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ソフィさんへのコメント一覧(18ページ)全253件

ソフィさんの掲示板にコメントを書く

  • ご丁寧な解説

    よく分かりました。
    感謝しています。
    2006年02月20日12時14分返信する 関連旅行記
  • マスターしました。

    解説していただきとても便利です。
    ありがとうございました。
    2006年02月20日12時11分返信する 関連旅行記
  • ご訪問ありがとうございます。

    ご訪問頂き、かつ、ご丁寧な解説お教え下さりお心遣いありがたく感謝いたします。
     理由にはなりませんが、大変気にしていますが、多忙で、アップしてないのが実情です。
     しかし殆ど日課で廊下とんびならぬ、Webサーフィンです。
    これも、ソフィさん(片瀬さん)のフォーラムを楽しみにです。

     パソコン経歴もワープロの初期に通信ボードから電子メールを、パソコンも超初期の自製時代からです。
     世界の大学間のシステムが試験的に阪大にも導入された数日後、メール仲間で当時助手の現阪大総長の宮原さんが研究室からロンドン大学に繋ぎ、教授のスケージュール表をアクセスし、訪問日予想を記入できる双方向のネットの威力におどろかされました。その後の波及はすざましいです。

     脱線してしまいましたが、今後とも、よろしくお願いいたします。
    アクセス数の確保にいくらがでも貢献できればと、がんばりましょう。
    2006年02月12日16時19分返信する

    RE: ご訪問ありがとうございます。

    ブログを始めてから、本が面白くなりました。
    今月も「世界の歴史ギリシア」、白山山麓の元村長さんからいただいた「木偶のつぶやき」を読み終え、目下「北米に生きる」「クオレ」「国家の品位」と三冊を併行読書中です。

    もっとも読書スピードは昔から遅く、一日で20ページがせいぜいです。

    トリノオリンピック、日本選手の緊張感の不足を感じます。
    「楽しむ」というのがキーワードのようですが、もう少し真剣に取り組まなければせっかくの機会が勿体ないと思います。

    本当の力は、緊張してこそ出せると、私は思います。
    2006年02月13日06時10分 返信する

    RE: RE: ご訪問ありがとうございます。


    山田教室では大変お世話になりました。
    ありがとうございました。お礼申し上げます。
    現在の私の読書は、イヴモンタンを聞くことと、当面、原稿のための日経文庫の「問題解決際解決の手法の知識」高橋誠著です。

    この本は、2週間前に置き忘見つからず、早速購入したのが、最近の4版で内容は、論理的な部分はばっさり抜けて、初版はすでに絶版です。
     こうなると愛着もひとしお、何とか欲しくなるもので、思案した結果、「アマゾン」でやっと見つけ購入です。昔の本の良さをいまさらながら実感しています。昔の本はお捨てにならないようご用心です。

    ではまた(前原)


    2006年02月16日12時26分 返信する

    RE: RE: RE: ご訪問ありがとうございます。

    maeさん

    よく本をお読みですね。
    私も「国家の品格」に続き、昨晩「世界の歴史ギリシア」を読み終えました。
    いずれブログに紹介したいと思っています。

    次回のシャンソンには、大同さんといわれる方が、ヴァイオリンで伴奏して下さるそうです。
    楽しみにしています。
    2006年02月20日06時20分 返信する

    RE: RE: RE: RE: ご訪問ありがとうございます。

    4月の山田、よろしくお願いいたします。
    IT系で奉仕をしていますと、必要なデータを導き出し、やり方を主体的に変えていく能力の情報リテラシー(Literacy)が貧弱のようです。
    いま「知の技法」東大出版会です。「知の論理」は難しくでも面白そうで何とかして解読してみたいものです。 理系の最大の弱さでしょう。寿命を3倍伸ばして欲しところです。

    また、時々訪問させて頂けると楽しいです。
    よろしくお願いいたします。
    2006年02月20日12時05分 返信する
  • サッカー

    ソフイさんへ
    こんにちは、今日のこちらは、雪荒れで「県都」に行く用事をキャンセルして、除雪作業と仕事の整理(エクセル)そして掲示板に投稿で午前中を過ごしました。午後は三時になると、昨年スイスへ同行した友人ち(宅)へお茶です。家内は上京中!
    忘れてました。子供さんとのサッカーで汗!いかがでしたか?
    こたつのなかから  こばやしより
    2006年02月05日13時27分返信する 関連旅行記

    RE: サッカー

    こばやしさんへ

    30歳の私と、5歳の坊やのサッカーは、ちょうどいい具合でした。

    高校時代、私は何にでも引っ張り出されました。
    サッカーはフルバック、ラグビーはウィング、バスケットはガード、バレーはバックセンター、それからテニス。

    下手でしたが、私が出ればみんなが元気になりました。
    野球は箸にも棒にもかからず、卓球は学校代表なので、クラス対抗には出場資格なし。

    こばやしさんの得意種目はありますか?
    2006年02月06日07時34分 返信する
  • アルジャントウイユの「ひなげし」の野原も?

