媛のあにである御友別らのもてなしを受けたことをたいそう喜び、直島等瀬戸内の島を含む吉備国を分け与えたとされている。直島は現在では香川県に属するが、吉備国(岡山県)に属していたことも史実として残されている。
古墳時代に始まる直島の歴史、新しいアートと共存する史実は直島の魅力を盛り上げているように見えたのは私だけであろうか。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 直島宮浦港からすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れる者とは出会わなかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 敷石はされている。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 村の鎮守の神様としても慕われていることがわかるものである。
-
投稿日 2020年11月13日
総合評価:5.0
日生湾に面した場所にある活魚旅館つり幸。それ程大きな宿ではないが、少人数から団体まで対応出来る間取りとなっている。基本部屋はオーシャンビューであり、窓からは日生港や備前日生大橋を望むことが出来る。
大浴場は4階にあり、オーシャンビューを謳っているが残念ながら夜だとガラスに水滴がついて眺望はきかなかったのが残念だった。また貸切風呂は予約制であったが、建物角に設けられていたので眺望は素晴らしいと思う。
食事は1階大広間での提供となっている。畳敷きではあるが椅子にテーブルという様式なので足が悪くても気にならない。食事内容は本格的な海鮮料理であり、煮魚が苦手な私はちょっと…という気持ちもあったものの、味付けと食べ易いように加工されており完食することが出来た。他の料理も色々な旬の魚を多過ぎずアレンジされており、魚が苦手でも美味しく頂けた。
朝食は定番メニューではあるものの新鮮なものがおかずになっており、ご飯が進むと言った感じであった。
部屋は禁煙・喫煙と分かれており、禁煙希望の方は早めの予約をお勧めする。今回は喫煙ルームではあったがタバコ臭いレベルではなかった。
オーナーさんが日生の温かさを証明するため〝バナナ〟を敷地内に植えており、それを夕食時に頂いた。OYO傘下になってはいるが、家族経営の民宿ライクの雰囲気があって良い感じで一晩過ごすことができた。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 日生港から車で5分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- GoTo適用すると破格の値段であった。
- 客室:
- 5.0
- 喫煙ルームだったが不快感は全くなかった。
- 接客対応:
- 5.0
- 柔らかく柔軟な対応だった。
- 風呂:
- 5.0
- 眺望はきかなかったがゆっくりとお湯には浸かることができた。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 食べやすい魚がありがたかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープ・エレベーター完備。食事は椅子にテーブル。
-
土庄港の愛称は〝オリーブポートとのしょう〟となったが使い勝手が悪い。
投稿日 2020年11月19日
総合評価:3.0
小豆島随一の海の玄関口である土庄港。別名〝円形ターミナル〟と呼ばれていた土庄港フェリーターミナルだが、愛称が付けられて〝オリーブポートとのしょう〟となった。
多くの船会社のフェリーや高速艇が離発着する港ではあるが、チケット購入するのに向かうターミナルがややこしく、小豆島豊島フェリー以外は新岡山港行きを含め高松航路ターミナルで発券する。しかし新岡山港行きも人だけならば土庄港ターミナルでも現金扱いのみ発券ができる。
オフの時期に行けば間違った売り場に行ったならば行き直せば良いが、繁忙期だとそうもいかないように思えてならない。窓口を統一して効率良くする狙いはあれど、慣れない観光客には不親切な施設だと思う。
時間の余裕を持って港に行くなどの自衛策を講じる必要を利用して改めて感じたターミナルであった。- 旅行時期
- 2020年10月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 観光には許せる額であろう。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日の朝一便は空いていた。
- バリアフリー:
- 5.0
- 考えられている。
- 乗り場へのアクセス:
- 3.0
- 港の中で分りづらいのが難点だ。
- 車窓:
- 5.0
- 港を望む景色は良かった。
-
投稿日 2020年11月20日
総合評価:5.0
第二神明道路明石サービスエリア内のスナックコーナーである明石食堂。24時間開いており、小腹が空いたときには軽食を頂くことが出来るようになっている。
なにか飲み物をと探していた際にドリンクバーを見つけ、単品購入ができることを確認して利用した。飲み物の種類も多く、休憩がてら利用するにはもってこいの場所のように感じた。
