ゆっくさんのクチコミ(3ページ)全1,048件
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投稿日 2021年09月16日
総合評価:3.0
最寄駅はJR八高線「高麗川」駅で徒歩20分程です。駐車場はかなり広いです。確認できただけで第5駐車場まであり、数千台は停められるのではないでしょうか。神社本庁の別表神社にあたります。
668年に滅亡した朝鮮半島の高句麗という国からの渡来人を大和朝廷が716年にこの辺りに入植させ、高麗郡と称しました。その初代郡司が高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)であり、彼の死後、その霊をを祀ったのが、高麗神社の始まりだそうです。宮司は代々、その末裔が務めているとのこと。
一之鳥居や拝殿の扁額には高麗神社と掲げられていましたが、隋神門だけ高句麗神社となっていました。「句」の字は小さいですが・・・。本殿の裏手には、代々宮司が住んでいたという、国の重文に指定されている江戸時代の高麗家住宅が保存されています。一之鳥居と二之鳥居の間に参道からずれて将軍標があり、これがこの神社が朝鮮由来であることをうかがい知ることができます。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2021年09月16日
総合評価:4.0
最寄駅は東武東上線「東松山」駅で徒歩5分程です。駐車場も広いです。神社本庁の別表神社にあたります。御祭神はウケモチノカミ(保食神)、またの名をウガノミタマノカミ(宇迦之御魂神)、トヨウケヒメノカミ(豊受比賣神)です。創建は712年とのこと。もともと小さな祠で野久(やきゅう)稲荷神社という名前だったそうです。
1030年に下総国城主である平忠常が武蔵国に攻めてきた際に、源頼信が、この地に本陣を置き、この稲荷神社に戦勝祈願を行った際、箭(矢)の形をした白雲を見つけ、神のご加護と奇襲し、勝利したことから、箭弓(やきゅう)と改名し、社殿を建て替えを寄進したとのことです。
拝殿・幣殿・本殿の周りを一周することができます。本殿は18世紀前半に、幣殿・拝殿は19世紀前半に造営されたそうですが、彫刻が見事でした。正面だけでなく、側面も背面も、見事に彫られており、県の文化財に指定されています。各彫刻の傍には説明版がありました。御朱印には、可愛い狛狐が記されていました。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2021年09月16日
総合評価:4.0
最寄駅は東武伊勢崎線「鷲宮」駅で徒歩10分程です。無料の駐車場もあり、かなり広いです。神社本庁の別表神社にあたり、明治時代の准勅祭社12社の内、唯一東京都内にない神社です。主祭神は、アメノホヒ(天穂日命)、タケヒナトリ(武夷鳥命)、大己貴命となります。天穂日命は天照大神の子供で、大己貴命に国譲りの交渉にやってきたものの、大己貴命に仕えた神様です。武夷鳥命は天穂日命の子供で、出雲国造の祖神にあたります。
創建は古く関東最古の大社と言われているそうで、天穂日命と武夷鳥命が、この地にやってきた時に、大己貴命を祀ったのが最初だそうです。その後、日本武尊により造営されたり、関東鎮護として名だたる関東武将による造営がなされてきたとのこと。
参道がほぼ東から西に向かっており、拝殿・本殿は、参道と直角に南に面して建立されています。参道途中には龍神が住むと言われるパワースポットの「光天之池」があります。拝殿・本殿の周りを一周することができますが、本殿が2つあり、鰹木が5本あるのが天穂日命と武夷鳥命を祀っている鷲宮神社、鰹木が3本のあるのが大己貴命を祀る神崎神社だそうです。拝殿の真向かいに神楽殿があります。ここでは関東地方の神楽の源流である国の重要無形民俗文化財の「土師(はし)一流催馬楽神楽」が奉納されるそうです。この「はし」がなまって「わし」となったという説があるとのことです。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2021年06月05日
総合評価:4.0
