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ゆっくさんのトラベラーページ

ゆっくさんのクチコミ(2ページ)全1,048件

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  • 根津神社で行われる江戸の風景

    投稿日 2021年09月26日

    文京つつじまつり 谷根千

    総合評価:5.0

     令和3年の根津神社の「つつじまつり」はコロナ禍で中止でした。が、近所に用事があったため参拝に。満開時を幾分過ぎていましたが、それでも豪華に咲き誇っていました。根津神社の境内からも眺められますが、200円を寄進すると、斜面のつつじ苑に入ることができます。末社の乙女稲荷神社の千本鳥居と見事にマッチしていました。
     根津神社が、現社地に遷座したのが1706年。それまでここは甲府藩の江戸邸でした。甲府藩城主徳川綱重が庭につつじを植えたのが、つつじ苑の起源だそうです。綱重は徳川三代将軍家光の三男。そして、綱重の兄が四代将軍家綱。弟が五代将軍綱吉。綱重の子が六代将軍家宣となります。ちなみに、根津神社の本殿、幣殿、拝殿、唐門、西門、透塀、楼門は1706年の造営以来の建物で国の重文に指定されています。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    1.0
    催し物の規模:
    5.0
    雰囲気:
    5.0

  • 300年前に建立された国の重文指定の社殿

    投稿日 2021年09月26日

    根津神社 谷根千

    総合評価:5.0

     最寄駅の東京メトロ千代田線「根津」「千駄木」駅からどちらも500m程。なお、根津裏門坂の北参道から鳥居を潜った先に、無料の駐車場があります。
    元准勅祭社、現東京十社の一社です。御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)とそうそうたる神々。
     日本武尊が、西暦110年頃の東征の折に、千駄木に創祀したのが起源だそうです。東京十社の中で一番創建が古いです。数度の遷座を経て、1706年に現社地へ。元々甲府藩邸だった場所で、徳川六代将軍家宣が生まれ育った場所。家宣が将軍職を継ぐことが決まり江戸城に入城した後、家宣の産子神である根津神社に藩邸地を献納。五代将軍家綱によって、天下普請で社殿が造営されたそうです。
     参道は最初東から西に向かってますが、途中北向きに折れています。折れた先に楼門、唐門、社殿が一直線に見えてきます。ちなみに、本殿、幣殿、拝殿、唐門、西門、透塀、楼門が造営以来現存しており、国の重文に指定されています。社殿には神仏習合の名残の「卍」が随所に見受けられました。根津神社で有名な西側斜面にあるつつじ苑は甲府藩邸時代に家宣の父綱重が庭に植えたのが起源だそうです。末社の乙女稲荷神社の千本鳥居とのコンストラストが綺麗でした。また、西参道そばの末社の駒込稲荷神社は、甲府藩邸時代から創祀されている地主神だそうです。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    2.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 衣食住と土地の神様

    投稿日 2021年09月26日

    飯富稲荷神社 神楽坂・飯田橋

    総合評価:4.0

     東京大神宮の境内社です。東京大神宮へは最寄駅のJR、東京メトロ、都営地下鉄の「飯田橋」駅から300m程です。なお、併設されている無料の駐車場はなかったです。
     東京大神宮が日比谷にある時からの境内社であり、昭和3年に共に遷座してきたそうです。主祭神は、稲荷大神の他、大地主大神も祀られています。夏の大祭がある8月15日にのみ、御朱印が授与されるとのことです。
     東京大神宮はオフィスビルに囲まれた中、文字通り緑のオアシスでした。東京大神宮の境内に入る神門の直ぐ右手に鎮座しています。写真を撮ると、ビルの反射だと思いますが、後光が射しているようでした。参拝後、なんとなく清々しい気分でした。比較的新しい神社だからなのか、神使の狛狐像がなかったような。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 明治に出来た伊勢神宮の遥拝所が起源