    アルジャントウイユ今様浦島さんでしたか?
    ひなげしの野原もでしょうね。
    この赤いひなげしを「北川村モネの庭マルモッタン」の近くに再現したら
    さぞすばらしいと思っていたのです。水仙とか、コスモス意味がなく
    モネに特化したのは、何と言っても「ひなげし」ですから。
    ほかにものような、絵を描いているのでしょうか?
    2006年01月29日20時43分返信する 関連旅行記

    RE: アルジャントウイユの「ひなげし」の野原も?

    フランスの野原一面に咲く真赤な「ひなげし」。
    この花を見ると、また春が来たなと、幸せな気持になります。

    その名も「コクリコ」。
    いい響きですね。

    モネの庭には日本から取り寄せた花が多く、たしか芍薬もあったかと思います。
    水仙もあったように記憶しますが?
    2006年01月29日22時33分 返信する

    RE: RE: アルジャントウイユの「ひなげし」の野原も?

    モネと日本の植物の関係です。

     ざっとモネの手紙から拾ってみますと、牡丹(冬は温室管理)竹、
    柳、杏梅、水仙、
    北斎の花:これは自慢としています(アヤメ、菊、牡丹)
    現在庭にある100年を越す桜の苗

    曖昧な文章から梅、
    苗、種、花木の注文多数。
    日本人から直接寄贈のたね、苗木は結構多い

    コレクターからは
    林忠正(1879パリー万博日本館会場係からパリーで日本美
    術商)(牡丹、菖蒲の種)

    後はご存知の松方幸次郎児島虎次郎、成瀬正一、矢代幸雄・福子
    夫妻、黒木三次・竹子夫妻の訪問で贈呈

    さらに訪問者は黒木の弟の清、和田英作、坂崎坦
    画家;福島繁太郎、正宗徳次郎、高畠達四郎、などで、
    おみやげは、植物の種が多かったようです。
    モネは日本人を優遇したことでも有名ですネ

    特筆すべきは
    モネの死後最初の追悼記念展(1927年2月)は日本で行われ
    最終日の2月24日追悼晩餐会も開かれています。

    PS:好物でよく作った得意料理は「あんず茸」でした。
    2006年01月30日22時39分 返信する

    モネと日本人

    モネと日本人。
    私の知らないことばかりです。

    ずいぶん古くから、また深い関係があるのですね。
    私の会った昔のホテルのおやじによれば、アメリカの画家もたくさんジヴェルニーに来たようですね。

    彼等がなぜやって来たのでしょうか。
    それは、モネがいたからだろうと思います。

    彼は人間好きで、訪客を大いに歓迎したのでしょう。
    しかし村に近い駅のあった鉄道は廃止され、今の駅は不便のようです。

    ところで「あんず茸」とは、どんなものですか。




    2006年01月31日22時28分 返信する

    RE: モネと日本人

    あっとゆうまに、掲示板が流れます。
    ご返事です。

    「アンズ茸」:1890年7月21日の依頼の書簡に、「食いしん坊のわたしに
    今、多く自生している「アンズ茸」料理のレシピを教えてほしいとありました。

    「モネのレシピ」」は、出版され日本訳もありますが「アマゾン」で探し方が
    悪く検索不能でした。 
    「北川村モネの庭マルモッタン」で現物を見ましたのでこの図書の中にあるかも、
    しれません。
    ここでは、モネのレシピの料理を提供していますが、「アンズ茸」のメニューはあ
    りません。

    ケーキ、焼き菓子の類は結構あります。
    近くでは、「ガーデンミュージアム比叡」
    http://www.garden-museum-hiei.co.jp/
    にありそう、目下3月まで冬眠中です。
    今後の課題にしましょう。

    アメリカの画家ですが、訪問したのでしょう。よく分かりませでした。
    当時のアメリカの画壇でそれらしい有名な画家がいたのでしょか。
    もしかしたら、バイヤー系かも

    モネの家には、頻繁に有名な画家が集まり、自慢、悩み、作品、船、批評を食事をしながら談笑です。
    料理の自慢、花壇、花(アイリスが咲いた招聘など)
    の自慢がモネの話題です。
    日本から集めた自慢の花を見せるための誘いは、大いに想像がつきます。

    よく、招聘されるメンバーは、1894年11月23日、セザンヌに友人を紹介する書簡から、セザンヌ、ジェフロワ、ミルボー、ロダン、クレマンソー達です。
    モネの残された書簡は、膨大でこれを見ても、多くの人脈とその交流が伺われます。
    ロダンは、作品を通じ意気投合しています。
    ますます面白い。
    2006年02月03日00時26分 返信する

    RE: RE: モネと日本人

    「あんず茸」はどんなものでしょう。
    楽しみしています。

    ジヴェルニーに、「昔ここにセザンヌ、・・・が泊った」との看板が出ている、レストランがあります。
    そこのおやじは、昔はアメリカの若者がやって来たと言っていましたから、私は画家だとばかり思っていました。

    そのレストランの前の風景は、セザンヌがスケッチして、現在も昔のままの風景に保たれているとのことでした。
    「遠景を昔のままに保つことには、苦労する」
    おやじの談です。
    2006年02月03日19時58分 返信する

    RE: RE: RE: モネと日本人

    恐縮です。
    返事がどこかで、なくなり、到着してませんでした。
    アンズ茸は目下問い合わせ中です。アメリカの
    連中は、画家も、バイヤーも多く来ていました。
    評論家、園芸店主、マスコミ画廊主など多彩です。
    モネがジベルニーの家を購入できたのも、アメリカで
    開催した展覧会の収入だったとあります。