JR横浜線小机駅から800m程弱。北口からの方が近いですが、南口経由だと途中にある城郷小机地区センターの2階に、小机城のパンフレットやジオラマ等があり知識が深まります。続100名城のスタンプもこちらで。森までの道のりは分岐点に案内板も建っていますので迷うことはないと思います。
敷地内には建物や石垣等の遺構はなく、本丸や二の丸広場や空堀、土塁がある小高い山です。城ファンでないと城跡とは気づかないかと思います。城跡として散策するのであれば30分もかからず一周できます。舗装されていない山道が続くのですが、竹林に囲まれており、とても清々しかったです。市民の森と言うだけあって、油絵を描いている人や、楽器を奏でている人たちも居て、なごみました。
小机城は15世紀中ごろに関東官領上杉氏によって最初に築城され、一旦廃城。その後、後北条氏の勢力下となり改修され、秀吉による小田原の役で落城し、家康の関東入封の際、廃城になったとのことです。- 旅行時期
- 2021年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2021年06月05日
総合評価:3.0
最寄り駅はJR、小田急、相鉄の海老名駅から北東に1.5km程。
律令時代、聖武天皇の詔により建立された相模国分尼寺の跡地として公園化されています。特に基壇の整備がされているわけでもなく、講堂跡、金堂跡という石碑がポツンと建っているだけなので、一見普通の広場です。中門・金堂・講堂が南北に並んでいる一般的な「国分寺式」という伽藍配置だそうです。寺域は相模国分寺より一回り小さい200m四方とのこと。相模国分寺は大正時代に全国初の国指定史跡を受けていますが、こちらは平成になって国指定史跡になりました。南に500m程の所には相模国分寺跡が整備されています。- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2021年06月05日
総合評価:4.0
最寄り駅はJR、小田急、相鉄の海老名駅から東に1km弱です。
律令時代、聖武天皇の詔により建立された相模国分寺の跡地として公園化されており、建物跡等を散策することができます。かなり広々とした公園で、礎石も残っており、中門・南面廊、七重塔、僧坊の跡地が発掘されており、将来的には講堂や金堂跡も基壇を整備する予定とのこと。往時の寺域は東西240m、南北300mの広さだったとか。塔と金堂が東西に並んでおり法隆寺式伽藍配置であることがわかります。相模国分寺の特徴として、相模国府から遠く離れた場所に建立されたとのこと。
東側に隣接する温故館では、出土した瓦や模型が展示されており、駅に隣接する海老名中央公園には3分の1の七重塔が展示されています。南に200mの所に後継寺院の高野山真言宗の相模国分寺が江戸時代に再興されています。梵鐘が鎌倉時代に相模国分尼寺に寄進されたもので、国の重文になっています。また、北500m程の所には相模国分尼寺跡があります。- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2021年06月05日
総合評価:4.5
十数台程停められる無料の駐車場があります。バスの場合はJR内房線館山駅から30分程です。
式内大社(論社)であり、安房神社と共に安房国一之宮に称されています。御祭神は天比理乃命(アメノヒリノメノミコト)。安房神社のご祭神である天太玉命(アメノフトダマ)の后神です。創建は神武天皇時代。神武天皇の命でこの地に開拓にやってきた天富命(アメノトミノミコト)が、おばあちゃんである天比理乃命を祀ったのが始まりだそうです。ちなみに、天富命が、最初に開拓した地が今の徳島県にあたる『阿波』。より肥沃な土地を求め、この地に来て、『安房』と名付けたそうです。源頼朝がこの地に避難してきた際、再起を祈念したのがこの神社とのことで、リベンジの御利益があるそうです。19世紀初めの江戸幕府老中松平定信が洲崎神社も安房国の一之宮にしたとか。
隋神門は17世紀初め、本殿は17世紀後半、拝殿は19世紀初めの造営です。社殿の左に進むと富士山遥拝所がありましたが、残念ながら、この日は対岸の三浦半島すら見えませんでした。なお、海岸の方に行くと、対岸の三浦半島にある神社と対になる御神石があります。
無人の神社ですが、隋神門に墨置きのご朱印が大中小の3種類置いてあります。- 旅行時期