    投稿日 2021年09月26日

    東京大神宮 神楽坂・飯田橋

    総合評価:4.0

     最寄駅のJR、東京メトロ、都営地下鉄の「飯田橋」駅から南に300m程です。なお、併設されている無料の駐車場はなかったです。
     東京五社の一社、神社本庁の別表神社です。創建は比較的新しく明治になってから。1880年(明治13年)に、明治天皇により、現日比谷シャンテ付近にあった伊勢神宮の事務機関(神宮司庁)の東京主張所内に出来た伊勢神宮の遥拝所が起源だそうです。関東大震災で被災し、1928年に現社地に遷座。ゆえに、御祭神は、伊勢神宮の御祭神である天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)、倭比賣命(やまとひめのみこと)、及び造化三神の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)です。
     社殿はオフィスビルに囲まれた中、文字通り緑のオアシスでした。境内はこじんまりしていますが、社殿はどっしりと重厚でした。南を向いています。神前結婚式の発祥の地とのことで、結婚式場が境内に併設されています。比較的新しい神社だからなのか、神使の狛狗像がなかったような。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    1.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 世界最大の孔子像がある孔子廟

    投稿日 2021年09月26日

    湯島聖堂 御茶ノ水・本郷

    総合評価:3.0

     最寄駅はJRあるいは丸の内線の「御茶ノ水」駅すぐ。神田川の北側にあります。なお、併設されている駐車場は無かったです。湯島天満宮と勘違いしてしまいそうですが、こちらは神社ではなく孔子廟となります。
     1632年に儒学者である林羅山という人物が上野に開いた孔子廟と私塾が起源です。儒学に傾倒していた徳川五代将軍綱吉の命により、1690年に、この地に移ってきたそうです。現湯島聖堂と、その西側の東京医科歯科大学を含むエリアです。 その後、1797年に私塾は幕府直轄の武士のための学校(昌平坂学問所)となります。明治になると学問所は廃止、孔子廟だけが残りました。その後、学問所の跡地には、筑波大学の前身となる師範学校やお茶の水女子大学の前身となる女子師範学校等が置かれるようになります。孔子廟は国の史跡に指定され「湯島聖堂」となります。しかし、関東大震災でほとんどが焼失。両大学は大塚に移りましたが、湯島聖堂は昭和10年に幕府直轄になった寛政時代を模して再建されます。
     敷地の西側の孔子廟にあたる「大成殿」は目の前にすると「黒い」という印象でした。火事にあったのかと思う程、黒くて、中庭に入ると圧迫感があります。なお、建物内には土日祝にしか入れないそうです。入徳門は関東大震災や空襲の災禍を免れた現存する唯一の木造建造物だそうです。敷地の東側には管理団体の建物の斯文会館があります。御朱印はこちらで拝受できます。斯文会館の裏には孔子像があり、世界最大だそうです。

    旅行時期
    2021年04月
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 日本初の西洋競馬場の地

    投稿日 2021年09月26日

    靖国神社 市ヶ谷

    総合評価:5.0

     最寄駅の東京メトロ、及び都営地下鉄の「九段下」駅から100m程。なお、靖国通り沿いから入れる有料の駐車場があります。桜の時期に訪れましたが、名所といわれるだけあり、見事でした。
     旧別格官弊社、勅祭社、東京五社の一社。明治天皇の勅命により、1869年(明治2年)に、戊辰戦争に尽力した御霊を慰めるために建立した東京招魂社が起源だそうです。1879年には「靖国神社」と改名し、幕末から明治にかけての維新の御霊も合祀。現在、第二次世界大戦までの国のために命を落とした戦没者を英霊として祀っています。ゆえに、御祭神は、全ての英霊となります。
     社殿は東向き。正式参拝しないと見られませんが、本殿のみ創建時の建物(1872年)で、次に古いのが東京の桜の標準木の後方にある能楽堂が1881年(1903年に芝から移築)、拝殿が1901年、神門は1934年に建立されています。現社地は、元々は江戸幕府の歩兵屯所地でした。この場所に目をつけたのが、境内の参道中央に銅像が建っている大村益次郎です。益次郎は維新の十傑の一人で、戊辰戦争では司令官補佐を務め、日本陸軍の創始者と言われる人物です。参道は靖国通りに平行して500m程におよぶ直線ですが、明治期は競馬場で、例大祭時に奉納競馬が行われていたそうです。日本初の西洋競馬場だったそうです。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    1.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 板橋宿鎮守