    モネの園芸熱は、園芸家、園芸店主、園芸雑誌投稿、など
    の熱の入れようで、ヨーロッパの庭と温室の植物誌、1854年
    発刊全26巻を参照して、徹底してきれいな花木を選別して
    大量に購入したとあります。
    モネもダリアで多くの新種を作出しています。

    クレマンソーも園芸が好きで、軍務の途中で抜け出して
    モネを訪問、絵画、美術、園芸の話に夢中であったと。

    とりあえず。

     
    2006年02月05日19時24分 返信する

    RE: RE: RE: RE: モネと日本人


    追伸です

    セザンヌについて

    1876年モネはアルジャントウユにセザンヌを招待
    1877年セザンヌ:第三回印象派展に16点出品
       それ以後分離派として、印象派と別の行動
    1878年モネ:アルジャントウユを離れヴェトウイユへ転居
    1883年5月モネ:ジベルニーに移転
    1895年セザンヌが成功します。

    1894年モネの家に、人嫌いのセザンヌを励ますため昼食に招待する
    書簡があります。
     ゼフロワ、ミルボー、ロダン、クレマンソーの仲間が集まる。
    1902年セザンヌは、友の書簡にモネとルノアール以外は軽蔑していると。
    1895年7月モネへの書簡に「貴兄の下で精神的な支えに出会え、
    どれほどうれしかったことでしょう。それは、私が絵を描く
    刺激となっています」と
    1903年友人にあてた書簡に私達がともに仰ぎ見る巨匠(モネ)
    に会ったらよろしくとあります。

    いかにモネが尊敬されていたかわかります。
    このころ、セザンヌがジベルニーに訪問したのでしょう。
    では

    2006年02月05日21時32分 返信する

    知りたいことが一杯です

    モネの研究が進みますね。
    モネはヴェニスもたくさん書いていて、この表紙写真もモネの絵です。

    maeさんのお陰で、モネのことをたくさん知ることが出来ました。
    有難うございます。

    「ギリシャ史」ほとんど読み切りました。
    次は「アメリカ生活史」です。

    「クオレ」も読みたいし、本の山が高くなる一方です。
    2006年02月06日04時28分 返信する
  • これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく

    モネを語らずして、ソフイーさん無し、盲点の感じのよう。
    これからもモネの絵を楽しみに旅行記をお願いです。
     



    2006年01月28日16時13分返信する 関連旅行記

    RE: これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく

    最近モネづいていますね。
    また良い絵を探しておきます。

    このブログの、2005年4月18日ごろ?の旅行記に、ジヴェルニー訪問記を書きましたが、お読みくださったでしょうか。
    2006年01月28日18時04分 返信する

    RE: RE: これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく

    ご紹介頂きましてありがとうございます。
    適格な記事に共鳴をし感服しています。
    仰せの4月19日「ジベルニーモネの庭」の記事ダウンロードし大切にし保存してあります。
    ご好意いつもありがとうございます。

     モネの館の近くの教会にお墓があるようですが、無宗教だったそうですが、
    モネの思想と関係があったのでしょか?
     例の「死の床のカミーユ」1879年で「あれほどいとおしかった人の死の床で、色の変化を機械的に写している自分に気付いた。色彩の衝撃によって手が勝手に動き出した。」とあり色彩に対する執念に似た画家気質に驚愕と驚嘆を感じます。
    ますます、絵から得たい気持ちが高じています
    描いたときの心境とその描きたくなった遠因などに興味がわいてきます。
    またよろしくご教授下さい。    前原
    2006年01月28日23時28分 返信する

    RE: RE: RE: これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく

    たいした記事ではありませんが、昨春ジヴェルニーに言ったときの旅行記は三つあります。

    モネの宗教心については、これからの研究課題です。
    ただ彼は友達に好かれたらしく、彼の住む場所には人が集まりましたね。

    ジヴェルニーに住もうとしたとき、村人から排斥されたとのこと。
    このあたりも、今後の研究課題です。

    睡蓮の池も、勝手に取水して、近隣の顰蹙を買ったと言う事も聞きます。
    真偽も含めて、研究課題です。
    2006年01月29日22時27分 返信する

    RE: RE: RE: RE: これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく

    返送しようとしたら、消去です。遅れてしまいました。
    排斥と顰蹙です。
    排斥は、邸のの拡張時、池と鉄道の土地取得時、池の拡張と水の取り入れ方法など。
    水と植物の規制(自然をこわすな)といった問題Iで相当苦しめられ、自暴自棄になり、
    何もかもやめた、土地はくれてやるとあります。

     その救済主は「クレマンソー」でそのつど面倒をみたと書信から窺えます。

     農業用水を使わせない、池の使用量の規制、家畜の飲み水、洗濯用などへの汚染と
    弊害を心配し、水換えは夜だけ、汚さない、自生する睡蓮や多種のアイリスのみの栽培、
    (これは、新しく植えた植物からでる毒物を嫌ってのいやがらせです)。
     徹底的に排斥した形跡があります。