値段はそれなりではあるが、利用価値は高くお勧めの場所である。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 第二神明道路明石サービスエリア内。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 高いという感じは受けなかった。
- サービス:
- 5.0
- 付かず離れず良い感じだった。
- 雰囲気:
- 5.0
- 空いていたのでリラックスできた。
- 料理・味:
- 5.0
- 美味しく頂ける飲み物だった。
- バリアフリー:
- 5.0
- リニューアル後は段差がなくなっていた。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 観光客向けだが普通に利用してもOKだろう。
-
投稿日 2020年11月19日
総合評価:5.0
赤穂線伊部駅前にある都市公園である。備前伊部郵便局隣の真新しい公園は、観光客・地元住民の立ち寄り地となるべくバリアフリー化されたトイレが設けられており、快適に利用できるようになっていた。
備前焼のことを伊部焼とも言うくらい焼物の街の中心となっており、窯元を見て歩くにはうってつけの休憩場所となっている。
令和元(2019)年に公開された映画〝ハルカの陶〟はこの界隈にてロケを行っており、小山はるか役の奈緒と榊陶人役の笹野高史が初めて出会ったばしょとなっている。
市をあげてバックアップをした映画〝ハルカの陶〟。その背景がわかるQRコードも置かれている場所は、訪れて損はない場所だと感じた。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 赤穂線伊部駅前、備前伊部郵便局隣。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には利用者には会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- バリアフリートイレ完備。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 伊部観光の拠点となる要素は随所に見られる。
-
投稿日 2020年11月19日
総合評価:5.0
山陽本線熊山駅。赤磐市唯一の駅ではあるが令和元(2019)年5月31日を以ってみどりの窓口が閉鎖され無人駅となった。
単式2面2線のホームは跨線橋で結ばれており階段を歩く必要がある。この跨線橋は明治45(1912)に瀬戸駅に作られたものを昭和35(1960)年に熊山駅に移築したものであり、〝全国に遍く人と物を運び産業近代化に貢献した鉄道施設の歩みを物語る近代産業遺産群〟としてJR山陽本線では金光駅の跨線橋と共に平成21(2009)年に近代化産業遺産として認定されている。
跨線橋に残る〝鉄道院〟の文字がその歴史を物語ってはいるが、電車の本数を含め昼間は長閑な田舎の駅である。利用客の少ない駅近にとの理由で開学した岡山白陵中学・高等学校の生徒の利用が乗降客をほぼ占めていることから、通学の思い出として熊山駅を利用したことも覚えていて貰いたいと私は感じた。- 旅行時期
- 2020年10月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 無人駅だがトイレをはじめ施設は清掃が行き届いていた。
- バリアフリー:
- 3.0
- 跨線橋のみとなっている。
-
投稿日 2020年11月01日
-
投稿日 2020年10月16日
総合評価:5.0
関西でもローカル線を走る姿しか見なくなった113系。青虫カラーとなりローカル色が一層強くなった車両に突如黒っぽいラッピングが施された4両編成が昨今界隈で見られるようになった。〝SHINOBI-TRAIN〟は草津線利用促進プロジェクトチームの発案で忍者ゆかりの地をPRするために企画された。
忍者のように運行ダイヤが決まっていないとも言われるが定かではない。しかし編成運用の関係で草津線のみならず湖西線を走ることもあるのはちょっとびっくりした。
同じラッピングで信楽高原鉄道を走っていると言うのはSKR300型のことを言うのだろうが、一両編成と四両編成ではインパクトも違う。
たまたま草津から乗車した際に乗る機会があった。つり革を始め随所に〝忍者〟らしさを醸し出しているデザインには苦笑したが、その意気込みは伝わって来た。本来ならば間もなく運行終了の予定だったが、好評なのか2年間の運行延長が決定した。
バカバカしいと思われる方もいるだろうが、騙されたと思って乗って貰いたい。なんだか気持ちがホッとすること間違いないはずだ。- 旅行時期
- 2020年10月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 特別料金はかからない。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 特に変わりはないであろう。
- バリアフリー:
- 5.0
- 対策済みである。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 出発が草津線ホームになることがある。
- 車窓:
- 5.0
- 見慣れた景色もまた違うように見える。
-
投稿日 2017年12月10日
総合評価:5.0
