T04さんのクチコミ(233ページ)全5,035件
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投稿日 2013年11月30日
総合評価:4.0
通り界隈に「葛飾北斎生誕の地」の碑があることから名付けられた名前が「北斎通り」。通り沿いの街路灯や公衆トイレには北斎の作品のプリントシールが103枚も貼られており「北斎ギャラリー」と呼ばれています。作品によっては経年劣化で色褪せつつある物もありますが、まぁご愛嬌ですね。界隈には「葛飾北斎生誕の地」以外にも「野見宿禰神社」や「山岡鉄舟旧居跡」などといった史跡があるため、歴史好きには楽しい通りです。ただ基本的には住宅・町工場が中心の町並みですから、歴史好きでなければ、あまり…という場所かも知れません。
- 旅行時期
- 2013年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 都営大江戸線「両国」駅A2出口からすぐです
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 週末ということもあってか、歩いている人は少なかったです
- 見ごたえ:
- 3.5
- 歴史に興味がなければ、あまり…
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投稿日 2013年11月30日
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投稿日 2013年11月30日
総合評価:2.5
河竹黙阿弥…、この名前を目にしたのは受験勉強以来です。知識として知ってはいますが、ただ受験に必要な知識として覚えていただけですし、ずーっと前の話でもありますので、「代表的な作品名を答えてくれ」と言われると「…え~と…」ってな程です。そんなこともあって、この碑を見たところで何の感慨も…。すいません、勉強不足で…。
- 旅行時期
- 2013年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 大江戸線「両国」駅から「北斎通り」に入り、ちょっと脇道に入ります
- 見ごたえ:
- 2.0
- 単なる碑ですから、見ごたえと言っても…
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投稿日 2013年11月30日
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投稿日 2013年10月19日
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投稿日 2013年10月16日
総合評価:4.5
現在の「横網町公園」、隣に建つ「第一ホテル両国」や「日本大学第一中・高」の一部など、この地域一帯は、かつて陸軍被服廠があった場所です。東京市は、この地に一週300メートルの本格的トラックとスタンドを備えたグラウンドを中心に、屋外劇場や日本庭園などを併設した近代的公園を整備する計画でした。関東地震(関東大震災を引き起こした地震は、名前を関東地震といいます)が起こった時、ここは被服廠が取り壊され、広大な更地になっていました。そのため震災後には家財道具を抱えた4万人ほどの避難民であふれ返っていました。そこに震災で発生した火災が、折からの小型台風の影響もあって竜巻のような火焔となって人々を襲い、2時間にわたって人や荷物や馬を巻き上げていったそうです。震災による東京全体の犠牲者5万8千人のうち、被服廠跡での犠牲者は3万8千人、その割合は犠牲者全体の65%という膨大なものでした。この悲劇の中心地には昭和5年に「震災記念堂」が、昭和6年に「震災復興記念館」が建てられ、「横網町公園」として開園されたということです。しかし、東京大空襲などによって一帯は焦土と化し、再び未曾有の犠牲者が生まれました。戦後、震災と大空襲の犠牲者を合祀するため「震災記念堂」は「東京都慰霊堂」に、「震災復興記念館」は「東京都復興記念館」と名称が変更されました。現在の「横網町公園」は、中国の仏教徒から贈られた「幽冥鐘」、犠牲となった5000人の国民学校児童を「震災遭難児童弔魂碑」、流言飛語によって命を奪われた朝鮮人を弔う「朝鮮人犠牲者追悼碑」など震災犠牲者を慰霊する碑だけでなく、空襲犠牲者を慰霊する「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」も設置され、震災・東京大空襲両犠牲者を慰霊する一大メモリアルパークになっています。
- 旅行時期
- 2013年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄大江戸線「両国」A1出口からすぐです
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 子どもが遊ぶ一角もありますが、慰霊に訪れる人も少なくありません
- 見ごたえ:
- 5.0
- 公園内にある施設や石碑など、どれもが東京の重い歴史を思い起こさせます