    訪問者についても平和を乱す、雰囲気を変えられる、同調・同化ができないなどの
    排斥です。

    しかし、ジベルニーに来てから、モネの衣服が一変、袖にひらひらが付き都会ごのみの服装です、功労者は、アリスです。

    来訪者は、有名人たちで、村民はモネを歓迎し受け入れることとなった。
    画家の友人が圧倒的、モネは料理に凝っていて、パーティは頻繁、レシピまで残っている。

    当時最新のオーブンが残っていることでも想像がつく。得意な料理をけなした者は呼ばない。来訪の友達、バイヤー、日本人で料理の名前とともに次回です。

    2006年01月30日21時16分 返信する

    モネについて教えてくださり有難うございました

    ジヴェルニーでの、モネ。
    興味がありました。

    いろいろお教え下さり、有難うございました。
    2006年01月31日22時18分 返信する
  • 片瀬様へ
    オハヨウございます。
    昨日は、実家へ年始に行ってきました。
    子供のとき、お世話になった94歳のおばさん?に挨拶しようと寄ったら(脳梗塞)で入院してました。私にとって最後の近所の(おばさん)です。昨年、一緒にカメラに収まったり(ブチュ!)してあげたんですが・・・。
    絵といえば、実家の甥は(鉛筆画)を書きます。たくさんの濃度差の鉛筆を駆使して書くらしいです。貴方に見せてあげたいです。
    「木下晋」さんに心酔してるらしいです。
    「小林ハル(最後の越後ゴゼさん)」はスゴイッス!
    今日の新潟は穏やかです。
    いなかより
    2006年01月16日09時13分返信する 関連旅行記

    RE: 絵

    とらいもんさんへ

    久々に温かいお便りをいただき、ありがとうございます。
    とらいもんさんは、たくさん訪問先があって、いいですね。

    私は今日5年ぶりの友達と会い、3時間半ほど話して来ました。
    話が尽きないので、またこの次に会う約束をしました。
    話の中味は、いずれブログで報告します。

    絵は昨年一枚描きました。
    今は道具が、埃をかぶっています。
    描いた絵が狭い我が家を一層狭くするので、遠慮しています。

    小林ハルさんは、どんなスゴさですか。
    2006年01月16日17時05分 返信する

    越後ゴゼ

    ソフイさんへ
    今晩は「越後ゴゼ」は、眼の不自由な女のひとの「門付け」さんです。
    10数歳まで生きておられました。画家は、その「ハルさん」をたくさんの濃淡の鉛筆で「怖い!」ほどの筆致で描いてます。
    甥は、それにのめりこみそうです。
    メールで送れたら送りますのでご判断ください。
    いなかより
    2006年01月16日21時17分 返信する

    RE: 越後ゴゼ

    とらいもんさんへ

    甥の方がのめりこみそうになっておられる絵を、楽しみにしています。
    絵というものは、腕だけでなく、心が大切なのですね。

    今朝からソフィに会いに来る人が多くて、ビックリです。
    間もなく2000人を超えそうです。
    2006年01月17日10時35分 返信する

    すしの丸かじり

    とらいもんさんへ

    すしの「丸かじり」について。
    大阪では、節分に、吉方を向いて巻き寿司の丸かじりをすれば、望みがかなえられると言われています。

    当日になれば、あちこちに巻き寿司が売られていて、遅ければ売り切れになったりもします。

    何時からこんな風習があったのか、研究不足ですが、私の子供時代(1940年まで大阪に住みました)には知らなかったことです。

    知恵のあるすし屋さんが言い出し始めて、ヒットしたとの噂も聞きます。

    越後では、節分に何をしますか。
    2006年01月31日22時35分 返信する

    誕生日!

    片瀬様へ
    こんにちは。始めに、誕生日のこと「お言葉」を下さってホントに有難うございます。71歳です。昨日、私が「専門家だ!」に対して「先生じゃないの?」と対立した子が、誕生日プレゼントをくれましたんです!。もう、ウルウル!夜、お母さんの実家に電話して「なるチャンが・・・・・」と。
    片瀬さん、嬉しいの一言です。それこそ、もうその子への教育が終了したようなものです。
    遅くなりましたが、貴方の所のお気に入りリストになんて!恐縮しております。一生懸命(肩ばらず)に?頑張ります。投稿の内容がよくなかったら叱咤叱責をお願いいたします。
    今日は、長くつに穴が開いたので新品を求めてきました。999円(27センチ)でした。穴の開いてるのは、雪の無いときの作業靴に使います。
    まもなく、投稿をする予定で検討中です。また、毎日スイス旅行の検討をやってます。クライネシャイデック辺りのハイキングのほかは、すっかり新しくなりました。

    こちらの天気は「雨」です。助かります。
    以上です。
    嬉しさで一杯のこばやしより
    2006年02月01日12時50分 返信する

    長靴は何年履かれましたか?

    とらいもんさんへ

    穴の開いた長くつは、何年履かれましたか?
    教えて下さい。

    私の育った金沢でも、長靴は必需品。
    一年の半分は、長靴生活でした。

    しかし1940年から軍需品統制時代に入り、ほぼ10年間手にいらなくなります。
    僅かですが「配給」はありました。

    私は1945年に父が亡くなったあと、父の長靴を履きました。
    それは1942年、シンガポール陥落記念の特別配給で、父が籤に当って手に入れたものでした。

    私は金沢を離れる1954年までそれを履き、叔父に引き継ぎました。
    まだまだ健全で、10年は履けそうでした。

    2006年02月01日15時56分 返信する

    RE: 長靴は何年履かれましたか?

