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1961年10月21日(土)<br /><br />昨日のアニエールで思い出し、今日は同じくセーヌ河畔にあるアルジャントゥーユに出掛ける。<br />睡蓮の絵で名高いクロード・モネ(1840-1926)は、1871年から76年までここに住み、数々の作品を残した。<br /><br />昨年日本で開かれた「モネ展」でも、「アルジャントゥーユの橋」が展示されていたので、この地名を覚えておられる方も多いだろう。<br /><br />1869年以来、ルノワールとモネは絶えず出会って、同じスタイルの作品を描き続けていた。<br />アルジャントゥーユでは、しばしばシスレーとカイユボットが加わり、1874年にはマネも一緒になった。<br /><br />彼らはセーヌ川にボートを浮かべて遊び、船上にアトリエを作って河から両岸の風景を描いたりしながら、ヨットなど川の風景を多く残した。<br /><br />印象派の仲間たちがここに集った頃の印象派の動きを、「アルジャントゥーユ時代」と呼ばれたりしている。<br />マネとルノワールは、ほぼ同じ角度から、モネ夫人と息子のジャンの姿を描いた。<br /><br />当時のセーヌ河は、周辺に人家が建てられ始め,人々の生活が感じられる。<br />のどかな川縁は,人々がささやかとはいえ自然と親しみ、その中に幸せを感じることが出来た。<br /><br />今日は晴天に恵まれ、絵のように美しい景色を期待したが、見事に裏切られる。<br />現在は工場地帯で空はパリより汚れ、この国では珍しい小さなバラックや長屋が目立っている。<br />

アルジャントゥーユ 546 長閑な風景が百年で変わった

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1972/10/21 - 1972/10/21

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15

3

ソフィ

ソフィさん

1961年10月21日(土)

昨日のアニエールで思い出し、今日は同じくセーヌ河畔にあるアルジャントゥーユに出掛ける。
睡蓮の絵で名高いクロード・モネ(1840-1926)は、1871年から76年までここに住み、数々の作品を残した。

昨年日本で開かれた「モネ展」でも、「アルジャントゥーユの橋」が展示されていたので、この地名を覚えておられる方も多いだろう。

1869年以来、ルノワールとモネは絶えず出会って、同じスタイルの作品を描き続けていた。
アルジャントゥーユでは、しばしばシスレーとカイユボットが加わり、1874年にはマネも一緒になった。

彼らはセーヌ川にボートを浮かべて遊び、船上にアトリエを作って河から両岸の風景を描いたりしながら、ヨットなど川の風景を多く残した。

印象派の仲間たちがここに集った頃の印象派の動きを、「アルジャントゥーユ時代」と呼ばれたりしている。
マネとルノワールは、ほぼ同じ角度から、モネ夫人と息子のジャンの姿を描いた。

当時のセーヌ河は、周辺に人家が建てられ始め,人々の生活が感じられる。
のどかな川縁は,人々がささやかとはいえ自然と親しみ、その中に幸せを感じることが出来た。

今日は晴天に恵まれ、絵のように美しい景色を期待したが、見事に裏切られる。
現在は工場地帯で空はパリより汚れ、この国では珍しい小さなバラックや長屋が目立っている。

  • モネ「アルジャントゥーユの橋」

    モネ「アルジャントゥーユの橋」

  • モネ「アルジャントゥーユの船だまり」

    モネ「アルジャントゥーユの船だまり」

  • モネ「アルジャントゥーユのヨットレース」

    モネ「アルジャントゥーユのヨットレース」

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この旅行記へのコメント (15)

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  • maeさん 2006/01/29 20:43:37
    アルジャントウイユの「ひなげし」の野原も?
    アルジャントウイユ今様浦島さんでしたか?
    ひなげしの野原もでしょうね。
    この赤いひなげしを「北川村モネの庭マルモッタン」の近くに再現したら
    さぞすばらしいと思っていたのです。水仙とか、コスモス意味がなく
    モネに特化したのは、何と言っても「ひなげし」ですから。
    ほかにものような、絵を描いているのでしょうか?