- 2021年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2021年06月05日
総合評価:3.5
高さ30m。日本の灯台50選にも選ばれる、国の登録有形文化財です。少し歩きますが野島崎漁港に無料の駐車場があります。灯台麓のお食事処で休憩すると、そのお店の駐車場を使うことも可能です。
明治2年建造で、洋式灯台としては、全国で2番目。ただし関東大震災で倒壊し、現在は大正14年に建造されたもの。
有料ですが、灯台内部の見学ならびに登ることもできます。
実際の房総最南端は、この灯台ではなく、その麓に遊歩道が続いており、そこに最南端の碑があります。- 旅行時期
- 2021年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年06月05日
総合評価:3.5
洲崎灯台は大正8年に建造されたもので、高さは15m。国の登録有形文化財となっています。
三浦半島や富士山も見えるらしいのですが、この日はうす曇りだったため、見ることはかなわず。特筆すべきは岬の灯台というと、断崖絶壁や荒涼とした緑が広がる寂しいイメージしていたのですが、こちらの灯台はなんと灯台の麓に集落が広がっていました。地元の方のための商店もあり、なんとなくホッとしました。集落全員で灯台守をしている感じです。なお、最寄りの駐車場は集落内の空き地を利用するため有料なのですが、灯台から200mほど離れますが、集落入口にトイレと数台分の無料の駐車場がありますので、多少歩いても良い方は、お勧めです。- 旅行時期
- 2021年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年06月05日
総合評価:3.5
最寄り駅はJR内房線館山駅ですが3km以上離れています。駅からのバスで最寄りバス停は「国分寺前」です。
真言宗智山派の寺院で、律令時代に聖武天皇の詔により建立された安房国分寺の後継寺院です(但し連続性は不明だそう)。現在の国分寺を中心とする一帯が、ほぼ安房国分寺跡だそうです。詔の時期は、安房国はまだ上総国だった時期とのことで、分国した後の建立のため、全国に比べても遅い時期に建立されたか、あるいは既存の寺を国分寺にしたと考えられるそうです。瓦や金堂跡と推測される基壇が発掘されているそうですが、その他の建物跡が見つかっておらず、伽藍配置もわからないとのこと。ちなみに、安房国府跡、安房国分尼寺跡も推測地はあるものの、正式には判明していないとのことです。千葉県は、安房、上総、下総の3か国から成り立っていますから、発掘も大変でしょうね。
14世紀の五輪塔、江戸時代中期の宝篋印塔、江戸時代後期の薬師堂が残っています。また、江戸時代の農民一揆の際に、老中へ直訴し処刑された、名主3名(三義民)の墓もあります。- 旅行時期
- 2021年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年06月05日
総合評価:3.5
大國魂神社の境内にあります。この辺りは8世紀の律令時代に東京、埼玉、神奈川の一部からな武蔵国の国府が置かれていた場所、そして、ここは更にその中心である国衙(今でいうところの東京都庁)が置かれていた場所です。それらに関する出土した瓦や土器、歴史を紹介したパネル、CGで再現した当時の国府の街並み等が展示されています。その他、このエリアに関するパンフレットも頂戴することができました。うれしいことに入館は無料です。ですが、大國魂神社への参拝者は結構人がいるものの、ここには全く人はおらず、穴場です。
- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.5
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投稿日 2021年06月04日
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投稿日 2021年06月04日
総合評価:4.0