紅葉のライトアップがコンセプトのようですが、大沢池のイルミネーションとの絶妙なバランスが幻想的な景色を創り出しており、綺麗であることは勿論のこと、現実を忘れさせてくれました。嵯峨野という場所がら宿泊するにも移動のことを考えなければなりませんが、訪れる価値は間違いなくあるところでした。
- 旅行時期
- 2017年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 嵯峨嵐山駅から徒歩15分。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 平日は比較的少ないようです。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 大がかりなものです。
- 雰囲気:
- 5.0
- 幻想的でした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 舗装はされていませんでした。
-
投稿日 2017年11月08日
総合評価:5.0
那覇から宮古へと向かう際に利用しました。以前はスカイマークが飛んでいましたが撤退した後初めての利用は、その日最終便の日本トランスオーシャン航空の便になりました。
機内預けの荷物なしで関西から那覇まではジェットスターを利用しましたが、27番ゲートに到着し、28番ゲートからの出発だったので大変便利でした。小一時間のフライトこんな時でもなければ使えないClassJを利用し、快適な空の旅でした。
LCC利用が続いていたので、飲み物サービスが目新しかったです♪- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 搭乗クラス
- エコノミー
- 航空券の価格
- 20,000円未満
- 直行便
- 直行便
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 5,400円でしたがこれ位が普通なのでしょう。
- 接客対応:
- 5.0
- 良い感じです。
- 機内食・ドリンク:
- 5.0
- コーヒーがこんなにおいしいものだと初めて知りました(笑)。
- 座席・機内設備:
- 5.0
- 久しぶりのClassJはなかなかでした♪
- 日本語対応:
- 5.0
- 問題ありません。
-
投稿日 2017年10月14日
総合評価:3.0
大浦天主堂の隣にあるグラバー園。江戸末期から明治・大正・昭和にかけて建立された建物が集まっている〝野外博物館〟です。元々敷地内にあったものは世界遺産の構成資産である旧グラバー住宅と旧リンガー住宅、そして旧オルト住宅の3つで、他のものはすべて移築されたものになります。
幕末にイギリスから来日したトーマス・ブレーク・グラバー。彼が長崎開港直後に建立した旧グラバー住宅とウィリアム・ジョン・オルトが幕末に建立した旧オルト住宅に始まり、その後グラバー商会に招かれたフレデリック・リンガーがグラバーより借地権を譲渡されて建立された旧リンガー住宅が続きました。第二次世界大戦が始まると、眼下に軍艦を建造していたドックを望むことができるという理由によって、造船業者により買収されることになりました。そして戦後を迎え幾多の変遷の後昭和30~40年代に長崎市の所有となり、数回の修復を経て現在に至っています。
その他旧ウォーカー住宅・旧三菱第2ドックハウス・旧長崎高商表門衛所・旧長崎地方裁判所長官舎・旧スチイル記念学校・旧自由亭等敷地外にあった明治期の洋館を長崎市が取得し、修復の後一般公開しています。移設物の中のひとつであるフリーメイソン・ロッジの門は、戦後長崎市が観光目的で移設したものであり、旧グラバー住宅とは全く関係のないものだそうです。
長崎市の観光名所の中での群を抜いて有名処であるグラバー園は、元々建物があった場所に同時期の洋館を集めて観光の目玉とした『テーマパーク』でもあります。事実坂の多い長崎の街に於いて、訪れる者に少しでも楽に散策できるように設置された『動く歩道』が2基設置されています。また旧住宅の買収の理由ともなった『景観』だけあって、特に長崎港見下ろすような風景は素晴らしいものでした。しかしテーマパーク化されている感はかなり強いものがあり、違和感すら覚えるところもありました。
610円という入場料を高いと取るか安いと取るかは人それぞれかも知れません。たまたま雨が降っている日に訪れたという理由もありますが、まあ1回行けばそれで良いかなと思える場所でした。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 大浦天主堂から歩いて5分程です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 有名処であり観光客は多いです。
- バリアフリー:
- 5.0
- 動く歩道が2基あります。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 一回行けばいいかなと思います。
-
投稿日 2017年10月07日
総合評価:5.0
永井隆博士、島根県に生まれ長崎医大(現長崎大医学部)を卒業した医師であり随筆家でもあります。大学時代に浦上にあるカトリックの森山家に下宿したことでカトリックの教えに帰依を深めるようになります。医大卒業時に早大として当時を読む予定が、急性中耳炎になったことで聴力が低下してしまい、当初希望していた内科医を諦めて、聴診器を使わないという理由で放射線科医になりました。