    こんばんは、
    実は、そんなにはいてないんです!つなぎ目が見た目わからないピッタリした裂け目がありました。安物なのですから!夏、作業用に使いますから。
    忘れもしないこと、小学校2年生のとき(昭和17年)クラスで「長靴」抽選がありました。母からうけた「配給キップ」を先生に提出しました。残念ながら先生から「当選したけど、配給キップに名前が書いてなかったからしっかくです」でした。昭和24年の冬、裸足で「高足下駄」で雪道を歩いて学校にいった記憶があります。
    おやすみなさい。
    こばやしより
    2006年02月01日21時00分 返信する

    RE: RE: 長靴は何年履かれましたか?

    とらいもんさんへ

    10年以上履いたというお便りを期待していました。

    最近物が安い代わりに寿命が短く、資源が勿体ないと思っているところです。

    今晩は、丸かじり寿司を食べ、豆まきをしました。
    「福は内、鬼は外」が普通のようですが、「福は内、鬼も内」もあるとのことです。

    また寒波襲来、春はなかなかですね。
    2006年02月03日19時48分 返信する

    丸かじり!

    片瀬さんへ
    新潟県でも丸かじが「流行?」してます。もちろん、今日お昼と先ほどいただきました。
    なぜ食べたかの訳は、三男がコンビニの「店長」なもんで、持ってきたらしいですね(成績を上げるため?)
    きょうは、こちらはムードタップリの淡雪です。
    また、今日は家内と一緒になる前の人の家(嫁ぎ先)ででお茶してきました。
    久しぶり(二年ぶり)なので話が弾みました。年賀状のやり取りはやってます。
    ここで一句  ”淡雪や 一寸昔と お茶をする”
    村上にて
    こばやしより
    2006年02月03日21時04分 返信する

    お茶をする

    こばやしさんへ

    「お茶をする」って、いい言葉ですね。
    こばやしさんは、どこの家でも歓待されるのでしょうね。

    「一寸昔」も、こばやしさん的な言い表しとおもいます。
    時間をゆったり楽しんでおられる感じです。

    丸かじりの寿司は、競争が烈しくて、年々美味しくなります。
    全国で2,000万から3,000万本売れたようです。

    今日は今から、白山の山麓へ雪を見に行きます。
    2006年02月06日04時19分 返信する

    はーるよこい!

    ソフイさまへ
    おはようございます。
    「白山」ですか。たしか、石川県の県境辺かな?お気をつけていってきてください。
    今日は、家内が帰る日です。晩んげになるかも。
    お天気は静かになってほしいです。今日の午前は、土曜日と同じく家内の変わりに「催眠商法」に近いお店?に、家内の仲間(元気おばあちゃん)を助手席に乗せてゆきます。あ、私たちは仲間を乗せるときは、家内がうしろです。特に、助手席は女性が!
    こばやしより
    2006年02月06日06時21分 返信する

    RE: はーるよこい!

    こばやしさんへ

    こばやしさんは、たくさんのおばさんにもてるようですね。
    今日行くところは、白山ふもとの一理野で、標高600mだそうです。

    この付近では、先日家が雪で崩れ、親子(95歳と70歳)が亡くなられたと聞いています。
    私の本籍地、富山の山奥の寺から電話がありました。
    本堂が雪に埋まってしまったとのことでした。

    間もなく春ですね。
    2006年02月06日07時41分 返信する

    ポジション!

    かたせさんへ
    二通まとめて返事といたします。
    スポーツのときの貴方の位置は、貴方のすべてをあらわしてるように感じました。あくまで、私の感想ですので、失礼の段お許しください。
    すなわち「人のため」になってらっしゃるんですね。私も、会計監査・幹事・司会などが好きです。トップはダイッ嫌い!です。縁の下の力持ちが、私には向いてるとおもってます。塾も、子供たちを思ってやってるのが、その証かな?失礼。
    私は、なぜか昔から「おとしより」にすかれるんですね!
    1960年代のこと、出張先の塾の前のおばあちゃんは、立ち寄らないと翌週「なんで寄らねかったんだ!」と。現在、水曜日にお茶するところの、7年前94歳で亡くなったおばあさんは、水曜日になると1時間以上前から、お茶の仕度をして私を待ってたんだそうです。そして、病床のとき「センセがくるすけしたくしておけ」と倅(もしかあんにゃ)さんに告げてたそうです。私幸せです。
    朝からどうも
    こばやしより
    2006年02月06日08時28分 返信する

    RE: ポジション!