    投稿日 2021年09月26日

    氷川神社 (板橋・仲宿) 板橋

    総合評価:4.0

     最寄駅の都営三田線「板橋区役所前」駅から山手通り(中山道)沿いを北に500m程。「氷川神社前」という交差点西側から山手通りに平行するように参道が続いています。参道は意外に長く100m程。社殿は昭和33年に再建されたそうですが、綺麗に掃除・整備がなされており、とても新しく感じました。地元の方々に愛されていることがわかる神社でした。
     1206年、この地の領主豊島氏により、武蔵国一の宮氷川神社(現埼玉県の大宮氷川神社)を勧請したのが起源だそうです。御祭神は、氷川神社ですので、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)です。
     氷川神社あるところに暴れ河ありと言われるように、境内裏には石神井川が流れています。以前は石神井川畔の景勝地だったそうです。石神井川の取り残された流路を活用した板橋区の無料の釣り堀もありました。山手通りの東50m程を旧中山道が平行して走っており、板橋本陣が置かれた仲宿があります。そのため、板橋宿の鎮守としても信仰されているそうです。

    旅行時期
    2020年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 鎌倉幕府打倒を掲げた皇子を御祭神とする神社

    投稿日 2021年09月16日

    鎌倉宮・鎌倉宮宝物殿 鎌倉

    総合評価:5.0

     鎌倉駅からバスで「大塔宮」下車。目の前です。ちなみに、無料の広い駐車場があります。鳥居が特徴的で、笠木のみ赤く、他は真っ白でした。旧官幣中社ですが、創建は比較的新しく明治天皇の勅命により明治2年です。御祭神は、後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良(おおとうのみやもりなが)親王。
     護良親王は鎌倉幕府打倒の立役者として征夷大将軍に任命されたものの、足利尊氏に謀られ、この地(東光寺)に幽閉され暗殺されました。28歳だったとのことです。本殿の裏には、幽閉された岩窟(復元)があり、有料ですが見学することができます。4月上旬に訪れましたが、うぐいす鳴き声が印象的でした。境内には吉野で護良親王の身代わりとなって捕らわれた撫で身代わり様や厄割りの盃割り舎等があります。また手水舎には、この時期なので閉鎖されていますが、護良親王がお守りとした真っ赤な獅子頭で埋め尽くされていました。
     御朱印は向かって右にある社務所で拝受できますが、可愛い巫女さんのしおりも付いてきました。なお、神社に向かって右の道から更に500m程の山の上に宮内庁管轄の護良親王の墓所があります。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 武士政権誕生の鎌倉に武士政権を終わらせた薩長の祖の墓

    投稿日 2021年09月16日

    大江広元、毛利季光、島津忠久の墓 鎌倉

    総合評価:3.0

     源頼朝の墓の更に東の山肌に島津忠久、毛利秀光、大江広元のやぐらのお墓があります。頼朝の墓から直接山道を右側に歩いて行くと辿りつけるそうですが、草が茂っており怖かったため、いったん階段を降りて、舗装された道をさらに右側に奥の方に歩いて行きました。すると再び灯篭と階段が出てきます。
     階段を登ると広場となっており、これは北条義時の墓(法華堂)があった場所だそうです。そして、更に広場の奥に2つの階段が続いており、鳥居のある左の階段を登ると大江広元、毛利秀光の墓、鳥居のない右の階段を登ると島津忠久の墓となっています。
     大江広元は頼朝に仕え鎌倉幕府の基盤を作った人物、その四男が毛利秀光で長州藩毛利家の祖となる人物です。そして、島津忠久は頼朝の庶子と言われており、薩摩藩島津家の祖となる人物です。これらのお墓は18世紀末に薩摩藩第8代当主島津重豪によって、頼朝の墓と共に整備されたとのことです。
     誰もが考える事だとは思いますが、武士政権誕生の鎌倉の地に、武士政権を終わらせた薩長の祖の墓があることに歴史のなんたらを感じます。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 18世紀に薩摩島津家により整備

