大江広元、毛利季光、島津忠久の墓
名所・史跡
3.33
大江広元、毛利季光、島津忠久の墓 クチコミ・アクセス・周辺情報
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
鎌倉散策(15)鎌倉殿13人重臣で大江広元・毛利末光・島津忠久の墓に寄りました
4.0
- 旅行時期 2023/05
- by zenkyou01さん
新法華堂跡の奥にある石段を登ったところにあります。三基の墓が並んでいます。大江広元は13人の一人で、京都から下った実務官... 続きを読む僚で、政所の別当(長官)として活躍した頼朝殿の側近です。隣にある毛利末光は広元の四男で、鎌倉幕府の役人になり長州毛利家の祖となる人です(宝治合戦で三浦泰村方に付き、敗戦自刃する)。子孫の毛利斉煕がこれら二基を江戸時代後期に造営する。島津忠久(一説に頼朝の子といわれる)は鎌倉幕府の役人で薩摩島津藩の祖となる人です。子孫の島津重豪が江戸時代後期に造営しました。三基ともやぐらの中に五輪塔の墓が安置されています。江戸時代の大大名島津家と毛利家は鎌倉時代から存在する家柄で、江戸時時代幕末には薩長連合を結び江戸幕府討幕に協力しあった。見えない糸で結ばれていたのですね 「日時」2023年5月9日 「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩19分 閉じる
クチコミ・評判
3.33
(28件のクチコミ)- アクセス:
- 2.85
- 人混みの少なさ:
- 4.11
- バリアフリー:
- 1.50
- 見ごたえ:
- 3.44
1~20件(全28件中)
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しずかに戻って
- 3.5
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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毛利に島津、まるで幕末
- 3.0
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
- 0
鎌倉の北条義時法華堂跡の裏手にある、左右並んだ階段を登っていくと、左手に大江広元、毛利季光、右手に島津忠久の墓があります... 続きを読む。以前、訪れたとき、大江の存在は知らず、江戸時代に整備されていたころから、幕末の雄藩である毛利、島津が示し合わせて名門をアピールするためにやったのかな、なんて思ってました。でも、NHK大河の鎌倉殿の13人を見て、考えを一変。大江の有力者ぶり、その息子である季光は妻方の三浦氏に付き、三浦氏が滅亡した際、自刃するという、いわば鎌倉幕府の中心近くを歩いた人物だったようです。一方、島津忠久は地頭職。どういう流れで薩摩に行ったのかまでは知りませんけどね。いずれにしろ、毛利に島津、どちらも鎌倉の中枢にいたとは、ある意味不思議です。
閉じる投稿日:2023/03/30
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躊躇するけど
- 4.0
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
- 0
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人ものぼって
- 3.5
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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源頼朝のお墓から近い
- 3.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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階段上っていくので
- 3.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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大江広元公/毛利季光公と島津忠久公の墓
- 4.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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北条義時法華堂上の三つの洞穴
- 5.0
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 1
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ドラマで活躍の
- 3.0
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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源頼朝墓の近所
- 3.5
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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石段を登っていった洞穴の中にあるお墓です
- 3.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
- 0
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急な階段の
- 3.0
- 旅行時期:2022/01(約4年前)
- 0
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大江広元は13人のうちの1人
- 3.0
- 旅行時期:2021/12(約4年前)
- 0
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なぜか大江広元の墓だけお供え物でいっぱい
- 3.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
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武士政権誕生の鎌倉に武士政権を終わらせた薩長の祖の墓
- 3.0
- 旅行時期:2021/04(約5年前)
- 0
源頼朝の墓の更に東の山肌に島津忠久、毛利秀光、大江広元のやぐらのお墓があります。頼朝の墓から直接山道を右側に歩いて行くと... 続きを読む辿りつけるそうですが、草が茂っており怖かったため、いったん階段を降りて、舗装された道をさらに右側に奥の方に歩いて行きました。すると再び灯篭と階段が出てきます。
階段を登ると広場となっており、これは北条義時の墓(法華堂)があった場所だそうです。そして、更に広場の奥に2つの階段が続いており、鳥居のある左の階段を登ると大江広元、毛利秀光の墓、鳥居のない右の階段を登ると島津忠久の墓となっています。
大江広元は頼朝に仕え鎌倉幕府の基盤を作った人物、その四男が毛利秀光で長州藩毛利家の祖となる人物です。そして、島津忠久は頼朝の庶子と言われており、薩摩藩島津家の祖となる人物です。これらのお墓は18世紀末に薩摩藩第8代当主島津重豪によって、頼朝の墓と共に整備されたとのことです。
誰もが考える事だとは思いますが、武士政権誕生の鎌倉の地に、武士政権を終わらせた薩長の祖の墓があることに歴史のなんたらを感じます。
閉じる投稿日:2021/09/16
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大江広元の墓(鎌倉):墓が三つ並んでる中央
- 1.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
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鎌倉幕府の土台を築いた大江広元
- 4.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
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江戸後期に、薩摩藩と長州藩によって整備された
- 4.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 1
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金沢街道を歩き大江の広元墓に寄りました
- 4.0
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
- 1
ここも法華堂跡の史跡に含まれているようです。石段の手前のやぐら(鎌倉周辺で多く見られ横穴式の納骨窟または供養堂)は三浦康村... 続きを読む一族の墓と言われています。墓は北條義時の新法華堂広場から100段余の石段を登り切ったところにあります。右のやぐらは、十八世紀末島津重豪が初代忠久の墓を造営、左は十九世紀初め毛利斉煕が初代毛利季光の墓、中央は毛利季光の父大江広元の墓を造営しました。大大名毛利家は大江家出身とは知りませんでした。墓はどなたかが掃除をされているようで、きれいに整備されていました。鶴岡八幡宮は大混雑に対し、ここは観光客ゼロ、ゆっくり拝観できました
「日時」2018年3月17日 晴れ
「アクセス」鎌倉駅下車、大塔宮行きバスで岐れ道バス停下車徒歩9分
閉じる投稿日:2018/07/02
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鎌倉幕府の基礎固めをした大江広元
- 4.0
- 旅行時期:2016/01(約10年前)
- 0
1件目~20件目を表示(全28件中)
- 1
- 2
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