    ソフィ

    ソフィさん からの返信 2006/01/29 22:33:40
    RE: アルジャントウイユの「ひなげし」の野原も?
    フランスの野原一面に咲く真赤な「ひなげし」。
    この花を見ると、また春が来たなと、幸せな気持になります。

    その名も「コクリコ」。
    いい響きですね。

    モネの庭には日本から取り寄せた花が多く、たしか芍薬もあったかと思います。
    水仙もあったように記憶しますが?

    mae

    maeさん からの返信 2006/01/30 22:39:22
    RE: RE: アルジャントウイユの「ひなげし」の野原も?
    モネと日本の植物の関係です。

     ざっとモネの手紙から拾ってみますと、牡丹(冬は温室管理)竹、
    柳、杏梅、水仙、
    北斎の花:これは自慢としています(アヤメ、菊、牡丹)
    現在庭にある100年を越す桜の苗

    曖昧な文章から梅、
    苗、種、花木の注文多数。
    日本人から直接寄贈のたね、苗木は結構多い

    コレクターからは
    林忠正(1879パリー万博日本館会場係からパリーで日本美
    術商)(牡丹、菖蒲の種)

    後はご存知の松方幸次郎児島虎次郎、成瀬正一、矢代幸雄・福子
    夫妻、黒木三次・竹子夫妻の訪問で贈呈

    さらに訪問者は黒木の弟の清、和田英作、坂崎坦
    画家;福島繁太郎、正宗徳次郎、高畠達四郎、などで、
    おみやげは、植物の種が多かったようです。
    モネは日本人を優遇したことでも有名ですネ

    特筆すべきは
    モネの死後最初の追悼記念展(1927年2月)は日本で行われ
    最終日の2月24日追悼晩餐会も開かれています。

    PS:好物でよく作った得意料理は「あんず茸」でした。

    ソフィ

    ソフィさん からの返信 2006/01/31 22:28:41
    モネと日本人
    モネと日本人。
    私の知らないことばかりです。

    ずいぶん古くから、また深い関係があるのですね。
    私の会った昔のホテルのおやじによれば、アメリカの画家もたくさんジヴェルニーに来たようですね。

    彼等がなぜやって来たのでしょうか。
    それは、モネがいたからだろうと思います。

    彼は人間好きで、訪客を大いに歓迎したのでしょう。
    しかし村に近い駅のあった鉄道は廃止され、今の駅は不便のようです。

    ところで「あんず茸」とは、どんなものですか。




    mae

    maeさん からの返信 2006/02/03 00:26:47
    RE: モネと日本人
    あっとゆうまに、掲示板が流れます。
    ご返事です。

    「アンズ茸」:1890年7月21日の依頼の書簡に、「食いしん坊のわたしに
    今、多く自生している「アンズ茸」料理のレシピを教えてほしいとありました。

    「モネのレシピ」」は、出版され日本訳もありますが「アマゾン」で探し方が
    悪く検索不能でした。 
    「北川村モネの庭マルモッタン」で現物を見ましたのでこの図書の中にあるかも、
    しれません。
    ここでは、モネのレシピの料理を提供していますが、「アンズ茸」のメニューはあ
    りません。

    ケーキ、焼き菓子の類は結構あります。
    近くでは、「ガーデンミュージアム比叡」
    http://www.garden-museum-hiei.co.jp/
    にありそう、目下3月まで冬眠中です。
    今後の課題にしましょう。

    アメリカの画家ですが、訪問したのでしょう。よく分かりませでした。
    当時のアメリカの画壇でそれらしい有名な画家がいたのでしょか。
    もしかしたら、バイヤー系かも