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投稿日 2013年10月20日
総合評価:4.0
車で訪れる人には問題ないと思いますが、JRや京成電鉄を利用する人は、駅からの無料送迎バスの本数が少ないと思いますし、タクシーで向うと3500円前後の出費になりますので、不便な場所と言わざるを得ません。ただ、博物館そのものは素晴らしいと思います。エントランスから敷地内に入ると、まず広大で美しい庭園の景色が目に入ります。散策路が設けてあるのも頷けるところです。その庭園の中に佇む博物館は、ヨーロッパ中世の古城を思わせるデザインです。館内も美しい博物館内には、芸術音痴の私でさえ知っている作品が多数展示されているだけでなく、展示室間の通路からはさり気なく庭園の一部が見られる窓があるなど、建物自体の素晴らしさも感じられます。今回は仕事絡みで訪れたため、慌ただしく時間を過ごしましたが、次回はプライベートで訪れ、散策路とレストランも楽しみ、ゆったりすた1日を過ごしたいと思いました。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 駅から無料送迎バスもありますが、本数は多くありません…車で行く人向きの立地ではあります
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 展示されている作品を考えれば、入館料が高いとは思いません
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 平日だったせいか、訪れる人は多くありませんでした
- 展示内容:
- 5.0
- 芸術に疎い私でも、凄いコレクションであることが分かります
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投稿日 2013年10月20日
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:3.0
国学者としては賀茂真淵に学び、本居宣長の協力を得て『万葉集略解』を著し、歌人としては村田春海と並び称され、書では樋口一葉んい影響を与え、絵画にも優れた作品を残したという、江戸を代表する文化人の一人です。そんな文化人のお墓が身近にあるということは、東京に住んでいることの利点かもしれません。お墓に彫られた文字は、生前に自書して寺僧に渡しておいたものと言われているそうです。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内です
- 見ごたえ:
- 3.0
- 多くの人々と関係も深い江戸の文化人、自分自身が偉くなった気がします
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投稿日 2013年10月20日
総合評価:3.5
1768年に回向院で勧進相撲が開催されるようになると、1833年からは定場所の地となり、1909年には回向院境内に旧両国国技館が建設されるなど回向院と大相撲は深い関係があります。その回向院の参道には「力塚」と刻まれた石碑を中心にした「相撲関係石碑群」があり、それらを総称して「力塚」と呼ばれることもあります。「力塚」を構成しているのは相撲記者を慰霊するための「角力記」、梅ヶ谷が建立した「法界万霊塔」、歴代相撲・年寄慰霊のために建てられた「力塚」、江戸時代からの相撲の歴史を刻んだ「回向院相撲記」、角力記の続きを記した「東京相撲記者碑」です。
- 旅行時期
- 2013年10月
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 参道脇にありますから、何かのセレモニーなどがあると、ちょっと見ることが辛くなるかも
- 見ごたえ:
- 3.0
- 力士だけあって、立派な石碑です
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投稿日 2013年10月19日
総合評価:4.0
幼き頃、時代劇の一番のヒーローと言えば、水戸黄門でもなければ遠山金四郎でもなく、間違いなく鼠小僧次郎吉でした。時には映画やテレビドラマの主人公として、またコントの題材として、鼠小僧は大活躍していました。当時の私にとって鼠小僧は「大名屋敷に忍び込み、奪った金子を貧しい庶民に配った」ヒーロー的盗賊であり、そうした鼠小僧像は日本国民に広く浸透していたのだと思います。鼠小僧が大名屋敷に何度も忍び込んだことは事実ですが、どうやら酒や博打に浪費し、貧しい庶民に金子を与えた事実はないということです。しかし権力者である大名家に忍び込む盗賊は、非支配者階級の庶民にとって痛快であったはずと思います。”貧しい庶民に金子を配った”という鼠小僧の虚像は、幕末に活躍した戯作者の河竹黙阿弥が書いた作品であると言われています。そうした鼠小僧の虚像像は、芝居になって世に広まったのでしょう。明治12年1月の「朝野新聞」には、歌舞伎役者の市川団升が 芝居が当った礼として碑と永代供養料10円を寄付して施主となり、墓の横に石灯籠を寄進しているとあり、これが現在「回向院」にある供養墓であると思います。学界においても、芥川龍之介が「戯作三昧」・「鼠小僧次郎吉」・「復習」と鼠小僧をモデルにした作品を著したことなどで、鼠貧しかった当時の日本において鼠小僧はヒーローであり続けられたのもしれません。また、いつの頃からか鼠小僧の墓石のかけらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」などのご利益があるといわれるようになり、墓石を欠き取る人が後を絶たなかったため、現在は墓前に欠き取り用の”欠き石”が置かれているのも面白いです。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内です