    投稿日 2021年09月16日

    法華堂跡(源頼朝の墓 北条義時の墓) 鎌倉

    総合評価:3.0

     鶴岡八幡宮の東400m程のちょっと奥まった山の中腹にあります。史上初の武士政権鎌倉幕府を作った源頼朝の、しかも、その鎌倉の中心にある国指定史跡のお墓と聞いて参拝に向かいましたが、想像を絶するほど質素でした。法華堂とは墓所に建てられるお堂を指すそうです。
     53歳で没した頼朝は、こちらに葬られたと伝えられているそうですが、当初は武士たちの熱い信仰を集めていたものの、17世紀初めには、お堂はなくなっていたとのことです。18世紀末に第8代薩摩藩主島津重豪によって層塔が整備されたそうです。ゆえに、頼朝の墓なのに、島津家の家紋の十文字紋を確認できます。なんでも、薩摩藩島津家の祖となる人物である島津忠久が頼朝の庶子と言われており、その忠久のお墓と共に整備したとか。その忠久のお墓は、山裾を右の方に進んでいくとあります。
     この山の麓がちょうど鎌倉幕府(大蔵幕府)のあった場所ですので、往時は鎌倉の中心地から崇められる最高の場所だったんでしょうね。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 鎌倉幕府の中心である頼朝館の址

    投稿日 2021年09月16日

    大蔵幕府跡 鎌倉

    総合評価:3.0

     石碑が鶴岡八幡宮の東にある清泉小学校の南西角あります。周りは普通に住宅街です。
     大蔵幕府ってなかなか聞きなれませんが、いわゆる鎌倉幕府の政務の中心地です。頼朝が鎌倉に幕府を開いたことを知っていても、鎌倉のどこが政務の中心地かと言われると即答できる人は少ないんじゃないでしょうか。
     頼朝は、この石碑を中心とした東西300m、南北200mの場所に御所を設け、政務を行っていたそうです。御所の西門、東門があった場所にも石碑が建っており、南は金沢街道となりますので、大きさをイメージしやすいと思います。政子が亡くなると、執権北条氏により、鶴岡八幡宮により近い地に幕府は移ります。この地が幕府の中心地だったのは45年間程なんですね。
     なお、この石碑から伸びる道をまっすぐ北に向かうと頼朝の墓に辿り着きます。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 鶴岡八幡宮より歴史ある地主神を祀る社

    投稿日 2021年09月16日

    丸山稲荷社 鎌倉

    総合評価:4.0

     鶴岡八幡宮の末社で、本宮の西側に建立されています。千本鳥居があるのでわかり易いかと思います。狛狐がマスクをしていました。御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。鶴岡八幡宮が、この地に遷座してくる前から地主神として祀られていたと言われており、現・社殿は1500年に造営され、現存する鶴岡八幡宮の建造物の中では一番歴史があるとのことです。鶴岡八幡宮の本宮、若宮と共に国の重文に指定されています。
     地主神に御参拝することで、その神社の御利益を得られやすくなるといわれていますので、是非ともパワーを頂くために御参拝を。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 政子が頼朝を祀った神社

    投稿日 2021年09月16日

    白旗神社 (鶴岡八幡宮境内) 鎌倉

    総合評価:5.0

     鶴岡八幡宮の摂社で、若宮の東側に建立されています。表参道が、源氏池から北の方続いています。緑に囲まれており、鶴岡八幡宮とは違った空気が漂います。創建は1200年。北条政子により、源頼朝が亡くなった翌年に、頼朝を白旗大明神として祀られました。当初の鎮座地は現在の本殿横の丸山稲荷社があるところ。1885年に鎌倉幕府第三代将軍実朝を合祀し、現在の場所に遷座したとのことです。
     鶴岡八幡宮の朱塗りとは違い、黒塗りの社殿でシックで質実剛健さを感じる社殿でした。さすが、武士の棟梁と言う感じです。勝負運の御利益があるそうです。なんとなく、白旗をあげるというと降参を連想しますが、これは明治になり海外から入ってきた文化だそうで、この場合、白旗は源平合戦で勝利した源氏方の旗の意味で、いわゆる勝利を意味するそうです。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 都になぞらえた際の内裏の場所