    モネの家には、頻繁に有名な画家が集まり、自慢、悩み、作品、船、批評を食事をしながら談笑です。
    料理の自慢、花壇、花(アイリスが咲いた招聘など)
    の自慢がモネの話題です。
    日本から集めた自慢の花を見せるための誘いは、大いに想像がつきます。

    よく、招聘されるメンバーは、1894年11月23日、セザンヌに友人を紹介する書簡から、セザンヌ、ジェフロワ、ミルボー、ロダン、クレマンソー達です。
    モネの残された書簡は、膨大でこれを見ても、多くの人脈とその交流が伺われます。
    ロダンは、作品を通じ意気投合しています。
    ますます面白い。

    ソフィ

    ソフィさん からの返信 2006/02/03 19:58:23
    RE: RE: モネと日本人
    「あんず茸」はどんなものでしょう。
    楽しみしています。

    ジヴェルニーに、「昔ここにセザンヌ、・・・が泊った」との看板が出ている、レストランがあります。
    そこのおやじは、昔はアメリカの若者がやって来たと言っていましたから、私は画家だとばかり思っていました。

    そのレストランの前の風景は、セザンヌがスケッチして、現在も昔のままの風景に保たれているとのことでした。
    「遠景を昔のままに保つことには、苦労する」
    おやじの談です。

    mae

    maeさん からの返信 2006/02/05 19:24:40
    RE: RE: RE: モネと日本人
    恐縮です。
    返事がどこかで、なくなり、到着してませんでした。
    アンズ茸は目下問い合わせ中です。アメリカの
    連中は、画家も、バイヤーも多く来ていました。
    評論家、園芸店主、マスコミ画廊主など多彩です。
    モネがジベルニーの家を購入できたのも、アメリカで
    開催した展覧会の収入だったとあります。

    モネの園芸熱は、園芸家、園芸店主、園芸雑誌投稿、など
    の熱の入れようで、ヨーロッパの庭と温室の植物誌、1854年
    発刊全26巻を参照して、徹底してきれいな花木を選別して
    大量に購入したとあります。
    モネもダリアで多くの新種を作出しています。

    クレマンソーも園芸が好きで、軍務の途中で抜け出して
    モネを訪問、絵画、美術、園芸の話に夢中であったと。

    とりあえず。

     

    mae

    maeさん からの返信 2006/02/05 21:32:29
    RE: RE: RE: RE: モネと日本人

    追伸です

    セザンヌについて

    1876年モネはアルジャントウユにセザンヌを招待
    1877年セザンヌ:第三回印象派展に16点出品
       それ以後分離派として、印象派と別の行動
    1878年モネ:アルジャントウユを離れヴェトウイユへ転居
    1883年5月モネ:ジベルニーに移転
    1895年セザンヌが成功します。

    1894年モネの家に、人嫌いのセザンヌを励ますため昼食に招待する
    書簡があります。
     ゼフロワ、ミルボー、ロダン、クレマンソーの仲間が集まる。
    1902年セザンヌは、友の書簡にモネとルノアール以外は軽蔑していると。
    1895年7月モネへの書簡に「貴兄の下で精神的な支えに出会え、
    どれほどうれしかったことでしょう。それは、私が絵を描く
    刺激となっています」と
    1903年友人にあてた書簡に私達がともに仰ぎ見る巨匠(モネ)
    に会ったらよろしくとあります。

    いかにモネが尊敬されていたかわかります。
    このころ、セザンヌがジベルニーに訪問したのでしょう。
    では

    ソフィ

    ソフィさん からの返信 2006/02/06 04:28:54
    知りたいことが一杯です
    モネの研究が進みますね。
    モネはヴェニスもたくさん書いていて、この表紙写真もモネの絵です。

    maeさんのお陰で、モネのことをたくさん知ることが出来ました。
    有難うございます。

    「ギリシャ史」ほとんど読み切りました。
    次は「アメリカ生活史」です。

    「クオレ」も読みたいし、本の山が高くなる一方です。
  • maeさん 2006/01/28 16:13:12
    これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく
    モネを語らずして、ソフイーさん無し、盲点の感じのよう。
    これからもモネの絵を楽しみに旅行記をお願いです。
     