- 見ごたえ:
- 4.0
- お墓ですが、欠き石付の豪華版です
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:4.0
観光案内所を評価するのは初めてですが、墨田区観光の前に訪れたい施設だと思います。墨田区観光に関する多くの資料や書籍(一部有料)はもちろん、裏面がスタンプラリーになっているテーマ別の観光案内マップもあったり(スタンプ1つでクリアファイル!2つで北斎トートバッグなど)、観光をより一層楽しめると思いました。今回は「すみだ歴史読本 忠臣蔵外伝 その日の吉良邸」200円也を衝動買いしました(笑)。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- JR「両国」駅の隣りの「ザ・ホテル ベルグランデ」、その「国技館通り」に面した1階部分にあります
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投稿日 2013年10月17日
総合評価:4.0
江戸に幾度も起こった大火のうち、とりわけ大きな被害を出したのは「振袖火事」の名で知られる明暦の大火です。この大火は江戸時代最大の延焼面積・犠牲者を出し、天守閣を含む江戸城や多くの大名屋敷など、市街地の大半が焼失しました。犠牲者の数は10万人以上とも言われていますが、身元の分からない人も多かったということです。そこで当時の第4代将軍家綱は、そうした無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと命を出したのが回向院の始まりです。「回向院」自身が”有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの”という立場をとっている所以でもあります。かつて境内には観音堂や鎮守堂、太師堂などが建立され、数多くの像が安置されていましたが、関東大震災をはじめとした震災等により木像はことごとく焼失してしまったそうです。ただ今も境内の一角には「明暦大火横死者等供養塔」や「鼠小僧供養墓」を始め、「岩瀬京伝(山東京伝)墓」など著名人のお墓や、「塩地蔵」、「力塚」、そして「回向院」らしく多くの動物供養塔なども建てられています。また回向院は1883年から勧進相撲本場所の地となり、1909年には境内内に”大鉄傘”と呼ばれた13000人収容の国技館が建設されました。蔵前に新しい国技館が建設されると大鉄傘は日本大学講堂となり、1983年には解体されました。しかし回向院向かって左手にある「両国シティコアビル」の中庭には、当時の土俵の位置を示す円形が描かれています。不謹慎な表現ではありますが、歴史好きを吸い寄せるような魅力を持ったお寺だと思います。
- 旅行時期
- 2013年10月
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当り…問題ない距離です
- 見ごたえ:
- 4.5
- 有名人のお墓もいくつかあります
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:3.0
「回向院」といえば明暦の大火で有名ですが、その境内では勧進相撲本場所が興業されることになり、「国技館」が建てられていたことでも有名です。現在、「回向院」敷地内の「両国コアシティビル」裏の中庭には、当時の土俵跡が円形で表わされ、往時を偲ぶことができます…と言いたいところですが、そこは「両国シティコア」に入居する店舗などの利用者用駐輪場になっていて、肝心の土俵跡が見えにくいのが大きな欠点です。見学には朝早い時間が良いかもしれません。しかし、この手狭に見える場所に13000人を収容できる国技館があったなんて、現在の町並みからは信じられません。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口を出て、目の前を走る「国技館通り」を碑へ真っ直ぐ突き当った「回向院」、その左隣の「両国コアシティビル」裏手の中庭です
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 人混みではありませんが、自転車置き場と化していて、土俵跡が見えません
- 見ごたえ:
- 3.0
- この場所に13000人収容の国技館があったなんて、信じられません…という感想は大いに湧きます
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:3.0