    こばやしさんへ

    世の中に出て直ぐのころ、毎昼部門対抗ソフトボールリーグ戦で代表に選ばれ、キャッチャーを仰せつかりました。
    チームの弱点でしたが、やりたい人がほかに見つからず、毎日恥をかきながらあちこちを傷める日々でした。

    高校時代学生生活を賭けた卓球では、学校対抗団体戦のオーダーでトップ(先鋒)か、ラスト(大将)ならば力が120%出て、選手生活中無敗で全勝しました。

    インターハイでも全国優勝候補浪速高校戦のトップに出て、関西新人チャンピオンに勝ち、皆が驚きました。
    私も新人でした。

    年寄りからも可愛がられましたが、私が好きになった何人もの年寄りは、その後2年以内に死んでいます。
    死ぬ前に、私が好きになったようです。

    2006年02月08日06時21分 返信する
  • モネの絵にのめり込んでいきます。

    モネの印象画は、当時、将来の絵画のあり方を予見した先見性には驚きです。

     そこで、オランジュリーの大装飾画は、Web上で見当たりません。あまりにも大きく、海外にも出展されたこともないと思います。
    それだけに、Web上で見てみたい絵画の一つです。

     もしご覧になっておいででしたら、ご紹介頂くとありがたいと思っています。
     
    フランスのネットにはあるのでしょうか?

    モネ」は日本のポータルサイトで検索しますと約1万件です。(すべてひっくるめて)
    高知の知名度の高い坂本竜馬が約6万件です。

    本場フランスのポータルサイトではどの位なのでしょうか。
    ECではすごい数なのでしょう。
    きわめて興味があります。芸術に関する関心度により、文化国家のレベルが分かる指標となるとおもっているのですが。
    2006年01月14日15時40分返信する 関連旅行記

    RE: モネの絵にのめり込んでいきます。

    「モネ」をgoogleで検索すると、1,030,000件あります。
    「monet」は、7,170,000件です。
    「monet orangerie」では、67,300件です。

    オランジュリーの睡蓮は、「19th century art.claude monet」や「exposition monet a l'orangerie」などにありますが、画面がカーブしていて余り良くありません。
    どこかにもっと良い写真があるかも知れません。

    「モネ」より「monet」が多いのは、文明度の差というより、日本と外国との情報量の差ではないでしょうか。

    ちなみに「片瀬貴文」は14,200件ですが、「katase takafumi」は309件です。

    これから、シニャックの記事を書きます。
    http://4travel.jp/traveler/katase/


    2006年01月15日15時59分 返信する

    RE: RE: モネの絵にのめり込んでいきます。

    何かとご迷惑をかけました。大変助かりましたありがとうございました。
    このデーターは早速使用させて頂きます。
    Webサーフしてみます。ヒントを頂いたので「ギャラリー」ですと、曲がりを修正して商品化しているはずです。
    片瀬さんのWebもすごいです。

    情報量の差
    納得です。情報発信者が意図する必要性からくる関心度を考えますと、漠としていますが、国の歴史的文明の差も感じてきます。

    蛇足:
    フランスの花の絵画の原点が「宮殿庭園」のすばらしさからだそうですが、関連するフランス園芸協会(DAFA)主催のフラワーアレンジメント技術検定試験も日本から参加者が居ますし、大いに関係ありますね。
     睡蓮もモネの時代作出家がいて、流行となりモネも手に入れたと睡蓮栽培関係の情報から知りました。英国のバラの品種作出と同じようにです。

    モネの料理に関する関心度も陶器の食器をあつらえ、キッチンの台所の当時最新のレンジからみて、その美食家から、「フランスの家庭料理・スイート」に感心があります。パリー生活紹介の中で食の問題が少ないようですので、またの機会に食文化についてもお願いできたらと思っています。
    ありがとうございました。








    2006年01月15日23時45分 返信する

    RE: RE: RE: モネの絵にのめり込んでいきます。

    追伸です:
    オランジュリーのモネの庭の平面盤おかげさまで見つかりました。ありがとうございました。
     絵画検索では「goo」を忘れていました、プーシキン美術館の「白い睡蓮」は「白い睡蓮」だけで絵が検索できますが、おまけに白い睡蓮の写真までもです。

    当然といえばそうですが、便利なのでどうぞ。(すでにご承知とおもいましたが)。

    調べてみますと、日本における「モネの睡蓮」絵の所有美術館は13箇所、モネを持っている美術館総数は33箇所のようです。

    ちなみに、私も10年前から睡蓮を一鉢栽培しています。冬鉢を移動してでも家の中で10度をキープできれば、熱帯性の青い睡蓮がほしいところです。
     モネ、モネ・・・、睡蓮、睡蓮・・・でご迷惑をおかけしてしまいました。

    PS:比叡山山頂に、花の画家の庭園があります。陶板画とその画材の花を対比しての花壇と庭園のようです。
    2006年01月16日09時03分 返信する
  • 「モネの館と睡蓮の池」が高知に!

    ソフィーさんの「モネの池」3枚、すばらしい写真に見入ってしまいます。
    一体データーベースはどのくらいお持ちなのでしょう。中途半端ではないことはたしかですネ。
     モネがあこがれていた日本に「北川村モネの庭マルモッタン」が出現したことは、本場「ジベルニーモネの庭」を訪問しなくても、その分身で満足させてくれます。 これで満足できないようになったら、オルセー、オランジェリー、マルモッタンの美術館への訪問とともに、パリーにどうぞです。

     モネの愛好者は、モネが睡蓮の画材に対する取り組みを体得する意味においても、見学者に邪魔されず、池の傍でゆっくり光の変化、水面の反映など、その瞬間を写生してみたいものです。

     そこで提案です。
     モネをこよなく愛する愛好家のためにも、夏休み期間中、週一回の休日を愛好家の画家さんたちのために、のみ開園して欲しいのです。

     園内のメンテナンスの作業に邪魔になりませんし、見学者はいませんので、最高で最適な環境で写生と思索にふけることができます。

     また、アクセスの不便さでは、高知空港に飛来しますと、後は簡単です。

     問題は、いまだ知名度が浸透していませんので、四季折々の花木と庭の変化の情報の発信頻度をあげること、リンクを関連するHPに張ってもら努力をすることでしょう。 レピーターの来園を促す方策も必要でしょう。
    如何でしょうか?