大國魂神社の東隣に武蔵国府跡として朱塗りの柱のある施設があります。この施設を中心に南北300m、東西200mのエリアに国衙があったとのことです。ちょうどほぼ大國魂神社が国衙の東側半分を占める感じとなっているようで、それを西側に同じ範囲広げる大きさになります。説明版によると、国府は新宿副都心の範囲、国衙は東京都庁本庁舎を指すとのことです。そして、この施設があるエリアが国衙の中でも更に中心地である国庁があった場所で、知事部局にあたるそう。
武蔵国は東京、埼玉、神奈川の一部に8世紀の律令時代にあった国で、この地が国府としての機能は10世紀後半頃までは続いていたそうです。一旦は廃れていくものの、武蔵国総社である大國魂神社の影響力もあり、江戸時代には甲州街道沿いの宿場町として機能し、現在に至るとのことです。なお、大國魂神社の南西側にも、今でいうところの都知事の公館(国司館)跡が発掘されたとのことで広場が整備されています。- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年06月04日
総合評価:3.0
最寄り駅はJR中央線西国分寺駅かJR武蔵野線北府中駅からでともに1㎞程です。駐車場はなかったです。
律令時代、聖武天皇の詔により建立された武蔵国分尼寺の跡地として公園化されており、建物跡等を散策することができます。中門、金堂、尼坊跡が一直線に並んでいることがわかります。講堂跡は確認されなかったようで、想定地という説明版がありました。公園を斜めに一車線のよぎっている道路で公園が分断されているのですが、傍に別の道路もあるので、整備する際どうにかならなかったのかなと個人的には思いました。北東500mのところには武蔵国分寺跡も整備されています。- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年06月04日
総合評価:4.0
最寄り駅はJR中央線の西国分寺駅から南東に1.0㎞程。駐車場はなかったです。
律令時代、聖武天皇の詔により建立された武蔵国分寺の跡地として公園化されており、建物跡等を散策することができます。かなり広々とした公園で、金堂や講堂、中門が一直線に並んでいる東大寺式伽藍配置であることがわかります。南東に200m程の所には七重塔跡地もありました。この辺りは虫食い状態で空き地化された場所が多いので、将来的には一体的な大きな公園にする計画なのでしょうか。
すぐ北側のいわゆる国分寺崖線沿いに後継寺院の真言宗豊山派の武蔵国分寺が再興されています。なお、更に北側の崖上には、都立の武蔵国分寺公園が整備されていますが、こちらはもともと中央鉄道学園があった跡地で、直接的には武蔵国分寺跡地とは関係なく遺構等はないです(東山道武蔵路の遺構はあります)。南西に500mの離れた大通りと線路の先には武蔵国分尼寺跡も公園として整備されています。- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年06月04日
総合評価:3.0
最寄り駅はJR中央線の西国分寺駅から南東に1.0㎞程。
律令時代、聖武天皇の詔により建立された武蔵国分寺の後継寺院として、武蔵国分寺跡の傍に真言宗豊山派の寺として再興されています。薬師堂、仁王門、楼門は18世紀中ごろに再建された建物で、いずれも国分寺市文化財に指定されています。また、見学することはできませんでしたが、安置されている木造の薬師如来坐像は平安時代作で国指定の重文だそうです。境内には万葉集にちなんだ植物が植えられていました。
現国分寺は、いわゆる国分寺崖線に建立されていますが、すぐ南の平地に武蔵国分寺跡が公園化されており、建物跡等を散策することができます。- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2021年06月04日
総合評価:3.0
東京都国分寺市にある長さ500m幅12mの道路が遺跡として武蔵国分寺の附として国の史跡に指定されています。既に発掘調査が終わっており、マンション前にアスファルトで覆われた公園?となっているため、それが目的でないと気づかないと思います。