岩瀬京伝という名前よりも、高校の「日本史」で学んだ山東京伝という名前の方が馴染深い人も多いのではないでしょうか。「日本史」では洒落本や黄表紙を表わした戯作で有名となり、寛政の改革で手鎖の刑罰を受けたことを学びましたが、浮世絵師でもあったのですね。「回向院」のお墓には”岩瀬醒(さむる)”と彫ってあり、初めて本名を知ることが出来ました。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内にあります
- 見ごたえ:
- 3.0
- 「日本史」でも学んだ著名人のお墓…と思うと、ちょっと感慨深いです
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:4.0
江戸時代には幾度も大火がありましたが、最も大きな犠牲者・被害を出したのは「振袖火事」の名で知られる1657年の明暦の大火です。この大火では天守閣を含む江戸城や多くの大名屋敷など市街地の大半が焼失し、犠牲者の数は10万人以上とも言われていますが、身元の分からない人も多かったということです。そこで当時の第4代将軍家綱が、そうした無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと命を出したのが回向院の始まりです。1675年に建立された「天明大火横死者等供養塔」は、「回向院」の原点と言える供養塔です。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内です
- 見ごたえ:
- 4.0
- 歴史を知っていると、重みを感じる供養塔です
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投稿日 2013年10月19日
総合評価:3.0
かつての両国橋界隈と言えば、広小路を中心に芝居小屋、見世物小屋などが建ち並び、多くの私娼窟、また夜鷹が徘徊する江戸最大の歓楽街でした。現在、両国橋から50メートルほど下流に、かつて両国橋・広小路のあった場所を示す立札のみが掲げられています。かつての両国橋界隈がどのような街であったのかを知っていたため、少し江戸時代の賑わいの様子が偲ばれました。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 現在の両国橋袂から、約50メートル下流です
- 見ごたえ:
- 3.0
- 両国橋周辺は、かつて江戸最大の歓楽街であったところであることを知っていましたので、賑わっている様子を想像することができました
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投稿日 2013年10月17日
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投稿日 2013年10月19日
総合評価:2.5
討ち入りを成就させた赤穂浪士が泉岳寺へ向かうまで休息をとった場所が、旧両国橋東詰にあったとされる広場です。今の姿に往時の広場を偲ばせるものは何もありませんが、赤穂事件のファンであれば、何かを感じられると思います。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 現在の両国橋袂から、約50メートル下流です
- 見ごたえ:
- 1.5
- 立札だけですが、赤穂事件のファンであれば思いを馳せられます
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投稿日 2013年10月17日
総合評価:3.5
天下の日本相撲協会、やはり相撲に関する博物館を持っていました。場所はもちろん大相撲の殿堂「両国国技館」内ですから、やはり大きな期待を持って訪れました。JR「両国」駅に隣接する「両国国技館」の敷地に入ると、正面玄関の右手の一角に目指す「相撲博物館」がありました。入口はこじんまり、博物館を表わす表札とパンフレットのラックがなければ、通り過ぎてしまいそうな佇まいです。さて館内に入ると、思わず「えっ?これだけ?」って呟いてしまいそうな位の規模で、想像は見事に裏切られました。展示テーマはしばしば変わるようですが、今回は今まで”還暦土俵入り”を披露した9人の名横綱にスポットライトを宛て、その”還暦土俵入り”に用いた赤い綱、化粧廻しなどが、戦績などと共に展示されていました。博物館の規模は小さいですし、展示品の数も多くはありませんが、”相撲好き”の目を輝かさせる、そんな場所であると思います。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- JR「両国」駅に隣接する「両国国技館」内です
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 器が小さいため、本場所中などは混むことが多いと思います
- 展示内容:
- 4.0
- ”相撲好き”ならば、目が輝くでしょうね














































