    2006年01月11日21時29分返信する 関連旅行記

    RE: 「モネの館と睡蓮の池」が高知に!

    モネの絵は、著作権があるので恐る恐るブログに出しております。
    外国のウェブサイト(英語で検索)にたくさんあります。

    北川村のHPは立派ですね。
    出来ればブログで毎日の情報を発信すれば、良いのではなかろうかと思います。

    HPではアプローチの案内が不足です。
    高知空港から車で何分。
    距離は何キロで、タクシーはいくらかかるか。
    等々です。

    モネがジヴェルニーを選んだのは、鉄道の駅が近くにあったからなのですね。
    昔画家たちが泊った宿のsるじに聞きました。
    2006年01月12日11時30分 返信する
  • 「モネの館と睡蓮の池」が高知に!

    ソフィーさんの「モネの池」3枚、すばらしい写真に見入ってしまいます。
    一体データーベースはどのくらいお持ちなのでしょう。中途半端ではないことはたしかですネ。
     モネがあこがれていた日本に「北川村モネの庭マルモッタン」が出現したことは、本場「ジベルニーモネの庭」を訪問しなくても、その分身で満足させてくれます。 これで満足できないようになったら、オルセー、オランジェリー、マルモッタンの美術館への訪問とともに、パリーにどうぞです。

     モネの愛好者は、モネが睡蓮の画材に対する取り組みを体得する意味においても、見学者に邪魔されず、池の傍でゆっくり光の変化、水面の反映など、その瞬間を写生してみたいものです。

     そこで提案です。
     モネをこよなく愛する愛好家のためにも、夏休み期間中、週一回の休日を愛好家の画家さんたちのために、のみ開園して欲しいのです。

     園内のメンテナンスの作業に邪魔になりませんし、見学者はいませんので、最高で最適な環境で写生と思索にふけることができます。

     また、アクセスの不便さでは、高知空港に飛来しますと、後は簡単です。

     問題は、いまだ知名度が浸透していませんので、四季折々の花木と庭の変化の情報の発信頻度をあげること、リンクを関連するHPに張ってもら努力をすることでしょう。 レピーターの来園を促す方策も必要でしょう。
    如何でしょうか?

    2006年01月11日21時29分返信する 関連旅行記

    RE: 「モネの館と睡蓮の池」が高知に!

    モネの絵は、ずいぶん時間をかけて描かれたようです。

    彼のアトリエには、画架が林立していたと言われます。

    オランジュリーの睡蓮は、彼の死後アトリエから持ってきたものと聞いております。
    言うなれば未完の絵なのですね。
    2006年01月12日11時35分 返信する

    RE: RE: 「モネの館と睡蓮の池」が高知に!

    このたびの、ご好意に大変感謝しています。
    アクセス、グログの配信その通りです。
     モネは、光の一瞬の変化を連作として描きましたので、常に5,6枚のキャンパスを持ち歩き、長時間かけて描きました。
    アトリエでも、同時並行での創作です。

     1914年古い友人であり当時首相のクレマンソーから大装飾画の睡蓮の連作
    の寄贈を依頼され、その条件として、  展示室の仕様を要求した。

     1916年から大アトリエを建設、白内障が進み、ついに、すべてが青しか見えない失明状態の中、1226年12月5日没するまで、1部未完成のままで終わった。

     オランジェリー美術館には1部屋4枚づつ、2部屋あり、縦2メートル延べ横幅90メートルが展示。(青っぽいです)

     1部屋4枚の睡蓮の絵に囲まれた部屋の中心(池の水面の中心)から水面の視点で鑑賞するように創作です。

     宗教的幽玄の世界に引き込まれます。モネの終局的な睡蓮の印象画の究極的な観念は、水面の反映とその揺らぎ,睡蓮の色の変化を描くことに集約できると思います。

     遺作は、マルモッタン美術館に、数多く残された書簡は、一括してオルセー美術館に、同館のシルビー・パタン女史は、「北川村モネの庭マルモッタン」の名誉顧でもあり、世界で有名なモネの研究者です。

    「光の追求こそモネの生涯の課題であった」とシルビー・パタン女史の結論
    です。

     モネに魅せられるところは、モネの書簡からにじみでる生活の実態とそのとき描いた絵画が鑑賞できる点にも魅力です。

     同様、花の庭も知られていませんが、園芸家としてのモネの花への尋常さと、そのこだわりにも(日本の花木を輸入)書簡から感動です。
     植物園と異なる色彩表現を基調とした感覚の庭園の実現です。