律令時代、平城京から各国府を結ぶ七道が整備されました。その七道の一つに今の東北地方に通じる道として、今でいう滋賀、岐阜、長野、群馬を通る東山道が整備されました。東京、埼玉、神奈川の一部からなる武蔵国(武蔵国の中心である国府は東京都府中市)は当初は東山道に含まれていたため、群馬の次は、なんと東京に寄って栃木に向かい福島に行くルートになっていました。その群馬から東京への道が、この東山道武蔵路です。やがて、これは非効率だと気付き、後に群馬から栃木に直接行くルートが東山道の本線、そして東京に南下する、この道は支線として武蔵路となりました。更には後に武蔵国が東山道から東海道に移管されたため、徐々に使われなくなり、鎌倉時代には廃道となったそうです。それゆえに実際にどこを走っていたかわからなかったものの、この区画だけはっきりと道路の遺跡が発掘されたため、史跡として保存しているとのことです。- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2021年06月04日
総合評価:3.5
最寄り駅は京成本線の市川真間駅から北に1.5㎞、あるいはJR総武線の市川駅から北に2.0㎞程です。ちなみに無料の駐車場もあります。
律令時代、聖武天皇の詔により建立された下総国分寺の後継寺院として、今もその地に真言宗豊山派の寺として再興されています。朱塗りの南大門が鮮やかです。ただ、度重なる火災のため、建物等は昭和になって建てられたものだそうです。現在の本堂付近に金堂が建ってたと考えられており、法隆寺式伽藍配置だったとのこと。往時の寺域は東西350m、南北400mの広さだったとか。墓地内に礎石もあるとのことですが、さすがに無断で入るのは遠慮しました。
100m程北には芝生の空き地があり、そこにも下総国分寺跡の碑が建っています。国分寺に関連する大型の建物跡が見つかった場所とのことです。なお、ここから500m弱西に田んぼと新興住宅街を抜けていくと下総国分尼寺跡があります。- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2021年06月04日
総合評価:4.0
最寄り駅はJR総武線の本八幡駅か京成本線の形成八幡駅で、どちらからも300m程。ちなみに無料の駐車場もあります。市川市役所傍の国道14号(千葉街道)沿いに一之鳥居が建っています。この辺りは、江戸時代には旧佐倉街道(成田街道)の八幡宿として栄えたとのこと。境内には樹齢1200年のイチョウの木(国指定天然祈念物)や明治の神仏分離前の名残である鐘楼(県指定有形文化財)や仁王門(現・隋神門、市指定有形文化財)がありました。
御祭神は、八幡神ですので、応神天皇、神功皇后、タマヨリヒメの3柱。9世紀末ごろに宇多天皇の勅願により石清水八幡宮から勧請したとのことです。武神として、源頼朝、太田道灌、徳川家康といった面々から崇敬されてきたとのこと。宇多天皇とこの地の関係を理解しきれていないのですが、宇多天皇が臣籍降下させ「平」姓を授けた内の一人(桓武天皇の孫、あるいは曾孫にあたる高望王)が「上総介」としてこの地にやってきた所以でしょうか。その子孫が平将門や、後にこの辺りの豪族・守護となる千葉氏等々だそうです。
なお、ここから北西に2.5㎞程離れた地に下総国総社である六所神社があり、その神社のご朱印も、こちらで拝受できます。- 旅行時期
- 2021年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2021年02月02日
総合評価:3.5
山梨県内には甲斐奈神社が三社ありますが、そのうち笛吹市一宮町にある神社です。
車で訪れました。国道20号沿いにあるファミリーマートの駐車場を横切って、参道に入りました。
諸説ありますが、甲斐国の総社と言われており、付近には甲斐国分寺跡、甲斐国分尼寺跡、甲斐国一之宮である浅間神社もあります。
御祭神は、クニトコタチ尊、タカミムスビ尊。、イザナギ尊、イザナミ尊の四柱です。周りは畑に囲まれた、生活感を感じるこじんまりとした神社ですが、どことなく懐かしさを感じました。途中、畑をトラクターで耕している方が居たのですが、御朱印を拝受するために電話をかけると、なんと、その方が宮司さんでした。
全国的にもレアな自転車のお守りが有名だそうです。- 旅行時期
- 2020年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5













































