    ソフィ

    ソフィさん からの返信 2006/01/28 18:04:26
    RE: これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく
    最近モネづいていますね。
    また良い絵を探しておきます。

    このブログの、2005年4月18日ごろ?の旅行記に、ジヴェルニー訪問記を書きましたが、お読みくださったでしょうか。

    mae

    maeさん からの返信 2006/01/28 23:28:44
    RE: RE: これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく
    ご紹介頂きましてありがとうございます。
    適格な記事に共鳴をし感服しています。
    仰せの4月19日「ジベルニーモネの庭」の記事ダウンロードし大切にし保存してあります。
    ご好意いつもありがとうございます。

     モネの館の近くの教会にお墓があるようですが、無宗教だったそうですが、
    モネの思想と関係があったのでしょか?
     例の「死の床のカミーユ」1879年で「あれほどいとおしかった人の死の床で、色の変化を機械的に写している自分に気付いた。色彩の衝撃によって手が勝手に動き出した。」とあり色彩に対する執念に似た画家気質に驚愕と驚嘆を感じます。
    ますます、絵から得たい気持ちが高じています
    描いたときの心境とその描きたくなった遠因などに興味がわいてきます。
    またよろしくご教授下さい。    前原

    ソフィ

    ソフィさん からの返信 2006/01/29 22:27:48
    RE: RE: RE: これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく
    たいした記事ではありませんが、昨春ジヴェルニーに言ったときの旅行記は三つあります。

    モネの宗教心については、これからの研究課題です。
    ただ彼は友達に好かれたらしく、彼の住む場所には人が集まりましたね。

    ジヴェルニーに住もうとしたとき、村人から排斥されたとのこと。
    このあたりも、今後の研究課題です。

    睡蓮の池も、勝手に取水して、近隣の顰蹙を買ったと言う事も聞きます。
    真偽も含めて、研究課題です。

    mae

    maeさん からの返信 2006/01/30 21:16:56
    RE: RE: RE: RE: これを契機モネの絵画の遍歴をよろしく
    返送しようとしたら、消去です。遅れてしまいました。
    排斥と顰蹙です。
    排斥は、邸のの拡張時、池と鉄道の土地取得時、池の拡張と水の取り入れ方法など。
    水と植物の規制(自然をこわすな)といった問題Iで相当苦しめられ、自暴自棄になり、
    何もかもやめた、土地はくれてやるとあります。

     その救済主は「クレマンソー」でそのつど面倒をみたと書信から窺えます。

     農業用水を使わせない、池の使用量の規制、家畜の飲み水、洗濯用などへの汚染と
    弊害を心配し、水換えは夜だけ、汚さない、自生する睡蓮や多種のアイリスのみの栽培、
    (これは、新しく植えた植物からでる毒物を嫌ってのいやがらせです)。
     徹底的に排斥した形跡があります。

    訪問者についても平和を乱す、雰囲気を変えられる、同調・同化ができないなどの
    排斥です。

    しかし、ジベルニーに来てから、モネの衣服が一変、袖にひらひらが付き都会ごのみの服装です、功労者は、アリスです。

    来訪者は、有名人たちで、村民はモネを歓迎し受け入れることとなった。
    画家の友人が圧倒的、モネは料理に凝っていて、パーティは頻繁、レシピまで残っている。

    当時最新のオーブンが残っていることでも想像がつく。得意な料理をけなした者は呼ばない。来訪の友達、バイヤー、日本人で料理の名前とともに次回です。

    ソフィ

    ソフィさん からの返信 2006/01/31 22:18:19
    モネについて教えてくださり有難うございました
    ジヴェルニーでの、モネ。
    興味がありました。

    いろいろお教え下さり、有難うございました。

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