     愛する日本にのみ委譲された「北川村モネの庭マルモッタン」は美術庭園としてその意義は大きいと思われませんか。

    PS:アメリカでしたか。日本にはありませんでした。感謝です。
     原画でなくても陶板画でもだめです。
    2006年01月13日00時06分 返信する

    モネ

    モネの絵からは、平和、平穏、活動、調和などを感じますね。
    私は大好きです。

    最初に感動したのは、たしかルーヴルだったかと思いますが、ルアン大聖堂の連作が5枚並んでいる光景でした。

    一度模写を試みましたが色が出せず、断念中です。
    色だけでなく、筆の勢いも出せません。

    ブログは前原さんがお出しなさればいかがでしょうか。
    この掲示板の文章をそのままお使いになれば、OKと思います。

    一昨年奈良にモネ展を見に行きました。
    亡くなる直前の時代の、単色と思われる絵に、興味を持ちました。
    2006年01月13日03時02分 返信する

    RE: モネ

    かえすがえすも、重ねてのご好意感謝いたします。
    その節にはぜひ事後教授ください。
    現在、抱えているプロジェクトに忙殺されています。
    絵をお描きですか、私は全くだめです。

     印象画の描き方なのですが、高階秀爾氏(国立西洋美術館館長から
    の引用です。
    色彩分割手法をあみだした:色を混ぜての表現は
    明度が落ち暗くなることをやめ、混ぜる色をそのまま画面に並置して混ざったように表現した。その結果画面は明るい光に輝くようになる。
    そのため、形態は精確さを欠き色彩は独立して、晩年の作品は光と色の壮大な交響曲となる。とあります。
    例:「カビュシーヌの大通り」1873年画で群集を点描写し批判を浴びたので
    有名。
    「ルーアンの大聖堂」の連作は、1892年と1893年の2回にわたり、33点のようです。キャンパスを33枚とっかえひっかえ描いたのでしょう。
    石の壁面の光の変化の一瞬、一瞬をとらえた連作。
     
    模写の展示ともなれば、美術館規模ですね。



     

    2006年01月13日15時28分 返信する

    RE: RE: モネ

    高階さんのお話、ありがとうございました。
    早速「キャピュシーヌ大通り」と「ルアン大聖堂」を、土佐のモネに貼り付けておきましょう。

    色彩分割は、点描に発展したのだろうと思います。
    点描の元祖だろうスーラについて、このブログのアニエール538、539(共に1972年10月20日に整理されております)に書いておきました。
    ご覧下されば幸いです。

    またスーラの点描をさらに発展させたシニャックについて、新たなレポートをこのブログに付け加えます。
    2006年01月13日20時46分 返信する

    RE: RE: RE: モネ

    ご好意ありがたく改めて感謝いたします。
    ご紹介して頂き早速拝見いたしました。
    「あっとゆうま、に」充実です、すごい一語です。

     「モネの庭」について造詣の深い方がおいでです。
    すでにご存知かと思いますが、関西の大手前大学「六人部昭典教授(ろくとべあきのり氏:阪大卒)です。
     モネを中心に19世紀〜20世紀の美術研究です。翻訳、監修、著書もありです。
     研究論文は、ぜひお目にかかりたいですし、一度お会いしてみたい方です。都合の良いことに、西宮在住ですから機会を持ちたいと思っています。


     先にご紹介した高階秀爾氏は、オルセー美術館のシルヴイ・パタン氏(オランジュリー美術館からオルセーの主任学芸員)のモネの書簡紹介の図書「モネ印象派の誕生」の翻訳、監修者です。

     関西にも、睡蓮の絵がありますが、最後に描いた大装飾画は、陶板画ながら、鳴門の大塚国際美術館。
     また実物?が香川県の島の直島地下美術館にありそうです。(計5枚のモネの絵があります)

     この美術館は、ベネッセの経営で、国立公園の景観保持から半地下です。
    モネが睡蓮の大連作を描くための建設した大アトリエ(高さ2メートル長さ6メートルのキャンバスを移動できる画架で屋外での写生、室内での制作)の天井が聡ガラス張りでしたので半地下(安藤忠雄設計)です。
    同じ設計者で、モネのある大山崎美術館も天井からの採光です。

     オランジュリーに寄付し室内で鑑賞する環境を配慮した視点で描くモネの執念I近い生涯最後の意図を強く感じます。(すでに顧客満足度の追求)
    それだけに、「モネの庭」に敬愛と愛着が増してきます。
    ありがとうございました。

    PS:箕面に画家の鍋井克之さんがお住まいだったのでは、趣味でラジオの
    製作と修理から親しくなり、関西画壇歌舞伎を結成?よく招待されてまいりました。 
    2006年01月14日12時13分 返信する

    RE: RE: モネ

    絵のことをいろいろ教えて頂き、ありがとうございます。

    シニャックの稿は出来ているのですが、市電について三都市を並べたい
    2006年01月14日14時57分 返信する

    RE: RE: RE: RE: モネ

    絵のことをいろいろお教え頂き、ありがとうございます。

    シニャックの稿は出来ているのですが、画面に三都市の市電を並べたいので、いま少しお待ち下さい。

    2006年01月14日15時01分 返信する

ソフィさん

ソフィさん 写真

61国・地域渡航

36都道府県訪問

ソフィさんにとって旅行とは

半世紀世界を歩き回りました。
片瀬貴文さんの旅行記
http://4travel.jp/traveler/takafumi/
もご覧下さい。
「旅は人生の縮図である」(ソフィー事片瀬貴文著「おやじの歩いた地球」より)

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