武士政権誕生の鎌倉に武士政権を終わらせた薩長の祖の墓
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- 旅行時期:2021/04(約5年前)
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by ゆっくさん(男性)
鎌倉 クチコミ:7件
源頼朝の墓の更に東の山肌に島津忠久、毛利秀光、大江広元のやぐらのお墓があります。頼朝の墓から直接山道を右側に歩いて行くと辿りつけるそうですが、草が茂っており怖かったため、いったん階段を降りて、舗装された道をさらに右側に奥の方に歩いて行きました。すると再び灯篭と階段が出てきます。
階段を登ると広場となっており、これは北条義時の墓(法華堂)があった場所だそうです。そして、更に広場の奥に2つの階段が続いており、鳥居のある左の階段を登ると大江広元、毛利秀光の墓、鳥居のない右の階段を登ると島津忠久の墓となっています。
大江広元は頼朝に仕え鎌倉幕府の基盤を作った人物、その四男が毛利秀光で長州藩毛利家の祖となる人物です。そして、島津忠久は頼朝の庶子と言われており、薩摩藩島津家の祖となる人物です。これらのお墓は18世紀末に薩摩藩第8代当主島津重豪によって、頼朝の墓と共に整備されたとのことです。
誰もが考える事だとは思いますが、武士政権誕生の鎌倉の地に、武士政権を終わらせた薩長の祖の墓があることに歴史のなんたらを感じます。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/09/16
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