    投稿日 2021年09月16日

    鶴岡八幡宮 鎌倉

    総合評価:5.0

     参道である若宮大路はJR横須賀線、江ノ島電鉄の鎌倉駅の目の前。境内へはそこから500m程です。有料の駐車場が境内の北東にあります。旧国幣中社。寒川神社と共に相模国の一之宮です。謂わずと知れた鎌倉源氏の氏社。御祭神は武神の八幡神こと、応神天皇、神功皇后、比売神の三柱です。
     1180年に源頼朝により、鎌倉の地を京の都になぞらえ整備した際に、天皇の住まいとなる内裏の地に建立されました。この地で鎌倉幕府の様々な喜怒哀楽があったんですね。1191年に社殿が火災にあったため、山の中腹を開拓し、現在のような上下両宮配置になりました。その後、度々火災にあい、現社殿は若宮は1624年に徳川秀忠に、本宮は1828年に徳川家斉による再建だそうです。
     本宮に向かって左奥にある丸山稲荷社は鶴岡八幡宮が遷座する前からの地主神が祀られている社で、現・社殿は1500年に造営されており、現存する鶴岡八幡宮の建造物の中で一番古いそうです。丸山稲荷社は、本宮、若宮と共に、国の重文に指定されています。
     ちなみに、鎌倉幕府の政務の中心は、鶴岡八幡宮から東に500m程の大蔵と呼ばれる場所で、頼朝の邸宅が建てられていた場所です。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    1.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 1200年前から400年前までの東京の中心地

    投稿日 2021年09月16日

    国司館と家康御殿史跡広場 国立・府中・稲城

    総合評価:4.0

     大國魂神社の南西側に広場が整備されています。主屋(正殿)、副屋(脇殿)、付属建物の跡地に2.4mの柱が復元されています。また、それらの10分の1の模型も展示されています。国司館とは、律令時代に奈良の都から赴任してきた国司の居室兼執務室になり、今でいう都知事の公館にあたるそうで。
     敷地内にある管理事務所では無料で、当時を再現したVRのゴーグルを貸してくれますが、現在コロナ禍のため、タブレットを貸してくれました。
     また、ここは家康が関東に入封した際に築いた御殿もあった場所だそうで、秀吉への接待や、その後家康、秀忠、家光等の鷹狩の休憩場所にもなっていたそうです。家康の霊柩を静岡の久能山から日光に移送する際にも、この御殿に逗留したとのこと。
     同じ敷地内から1200年前と400年前の遺構を発見するとは凄いですね。この辺りは武蔵国国府跡地として国指定の史跡となっています。なお、大國魂神社の東側には、国衙跡地として、同じく柱が復元されています。国衙は今で言う東京都庁本庁舎にあたるそうです。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 13世紀から16世紀まで活躍した中世城郭

    投稿日 2021年09月16日

    菅谷館跡 小川・嵐山

    総合評価:3.0

     最寄り駅は東武東上線「武蔵嵐山」駅から南に1㎞程です。車の場合、嵐山史跡の博物館に無料の駐車場がありますが、手前の国道254号は中央分離帯があり右折ができないため、ナビを信じていると注意が必要です。城址はGoogleMap等で見ると緑に囲まれているため、山城で登城が大変かと思ってしまいますが、全くの平城で坂道皆無で30分強で巡ることができました。
     嵐山史跡の博物館がある場所が、三ノ郭で、そこから奥に二ノ郭、本郭となっています。ただ、これだけアクセスしやすい立地であり、国の史跡であり、続100名城なのですが、本郭は藪の中で、ちょっと残念でした。
     最初に館を築いたのが鎌倉幕府の御家人である畠山重忠と言われているそうですが、その遺構は発見されておらず、しかも現在の城郭は、さらにその後の戦国時代に山内上杉家により拡張された城郭らしいのですが、それもはっきりしていないとのこと。ただ、中世の城郭として保存状態が良いそうです。ちなみに、続100名城のスタンプは博物館入口の外にあるため、入場せずとも押せます。

    旅行時期
    2021年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 石田堤史跡公園と丸墓山古墳に現存