その後短期軍医として満州事変に従事し、除隊後に医大研究室助手に復帰し、まもなく洗礼を受けることになりました。同年8月には森山緑と結婚し、洗礼後まもなく妻の仲介によりカトリックの信徒組織である聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会に入会し、無料診断・無料奉仕活動などを行いました。この頃に培った奉仕の精神が晩年の行動へと結びついて行ったとされています。その後再び日中戦争に軍医中尉として従軍し、日本軍のみならず中国人への医療も行っておられたそうです。
除隊して帰国した後の第二次世界大戦中は結核のX線検診に従事していましたが、フィルム不足により透視による診断を行っていたため、被曝による白血病と診断され余命3年と宣告されることになります。そして昭和20(1945)年8月9日午前11時2分、勤務先の長崎医大で被爆し、右側頭動脈切断という重傷を負うも、布を頭に巻き付けて救護活動に当たられました。しかし白血病は博士の体を蝕んでおり、悪化しつつも奇跡的に復活したりという状態を繰り返していたそうです。しかし翌年1月には長崎駅前で倒れ、その後は病床に伏すことになります。
昭和23(1948)年3月に博士が療養を行うための庵として『如己堂(にょこどう)』が浦上の住民やカトリック関係者の手によって完成します。同年10月には来日中のヘレン・ケラーのアポなしでの見舞いを受けています。その後長崎大教授を辞した永井博士は長崎市名誉市民の称号を与えられています。
昭和26(1951)年4月には右肩内出血により執筆が不可能になります。そして5月1日、医学生に白血病の最後を見せるために長崎大病院に入院し、一旦は症状が安定したため自宅に戻るも、夜に再び意識不明となり病院へと運ばれます。そして一度意識を取り戻した際に十字架を受け取り、『祈って下さい』と叫んで亡くなられたそうです。享年43歳でした。
『己の如く人を愛せよ』と永井博士自らが名付けた『如己堂』、今なお内部が見学できるものではありますが、お世辞にも奇麗だとは言えません。粗末で本当に小さなスペースしか持たない建物ですが、それを愛した永井博士の『想い』は、到底私たち凡人が想像すらできないレベルのことだと思います。
確かに死の直接な原因が原爆による被爆とするには無理があるようにも考えらえます。しかし自らの危険を顧みずに医師として治療行為を行い、同時に核兵器の廃絶を『子供』に掛けて論じ、加えてカトリックの奉仕精神を説いた永井博士の偉業を一言で言おうとしても言葉が見つかりません。永井博士の大切なものとして説いた『子供』に纏わるものとして、永井隆記念館内の子供図書館、そして山里小学校構内にある『あの子らの碑』等があります。博士のことを少しでもよく知りたいのであれば、やはりこれらガイドブックに載らない場所も訪れる必要を感じました。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 大橋電停より徒歩5分位。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 永井隆記念館は入館料100円です。
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 修学旅行とかち合いました。
- 展示内容:
- 5.0
- 永井博士の心に触れられた気がします。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープが切ってあります。
-
投稿日 2016年04月25日
総合評価:5.0
糸満市北東部の宇江城集落に位置しており、1日に数便しかないバスを利用し、最寄りの宇江城バス停から歩いてすぐの場所でもあります。
第32軍司令官の自決により、沖縄戦に於ける日本軍組織的抵抗が終了した昭和20(1945)6月23日(22日説あり)以降も付近の真栄平や宇江城の壕に籠りながらゲリラ戦を戦っていた隷下の部隊が駐屯していました。
そしてこの〝暗い井戸〟の意味であるクラガーには雨宮巽中将以下師団の幕僚たちがいたそうですが、6月30日には本部壕が米軍の馬乗り攻撃の対象となったことにより退路を断たれた師団長をはじめとした幕僚が青酸カリや手榴弾で自決をして亡くなられました。またこちらでは玉砕したとされる歩兵第89連隊や22連隊の〝連隊旗〟が奉焼された場所だという記録も残っています。
慰霊塔下部にあるクラガーでは戦後統治していた米軍兵士によって、雨宮師団長並びに配下の幕僚の戦死を確認するために入壕した後、しばらくの間放置されていました。昭和27(1952)年にやっと配下の元兵士の方々の手によって発掘され、やっと遺骨が遺族の元へと帰って行ったそうです。
黎明之塔と同じく元軍人の方々によって建立されたものゆえ、由来文にも重なる要素を多々見つけることができますが、やはり軍隊慰霊碑の特徴として戦争への功績を讃える文面が特徴になっています。
『大東亜戦争の局運急を告ぐるや昭和19年 8月、遙か北満より雨宮巽中将の統ぶる山兵団長駆沖縄の布陣に参加す。翌20年 4月 1日上陸せる米軍を迎撃、血戦 3か月に及んで刀折れ弾尽き 6月30日兵団長以下幕僚等此の地宇江城跡に於て自刃悠久の大儀に生く。茲に南方同胞援護会の助成を得て碑を建て永くその偉烈を伝う。 昭和37年10月沖縄県遺族連合会』