    投稿日 2021年09月16日

    石田堤 行田・羽生・加須

    総合評価:3.0

     映画「のぼうの城」で有名な、1590年の石田三成の忍城の水攻めの際に築かれた堤防跡です。利根川から荒川にかけて全長28㎞に及ぶ堤防を築いたそうです。そのほとんどが消滅しているそうですが、行田市と鴻巣市の市境付近に、石田堤史跡公園として保存されています。また、三成の本陣は、さきたま古墳群の丸墓山古墳に置かれ、ここを起点に堤防を築いたとのことで、ここにも一部残っています。丸墓山古墳から駐車場に延びる歩道がそれです。丸墓山古墳はここら辺りでは最も高く、忍城も遠くに臨むことができます。ここから西の方面が利根川から荒川にかけて全て水没したと考えると、そのスケールに圧倒されました。

    旅行時期
    2021年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 現存9基の古墳群

    投稿日 2021年09月16日

    さきたま古墳公園 行田・羽生・加須

    総合評価:4.5

     JR、あるいは秩父鉄道の駅からバスが便利です。また相当数停められる無料の駐車場もあります。
     9基の古墳が保存されており、国の特別史跡に指定されています。5~7世紀に造られたそうですが、内部の発掘はされておらず、誰の墳墓なのかは、様々な説があり不明なままだそうです。古代のロマンと言え、大和朝廷から遠く離れた武蔵国の古墳群ですので、ぜひ発掘して、歴史を紐解いて頂きたいです。
     9基の内、丸墓山古墳は国内で最大級の円墳で、この古墳群の中で最も高く、双子山古墳は武蔵国で最大級の前方後円墳だそうです。また、稲荷山古墳と丸墓山古墳には登ることができます。もともと、この辺り一帯には、大小併せて30以上の古墳があったそうですが、周辺の沼地の宅地開発で昭和初期までに取り壊されたとのこと。確かに、こんもりとした丘なので、現存の古墳も言われないと気付かないかもしれません。逆に1500年間残っているのが奇跡かもしれません。埼玉県には、この埼玉古墳群以外にも、古墳が点在しており、全部で5000基近くが確認されているそうです。が、ほとんどが河川の氾濫や干拓、そして石田三成の忍城水攻めの土塁の材料になったりで消滅しているそうです。

    旅行時期
    2021年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    4.5

  • 本丸址地は行田市郷土博物館

    投稿日 2021年09月16日

    忍城址 行田・羽生・加須

    総合評価:3.5

     忍城本丸址地には、現在行田市郷土博物館が建っています。最寄り駅は秩父鉄道の行田市駅で1㎞程です。無料の駐車場も博物館横に併設されていました。
     1988年に博物館の開館と共に、もともと明治時代まで今の水城公園付近に建っていた御三階櫓を復元したとのこと。外観だけなら博物館に入場せずとも見学できます。ちなみに、続100名城のスタンプは博物館入口の外にあるため、入場せずとも押せます。
     忍城は、周辺はもともと沼地の天然の要塞で、自然堤防や島に本丸や二の丸等の郭を造り、それを橋で繋ぐ構造だったそうです。水城公園も忍城の堀の一部だったとのこと。
    15世紀後半に成田氏の居城として築城され、1590年に石田三成による水攻めの後に開城。水攻めでは落城しなかったものの、成田氏がついた北条側が小田原で負けたために説得による開城だそうです。この辺りは映画「のぼうの城」で有名ですね。徳川家康が関東に入府後は、徳川家ゆかりの大名が城主となり、城の拡張が行われ、18世紀のはじめ頃に天守閣の代わりとして、御三階櫓が出来たそうです。

    旅行時期
    2021年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 江戸時代中期の日本古民家

    投稿日 2021年09月16日

    高麗家住宅 日高・鶴ヶ島・坂戸

    総合評価:3.0

     高麗神社本殿の裏手にあります。入場無料です。高麗神社の駐車場はかなり広く、高麗家住宅をメインに見るのであれば、第5駐車場が最も近いと思います。高麗家住宅は、高麗神社の宮司が代々住んでいたという建物で、保存されているのは、江戸時代中期に建てられた建物で、国の重文に指定されています。予約をすれば中にも上がれるとのことです。朝鮮風という感じはなく、茅葺のいわゆる日本の古民家です。綺麗に整備されており、今でも住めそうです。ただ、天井のライトが、現在風でアンマッチでした。

    旅行時期
    2021年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

ゆっくさん

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17国・地域渡航

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小さい頃にテレビや本、教科書で見聞きした場所を実際に目にしたいため

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