なぜこの碑が〝山雨の塔〟と呼ばれることになったのか?これは私もあまり気にはしていませんでした。しかしこの塔の名称には確固たる由来が存在しています。実はこの現〝山雨の塔〟の前に師団兵士の生き残りの方々の手によって建立された〝雨宮中将戦没の跡〟の木柱がかつて存在しました。その後昭和37(1962)年10月に沖縄遺族連合会沖縄協会の委託を受けて現在の塔に改修されたものが今に至っている訳ですが、山雨の塔(やまあめのとう)とはふたつの言葉から成り立っているものであり、まず第24師団は通称〝山部隊〟、そして師団長は〝雨〟宮巽司令官。その頭文字を取って命名されたものが〝山雨の塔〟となります。
山雨の塔の真下にはクラガーが現存し、鉄扉があるものの鍵はかかっておらず自己責任の元で見学できるようになっています。ただ周辺の壕やガマと比較して天候の影響を受けやすいため、雨が上がった後などは足元が大変滑りやすくなっているため、細心の注意が必要です。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 宇江城バス停から徒歩すぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 誰にも会うことはありませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 山雨の塔・クラガーとも段差があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 70年前にここで何があったのか考えさせられます。
-
毎年6月23日の慰霊の碑には独自の追悼式典が行われます~沖縄師範健児之塔~
投稿日 2016年01月03日
総合評価:5.0
沖縄戦の始まりとともに沖縄師範学校男子部の生徒たちは〝鉄血勤皇隊〟を組織し、沖縄守備第三十二軍司令部配下の各部隊に配属され、〝郷里の人間〟という立場で住民に勝利を信じさせるべく〝情報工作〟や通信等の〝後方任務〟についていました。その後戦局の悪化に伴い第三十二軍司令部と行動をともにして南部糸満の地に撤退。その後司令部の崩壊と前後して解散命令が出されるものの、執拗な米軍の攻撃包囲網を突破できずに多くの犠牲者を出しました。動員された生徒451名のうち290名が犠牲となったとされています(諸説あり)。
鉄血勤皇隊とは沖縄戦に於いて動員された日本軍史上初の学徒隊であり、徴兵年齢に達していない少年を対象としたため、法的な根拠はなく形式上は親権者同意を伴う〝志願兵〟の扱いであったとはされているものの、学校が意図的に書類を作成するといった事実上強制的な例もあったとされています。
最初は〝情報工作〟的な内容であったものの、戦況の悪化に伴って〝斬り込み〟や火薬を詰めた箱を携えての〝人間地雷〟の役割を担うことになり、伝令も3人に同じ伝文を持たせ、その内一人が辿り着けば良いという過酷なものになって行ったことは言うまでもありません。
平和の像の裏側に残る〝ガマ〟には、鉄血勤皇隊が追い詰められ、加えて軍からの解散命令を受けたことによって、それぞれの若者が考えた〝自分自身〟の身の振り方、即ちあるものは〝斬込隊〟として出撃、あるものは〝手榴弾で自決〟、あるものは米軍の火炎放射を浴びて〝焼死〟という〝追い込まれた状況下での判断〟のもと、多くの犠牲者を出す結果に至りました。
その終焉の地一帯に残る数々の慰霊の碑、正面左に建つ〝沖縄師範健児之塔〟は昭和25(1950)年に建立されたものです。そしてその右隣りには〝平和の像〟。向かって右側の少年が〝友情〟、中央が〝師弟愛〟、そして左隣が〝永遠の平和〟を象徴していることは有名な話なのかも知れません。しかしもうひとつの〝健児之塔〟があることはご存知でしょうか?〝平和の像〟の右手前にあるただの〝石〟のようにも見えるもの、それが他ならぬ初代〝健児之塔〟です。正式には〝健兒之塔〟と書きますが、魂魄之塔を建立された金城和信先生がほぼ同時期に建てられたものになります。しかしこの話に触れられている方が大変少ない現実は、やはり〝史実〟が伝わっていないのではないかと危惧する次第です。
《追記》この沖縄師健児之塔に祀られている沖縄師範学校男子部生徒によって構成された〝鉄血勤王隊〟。その数少ない〝生き残り〟の一人であった元沖縄県知事の大田昌秀氏が、本日平成29(2017)年6月12日に亡くなられました。昭和元(1925)年6月12日生まれの92歳、本日が誕生日だったそうです。ご冥福をお祈り申し上げます。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-513319.html- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園から車で5分位で着きます。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 慰霊の日はかなり混雑します。
- バリアフリー:
- 4.0
- 石畳が敷かれている場所もありますが、砂地です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 何度来ても心が痛みます。


































































































